*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年9月1日(日)
■一日一文章トレーニング。

「もあいぬケアをしました」

緊急で動画を回しております。
今朝の水温計測は一番水、出し水、置き水の全ての計測ポイントで25.2℃を計測しました。
このゾロ目は奇跡の瞬間を観測したようにも思うものだ。
置き水とは昨晩に計測した水を一晩置いた現在の室温に近い水温。
一番水は水道水を捻った時の一番に出てくる水で水道管の先端の水温。
出し水は蛇口を長くひねった時の外気温を吸収した水温。
ベランダの植物に上げた後や、洗顔後の水の温度を計測することによって外気温に近くなる算段である。
因みに室温湿度は24.5℃・63%、外気温は24.0℃・66%。
だから何?と言われれば、それまでなのですが水温が25.2℃で揃い安定したことは外と内の温度の境界線がなくなり、人が快適過ごせる温度を計測したようにも思うものである。
よって、今の時期がもっとも過ごしやすい時期かもしれないものだ。
計測する室温湿度は湿度63%なので+1℃加算すると25.5℃でなかなか渋い線でもある。

というわけで、

昨晩そのような水を温めて入る温水に、大きな「モアイヌ」を抱えて一緒にお風呂に入るのであります。wwwwww
モア犬の体にくっつく積年の汚れを洗剤で泡だらけにしてゴシゴシと洗い、ソフビの洗浄を終えると風呂際に置きマイヘッドを泡立てて洗うのである。
ソフビを持ってお風呂に入ることは小学校低学年以来のことである。
お気に入りのソフビは数あれども裸の付き合いで一緒にお風呂に入るソフビはモア犬以外にないものだ。
トイストーリーの世界だとおもちゃ冥利に尽きる心温まる温かなお風呂エピソードではありますが、これはもしかしたら“大人のトイストーリー”として綴られるお話かもしれないものだ。w

子供の頃にお風呂場に持って入るおもちゃは砂場で泥だけになったソフビであります。
キレイに洗浄し湯船にも漬けてブクブクと沈め遊んでいると浸水し、水を抜く為に体を分解して乾燥させるのである。
そして一晩よく乾燥させたならばドライヤーの風で接続部分を温めて柔らかくし再び差し込んで元の体に戻すのである。
モア犬を泡たてて効果はあるものかと思うのですが表面のざらつき感はなくなったので、目に見えない小さな汚れは確実に落ちているように思うものである。

お風呂から上がるとモア犬を丁寧に拭き取り乾かします。
そして、リンレイのオール床用樹脂ワックス(フローリング剤)を塗り込むのである。
ソフビの表面を艶出ししたい時に、このオール床用洗剤を塗り込めば何か良い感じで皮膜を張る大発見をしたものであり、これは全ソフビ愛好家にとって朗報ですが貴重なソフビに試す時には端っこの見えない部分で試してからご使用下さい。
床用ワックスが塗られてモア犬はツヤツヤとなるのである。

このオール床用樹脂ワックスはとてもインパクトの強いパッケージで、さっそく、詳細を模写してデザイン構造を分析します。
文字の感じは私が普段使用しないような感じの読みやすさ重視のパッケージであり、リンレイのロゴも何か棒みたくカクカクしていて斬新な感じがするものだ。

モア犬は玄関に長く置かれていたこともあり、靴で蹴っ飛ばされたりと散々な環境化にいたものだ。
あまりにも真っ黒に汚れていたので「これは捨てようか」と捨てられる寸前になることも何度やら。
そのような時に「ちょっと待てよ、本当にモア犬はポイしちゃって良いものか」と自問自答するものである。
そして、頭に浮かぶのは私が道で拾ってきた本当のゴミである木の実のことである。
拾った場所・日付とか感想などをラベリングした本物のゴミは引き出しの中に大切に保管しているものの、どう転んでもモア犬よりも価値あるようには思えないものである。
その度に「ちょっと待てよ!」と「モア犬は捨てないのである」宣言を行い、今回のように汚れをキレイに拭き取るのである。
床用ワックスを塗ったおかげで汚れもつきにくくなったであろう。
大人になり一緒にお風呂に入るソフビがあるとは思わなかったのですが、それがモア犬であり人生とは何が起こるのかわからないものである。
ワックスを塗り込み、ワックスを拭き取るとマイ指の爪も何だかワックスでツヤツヤと輝いてウシウシである。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年9月1日(日)
■スパイスが足りない。

*デスクトップ画面用の画像です。


■2024年10月2日(水)
■一日一文章トレーニング。

「最近、ハマるビールはキリンの晴れ風」

書体や名前が気持ち良い感じのネーミングで格好良いパッケージです。
缶の色も高級感がある。
商品を視認するのは大部分はイメージカラーだと思うので、自然の緑を吹き抜ける風と空の色を掛け合せたような爽やかな配色は素敵でもある。
滅多にビールやお酒は飲まないのですが飲みやく、美味しく感じるビールでもある。
このビール特徴は日本産のIBUKIホップのようで、IBUKI とは何ぞやとHPを拝見すると国産ホップの減産により品質向上と安定調達の為に育て使用しているようである。
麦芽は100%で、ホップとは苦みと香りの役割があるようで、この飲みやすさはIBUKIホップにあると思われます。

ここ最近パッケージデザインを凝視して模写していると普段なら気付かないことに気付くものである。
例えば、アルコール濃度をALC.と表現すること。
これはどうやら国際標準のALCOHOLを略語にした表記のようで、私、ド日本人にはALC.5%を見ても何が5%なのか全くわからなかったものである。

マイ模写は模写と言っても斜め上から見た図と真横から見た図を合成して書く感じでもあり精密模写ではありません。
一枚の図で欲張りに全部表記するもので情報を抜き出す為に簡略化した図なので悪しからず。

商品パッケージを模写していると面白く思うもので、いろんな特徴がわかるものである。
もっといろんな商品を模写したくも思い、そして、何個か模写もしていれば何かしらのデザインの決まりというか呆則を見つけるのである。
それは積み木のように上から順に文字を積んでいくレイアウトのこと。
これはとても面白いことで、積み木のようにトントン文字を積み重ねてパッケージのデザインは出来ているようである。
そして、そのような積み重ねる文字の大小によりメーカーが伝えたいことの優先順位もあるようだ。
これは数値化出来そうなパッケージデザインの予感でもあり、早速、文字の大きさを計測して数字を取り出して見るのである。

“キリン・晴れ風”について
1)ロゴ:29
2)商品名:11
3)ブランド名:8(枠込み14)
4)分類(お酒):7.5
5)英語の商品名:4(枠込み9)
6)商品の詳細:4(枠込み7)
7)成分表記:3.5
8)商品説明:2.5
9)英語文:2
(ミリ)
レイアウト構成は(5)英語の商品名+(1)ロゴ+(9)英語文+(3)ブランド名+(6)商品の詳細+(2)商品名+(4)分類(お酒)+(8)商品説明+(7)成分表記となる。
519362487
勝手な分析ですがロゴや英語表記などで面積の半分以上占めているので、国際的なブランドをとても大切にしている企業であることが推測出来ます。

“リンレイ・オール”について
1)商品名:36
2)効果:16
3)商品の種別:10
4)ブランド名:8
5)容量の目安:6
6)商品名の読み方:5
7)商品説明:5
(ミリ)
レイアウト構成は(4)ブランド名+(6)商品名読み方+(1)商品名+(3)商品の種別+(2)効果+(7)商品説明+(5)容量の目安となる。
4613275
これは上から順に「これはこのような商品ですよ」という感じで説明文的な文章構成でデザインされているのが特徴です。
正しい用途の説明が最も必要だと思う製品なので、このようなドメスティックなカタチになっていると思われます。

“マスコット・カルダモン”について
1)ロゴ:21
2)商品名・英語:5
3)ブランド名:2.5
4)商品名・読み方:2
5)英語・説明:1.5
(ミリ)
レイアウト構成は(3)ブランド名+(1)ロゴ+(2)商品名・英語+(4)読み方+(5)英語・説明となる。
31245
このガラス瓶のパッケージは実質中身が35ミリで視認することが出来るもので、カラー構成や瓶の雰囲気でスパイスであるイメージ重視のパッケージである。

“ギャバン”について
1)ブランド名:8
2)商品名:3
3)英語表記:1.5
4)会社名:1.5
(ミリ)
レイアウト構成は(1)ブランド名+(2)商品名+(3)商品名の英語表記+(4)会社名となる。
1234
こちらも14ミリのガラス窓から中身が見えるイメージ重視のパッケージである。
ブランド名、商品名、会社名と必要な事柄をシンプルに上から下に記載しているのが特徴で、とても考え方がシンプルなブランドのようにも分析できる。

ということで、

レイアウトは数値に置き換え可能であり、数字が増えれば増える程に複雑なデザインとなり、伝えたいことの内容の強弱の文字の大きさで作れるようである。

 

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■2024年10月2日(水)
■イエー。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月3日(木)
■一日一文章トレーニング。

「買うべきか買わぬべきかな隅田川」

にわかエナジードリンク・ファンは先日モンスターエナジーの新しいフレーバー「ULTRA PEACHY KEEN」を発見するのである。
同じ空き缶集めの趣味人がいれば一報を入れてこの感動を共有出来るものの、一人コソコソとエナジードリンクの空き缶を集めているので、このような話は誰にも伝わらないものだ。
そして、空き缶は19本も収集したのでその内に本物のゴミとして捨てられる日も近くなるものだ。
2〜30年後に空き缶を並べてお披露目する日は来るのだろうか。
そのような長期目線とはまるでエセ長期投資家のような感じでもある。
ホレホレこれがモンスター缶で、これがゾーンエナジーで、これがレッドブルと並べて眺めて鑑賞する感じでもある。
今回新しく見つけた新種の缶は以前購入した「PAPILLON」とほぼ同色のオレンジ色で、これはにわかエナジードリンクファンにしか見分けがつかない商品でもあるものだ。
そして、我、俄は新種を見つけて喜んで家に持ち帰るのであります。
しかし、家に持ち帰り気付く空き缶が凹んでしまうモンスター缶凹みショックである。
このような何々ショックや長期投資なお話とはネットで度々流れてくる何か既視感のあるお決まりの話しである。
まーまーまーまたあのエセ話かと思って聞き流してもらいたい。
とりあえず、エナジードリンクの空き缶を収集していれば空き缶が凹んでいたら気になるのであります。
「これはもう一缶買うべきか?の隅田川」で、それを家族に話すと「それでいいやん」という話しになるものだ。
「いやいやいやよくないのであります」
と言うのも、もう一つ買うのかなと悩むお話しには大抵結論は決まっているものであり、「もう一本買おうよ」と背中を押すことが正解なのである。
というような訳で、私は昨日もう一本新しいドリンクを購入したものだ。
凹んでいない缶をよく選び、持ち歩く途中でぶつけないようにも気をつけ買って慎重に持ち帰る缶である。
改めて、似た者同士のこの缶を並べてみてみると誤配送しそうな程に見た目がそっくりである。
そのようなそっくりな缶を見分けるぐらいに我の“にわか(二若)”も“みわか(三若)”ぐらいに店頭で識別できる眼力である。
念の為に“にわか”とは何か意味を調べます。
にわか・俄とはたちまち、不意に、ほどなく、俄然(がぜん)とだしぬけ、突然の即興に思いついたことの狂言であり、軽口、しゃれの意である。
私達が日常的に使うにわかとは本物のガチファンに比べて怒られるくらいに薄っぺらく浅いファンのことであります。
そして、オチがつくのが俄であり、落ちがつかないのを茶番というらしい。
ドキドキ
どういうこと?
茶番とは私の得意技かもしれないものではありますが、我、俄を軽々に語るものの芸人ではないのでオチなんて思いつかないものであります。
最終的に茶番になるような予感。
この文章は本当にややこしい文章で熟読する必要のあるものではあるのですが、単に買ったエナジードリンクの缶が凹みもう一本買いに行く現代の新美南吉な「エナジードリンクを買いに」な心境を綴るものであります。
熟読する程の中身もないことが面白いのである。
因みに、毎度楽しみにしている「PAPILLON」缶に書かれたテキストを読むと今回のテーマはどうやらサマーオブラブのようだ。
サマーオブラブは私達を解き放ってくれる時間のようで・・・昨日は確かに彼岸過ぎの暑さであったものの、残念ながらもう夏は過ぎ去っているものである。
我々の話しは鵜呑みにせずにとりあえずエナジードリンクを飲んでくれということらしいので毎日ちびちびと冷蔵庫に冷やしながら飲んでいるのである。
そして、私は気づいたのであります。
これは前回の「PAPILLON」のバタフライ・エフェクトの話しの続きかもしれなくてパピヨン・蝶が羽ばたきサマーオブラブが起こしたかもしれないものである。
そして、成分表を見たならば難消化性デキストリン(中国製造)や保存料(安息香酸N)とか見たことのないワードを見つけ怖くも思うものの気にせずに飲む俄健康オタクでもある。
恐らく、今回の「ULTRA PEACHY KEEN」は糖分とカフェインの過剰摂取に対応した製品な予感もするものだ。
そもそも「PAPILLON」って「パピローン」て読んでしまうものであり、これがカフェメニューのネーミングであったならば、ほぼ100%お客さんは「パピローン」だの「ウルトラ・ピーチ・キーン(鋭い)」と注文するように思うものである。
毎度のことではありますが毎日書くこともほぼ無い中で意味のないことをこうも長文にしたためる自分もビックリなのですが、絞り出して書くにはエナジードリンクも必需品な茶番であります。
(す〜む〜)

