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| ■2026年7月1日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「梅酢に漬けた赤紫蘇の茎で“ちりめんじゃこ”のふりかけを作る」 6月25日から湿度70%超えのじめじめとした梅雨っぽい気候となる。 ですが、窓を開放すれば若干ヒンヤリと気持ち良い空気も流れて、今年はまだクーラーのスイッチをONしていない。 私にとって過ごしやすい梅雨とはどうやらカビやダニたちにとってもパラダイスであると聞いて、恐れおののき最近は入念にお掃除もしている。 70%台の湿度と言えば気温+2℃の不快指数で今朝の室温は25.9℃・湿度75%の体感約28℃。 例年の湿度込みの体感室温28℃では「もう暑いー」とクーラーのスイッチに手が伸びていた記録もあるもので、去年と今年何が違うのかと考えてもよくわかない暑さだ。 今は27.6℃・湿度69%上昇の体感温度も約29℃となる。 ですが、エアコンのスイッチを付けるような気温でもないもので、さてさて、我慢の限界点とはいつ頃になるであるかの「クーラー開き」の日取りも気になる。 そして、今日から7月1日。 季節も進むと変化もあるもので、私の鼻もくんくんと何だか七夕の香りを感じている。 七夕の香りとは言葉にするのは難しいですがモワッと湿る空気の7月の香りで、これは梅雨明けの「サマー」な時期に感じるムワっとした夏の香りともまた異なる。 モワッとムワっの違いもまたそれも難しいのですが全然異なる。 この匂いは先程の梅雨時期に繁殖する何かのカビの匂いかもしれないし、昨晩の赤紫蘇のふりかけの梅酢の香りかもしれない。 または、七夕の香りとは今月の7月9日頃に収穫予定の梅干しの甕から漏れる梅の香りの可能性もある。 去年一昨年の暑い梅雨時期に作られた梅干しはクーラーの効いた涼しい部屋で熟成されるもので、今年の梅は本来自然の梅雨空の元で熟成される梅干しだ。 梅は間違えた赤紫蘇玉作り工程で乾燥する作業もすっ飛ばす。 なので、茎もろともアク抜きしたもので、本来捨てているはずの茎も灰汁も抜き完了で何だか食べられそうだと梅酢に漬けて保管していた。 梅酢に漬かった赤紫蘇の茎をそのまま食すと梅干し風味のすっぱくて塩辛い美味しさはありますが、歯ごたえが若干固めで大根の葉っぱのように火を通して食べようと思う。 ・先ずは赤紫蘇の茎をよく炒める。 ・茎がしんなりとしてきたならば、次にちりめんじゃこ、山椒を入れて水分がなくなるまでコゲないように混ぜながら炒める。 こうして、出来たのが梅酢に漬けた赤紫蘇の茎と“ちりめんじゃこ”のふりかけ。 ご飯と食べると梅干しは入っていませんがふんわりとお口の中に上品に梅干しの香りが広がり、シャキシャキとした食感もまた美味しくお箸も進む梅雨の合間の一品がでけた。 |
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| ■2026年7月1日(水) |
| ■まぜてたたいてほにゃららら~♪ |
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| ■2026年7月2日(木) |
| ■一日一文章トレーニング。 「AとBという異質な事柄の境界線上に花は咲く」 今日はモワッともムワッともしない涼しくて気持ち良い梅雨の雨。 今朝の室温は25.8℃・湿度74%で昨日の室温25.9℃・湿度75%と比べてもほぼ同じですが、過ごしやすさの違いは段違い。 雨に濡れることは嫌で傘を持ち歩くこともまた面倒だ。 ですが、雨には雨の気持ち良い涼しさやウェット感もある。 昨日と今日で何が違うのか?と雨の降る日と雨が降らない日の違いについて思う。 この梅雨前線の雨は静かにぽたぽたと降り続き、私には雨で洗われた新鮮な空気を与えてくれる。 そして、この境界線上の雨が消滅したり、住む場所を通り過ぎれば本格的な暑いサマーを迎える。 このような梅雨前線とは夏の空気とそれ以外の空気を分ける大気の境界線だ。 異なるものがぶつかればそこに風が起こり雨を降らす自然界の仕組みでAとBとは全く異質なものだ。 そして、そのような境界線は単に異なるものを分けるだけで無く、ぶつかり合った境界線上に摩擦を作り出して全てを掻き混ぜた後に豊かさも与えてくれる。 例えば、川と川、川と海、海と海、潮と潮の潮堺に温かい水と冷たい水の温度の差や塩分濃度の違いで境界線は生まれて、その場所は栄養分の豊富な良い漁場となる。 目に見えない海の下で異なる水と水がぶつかれば渦や水流が起こり底に溜まった栄養分を巻き上げる嵐となって植物性プランクトンを大繁殖させるようだ。 