*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月1日(火)
■一日一文章トレーニング。

「ベランダ農園のセリが1本だけ花を咲かせた」

1センチ程の小さな大きさの花で分かりにくいのですが、白緑色な花を紫陽花のように密集させて咲かせている。
雑草と花は対極的な関係性でもありますが、雑草でも花は咲くものだ。
街歩くコンクリートの隙間から生える雑草を観察すると、時期にもよりますがどの雑草も小さなかわいい花を咲かせている。
観賞に耐える・耐えない違いはありますが雑草も花を咲かす。

先日書いた食べられないニラも実家の庭にかわいい花を群生して花を咲いていたもので、面で咲くその小さな花の光景はとても美しい。
そして、母がその雑草ニラを根付きのまま引っこ抜いて地面にポイッと捨てていたので、私がそれを拾いベランダで育てると言うと母がキレイな根付きの雑草を選んで採ってくれた。
私は根付きのセリを育てて以来、根付きの植物を見たら育てたくなる衝動にかられるもので、雑草を貰ってうれしいな~の草である。
案外、死に間際に思い出す事柄とは、そのような雑草を貰うような幸せな話かもしれない。草

花咲くセリは本場の栽培地の仙台で購入したものから、東京のスーパーで購入したものまで様々種類がブレンドして土植えされたものである。
密集度が足りなく元気に育っている感じは少ないのですが、この1本だけは花が咲いたということは環境に適応したセリで間違いない。
その理由は何かと考えれば、植物とは不思議なもので、いろんな植物と密集して育つ方が元気に育つかもしれない。
他の植物でも同種の植物でも触れ合って育つ方が枯れずに元気に育つ呆則はあるもので、砂漠ような広い土地に1本の木を植えても育たないように植物でも一緒に育つ仲間が必要に思うものだ。
この花が咲いたセリはエアープランツが絡まり、横にはオリーブの低木があり、頑張れーと応援するように育っている。
木々や植物がよく育っているような場所とは鬱蒼と植物が育ち、整然とキレイに育っていないようにも思う。
(栄養のある・なしは別)

そういえば、

デススト2で投げて偵察してくれるお喋りなお人形さんがいるのですが「どこにいるかよりも、誰といるのかの方が大切だ」みたいなことを言っていた。
いる場所とは育て育むものではありますが、生物にとってどこで生きるかよりも、誰と生きるのかの方が大切のように思う時もある。
ラッツェルの環境決定論とブラーシュの環境可能論に果たして結論は出たのであろうか?
と、私はいつも敵陣に投げて偵察してくれるお人形さんは一体何者であろうかと気になり、最近は話しかけるようにしている。

「芹・セリ」とは「草」へんに「斤」と書くもので、「斤・きん」とは一斤二斤と数える重量を数える単位で、直角に折れ曲がる斧のような意もあり、セリも油断しているとすぐに直角に折れ曲がって育つ雑草でもある。
植物を育てているとそのようなまっすぐに育つか育たないかの禍福とはのようでもあり、正に「禍は福のよる所、福は禍のよる所」で隣に何があったかぐらいの運のようにも思うものだ。
この1本は他の植物と触れながら、折れ曲がることなく真っ直ぐに育つ福あるセリでもあり、来年セリのこの教訓を得て購入したセリは密集させながら隙間無く植えたく思う。
植物を育てているとそのような吉凶禍福とは運でもあり、「禍は福のよる所、福は禍のよる所」と表裏一体のようにも思うものだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月1日(火)
■ばたばた。

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*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月2日(水)
■一日一文章トレーニング。

「今回のミッションは手が折れたカエルをボンドで接着して直して飾るのだケロケロ」

ここに小さなビニール袋に入った1体のカエルのお人形さんがある。
以前、スコスで売っていた商品サンプルでこのカエルは手や指がボキボキと折れている。
いつか直そうと思っていたのですが、いつまでも直されずに放置されるカエルでもある。
腕が2本折れ、3本指の1本も折れて腕の一部も欠けている。