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月3日(木)
■ずぶ濡れの鳥はカッパのようにも見えるのだ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月4日(金)
■一日一文章トレーニング。

「これは間違いなくカオス回」

「落ちがつくのが俄(にわか)であり、落ちがつかないのが茶番である」
どういうこと?

これは一日意味を考えてもよくわからない言葉で、さっそく辞書を使い考えるのであります。

【俄・にわか】
1)だしぬけ・突然
だしぬけ、不意に急に俄然(がぜん)元気が出てくること
にわか雨のように思いがけないことが突然に起きること
にわかファンとはこのような俄に行動を起こした意味である
2)即興の演技・狂言
出し抜けに、にわかに思いついた即興の余興を行うこと

【茶番】
1)客のために茶を立てる人
2)茶番狂言のこと
見よう見まねで即興的に行う滑稽芝居
3)比喩で底が見えすいた浅薄(せんぱく)なこと

どうやら、俄や茶番とは狂言などの演技に対する言葉のようであります。
物語の行き着く着地点のある即興劇だと俄と表現し、落ちのない即興芝居だと茶番だと言っているように思うものだ。
なので、即興性の演技に「落ち」のある・なしで、俄と茶番の分岐点となる解釈である。

気になる言葉を調べると、それが狂言や歌舞伎などの昔の舞台の言葉に繋がることはよくあることで、今私達が話している言葉の多くはお芝居由来の言葉は多いものであります。
なので、演劇から言葉や文化が広がっていった痕跡のようにも思うものだ。

現代的な俄な意味だとガチ勢に対する濃度の低い目な謙遜を含めた100%受動的なファン心理でもある。
反対に、昔の俄とは自らその舞台に上がってしまうような能動的な感じもするもので、昔の人達は現代人よりも積極的であったようにも思うものだ。
自分でやらなければ、誰も何もやってくれないことは当然のことでもあり、受動的に何かを常に受け取ることの出来る時代というのは結構新しい生活形態かもしれないものである。

この一日一文章トレーニングは毎日落ちで落とすことはないものの、そもそも「落ちって何だ?」と頭を悩ますことでもあります。
その意味では紛れもない茶番なのである。
エッヘン

文章は書くだけでも大変で長く習慣と続ける為には「文章は繋げる」という方法も開発する必要があるもので、1話づつ話を完結していたならば毎日文章を完成させることはとても大変なことにもなる。
そこで、横着人は落ちなしで文章を数珠つなぎに繋ぐ楽な方程式を考え出して実行しているのである。
これは面白いもので文章をサッカーに例えるとパサー(パスを出す人)ではなく、レシーバー(ボールの受け手)に徹することでもある。
一人遊びが長く続けば、自分がパスの出し手であってはボールが繋がることはないもので、文章を書くという一種未知な未来に向けて世界を切り開くことに関しレシーバーに徹することで文章は繋げるのである。
なので、確実にミスを誘発するようなボールにも、絶対届かないであろうボールにも「オレはどんなボールでも拾うぜよ」の意気込みで無鉄砲に走り込むのであります。
これは実際のスポーツで実行したならば「あいつはいつもミスしているな」との評価になるもので、賢い人は自分の出来る範囲内の確実なプレーしかしないので取れないボールはパサーのミスとなるものだ。
※パスが通らなかったのはレシーバーの責任でなくパサーの球出し精度の問題であるとするのであります。

我ミスを気にせず100%とよく動くレシーバーである。

落ち武者、体落としに落ち落ちと、落ちという言葉を聞くと私の頭の中ではマンガのような「チャンチャン」という自分の声で流れるものであります。
因みに、「落ち」=脳内流れる「ちゃんちゃん」の音の現象のことを何と言うのであろうか?
昨日から「ちゃんちゃん」の独り言を脳内に響かせながら「落ち」について無理なボールを拾うのであります。

いつもベンチの中でぼやいている怖い監督のSNSを覗いてみたシチュエーションで落ちを考えてみた。

「今日のかあちゃんの晩飯何かな 草」チャンチャン
「なんでそこのチャンスで空振るのか(怒り) 草」チャンチャン
「天下分け目のこのシーンで浮かぶ言葉は3×3 草」チャンチャン
「オレの年俸の3倍にすると奴の年俸である 草」チャンチャン
「あのシーンで何を考えていたのかと聞いたならば、頭の中に掛け算が巡っていたようで、オレと同じ 草」チャンチャン

何をどうしたら落ちるのか皆目わからないものですが、落ちとは想像するイメージの正反対の境界を越えて落とすことのような気もするものだ。
怖い監督のSNSであれば、めちゃくちゃ怖い人なのに最後にいつも草と和むところは落ちかもしれないもので、誰も想像しないような結末で穴を塞げば、それはもう落ちたと言えるかもしれないものである。
持論です!
これで私もやっと真の俄となれたものかもである。
これは確実に落ちたな。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月4日(金)
■carpe diem

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月5日(土)
■一日一文章トレーニング。

「私たちはファッション雑誌に育てられた世代でもある」

人生の師は誰かと問われれば、その一端は確実にファッション雑誌でもあるものだ。
雑誌をペラペラとめくり隅々まで熟読しても、また時が経ち読み返すと飽きないのが雑誌である。
絶対に手が届かない高級時計やオシャレアイテムを目の肥やしとし、70〜80年代かの懐かしいポロシャツやポラロイドカメラなどのレトロなアイテムな特集が大好きで、パリやロンドンの街角のオシャレさんたちを見ることも大好きだった青春時代である。
紙面でオシャレさんを見る度に脳内に妄想のオシャレ都市が構築されるもので、小さな街から世界への感心とはこのような雑誌を見ることで育まれたのである。

全ての雑誌はもう手元にはないものの、唯一、そのような雑誌の切り抜きがクルクル回転する名刺ケースに保管されているものである。
これはいつも見せびらかしている雑誌の切り抜きなのですが、なぜ?この1枚だけが残っているのでしょうか。
エドゥアール・アセナ(25歳学生)・・・どこか50歳ぐらいのおっさんにも見えるのだ。
そして、笑ったハニカミ笑顔はどこか父にも似ているものである。
ムムムっ、カティナ・ド・グラン・ヴァルド(26歳・スタイリスト・アシスタント)である。
二人は正真正銘のオシャレさんなのである。
正直「誰やねん」というのが本当のところではありますが、師でもあり先生でもあるファッション雑誌を数々切り抜いてきた中で唯一残るのがこの1枚である。
二人はお気に入りの「A.P.C」の服を着て散歩しており、二人はシンプルな服が好きで私もシンプルな服は好きなのである。
なぜ?この1枚が残っているのか?それはズバリ、恐らく、雑誌を切り抜き財布の中に入れて持ち歩き、買い物の参考にしていたものである。
なので、一緒に買物に行く人はこの雑誌の切り抜きを見せられて「このような服が欲しいので見つけたら教えて」という情報共有なブリーフィングが行われるのである。
大抵は「好きそうな服だね〜」の感想で終わるだけもので、実際に買い物に行けば目に映る異なる服に魅せられて雑誌の切り抜きは忘却しているのである。w

そのようなオシャレな言葉は「お洒落」と表現されるもので、我らバカ共たちはお洒落を「おしゃらく」と長く読む時期があるものだ。
それなりに熟成もし雑誌の紙面についてお互いに語れるようになる時期まで成長すると「おしゃらく」が「おしゃれ」と読むことに知って驚愕しウケるのが一般人のお決まり事の定番である。

ということで、

「落ち」なのであります。
【落ち】の意味とは(1)うっかりたん!(エヘッ)なこと。(2)落語などのしめくくりの洒落。下げ(さげ)とも言うようで洒落のある話の結びのこと。(3)行く着く当然の結末のことで、洒落を持って話しは落とす必要がるものだ。

これもあれも真の俄(にわか)となる為には洒落落としを学習する必要があるもので、この文章を書きながらも未だ落とす終末は思いつかないもである。
一寸先が闇に向かい猛ダッシュするのが真の100%の何でも拾うレシーバーなのである。
因みに【洒落・しゃれ】とは何かを調べると、(1)同じ音や似た言葉を使い即興に機知に富んだこっけい味の文言を作ること。(2)洒脱(しゃだつ)で気の効いていること。洒脱とはさらりと俗気がないことで、(3)気の利いた身なりをすることである。
エレガント!
私の場合は天然の脱字誤字で洒落ことばを作ることもありますが、意図して計算高く洒落事にすることは難しいのである。

そう言えば、新石破首相の集合写真には全く洒落気がなかったものである。
元岸田首相はお洒落でピシッと服を着ていたもので、あのような全員だらしない集合写真は世も末のような感じもする酷い写真でもある。
正装からの不快感を感じ取ることは珍事のようにも思うので根本的な何かの問題があるものかと勘ぐったりもするものだ。
私たちが感じ取れる情報とは外見からがほとんどで、外見から溢れ出てくるものは内面の何かを表しているのかもしれなくて、そのような俗気がプンプンと漂ってきたならば、それは何かベルセルクの世界観のようでもある。

洒落っ気のある人たちと言えばチャキチャキの江戸っ子なおじさんたちを思い出すものだ。
あの人達は「これ面白いだろ」といろんな物を見せてくれて、よく買ってくれるし、面白い人たちばかりである。
年老いたらあのような老人になりたいものであると常々思うものである。

ということで、

「落ち」はどーする、どーするの竹野内さんなのであります。

誰か知らない異国のカップルの雑誌の切り抜き写真を大切に長く保管しているのは十分に面白く、それを十分に自慢もしたのでこれで洒落落ちしたとするものだ。
m(_ _)mt

 

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■2024年10月5日(土)
■キーホルダーの対話。

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■2024年10月7日(月)
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「クエスト:写真の美味、美文字を見よ」

昨晩、冷蔵庫の肉室の底で長期間眠る数の子を食べました。
コリコリ・コリコリと数の子を齧りレモンのお酒をごくりと、あー美味しい。
そして、コリコリ・コリコリと数の子を齧りて白ご飯を口の中に頬張るのである、あー美味い。
私の中では味付きの数の子は邪道であり、黄色い塩味をコリコリと歯ごたえを楽しみながら食するのが好きなのである。
日本広しとは言え、10月の昨晩、1月から長期保存しているお正月料理の残りの数の子を今頃食べる人は早々にいないように思われます。
それも冷凍保存でなくて冷蔵庫保存である。

