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| ■2026年8月3日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「今日は雨も降って過ごしやすいお天気」 私はベランダの植物たちの葉っぱに溜まる雨水を眺めながらこの雨水を何に例えるべきかと考えている。 そして、コーヒーを啜る手元も狂い茶色い液体を机の上にぶち撒ける。 「あーあーやってしまった」~なのだ~。 コップはスローモーションのように転がりキーボードの上にコーヒーはぶち撒かれ、私も固まる。 もう外の植物の葉っぱの滴どころの話ではないもので、私はティッシュで拭き拭きとパソコンを持ち上げて茶色い液体を机に上に落とす。 「先ずは電源がショートしないように」と電源ボタンを押して一旦電源を落とす。 けれども、マウスやキーボードに触れる度にモニターは起動して、濡れたパソコンを手に持ち電源を押したり画面が点いたりと一人一役のわけのわからぬ大騒動を起こす。 しかし、最近のお・パソコンとはドリンクを弾く仕様なのか?急ぎ応急処置も良すぎたのか?キーボードの中に1滴のコーヒーも入っていなかった。 「セーフ」 キレイに拭き取っても何もベトベターも無き無糖のコーヒーが良かった良かったでパソコン被害は皆無であった。 そして、コーヒーは週末に描く迷画にも飛散しているもので丁度BADなウィンクの頬の部分を茶色く染める。笑 □V□画は何だかキャッチャーのようでもあり、何でBADとIFなのかもわかりませんが角から文字が生えるとすればそのような文字だ。 そして、外には心地よい雨が降り部屋の中ではコーヒーが降って今日は心地よい曇り空。 私はどちらかと言うと昔から飲み物をぶち撒けることも多い人生だ。 自分のまわりの親や大人たちは飲み物もぶち撒けたりこぼしたりしないもので、当然、私も大人になれば自然とそのように何もこぼさぬ大人になると思っていた。 ですが・・・現実とは酷なもので三つ子の魂は百まである。 いつも何かをやらかしている感じで本当に「面目ない」気持ちでイッパイで、何かをぶち撒いた時にはいつもしっかりとした飲み物管理を心に刻む。 そして、時もたてばキレイさっぱりに忘れる。 大人の流儀とは少し厄介事なようで、面目とは「めんもく」と読むものですが口頭で「面目無い」言えば「めんぼく」と言う・・・と、そのような大人は理由もわからない話にすり替える技術も持っている。 本当に人がこぼすと、「これ、集中力が散漫だ」とか「ほら、落ち着きがない」とうるさきものでコーヒーや液体をぶち撒いた時にこそ人間性は出る。 私が何かをこぼすと「あれっ?」と借りてきた猫のような感じで、とりあえず、面子もどうのこうのとただただ面目無く思う。 そもそも、猫のことはよくわからないけれども普段と違い大人しくしている猫とは恐らく単に周囲の様子を伺っているだけの猫とも考えられる。 なので、私もこぼした部分とこぼれた周辺が気になる感じで猫をかぶる。 「面・めん」とは時に「つら・顔」とも読むもので、「面当て(意地悪なあてつけ)」「面構え(顔つき)」「面魂(顔つきに現れ出る強い心情)」「面の皮(顔の表皮)」「面汚し(名誉を汚すこと)」とコーヒーをこぼした時にこそ、こぼした人とそのような光景を見た人の本性は「面・つら」として体現されるのかな。 かと言って、優しく笑顔で「大丈夫?」とすり寄って来れば何だか胡散臭い。 かと言い、横目でちらりと何事も無かったように「私は一切かかわりありません(ビシッ)」の知らんぷりも、また、何かしらの人間性を表すようでわかりやすい。 このコーヒーやドリンク類をぶち撒く時には人間性という本性が試されているのでデス。 あーからおーのあー面(めん)、おー面。 |
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| ■2026年8月3日(月) |
| ■はぁ~。 |
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| ■2026年8月4日(火) |