仮組みでパーツを合わせると欠損無くピッタリと合わさるもので、この修復作業は流し込みタイプのタミヤリモネンセメントで接着する。
流し込みタイプの接着剤とは接地面をピッタリと合わせてから、液体ボンドを流し込めば接地面全体に浸透し接着するボンドだ。
塗るタイプのボンドだと接着面を合わせた時に余計な接着剤が外に溢れ出し汚くなるもので、今回はキレイに接着出来る流し込みタイプを使用する。
ただし、くっつくまでは時間がかかるのでじーーーーーーっと押さえて接着を待つ必要がある。
これは私のような暇人にはピッタリの作業でもあり、流し込みタイプの接着剤とは合わせ目を消したりやヒケ部分を埋めたりする時にも重宝する。
特に甘い柑橘系の香りが私のお気に入りで、プロフィールにタミヤリモネンセメントの接着剤の匂いが好きと書いておこう☆いやいやダメダメ☆

そして、昨日「リペア先生直してー」ということで、さっそく修復作業に入る。
先ずは机にカッティングシートを敷き作業環境を整える。
物事を進めるには「さーやるぞ」と意気込みを作ることも大変ですが、制作する準備環境を整えることも億劫である。
カッティングシートは3枚持っており、1/3の高確率で汚いシートを選んでしまう不思議で、どうせ汚れるから汚いカッティングシートでも良いかと思いそのまま使う。
写真に撮ったとしても、汚いカッティングシートの方が切れ筋や汚れなどの情報量も増えて格好良く見えるようにも思う。
シューよりもざわざわなお年頃なのかもしれない。

さっそく、研究所のサルのようにこれで良いかとあれこれと壊れた部分を合わせてボンドを流し込む。
手がもう1本あれば丁度良いのですが、手は2つしかないもので早くもう1本の補助手がある未来に期待するものだ。
マスキングテープなどを活用し接着面をピッタリと合わせてボンドの筆でトントンとすると、毛細管現象な液体の移動によって接着剤は勢い接地面全体に吸い込まれていく。
後はただただ、動かさないように地蔵となりて、乾燥するまでじっと我慢する。

そして、できたーのがこのカエルさんだ。
ヤスリでやすって合わせ目も消すことは出来ますが折れそうなのでやめとく。

こんなにもキモいカエルをよくぞ商品化したと思うカエルでもある。
ですが、よく見れば魅惑的なカエルでもあり、先ず、目がとても大きくてそこそこ現代風でもありますが、それ以外の全部は異次元でもある。
先ず、手足は長い。
本物のカエルを捕まえると白い腹を見せて手足をびよ~んと伸ばした状態のようにも見えて、キャラクターもアクティブな動作をするのであれば手足は長い方が良いものだ。

製造はドイツ製で、ほんの十数年前までのグローバリゼーションな中国製品に席巻されるまではこのような緩い?プラスチック製品はたまに見かけたものだ。
緩く~とは、はてどこからどこがゆるキャラなのかもわかりませんが、異国のモノの面白さとはこのような不思議なデザインにあるもので、人は見て触って育ったモノに影響されると思うので、このようなカエルで育った子供たちとはまた異なった感性を持っているように思う。

ということで、

マグネット付きのスケボーでスイスイとオレはやったーカエルを直した。
味のあるカエルを直して満足でカエルのお人形さんを机に飾るケロ。
ケロケロ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月2日(水)
■占い師「W・Germanyのカエルからシグマ男が見えましたー
・・・(笑)」

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月3日(木)
■一日一文章トレーニング。

「今回のミッションは掃除機の内部を清掃したらゴミまみれとなるでござる」

最近は「W」な文字を見ていたら「笑い」にしか見えない。
www・草草と私たちは常にネット用語に侵食される。
昔は末尾に「笑」と書いて余韻を残すお上品な笑いであったものの、今はちょっと違うなーとWや草な流れでもある。
時代の流れとは酷なもので、W GERMANYを西ドイツと読まない若者もいるかもしれない。
m(_ _)mt
全てはあのカエルの煽りっぽい変なポーズに原因があるかもで、いろんな人やモノにあのポーズにあてはめると頬も何故か緩む。
今、私の一番お気に入りはカエルのスケーターポーズかもしれない。
ネットを介して見る「W」の文字の意味も変質して文章に潜む感情なる言葉は生き物のように変化する。