10月に食べる数の子とは経済用語的に言うと、有限な資源の中の無限なニーズに答える希少性である。
今旬なものと言えば丸々と大きく太った茄子ではありますが、豚肉炒めに入れればシャキシャキと美味しい茄子でもあり、そのような食べ物にはエネルギーに満ち溢れ希少性はありませんがお手頃価格なもんだ。
しかし、長期保存された数の子にはそのような採れたての旬はないのである。

旬の食べ物→量が多いと→価格も安い
冷蔵保存された数の子→珍しい→希少性
※希少性は資本不足で起こるものではない。

さすがに塩漬けされた保存食でもあり味の劣化は感じられないのですが、長期間腐ることのない食べ物って何だろうかと思い調べるのであります。
ネットには「数の子は賞味期限を守り食べろ」と真っ当なことが多く書かれているのですが、科学的な解釈によると数の子が持つ油脂や不けん化物が細菌の繁殖を抑えて長期保存を可能にしているようである。
「けん化」とは油脂をアルカリ処理した時に脂肪酸とグリセリンに分解する石鹸を作る工程の意味であり、「不けん化」の「不」が付くことで、アルカリ処理されたとしても石鹸にならない物質の総称となるようだ。
不けん化物はコレステロールや植物ステロールなどの丈夫な細胞膜の構成物質でもあり、カロテノイドやクロロフィルなどの色素も不けん化物のようで、このような厳しい紫外線や高低温などの自然環境でも色を残す所以である。
そのような不けん化物の保存性が数の子にあるようで、すぐにお腹を壊してしまう私でも今日も朝からピンピンとしているのである。
お腹が痛い時に菌の繁殖が腹痛原因であれば数の子、カロテノイド系の植物、葉っぱなどを食せば腹痛が治りそうな予感でもある。
今度、人体実験してみましょう。

毎年恒例のお正月が終わってからの春頃に食べる数の子ですが、これは数の子の最長保存記録でもあります。
肉室を開ける度に数の子は目に入っていましたが、流石に真夏の猛暑の中で数の子を食べようと思う気持ちにならないもので、何よりお湯のような熱湯で塩抜きすることは数の子を白化させるような予感でもある。
数の子は手の指がキンキンに冷えるような冷たい水で塩抜きしたいものであり、暑い真夏に仕込むような料理ではないのであります。
なので、お正月に残した数の子は遅くても春頃までに食べるのがベストである。
そして、このまま数の子を放置していると再びお正月がやって来そうな予感もするので早速食べたのである。

金曜日の夜に数の子の塩抜き作業を忘れないようにメモを書き、逆算で約8時間の塩抜きを開始する時間を計り寝るスケジュールでもある。
メモを書き、冷蔵庫に貼っていると忘れるので土曜日の夜にダイニングテーブルの上に貼って確実に忘れないようにする用意周到さである。
そして、朝起きれば数の子の塩抜き作業の完了となる。
塩抜きは長時間やると醤油が必須となる薄味となり、これは美味しくないものだ。
しかし、塩抜き時間が短すぎると塩辛となり、これはしょっぱすぎて美味しくないのだ。
なので、寝て起きての8時間ぐらいがベストなのである。

とりあえず、目に映るものについつい感心がいってしまう性格なもので忘れないようにメモを書きます。
このようなメモを書くことは昔からの習慣で、自分の部屋にも気に入った偉人の名言、自分を鼓舞するような言葉、忘れてはいけない事柄などをペタペタと壁に貼っていたものである。
勿論、拾った木の枝なども壁に挿すものではありますが、友達が遊びに来たりすると一つ一つ名言な文章を読まれてとても恥ずかしくなるもので「読まないで〜」と手で隠し、次の日の学校で名言が壁に貼っている噂が流れ、さらに次の日には忘れられているのである。
そして、もう1回分の残る数の子がある。
この美文字なメモ書きは捨てずに置いといて次に使い回す算段であります。
すーむー

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月7日(月)
■叫ぶ鳥の子。

*デスクトップ画面用の画像です。

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■2024年10月8日(火)
■一日一文章トレーニング。

「リンゴと梨の写真を見比べてみた」

青りんごが想像するよりも甘くて美味しかったのであります。
写真もビートルズの会社のロゴみたく上手に撮れて、流石に目のつけどころがリンゴなのである。
ロンドンに行けば本当に駅構内でりんごを噛りながら歩く人を見つけるもので、そのようなリンゴを颯爽と食べ歩く人たちは格好良く見えるのであります。
もし自分がリンゴの食べ歩きをすれば、りんごが歯に挟まり海苔を食べた犬のように口をもごもごと立ち止まってしまうかもである。
また、リンゴの芯はどのように捨てれば良いのかわからない。
リンゴは芯まで食べれるのでしょうか?
イギリスはサンドイッチ伯爵を生み出した地でもあり、リンゴの食べ歩きも上手であるので時間を無駄なく有効活用する国民性はあるのかもしれない。
リンゴを室内に置けば香りがぶわ〜と室内に広がるアロマ効果もあり、玄関に置かれたリンゴを1つポケットに入れて移動の友として持ち歩くようなイメージである。
フランスだと焼きたてのパンを真ん中で足を使いポキっと上手に折りそのままカバンに入れパンの角っこをちぎりながら食べ歩きする人を見かけるのである。
いやいや、
朝にパンを噛りながら出かけるのはフランス人だけの専売特許ではないのである。
我が国の伝統行事でも道の角や廊下の角でパンを加えた二人がドシンとぶつかった衝撃で恋が始まるものである。
しかし、長い人生経験の中でもそのような奇跡はマンガ以外で見たことも聞いたこともない。
「前を見て歩けーバーロー」みたいな怖い定番の罵声が脳内に響きそうな予感ではありますが、高校生の頃に別の高校生の集団が歩く中を自転車の前輪に自分の傘が刺ささり高難度なワンエイティな技を決めて爆笑を買った悲劇があるものだ。
「お前ら〜腹を抱えて笑っていなくてさっさと助けろ!〜」と思うのですが、そうなれば恋にも発展するかもしれないものである。
自転車も180度ひっくり返る衝撃とは衝撃でもあっても笑撃であるものだ。
こっちはマジで出血して痛いし自転車が急にひっくり返る恐怖にメタパニッているのであります。

何の話かもしれませんが、我が国では食べ歩きはダメなのであります。
なのに、大人は昔から歩きタバコをし、今ではスマホ歩きは定番で情報を貪り食べるように歩いているものである。
これは何かしらの国民性の一端を表しているかもしれないものである。
情報が栄養源?常にクラウド状態のスマホの向こう側が懐な心であるのか?
???

写真に撮ればどこからどのように見ても、りんごはりんごであり梨は梨なのである。
これは遺伝が成せる技ですが、リンゴとの微妙な違いを簡単に識別できる眼力もスゴイものである。
さっそく、りんごと梨のカタチを写真で比べてみましょう。
なぜ果物のクッション材を取り外して撮影しないのか?思うのですが、それが流石の横着が成せる技で、リンゴの艶肌に比べ梨の表面は熟練した職人のようでもある。
また、梨はソフトボールのような惑星のような球形で、りんごはやっぱりどこかりんごっぽいカタチをしているものである。
※西洋梨は除く。
両方とも品種は同じバラ科の落葉高木で、ほぼ同じような果物なのに食べた食感も味も全く異なる果物で不思議なのである。
因みに私は鳥取県産の二十世紀梨好き。
(ドキドキ)
あの甘酸っぱいジューシーな感じがお気に入りで東京ではほぼ見かけない果物でもある。
因みに、二十世紀梨が存在すれば二十一世紀梨もあるようで、我俄梨(われにわかなし)は、二十世紀梨と二十一世紀梨の違いがさっぱりとわからないのである。

リンゴの記号とはアダムとイヴが齧った創生の始まりの象徴で、梨は「なしのつぶて(返答がない)」とスタート地点にも立たない感じでもある。
「梨(なし)の種」には種が存在しないように聞こえるので、その梨のプロたちはそのような言葉を忌み嫌い「なしの種」を「ありの種」とダジャレみたいに言うようである。
ほんとうなのか???と最初にこれを初めて読んだ時には「ありの種」が「蟻の種」のことをイメージしていたので、あり・なしの言葉の面白さが伝わらなかったのである。
梨とりんごの関係は神聖なリンゴの本物とナシな偽物のような関係性にも見え、何か微妙に異なるがやっぱりどこもかしこも異なり、その違いがリンゴの良さと梨の良さでもあると、人の好きずきな味ということにするものだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月8日(火)
■急に秋ですね。
左から「木」「恐竜」「ビックフェイス」。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月9日(水)
■一日一文章トレーニング。

「より良い社会になるように願い面白いものを探すのであります」

今朝雨はザァザァー降って寒いものであります。
秋の冷たい雨は大地を冷やし夏用布団2枚ではもう寒い感じでもある。
そろそろ、冬用布団を取り出したいところではありますが、冬用布団を取り出したら天日干しもしたいので次の鉛色の空が晴れた時に冬用布団を出そうと思う。
急に寒くもなったものでガサゴソとゼレンスキーがいつも着ているようなカーキー色のトレーナーやフードの付いたパーカーを掘り出して着るのであります。
そして、いつものようにコンビニの前を通りかかると新しいエナジードリンクの缶を発見するのである。
「何?このワクワク感?ヤバい」
写真の新しいパッケージはメーカーのHPで9月17日にNOW ON SALEで知っていた商品ではあるが、一向に店頭で見かけることがなかった商品でもある。
これはもうゲット出来ないかもと諦めていたら今頃見つけたのである。
何事も諦めなきことの呆則とはあるもので、アンテナを張っていれば嗅覚よろしくその内に見つけるのである。
エナジードリンクが充実しているお店でも、新商品が出たからとフットワークすぐにポチッて発注するような業界ではないものだ。

我俄新缶入手のエセ中国語みたいなのを書いてご満悦。
新商品は「ZONE ENERGY graffiti holic」の「Ver.COIN PARKING DELIVERY」と「Ver.IKO?」の2缶の落書き中毒のイメージのようである。
コインパーキングデリバリーは自動車乗りに必要な駐車場を運んでくれるウーバーみたいな感じでしょうか?
IKOはどこかに行こーと言っているのかもしれません。
さっぱりとわからないのですが、味もさっぱりと不明です。
※この時点ではまだ、飲んでいないので味はわかりません。
贔屓目に見てもブチ抜けた格好良いデザインで、控え目に見ても紫色ベースの怪しさ満点の素敵なドリンクなのである。
最近、何かの嫌がらせなのか店頭のエナジードリンクの缶がひっくり返されてロゴが識別できなっていることも多いものである。
我俄エナジーファンは店員でもありませんが微力ながら缶のロゴが表になるように直してあげるのである。
しかし、このような全方位な缶であると、どこから見ても識別出来る缶デザインである。

