*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年9月1日(日) |
■一日一文章トレーニング。 「朝起きて 毛布けられて 足の底 ふるえる布に 伸びしておきん」 今朝は寒さを感じながらのget up である。 高貴な寝相のせいもあり温かな毛布は足元に下に蹴られているものである。 毛布をかぶっていないことは温かな布団の効果が半減したことであるので「サブっ」と起き上がる朝なものだ。 毛布は敷布団の下に敷く毛布と、体の上にかぶる毛布の2重のW効果で温めているもので、例え、上の毛布が明後日方向に蹴られたとしても下の敷毛布は健在なので1/2はまだホカホカと温かいのであります。 そして、我は目をパチリと開けて天と水平に向かい大きく伸びをするのであります。 ここ最近の朝よりも早く起きれた朝である。 これは来年の目標である「背伸び」である。 今年目標の「他力本願」は不評でもあったし、他力にまかせても結構どうにもならないことも多いので来年の目標は「背伸び」なのである。 「他力本願」から「背伸び」とは僅かな成長も感じられるもので、境界線のギリギリを攻めて攻略する感じに酸素で錆びついた体を背伸びしながらギシギシと伸ばすのであります。 あ〜何だか快適なストレッチです。 あと数センチ背伸びすれば届きそうな事柄や、あと数センチ背伸びすれば見えそうな壁の向こうみたいな感じの現状からの数センチ先向こうの何かである。 物理的な背の高さを補完する背伸びして得られるものは届くか、届かないかのほんの数センチ先の境界線の向こう側で、そこに手が届けば境界線の範囲を数センチ広がって成長するかもしれないとの算段である。 老廃物が布団の上に落ちていくような感じをするものであり、子供の頃はいつも「う〜んう〜ん」と伸びをしていたのに、なぜ大人になると背伸びをしなくなるのでしょうか。 わんわんでも前足を伸ばして背伸びして「わうう〜」と大きな欠伸をしながら尻尾を振って朝の挨拶をしているものである。 よって、わいにも背伸びはできるのである。 ということで、 人をダメにする温かな布団について三者三様の考えについての妄想バトルを開始した。 哲学者は言うであろう。 人をダメにするような布団は人たる考える葦(つた)を台無しにしているものである。 人生は歩いて動き活動して考えてこそ見識を深めるもので、人は寝ていたならば人は人たる役割を果たせないのであります。 人は頭で考えあれこれと動かしてこそ立派な器となるもので、口を開けてスヤスヤと眠る人は人生の多くの可能性を消失しているのである ぬくぬくと温かい布団に包まれて寝ている人生とは言語道断なのである。by哲学 睡眠科学者は語りだします。 いやいや、人は眠ることによってのみ脳の前頭葉も発達することが出来るものである。 データを掲出して説明。 よく眠る人ほど脳内のゴミを排除して情報を整理して生産性も著しく上がるもので、人はたっぷりと寝ることによってより立派な人の考えも生まれるものだ。 人生の1/3は寝ているもので、人にとって睡眠とは活動することと同等の最も大切なことである。 人はたっぷりの睡眠を取ることにより本来のパフォーマンスを発揮できるもので、睡眠不足は経済活動の損失であり、失われた30年も失われた睡眠不足の30年なのである。 ぬくぬくと温かい布団とは人を駄目にする布団ではなく人生を豊かに社会や経済を発達させる布団なのである。by睡眠科学 温かい布団に包まれて寝坊するようなクズは責任感も社会のルールも守れないクズだと語るのが真っ当な社会人である。 パフォーマンス云々を語るには100年も早いもので、イライラするのでオレの眼中に入らないで欲しいものである。 すると、温かい布団で眠る者が乱入しオレのターンだと言うものだ。 異なる正義とは組織の調和を乱すもので、ぬくぬくと温かい睡眠の後のパフォーマンスとやらで遅刻者が正当化されたならば、真面目に遅刻せずに働くものが報われないものであり、全員遅刻する会社なのか、全員遅刻しない会社や学校でないと歯車で動く組織は正当に機能しないのであります。 温かい布団で眠る者は「明日から全員遅刻する社会になるのだー」と叫びながらが退出させられます。 早起きは3文の得であり、温かな布団は早めに寝てから朝早く起きて活動して下さい。by真っ当な社会人 と 話しの中心がいない議論とは現実世界を見るようであり、3者三様の三つ巴の戦いは面白くなる予感です。 ぬくぬく布団でたっぷり睡眠は2対1で負けているように見えますが、睡眠学者とて真っ当な社会人のメンバーでもあるので実質の3対0で負けるような予感です。 温かい布団で眠る者はつまみ出されて言論は封じられてはいますが、懐柔するとあらば変化球を投げてくる哲学者かもしれないものだ。 最後の砦の哲学者は人を駄目にする布団に光明な視点をもたらしてくれるかもしれない哲学である。by他力本願 そして、 私は今朝、温かな毛布を蹴り飛ばして温度調整しながら早く寒く目覚めた朝である。 布団の中でしっかりと背伸びしてストレッチ出来たものだ。 いやはや、恐るべき魔物な温かで快適な布団と気候の季節のマッチングはスヤスヤと2度寝3度寝の爆睡は可能なもので、伸び伸びとしっかり背伸びしてから快適さに戦って目覚めるのであります。by背伸び 対談は成功!でめでたしめでたし。 |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年9月1日(日) |
■かわいく描いたら左画になってしまったので右画を描いた。 |
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■2024年11月2日(土) |
■雨ですね〜(自作の音楽付き) |
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■2024年11月3日(日) |
■楽しそうな部屋。(自作の音楽付き) |
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■2024年11月4日(月) |
■うま〜うま〜。(自作の音楽付き) |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月5日(火) |
■一日一文章トレーニング。 「連休にしたことはトースターのお掃除と餃子の行座(こうざ・ぎょうざ)」 まだ、パスタソースの粘土パッケージの立体模写は作っていません。 粘土に触れて手が汚れるのが嫌であり、いまだに机の上に食べた後の空のパスタソースが置かれているものだ。 机の上のゴミはさっさと早く捨てたいものである。 だからと言ってパッケージを仕舞えば永遠に忘却しそうでもあり、仕舞うことも出来ずにいつも目に触れるデスクの上に飾られるのであります。 こういう作業は腰を据えてやらないといけないもので、作ったとしても新たなゴミを作り出してしまいそうな予感でもある。 %と何分の1の早見表も作っていない。 膨大に計算するのが面倒でそびえる山の大きさにおびえているのだ。 世の中にこんなに神聖に慎ましやかな無駄な数字はあるものでしょうか。 でも、やっぱり気になり全部書き出してみたい。 マンガカツクールの続きも作っていない。 頭の中では学園ものでバディーと共に学校内に購買ショップを作り商いをする物語である―――当然、ゲームは一度も起動させてないので一向に進まないし、キャラメイクもしていないので見切り発車とは正にこのこと。 これらは連休中に終わらそうと思ったものですがやっていないものたちである。 ないない尽くしなしのつぶてであるものの、これらは誰かに頼んで出来るものではなく自分自身の格闘によってのみより作られる制作物でもあります。 やるやる詐欺の何もせずに連休は静かに過ぎ去っていったものであり、この初動の重さ、フットワークの重さはバンタムクラスでもある。 そもそも、バンダムって言いたいだけのバンタム級であり何も知らないのでネットで調べると、バンタム級:53.25キロの最軽量クラスで小型のチャボ(にわとり級)の意味だようだ。草 そして、こんな連休中にもオレがやったものもあるものだ。 先ず、アラジンのトースターをピカピカに磨いた。 ドライバーなども使いネジを外してまでピカピカに磨いた。 洗剤もアルコールからセスキ、ガラスクリーナー、メラミンスポンジ、ボンスターまで多種多様に使ってキチンと油汚れを磨いた。 よって、パン窓のガラスもピカピカなのである。 最近、パンにバターやマーガリンなどを塗ることも無く、オリーブオイルを塗って食べているもので、オリーブオイルはそのまま舐めても体に良いので健康に気を使っているのであります。 パンにドロっとしたオリーブをかけたならば、そのオリーブのかかったパンをまだオリーブのかかっていないパンに擦りつけて塗るという、パンがバターナイフのような役割となる無駄のない、洗い物が増えない神秘でユ〜ア〜ル賃貸なのだ。 これは最近我が家で発明された3大発明の一つですが、雅を高める為にも家庭内以外では絶対にやってはいけないことのように思うものだ。 大勢の人が集まるパーティーでスプーンやバターナイフを使わずに食べるパンをバターナイフがわりに使用していると周辺にいる人たちは間違いなくドン引きされるものである。 天然な優しい人は一緒にバターナイフがわりに塗ってくれますが・・・ファブルの学びとは知恵を使って代用することで、人様に知られないように使うのが味噌でア〜ル。ヒ・ミ・ツ パンにオリーブを振りかけるとパンがサクッと焼けるもので結構美味しい。 そして、オリーブの液体を使うことでトースターの中に落下して汚れてしまうのである。 そのようなトースターをピカピカに磨いてやったのである。 そして、もう一つ餃子もたくさん作った。 スーパーでキャベツや豚ひき肉、餃子の皮を購入したくさんの餃子を作った。 先ずはキャベツを細かく粉砕し塩を入れて約10分寝かして絞って水を切る。 ニラと椎茸も細かくカットし豚ひき肉に白ワイン、醤油、片栗粉、ごま油、にんにくと生姜のチューブ…を入れてよくかき混ぜる。 そして、全ての具材をMIXして皮に詰めるのである。 粘土をこねるのも嫌ですが、挽き肉をこねるのもなかなかな嫌な関門。 前日からてあじ(手味NOT手作り)の餃子を作ると気持ち悪がられながら吹聴し決意と覚悟を広めたからこそ、やっと作れた餃子のてあじなのである。 しかし、下手な餃子の巻きでも上手な餃子の巻きでも焼いてしまえばどれも同じで美味しい餃子になることが良いことだ。 これは一種の家庭内キャンプでもあり餃子だけでお腹一杯になるのである。 とりあえず、キャベツや塩の残骸が飛び散り洗い物がイッパイ出ることが大変だ。 しかし、大量生産で冷凍保存を駆使すれば、いつまでも餃子ライフを楽しめそうな予感でもある。 市販の冷凍餃子も勿論美味しいのですが、自家製の餃子は具がみっちりで味も分量も全て段違いで美味しいのである。 |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月5日(火) |