| ■一日一文章トレーニング。 「マジックハンドで蝶々を撃退する」 今朝も窓を開けると涼しくて気持ち良い。 夏休みの朝とはやっぱりこのような朝だよねと、今年の夏は溶けるように暑い夏が通り過ぎると過ごしやすい夏もやって来る。 私は大豆を蒸して、麦茶も2番茶まで作り、ベランダの植物たちにも水も撒き、自由研究の観察も行う。 その研究とは先日イモムシに葉っぱを食い散らされた謎の柑橘系植物に虫がついていないかと凝視するもので成長具合も一応確認している。 柑橘系の植物はゲリラ豪雨の後に禿山のように新芽や葉っぱをイモムシに食い散らかされて無惨な姿となる。 そして、最近は新芽もわらわらと息吹くもので短時間で元の姿を徐々に取り戻す。 私は葉っぱに悪い虫はついていないかと毎朝探すもので余計な仕事も増える。 この謎の柑橘系植物の成長話はほんの3~4日の出来事で、食い散らかされた葉っぱももうわからないぐらいに急成長する原動力とは何であろうか? 1)気候が良い。 2)雨もたっぷりと降ることも良いかも。 3)私の予感では煮出した茶カスを撒いたことで成長のスイッチも入ったような気もする。 お茶の葉は使用済みのパーで捨てずに乾燥殺菌したものを撒いている。 お茶の葉っぱを撒いた直後から新芽がわらわらと出てきたので何かの刺激となった予感もする。 私の認識では茶カスとは一種の発酵した落ち葉みたいなもので土に還そうとする企みの一つでもある。 そして、 週末にはひらひらとアゲハチョウが謎の柑橘系植物に飛んでくるのを見つける。 私は「見つけたゾー」と蝶々を追い払うもので、去年も今年もアゲハチョウの幼虫被害を受けている。 なので、我が家にやって来る蝶は蜜を吸う蝶では無く、イモムシの卵を産むような蝶である。 私はイモムシの卵を産もうとする蝶を手で断固拒否と追い払い、蝶はひらりひらりと私の攻撃をかわしながら執拗に柑橘系植物の上を旋回して隙あらば葉っぱの上に止まろとしている。 人間が追い払っても飛んで逃げない蝶とはどのような蝶々なものかなと思うもので、もしかしたら、運悪く卵が出そうな瞬間に私に見つかった蝶かもしれない。 私はこの柑橘系の植物の葉っぱの上に絶対に止まらせないようにひたすら蝶を追い払うもので、そのぎこちない手の動きはまるで8ビットゲームのようだ。 それにしても、新芽が生えて来たならばすぐに飛んでくるアゲハチョウの情報源とは一体何であろうか? ちょうちょちょうちょ謎の柑橘系に止まらないで・・・と「蝶」と「蝶々」「ちょうちょ」の違いも気になる。 そして、何もわからない。 私は素手でアゲハチョウを捕まえるのは気持ち悪いのでマジックハンドを取り出して、その棒を振り回しながら蝶を追い払う。 しかし、逃げない。 なので、鳥になった気分でマジックハンドをカチカチと蝶を掴もうと試みると、蝶はやっと驚いたのか空高く舞い上がり隣の家のベランダ方面に逃げる。 「オレはやったー蝶を追い払ったー」のである。 葉っぱの上に卵を産んでいないかと葉の表裏を細かく確認していると、暫くして再びひらひらと蝶は飛来するもので再び私のクチバシ攻撃で追い払う。 私は新芽を守る為であれば容赦はしない! そして、大都会東京は広しと言えどもマジックハンドで蝶と格闘している人とはそうそうにいないもので、マジックハンドとは何用にも活用出来る。 蝶はひらひらとベランダの端っこに飛んでいき、絶対イモムシでも食べられないような固い葉っぱの観葉植物に止まり何処に飛び去る。 謎の柑橘系植物の葉っぱは死守したものの、卵はその固い葉っぱに産みつけたかもしれない。 夏のホラ話としてはその固い葉っぱの観葉植物のあった場所は少し前まで葉っぱを食い散らかされた柑橘系植物の鉢を置いていた場所である。 私が悪い虫がついていないかと確認しやすいように鉢を移動したもので、つい先日まではその場所にあった。 蝶はそのような空間把握もしているような動きで少しホラーだ。 果たして蝶に知能があるのか否かで、昆虫に記憶がなければ柑橘系の残り香や微かな化学物質のような気配を感じたのでしょうか。 とりあえず、アゲハチョウの幼虫は謎の柑橘系植物の葉っぱが好きなようで蝶もそれを狙って卵を産むもので、その辺にはもっと大きな柑橘系植物の樹木もあるのでそちらの葉っぱを食べて欲しい。 |
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| ■2026年8月4日(火) |