というわけで、

エナジードリンクを買った帰り道に考えることは「公園は誰のものか」であります。
法律や条例などは調べるのも大変だし専門家でもないので観念的な言葉で進めるしかないものだ。
先ず、公園は政治家の所有物でもなければ広義に国民のものであるのは間違いないものである。
だがしかし、何もない公園とは言え設備は必要だし運営する人も必要でその公園経営をする権限も必要なもんだ。
そのようなことを深く考えると、さっぱりわからなくて書けない一文である。
もし仮に一つの公園を運営して、その問題点をまとめたならば民主主義のあり方にも面白い発見はあるような気もするものではありますが、とりあえず、公園の運営やあり方を考えると政治に無関心な私たちも何かの興味のキッカケになるような予感がしているのである。
国によっては公営の美術館や博物館の収蔵品も広く言えば国民の所有物であり無料で入館できる国も多々あるものだ。
我が国の最近の特徴を簡単に説明すると、通貨安なアベノミクスは国民から富を奪いとり国が借金を増やしてバラマキ、それにより税負担も増えるという単純構造の国民の富を誰かに移譲させる政策でもある。
GDP200何%かと言う国の借金が増えることは民間の需要も押し下げることであり、この構造化で潤う業界とは規制などで独占された業界ではないかと考えるのである。
民間企業の独占とは仮に価格の決定権を行使して発動したとしても新しい技術により駆逐されその優位性が失われて独占状態は失われることは良くあること。
その意味ではエナジードリンク然り、民間の産業による独占は見えない手によって改善することもあるものだ。
だがしかし、国の援助により支えられる独占とは一筋縄でいかないもので、国の役割とは規制を作り新しい独占状態を作るのではなく反トラスト法(独占禁止法)をバンバン作って如何に癒着をなくし独占状態を少なくする必要があるものだ。
そして、面白いことに国民の生活に直結するような外部効果の高い水道のようなものを民営化して外国に売れと言う少し頭のおかしい人たちもいるもので、彼らは確実に賄賂を貰い国を売る活動をする人たちだと思うものである。
何もかも全ての独占がいけないと言うわけでなく必要な独占もあるもので、その一つが公園や水道などの公共性の高いものである。
調べたけど数字はわかりませんが、ベンチャーやスタートアップのような企業がこの国に少ないこともこの社会の独占状態を固定化する一つの閉塞感でもあるように思う。
新陳代謝が少ないことを体に置き換えると社会が老化していることが可視化できるものである。

因みに、独占状態とは何かと中高校生に習った独占をおさらいすると下記のようになる。

トラスト:
同一産業部門に於いて数個の企業が資本の集中・集積(合併)により競争を排除して超過利潤を得ようとすること。
トラストはカルテルよりも強力な独占。

カルテル:
独立性のある企業連合が商品価格・生産量などを調整し市場を統制すること。

コンツェルン:
株式や金融によって企業を連携させることで一見これら企業は法律上の独立はあるように見えるものの実際は持株会社なで支配を受ける。
財閥など。

最近、世界的にインフレで様々なサービスやモノも値上がっていますが、ネットなどを見ると値上げ正義などのコメントを散見するもので、善良な消費者は独占状態を盾にした値上げなのか見分ける必要があるものだ。
基本的にサービスやモノの値段は市場の参加者の行動が積み重なった結果であり、個人や一企業が影響力を行使できるものではない。
消費者は騙されずに不当な値上げにはそれを利用しない等で新しいものに移行するような知恵や生活防衛も必要なもので、上記の独占状態を見ても、どれも何かの既視感のあることのように見えると思うものである。
私たち国民が国に求めるのは規制緩和・参入障壁をなくした競争や反トラスト法による独占状態を少なくするように訴えかけないと、ますます社会は固定化して良い方向に進まないと思うのである。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月9日(水)
■ビックフェイスの概要。
演劇に出てくる巨大な顔のイメージ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月10日(木)
■一日一文章トレーニング。

「唾ゴクリ、今夜はフレアが地球に到来するようで窓際の電子機器を撤収するのであります」

これが今年の梅干しです。
唾ゴクリ。
瓶の中には2種類の梅干しが入っております。
上段の小ぶりなタイプが実家の梅干しで、下段の大きい梅干しが家で私が漬けて実家に送り干してもらった梅干しである。
去年は都内で梅を干してみたものの、こんなにも暑い猛暑の中でも日が当たる時間とは結構短いもので、梅干しの干し作業は開けた場所で干さないと良い梅干しにならないものである。
しわしわなお肌に塩が吹き、遠目に見ると赤い地肌がピンク色にも見える感じが我が家直伝の梅干しのカタチでもある。
子ども頃から梅干しと言えばこのようなしわしわな感じの梅干しが梅干しだと思っていたもので、市販されている汁に浸かった柔らかい梅干しは別の種類の梅干しだと思っていたものである。
しかし、世の中的には汁に浸かった梅干しが一般的で、このような梅干しが変わった梅干しなのである。
今年は6月5日に完熟梅ではない青い南高梅を購入し、通常の漬け作業が終わってもまだ少し青かったので実家に漬け直してもらったものであります。
あれから約5ヶ月経ったとは長いようで短いようで、いやはや、本当に暑かった夏である。
今年の梅は一昨年よりも100円ぐらいの値上がりで、完熟梅はもっと高額な値段であったような感じでもあります。
※完熟梅は値段を見ただけなので購入はしておりません。
青梅から梅干しを作る場合に実が黄色くなるまで置いとくのが良いようですが、長く放置していると梅の地肌も傷んでくるので、黄色くなるまで待つことの難易度は高い。
なので結局、まだ実が青いまま漬けたのですが完成すると若干赤味は弱いですがさほどの違いもないものだ。
青梅のアク抜きは10〜12時間の2倍程の時間をかけて行い、重石は1.5倍から2倍にする必要があるようで、重石は通常通りにしか置かなかったので多少の重量不足はあったのかもしれない。
来年の梅干し作りには気を付けましょう。
恐ろしいことに大抵のことはメモしてないと忘れてしまうので何でもメモメモして記録することが大切です。

6月5日: 青い南高梅(完熟梅でない)を1kg(1280円)と赤しそ(276円)を購入。

6月11日:よく洗浄しアルコール吹いて消毒し塩を敷き詰めて漬ける。

6月14日:白梅酢が8割ぐらいまで上昇する。

6月16日:白梅酢は100%フル満タンの状態まで上昇して止まる。
※重石の重量が軽かったのかもしれない。

6月20日:赤しそを投入。

7月10日:梅を壺から取り出す。

その後の天日干しは実家でやってもらう為に約1ヶ月半の梅干し作りの作業となります。

ところで、

赤ピンクな梅干しを見ていると太陽な惑星を思い浮かべるものであります。
ニュースによると昨日、大規模太陽フレアが発生したようで地球方面への太陽風(プラズマ)の到達は今晩の深夜以降になるようである。
https://swc.nict.go.jp/extreme.html
電気製品が壊れたら大変だ、唾ゴクリ。
北海道でもオーロラが見えるのでしょうか。
オーロラが見えるということは美しい景色でもありますが、同時に地球上の生物にとって危険な紫外線やX線が大量に降り注ぐことでもあります。
地球の高高度には宇宙空間から危ないものを吸収してくれる電離圏という電気が主役の世界があります。
紫外線やX線、隕石みたいな物体が電離層の気体に触れると分子中の原子が引き裂かれて電離し、その時に1100℃近くの熱を発生して地球表面への侵入を防ぐようである。
まだまだ太陽の活動は活発のようで一様電子機器類は窓際から避難しておきましょう。
効果があるのか?知らないけれども・・・。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月10日(木)
■12ウメ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月11日(金)
■一日一文章トレーニング。

「ポリマー宣言」

愛用の木工ボンドは2つあります。

A)
一つはタミヤの木工用ボンドで先端が極細で細かい部分にも塗ることが可能なクラフトボンド。先端が細ければボンドを塗る時にもペンのように使えて大変便利。タミヤはプラモデルの会社ではありますが、これはプラスチックには接着できない木工ボンドです。“のりしろ”とは大抵とても小さな面積しか塗らないもので、そのような場所にドバっと大量のボンドが出てはみ出ると、手も紙もベトベトと汚れる大惨事である。なので、このような極細の木工ボンドを使うものであり、先日の生き人形のてるてる坊主やお手紙の封緘などもこれで接着するのである。

B)
仕事で段ボールを組み立てする時には米国製のTitebondという木工用ボンドを使用します。日本製のボンドと比べても強力に接着できるボンドである。このボンドがなぜこんなにも強力に接着できるのかと調べると、有機高分子化合物(46%)水(54%)という成分にあるようだ。高分子とは分子が重合して2つ以上の接合を行うポリマーのことであり、一つ接合のモノマーな接合を繰り返して繋ぐことで強固に接着できるようである。妙な弾力性と強力な接着が良いのですが、難点は接着が強いので先端部分が固まって詰まってしまうこと。それはタミヤのボンドにも言えることで、時折メンテナンスしないといけません。

高分子化合物とはたくさんの分子の集合体でカタチや生体内の化学反応、遺伝子の制御など機能性を持たせることも可能である。例えば、酸素や二酸化炭素などの低分子はすぐに水に溶けるものの、高分子は水やアルコールにも溶けにくい物質である。因みに、タミヤの木工用ボンドの成分は変成エチレン酢酸ビニル樹脂(55%)水(45%)で、こちらもエチレンと酢酸ビニルを重合させたポリマーのようである。

そうなのですポリマーなのです。
パスを繋ぎ繋いで強固に繋いでいくことは高分子なポリマーなのことで、単体の文章をモノマーとすれば、たくさんの分子を接合させた文章は強固なポリマーを発動するはずで、その内に葉っぱの遺伝子や光合成のような機能を持てないかと期待するのである。
この文章トレーニングの情報も集積し一朝一夕では読むことは出来ない分量もある。
それなり莫大な文章も話を繋げながら作っていると考えれば、それなりに強固でポリマーと考えてもおかしくはないものである。
www

ということで、

昨日は自家製の梅干しの絵を描きました。
最初に頭の中のイメージだけで描いたのがCの梅干しで、模写しながら描いた梅干しがD・E・F(色塗り)である。
面白いことは実物を見ないで描いた梅が一番梅干しに近い梅で、対象物を凝視して描いた梅干しが梅干しぽくないのが不思議なのであります。
普通に考えれば、模写して描いた方がリアルな梅干しになりそうな予感ですが、ここでは正反対な現象が起きているようである。
雑な梅干しを描き非常に申し訳ないのですが・・・模写とはその外観をなぞり描くだけでもあるので技量云々はあんまり関係ないものに思うものだ。
梅干しという多様性ある記号なカタチは具体的な梅干しを模写するよりも、頭の中の梅干しのイメージをカタチに落とす方がよりリアリティーある梅干しの形になるようなので、これは多様性あるカタチの記号とは具体的な情報よりも頭の中のイメージに頼る方が良い結果になるかもしれない示唆であり、実際に多様な人の顔も目鼻口はあったとしても異なる見た目は皆違うものであります。
イメージとしての人の顔を描くには特定の人を模写するよりも頭の中のイメージを描いた方が、より人へのイメージに近くなるかもしれないのである。

先日のドリンクのパッケージだと文字は情報で中身の詳細を伝えるものであります。
色や背景は人の頭に訴えかける全体的な商品のイメージを表現するものである。

パッケージの文字→情報→具体的
背景のカラーや絵→イメージ→抽象的

これは少し不思議なことで、空想で描く記号としての梅干しはイメージですが具体的であります。
ですが、梅干しを模写する情報は本来具体的であるはずなのに抽象的になるのである。

頭の中で梅干しを想像して描く→イメージ→具体的
実際の梅干しを模写→情報→抽象的

今日も意味のわからないことを書くもので、多様性あるもののカタチは抽象的なカタチに収斂するのは当然かもしれないものだ。(量産品との違い)もしかしたら、梅干しな記号なイメージも表意文字みたいな文字情報として認識しているのでしょうか?いやいや、冷静に考えれば、自分のイメージで梅干しを描けばそれは自分にとっての完全な梅干しの姿であるものだ。これがポリマーな力が成せる技なのかもしれないものである。
(チャンチャン)vvvvvv

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月11日(金)
■パーク。(↓自作の音楽付き)
https://www.tumblr.com/enpitoroys/764029661869178880?source=share