■餃子の焼き方 2分ぐらいよく焼き 熱湯入れてフタして蒸し焼き5分 水分が飛んだら油を入れて焦げ目付くまで焼く |
■2024年11月6日(水) |
■一日一文章トレーニング。 「CDEF≠AB」 昨晩は寒くてぶるぶると震えながら深夜に目覚めるものであります。 目を開けると外はまだ真っ暗で新聞配達のブブブブーン・ガチャン・ガチャガチャというバイク音にピクピクと聞き耳を立てる時間帯でもある。 そして、寒さに耐える為に煎餅布団を春巻き型の棒状にトランスフォームして再び寝るのである。 煎餅布団とは本当に秀逸なネーミングで、ペラペラな布団は餃子の具のように丸まっては駄目で春巻き型が変形させるのが正解である。 人生経験も重ねると煎餅布団はくるくると棒状に体に巻くことで暖を取るもので、ミルフィーユ状態の層を作ることによって温かく保温するミイラ布団の科学だ。 今朝の室温湿度は20.7℃・56%、ここ最近の朝の室温とさほど変化はなし。 寒さかった理由は窓が20センチぐらい開いていたからのようだ。 登山家は冬でも窓を全開にして寒さに耐性を得るようですが、私は登山家でもないし窓はしっかりと閉めて寝る必要があるものだ。 先日まで暑い暑いと言っていたことが幻想のように季節の進んだようで、完璧なミイラ状態となった人間はその状態を潰さない為にムクリと起き上がり窓を閉めにも行かないのである。 そして、天気の良かった週末に羽毛ふとんの天日干しておけば良かったと後悔しながら寝むるのである。 ならば、そのような寒さに震える中で見る夢とは何なのでしょうか。 答えは寒さの中で見る夢はないのである。 そう言えば、極寒の中で見る夢とは遭難者が凍えて「寝るなー」と顔をビシバシと叩いて起こされるシチュエーションでもあります。 寒さの中で夢を見なくて良かった。 よって、羽毛ふとんを出す時期は夢を見ず、ただ寒さに震えながらその時期の境界線を知るもので、羽毛ふとんの出しは11月中旬を予測していたものの、気候の変化は反比例したカタチで進行するようで今晩から煎餅布団は卒業なのである。 ということで、 先日の哲学者と睡眠学者と真っ当な社会人の三つ巴に温かい布団で眠る者がいない不思議について図にしてみた。 このような議論の輪に当事者が不在であることは大変面白いことだ。 先ず、第一フェーズではAとBで摩擦が起こる。 これは個別のプライベートなフェーズでもあり、事件事故のようなマイナスな事柄から、AはBから良い摩擦な刺激を受けて何かを得ることも含む幅広いものだ。 このようなAとBの関係性はCという傍観者・観察者(関心を持つ者)によって記録されることで初めて情報として存在するものである。 CはAやBが書いても良いし、全くの別人が記録しても良い。 ですが、如何に正確に記したとしても文字に変換されたABの情報はC≠ABとなる可能性は高い。 第二フェーズは複数フェーズとなるものだ。 これが今回の面白い部分でありDEFの複数で議論されるもの。 図は3人で構成されていますが10人でも100人でも良く複数で議論されることが特徴です。 ここに当事者のABは存在していないもので、複数のDEFが議論することで情報は拡散されることになる。 この図式はCの傍観者の情報からDEFで議論されるもので図式的にはCDEF≠ABとなる。 DEFが議論するものはC目線のABについてであり、この時点でABの本質から離れた可能性は高いものだ。 大抵の議論とはこのようなカタチが多いのかも。 第三フェーズは再び個別フェーズに戻るものだ。 炎上とかもこのようなカタチになることも多いものでDEFの議論を見たり、読んだりした傍観者の個人的なGとHが強い気持ちで議論を戦わせるものだ。 これはIという傍観者によって観察されることで新たに情報拡散されるものだ。 第三フェーズの伝播する情報とはABから大きくかけ離れている可能性が高いもので、図式はGDEF≠AB、HDEF≠AB、IGH≠ABと分岐する。 ABという情報はDEFに置き換わっているのが特徴だ。 そして、第四フェーズでは情報は複数に枝分かれしていますが個別の論争から再び複数フェーズで議論されることになる。 このフェーズまで来ると情報はさらに拡散されることになり、IJKL≠ABとなる。 このような情報拡散な仕組みはニュースを見ても新しい概念や技術や発想などを含めても、大抵このようなカタチになっているような気がするものだ。 物事は傍観者や観察者がいて初めて情報として存在し、その情報は個別と複数フェーズを行き来しながら本来のABから変容しながら伝播するような感じでもある。 情報の精度とはこんな感じかもしれないものである。 |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月6日(水) |
■リズム。 |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月7日(木) |
■一日一文章トレーニング。 「昨晩、羽毛ふとんを押入れから出した」 オレはやった、やったのである。by ダクソ 先ずはモフモフの布団カバーから夏用のタオルケットを取り出して洗濯機の上に置き、羽毛ふとんはモフモフの布団カバーの中に入れて四隅を紐で結んで固定します。 紐で固定すると、どのような寝相の悪さでも布団が偏らないので面倒でもしっかりと結ぶ。 天日干しは天気の良い日に干す。 冬用の布団の出すと部屋に舞うホコリ量も夏の数倍となるもので、とりあえず窓を全開にしながら空気を入れ替えながら布団の衣替えを実行する。 そして、そのような冬布団の準備をしていると毎年恒例の布団談義となるものだ。 なぜ?この布団はこのような悪趣味なダサ模様なのかという定番のお話しでもある。 これはどこか明朝VSゴシックの戦いに似ていますが、毎年繰り返し飽きずに語られる布団模様の悪態でもある。 そして、どう転んでも年齢を重ねたとしても一向に新しい価値を見出すことの出来ない図柄でもある。 高級布団なんちゃら中国製って書かれたあの図柄は「何だろうかね」・・・??? どうせ布団カバーの中に入れて隠れてしまうので結局「何でもいいや」という結論に達しモフモフの布団カバーの中に封印するのである。 ならば、どのような柄が良いかと考えれば、自分だったら柔らかい青、ピンク、グリーンなどの無地カラーや、模様を入れるとするならば極太チェック模様でデザインするかもしれないものだ。 これは毎年の「何や?この模様は?」という布団談義をする為のコミュニケーションのヒミツ道具かもしれない。 ということで、 冬布団の衣替えを終えて寝るのであります。 快眠、適度な重み、暑い、しっかりと夢を見た。 温かでふんわりと羽毛ふとんに包まれて眠ると、ほんの少し前まで暑い暑いと煎餅布団で寝ていたことが嘘のようである。 急に寒くもなり煎餅から春巻きとなって、ふかふかの布団となる。 春巻きの語源はきっとこのような層を成した布団に包まれる人の姿から由来していると思い調べると、そのような記述は無いものだ。 おそらく、春巻きの開発秘話にC:傍観者がいなかったのである。w そして、昨夜からはふかふかの羽毛ふとんに包まれて沈むように眠る。 布団が寒いと夢など見る暇は無いものではありますが、温かく寝ていると夢を見る呆則はあるのかもしれない。 良い夢を見る為には快適な就寝環境の構築する必要性はあるもので、私が布団の販売員ならば人生行路1/3の「1/3MAKEドリーム・プリーズBUYマイ寝具」の標語で快適布団セット売るのであります。 高級布団中国製のタグの横にこの標語もしっかりと縫い付けておきましょう。 昨晩見た夢は私がピッチャーとしてマウンドに立ちボールを投げる夢であります。 茶色マウンドに立ち白いパフパフをパフパフさせてから、ふりかぶって投げると、そのボールをイヌになった我がガウガウガウと噛んで振り回す夢なのであります。 ピッチャーとしてボールを投げたことは当然なし。 ボールを噛んで振り回したことも当然なし。 愛犬は毎日ボールをブンブンと振り回す良き遊び仲間ではありましたが、何度もピッチングマウンドに立ちただボールを投げるだけの意味不明な夢である。 それ以外の新展開も続編も何もない。 そんな暑すぎる布団から這い出る朝のことで、完全に得意技の一人遊びのような夢は決して夢分析をしてはいけないのであります。 フリはなしである、良し! ニコラス・ケイジの皆の夢に出てくる映画「ドリーム・シナリオ」は面白そうだな、良し! ニコラス・ケイジの映画は大抵、全部面白い、良し! 家族も爆睡、良し! オレも、良し! 布団の衣替えをした人たちも快眠の三方よし、良し! 「1/3のMAKEドリーム・プリーズBUYマイ寝具」、良し! うんうんと背伸びもして背も数ミリ伸びた、良し! 毛布は暑すぎて隅っこに蹴られている、良し! 書くことが何もないのに何だか文章も書けて、良し! 今日は青空だ、良し! |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月7日(木) |
■サプライズ。 |
↑jpeg ↑WebPは一応貼れている。69%圧縮 ↑AVIF 90%圧縮 |
■2024年11月8日(金) |