最近、お馴染みのGABANさんのコショーを購入したら岩塩&ペパーと書かれており「ペパーって何?」となる。
胡椒と思ったのは塩胡椒ではありましたが、今は「ペッパー」を「ペパー」と言う時代なのかもである???
聖徳太子も今や厩戸皇子(うまやどのおうじ)であり、いい国作ろう鎌倉幕府も1192年ではないようで、私がお店の店員で「ペパー下さい」と言われたならば、間違いなく「えっ?」とGPUを高速回転して唸りをあげて「ペパー→ペーパー?→紙!!・・・」と紙ナプキンを束で持ってくる可能性は高い。
さっさく、我はインターネットなる最新機器で言葉の意味を調べると正しい英語読みのようだった。
英語圏の人たちに語尾面白く「ペッパーを下さい」と言ったら「???」となるかもしれないもので、「ペパー」と発音するのがベターのようだ。
さっそく、私は外国のレストランで「ペパープリーズ」を言うイメージトレーニングをする。
すると、頭に変なカエルのポーズが浮かび上がり笑ってしまう。(笑い)
あのカエルは恐らく「ペパー」と言いながらスケートをしていると思う。

そして、

時代はチクタクと進行し気づけばもう7月で、空調を循環させるサーキュレーターからも異音が鳴る。
扇風機は4月19日から動きっぱなしで約3ヶ月間もフル稼働すれば、そろそろメンテナンスの時期かもしれない。
目視で見てもフィルター部分にホコリや髪の毛が絡まっているようで、さっそく分解清掃のお時間となる。
ドライバーで各種パーツを分解し、ホコリを掃除機で吸いながら後はキレイに拭き取り、ファンやモーター軸に絡まる髪の毛はハサミでジョキジョキとカットしながらブチブチと引っ張って取る。
最終的に奥にガンジガラメな髪はうんともすんとも取れないものでライターで燃やして炙って消滅(ヴォイドアウト)させた。
※ヴォイドアウトはデススト用語です。
よーーし。

これで異音は終了!

エアコンのフィルター掃除もそろそろ時期に来ているのかもしれない。
扇風機を分解洗浄すると床にゴミが散乱するもので掃除機でお掃除していると掃除機のヘッド部分からも異音がするものだ。
ヘッドをひっくり返してよく見ると髪の毛がホラー映画の一幕のように絡むもので、サーキュレーターの掃除の後はついでに掃除機のヘッドに絡む髪の毛のお掃除も始める。

髪の毛はぐるぐると巻き付き、こちらもハサミでジョキジョキと散髪しながら頑固な髪を取る。
こんなにもホコリや髪の毛が溜まっているとは思わなかったもので、ピンセットを出してきてホコリの塊を掴み、髪の毛を引っ張りお掃除する。
ついでに、掃除機本体も外でエアーダスターのスプレーで吹くと「ぶわー」っともの凄いホコリの煙が舞い上がって、服も私もホコリまみれでチーンとお陀仏だ。
こうして、キレイになった掃除機を組み立てていると掃除機のヘッドの一部のパーツが見つからない。
床を探しても見つからなくて、あちこち探しまわり怪しく思う場所を潰したが見つからない。
今は最終的にゴミを捨てたゴミ箱の中に落ちているのではなかろうかと思う最悪の結末が濃厚だ。

ということで、

本日は頃合いを見てゴミ箱の中をガサゴソ漁りゴミまみれとなって掃除機のパーツを見つけるのでござる。
汚れ仕事のミッションは続く。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月3日(木)
■こ師匠財団からペパーノートが支給されました。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月4日(金)
■一日一文章トレーニング。

「今回のミッションは普段捨てている水切りヨーグルトから発生するホエーを美味しく吸収するホエー回だ」

昨日、マスクに手袋、キャップを被り汚いゴミ袋からキレイなゴミ袋へとゴミを移動させながら掃除機のヘッドパーツを探す。
すると、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ホコリはもわもわと舞ってごみだらけ。
生きているだけで、こんなにもゴミを発生しているものかと学習するもので、舞うホコリとは服や布団などの繊維の残骸やダニなどの死骸などの吸引されたゴミだようだ。
超キモい。
やっぱり見つからない掃除機パーツは依然行方不明中であらせて、ゴミ袋はしっかりと蓋をする。