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月12日(土)
■一日一文章トレーニング。

「今回の模写はニップン・オーマイのボンゴレビアンコ」

ベーコンとキノコを入れて美味しく食べた後のパッケージを捨てずに洗い描いた会心の一撃。
また、エナジードリンクの缶みたくゴミを捨てずに置いていると怒られる案件である。
破った部分はセロテープでくっつけて補強しダイニングテーブルに置いて模写するのである。
このオーマイのパスタソースを模写しようと考えた理由はパッケージに面白い発見したからで、それは右端の上に開いている穴。
さて、この穴!は何でしょうか。
ボンゴレソースを穴に引っかけて壁に飾るようなブリスタの穴?
キーホルダーにパスタソースを吊るして持ち歩く穴?
いやいや、この穴のスゴイ使い道は3〜5分の茹でた後にわかるものでソースを持ち上げる時に使う時の穴である。
沸騰したパスタソースはお湯の中から取り出す時には熱いものの、この穴に箸を挿して引き上げてあげると簡単に取り出すことが可能である。
これは恐らくデザインの勝利であり、デザインとはより良く生活を快適にするものである。
さっそく、分析班はボンゴレソースの詳細を解析します。

人が何かを作るということは伝えたい何かがあると考えることが妥当である。
恐らく、デザインする人は試行錯誤しながら数ミリ単位で位置決めして、その中には思いが詰まっていると思うのである。
そして、文章を客観的な冷めたような目線で読むように文字の大きさで探るのだ。

1)「ボンゴレビアンコ」:16(22)
2)「あさりの旨みが詰まった美味しさ」:5.5(10)
3)「オーマイ」のロゴ:5(22)
4)「野菜のまろやかな味わい(デコ枠)」:5(13)
5)「nippn」のロゴ:9
6)「2人前(240g)」:4
7)「パスタソース」:3.5
8)「英語での説明文」:3
9)模写には記載していませんがパスタの写真の下の「調理例」の文字:2.5
ミリ・(枠で囲われた強調された文字の範囲)

この順番の素直に情報を読むとメーカーがこのパスタソースの何を伝えたいのかが見えてくるものだ。
ちなみに、8の英文訳は「ボンゴレビアンコはたくさんの貝の入ったパスタソースです。マッシュルームを加えるとさらに美味しくなるでしょう。」と書かれている。
10人の日本人いれば10人はこの英文を読まないと思うので、この英文は説明文でありながら西欧感を演出する為のイメージの部類である。
よく見かけるカッコ良さの英文のアレ。
そして、なぜ最初からキノコを入れないのかとも思うのですが、焼いたベーコンと椎茸を入れて美味しく食べたのである。

さて、

昨日の呆則から考えるとパッケージに広がる空間はイメージであり、文字は情報となる。
空間→イメージ
文字→情報
イメージとは総括された印象や心象・像のことで、情報とはニュースや知らせや通信伝達されるものが情報となる。
イメージと情報とは明らかに異なるものである。
このボンゴレビアンコの文字情報を除くパッケージデザインの半分は調理例の写真で、後は製品のイメージカラーのブルーで占めている。
そのようなイメージを私たちが視認する時に青のカラーリングが目に入り、パスタの写真とボンゴレビアンコの文字を読んでパスタソースであると視認するのである。
もっと詳しい情報を知りたければブランドや裏面を確認する行動に至る一連の購買行動である。
ボンゴレはイタリア語でvongoleは貝のことで、ビアンコ・Biancoは白いという意味の白系の貝のソースという意味である。
私がボンゴレビアンコと聞いてもイタリア料理の名前ぐらいにしか思わないもので、ほとんどの人も同じような感じであると思うものだ。m(_ _)mt
ぱっと見て「貝」の文字があったならば雰囲気も掴めるものの、貝の文字がドドーンと視認したからと言って、逆に買わない可能性もあるものだ。
よって、「ボンゴレビアンコ」という神秘的なネーミングを全面に出すことがパッケージデザインの正解かもしれないのである。

とりあえず、

パッケージから解釈すると、私にも何らの空間領域を構築しなければイメージは生まれないように思うのである。
文字とは単なる情報であり、商品パッケージから分析するとその大部分はイメージカラーによって占められているもので、このパスタソースにとれば青い透き通ったブルーはイメージカラーで、イメージは空間に広がる色やヴィジュアルと共に表現されてはじめて印象に残るのである。
あの青いパスタソース・・・であると。
よって、その人の持つ空間領域がなければ、その人の情報はあっても視覚的なイメージは存在しないように思うものである。
それは数多くいる大勢の中の一人で面積か容積かの空間を作り出すことで、はじめて、人としてのイメージが作れるのかもしれません。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月12日(土)
■い!(自作の音楽付き)
■2024年10月13日(日)
■一日一文章トレーニング。

「今最適な布団について長文でしたためました、御免なさい」

「オレはやったのである」byダクソ。
昨日は秋晴れて気持ち良い天気の中布団を干しました。
あのジリジリと私たちを毎日ボイルしてきた憎き真夏の太陽は弱まり、秋となりて夏冬時期には人道主義者のように振る舞うあの光源氏もそろそろ活動し始める季節である。
ペラペラの布団は洗濯し、流石にまだ羽毛布団を出すのは早いかとも考えて、モフモフと起毛した布団用の布団カバーのみを出して天日干しするのである。
本当は夏用の薄っぺらい夏用布団をこのモフモフ布団カバーの中に入れたいと思ったのですが、夏用布団はキレイに洗濯してしまったのでもう使用できないのである。
冬用のモフモフ布団カバー単独でもそれなりの保温性があるので、それで良しとしたのである。
よって、中身がスッカラカンの薄っぺらい冬用のモフモフ布団カバーで寝むるしかなく、来年への教訓を残すとするならば、夏用布団はワンクッション置いてから洗濯するのがベストである。
春から夏の時期もこのような布団用のカバーのみの状態で寝ていたこともあり、他の家庭でも季節の移行期とは似たより寄ったりのお布団事情だと勝手に思い込んでいるものだ。
あなたのお弁当や晩ごはんを見せて下さいな企画はありますが、「あなたのお家のお布団を見せて下さい」は何かがヤバい。
そのような訳で、平安時代の人たちがどのような布団で寝ていたのか皆目不明であるように、令和のお隣の布団の衣替え事情も神秘に包まれているのであります。
これは確実に切り替えの時期や布団が変わる境界線を記録する意味はあるもので、一晩寝て思うことは時折寒くて目覚めることもあり、また、時折暑くもあって布団を剥いで寝ている時もある。
正に今が暑さ寒さの中間点なのだ。
今日も天気が良いので羽毛布団を出すべきなのかと思ったのですが、やっぱりまだ早いような予感もするもので、このような煮えきらない話を長文でたらたらと書くと「どうでもいい」と確実に怒られる案件なのである。
m(_ _)mT
しかし、このような煮えきらない話しが出来るというのは一つの自由な人生かもしれなくて、あと数年すればAIに決断を委ねる感じの、どーするごーする竹野内さんかもしれないのであります。
誰かに行動を委ねて何も考えずにロボットのように動くのか、煮えきらない話を続けるのかの人生には二択しかないもので、恐らく、煮えきらない話には決断と行動いう未知な未来が潜んでいるのである。
たかが冬用布団されど冬布団で、冬用布団を出すか出さないのか違いは暑い寒いだけでは終わらないのであります。
先週みたく雨や曇ばかりだと布団は干すことは出来ないし、冬用布団が部屋に出すとホコリも数倍舞うだろうし、部屋のボリュームもかさ上げられて家が少し狭く感じる季節の到来でもある。
人生の重要な局面は布団の中にあるかもしれなくて、この時人類はまだ布団という壁の向こうに巨人がいることを忘れていたのであります。by進撃の巨人

昨晩は深夜に小さな地震があり目が覚めて、微妙に寒くて寝ぼけ眼で布団をまっすぐにキレイ並べ直して再び寝るのです。
そして、そのような夢の中で見るものは2000円ぐらいするステーキ弁当を購入する夢であり、お店の中でステーキを焼くのをじっと眺め、家に持ち帰り「さあ」お弁当を食べようとフタを開けるとなぜか鮭弁当で困惑するのである。
レシートを見たら確かにステーキ弁当と書かれているのに弁当の中身はどこからどう見ても鮭弁当なのである。
そして、10000円札で支払ったと思うのにレシート上では5000円札で払ったことになっており、釣り銭分も損したような気もして、夢なのに「あ〜しんどい」と目も覚めるのであります。
これもあれも全部布団に理由があるかもしれなくて、そこでまだ洗濯していない夏用のタオルケット布団を冬用のモフモフ布団の中に入れれば保温性が高まりそうな予感でもある。
起毛した冬用のモフモフ布団と言えども、布団の空間に隙間を形成しないと困ったことに暖かくならないのであります。
空間=イメージ=保温性?
どうしましょう、また新しいワードが生まれてきて困ったのだ。
関係ないけど日本のコンクリート建築には気泡な空間を入れてたっぷりと断熱性を高めたくも思うものである。
そもそもコンクリートは現場で流して設置するのが間違いのような気もして、空間のあるコンクリートを工場で緻密に作ってパーツを組み立てるように建築する方が気密性も効率も高まりそうな予感である。
とりあえず、冬用のモフモフ布団カバーの中に夏用タオルケットを入れれば万事快適なのかな?

 

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■2024年10月13日(日)
■透明人間と犬 ヘミングウェイ。(自作の音楽付き

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月14日(月)
■一日一文章トレーニング。

「秋のよの 四万円の ドリンクに 何をおもふか きゅうかんどう」

ブクブクと裸一貫の私はお風呂の湯に顔を浸してリズムをとるのである。
空間とは何なのでしょうか。
先ず湯船がありお風呂場を抜けると洗濯機や洗面所などがある生活圏である。
空間とはそれら設備を取り除いた部分で構成される開けた空間のことで、そこに広がるのは快適に動線を結び移動できる活動空間でもある。
そして面白いことに、私たちはその空間自体に触れて変形させることは出来ないのである。
私たちが直接影響を及ぼすことが出来る部分は設備のみで、空間の接する境界線部分まで限界なのである。
当たり前と言えば当たり前なのですが、私たちは間接的な外観をいじることでしか空間を変化させることは出来ないのである。
空間との接地面である部分をお掃除し、細かいモノが見えているとゴチャゴチャとして目障りと思えば収納し、設備との接地面を操作することでしか空間を改良できないのである。

空間とは設備の接地面の境からしかカタチ作ることの出来ない呆則。

これは日本庭園や生け花が作る空間も同じことで、昔の人もまた、まわりの器な環境を整えることにより人が視認できる空間を作っていたのである。→環境?