そして、そのようなプランクトンを食べる為に小魚も増えれば、小魚を捕食する大型の魚も増えて、漁師や釣り人はそのような大型魚を狙い釣り糸や網を垂らし、鳥たちも上空から魚を求めて賑やかな場所となる。 「雨降って地固まる」とは正にこのようなことで、都市などの発展もこのようなカタチかなとも思う。 何かの境界線上とは自然界にとっては大変豊かな生命活動が行われる場所だ。 確かに以前暗渠された蛇道を下った先の隅田川に接続する場所には越冬する水鳥たちのコロニーはあった。 水鳥のいる・いないとは漁場の目印で、そして、自然界の生物とはそのような見えない境目を見る能力に長けており、最近の私たちとは数字やお金などのデータを通してそれらを捉える。 私たちとは日々の日常事を核なる中心で見ているもので、そして、上記のような境界線上の賑わいある豊かさを知ると境界線を広げるフロンティア精神もまた間違いではない。 荒城の月のように日本的な無常観は中心的なものは瓦解して時代と共に流れて朽ちていくものだ。 AとBという異質な事柄は境界線上に花も咲かすが、AもBも無くなれば境界線も無くなり花も咲かない感じも何だか面白い。 境界線とは中心から辺境にまで届く影響力なのである。 ということで、 あちこちで摩擦を起こしていたあの人もまた異質なものとぶつかり合う存在であった。 あの人とは文芸評論家のサント・ブーヴで、前述のようにユーゴ(ユゴー)とは静かなる対立ではユーゴに見下されていたものの、真っ向正面から対立したバルザックという人物もいた。 オノレ・ド・バルザック(1799-1850)はアグレッシブに100冊以上の作品を執筆するフランスを代表する作家で、お金や社交界にも貪欲で、初めて新聞紙小説を書いた人物で、彼はまた作家の著作権保護の活動をするフランス文芸家協会を立ち上げた人物の一人でもある。 名前にオノレとつくぐらいにブーヴと泥仕合の悪口の言い合いで対立していたようで、ブーヴが評論家の有能さをアピールする為に書いた「愛欲」という作品をバルザックは超酷評する。 そして、バルザックは同じ設定で小説とはこのように書くべきだと「谷間の百合」というリメイク作を書き上げて、こちらはバルザックの代表作となりブーヴを激怒させる。 著作権保護の活動をしているけれどもブーヴのリメイクも作って何だか面白いな。 バルザック51歳が腹膜炎で死んだ時にはブーヴはコケ下ろす毒を撒き散らしていたようで、異質な人と人がぶつかり合う嵐もまた怖いものだ。 全ての境界線が相反するものと混じり合い、かき混ぜる事柄とは破壊力がある。 しかし、今でもこのようなエピソードが残り名作も生まれたと考えれば当時の不毛な争いとは今となっては「雨降って地固まる」と言うべきかなのか、ぶつかり合い摩擦した後の豊穣な下地のようにも見える。 長い目線で見れば、境界線上の無駄事とは何一つ無いのかもしれない。 |
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| ■2026年7月2日(木) |
| ■ランラン。 |
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| ■2026年7月3日(金) |
| ■一日一文章トレーニング。 「肉や魚の表面をパリパリに香ばしく焼くことをメイラード反応と言うらしい」 私も随分と無駄に長く間生きてきたものですが聞いたこともあるようで知らないメイラード反応な言葉を聞くと、いつも頭の中がピロリ~んとなっている。 しかし、そのような言葉は知らなくとも肉や魚はキッチンペーパーで包み水分を吸い取ってから焼くもので、この行為は臭みや雑味を取るものですが余分な水分も取れば自然と表面の焼き温度も上昇してメイラード反応となる。w 私の中ではいつ何時も肉の表面にパリパリな焼き目を付けたいもので、メイラード反応な言葉は知らなくともパリパリな表面を目指している。 豚肉の表面も焼き目がつくようにパリパリに焼きたい。 お揚げさんの表面もパリパリが好き。 パンや魚の炭化したお焦げはポイッと切り落として捨てますが、表面がパリパリに美しく茶色な焼き目になるメイラード反応なはとても好きだ。 シェフもつわものどもも夢の後で皆でパリパリだの、ササッとサーと擬音で“めんこく”作りたい。 「大根をとんとんと切ります、 塩はひとつまみぶわ~っとかけて、みりんと酒をちょぴちょぴちょぴーとかけて、お醤油はドボンとならないようにたらたらと注ぎます、 後は小さな火でぐつぐつと煮てプシューと煙が立てば火を止めて寝かせます」 何の大根料理かわかりませんが大変乙だ。 数字を廃して全て体感の擬音料理とは老舗の祇園の料理みたくカオスで未知な領域である。w そう言えば、 先日作ったブールブランソースは余ったソースを冷凍保存していた。 