| ■つぶらなナットーだね☆ |
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| ■2026年8月5日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「蝶」 なのか「蝶々」なのか「ちょうちょ」なのか「てふてふ」なのかと奴らとの戦いに終止符はない。 様々な呼ばれ方をする名前を持つものとは怪人20面相のようでもあり、いろんな顔を持つ存在とは謎めいている。 物語の中での蝶とはおそらく変化的なものを表すもので様々な顔に変化する。 蝶には英語のバタフライなエフェクトも含めると5面相もありワレワレを惑わすにも十分だ。 大体、飛び方もふわふわと予測不能で侵略者に撃ち込む爆弾は蝶々の如く曲者ミサイルを提案したい。 いつ何時の気を抜いた時には葉っぱはかじられてくるもので本当になぜ?こんなにも小さな鉢植えを狙ってわざわざ卵を生みくるのか?と謎である。 昨日は蝶の選手を追っ払い勝利宣言をしたものの、卵は一部孵化してすこす新葉もかじられる。 私は小さなイモムシ×2匹と卵×1個を見つけてピンセットでブチッと潰す。 イモムシは柔らかすぎて無感触ですが、卵の方はプチっと”とびっ子”ように壊れる。 一切の慈悲も無ければ容赦もなく、所謂、私はイモムシを見つけたならばイモムシを潰すイモムシキラーとなる。 プロフィールの特技欄には蚊の撲滅運動家に加えて、イモムシ潰し、若しくは、イモムシキラーと肩書も増える。 イモムシキラーとは皆が大嫌いなイモムシの名を持つ嫌われもので、または、イモムシを潰す味方でもあって敵か味方か謎めいている。 今や窓を見れば謎の柑橘系植物の葉っぱにイモムシはいないかと凝視するもので、鳥が窓の外を飛べば蝶なのかと目で追う。 しかし、本物の田舎に生息しているようなクソデカ・イモムシを見ればイモムシキラーも100%びびり何も出来ない。 イモムシキラーとはプロレスラーの鹿威しの如くビックマウスで、蝶とは何かと辞書で調べると気持ち悪い解剖図が出てきて「そおっと」静かに本を閉じる。 とりあえず、 私は新しく芽吹いて新緑の葉っぱがかじられることがとてつもなく嫌で、美味しく食べて種も土に植え芽が出て育てる柑橘系植物に愛着もある。 なので、その葉っぱがイモムシにかじられると心も痛みイモムシキラーとなる。 しかし、肝心のかじられた謎の柑橘系植物はひょうひょうと生きているもので、葉っぱのスジ以外の8割程かじられたとしても、葉っぱは枯れたり落葉したりすることも無く普通にかじられたままの状態で光合成をしているようで不思議だ。 果実をつける植物にとって蝶とは受粉の為に必要不可欠な存在かもしれない。 なので、蝶とは共存関係はあるのかもしれませんが、一端の樹木として育つまではイモムシにかじられたくない。 かじられた葉っぱとは不憫な姿で、この不快な気持ちとは何かと考えると能動的に自分から「かじる」分には問題ありませんが、受動的に「かじられる」不快感は大きい。 自分が大切に育てている植物の新葉がイモムシにかじられれば、私自身がイモムシやゾンビにかじられることと同義で、人は「かじられる」ことに嫌悪するものだ。 ところで、「かじる」「かじられた」の漢字をどのように書くべきかと悩ましい。 「かじる」の候補としては下記のようになるが、常用漢字表にない漢字で「齧る」と書くようだ。 齧る 囓る 噛じる どれも複雑な構造で私の頭の中では梶井基次郎さんの檸檬な感じの明治の文豪の文章によく出てくる難字でもある。 歯へんの中には目茶目茶に人がいて、契約みたいな字もあれば何だかホラーな妄想も浮かぶもので、どのような経緯からこのような漢字となったのであろうか。 私もよく固いものを齧り、物事も少し齧ったりと、イモムシ野郎の大好物の葉っぱとはどれほど美味かと気になる。 私の予想では葉っぱにも柑橘系の甘いオレンジの風味がある予感で、今度一枚齧ってみるかな。 葉葉葉~ |
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| ■2026年8月5日(水) |
| ■ダイヤル。 |
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| ■2026年8月6日(木) |