数年に数回の時たまに、このような異次元騒ぎがあるもので床に落ちたモノが行方不明になる事件はたまに起こる。
私の行方不明の掃除機頭の部品は異次元の世界に飛ばされて床に落ち、それを異次元の住人の誰かがLEGOパーツを踏んだ時のように「イタタ」と足裏に激痛が走って、異次元の住人と私が繋がるデスストランディングを妄想している。
果たして「繋ぐべきではなかったのか...」とデススト2のキャッチコピーみたいなのが頭に浮かぶ。
いやいや、オレは何も繋ぎたくなかったので掃除機のパーツを返して欲しいだけだ。
ここにこのように落ちてコロコロと行方不明となる異次元に飛ばされた騒ぎはありますが、今回は気付いた時には紛失していたもので、肝心な行方不明になる瞬間がわからない。
家の中の落とし物とは地面0(グランド・ゼロ)地点というよりも数十センチ高いところに落ちていることもあり、なぜ?そのような場所にあるの?と言うような場所から発見されるのも家の中で消える紛失物の常識でもある。
掃除機のロールに巻き付いていたボリューミーな髪の毛はそのようなパーツを弾き飛ばすぐらい分量はあるかもで、時折、部屋をキレイにする掃除機を気にかけて掃除機を掃除する人生もまた面倒臭い。
その内に見つかることを期待して、幸いにもう1個重いタイプのヘッドがあるのでそれを使用する。

探し物
令和7年7月4日
掃除機の先端のローラーを固定するパーツ

昨日は久しぶりに寒いと思えるようなキンキンにクーラーが効いた部屋にいた。
このクソ暑い夏に体中が寒くて凍えるとは何のことかなと思うのですが、外に出れば「サマ~~~~~」とやっぱり夏とは気持ちいい日差しだと思うぐらいに体はキンキンに冷えた。
やっぱりエコとか関係なしに夏の暑さにキンキンのクーラーは有り難きものだ。
木陰を歩いても数度体感温度が下がるような快適さはあり、キンキンのクーラーと街緑化とホエーは夏の三種の神器かもしれない。

そうなのだ。

探し物の掃除機パーツは見つかりませんが、いつも捨てているホエーの使い道は見つかる。
それは水切りヨーグルトで発生するホエーの使い道のことで、ホエーとはヨーグルトにある上澄みの液体のことで、またの名を乳清ともいい美味しい水切りヨーグルトを作ると必ず発生する魔水でもある。
このホエーな液体は大変栄養価も高く、筋肉ムキムキな人たちにとってはそのタンパク質は羨望の的のようでもあり、捨てるホエーあればお隣さんからでも貰ってきたいぐらいのホエーな貴重な液体のようでもある。
このような魔女が作る謎の液体を他人から貰ってくるとは何だかホラーなホエーだ。
ホエー単体では酸っぱさもあり、見た目の色も不気味な黄色がかった乳白色で美味しくもない。
牛乳を入れたらラッシーみたくなるとも言われていますが、それも微妙な味だ。
ご飯などに入れて再利用したとしても微妙で、やっぱり捨てるしかなかったものではありますが、このたび、目出たく美味しくホエーを消費する方法を見つける。

<ホエーを美味しく消費する方法>

先ず、1リットルの容器を用意して毎日発生するホエーを地道に集めて冷蔵庫に保管する。
約1リットルのホエーが溜まったならば、そこにスポーツドリンクの粉を入れてよく混ぜる。
底にはヨーグルトな固形物も溜まっているのでよく撹拌する。
すると、ヨーグルトの酸っぱさとホエーの栄養価・タンパク質にスポーツドリンクの吸収力を持つ万能スポーツドリンクホエー液が完成する。
味もスポーツドリンクの味にヨーグルトの酸っぱさが加わると美味しい。
昨日なんて暑い異世界から帰宅すると500mlぐらいをゴクゴクと飲んだ。
今、仮に腕を曲げれば何かしらの500mlのムキムキなお山を感じるもので、この夏が終わったら、私がムキムキマンになっていれば、それは全てホエーの仕業である。
この夏、私はじめてムキムキデビューするかもで、それはそれで何だか嫌で、ホエーセーブなんてものも考えてホエーだ。