メイラードにパリパリに焼いた魚に、凍ったブールブランソースを溶かしてかけたならば完全にバターとすっぱいソースが分離してもうた。 あんなに苦労して作ったすっぱいソースが冷凍保存して使えないなんて・・・フランス料理とは物凄く手間暇のかかる料理である。 バターは15℃~20℃で乳脂肪分が結晶化し、一度溶けたバターは元の状態に戻らない。 そして、人間の子の脂肪分も15歳~20歳で何かの結晶化が行われて一度溶けたら元に戻らないものなのでしょうか?w 因みに、バターの乳脂肪分の融点(個体から液体になる)は28℃~36℃のようであり、サマーな夏がやって来たならば私のバターな乳脂肪分は全部絞り出したい。 乳化状態が壊れたブールブランソースのお味はバターとすっぱいお味で分離している。 ところどころはバターの油ですっぱいようなお味で乳化とは相反する2つの素材を見栄えよく調和させる奥義である。 これらはカチャカチャと熱心によく掻き混ぜて乳化するもので、ある意味境界線もなくなり一つの味となる。 しかし、それらは時間と熱量によって簡単に分離するもので、バブル的なものはどこの国にもありますが隣の国の一つの何ちゃらもまた乳化状態のようだ。 全てを掻き混ぜて泡立てて乳化するもので、そのような乳化状態とは境界的な意識も欠落している。 そして、冷やして混ぜ続けなければ簡単に壊れる。 凍らせてブールブランソースも低温でゆっくり溶かしながらかき混ぜれば、もしかしたら乳化状態となったかもしれませんが一度溶けたバターは決して元の状態に戻らない。 これは自然の摂理だ。 ブールブランソースとは作ってすぐに食べないと分離してしまうとても手間のかかる料理なのである。 すっぱいお味とは蛋白な魚の塩味とこってりバターと組み合わさってとても美味しい。 ソースを舐めたらすっぱい酸味ですが、塩味の効いた魚と一緒に食べると全く酸味も感じなくとても不思議。 ブールブランソースは作るのはとても大変ですが、私たちは日常的にレモン汁とサバの缶詰を焼いて食べるもので、そのお味は結構近い。 全てはこってりバターと酸味をあわせて食べる為に混ぜて乳化させるものであり、フランス料理のソースは本当に奥が深い。 このすっぱいお味は梅干しや梅酢、赤紫蘇なのでも活用できる予感で、今度白身魚の切り身やホタテ、蛋白な鳥肉などでも梅のすっぱソースで絡ませて食べたい。 |
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| ■2026年7月3日(金) |
| ■メイラード活火山。 |
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| ■2026年7月6日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「葛切りを自宅で美味しくお得に食べる方法を考えた」 朝晩窓を開放して寝ると肌寒くて目覚める時もある。 お風呂上がりの暑さとは動画を観ながらゴロゴロと段々と寒くもなり体もクールダウンして寝落ちする。 そして、ふっと気づくと無意識に断熱効果の全くない夏布団に包まり眠るもので、夜中や朝方に肌寒く目覚めると薄々の毛布をかぶって再び眠る。 去年の猛暑などと比べても俄然過ごしやすい梅雨で、過去の平均気温はどの位のものかと1951年~1980年の東京の月平均気温・月降水量を調べたら下記のような数字となる。 6月:月平均気温21.5℃・月降水量は181ミリ。 7月:月平均気温25.2℃・月降水量は125ミリ 月平均気温は1ヶ月の日平均気温の合計をその月の日数で割ったもので、日平均気温は1時間ごとの最高気温+最低気温を2で割ったものを24時間の平均で算出する。 因みに今年の6月の月平均気温は21℃~22℃台とほぼ昔の数字と同じような推移だ。 このような涼しき梅雨空のもとで、私は昨日葛切りを食べる。 京都の観光地で食べたならば1500円以上はしそうな葛切りを自宅で食しますが、勿論、本物の葛ではなく安物の葛だ。 本物のクズ・安物のクズとややこしいのですが、どっちのクズがまだましなのかと考えてもクズはクズでどっちもどっちだ? 甘くて美味しい葛切りをズルズルと食べると、透明感が川のせせらぎのような涼を感じる。 俳人ならば「梅雨空に クズはクズなり ちゅるりん」とクズな一句も浮かぶものかもしれませんが、私は本物のクズを高いお金を浪費しながら食べるのがエレガントなのか、いやいや、安い偽物のクズを食べてお財布にも優しい平穏も捨てがたき。 何が正解なのか?とクズはクズでもお金のスケールで測りながら悩む。 そもそも、クズは米国の危険な外来植物にもなる程に大繁殖する世界を席巻する日本の雑草が高級品であることも意味不明。 そして、葛には偽物と本物のクズが堂々と両立していることも何だか面白い。 