| ■一日一文章トレーニング。 「今の時代は絶え間ない変化の時代でもあり、変化と言っても「へんげ」と読む時代である」 卵から幼虫、サナギ、蝶への変化のことを完全変態という。 街中の変態どもは卵から孵化してイモムシとなりサナギとなって全て分解されて新しくなり蝶として舞う。 物語では変化する状態のことを「蝶」というキーワードで例えるようだ。 頭に浮かぶものは「羊たちの沈黙」や「パプリカ」などで、「羊たちの沈黙」のポスターでは蛾(蝶)で口封じされた印象も強い。 配送荷物のように運ばれるマスクをしたレクター博士のインパクトも強いのですが内容はほぼ覚えていないので何も書けない。 「パプリカ」は黒幕を追う痕跡に必ず蝶がいたような記憶もあるもので、蝶は異世界に通ずる媒体な存在であったと思う。 こちらもまた内容はあやふやですが何度も観た映画なので大体はあっているような気もする。 また、主人公や悪役も「蝶」の成長のように完全変態していく。 しかし、「変化」というものは大変面白いものだ。 それは「変化」のことを「へんか」と「へんげ」という2通りの読み方をするもので、それぞれの意味も異なる。 昔の人たちは諸行無常な人生行路で絶えず起こる変化を概念として使い分けたようだ。 変化(へんか)とは受け身的に変わることや、能動的に変えることの意味で、どちらかと言うと今より良い風に変わりたいという願望も含む。 変化(へんか)とは必ずしも良い風に変わらないかもしれませんが、そこにはより良い未来の変化の祈りがあると思う。 一方で変化(へんげ)と読めば、人知の外の神が人に化ける神の領域で、妖怪やキツネ・狸なども化けて、人が変化(へんげ)するとなれば人ならぬ異界の何かの恐ろしいものに変化する。 ホラーやサスペンスなどの変化はこちらの変化(へんげ)のことで、変化(へんげ)の物語が流行った後には蝶はあまり飛ばなくなったような気もするもので、最近観る映画やドラマではこのような蝶の例えは見かけない。 流行り・廃りとはあるかも、ですが、科学技術も日進月歩で進化するような現代では、このような蝶的な変化とはわざわざエンターテイメントで見なくても毎日見ている日常である。 具体的に変化するものを探してみれば、玩具の変形合体は変化(へんか)だ。 漫画やアニメなどでは仲間も増えて人間として成長すれば変化(へんか)で、闇落ちしたり、自分ではコントロールできない一線を超えればそれは変化(へんげ)となる。 お化粧などで彩れば化かすような変化(へんげ)で、生活を楽にする科学技術の進化もまた化学(ばけがく)との変化(へんげ)のことだ。 私たちの日常の中にはこのような2通りの変化は常にあるもので、普段とは違う自分を見せようと努力することも変化(へんげ)とすることには少し違和感も感じる。 私はそのような変化の(へんか)と(へんげ)の違いと何かと考えれば未来に対する祈りの有る・無しではなかろうか?と思う。 昨今全てはお金な定規で計られることも多い。 勿論お金も大切ですが、そこには愛や未来に対する願いやロマンが欠落しているような変化ばかりの変化(へんげ)の時代でもある。 人はそのような変化(へんげ)にだんだんと耐えられなくなっているように思うもので、今こそより良い未来を願うような祈りのある変化(へんか)が大切だと思う。 |
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| ■2026年8月6日(木) |
| ■グリーン。 |
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| ■2026年8月7日(金) |