 

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■2025年7月4日(金)
■「きまぐれな唇 ペパーびきに ややや♪」 by Bridge paper bikini ya-ya

 

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■2025年7月7日(月)
■一日一押井問答トレーニング。

「梅干しが完成したー」

七夕のお空とはいつも曇り空のように思うもので、令和7年7月7日の朝のお空もブレ無く曇り空。
このような曇ったお空こそが織姫と彦星の密会の間を繋ぐ天の川という空模様かもしれませんが、デススト2の私は今、雪山とその麓にいていろんなヒトモノコトを繋いでいる。
山の風景はとっても美しくリアルで危険な登山をしなくともデススト2のお山を登頂すればそれで十分なような気もする。
荷物を運び、国道やモノレールの架線を引きと繋ぐことに大忙しで、我々のサムの風貌もピザ屋のハットと山登り用のグラサンを付ければ、どこからどう見ても押井守一門となる。
押井守監督のイメージとは私の中ではいつも犬の柄がプリントした服を着ている感じですが、今回は何か職人気質なアクションスターでもある。ww
この押井守監督の名シーンを作りあげた人たちも自然と笑顔がこぼれたように思うもので、我は真顔のまま画面に釘付けで「えー」とその数秒後に笑顔のビーチと繋ぐデスストランディングな時空の歪みを体感する。ww

【ネタバラシ注意報発動中です ぴ~ぽ~ぴ~ぽ~】

門下生たちは先生からピザ回しの武器と奥義を教えてもらえますが、やっぱり、このようなピザ回しの練習ゴムで鉄砲を持った奴らと戦うのは無理な気がするので、重火器に持ち替える。
しかし、ピザ回しの用の練習ゴムで敵に挑むガンマンとはちょっと格好良いものだ。
打ち合わせの時に取材班が訪れたかもしれない押井守邸で先生が「今ピザ作りにはまっていのだよー」と生地をくるくると練習用のゴムをぷりぷりと回し初めてならば、私なら「コレだー(ドーン)」と一生の思い出になるかもしれない。
私の妄想も暴走中ですが、VR室で先生の奥義を練習出来るようで鍛錬しようかと思えば、「サム緊急事態だ・・・」と次から次へ使い走りのクエストがやって来て、それをホイホイとこなすこの週末でもある。
今日から押井守一門の奥義を習得すべく鍛錬を積む予定ですが、あくまでも予定。
面白そうなクエストが来たらホイホイとそちらに行ってしまいそうな予感もして、ラスボスは押井一門の国宝な奥義を使い、ギターをキュリキュリとさせるヒッグスをゴムピザで叩き潰すのダ!!

m(_ _)mTオッスィ!

ということで、
ピザを作るにしても、梅干しを作るにしても美味しいものが出来るのは時間が必要だ。

今朝は毎年七夕の時期に漬け上がる梅干しをご開帳。
本当は7月4日に上げる予定でしたが、ゲームの配送業務に忙しくて今朝、梅干しの漬け作業を終了させる。
3日間の遅れではありますが大した変化もなく全く問題なし、見た目にもキレイな梅干しの完成だ。
梅壺の蓋を開けるとフワッと梅の香りが部屋中に広がり、部屋中の空気も梅干し殺菌されているような感じで、試しに赤紫蘇を頂くと酸っぱくて顔がくちゃりと歪む立派な梅干しの味でたぶん上手に出来た。
後は実家に送りて梅雨明け後に梅を干してもらえば梅干しは完成である。

写真の左にあるのが赤紫蘇で、奥の液体が梅酢。
梅酢は来年の梅作りにも少し使うので大切に保管しますが、これもホエー液のように少しづつ溜まり年を重ねブレンドされて漬け置きされるお金を出しても買えない貴重な汁だ。

R070613 梅干しを塩漬け
R070616 白梅酢が100%浸かる
R070616 クーラーON
※クーラーをONすると白梅酢の上昇がストップしたので暑くなってクーラーを入れる前を計算して作るのが良いかもしれない。
R070620 赤紫蘇投入
R070704 梅漬け終了予定
R070707 梅漬けを終了させる

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月7日(月)
■涼!