クズはクズとしか存在しない一つのジャンルの常識ですが、葛にも本物のクズと偽物のクズがあるようにクズにも本物のクズと偽物のクズがあると周知されればまた面白き世の中かもだ。 そして、葛は偽物のクズを食べても本物のクズを食べても美味しい。 葛切りとはペロリと食してすぐに器の中身が空っぽになる位にちょっぴりとしか入っていないもので、物足りない私は器の底に残った甘く黒い蜜を見てある閃きをする。 それは葛切りを食べた後に、自家製の紅茶のゼリーを葛切りを蜜の中に投入すること。 そうすれば涼はあるけど量は少ない葛切りを満腹に食べることが出来るもので、さっそく、私は葛切りの甘蜜に紅茶のゼリーを入れて食す。 味はほぼ葛切りのお味。 葛切りの味とは無味無臭の平麺のようで、ほぼ蜜の味と言っても良い。 紅茶のゼリーを投入すれば若干紅茶の風味の葛切りとなり、味なしのゼリーを入れればほぼ葛切りそのものになる(たぶん)。 目を瞑ってぱくりっと食せば葛切りだ。 噛み締めて食べても歯ごたえやや柔いやっぱり葛切りで、クズは本物の葛を食べていないからの味覚具合もクズかもしれない。 甘味処で高級な葛切りを食べると上品に入った少量が瞬時になくなる。 京都に行ったならば食べたくもなる老舗の葛切りのお味で、葛切りとは容器や空間、時間を愉しむような何の味もない涼やさでもある。 確か、前に本物の葛を食したのは真冬の凍えるお正月の時期であった。w そして、そのような葛切りにラーメンの替え玉のようなサービスがあれば良いなと思う。 様々な風味のゼリーの替え玉を入れて甘く残った汁も美味しく消費できれば一石二鳥。 よって、 我が家では自宅で葛切りを食べる時には第二幕の事前にゼリーの替え玉を用意する呆則で、ここにスポーツマンシップに則り誓います。 あ~めん。 |
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| ■2026年7月6日(月) |
| ■にゃ~~。 |
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| ■2026年7月7日(火) |
| ■一日一文章トレーニング。 「本物のクズと偽物のクズの違いについて葛切りのような透明性と面白さを見つける」 ただし、それは明確な答えも無い。 麺と麺とは決してもつれることも無く噛み締め喉越しで「ちゅるりん」と楽しむ葛切りだ。 葛は俗字のようで何故?「くず」と呼ばれるのか気になる。 ネット情報によると奈良県の国栖地方に由来しているような話もありますが、さて、どうなのでしょうか。 葛はマメ科の多年草で山野につるを伸ばして繁殖する雑草で、つるは葛籠(つづらかご)として編んで容器となり、根っこは葛切りの材料や薬草となる。 「葛」を「クズ」と呼ぶには昔の日本人の生活に切っても切れない必需品だ。 「屑・クズ」とは美味しい実を食べて残った「カス」なようなもので、そのような身近な葛をクズと読むのはやっぱり変だ。 ぐずぐずと「愚図」と濁ってみても、のろまでハキハキとしない動作の遅い感じの雑草で、葛の植物は実際に観察したことは無いので何とも書けませんが、つたが地面全体に根を張ればそれはそれで農家にとれば厄介事なのかもしれない。 偽物とはあるものに似せて本物そっくりに精巧に出来たまがい物のことで、偽物を一見した見た目で判断することは難しい。 なので、本物の葛切りを食べ慣れていない私では本物の葛と偽物の葛を見分けることも出来ない。 真贋の目を持つ人物以外には本物と偽物の違いを見分けることもまた難しいもので、葛は葛から作られたものが本物の葛となる。 本物の葛と偽物の葛のことを考えていたならばアニメ有頂天家族のニセ電気ブランを思い出す。 何せ本物の葛と偽物の葛のお話には「本物」と「偽物」と「クズ」という強い言葉が3つも揃うもので、私が狸に化かされて「葛」と「屑」を連想しても仕方無きこと也。 写真の電気ブランは東京浅草の神谷バーで逆さ文字の「ンラブ氣電」を購入したもの。 アルコール濃度が40度のリキュールで名前の通りに電気がビリビリときそうな強い酒で、全然飲んでもいないので色も若干薄くなったような気もする。 そして、電気ブランは宮沢賢治のような昔の小説などにも出てきたような予感で、有頂天家族の中でも狸たちがわざわざニセの文字を印刷したニセ電気ブランの密造酒を夷川発電所の工場裏手で密かに作っていた。 お酒の名前もインパクトがあって記憶に強く残る。 そして、 電気ブランの瓶を手に持つとカーボーイたちの世界のならず者たちがよく飲んだくれているお酒にも似ている。 これは私の中では西部劇みたいなお酒だ。 映画の中でも大抵の用心棒はこのようなお酒に酔って本物のクズな感じで、冒険を続けて、人なりも深め、信頼も深まり、とても立派な偽物のクズだと知る。 