昨日は空間=イメージで、空間を構築すると=保温性とか快適性のような人が感じる感情に繋がる話しを書いた。
永遠の一人遊びなレシーバーはそれらボールをちゃんと受け取り返さないといけないものである。
もし、先ほどのお風呂場の中央に動線を阻害するような何かがあれば、それは空間が快適でもなく機能性もないことにもなる。
これは人が空間やイメージの先に常に望むような目的の空間を作り出すと考えれば、それら空間を阻害し邪魔をするものは排除すると思うのだ。
よって、空間領域を開く先のイメージには快適や不愉快な感情があり、人は最終的には快適性を求めて架空のイメージを作り出しているようにも思うものだ。

ということで、

空間・イメージ・快適性みたいな三角形をぼんやりと考えながら眠るのであります。
そして、そのような漠然としたことを考えながら見る夢は金額的にとても怖いものだ。

(以下全部夢)
私は隣の会社に冷やかしで遊びに行くのであります。
会社のミーティングデスクには顔なじみの中年男性一人と知らない人が新商品のドリンクを試飲しながらミーティングをしています。
お腹がタプタプになり試飲は大変ですね〜みたいなモラルの欠片もない傍迷惑なことを言っていると、手前側顔見知りの男性が「たけやきゅうかんどう」の栄養ドリンクを買ってきて欲しいと私に頼むである。
勿論、暇な私はOKとドリンクを買いに行くのである。
夢の話とは駄文の定番でもあり、「これは夢であった」との結末は絶対にやってはいけないものである。
だが一度始まった夢は仕方がないので、我ガテン系暇人は栄養ドリンクを買いに走るのである。
先ずはコンビニに行くが「たけやきゅうかんどう」の栄養ドリンクはなくて、やっぱりドリンクは売っていませんでしたと戻るのも気が引けるので、少し足を伸ばし薬屋さんまで行くことにする。
古びた店構えの薬屋さんで「たけやきゅうかんどうはありますか?」と聞くと店の人は満面の笑顔で「ありますよー」とのこと。
ふむふむ、タプタプとなったお腹のたるみには「たけやきゅうかんどう」というドリンクが効くのか思い、私は気を利かして2人分の「たけやきゅうかんどうを2本下さい」と言うのである
そして、レジでお会計をしていると合計金額が「40000円」でビックリするのである。
当然、財布には40000円も入っていなく、1本20000円のドリンクに驚いて「たけやきゅうかんどう」2本をキャンセルして店の外で考えるのであります。
これは頼まれた免税店の香水の値段の高さにビックリすることにも似ており、とりあえず、変わりにレジの横に大量に鎮座している1本120円のドリンクを2本購入するのに決めるのだ。
そして走って自社に戻って丁寧にシールを貼り「たけやきゅうかんどう」と手書きして、これは何かの洒落か?「たけやきゅうかんどう」とは何なのか?と思いながら隣の会社にお届けするのである。
どうせ、夢であることはわかったていたことでもあるので、太っ腹に40000円の「たけやきゅうかんどう」のドリンクをお届けれすれば面白かったものだと後悔する。
そして、眠り眼をこすって暗闇の中「たけやきゅうかんどう」が実際に販売されているドリンクなのかを調べるのであります。現実
夢とは本当に一瞬にして忘れてしまうもので、検索結果が残っていたからこそ「たけやきゅうかんどう」の名前が残っていたものである。
勿論、「たけやきゅうかんどう」という名前のものはこの世に一切なく、なぜ?このようなネーミングが出てくるのか?ホラーなのである。
目がバッチり覚めたけど、また再び寝た夢で良かった、めでたし、めでたし。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月14日(月)
■犬のスペース。(自作音楽付き

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月15日(火)
■一日一文章トレーニング。

「植物たちの近況をメモします」

ベランダの植物たちは一鉢も枯らすことも無くこの猛暑を乗り越えることが出来きました。
888
暑い最中。朝晩毎日水やりをしてきた甲斐があったものだ。
ベランダに植物があるからと言って涼しくなることも無いのですが、照り返しの暑さぐらいは防げる予感でもある。
室内の暑さ対策にはカーテンレールに吊るす軽量アクリル鏡がもっとも効果的で間違いありませんが、窓を開ければいつも緑が生い茂っている景色は良いものである。

しかし、枯れそうになった植物もあるもので、それは遊戯王頭とネギみたいなアフリカ勢の植物だ。
春の長雨で根腐れを起こし、もうダメだと思い他の植物に根腐れ病などが伝染しないように遠くに隔離して水もあげずに放置していた植物でもあります。
そうすると真夏の頂点頃に再び元気を取り戻して復活したのであります。
その意味では雑草として間引かれている不死鳥のような生命力を持っているものだ。
ただ、根腐れして倒れてしまったので寝般若みたく横に倒れた状態で元気になっているので、棒の支えで起きるように矯正したり、引っ張って持ち上げたりしたものの、しっかりと張った根は強固でもビクリとも動かないものである。
根腐れした時に動かせばカタチは矯正できそうですが、根がプチリと切れてしまう可能性もあるので弱った時には安静にしてて良かっのだと思うものである。
知らないけれども。
飛び出した触手は「ゴメンね」とハサミでジョキリとカットして鉢に植え直したならば根も生えて元気に育っています。

そして、サボテン三兄弟は私の腰の位置を越えるぐらいにすごく大きく育っているもので、これ以上大きく育ったら植え替えた大きな鉢のバランスが悪くなって倒れてしまう感じでもある。
一兄弟の棒サボテンだけが蛇のようにくにゃくにゃと横たわり寝ているものが困ったもので「お前も寝てしまうのか?」と思うのですが、もしかしたら鉢が倒れないようにバランスをとっている可能性もあるものだ。
この秋に鉢の植え替えをするのか?来年の春まで待って鉢の植え替えをするか悩ましいところで、この小さな鉢の自然世界は寝転んだり横にはみ出したりとボーボーと生い茂る大自然でもあるものだ。

植物たちの面白いところは小さな鉢から外へ外へと成長しているようにも見えるもので、本物の園芸とは要らない葉や茎などをカットして育てるものと思うのですが、ジョキジョキ切ったり針金で矯正したりするのを可哀想に思ったりもするので放任主義で育てているのである。
自由気ままに育てることの恐怖とは植物観察で学ぶに限るものではありますが、今、私はまだ適材適所に植物のクセを見抜いて環境を整えてあげるぐらいの学びしかないものである。
直射日光に弱い植物もあるもので、もみじの葉っぱは日焼けしてしまったものだ。
来年は低木の木陰に置く必要があるもので、これは春の長雨時期にアフリカ勢を室内に避難させるぐらいに大切なことで、絶対に忘れないようにメモして覚えておく必要があるものだ。
来年の春に新葉が生えてしっかりと光合成ができるならば今年の葉の日焼けはドローである。

エアープランツの植物たちも直射日光に弱そうなので、枯れないように低木の木陰に置いていたものですが、そうすると、写真のように木の根が幹から伸びてエアープランツと連結してしまったのであります!!
涼しくもなりエアープランツを違う場所に動かそうかと思ったならば木の根っこが横に伸びてエアープランツと繋がって動かないのである。
これは子供が気に入ったおもちゃを掴んで放さないような感じでもあり、植物たちにも何かしら植物同士のコミュニケーションや遊びの類があるのでしょうか。
根っこをジョキンと切り落として移動させることも可能ですが、わざわざ根を痛めてまで切り取って離す必要もないもので、もしかしたら緑の鉄枠のサビ(鉄分)を吸収しているのかと思ったりもするものだ。
写真を見ると幹の右にポツリと出たものが根っこで、それがある時ににょきにょきと接触してないエアープランツにまで伸びて繋がる不思議なのであります。
おそらく、台風で避難した先月はまだ繋がっていなかったように思うので、涼しくなったここ最近で伸びた根であると思うのだ。
それも2本も!
植物は静かにゆっくりとミリ単位で動き感知しながら動いているようで、本当に神秘なのであります。

そして、

以前戦わせていた鉢植えの白菌VS黒菌の攻防ですが夏も暑くなると両菌とも衰退したものだ。
一昨年の夏は元気に太陽光を吸収して育っていましたが、この夏は急に勢力を減退してしまった夏でもある。
休戦協定でもなく両方ともが衰退していたことが面白いことで、また涼しくなるとうっすらと鉢が白くなって来た感じではありますが以前のような勢いはないものだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月15日(火)
■空間領域開封願。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月16日(水)
■一日一文章トレーニング。

「ハロウィンの準備中」

昨日の太陽は目を痛めそうなぐらいに眩しかった。
そして、陽が当たるとジリジリと暑くもあった。
一般的に太陽が傾く季節ほど太陽は眩しく感じるものではありますが、キャップを深く被り太陽の光を見ないように歩いたものである。
これあれも太陽の眩しさとは活発に活動する太陽フレアのエネルギーなのかもしれないもので、カメラマンが持っているような光の強さを計測できる露光計のような機械で太陽の光を数値化したいものである。

ということで、

昨晩はコレクションケースの飾り付けをハロウィン仕様に変更します。
季節の変わり目に家の雰囲気を変化させることは良いことだ。
トイ・ストーリー4に出てくるギャビーギャビーの人形に黒い布でマントを着せて、眩しい太陽が苦手なドラキュラのコスプレに変身させるのであります。
あ〜かわいい。
かわいすぎるのであります。
このギャビギャビは可動式のプラスチック製で今はもう入手できない米国限定販売の公式初期型モデルである。
造形がとてもかわいいのですが実写の映像とは少し雰囲気が違い、今販売されているタイプとも造形が異なるのである。
個人的には100倍こちらの方が好きな造形でありますが、これは何と言うか美的感覚の問題でもあります。
何せアンリー・ルソーやムンクが上手な画家だと思っていたぐらいでもあるので、芸術的な視点はないかもしれないのである。
最近は美味しい中華料理屋さんに置かれているようなファブルのマンガが大好きで、あのマンガの世界に出てくる佐藤兄妹の人物画が滅法好き。
他には今敏監督の映画に出てくる人物の絵も大好きなので、そのような趣向でこのギャビギャビの顔の造形も大好きなのである。
そして、ギャビギャビに以前紙工作で作ったサンバイザーの帽子を被らせると完成である。
黒と黄色の配色でモダンでアーバンな吸血鬼であ〜かわいい。
やばすぎる自画自賛。

一様、ハロウィンの仮装はしたもののハロウィン感が少し足りないもので、毎年飾っているナイトメア・ビフォア・クリスマスのミニ・ブリスタフィギュアも一緒に並べます。
ですが、どこか何か足りないハロウィン感。
ハロウィンと言えば、オレンジと黒で、オレンジと言えばカボチャで、足りないものがカボチャであることにすぐに気付くのである。
早速、オレンジ色のパンプキンを作ることにします。
厚紙に三角の折り目をたくさん折々と、勿論、無計画でパンプキンを目指して折るのであります。
三角形の折り目を入れたならば何となく丸みのあるカタチになるだろうとの考えである。
そして、完成したのがコレだ。
3次元の馬糞なのか!
良い風に解釈すれば巨匠が作る建築模型のようにも見えるのだ。
カボチャの「か」も感じられない造形ですがボンドで固定したのでハロウィンが終わるまではこのポリゴン化された低解像度のパンプキンを飾るのであります。
以前、製作した器機能のないマグカップを作りましたがその上に乗せればフムフムと完成である。
どこか浅草のう◯こビルみたいな日本の美である。

そして、

そのような紙工作を作っていて気づいたのですが、カッティングマットのマス目が少しおかしいのであります。
1センチ四方の方眼マス目が太線で5・5・3(えっ?)・5・5・5・5・5・5(センチ)。
自分のところで販売している商品なのですがマス目が575的な53555の変則で並んでいるのに気付くのであります。
いやはや、毎日何かを切ったりするのに使用しているカッティングマットですが、今まで全く気付くことがなかったリズムでもある。
気付かないということは必要ないことかもしれなくてノープロブレムだ。
ですが、なぜだろうか?の流石ドイツ製でもある。
全部で43センチのマス目なので3センチのマス目はあぶれる運命にあるものだ。
私であれば枠内に入りきらない3枠は一番端っこに持ってくるような気もするのですがドイツ人は違うのであります。
これはアバンギャルド要素が足りていないのかもしれなくて1/3ぐらいにアレを持ってくる意味はあるかもしれないもので、小さな脳味噌で考えるのであります。
マス目を折りながら思ったのですが偶数で折々すると“のりしろ”部分は生成されません。
偶数の面にいきなり奇数がくることによって強制的に奇数が作られて“のりしろ”部分が出来るように考えらた製品かもしれないものだ。
5は奇数だけどね。
変則という意味でカッティングマットにもデザインの思考があるのです。
たぶん。

ギャビギャビ:https://www.scos.gr.jp/ScosShop/html/products/detail/467
カッティングマット:HPに記載ありません。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月16日(水)
■ハッピーハロウィン。
■2024年10月17日(木)
■一日一文章トレーニング。

「公園内の文字情報をざっくりと大雑把に収集した」

窓から金木犀の香りがクンクンと漂ってくる朝です。

公園とは昼と夜では全く異なる景色を見せるもので、光と闇の差異が大きな場所のようにも思うものだ。
「公園は誰のものかと」考える時に、公園のカタチを知ればこの国のカタチの縮図を知れるのではという考えでもあります。
この世の中のホラーな事柄はこの身近な公園内で見つけることが出来るのかもしれないのであります。