| ■一日一文章トレーニング。 「美しき風景」 何一つの祈りもない科学技術の発達ほどに恐ろしきものはない。 この祈りとは宗教的なことを言っているのではなく、新しく生まれる変化の先の願いというか発明の先にある優しさの解釈でもある。 私たちの身の回りには日々一歩一歩の小さな歩みで溢れている。 そして、そのような一歩一歩は小さな祈りの積み重ねでもあると同時に、ネット社会とは如何に人を出し抜こうかとの悪意も溢れている。 なので、それがより良き願いというものが感じにくい変化(へんげ)な時代でもある。 祈りとは何かと調べると18世紀後半から19世紀前半の産業革命が進む英国でロマン主義を立ち上げたコールリッジの詩を見つける。 「人をも鳥をも獣をも愛する人がよく祈る人である」 これは「老水夫行(の歌)」という大海原の神秘や恐ろしい体験を書いた詩の一節で、アホウドリを撃った水夫がその罪により南極まで流され大自然の中で生き抜き帰郷するお話のようだ。 東京都内にもアホウドリは生息しているようですが太平洋上の孤島に生息している。 アホウドリはその昔に人を見ても逃げないので阿呆の名前がついたようで乱獲された鳥でもある。 私もアホウドリやカツオドリを生きている内に一度は拝顔してみたいものの生息域が秘境すぎておそらく一生見ることも出来ないない鳥でもある。 この小さな一文から大自然の中に佇み自然に対する畏敬の念と祈り、願う光景が頭に浮かぶ。 人を愛し、鳥を愛し、獣を愛する人が一番よく祈っている、なんとも意味深で素敵だ。 この一節から私は日本語で言うところの願掛けのような自然の中でただただ無に手をあわせる八百万的な神秘を感じる。 そもそも「願い」というのは「原っぱ」の中で「顔」を下げて願う字でもある。 コールリッジの見渡す限りの海の原っぱな大自然の祈りとは正に願いそのもの。 ※勿論、本は読んでいないので想像のロマンだけで書いています。~適当だ~草 ロマン主義は機械文明が発達し都市の空気も汚染され個人よりも合理主義や拝金主義、規則重視と蔓延する社会の中で自然の畏敬の念を感じて、もう一度自然を見直し想像力と感情を表現する文芸活動のようである。 東京の街に住んでいればいつも見上げる空は狭くいつも窮屈に感じる。 しかし、適度に大自然も多いもので住めば正に都だ。 そのような人工物で溢れた東京の大自然と言えば北の丸公園や荒川土手が大好きで、本郷の炭団坂(たどんざか)を登った先の高台の景色もなかなかに壮大で好き。 ※写真参照。 時折通りたくなる炭団坂の上は私が好きな東京の景色の一つで、そのびっしりと住宅で埋まった先に大自然を見る。 曇っていても、晴れていてもその景色は雄大で、ここを通り過ぎるほとんどの人は足を止め「ふぅ」と呼吸を整えるような風景だ。 私たちはそのような炭団坂上の景色を本郷のソーデルマルムと呼んでいる。 この坂道を「よっこらしょ」とのぼる道や眺める景色はスウェーデンに旅行した時のソーデルマルムな風景に似ているもので、そのように呼ぶ。 スウェーデンはとても極寒な時期に旅して人生で初めて街中で凍え死ぬかと思うような寒さの中を歩き回り、当然、馬鹿と煙は高いところがお好きのようでもあって坂道も上り「うわー」とその景色に感動する。 そのような感動の景色が炭団坂上と重なる。 この炭団坂上の場所は昔「小説真髄」で勧善懲悪を排して写実主義を唱えた坪内逍遥のお家があったようだ。 写実主義とはコールリッジさんのロマン主義と正反対のようでロマンを排して写実的に模写するような文芸活動のようだ。 その後、坪内逍遥の跡地は旧伊予藩の久松氏が常磐会の寄宿舎とするもので、正岡子規などもこの崖上の美しい景色を堪能していたのは間違いない。 流石に昔の文人たちは良い場所を住処として選ぶもので、私にとっても都会のど真ん中で大自然を感じる唯一無二のロマンな場所でもある。 そして、想像力なロマンチックさえあれば何でもいけそうだ。w |
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| ■2026年8月7日(金) |
| ■憧れのアホウドリ。 |
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| ■2026年8月10日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「育てている三つ葉がこんなにも大きくなったー」 お正月になる前に食べてから早8月、根っこを水差しにして水耕栽培する三つ葉は今このように大きく育つ。 育てれば食べるのも勿体なく思う銀の匙で、涼しい我が家の中で観賞用として鎮座している。 そもそも「三つ葉が部屋に生えていて良かった」となるようなシチュエーションも無いもので、三つ葉を食べることもない。 