何を言っているかと詳しく説明すると、本物のクズな外見をした偽物のクズは人々にとって必要不可欠で人徳も深い人物であったという逆説的な解釈である。 本来、偽物のクズとは本物のクズをさらに劣悪させた本物のクズの二次劣化コピーを想像するものだ。 しかし、視点を変えれば本物のクズを反対側には真っ当なパターンもあるように思うもので、それが西部劇などで見る本物のクズか偽物のクズかの構造である。 本物のクズな外見の偽物のクズは自分の壁を乗り越えヒーローとなる。 偽物のクズが本物のクズを越えてくるならば、偽物のクズが本物のクズの正反対となってもおかしくはない。 本日は7月7日で毎年七夕とは梅雨空の曇り空。 そして、朝から本当に意味不明な本物のクズと偽物のクズについて思いを巡らして本当に何をしているやら。 |
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| ■2026年7月7日(火) |
| ■本物のイヌと偽物のイッヌと偽物のイヌ。 |
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| ■2026年7月8日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「これは週末に漬けたピクルスだ」 まだ一口も食べていないので味はわかりませんが、見た目だけはとても美味しそう。 何が上手くいったかと考えると赤くピンク色の酢漬けがお洒落さを爆上げしている。 ※全て自分の感想です。。 この赤色は梅干し作りで出る廃液の梅酢を大切に保管していたもので、それをピクルスに入れて赤く染めている。 梅酢は毎年継ぎ足しで混ざり溜めているもので、衛生面はどうかと思うのですが塩分濃度が高い梅干しが全く腐らないようにそれを漬けた梅酢もまた全く腐らない。 半透明色の赤は涼を感じさせるもので、食欲もそそる。 昔、半透明のマッキントッシュが流行ったものだ。 半透明な機械を見るだけでも何か未来的な感じがするもので、ウォークマンやパウチな文房具からフィギュアまで何でも半透明な時代はあった。 半透明なボディーには涼しげな感じと新しい時代の到来のような素敵さはあった。 また、このような半透明ブームの再来はあるものかなと思うもので、いやいや、ウォークマンにしてもパソコンにしても昔はメカメカしい機構の機械の中身はあった。 そのようなメカメカしい機構があったからこそ、スケルトンに中身を見せるモチベーションもあったのかもしれないもので、今のガジェットとは器の中に基板だけのことも多く中身を見せるような感じでも無い。 これが軽薄短小の究極の形なのか、この数十年のIT化とは家庭からメカメカしい機構を排除してきた時代のようにも思う。 勿論、ガソリン自動車や機械式時計などメカメカしいものはたくさんありますが、デジタル化したものの全てはスカスカとシンプルな基板ばかりの構造となる。 今や中身を見せる程のスケルトンに対応するような機構は少ないのかもしれない。 そのような意味に於いては現代は「中身」よりも「外装」の時代だ。 ピクルスの作り方は野菜を切り軽く茹でてから、野菜を瓶の中に詰めてミツカン酢、砂糖、塩、スパイスを入れて空いた空間に梅酢をなみなみと注ぐ。 スパイスはマスタード、オールスパイス、クローヴ、ディルシード、シナモン、ローリエ等が入ったピックリングスパイスを入れて、おまけにピリ辛山椒の実も同梱する。 材料はブールブランソースを作る時に買ったエシャロット、ニンジン、小さい玉ねぎのペコロス、黄色と緑色のズッキーニとおフランスっぽい食材ばかりで漬けた。 いわば、梅酢や山椒の実も入れてフレンチと和の融合なのだ。 これは「見た目」と「中身」の二面要素から見ると、見た目は赤く美しく、中身もスケルトンで全部見えて、但し、何度も言うようにまだ一口も食べていないもので味に一切の保証も無く、謎の味のニセモノのピクルスなのである。 昨日の本物クズと偽物のクズの関係性で言うと、見た目だけは映えるものの、中身がまだまだ不明瞭なピクルスの偽物でスケルトンの見える化によって偽物のピクルスのNOT偽物であって欲しいと思う。 いやはや、何を言っているのかの難しきアレで、昨日の偽物クズと本物クズを整理すると人にも「外見」と「中身」の二面性はある。 今の時代は人からモノまで何でも見た目であり、見えない中身を見せるというのはなかなか難しきこと。 本物のピクルスを真似て作っても材料や何やらと足りなく、見様見真似で作ったとしても中身も異なるオリジナルの劣化となるようなことも多い。 しかし、時に偽物のピクルスでもオリジナルを越える味となることもあるかもだ。 私の味予想はいかように・・・。 そして、そのお味とは美味しいのか、不味いのかと事後報告も絶対に書かないもので本物のクズと偽物のクズな感じは常に霧の中だ。 |