今回は下記のような視点で公園を歩きます。

文字=情報
空間=イメージ
文字と空間=公園の環境を表している

と仮定して公園内を散策します。
それが正しいのかとは別にしても、モノを見る時に何かしらの視点は必ず必要な呆則でもある。

公園に貼られる掲出物とは文字情報であります。
これは只今公園内で起こる問題点に対する公園管理者が伝えたい情報でもあります。
よって、そのような文字情報を集めれば公園が抱える等身大の問題点と管理者目線を感じ取れるのではという考えでもある。

そして実際に一人で歩いて公園内の文字情報を収集しようと思うと見たい看板の前に人が座っていたり、わいみたいに看板を読んでいる変な人もいたりして小心者の私は不審に文字情報を集めるのである。

公園内の文字情報は下記のように分類できます。
1)公園の名前
2)公園の利用案内や禁止事項 (ほとんどコレ)
3)進路やランニングのメートル記載等のお役立ち情報
4)植物等の名前
5)工事や封鎖等の看板
6)地図と公園の由来や周辺の観光案内
7)掲示板に貼られた情報

2の公園の利用案内や禁止事項は最も数の多い最重要情報で詳細は下記のようになる。

2−A)自転車の禁止
・(警告)公園の利用者専用の自転車置き場
・自転車は降りてから押して通り抜ける
・自転車の進入禁止
※どっちやねん
・レンタル自転車の看板

2−B)ペットの禁止事項
・犬の散歩はひもに繋いで、ふんは持ち帰る
・ペットのリードを外すのは東京都条例の禁止事項

2−C)カラス・鳩・猫へのエサをあげ禁止
・区条例の禁止事項
・エサをあげ禁止の外国語バージョンもある
・鳥の死体や弱った鳥に触らない公衆衛生情報

2−D)木や花を大切にする

2−E)野球やサッカー、危険な遊び、花火の禁止
・ボール遊びの禁止

2−F)タバコの禁止

2−G)ゴミは持ち帰る

2−H)迷惑行為の禁止

2―I)不審者を見つけたら110番
・子供安全パトロール中
・ここは常に誰かが見ている監視の注意事項

7の掲示板には下記の掲出物が貼られています。

・何かのLINEのQRコード
・秋の交通安全
・オレオレ詐欺への注意
・介護の案内
・救急車が足りないことのお願い
・蚊についての注意
・秋のイベント情報

これは社会の縮図を見るようでもある。

一方でランニングメーターなどの親切な使い道に関する記述もありますが、こちらは公園を最初に整備した時に作ったもので、今や文字は消えたりしているので最初の設計者による公園の思いの残骸である。
ほとんどの文字情報は禁止事項で埋め尽くされていて何か怖いものだ。
本当は禁止事項でランキング形式にしようと思ったのですが流石の暇人な私でも全部数えるのはを諦めてしまうぐらいにバシバシとたくさん貼られる禁止事項である。
ヨーロッパの公園を歩いたことを思い返すと公園の禁止事項の看板などはそんなに思い浮かばないものでもある。
凍った氷の上を歩くと割れて危ないなどのデザインされた絵(サイン)の交通看板のような立派な看板は思い出すものの、このような手作りな看板を見なかったような気もするもので、景観を大切にする外国ではこのような公共スペースに貼ること自体が法律に違反行為なのかもしれません。
公園のような公共スペースに人の自由な活動を制限する禁止事項の文字情報がこんなにも溢れていることには少し違和感はあるものだ。
これはもしかしたら管理者責任が問われることと関係あるのでしょうか?
警告しておけば問題なしみたいな感じかもしれないもので、これは管理者責任と当事者同士責任の違いかもしれないものである。
いやはや、公園のカタチに国のカタチの縮図は見えるのだろうか?
今回、このような目線で見るまでは全く見えないものではありますが、規制が多いという面では公園の禁止張り紙の異常レベルは社会の一面を表しているような気もするものだ。
このような張り紙の一方でゴミが落ちていない日本アゲもあるものだ。
そして、タバコ大嫌いな私ではありますが、タバコも公園で吸えないことは少し気の毒にも思うものである。
子供の時は何にも考えていませんでしたが、普通にボールで遊んだり花火したりと、こんなにも禁止事項の看板で溢れたような記憶はないものだ。
ここに書かれるような事柄は日々公園内で起こっているものと思われて、公園って何だか気持ち悪い場所でもあり光と影を見たような気もするものだ。

そんなことよりも、マイ・スマホカメラのレンズに傷が入り画質がすごく悪くなってしまったものである。
この画像は流石にマックスの拡大画像ではありますが、どうしましょう、まーよいか。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月17日(木)
■へびヘビーへび。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月18日(金)
■一日一文章トレーニング。

「日記の公共性について、日記から計算すると夏から秋の季節のズレは約2週間」

毎年暑くなっているような気もしますが比較しないと詳細はわからないものである。
そこで、頼りになるのが「一日一文章トレーニング」の日記を辿ること。
書けばよしの文章で毎日思ったことや、つまらない出来事をつれづれなるままに書いて記録しているだけの日記ですが、このような記録で辿ると役に立つものだ。(適当にしか見直していませんが)
言うなれば自分の部屋である脳みその中をHPに記載して公開しているようなものである。
この文章に公共性はあるのか?無いのか?それは大問題だ。
この文章は先ずスコスのHPにアップしてからインスタにもアップしています。
脱字誤字や追記などはHPの記載では修正しますが、川の流れのように流れていくインスタは諦めて放置しているものだ。
目的はワード5ページぐらいを秒のスラスラと書く為の練習で、毎朝慌てながら気合と根性で書くものだ。
もし、この日記に公共性があれば、私の頭の中も公共性があることになります。
公共性があるとすれば自由活動に最も障害となる社会的責任もあるのかもしれない。
日記に公共性があって社会的責任があるとすれば、私の頭の中で考えたことだけでも法律に触れれば犯罪者となってしまう可能性はあるもので、行動がなくとも考えただけの犯罪者の完成である。
これは創作をする作家さんのような人たちは全員犯罪者となる感じでもあります。
ポルポトや中国の文化大革命みたいな感じの世の中となるので、個人の脳みそに一切、社会的責任も公共性もないのであります。
最近、そのような脳みその中まで管理して監視しようと考える人たちもがいるようだ。
彼らは間違いなく独裁に近いヤバい人たちである。
よって、公共性の範囲や境界線を知ることはとっても大切で重要なことのようにも思い、西欧だと個人と個人がはっきりと別かれているとは思うのですが、日本の場合だと全体と個人の境界線は曖昧なのである。
前も書きましたが勝手に人の部屋入ってきて模様替えを行うような人はこの世の中にほとんど存在しませんが、文章になるとそうではなくて稀に存在しているものだ。
これはとっても面白いことで、「公共性」とは「公園は誰のものか」の中の重要な探索対象で間違いない。
この一日一文章トレーニングを仮に公園であると仮定すれば、私有地で間違いないものの、やや公共性を持たせたカタチで誰でも出入り自由なオープンに開拓拡張している小さな公園でもある。
ほぼ毎日更新された整備された公園であり、私の考えだと完全に民間の無料開放の公園でもある。
勿論、有料制にするのも、立派な池を埋め立てそこに象の滑り台を設置したとしてもその管理者の自由である。
公園と作家さんのような人たちを比較することはおかしなことではありますが、多くの表現をする人たちはそのような民間の公園経営者で間違いないものだ。
たまに、有名な作家さんなどもあれこれと叩かれてはおりますが、あの人たちもどこからどう考えても公共性という面では国や市や県が運営するような公共性の高い公園を運営している民間の作家ではないものである。
先ほども書きましたが個人の弱さが公共性の曖昧さに関係があるのかもしれなくて、境界線がしっかりと引かれていないことが原因なのかと思ったりもするものだ。
よって、公園の妖怪封じの御札のようなバシバシと貼る所以かもと思ったりもするもので、まだ、何も答えは持っていませんが深く長く探っていきましょう。

とりあえず、

2週間の季節変化が大きいか小さいのかよくわかりませんが、体感で感じる季節の変化は文字情報から読むと下記のようになります。
日記から解釈すると夏から秋の2週間のズレは、最悪、冬から春の季節も押して4週間の約1ヶ月の季節の境界線が吹っ飛す可能性もあるものだ。

夏から秋にかけての境界線のパラメーターはクーラーのON・OFFやクンクンと香る金木犀の香りなど2種類の情報を収集しています。
もし、仮に1ヶ月の季節が飛んでしまうと社会や経済にどのような影響があるのでしょうか?(あくまでも可能性だけの思考訓練であります)
去年は自宅まで金木犀の香りは漂ってこなかったような感じでもあり、金木犀の香りはとても弱い季節のようにも思うものだ。
一方、今年の金木犀の香りはプンプンと滅法強力でよく香るものだ。

2024年10月17日(木) 金木犀の香りを感じる
2023年 記載なし(その時の心境なのかもしれない)
2022年10月5日(火) 金木犀の香りを感じる
・・・12日間程の季節のズレ

2024年10月4日(金)クーラーOFF
2023年9月19日(火)クーラーOFF
・・・16日間程の季節のズレ

金木犀の香りは12日間ぐらいの季節のズレで、クーラーのスイッチOFFは16日間ぐらいの季節のズレということで2週間程秋になるのが遅れた感じでもあります。
因みに、クーラーのスイッチONにした時の室温湿度は下記の通り。

9月23日 28.7 50% 
10月2日 28.0 60%
10月4日 28.0 70%

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月18日(金)
■カタチ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月19日(土)
■ヘビ〜(自作の音楽付き

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月20日(日)
■一日一文章トレーニング。

「セスキを模写したら右図のようなイメージからレイアウトを作ったのでわ・・・と思った」

家の周辺に金木犀の木は見当たりませんが、なぜかプンプンと香る金木犀の香りです。
どこから漂ってくるのかと皆目わからないのですが、なぜか部屋に充満する金木犀の香り。
そして、家の外に出て歩いていても強く香らない金木犀なのに、家にいると強く感じる金木犀の不思議。
金木犀の程良く香る高さはあるのでしょうか。
昨晩は風が強かったのでクンクンとより強く感じる香りだものだ。

昨日は秋なのにとても暑い一日であります。
クーラーのスイッチに手が伸びたもののグッとこらえて、サーキュレーターな扇風機を稼働させて涼むのであります。
因みに、去年扇風機を分解洗浄したのは令和5年11月19日のこと。
扇風機はまだまだ必要なのであります。
そして、本日はお日柄もよく扇風機要らずの秋らしい天気でもある。
ニュースによると昨日の暑さは観測史上最遅の真夏日であったようで記録更新はうれしいのの、この手の記録更新はあまりうれしくないものだ。
湿度も70%ぐらいあり不快で、これもあれも全て太陽が活発であることに影響しているのでわと思うのであります。
そして、そのような強い太陽光が無線電波と干渉して都市部をさらに高温化させているような気もするもので、晴れて太陽が活発ならば日差しは眩しくなるような予感である。
(100%の妄想www)
太平洋側の冬型天気は晴天になることが多いので、活発な太陽光が大地に降り注ぐとサングラスが必要不可欠かもしれない。
なので、新しいサングラスが欲しいのであります。
ニュースによると太陽は11年周期の活発になる極大期に入ったようです。
11年の周期も変な周期ではありますが、11年前の記憶を辿っても極大期や太陽の記憶は全くないものである。
だがしかし、あまりにも暑い夏の太陽に辟易してコンクリートの温度を計測していた時期もあるもので、暑さに敏感なお年頃はあるものだ。
何より極大期というネーミングはとても気持ち悪い。
月の満ち欠けのように人にも太陽の影響はあるのかと思い極小期を調べると、極小期とは地球が寒冷化する氷河期を意味するようで、極大期は反対語で温暖期という意味となるのかもしれない。
太陽の極大期に入ったニュースは1年は続く可能性があるそうで、気も早いのですが来年の夏も激暑いことは確定したような感じでもある。
このような極大期みたいな変なワードは必ず拾わなければならない呆則である。
今年の冬から春は短くて早めに夏がやって来て、その頃から黒点や低緯度オーロラのニュースも話題にもなり、実際に冬も短く春も短くて夏が長くて暑さも長かったのであります。
金木犀の香りも約2週間遅れと書いたように1/12の約1ヶ月分の春秋消失は十分に達成しているようにも思うものだ。
1/12の快適な季節の消失を別の言い方に変更すると約8%の過ごしやすい季節の消失とも言えます。
ビジネスだと売上の20%(1/5)の場所代金や消費税10%(1/10)は1/12よりも大きなもので、8%を金利だと考えると結構な高金利にもなるものだ。
いやはや、世の中の%を何分の1に変換しながら視る遊びは面白いかもしれない。