今年は比較的に過ごしやすい夏で植物界のお嬢様が外にいることも多いのに、この三つ葉だけはエブリデー室内育ちだ。 夏の強い太陽が直接葉に当たると萎えるので、お陽様加減の程良い場所で大切に育てられている。 葉っぱの若さもすでになくなり葉も茎も分厚くてザラザラとした老木のような貫禄もある。 時折、千切って生食してみても硬く苦くてなかなかに消化出来ない草そのもの。 人生とは本当にどのように回転するかわからないもので、三つ葉でも大切に育ててればそれなりに愛着も生まれる。 毎朝起きたら外の植物たちに水をあげて、三つ葉の水やりは2晩でバケツ一杯のたっぷりの水を吸収するサイクルで育てている。 三つ葉を育てて学ぶことは、植物はどうやら私たちが寝ている間に水分を吸収しているようで、ベランダの植物たちも夕方や夜に水やりするのが良いのかなーと思う。 ※よほどの猛暑の時以外は家では朝オンリーの水やりです。 夏の初めぐらいまでは成長・成熟期でもりもりと大きく葉っぱを伸ばして、今は一回り小ぶりな大きさとなって老年期に入ったようだ。 植物に成長期・老年期とはおかしな話でもありますが、スーパーで売られている野菜類は全部若い野菜たちばかりで、このような老いた植物は売られていない。 今こそ、食べるのか否かと決める最終判断の時期で、今、決断しないと本当に食べられない草となりそうだ。 三つ葉を食べないとすると土に植えることは可能ですが、この夏の暑さの中で土に植えたとしても秒で枯れるのは目に見えている。 なので、食うか?食わぬか?の実質の二択。 この三つ葉ちゃんとなりそめ?なれそめ?というか思い出を語る。 この三つ葉ちゃんは冬の寒い時期に芹鍋を食べようと芹を探していたのですが芹は無く、かわりに根付きの三つ葉を購入する。 そして、お正月に三つ葉が収穫出来たら良いなーとの軽い気持ちで芹を増やす要領で三つ葉を育てる。 しかし、なかなかに育たない三つ葉で、やっと芽が出たかと思っても茎が伸びるのもゆっくりで愛らしい。 気付けばお盆も近づく今日この頃で殺生するならば三つ葉のお化けが出るかもであり「さてさて、どーする、ゴーする竹野内さん」なのだ。 そう言えば、大量に羽虫が発生した事件もあった。 蚊の撲滅運動家の私は化学薬品を使用せずにパチパチとハンドでビシバシと虫を叩き潰すもので、これは大変な事件であった。 三つ葉ちゃんは洗面所の流しに水を溜めてどっぷりと浸し沈めて羽虫や汚れなどを洗い流して掃討するもので、この事件も一件落着する。 しかし、時折、虫は飛ぶもので三つ葉ちゃんを食べない限り羽虫の撲滅とは成らない。 なぜ?このような虫が発生する前に三つ葉を食べなかったのかと悔やむもので、自分でもなぜだろうと思う。 手がかかる子供程にかわいいとの諺もあるように、いろいろ思い出を生み出す植物の親密度も上昇するかもだ。 または、三つ葉をわざわざ食べる必要性もあまりない。 私は近代日本文学を貫く坪内逍遥先生にならい今日は写実主義を貫く誓いを立てた。 やっぱり文章とはありのままに写実的にジャーナリズム精神に則って三つ葉を食べるか否かについて書きたい。 しかし、ちょくちょくと私の中に浪漫が現れ出る。 困ったー困った。 三つ葉にどのようなロマンチズムが隠れているかと想像すれば、美味しい三つ葉料理が3つ浮かぶー浮雲・・・。 ひと~つ: 私の一押しは昆布出汁をとったお湯に豆腐を入れて三つ葉をたっぷりと入れた湯豆腐がオススメである。 茹でた三つ葉をカツオ節入りの醤油で食べれば硬い草も柔らかく美味しそうだ。 ふた~つ: いやはや、料理は料理の専門家に話を聞くのが早いもので永久保存版の分厚い料理本を取り出して三つ葉の料理を調べる。 ここではインターネットとか言う便利なものを使わないことに悦になりながらの調べもので材料別のインデックスに三つ葉料理は無かった。ガックリ みっつ~: 写実主義とは簡単にロマンによって侵食されるようで私の文章とは写実的な経験から浪漫への流れが一般的だ。 最終的にロマンのようで、お隣さんに「家で採れた三つ葉どす」と年季の入った三つ葉を持って行き気色がられる夏のホラー話だ。 ロマンチックは止まりません♪ |
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| ■2026年8月10日(月) |
| ■手づくり。 |