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| ■2026年7月8日(水) |
| ■なっとうの踊り子。 |
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| ■2026年7月9日(木) |
| ■一日一文章トレーニング。 「クサから花の蕾が生えて、私は本物のクズと偽物のクズと自分のクズを思う」 まだ、「サマーーー」と叫ぶような夏でもありませんが、梅雨の雲が晴れるとすっかりと夏の気分。 カーテンを開けて気持ち良い外気がなだれ込むとベランダの食べられないニラの草から花の蕾が生えていることに気づく。 とても小さくて真ん丸い紫色のかわいらしい蕾である。 この食べられないニラは実家の庭に群生していたもので花一面の花を咲かしキレイだったので紙コップに入れて持ち帰った。 そして、ベランダにもかわいい花を咲かして彩りにしようと思ったものの、繁殖もせず、枯れもせず、猛暑や冬も乗り越えて、現状維持のままの長く緑色の草を生やす。 去年も一昨年も花は咲くことも無かったもので、ほぼ私の記憶の中から花が咲くことさえ忘れていた。 鉢植えの植物とは移動や鉢替えすると大抵2年程花も実も新芽もつけない呆則で、やっと花咲く準備も出来たようだ。 これは私の中では見えない土の中に根を張って落ち着くまでは余計なエネルギーを消費しない植物の生き方のようにも見るもので、もしかして、足元が安定しているからこそ実もつくものかな。 そのような意味に於いては、経済にしても何にしてもまた人々に足元の将来に安定を与えてこそ未来の実もなるものかなで、何十年も実もならない世界とは人々に実を付けるような安定の場を提供してこなかったのかもしれない。 植木に熱心なおじいちゃん・おばあちゃんであれば、このような雑草は迷わず抜いてしまい枯れ土となるだろう。 この食べられないニラとは何の植物なのかと調べてもわからないもので、ネット検索するとハナニラで、画像検索するとヤブランなそうな。 何の植物なのか皆目わかりませんが花も咲けば名前もわかるであろうと思うもので、食べられないニラというニセモノ感からも脱却して、もうすぐ、私はこのクサの本当の名前を知るであろう。 そもそも、本物・偽物とは何であろうか。 本物や偽物とは他人からの評価である。 一般人であれば本物も偽物もクソも無く自分は自分であり他人は他人で、自分から「オレは本物だー」と言うシチュエーションもはぼ考えられない。 そのような意味では本物・偽物をアピールするのは特殊な環境である。 この世の中で本物を語れるとすれば、名画であったり有名ブランドであったり、ブームで発生する偽物に対してのアピールだったりと、人々から広く認知されてこそ本物となる。 そして、それでさえ何が本物かと考えると商標や書類の証明で、真贋を見極めるものは一枚のペラペラの紙であったり、見極めるノウハウや知識なのかもしれない。 見栄えの見た目が大きくなった世界では画面上でふんぞり返る本物を見る。 そのような時には私の頭の中では本物のクズと偽物のクズなクズな言葉が浮かぶもので、それはそれで少し痛々しくも思い、また、正直何だか怖い。 その怖い・怖くないの境界線はクズ感の自覚の有る無しのような気もするもので、おそらく、本物と偽物とクズとは正に枕詞なのだ。 私たちの世界では本物の葛と偽物の葛が普通に同居して受け入れられているように、本物と偽物の境界線もまた曖昧でクサのように生えてくる。 そして、全ては私の直感ですが上に立つような立派な人達は案外自分のダメさ加減というかクズ感を自覚している人も多いようにも思う。 それは一般の人と比べても多いような予感。 本心はどうだかわかりませんが立ち振舞や仕草や言葉でそのように思うもので、そのようなことを感じると少しは親近感も持てる。 クズだからこそ上に立てるのかもしれないし、最近の自分もクズ度合いを知ってからこそ初めて土俵に立つものかなしれない。 若い頃は何にも恥ずかしげも無く本物のクズとして立ち振る舞うものだ。 そして、人にも分岐点があるとすれば、本物のクズを知って本当の道は始まるのかもしれないもので、偽物のクズのコピー品となるか、または、その反対の善行を行いNOT偽物のクズとなるかの部活動の先輩後輩OGOBみたいな壁を見る。 私が部活の先輩になった時にクソな伝統を踏襲するのか悩みに立つことも無く、距離を置き逃げて見て見ぬふりのほほ~んと過ごす部活生活で直視もしない。 クソはクソであることを自覚してこそスタートして変われるものであろうか? |
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| ■2026年7月9日(木) |