■一日一文章トレーニング。 「悩み2024年11月 WebP画像を使用したいのですが、どのようにしたら良いの良くかわからない」 米国のサイトを見ていたらWebPという形式の画像を使用していたので「これは何だ?」と早速調べます。 WebPはGoogle社が開発した画像圧縮フォーマットで画像の容量を大幅に減らせるようであります。 さっそく、スクーシュ(https://squoosh.app/)という画像変換アプリで作れるようなので試します。(下記参照) squooshもGoogleが開発したアプリで日本語非対応ですがGIF・JPEG・PNG・動画・透明画像な画像サイズを変換できます。 スクーシュは私にとってはとても良いアプリです。 トリミングが出来れば文句無しなのですが、画像処理のプロセスもサーバー送信せずにローカルで処理するシステムのようでもある。 スコスで使用している画像サイズは3サイズでWebPに変換すると大幅にメモリー使用量を減少することが出来ます。 (JPEG)→(WebP)変換 大:2000×1324pixel 72dpi 946KB(JREG) → 296KB(WebP) 69%の圧縮 中:980×649pixel 72dpi 281KB → 63.7KB 77%の圧縮 小:300×199pixel 72dpi 47.6KB → 7.64KB 84%の圧縮 しかし、問題もあります。 この圧縮された画像をどのようにページに貼り付ければ良いのかわからないのであります。 貼れた! 我がサイトはあの伝説のホームページ・ビルダーで作られているので当然WebPに未対応で、WebP未対応のブラウザ対応なども必要な感じであって複数の画像を用意したりなかなか大変そうな感じでもある。 スコスHPにSEO対策は皆無ではありますが、この積み木のようなデータの山をすこす軽くしたい気持ちはあるものだ。 好き・嫌い・改良したい・改良したくない・GIFは画像は軽いけど画像は荒く、JPEGやPNGは重いけどキレイで扱いやすく、WebPってネーミングが格好良いのですが扱いきれなくて、久しぶりにトップページを改良する?しない?のどうするGOする?のGOしない?のであります。 困ったな〜。 |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月8日(金) |
■WebPモード検討中。 |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月9日(土) |
■キキキキキキキキ〜キ 今日も良いキーボードが出来ました!(自作の音楽付き) |
↑画質変化を比較する為にJPEG保存しています。 *デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月10日(日) |
■一日一文章トレーニング。 「WebPとAVIF画像を比較した」 ユーザー数の多いことは重要です。 数の多さは信任の多さであり正しさのようにも感じるものだ。 それは便利さや、使い勝手が良さ、壊れなかったり、ブランドの信頼が高かったり、会社の理念に賛同したりと様々な理由があるものだ。 あの人が使っていればあの人の信用と一緒に商品を購入するもので、より複雑なモノが増えた現代では自分一人で精査して購入することはなかなか難しいことである。 私もあなたも誰かの何かの信頼の上に購買判断を行うもので、結局、道具や物は使ってみないと分からいという結論に達するのである。 AとBを購入することの正解はAとBの両方買って愛用している方が正解であり、そのような金銭的な余裕もなければCDE・・・と数多くの選択肢があるかもしれないものである。 モノを購入すると言うことは想像力や考え方次第でどうもこうも出来ない事柄であり、これはとっても身体的で現実的なことである。 皆が使っているからと言って全ての人がそのお盆の上のプラットフォームに乗っかれば、それは独占という刃により消費者・国民は搾取される可能性もある。 なので、マイナーな使い手が存在することは競争原理が働く最後の砦でもあるものだ。 逆に言えば、そのようなメインフレーム外の人の意見や存在を排除することは自らの墓穴を掘って独占状態に加担するようなものであり、独占リスクの回避の為にもマイナーな使い手は大切にすることが必要なのであります。 HPなどに貼り付ける画像のフォーマットにそのような独占的な罠が存在するのかわかりませんが、新しい素材を試して新しい手段を得ることは視野の広がりを感じるものだ。 国内サイトしか見ていないとWebPフォーマットなど拾わぬ神の祟りなしではありますが、米国サイトを探索していれば今や完全にWebPに移行しているサイトもあるものだ。 そもそもWebPを使う意味とは画像の容量を軽くすることであります。 昔はHPの容量を減らす為に画質の粗いGIFを使って画像圧縮をしていたものだ。 しかし、データセンターが巨大化しデータ容量も気にもならなくもなれば、知らぬ間に井の中の蛙になっている可能性もあるものだ。 仮に井戸が沸騰すればそのまま美味しい焼きガエルの完成でもある。 何せ毎日文章や画像をアップしていればデータ容量は大きく積み上がるもので、保存形式を変更してメモリ容量を小さくする意味は誰の為にもあるものだ。 調べるとWebPよりもより高圧縮なAVIFもある。 AVIFはJPEGから驚異的な90%圧縮を可能にするもので、上記写真を比較してもWebPとAVIFで画質の差は感じられない。 勿論、JPEG画像から見るとWebPもAVIFも色の階調やグラデーションタッチの表現は劣化しているもので、繊細な写真にはJPEG保存は必要である。 ※今回は比較画像なのでJPEGで保存しています。 しかし、単なる情報としての写真だとWebPでも十分に良いもので、画質が落ちることで色ムラや傷などが自動的に消えるメリットもある。 ただ、気になるのはより高圧縮なAVIFよりもWebPを使用されていることであります。 その理由はAVIFのエンコード(画像変換)に時間がかかるからのようで、JPEGからWebPは一瞬で終了ですが、JPEGからAVIFへの変換は確かにその何倍のもっさりとした時間が過ぎていくものだ。 WebPのエンコードは複雑な処理だとJPEG変換よりも高速で、JPEGが得意で速いのはシンプルな画像の変換のようだ。 サイトを作る人にとれば、そのようなレンダリング待ち時間みたいな待ち時間は結構イライラとするものであります。 一分一秒と時間を競うような場にはWebPの方が実用的であり、物凄く画像メモリーを落としたい時にはAVIFを使用するのが良いのかもしれません。 因みに、WebPはアドビでは対応していませんが、クリスタでは使用可能になっております。 また、デスクトップ画像はWebPは不可なのでJPEGで保存する必要があります。 今回はWebPとAVIFの記事ですが全部JPEG画像です。 徐々に移行していきましょう。 JPEG(946KB)→ WebP(296KB)69%圧縮!!エンコード高速 JPEG(946KB)→ AVIF(27.8KB)90%圧縮!!エンコードに時間がかかる |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月10日(日) |
■キー(KEY)リズム・メトロノーム。(自作の音楽付き) |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月11日(月) |
■一日一文章トレーニング。 「ミシミシと体を動かして只今メンテナンス中」 読書の秋、芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋、季節感の薄い秋なのですが、最近は朝背伸びをしながら「うんうん」と唸って起きるものであります。 温かい布団の中で体の隅々をミシミシといわしていると、体が引っ張られるストレッチのようで心地よいものです。 そのような感じで一昨日も朝起きて布団の中で背伸びをしていたもので、大きく布団の中で背伸びをすると元から少し痛かった肩を痛めてしまったのである。 この痛みは脱臼なのか炎症なのかと思う程の結構痛い痛みである。 「あー肩が痛い痛い」と朝の布団の中で行う背伸びで痛める肩とはとても間抜けでぼんくらな感じがするものだ。 寝間着から服に着替えるのも、物を持つだけでもピキンピキンと肩が痛むもので、これが利き腕でなくて良かったものだと思うものである。 仕方がないので以前、重い物を持った時にピキーンと腰をやってしまった経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤「ロキソプロフェンNaテープ(C15H18O3)」を貼ることにする。 この湿布は消費期限が2022年9月で終わっていますが、それしかないのでそれを貼る。 何だか我が家は消費期限切れの物が多いような気もするもので、このような消費期限切れを見ると防災グッズの消費期限も気になるものだ。 腰を痛めた時は一生どうなるやらかと思うよちよち歩きであります。 しかし、そのうちにそのような痛みも忘れる記憶力で、よく出来た体の神秘でもあり、その時にはコルセットで患部の固定とロキソプロフェンの湿布は定番の痛み取りました。 とりあえず、痛みを強く感じる後ろ側に湿布を貼って、腕は極力動かさないように安静にします。 そうすると、徐々に痛みは感じなくなるもので、定期的に腕を「イタタ」と動かしながら痛みを再確認するのであります。 よしよし湿布が効いてきたと思ったら、今度は前方の肩に痛みが移ってくるもので、筋肉の痛みは時折、移動する痛みのようにも思うものである。 なので、前方にも湿布をもう一枚貼って湿布臭をプンプンと漂わせながら生活するのであります。 そして、安静にしていると痛みも消えていくものである。 昨日の朝、再び朝起きて背伸びをして痛めている腕以外の体の隅々をミシミシといわせて体の節々を伸ばすものであります。 腕の痛みは多少感じるものの動かさなければ全く問題がない痛みであります。 痛みのバロメーターがあるとすれば、1/4ぐらいまで痛みが消えた感じでもある。 起きてしばらくしていると再び肩に痛みをツンツンと感じるもので、もう一回湿布を貼るかと思うものである。 とりあえず暖をとる為に昨日の湿布臭のするトレーナーを「臭せーな」と思いながら着て動いていると、そのような湿布臭に包まれて活動していたからなのか不思議と痛みが消えるのであります。 湿布を貼っていないのに痛みが消えるのは、無駄に薬も接種することなく、非常時のロキソニンテープを節約出来てラッキーなことでもある。 湿布の残り香でも効果がある可能性があります??? 経皮吸収型鎮痛の仕組みを調べると、貼った薬剤の湿布は皮膚の角質層をすり抜けて真皮層に辿り着き、その成分は血液の流れに乗って痛みのある炎症部分に運ばれ効果を発揮するようである。 そのような仕組みを読むと、後ろ肩に貼った後に痛みが前方に動いたように感じたのは血液の循環と関係がありそうな感じでもある。 後ろに貼った湿布は川上から川下に流されることで前方の肩の患部に辿り着いていなかった可能性もあるものだ。 人間の血液の流れは知りませんが、この教訓から学ぶとすれば湿布は血液の動きを鑑みて後ろが痛いと思っても血の巡りを想像して前方部分から貼るのが良いのかもしれません。 とりあえず、あの臭い香りは消費期限切れでもよく効いていたのであります。 そして、服に着いた残り香でも十分に効果があるような予感でもある。 今朝、起きて朝の背伸びをすると体がミシミシと唸って気持ち良いものだ。 痛めた腕は全く動かさないのですがこの2日間の安静が良かったのか?全く痛みを感じなく完治したようである。 また再び動かして痛みを再発しては困るので今日も安静にしますが、来年は背伸びの年でもあるので、せっせせっせと朝起きの背伸びするのであります。 体が背伸びで伸びれば今日もミシミシと気持ち良い朝。 このような体のストレッチだけでも体にダメージを感じる運動不足を感じるもので、運動の必要性を強く感じる秋であります。 |