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月8日(火)
■一日一文章トレーニング。

「押し問答を数式化した」

「押し問答」とは不思議な言葉だ。
「押し問答」とはお互いに自分の要求を繰り返して口論することで、日本語ではあまり良い意味に解釈されない。
また、「押し問答」の反対語とは何かと考えれば「引き分け」や「合意」などがイメージできる。
こちらは良い意味に解釈されることも多く「押し問答」の正反対である。

果たして「押し問答」はダメなのか?それは大問題だ。

押したり引いたりすることは「押し・プラス」や「引き・マイナス」な数字にも置き換え可能で、人生とは摩擦の繰り返しでもあることを考えると人生の対立とは数式に置きかえることも可能だ。
さっそく、「押し・プラス」や「引き・マイナス」で小学生みたいな式を書く。

・「押し問答」っぽい計算式とは(+1)と(+1)の関係性
(+1)+(+1)=2
(+1)×(+1)=1
(+1)-(+1)=0
(+1)÷(+1)=1

・「引き分け」「合意」っぽい計算式とは(-1)と(-1)の関係性
(-1)+(-1)=-2
(-1)×(-1)=1
(-1)-(-1)=0
(-1)÷(-1)=1

・「押し問答」と「引き分け」「合意」混合っぽい計算式とは(+1)と(-1)の関係性
(+1)+(-1)=0
(-1)×(+1)=-1
(+1)-(-1)=2
(-1)÷(+1)=-1

数字には-2から+2までの幅があり、上記の数式を見ても人生の対立図を読むのは難しい。
そこで、私はゼロ地点から遠ざかれば遠ざかる程に人生の決裂や疎遠さで深刻となる0地点に収束することを最適解と決める。
2や-2は完全な対立で1や-1は中程度の意見の相違な関係性で、決着点をどこに置くかでもその答えも変わるのですが、今回は0が理想であるとする。

数式の解とは結果そのものでそこに表現される数字の解とは、物事の考え方というよりも案外、損得利益そのものを表示しているようにも思う。
ただし、これらは今日も言葉を繋ぐ為の私の戯言なので御免候。

面白いところは押し問答で対立しても、引き分けや合意しても+2や-2は発生していること。
これは裁判まで持ち越した最終結果のようでもあり、合意することが全ての円満であることを意味しない。

また、一方的な「押し問答」とそれを仕方なく受け入れる「引き分け」「合意」が混じっていても0帯域となることがある。
これは一応の均衡を保っていますが、これはどちらかの一方が折れて平和を保っているだけの歪なカタチとも言える。

上記計算式では引き算的な行動が良い結果を表しているようにも思う。

引き算するということは自分の中の何かを引くことで、誰かに何かを与えているようにも思う。
人生を生きていく上で人に何かを与えることはとても大切なことではありますが、テイカーとギバーの損得の関係性が発生すると一方的に損をするのは「押し・プラス」よりも「引き・マイナス」の方である。
そこで我は考えた。
そのような時には「押し問答」な仕組みに持っていくのが吉である。
引き算思考では(-1)-(-1)=0と合意してお互いに何かを失って0となり、または、押し問答でお互いに対立して得るものがあったとしても(+1)-(+1)=0で相殺されて結局0となるような不思議だ。

これは日本語の文化的なイメージと少し異なり「押し問答」でも「引き分け」「合意」でも、それ以外でも結果としての良いことはあるものだ。
そして、注目する点は足し算な行動が上記数式から見ても全てに於いて良い結果を生み出していないことがわかる。
人生を生きる上で+×-÷が何を意味するのかとは難問ですが、足し算や割り算な人生とは数式的には良き生き方ではないのかもしれない。

ところで、

ベランダの植物の水やりの為に窓を開けると外はすっかりムワッと夏の空気がなだれ込んで来る。
「あー夏がやって来た」とつくづく思う7月8日でした。
ぞなもし。

 