| ■小野妹子レコード♪ |
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| ■2026年7月10日(金) |
| ■一日一文章トレーニング。 「今年の梅ボールがでけた」 昨日、私はおそるおそるコントローラーのスイッチを押す。 「ピピッ」と音は鳴りエアコンの室内機がカタカタと動き始めて冷気も吹き出す。 もわーっともしない、むわーっともしない暑い夏の到来で~クーラーの風はとても気持ち良い☆ あ~夏であ~る~。 令和5年の冷房の起動は6月17日(土)で、令和6年は6月11日(火)、令和7年は6月16日(月)、そして、令和8年は7月9日(木)となる。 例年の猛暑な夏と比べても1ヶ月程遅いクーラーのスイッチONとなる。 因みに、冷房のスイッチがONになった時の室温湿度は26.4℃・66%で、この室温湿度はこれまでにも何度も記録するような暑さでもあって、特段の珍しき温度や湿度でも無い。 しかし、私の中の暑さの我慢を越えた気温でもあり、不思議な暑さの限界点でもある。 考えると梅雨明けのようなお陽様も燦々と照るもので日差しが焼けるように暑く、雲一つ無い日光のエネルギーは凄まじいほどに暑い。 とりあえず、今年の夏は例年の夏と比べても1ヶ月ぐらい短縮されて30日ほど短くなった夏を計画的にエンジョイしたいものだ。 そして、 そのようなクーラーのスイッチがONとなる夏の日は梅干しの収穫日でもあったが一日遅れの今朝、梅干しを甕から取り出す。 毎度、一度作ったら1ヶ月程放置で蓋を開けるまで出来具合もわからないもので、私はおそるおそる蓋を持ち上げて梅を確認する。 先ずは壺の容器の覆う紙を剥がし蓋をカッポッと開けると、梅酢のツーンとした香りが室内に広がる。 時折、家の中で「何だかスイーい匂いがしないか」と犯人探しの元凶は、この匂いであった。 例年の涼しいクーラーの中で漬かる梅干しはあんまり匂いがしないもので、今年の梅は空調も一切無くて、梅雨の湿度と自然のままの常温で熟され梅酢の香りも強いのかもしれない。 くんくんくん 梅ボール おかめのまわりに 梅の花が咲いたよ くんくんくん 梅ボール 【メモ】 ・梅干し作りの香りとははじめに熟した果実の甘い青春の香りから、重みで潰され熟されたツーンとしたお酢の香りへと変化する。 ・空調機のない温度変化の大きい気候の方が梅の香りは強い予感。 梅を潰す為の重石の水を入れたタッパを水漏れしないように「そおーっ」と慎重に引っ張り出す。 そして、そのようなタッパは取り出すとすぐに洗浄する。 重石の下の負荷を万遍なくかける為の平皿も取り出してすぐに洗浄する。 1つ取り出せば1つ洗浄するもので洗い溜めずに1つ1つ終わらせる。 効率が悪いとまとめて洗えと怒られそうですが、梅作りの材料は洗いながら梅開封も進めればその都度手もキレイに消毒されて、流し台にも洗い物も溜まらなくて一石二鳥だ。 次に、赤紫蘇を1塊ずつお箸で取り出してお皿にのせる。 梅干しも美味しいのですが、廃液の梅酢も美味しくて、赤紫蘇もまた美味しい。 梅干し作りで発生するものは捨てるところが一切無くて凄いことだ。 白いおにぎりに赤紫蘇を乗せれば、梅風味の赤い汁と赤紫蘇がライスボールは美味しくなる。 そして、梅は1梅ずつお箸で甕から取り出して容器にキレイに並べる。 パシャリ。 写真のような立派な梅干しが出来た。 作ろうぜ、梅ボール 世界で一個のすっぱい秘密 食べようぜ 梅ボール 世界で一個のUMMMEEE味 梅干しは東京のベランダで干すには空が狭すぎるもので、全部実家に送り干してもらう。 最後に重量級の甕もキレイに洗い梅干作りの儀は全部終了する。 今年の梅は目視で判断する限りなかなかに上手に漬かったような気もする。 毎年そのように思うものの、去年の梅は青梅から梅干しを作りをして塩分も多少多くて塩が吹きすぎる多少の失敗作でもあった。 梅干し作りとは適当に作ってもそれなりにテキトーな梅干しとはなりますが、お店で売られているような昔ながらの梅になるにはそれなりの難易度はある。 何せ1年に1回しかチャレンジ出来ない梅干し作りで、1年後にはいろんな事柄も忘れて毎回初心者のようだ。 果たして今年の梅のお味なのでしょうかと・・・。 うめうめうめ 梅ボール 梅ボール うめうめうめ 梅ボール 梅ボール |
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| ■2026年7月10日(金) |
| ■暑さにレッドカードなのだ。 |