ということで、

先日傷ついた携帯のレンズをプラモデル用のコンパウンドで磨く為に、先ずはセスキを使いキレイに拭き取るのであります。
そうすると予想外にレンズはキレイになったものだ。
このレンズの傷は物理的な傷ではなくて単なる頑固汚れであったようである。
水で拭いてもキレイならなかった傷なので「セスキの激落ちくん」で拭き取るとレンズ面がキレイになる不思議はあるものだ。
早速、その効果の程を調べるとアルカリ電解水と炭酸ソーダの配合にあるようだ。
アルカリ電解水は水を電気分解したら弱アルカリ性の水溶液となり、その溶液は肌にも優しく酸性の油汚れを中和して落とすようで殺菌効果もあるようだ。
一方で炭酸ソーダは重曹(炭酸水素ナトリウム)のことでアルカリよりも油汚れを落とす効果が強く、且つ、研磨効果もあるようだ。
このアルカリ電解水と炭酸ソーダのW効果によりガラス面に付いた汚れも落ちたようである。
(セスキの回し者ではありません)

パッケージも気になるもので、このセスキのパッケージデザインを模写して分析します。
先ず、グリッドに揃わない配置は気になるものだ。
また、積み木形式に積んでいくデザインではなくて3行1行2行的な変則なレイアウトになっているのも気になる。
これは今まで見たどのパッケージとも異なるもので、私はコレを泡風呂に入るセスキくんが足と手を出し「イェーィ」と草原を散歩している画をデザインに転用したのではないかと分析するのである。
詳しくは画像を見て下さい。
信じるも信じないもあなた次第・・・の勝手な妄想です。www
今日も良い模写が描けました。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月20日(日)
■すこすピンボール。(自作の音楽付き

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月21日(月)
■一日一文章トレーニング。

「お前は作曲家か?www」

何かを食べたならばそこから出るゴミはすぐにポイッと捨てるのであります。
生きていたら必ず排出されるゴミであり、生きていることと、ゴミなどを排出することは表裏一体の生命活動である。
人にとり入出力とは生きる為に切っても切れない腐れ縁の呆則でもあります。
しかし、エナジードリンクの空き缶は別物で、その空き缶は何十年後かに並べて自慢する為に今から仕込む100%仕方がないゴミでもある。
エナジードリンクの空き缶は箱に大切に仕舞って保管しましょう。
一方でボンゴレビアンコの食べた跡のパッケージはよく洗い、干して、セロテープで補修して机に置かれているのですが、クンクンと匂えばしっかりと香るボンゴレの香りである。
この香りを一定数嗅げば金木犀の香りも忘れてしまうもので、早急に捨てる必要性を感じるものだ。
いくらパッケージが好きだからと言って、これを空き缶のように取り置くことは出来ないのであります。
そこで、私は良いことを考えた。
ボンゴレビアンコのパッケージを紙粘土で作ってパッケージデザインを模写して保存すれば良いのではという考えである。
デジタルネイティブな人であればボンゴレビアンコを3Dスキャンし3Dプリンターで出力して「ドヤッ」となるところではありますが、私にはそれは出来ない。
幸い余った紙粘土があるものでアナログにボンゴレビアンコの立体模写を作りたいと思い食べカスを捨てれないのである。
だがしかし、週末にリアル・ボンゴレビアンコのパッケージを立体模写しようと考えていたのですが体が重くて出来ないもので、「さぁーボンゴレビアンコを作ろう」という気分にならないのであります。
先日は大風に吹かれて地面に落ちたボンゴレビアンコを拾って地面に人知れず落ちていたならば本物のゴミのようにも思うものだ。
「あ〜困った、困った」と早急にボンゴレビアンの立体模写を作りゴミはゴミ箱に捨てたいのであります。
世界広しと言えども、食べた後のボンゴレビアンコのパッケージを机の上にオブジェのように飾っている家はどこにもないのであります。

ならば、土曜・日曜に何をしていたかと言うと音楽を作っていたのであります。
音楽と言っても機械に打ち込んで作るだけのリズム音楽でマイ画のバック音楽として流すだけの自作音楽であります。
ネットを見ていて突然音が流れてくることは邪魔なことではありますが、土曜日曜祝日ぐらいは絵にも音はあっても良いと思うぐらいの私も人としての成長は遂げているものである。
本来はボンゴレビアンコの立体模写を作らなければならない時間に音をピコピコ打ち込んで、いつまでもボンゴレビアンコを捨てることが出来なくて困った、困ったとなるのであります。
おまけに音楽がバシッと決まらなくて余計に困った、困ったのであります。
絵や文章だとそれなり出来たら満足するものの、音には何だかこだわりのようなものがあるのでしょうか?何度も作り直してし出来る音がこのチープなリズムである。www
「あ〜困った、困った、どうしたものか」と悩んでいると「何を悩んでいるのか?」と聞かれて「曲が作れない」と答えるのであります。
そうすると「お前は作曲家か?」と当たり前のような返答が返ってきて、私は「ハッ」と我に返るのであります。草
「曲が作れない」はカフェに必須のフレーズかもしれない・・・格好良い!。
「スランプなのか」とも聞かれ「スランプと言えばスランプのようではありますが合計7曲のリズム音楽は作っているのでスランプじゃないと言えばスランプじゃないかもしれない、けれども、心の琴線に響く音が生まれなくて困った、困ったの状態でもあるものだ」と答えるものだ。
絵と音楽のイメージをあわせることはなかなかに高度なことでもあり、おまけに本当はこのような音楽を作っている場合ではなくてボンゴレビアンコのパッケージを最優先に模写製作しないとボンゴレビアンコの食べた跡は捨てることが出来ないのであります。
「あ〜困った、困ったのである」
「はやくボンゴレビアンコの立体模写を作りたいよ〜」 by妖怪人間ベム デス。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年10月21日(月)
■すずむし。
■2024年10月22日(火)
■一日一文章トレーニング。

「何分の1が分割思考であるとすると、%で物事をみる目線は取得な目線のような気もするものだ」

最近、暑さ寒さは拮抗しています。
長袖を着ると暑く、半袖でいると寒かったりして忙しい気候でもある。
一昨日の1/12の季節の喪失は別の言葉で言い換えると約8%の季節の喪失でもある。
この分母分子と%の言葉の違いは目線の違いのようにも見えて面白く思うものだ。
早速、下記のように「何分の1」を「%」に変換してみよう。

1/1=100%
1/2=50%
1/3≠33%
1/4=25%
1/5=20%
1/6≠17%
1/7≠14%
1/8=13%
1/9≠11%
1/10=10%
1/11≠9%
1/12≠8% 1/13≠8%
1/14≠7% 1/15≠7%
1/16≠6% 1/17≠6% 1/18≠6%
1/19≠5% 1/20=5% 1/21≠5% 1/22≠5%
1/23≠4% 1/24≠4% 1/25=4% 1/26≠4%
1/27≠4% 1/28≠4%
1/29≠3% 1/30≠3% 1/31≠3% 1/32≠3%
1/33≠3% 1/34≠3% 1/35≠3% 1/36≠3%
1/37≠3% 1/38≠3% 1/39≠3% 1/40≠3%
1/41≠2% 1/42≠2% 1/43≠2% 1/44≠2%
1/45≠2% 1/46≠2% 1/47≠2% 1/48≠2%
1/49≠2% 1/50=2% 1/51≠2% 1/52≠2%
1/53≠2% 1/54≠2% 1/55≠2% 1/56≠2%
1/57≠2% 1/58≠2% 1/59≠2% 1/60≠2%
1/61≠2% 1/62≠2% 1/63≠2% 1/64≠2%
1/65≠2% 1/66≠2% 
1/67≠1%
※これは単に何分の1を%に変換しただけの数字です。

数字を書き出してみて、さて、何に見えるかと考えるとロングテールな尻尾のようにも見えますし、ティッピング・ポイントのグラフのようにも見えるものだ。
ティッピング・ポイントとはマルコム・グラッドウェルが2000年に些細で重要ではない変化の積み重なりは、時に不相応な大きな変化をもたすと指摘したものである。
産業、社会、国家は伝染的な事柄により日々変化するもので、アイデア、商品、生活様式の実例から洞察したものだ。
今まで安定的に売れていたものがバンドワゴン効果で急激に売れていくようなことや、何かのキッカケで急激に治安が改善したり、一部地域に限られた病気が広く蔓延する原因など、そのような大きな変化は小さな事柄の積み重ねとして拡散されていくとの教えである。
そのような変化をグラフにして可視化した時にTIP(傾く)のひっくり返るポイントをティッピング・ポイントである。
上記のような数字で1%を作ろうと思うと67等分しないと全体の中の1%は作れないもので、暇人は等分と%表記を地道に書き出したのである。
そして、そのような数字の羅列を書き出すと1/67・等分(1%)からの大多数は取るに足りない安定的な推移するものの1/12(8%)あたりから急激な変化の様相を見せるのである。
これが正しくティッピング・ポイントなグラフだと思うのであります。
仮に2ヶ月分の気候変化の消失は17%の消失となる。
このようなカーブを見る時に連想するのは二酸化炭素の気候変動のことであり、気候シミュレーションによると二酸化炭素が2倍に増えれば地球の気温は10℃上がるという怖い試算もあるものだ。
海から蒸発する水蒸気の温室ガスが大変な蒸し暑さを作ることは日本人なら誰でも知っていますが、この水蒸気が二酸化炭素の働きを強める算段であるようだ。
南極の氷の底から取り出した封印された空気を分析すると地球上の二酸化炭素レベルがかつて無い程に高いと言うのが二酸化炭素地球温暖化説の由来でもある。
逆に二酸化炭素がゆっくりと増えれば植物がよく光合成して育つという考えもあるのですが、植物たちを長く観察していていると奴らも結構高温にぐったりとしているものである。
おそらく、マスクマンなどの宇宙への感心とは、その内にこの地球上は生命活動するのに厳しいと考える人もいることの証でもある。
変化の胎動を見つけたとしても私は無力ですが、時に変化とはこのような急激にグラフのようなカタチになることも頭に入れておきましょう。

ところで、

「1/12≠8%」の数字を見て思ったのは2通りの視線があると言うことであります。
これはあくまでも独断と偏見ですが、「分割思考」と「%思考」で明らかに思考形態が異なるように思うのである。
英語だと「ハーフ」だ「クオーター」や、1インチ=2、54センチのインチ表示なども分割思考のように思うものであります。
ケーキがあれば6等分して皆で分けようというような感覚が「何分の何々」で考える分割思考である。
一方で1/6を17%の%表記で考える思考は積極的に取得するような数字の概念である。
なので、「何分の1」で考える時と「%」で物事を見る目線は脳内で微妙に異なるように思うものだ。

 

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■2024年10月22日(火)
■これはリンゴは良いリンゴだ。