*デスクトップ画面用の画像です。 |
■2024年11月11日(月) |
■ロキソプロフェン。 |
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■2024年11月12日(火) |
■一日一文章トレーニング。 「雨降って 波立つ行路 汗ぽたり 季節外れの 秋に飽きあき」 スポーツの秋にウォーキングとはピッタリである。 単に歩くことだけのことですが、ウォーキングという響きになるとアクティビティになるものだ。 毎度歩く時には時間を測り歩数も測ろうかと思うのですが、突然歩き出し、突然歩みをやめて、そのような計測の記録もないものだ。 我はただテクテクと道を歩いて「あれ?何だか暑いぞ」と太陽の熱を強く感じる秋の深まりでもある。 そう言えば、天気予報では暑くなる予報であったような。 薄着をしていれば良かったもので、太陽が眩しくて目がチカチカとしながら日陰を選んで道を歩くのであります。 汗も出てくるもので上着も脱ぐ。 これは完全に初夏のウォーキング行動と同じである。 私は真顔で日頃の運動不足を補うように細い道をテクテクノと歩いていると、後ろから自転車がやって来たような圧を感じたので、道をそっと開けるのであります。 「あッSMの女王様だ」 自転車だと思ったのは全身黒塗りのミニスカートにガーターベルトをつけた女王様で「ゴメンね」みたいな一言をかけて私の横を通り過ぎていくのであります。 私は東京のこういうところが好きである。 道を歩いていて女王様に追い抜かれることなんて実家方面では先ず起こり得ないことである。 私の歩くスピードがパジェロだとすると、女王様は黒いフェラーリだ。 歩くスピードが3倍ぐらい高速で「ヒューン」と疾風のように通り過ぎていくスポーツカーだ。 あっという間に50メートル程の差がつき、すぐに女王様は米粒ほどの大きさになるものだ。 いやはや、私の歩くスピードが遅いのか?女王が速いのか?まるで真秋の昼間の夢のようでもある。 もしくは、競歩選手も真っ青なスピードでもあるので幽霊だったらどうしょうと思いながら先を急ぐのである。 私が道を歩いている時は無我無心であり、お寺のお説教な掲示板を眺めながら仏教心を深めて歩いているものだ。 最近の経済状況で言うと閉店が増えてシャッター降りた店舗も増えた。 猛暑な気候も1/3以上と増えれば路面店などもますます難しくなるものである。 歩くスピードと経済状況なリポートは昔何か読んだような記憶もあるのですが、最近、私の歩くスピードが遅いような気もするものだ。 先日も二人で歩いている時に老人二人に追い抜かれた。 おじいちゃん二人に追い抜かれて「なんだか私たち歩くの遅くないか」という会話になるものだ。 それでも、ご老人一人は追い抜くもので、そのご老人とデッドヒートな競争をしながら追い抜き、追い抜かれながら歩くのであります。 これは運動不足からやってくるものなのでしょうか? TVなどで速歩き健康法な特集などをやったのではなかろうかと妄想したりするものだ。 それとも、歩く人数に比例して歩くスピードは変化する可能性も高いもので歩行人数のスピード感ってものがあるのかもしれない。 そう言えば、女王様に追い抜かれた後にペチャクチャと会話しながら歩いている学生3人のスピードは超亀速のノロノロ速度であったものだ。 女王に追い抜かれたとは言え、私の一人歩きのスピードはそれなりの速度で間違いないものである。 そのような体に染み込む移動時のスピード感は信号などで止まってクリアにしないと変化しにくいもので、「少年たちよ、大地をさっさと歩け」と思いながら煽り運転のようにぴっちりと学生の後ろについて圧をかけるのである。 その中の一人がもぞもぞと肩をタコのようにゆらゆらと歩いているので、こいつが全体の歩くスピードを押し下げていることは確かである。 前を歩く人はいちいち後ろも振り返りながら話さないといけないので少し面倒そうだ。 このように前を向いて話す人と後ろを振り返りながら話す人ではこのひと手間分はとても損してしんどい気分になるものだ。 歩き喋りは横に広がると他の歩行者の邪魔だし、振り返りながら喋るのもしんどい感じでもある。 ここは女王様のように「ごめんよ」な一言をかけるべきなのかと思うのですが、陰キャな私はだまって「先を急いでいるのですけれども・・・」みたいな無言のホラー圧を出すのである。 いかん、いかんのである。 煽り才能はゲームの世界でも一流ですが「平常心平常心一休み一休み」の一休さんなのである。 道とは追い抜き、追い抜かれ、様々な人たちとすれ違いながら、あいつは怪しいと様々な人生模様が見えるものであります。 カフェでの人間観察などもありますが、テクテクと歩いて健康も一緒に手に入るウォー活もなかなか乙なのかもしれない。 関係ないけれども朝の背伸び活動で痛めた肩は完全に完治した。 完璧! もとから少し痛くもあった骨の関節が伸び背伸びをすることで適材適所にハマったような感じでもある。 めでたし、めでたし。 |
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■2024年11月12日(火) |
■音楽は鍵である。 |
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■2024年11月13日(水) |
■一日一文章トレーニング。 「スポーツの秋はウォーキングで満喫して、次は芸術の秋なのである」 芸術の秋とは何でしょうか? 筆を持って絵を描くことは少しハードルが高すぎます。 それは富士山登山ぐらいに気軽に出来ない行動でもある。 作りかけのプラモデルぐらいは完成させても良いかもしれませんが、あれも一種の芸術活動かな。 室内の温かく・涼しい場所で創作活動をしていれば夏でも冬でも関係ないもので、これはもしかしたら、紅葉した道を通り美術館まで散策するような芸術的な雰囲気を感じる秋のことを言っているのかもしれない。 ならば、そのような芸術っぽい雰囲気を感じることが出来れば、芸術のノルマは完了できます。 美術館には常に美しい文化で溢れているものの、家庭内の空間とは生活感丸出しで芸術的なエッセンスが足りない。 自宅空間にこそ芸術フィールドを展開する必要があるのかもしれないもので、我が家にもお気に入りの絵はありますが自宅の芸術の秋を探すのであります。 家庭内の美術品とはガラスケースに入ったコレクションたちが王道である。 自慢のフィギュアたちはガラスケースに棒立ちしているもので、時折、気ままにディスプレイは変更される。 そして、今、我が家のガラスケースは何かとても芸術っぽい佇まいとなっている。 大抵、いつも同じフィギュアたちがローテーションで飾られているのですが、最近、そのようなマンネリ化したフィギュアに手描きの目や顔を描いた紙を貼ってイメチェンしているのである。 これは一種の芸術な秋のような気がするものだ。 最近の太陽フレア爆発の強い紫外線に晒されても良い物たちがガラスケースに飾られているのですが、一手間の目や顔を描くでけでお手軽簡単の芸術の秋なのである。 暇な時に簡単に描いたものをハサミでくり抜き顔に貼るだけの簡単さで、マスキングテープなどを使って貼ればフィギュア本体に害も及ばない。 写真のベースボールフィギュアには大きな目を貼りました。 何より目の形状が新しく電源スイッチみたいでガラスケースも入れてもスイッチON・OFFと良い感じ。 これは先日ヘビ柄の目を描いた時に落書きした目で、それをフィギュアに貼れば新しいオブジェクトへと様変わりだ。 あ〜これは芸術の秋で間違いありません。 フィギュアの佇まいもゆるく神々しくもなり、紅葉した美術館への道を散策しているようにイメージである。 カニはハトカーと先日作った器の機能が全くないマグカップと一緒に飾られているもので、マグカップはホコリもかぶり扱いも悪ければパリンと割れてしまう可能性もある盛者必衰のことわりを表す物なのでガラスケース入れて保管です。 この3個の組み合わせは恐らく芸術の秋だ。 芸術の秋を堪能したので、今年購入して良かったフィギュアについて語りたいと思う。 今年買ったベストはミッフィーさんの網ぬいぐるみです。 これは洋服棚の上に華麗に転がっているものですが、間違いなく今年購入して一番良かった人形である。 大きさは25センチぐらいで赤いニット帽や洋服は取り外して着せ替えが可能なのですが、勿論、着せ替えはやっておりません。 毛糸編みの存在感は強く、赤、白、青の組み合わせは芸術の秋と言えば芸術のような気もするものだ。 ミッフィーさん自体が芸術なので問題なし。 恐らく、芸術の秋とは皮膚感覚が重要だと思うのである。 そして、部屋に転がっているだけで部屋が少しオサレにも見えて二度得なのである。 商品タグも付いたまま飾っているものですが、このようなタグは切って捨てることが出来ない性格でもあります。 世の中にはこのような商品タグを切れる派とタグを切れない派の二通りの人間が存在していると思うもので、私はどっちかと言うと切れない時が多い派な性格でもある。 時折、躊躇なくタグを切り落とすこともありますが・・・ これらタグをスパッと切れる人と切れない人との相違はあるもので、何が異なるのかと考えても皆目答えの出ない違いなのである。 タグを切らない理由はタグと商品がバラバラとなるのが嫌。 タグを切ると価値が下がりそうな感じもするもの嫌。 ソフビなどでも袋な中にキレイに入っていると何か勿体なく開けるのに躊躇することはあるので、ガシガシと気にせずに動かせる物にこそ愛着は湧いてくるかもしれませんが、だからと言って他人に「タグを切っておいたよ」と親切心からタグを切られるとショックかもしれない。 タグを切ること一つとっても世の中はとっても複雑である。 今年も残すこと一ヶ月半、これを越えてくるカタチはないと思うのでこれが今年の買ったものナンバーワングッズに決定です。 |