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| ■2026年8月11日(火) |
| ■一日一文章トレーニング。 「蝶除けトンボを置いたならばトンボがやって来た!」 台風15号が西寄り向かい上陸するそうな・・・。 まるで「台風18号」の歌みたいですが、私は朝からベランダの飛びそうなものたちを片付ける。 植物たちは風に吹かれていくつかの葉っぱを落とすであろう。 謎の柑橘系植物の新葉もイモムシに食べられなくとも台風一過の風により飛ばされるかもしれないので、今晩の風が強くなった頃合いで柑橘系植物は室内に避難させよう。 そう言えば、私、イモムシバスターはトンボのブローチを貰う。 ブローチは10センチ程のリアルなオニヤンマのカタチをしており百均で売られているもの。 トンボのブローチはリュックに付けて虫を威嚇して、キャンプや登山、外作業でも虫除けに役立つらしい商品のようで、イモムシの卵を産みにやって来る蝶の虫除け用として貰う。 どうやらオニヤンマは昆虫業界最凶の虫のようであり、虫たちは大きなオニヤンマを見れば怖がって近づかないようだ。 本当なのか迷信なのか?私は半信半疑ですが、さっそく、オニヤンマのブローチを窓際の柑橘系植物に向けて置く。 その効果があったのか無いのか、今のところ卵は産み付けられていない。 そう言えば、 オニヤンマのダミーを置いてから蝶はやって来ないようですが、野生のトンボは飛来した。 エアコンの排水以外に全く水の無いこのベランダにトンボが飛んで来ることが珍しい。 昨日の夏っぽい強い陽射しに風が吹くと気持ち良いもので、そこにトンボでも飛んでくれば小さな秋の気配も感じる。 トンボはダミーのオニヤンマからある程度距離を置きながら飛んだり止まったりとしているもので、私は蝶には超~蝶警戒中でもあるのでベランダの飛行物体はすぐに目で追い確認している。 トンボの大きさは8センチ程、ぼてっとした尻尾の色がメタリックがかったやや紫色なブルーでとてもキレイ。 調べるとオオシオカラトンボと言うようで胴体部分は青色というよりも黒っぽいトンボでもあった。 ビュンビュンと空を飛行していたならばオニヤンマのブローチが気になり寄り道した感じで、トンボは観葉植物の葉っぱに止まりゆっくりと休憩している。 調べるとトンボの目は何万個の複眼で出来ているようでとても目がいいようだ。 そして、ホバリングして右や左にクイック方向転換出来るような運動能力も高いもので、飛行中の蚊や虫も容易に捕まえて食べるようだ。 そもそも、トンボの元々の姿と言えばヤゴである。 ヤゴとは私が知っている限り大きな鎌の手を持ったとても獰猛な生き物で、水のドロ底から自分よりも大きなメダカなどを襲い捕食する生き物でもある。 そのような元ヤゴがトンボに変態したとあれば、虫たちにとっても怖い生き物であることは間違いなし。 イモムシが葉っぱの上から蝶として羽ばたくことはまだ何となくわかりますが、水の底に沈んでいるヤゴがなぜ空に向かって飛び立とうと思ったのか謎でもある。 水中と空中という人間が一度も生命活動しない世界で二度の人生を送る変態ぶりで、トンボの生態とは驚きでもある。 私はトンボの詳細をもっと知りたく思い窓に近づくと、トンボはブワーっと一直線に8月の高い空に逃げてしまう。 生命とは本当に不思議だ。 |
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| ■2026年8月11日(火) |
| ■いのしし。 |
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| ■2026年8月17日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「お盆休み中は毎日が雨で、毎日10時間睡眠をしていたお話」 この前に購入したもともと安いリネン製のズボーンの生地が柔らかくてカタチも好きでもう1本欲しくなる。 そして、それが1000円引きだと知り雨の中をお買い物に出かける。 本当は前日に出かける予定でした雨予報で動く気力もなくて、その雨降る日に動くこととなる。 家から出た時はまだパラパラと降る小雨で傘を滅多に傘を開かない我が一族は「このくらいの雨ではまだまだ傘はささん」と意地を張る。 