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| ■2026年7月13日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「壊れた扇子をセンス良く?修理した」 今年の夏は風流に行こうと古い扇子を掘り出し使用している。 この扇子はどこかの老舗料理屋の扇子のようで料理は食べないけれども扇子だけを貰い愛用している。 よく街歩くおばあさんが全く関係ないと思うインテルやらエヌビディアなロゴ入りエコバックを持ち歩くように、私もどこの料理屋かも知らない扇子を愛用している。 先ずは、折り畳まれた扇子のクッション性が好きだ。 手のひらでパンパンと叩いても、自分で自分をつっこみトントンとしてもソフトな軽い叩き心地が良い。 世の中にこんなにも叩いても痛くならないような優しい道具はあるものかな?と思うもので、扇子で扇ぐ風もまた優しい風だ。 このような積層する構造に耐衝撃吸収力があるもので、全てはこの蛇腹構造に優しさの秘密があり、扇子は徹頭徹尾優しい。 意味も無く肩をトントンと叩き、手のひらでトントンと叩いてリフレッシュすればお師匠様も1本取られたような軽やかさだ。 私には今、侍の二刀流のような2本の愛用の棒がある。 1本はヒッコリー木材の持ち心地も良きドラム用の棒で、もう1本の棒はこの扇子である。 ドラムの棒はかいかいと背中を掻けるだけで無く、寝る前にも足裏をトントンとリズムカルに叩き、時折、先端でツボ押しながらリフレッシュする棒だ。 ※本来の用途ではないことも多いので御免なさい。m(_ _)mT 今も背中にドラムスティックを刺して、背中をカキカキとツボ押しながら、扇子でパタパタと扇ぎながら~ながら~の文章なのだ。 片手にドラムスティックでバチンと、片手に優しさの扇子で凛と、厳しさと優しさの戦う棒で悪党がやって来ても一網打尽にできる予感。 最近のお風呂上がりの体は暑くて粗熱がとれるまでは布団の上でごろごろと転がっていますが、片手のドラムスティックで足裏マッサージしながら、片手の扇子で扇ぎ扇ぎと涼むスタイルだ。 扇子の良いところは叩き心地の優しさだけでは無く、扇ぐ風もまた優しい。 去年は最新式の四角いコンパクトな充電式ファンを購入しましたが、涼しい大きな風を作ろうと思うとモーター音はバカでかっくてうるさい。 音を静かに使用しようと思えば風力も弱くすると効果も薄い。 その点、扇子は扇げばぶわーっとした塊風で音も無くて涼しい。 これは扇風機と団扇の風の違いで、扇風機は連続的な風ではありますが、扇子は扇ぐ時に和紙の蛇腹と木の骨がしなりながら大きな空気を捕まえて風を作り出す仕組みだ。 扇子の厚みのある風は周辺の空気を巻き込みながらカルマン渦という小さな渦をたくさん作るようで、この空気を巻き込む小さな渦が扇子の風を優しくさせる要素のようだ。 朝起きると枕元にドラムスティックと扇子が転がり、再び扇子をふりふりと涼みながら朝も目覚める。 寝る直前から朝起きてからもこの2本の棒さえあれば何だか事済む。 そして、そのように扇子を開けて閉めてセンス良く過ごしていると扇子の骨が2本折れた。 使い方が粗いと言えば粗いもので、トントンと優しくも叩けば枕元の後頭部で潰されるような扇子でもあり、ヘビーに使用されれば骨も折れる。 しかし、扇子の骨が折れた理由は扇ぎ方にあったような気もする。 通常、扇子は小刻みに小さく扇いで風を送るものですが、他の人に風を送るとなれば1回1回の扇ぐモーションも大きくなり、大きな空気を捕まえる大振りの風となる。 この大振りの風が何だか扇子の骨に負荷を与えたような予感で骨も折れた気もする。 扇子の風は大振りな風よりも細かくパタパタと回数多く風を送った方が涼しいもので、大振りの扇子とはセンス無しかも。 とりあえず、 木と扇の紙の部分を細く切った紙で骨と扇を接着して写真のように修理した。 扇子の色味に似た茶紙を細長く切り、強力な高分子の木工ボンドと塗布して両面の扇と骨に張り合わせて固定すれば完成だ。 開いても閉じても一見では修理の後はわかりにくく、扇いでもびくともしない江戸の職人のような修理ができた。 |
![]() ![]() *デスクトップ画面用の画像です。 |
| ■2026年7月13日(月) |
| ■むしむしと小雨ぱらぱらと降って蒸し暑い梅雨空。 |
![]() ![]() *デスクトップ画面用の画像です。 |
| ■2026年7月14日(火) |
| ■一日一文章お休み。 「どうしましょう」 夏が始まってまだ6日ばかりですが、もう夏バテた。 どうしましょう。ぞなもし |
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| ■2026年7月14日(火) |
| ■スイッチONOFFあちぃあつい。 |
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