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■2024年11月13日(水) |
■鳩の脚がヤバくてうさぎも微妙にかわいいゾ。 |
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■2024年11月14日(木) |
■一日一文章トレーニング。 「朝が弱いのは雀百まで踊り忘れずなのかな」 秋の朝方はぐうぐうと冬眠の名残なのか眠くて布団から出るのが大変だ。 そして、枕草子に則っても、冬もつとめて朝起きるのは大変なのである。 子供の頃に朝が弱かった奴は大抵大人になってからも朝は弱いかもしれないもので、「三つ子の魂は百まで」とは案外実話なのかもしれない。 3歳児を見てその子の将来を予言することはとても恐ろしいことではありますが、人生とはとっても短いものであり、あと45日程寝ればお正月で、あと1000日も寝れば3年も過ぎてしまうのが人生でもある。 別の言い方をすると「雀百まで踊り忘れず」との言葉もある。 幼い時に身に着けた習慣は年をとっても身から離れないということわざで、私が3歳の頃を思い出すと身につけた事柄は特にないような感じでもある。 ただ、救急車で運ばれたことや、一人で熱心に何やら作っていたこと、よく寝ていたような記憶はあるものだ。 あ〜これは駄目なパターンの三つ子だったかもしれないものだ。 よく寝る記憶とは一生忘れないのかもしれないもので、1000回朝の背伸びをすれば、もう3年も過ぎ去っている玉手箱である。 あ〜恐ろしき時の流れ。 とりあえず、夢の中でもおトイレを探して街をうろうろしていて、トイレの扉をコンコンとしたら「入っているー」と言われ、普通は「コンコン」には「コンコン」返しだろうと思うものである。 そして、次のトイレを探して目をパチリと開けて、その勢いで布団からガバリと起きてトイレに一直線なのだ。 便座に座って考える人となりて思うことはただ一つ、そう言えば、朝の背伸びをやっていないこと。 最近、毎朝の背伸びをしていると、体を引っ張って伸ばさないと何だか気持ち悪く思うもので、最初の頃の背伸びはギシギシと身から落ちる赤錆も、毎日続けていれば体がリフレッシュするストレッチ感覚でにも変化するものだ。 これは朝背伸び健康法のような感じではありますが、全くの個人的な迷信であります。 体が上下に引っ張ると骨と骨、筋肉と筋肉に隙間が開いて、指をポキポキと鳴らすような疲れの成分が電気となって外に出るような感じでもある。 よって、トイレを出ると再び温かな布団の中に潜り込み布団の中でうんうんと背伸びしてからの二度寝なのであります。 ムニャムニャ。 たっぷりと体の軸を伸ばし、温かな布団に包まれる気分は最高だ。 何だか物凄く遠回りの朝ですが、こうして今日一日が始まるのであります。 芸術の秋でもあるもので、スコスのHPも新フォーマットに変更する為に改造中です。 そしてiPadでお絵描きをする為の左手デバイス「8BitDo Micro」の設定も修正しました。 これはプロクリエイトを使用する時にいちいちペンで指示しなくとも左手で端末を操作するだけでショートカットできる便利機能である。 リンゴペンでカキカキしながら左手で一つ戻って修正し、カラーパレットを表示させてと様々指示が出来るものだ。 慣れてくると便利ですが、これが無くとも何とでもなるもので、あると便利ぐらいのものでもある。 しかし、クリスタのタブメイトもそうなのですが、このような左手端末を使うメリットもあり「あれを押して、これを押して」と左手と右手のピアノの両手使いみたいな普段使わない脳をフル使用しているような感覚も生まれるのであります。(勿論ピアノは弾けません) これはマンネリ化した脳の活性化にも良いと思うものだ。 以前、完璧に設定していたのですが別のゲームのコントローラーに使う為に設定をいじっていると設定したコマンドも無茶苦茶となって放置されていたものである。 芸術の秋にはこのような面倒事も一つ一つクリアにしてこその芸術の秋であり、再び、両手使いのiPad信者となれたのである。 そして、再びキー配置が不明になった時を想定して上記のようなマイ設定もメモっておいた。 これで芸術の秋の準備は整った。 |
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■2024年11月14日(木) |
■ばっはだべるぺら・カノン♪ |
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■2024年11月15日(金) |
■一日一文章トレーニング。 「朝6時 あれこれ終えて 二度寝です 気づくと10時 背伸びするあき」 今朝はしとしと降る雨、そのような低気圧な朝の天気にはコーヒーをドリップするのが最適です。 しかし、今日も二度寝でよく寝るもので、すでに頭は爽快。 外はこんなにもねずみ色であっても完全なる日本晴れ。 心なし朝方の太陽と親方日の丸とは似ているような気がするもので、太陽も黒点増えて活発であるのに、我が国の太陽は天下分け目の総裁選挙でも居眠りする程の極小期である。 ということで、 昨日はディック・ブルーナさんとヘビ目の落書きに影響を受けてかわいいうさぎさんの絵を描くものだ。 ヘビの実物は見たことがないのでネットなどで見るとイメージと異なり結構つぶらでまん丸としたかわいらしいお目々をしています。 うさぎの赤い目もヘビとの共通点もあって、そのような絵はバッハの名曲を聴きながら描くのである。 昨日そのような話しをしていたら「この西松屋は音楽付きなのか?」と聞かれるのであります。 作曲は土曜日曜祝日しか作らないし、このうさぎはブルーナさんに影響を受けた完全なるオリジナリティーなのである。 そして、土日に作曲するお前は一体何者なのだという話しになるもので、確かに「土日の作曲」とは後から思い出すとじわじわくるものだ。 しかし、昨日の絵は音楽の本題ではなく、パッヘルベル・カノン(調べました)は絵を描く為の栄養源ではなく、切った豆苗の苗に音楽を聴かせる為の音楽であったのだ。 その傍らでバッハに聞き耳を立てて我が絵を描くという構図であり、所謂、絵はおまけでメインは豆苗に音楽を聴かせることが重要なのであります。 植物に音楽を聴かせるとはおかしなことです。 しかし、音楽を聴かせた植物はよく育つようでもある。 豆苗を購入して切った後に、根を再び水に浸すともう1回豆苗が生えるとパッケージに印刷されているのを見つけ、常に話しの種不足の私はそれを見よう見まねで水耕栽培して育てているのである。 1週間から10日程で再び葉っぱを生やすようで、我が家の豆苗も6日目で随分立派に育ったものである。 これもあれもジブリの音楽やバッハ、ショパンなどの作業音楽を聴かせて英才教育をしてきた効果が出ているものである。 そのおこぼれの音楽をもらいながら我はうさぎのを描くのであります。 この豆苗は味がとても苦かったもので、迷探偵の推理では恐らく劣悪な工場環境によって怒りの苦みを持った可能性を考えるものである。 我は良い音楽を聴かせ、キレイな水を与え、お日様にもぽかぽかと日光浴をさせて、リラックさせながら甘い美味しい葉っぱを収穫する算段である。 この豆苗の苦みは、彩りとしてスープに1本入れるとコンソメスープが苦くなってしまうぐらいの強味で、まだ、一本の葉っぱも食べていませんが愛情イッパイの甘〜く美味しい葉っぱに育っている予感であります。 たぶん。 そして、この豆苗は生で食べるので我が家の大根の白菌に感染しないように別の部屋に置いて育ているものだ。 本当に至れり尽くせりなのである。 それにしても、 植物の本体とは根なのか葉なのか?です。 葉っぱは切って食べてしまってもまた生えてくるようで、植物は根や茎がある限り生命は続く可能性もあるものだ。 そのような根っこは人の目に触れることもなく土の中に広がっているもので、豆苗の水耕栽培で思うことは人でも植物でも目に見えない根っこの部分を知ることが大切なように学んでいるのであります。 |
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■2024年11月15日(金) |
■ゴロゴロっとうさぎ。 |
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■2024年11月16日(土) |
■一日一文章トレーニング。 「今朝(土曜日)は早起きし、模写し、HPも加工して活発に朝活しているものだ」 なぜなのだ〜なぜなのだろうか?の世の中の七不思議。 昨日まであれだけ朝が起きることができなかったのに、よりによって土曜日の朝6時から目覚めて一人熱心にいろいろと活動しているものだ。 なぜ、そのような活発さを平日に発揮できないのでしょうか。 あ〜謎なのです。 作曲日の土日とは冬眠カプセルでずーっと寝ているような時と、今朝のように朝早くから活発に行動している2通りがあるものだ。 先ず、朝起きて二毛作目の豆苗の生え方を模写しました。 茎を1本1本丁寧に模写して結構面倒なことなのである。 図は根っこの広がりから茎がどのように分岐して新たな葉っぱを生やすのかを模写したもの。 このような観察は写真を撮ればいいという意見もありますが、私の考えでは観察は必ず手描きの呆則はあるものだ。 ただ、今思えば写真で観察の記録を残しておけば、いろいろな証拠にもなったように思うものだ。 写真を撮ろうとは最初から頭の隅で思っていましたが、行動が伴わない横着人モードであった。 証明云々と言ってもこのような主観で満ち満ちた日記におかしな話しでもある。 これもあれも話の種はしっかりと蒔いて回収してこその記録であり、次があれば、しっかりと観測記録を残すことにしましょう。 恐らく、模写する教えの大切さとは対象物を良く見るということであります。 大切なことは上手下手ではなく、見たままを見たままに書き写すだけの簡単なことでもある。 このような模写とは時に無心な感じでもあり、時にあーだ、こーだと気づくこともあって、時に我武者羅タスクな時もある。 これまた模写することの不思議な感覚でもある。 流石に根を1本1本書き記すような狂気はないもので、面倒な部分はモジャモジャのモジャ〜と適当に根を塗り潰すのである。 一部分だけでもよく見て観察すれば、それなりの細部まで見えてくる新しい発見もあるものだ。 