しかし、歩いて信号を渡るぐらいまで進むと結構な大雨となり素直に傘をさす。 そして、いつも雨に降られた時に雨宿りする場所も越えて「まだまだ進むのか?帰るのか?」とルート的には電車乗る選択肢はもう無い。 そして、タクシーや電車に乗れば1000円割引は意味も無く、本当に現金な奴らとは困ったもので1000円割引に惹かれてとんでもない雨に打たれる。 大雨もひどくなる道半ばの大きなビルの下で雨宿りしていると空もピカピカゴロゴロと道の先も雨で霞んで見えなくなる。 これは鎌倉の寺参りの時やせっかくの野球観戦が大雨で中止みたいな誰が大雨を呼ぶのかと泥のなすり付けあいとなる。 雨はザザザーと波紋を作りながら降るもので、雨レーダーやインターネットで調べると雨は5時頃に止むようでまだまだ先の話だ。 少し雨が小降りとなった頃を見はからい前進するものの、しかし、雨はすぐに「ひえー」とスゴイ大雨となって、靴もびしょ濡れ、服もびしょ濡れで上野の街に辿り着く。 さっそく、我らは大雨の中であちこち回ってお買い物をして、途中ベローチェでコーヒーゼリーを食べてと無事に1000円引きのズボ~~~ンも買う。 服も乾いて、そろそろ雨も止む5時頃なので小降りの中をてくてくと帰路につく。 しかし、道を進んでいるととんでもないザーザーの大雨となるもので坂道は川のような濁流となり、鮭の遡上のように上り雨はシャワーの如くで全身びしょ濡れとなる。 もうただただ寡黙に歩くだけで家に着いたならば、廊下を歩くと床に水たまりが出来て、カバンの中身もびしょ濡れで救出し、服を脱いで洗濯機に入れる。 「ふー」と床を拭いてカバンも干して、全てを終えて「つかれたー」と横になっているとそのまま寝てしまう。 2~3時間ぐらいは寝たであろうかとムックリと起きて無言のまま動き出すもので大雨で降られたぐらいでこんなにも疲労する我らでは山に登れない。 勿論、山登りする予定や趣味も全くありませんが、山で遭難や動けなくなる人のニュースをみる度に我も「そーだそーだ山を舐めるな!」と思うもので、上野周辺のお山を上り下りするだけで疲れてしまう体力ではすぐにギブアップ緊急通信を発動してネット民に叩かれてしまう。 そのような体力の無さを議論していたならば、大雨は本当に結構スゴイ大雨で千葉などで水害の被害も出る。 我らはスゴイ大雨の中から生還した。 とりあえず、お盆の間はよく寝ていたもので10時間ぐらいは寝ている。 寝すぎると何だか頭も痛くなるものでコーヒーを飲んで、お盆の間にどのような霊魂が帰ってきたかと思いを巡らす。 私の夢にはどのような霊魂が出てきたかと思うと、行ったことも縁も無い寝相の悪いミイラの夢を見る。w ミイラとは人生ゲームの駒やマッチ棒のようにまっすぐなような気もしますが、夢の中のミイラは寝相が悪くて足を曲げて寝ていた。w 私はミイラに「何で寝相が悪いねん」とつっこんでいるもので、眠り眼に写真の名画を布団の中で書き留める。w 絶対に夢診断はしないでね☆ 寝正月でもないのに寝すぎた毎日で、電球のコントローラーも寝すぎたようでスイッチのON・OFFが作動出来ない。 早速、電池交換してスイッチを押すもうんともすんとも動かないもので、最近、何かの電化製品が故障気味なことも多い。 今度は照明が壊れてしまったのかと壁のメインスイッチをカチカチとするとライトは点いたのでコントローラーの故障のようだ。 動かないコントローラーを照明に向けてチャンネルを変更して何度もボタンを押すも動かずに「あーこわれた、こわれた」とコントローラーを布団に向かって投げられる。 コントローラーは布団上に転がり寝相の悪いミイラのようだ。 私はそのコントローラーを拾い「壊れるよー」とすでに壊れてしまったコントローラーを照明に向けてスイッチを押すと照明はパッと明るく点いた。 投げた衝撃で電化製品とは直るもので、お盆の時期とは本当に不思議なことが起こる。 なんまいらーなんまいらーなーむー。 |
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| ■2026年8月17日(月) |
| ■い・の・し・し。 |
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