今回観察して見つけたことは、カットした豆苗を水耕栽培すると茎から(1)の小さな葉っぱが生えてきて(もしかしたら最初から生えていたのかもしれません)、茎が伸びた先に(2)の葉っぱを付ける仕組みであります。 (1)の葉っぱから新しい茎が分岐して伸びるので、(1)の葉っぱは二毛作水耕栽培の重要なキーマンとなるものだ。 切られた豆苗の茎はそれ以上に何の変化もない茎の残骸となりますが、(1)の葉っぱが誕生することによって新しい成長の起点となります。 若干数、根っこの奥から完全な新芽を伸ばすものもありますが、その多くの新芽は(1)の葉っぱから分岐したものである。 繁殖力のある茎はAとBの2箇所から新茎を伸ばすこともあります。 私の観測だと切られた茎から新茎の伸びる箇所をABCで分類するとA50、B50、C0となる。 なので、次の豆苗を食べる為にカットする時はそのような割合を考えて新茎が生える部分を切り落とさないように残しておくことが重要です。 C部分からは分岐の茎を生やすことはないので、イッパイ食べたいからと言って強欲に根本から切り落としてしまうと新茎を生やす(1)新葉も生えなくて新しい茎も伸びないような予感である。 次の収穫は切る位置を見定めて三毛作に挑戦だ。 そして、 一日一文章トレーニングのメモリー使用量を軽くする為にWebP変換も遂行しています。 WebPにするとホームページビルダーで画像プレビューも使用できないので新しく画像を増やして管理上の手間も増えるものだ。 しかし、怪我の光明もあってHPの改良熱もグングンと上昇気味で俄然やる気スイッチが入ったものだ。 昨日は久しぶりにデジタル時計も作りました。 今朝は豆苗の模写に加えてHP上で今の日時を確認できるデジタルウォッチを貼り付けた。 寝ながらHPに時計を直接貼り付けたいと思いスーッと朝起きた朝なのであります。 なので、目標とかやりたいことが定まれば人とは朝早くからでも真頭人間として活動できるかもしれないもので、人間の資質とは案外目の前にぶら下がったニンジン(目標・目的)で動けるかもしれないものだ。 この時計の仕組みは常時ネット接続できる端末があれば、簡単に腕時計を表示できる仕組みです。 このような情報を表示させる仕組みとは時計の複雑な仕組みも不必要で、単なる時計の情報を呼び出して表示するだけのプログラムでもある。 本来であれば時計職人が組み上げるような複雑な機構も、このようにも簡単なプログラムに置き換わるのがデジタル化の面白いところ。 未来世界の機械とは特殊機構は芸術品のようになり、普及品は最低限の機構だけを持ったスカスカの上のプログラムで動く機械となる予感でもある。 今、現実にそうなっているのかもしれませんが・・・。 ということで、 土曜日の朝から熱心に朝活しました。 明後日も朝早くから動ければ良いものだ。www |
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■2024年11月16日(土) |
■キャッチボール。(自作の音楽付き) |
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■2024年11月17日(日) |
■一日一文章トレーニング。 「豆苗の二毛作はぐんぐんと成長し今日は23センチぐらいに成長しています」 成長は暗くなった夜に伸びるようで、朝見ると大きく成長している感じでもある。 カタチは下が狭い台形状で、その姿を眺めていると盆栽のようにも見える。 一番長いもので28センチ。 切られた草は15センチぐらいまで揃って成長しています。 新しく生えた茎と一度カットされて再生する茎には約8センチの成長速度の差があるもので、これは新しく根から生える豆苗と切られて新しく芽を伸ばす豆苗の差でもある。 これは切られた茎が新しい茎を伸ばすのに8センチ差分の労力が必要だったことを意味しているものだ。 そのようなエネルギーはどこから吸収されるかと考えれば、それは新茎を生やす葉っぱが光合成することで、その茎を伸ばすエネルギーを得ているように思うものだ。 前述の通りに切られた茎は全部小さな葉っぱな部分から分岐して新しい茎を伸ばしております。 私が雑に観察したところでも何もない茎から突然茎が分離する例は発見出来ないもので、この小さな葉っぱが光合成しデンプンを生成し直接エネルギーを新茎に送っているように思うものだ。 これは情報でも何でも分岐させるのにはとてつもないエネルギーが必要なことに似ていて、それを自然の呆則は全体から吸収して送るよりも直近の分岐点からエネルギーを得て新しいパイプを生成しているようにも見えるものだ。 アドベンチャーブックなどの分岐点を作ろうと考えたならばとてつもない労力が必要なことにも似ているし、戦前の失敗した日本軍のロジスティクスもマメ科風にも見えるものだ。 切られた茎は葉っぱの際から新茎を伸ばし、この小さな葉っぱを落とさなれば豆苗の三毛作物語もありそうな予感である。 早速、新しく生える分岐点をメモする。 見える範囲だけですが茎から分岐する詳細をA面B面C面D面とぐるりと回ってメモした。 何だコレ?と思われるかもしれませんが本当に何だコレなのです。 まるで楔文字のようでもあり、「Y」「万歳\(^o^)/」「4」の数字のみたいな記号である。 もう一つ面白い発見もあります。 それは成長した伸びた茎が20センチぐらいまで伸びると先端からツルを伸ばすこと。 豆苗とは豆の名が付くようにマメ科の植物であります。 このように立派なツルを伸ばすマメ科の植物と言えば「ジャックの豆の木」のお話を思い出すものだ。 子供の時に英語で書かれた絵本をよく見ていたもので、お話はどのような話だったかと思い出すと恐らく下記のような感じでもある。 お金に困ったお母さんがジャックに街まで牛を売りにお願いすることで物語は始まり、温かいお茶を用意して待っているよーと母はジャックを見送るのですが、ジャックは途中で髭面のオジーに出会って、その牛を豆数個と交換してしまうお話である。 当然、お母さんはプンプンとお怒りモードでその豆を庭にポイッと捨てお茶も無し。 すると、その庭に捨てた豆の種がグングンと成長しツタを伸ばし天まで届くまで大成長するのであります。 大きな豆もたくさん成りラッキー。 好奇心旺盛なジャックはそのツタがどこまで伸びているのか気になり豆の木を上まで登っていくのであります。 私も旅行するとすぐに高い所に上って景色を見たくなるものですが、「バカと煙は高くのぼる」のことわざの通りにジャックも登ってしまうものである。 そうして天まで登るとそこは巨人の国があって、おばあさん巨人にアフタヌーンティーをもてなしてもらい。 その帰り道になぜか?寝ている巨人の金貨の入った財布を盗んで外界まで降りて来るのであります。 母は当然、歓喜であり。 ジャック少年も再び天界まで上って次は金の玉子を生む鶏を持ち帰るのであります。 こうして、ジャック家は裕福になるのですが、さらに欲にくらんだジャックは次の獲物を得る為に豆の木をのぼり、金のハーブを盗んでいるところを巨人の男に見つかり追いかけられます。 そして、天まで伸びる豆の木を母が渡す斧で切断し巨人のおじさんを落として殺し、めでたし、めでたし、なんでやねんな話なのである。 ジェックって本当にハチャメチャな奴であります。 何せ英語の本なので誤読はあるかもしれませんが、間違っていたらゴメン。 この伸びた豆苗の先から伸びたツタを見ていたら、そのような「ジャックと豆の木」の話を思い出し「食べようか?いやいや天まで伸ばすか?ツタないツタを眺めるのであります。 |
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■2024年11月17日(日) |
■パンアンド野菜。(自作の音楽付き) |
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■2024年11月18日(月) |
■一日一文章トレーニング。 「ヤッホー」 と今日も土日の魔力は続かなかった安定の寝坊です。 そして、曇った低気圧を見ながらゆっくりと朝のコーヒーを飲むのであります。 ポタポタとドリップしながら苦いコーヒーを飲むことは良い時間だ。 寝坊していてアレだけど、ゆっくりと、まったりとお茶の時間を堪能しているのである。 そのようなコーヒーをドリップしていると一つ気がかりのことがあります。 それは貧乏性と言うべきなのかコーヒーを最後の一滴までポタポタと落としてドリップしたいと思うこと。 インスタントな不織布に入ったフィルターをマグカップに直接付けてドリップするとポタポタと落ちるコーヒーの雫は最初だけで、後はコーヒーの液体に浸かった状態となるものだ。 上手く説明できないのですが、このコーヒーをポタポタとドリップ出来ない浸した状態が嫌なのである。 微かにフィルターを持ち上げて抵抗したりもしますが、それでも数滴分のポタポタを支援するだけで最後の一滴までドリップを完了することは出来ない。 そこで、我は昨日考えた。 A4のコピー紙を折り折り丸めてコーヒーを入れるとマグカップの周りにウォールマリアの壁を築きポタポタとドリップ出来るのである。 しかし、ポタポタとお湯をゆっくり落とし美味しくな〜れとドリップしているとフィルターが水分で重くなって紙の強度不足で壁が崩れて失敗なのである。 壁の崩壊。 そして、今朝は寝坊しているというのに、ウォールロゼの壁を死守すべく壁を2Lのジュースの容器から切り出したペット素材で強化したのであります。 先ずはペットボトルの真ん中部分の樹脂を切り取り、次にそれをカッティングマットの上に置いてキレイな四角形にしたら完成です。 写真のようにマグカップの持ち手に挟み最後の一滴までポタポタとコーヒーをドリップすることが出来ました。 めでたし、めでたし。 コーヒーを入れるとペット容器が白く曇るもの情緒もあって良い。 朝から今日も一つの悩みを解決することが出来たのであります。 ところで、 ジャックの豆の木です。 ネット検索をしていると驚くべく発見もあるもので、ジャックの豆の木と豆苗が大きく育ってなる豆は同じサヤエンドウの豆であるようだ。 人が持つ直感とは大体正しいのかもしれないものであり、豆苗の二毛作からジャックと豆の木を連想することは正規ルートであったようである。 そして、私は昨晩やっぱりジャックと豆の木が何を伝えたいお話だったのかと思い、子どもの頃に読んだ絵本を探し出して読んだのであります。 昔の絵本が手元に残っていることは奇跡でもあり、大した思いれもない本とも思ったのですが捨てずに持っていることは結構好きな本かもしれない。 根本的に母がジャック一人に牛を売りに行かせるのはおかしな話でもある。 ジャックが巨人の国から盗んで来たものは巨人の財布に入ったお金と、金の卵を生む鶏ではなくて魔法の鶏であるようだ。 最後に盗む黄金のハープは魔法のハープでおしゃべりなハープのようである。 これもあれもジャック少年が巨人に盗まれた父のモノだと言って正当化して持ち帰ります。草 そして、母子揃ってそれは巨人が父から盗んだものだと正当化します。草 魔法のモノを持つ父とは魔法使いのような気がするものだ。 そのように考えると、最初の豆と牛を物々交換するオジーは魔法使いの可能性もあります。 知らないけれども。 しかし、よくよく考えると巨人は豆の木を伝って降りないとジャックの世界にやって来ることは出来ないもので、ジャックの父の物を巨人が直接盗んだ線は少しおかしな話でもある。 もしかしたら、この巨人とは領主とか圧倒的な権力を持つ者のメタファーなのかと思ったりもするものでもあります。 この話には「お茶」にまつわるフレーズがたくさん出てくるものだ。 1)ジャックが牛を売りに行くのはお金に困ってお茶を 飲めないからである。 2)ジャックが牛と豆を交換してお茶の時間は中止となる。 3)ジャックは巨人のおばあさんにお茶をご馳走になる。 4)巨人のおじいさんはお茶を飲んでから寝て、ジャックにお金を盗まれてしまう。 5)巨人のおばあさんはもうこの家には来ないでとお茶をジャックにもてなす。 6)母は巨人が落下して死ぬのを見て「Let us go and get some good thing for tea」と言って「お茶に合う何か美味しいものを買いに出かけましょう」と話は終わる。 この物語はより良いお茶を飲む為のお話であり、イギリス人がどれだけお茶の時間を大切にしているかと読み取れるものである。www 同じ島国の千利休さんもお茶の時間を持てないような人間は信用出来ないようでもあるので、お茶は黒くても茶色くても緑色でも嗜むことが人生の大切な要素であるのかもしれません。www 知らないけれども。www |
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■2024年11月18日(月) |
■すこす寒くなりました。 はて、血走りうさぎはかわいくなるのでしょうか。 |
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■2024年11月19日(火) |
■一日一文章トレーニング。 「生活をすると言うことはこのようなことである」 紅茶派の人はコーヒーのドリップの茶袋が注いだコーヒーに浸っていても気にならないようですが、ポトポトとドリップしたい人にとってはそれはとっても気になることだ。 昨日はそのようなコーヒーを心地よくドリップする補助道具の作ったので、今日はその作り方の詳細を記します。 1)飲み終えた2Lのペットボトルを用意します。 2)その容器をカップの長さとドリップパックの高さと鑑みて図のようにカットします。 3)カッターナイフでペットボトルをカットしますが大きなハサミでも十分に切れそうである。 4)円筒形にカットしたものは、ベトつくラベルシールの接着部分に沿って切り1枚のプラバンにします。 5)プラ板は適当にカットしていますので正確な直線は出ていませんので、カッティングマットの上に置き定規を使ってキレイな長方形を切り出します。 6)その時にドリンクのラベル接着のベトベタな部分は必ず切り落とします。 7)この板はすぐに円筒形に戻るのでコーヒーをドリップする時にマグカップの手持ち部分にハメ込むとコップとドリップコーヒーをしっかりと固定具の完成です。 8)チョロチョロとゆっくりとお湯を注ぎポトリポトリとゆっっくりドリップできます。 これの良いところは完全に液体を切って直接ゴミ箱に捨てれること。 ドリップの不織布が液体に浸っていると滴りゴミ箱に捨てれません。 なので、一度流しの上に置き水分を切ってからゴミ箱に捨てる必要がありますが、この方式だとそのままゴミ箱に捨てれます。 そして、昨日も書きましたが何より温かいコーヒーの湯気がプラの容器につく感じがとても良い。 湯気立つ香りでコーヒーを視覚的に感じると「コーヒーを入れているなー」という気分になるものだ。 ということで、 昨晩は豆苗の収穫を行いました。 ご飯を食べ終わってから「さーやるべ」とまな板の上に奴を置き包丁でザックリとカットするものである。 枝が細いので包丁を入れればサックと一切りだ。 バッハの音楽を聴かせ、我はその横で絵を描き「今、葉っぱが動いた〜」と日々の成長を感じていた観察の記憶が脳裏をよぎるものである。 そう言えば、バッハはと英語で書くとBachと書くそうだ。 Bachとはダクソのパッチのようでもあり、早速パッチの英語表記を調べると「Unbreakable Patches(不屈のパッチ)」で格好良いのである。 関係ないけれども人の名前は覚えるのは苦手であり、名前の前に「不屈の」みたいな形容詞を付けると人のイメージも広がって良いものだ。 Unbreakable Patches scos (不屈のパッチ・スコス)でもいいし、3戦3敗の”なにがしそれがし”、”胡散臭いが中身はとってもピュア”名前のような、名前を見ただけで形容詞で詳しく説明してくれる追加機能が欲しいものだ。 前回カットした部分よりも約1センチ上の部分をカットし、それをザルに入れてよく洗い家庭菜園の収穫業務は終了です。 1本抜き取って口に入れると苦くはないが草の味はするものだ。 野菜を食べて甘い味話はあるものの、野菜の甘みとはよくわからないものでもあります。 1回目に食べたような苦みは全くなく、美味しい豆苗で間違いなし。 成長すぎると固くなるようではありますが、全然柔らかくて生で食べてもシャキシャキで美味しい。 1回目との比較。 ・苦くない。 ・柔らかくてシャキシャキ。 ・緑色は薄い。 甘くもありませんが、苦くもないので、我が家の英才教育は成功したのである。 1個100円ぐらいで家庭菜園を作れるのは良いことで、今は三毛作に向けてトライしております。 先ずは容器をアルコール消毒して再び水を浸して芽が出るのを待つだけです。 昨晩からの変化は特にありませんが、断裁面が直線的ではないので茎がそれぞれ成長してきているのかもしれません。 また、夏場には窓辺にマメ科を土植えして窓辺にツタを這わして日除けなどもできないかと思ったりもしていて、太陽光を少しばかりシャットアウトして、美味しいビーンも収穫出来てビールを飲めたならば一石二鳥でもある。 それにしても、豆苗の二毛作からコーヒーのドリップさせる為のペットボトル加工までと生活感丸出しで面白いものだ。 |
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■2024年11月19日(火) |
■頭が収穫されたのだ〜。 うさぎはまだ血走りかわいさが足りないなのだ〜。 |
■2024年11月20日(水) |
■一日一文章トレーニング。 「寝坊どもが夢の跡です」 今季初めて、足のつま先が寒く感じております。 季節のズレと足寒の相関性はあるのでしょうか。 このような体内時計は不思議なもので結構正確な部分はあると思います。 2022年は11月6日に足のつま先が寒くなる。 2023年は11月7日に北海道で低緯度オーロラを観測する大規模太陽フレアがあったので足寒も遅れたようである。 2023年は11月27日に足のつま先が寒くなる。 2024年も10月9日に大規模太陽フレアを観測する。 2024年は11月19日に今季初めての足のつま先を寒く感じる。 例年から言うと足のつま先が寒く感じるのは約2週間の遅れで他の計測結果と大体同じ感覚でもある。 昨晩はふかふかの布団で寝袋のように丸まりながら足寒となって眠っていたのですが、変な夢も見るもので、ひたすらエアコンのフィルターを掃除してゴシゴシと洗っていたのである。 それもこれなぜ、このような夢を見ていたかと言うと昨日、夏場の機器のフィルターをゴシゴシと洗って磨いていたからでもある。 夢でも磨き、現実でも磨く、素晴らしき労働精神で「オレはやった」の洗剤もたっぷり使って磨いたので手もガサガサなのである。 先ずは、ドライバーなどを使いサーキュレーターを完全に分解します。 纏わりつくホコリをキレイに拭き取りピカピカに磨き、バラしたパーツ類のホコリもタワシと洗剤を使って丁寧にゴシゴシと洗います。 たわわなホコリは水に流され、サーキュレーターは新品みたいに美しく蘇ります。 再度、電源を入れて動作を確認して「よーし」とビニール袋に入れてモスボール保存すれば、来年使う時は気持ち良い新鮮な空気を運んでくれるのであります。 このような掃除は使用する前に行うのが良いのか?いやいや、使用した後にやるのが正解なのであります。 私の1000年or2000に及ぶ思考では、機械は使用した後にキレイに磨き、次の出動の機会を待った方が私のような横着者にとっては気持ち良く使える呆則なのである。 このサーキュレーターは森田電工さん製で、10年・20年?もっと長い付き合いかもしれない?で本当に丈夫に動き続けている我が家の唯一の働きものかもしれないものだ。 毎年キレイに磨かれて夏場にフル稼働しているもので、このように機械を磨いていると毎年森田電工さんありがとうという気分になるものだ。 そして、そのような電化製品には去年から使用時の年月日を記載しているもので下記のようになります。 2023年11月19日にしまう。 2024年5月24日に出す。 2024年11月19日にしまう。 「えー」 これは偶然なのでしょうか?同じ日にモスボール保存をされているものである。 わざとその日に合わせて掃除をしているようにも見えますが完全に偶然です。 人の行動とは気持ちの良い天気の日にお掃除をしたいものであり、同じようなサイクルで行動するものかもしれなくて、今日のような冬のように寒い雨混じりの曇り空の日にはお掃除したくないものでもある。 フィルター掃除するならば昨日しかないもので偶然ではなく必然かもしれないものだ。 因みに、クーラーが最後に動いたのは10月4日で10月5日に動作を終了しています。 サーキュレーターもそれ以来動いていないもので、45日間ぐらい放置されてからモスボール保存されて仕舞われたことになる。 このように一つのお掃除を始めると、「ついで」にクーラーのフィルターもお掃除するものだ。 去年は掃除機でしかフィルター掃除していなかったような気もするので幾分汚れているようにも思うものだ。 フィルターに洗剤をつけて洗浄すると真っ黒な液体が流れるもので結構ショック。 こんなにも真っ黒に汚れた空気を吸っていたかと思うと、夢にまで見てお掃除するのものであります。 とりあえず、「真っ黒に汚れた液体が流れフィルターとはこんなにも白かったんだ」と思うぐらいにフィルターは真っ白となり、よって、来年もキレイな空気で過ごせるのである。 よかっか、よかった。 |
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■2024年11月20日(水) |
■今日も良いドレッシングの音楽が流れているのだLR〜♪ |
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■2024年11月21日(木) |
■一日一文章トレーニング。 「悪徳警官のベルトを自作しないといけない」 今日も雨。 しとしと静かに降る雨で昨日の雨と同じように降っているのか、降っていないのか、わからないぐらいの雨である。 そのような雨であるので傘を持たずに出かけたならば微妙に服が濡れてしまって小走りとなるものだ。 昼間の雨はパラパラと傘要らずでも、夕方になると雨は次第に大粒になる不思議な傾向があるものだ。 暖かい上着を羽織り、冷たくてヒンヤリとした空気の中を歩くと気持ち良いのではありますが、買ったばかりの新しい服が雨に降られてしまう毎度の法則には困ったものだ。 新しい服は雨気味な日には着たくないものである。 ところで、 カタチあるものの保存は難しいもので、人間界のおニューの服が雨に濡れれば、悪徳警官フィギュアのベルトも劣化してボロボロとなるものだ。 悪徳警官は服、素体(プラスチックの関節構造物)、顔と、私が勝手にそれぞれバラバラに組み合わせて作ったものであります。 なので、すぐに首はポロリと落ちるし、手も落ちるわと安定性はないものだ。 これは納戸のマガジンボックスに入っていたものを、サーキュレーターを仕舞う時に見つけて連れ出してきたものである。 中にはバイオハザード4のチェンソー大男のフィギュア、梶原一騎のスカルのソフビ、トイ・ストーリーの豚の貯金箱が入っており本当にカオスで素敵なケースなのである。 チェンソー男のチェンソーがないのが気がかりで探したら、トラくんがチェンソーを持っていた。キラリ☆ チェンソー男を初めて見た時は「キャー怖い」とチェンソーをブンブン振り回す危ない奴からダッシュで逃げて斬られてYOU DEAD となったものである。 サーキュレーターが奥に仕舞われて風通しも悪くなると、悪徳警官が表に出てくるのは世の中の仕組みたいなものかもしれないものだ。 悪そうな奴らがうじゃうじゃと我が部屋に這い出てくるとマッドマックス・フュリオサみたいな感じでもあり、本当に良いフィギュアたちが勢揃いなのである。 首のない状態でファイルボックスに刺さっていたので、頭はちゃんとあるかと救出したのですが、生首も拳銃を持った手もしっかりとファイルの底に落ちていたもので、よかった、よかった。 そして、シャツもネクタイもだらしなく、ピシッと制服を着せ替えて立派な悪徳警官に仕立てようと思い服を動かしていたならばベルトの表面が経年劣化でボロボロと崩壊するのであります。 これはもう自分でベルトを作ってあげないといけない案件でもある。 文章を書き、かわいい血走りうさぎも描き、自作の曲も作って大忙しだと言うのに、なぜ悪徳警官のベルトまで作らないといけないのだろうか。 はて??? ベルトは合皮製でしわしわな折れ目が増えた分、そのしわの切れ目から表面の合皮が剥がれ落ちる感じでもあります。 次のベルトは合皮以外の素材をチョイスする必要があるものだ。 ベルトのバックルはそのまま代用できそうなので、いらない服やカバンから生地からベルトを切り出せば簡単に作れそうな感じでもある。 自分のベルトなら兎も角、なぜ、悪徳警官のベルトを作らなきゃいけないのかと思うものだが、これもあれもプラモ技術があってこそ可能とするものだ。 しかし、フィギュアのベルトで検索すれば、結構な安い値段でベルトは売られているもので、そのようなものでも良いような気もするものだ。 だがしかし、そのぐらいの値段を出せば人間様のベルトも買えそうな予感でもある。 ベルトの長さは167ミリ(結構長い) ベルトの幅は5ミリ 厚みは0.5ミリ以下ぐらい バックル用の穴を開けて折り返しは11ミリ 5ミリ幅の178ミリの長さの薄い生地を見つけて本物と全く同じ構造のベルトを作らないといけないのであります。 やっぱり買うか? |
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■2024年11月21日(木) |
■夕焼け。 |
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■2024年11月22日(金) |
■一日一文章トレーニング。 「最近の気になるニュースは農林中金の損失のニュースです」 11月19日のニュースによると4月から9月の損失が前期1443億円の黒字から8939億円の赤字となったようだ。 その前のニュースでは8月1日に4月から6月の損失が4127億円の赤字との報道があり、そして、1兆3000億円の資本増強を行い最終的に1兆5000億円の最終赤字となるかもだそうだ。 日本の円安状態とは長く続くもので、金利が上がれば債券は下がり、その損失の理由が外国債券の売却の含み損として確定したようである。 それでも、この1年でこんなに変わるものかな? 文脈から想像すると満期まで待たずに損失を確定して売却したようにも読めるものですが、どうなのでしょうか? 素人計算でも4月9月の赤字を2倍すると2兆円規模の数字にもなるもので、実際に海外のニュースサイトでは2兆円規模の赤字と報道しているところもある。 1兆5000億円とは個人レベルでは少しよくわかない金額で、この2兆円の赤字のインパクトを他の数字と比較するとAT1債で破綻・UBSに吸収合併されたスイスの金融大手のクレディ・スイスと同等規模の赤字である。 これが日本経済に何も影響を及ばさないとは思わないのである。 そのような金融経済の根幹を揺るがしそうなニュースなのに安定の無風で気持ち悪い3面記事である。 資本増強1兆3000億円増強の発表も、どこからどのように増資したのかも、具体的にどのように損失を出したのかの詳細もさっぱりとわからない。 これは黒塗りで塗りつぶされた書類のようでもあり、しっかりとした妄想も膨らむのである。 2兆円の損失とすると1兆3000億円の資本増強でも7000億円は足りなくて、これは国費を投入する算段かと思ったのですが、よくよく考えてみると米価はすでに1.5倍に上昇しており、私たち国民は高い主食の米を購入し食して、すでに国民負担となっているような予感もするものだ。 損失を簡単に国民負担に転嫁できるシステムはとっても便利なものであり、商品価格がいきなり1.5倍となることも結構な異常事態である。 米の値上がりも円安や肥料・エネルギー価格の高騰など周辺から聞こえてくるものの、正式な発表も聞かないのも気になるものだ。 因みに、昨日のニュースではクレディ・スイスや野村ホールディングスなど金融機関に巨額損失を与えたアルケゴスの創業者が詐欺罪で21年の禁錮と123億5000万円の資産を没収されたようである。 経済犯罪とは多数の人生設計や生き死にも影響すると思うので死罪同等の重さのように思うものだ。 少数の巨大な売り手が市場を支配することを寡占(かせん・Oligopoly)と言います。 寡占状態のA社が値上げするとB社も値上げし、A社が値下げするとB社も値下げするという相互依存の協調行動を取ることが基本である。 これは共謀(きょうぼう・Collusion)という一般的に犯罪行為の名前で呼ばれます。 資本主義経済では価格協定を結び価格をつり上げたり、市場を分割することに同意することは全て違法な犯罪なのである。 時折、何かしらの独占状態に正当化や、日本の経済が新自由主義的である言っている人もいるのですが、いやいや、それは完全な間違いなのである。 寧ろ経済構造は社会主義に近く、そこかしこに独占状態は放置されているもので、民間企業の独占状態は技術革新や経済の変容により失われることもありますが、国の規制や独占のお済み付きは、ほぼ100%自由な競争もなく国民が搾取されてしまうカタチである。 勿論、水道など必要な独占もあります!!が、独占状態を擁護することは独裁に加担するようなものであります。 独裁政治を容認する人はいないと思うので、同じように私たち国民は常に自由で適切な競争が行えるように独占禁止法をバンバンと作るように政治家に働きかける必要があるものだ。 このようなことは普通に教科書に書かれているような基本的な事柄でもあります。 既得権とは良くないことは確かですが、単に既得権を潰せとの気安い言葉にのるのも考えものであり、単に既得権者を潰したとしても新たな既得権者の顔が変わるだけでは意味ないのであります。 市場の規制を無くし競争原理を導入することで風通しもよくなるものだと思うのである。 ちなみに、寡占企業が価格の引き下げを行うと上記の協調行動に従うと価格競争に繋がることもあるようで、これが長引くデフレ時代の最初の起きた現象の正体ではなかろうかと思ったりもするものだ。 【完全競争】は参加者多数で1企業や1個人が価格に影響力を行使できなく、差別化もできない、広告の効果は無く、市場に参入するのも容易である。 【独占競争・Monopolistic Competition】は参加者多数で1企業や1個人が価格に限定的に影響力を行使できる、差別化も可能で、広告の効果も大きく、市場に参入するのも容易である。 【寡占】は参加者少数で価格の影響力はいくらかあり、差別化も可能で、広告の効果も大きく、市場参入は困難である。 自動車や金属・非鉄金属事業など。 【純粋独占】は参加者少数で価格影響力は大きく、差別化は存在しなく、広告の効果も無く、市場に参入することは不可能である。 水道事業など。 |
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■2024年11月22日(金) |
■壁にひっついたバナナが高額であれば、 床にくっついたセメタヨンもなかなかいい値段になると思う。 |
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