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■2025年7月8日(火)
■なっつーに負けない。

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■2025年7月9日(水)
■一日一文章トレーニング。

「全ては去年のデジャブみたいな一日であった」

昨日はとても暑い一日でしたが今日もとても暑いだろうと予想屋は予言しています。
そして、今朝も毎日の水やりで窓を開けましたが、本日はムワリとする夏の匂いを感じない。
何であろうか?と思う昨日の夏の匂いで、試しにもう一度窓を開けてクンクンと匂いを嗅ぐが単に暑い空気を感じるだけ。
あの匂いも雨が降った時のカビの匂いみたいかと思うもので、このムワリとした夏の匂いを何かに例えるとプールの建物や敷地に入った時に感じる匂いにも似ている。

毎日とても暑くて溶けそうですが、昨日は漬けた梅干しを実家に送る為に100円均一に容器を買いに行く。
梅干しを郵送するにはできるだけピッタリな容器に入れて送りたいもので、家に先日買った2Lの容器はあるのですが、それだと少し大きすぎるのでピッタリなサイズの容器を購入する。
お店に向かってホイホイと、いざ買おうと思ったら財布も何もかも忘れて猛暑な道をトボトボと帰る。
あー何という無駄時間。
これは事務所の前まで行って鍵を忘れて時ぐらいの絶望感を感じる。
梅干しを干す前に私が干物となっても不思議ではない。

坂道をコキコキと登り一息ついていたならば今度は自転車のブレーキーがスカスカと壊れて、あーなんという夏の日かなと思う一日だ。
そして、再び財布を持って100均に行き1.5Lのプラ容器を購入して熱中度も2倍に乗算されてぐんぐんと上昇する。
途中、デパートから流れてくる冷気に救われることもありますが、この体に溜まる暑さとは簡単に下がらない。
デパートのクーラー冷気は理想的であり、エアコン設定温度は何度ぐらいかな?

そして、何年ものかもわからない永遠の漬物石みたいなシーブリーズもどきをペタペタと塗り、扇風機に「あ~~」と当たって汗を切る。
シーブリーズっぽいもの成分を眺めていると、水にエタノール、グリセリン、水溶性コラーゲン・・・etc、あのヒヤリと冷たい感触はアルコール由来のようだ。
アルコールを肌にピタペタとするとその気化熱でヒンヤリと気持ち良い。
そして、むむむっと「待てよ」。
アルコールを肌につければ、せっかく塗った日焼け止めも全部キレイに剥げ落ちている予感でもある。
2度目の100均遠征時にはすでに日焼け止めは全て落ちていたようで、ぎりぎりのセーフでまだ干物にはならなかったのですがヒンヤリ冷たい液体をペタペタして、どうりでこんがりと小麦色に焼けているものだ。
あーめん。

それにしても、梅干しを詰めているとまだまだ余白はある。
1Kgの梅に1.5Lの容器は少し大きいようだ。
もう少し小さいサイズの容器でも良いものかと思うのですが、流石に3往復は無いもので余白部分の空間には食べ物用のキレイなビニール袋で空気を詰めて縛り梅が動かないように加工する、流石のおはこな梱包芸である。
ネット検索すると1kgは大体1Lで良いみたいで、これは料理のレシピなど見ていると散々言われている1kg≠1Lなアレでもある。
来年まで覚えているのかもあやふやなのですが、容器を購入する時は1kgの梅には1Lの容器で良いと言い聞かせて、そう言えば、去年も2Lの容器を間違って購入して買い直していたような気もするもので全てはデジャブである。
人は間違いを何度も繰り返すものかな。

・日焼け止めを塗った後にヒヤヒヤ系のローションを塗ったら、多分、日焼け止めの塗膜は剥げている。
・1kgは1Lで大体OK。

なんやこれ?

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月9日(水)
■走る。
■2025年7月10日(木)
■一日一文章トレーニング。

「割り算っぽい人生とは何?」

加算や引き算な人生とは利己や利他と何となくは想像はできますが、割り算や積の人生とはなかなか想像つかない。
そこでは今朝は割り算っぽい人生について考えた。

マイ呆則では頑固そうだなーと思う人はやっぱり頑固一徹で、どんなに頑固そうに見えない人でも頑固な側面は必ずあるもので、人とは誰しも様々な側面を持っているものだ。
おそらく、学習期間中とはほぼ足し算モードで、そのような足し算な空間を広げようと思うと様々なことを諦めて引き算することも必要で、このように人生とは足し算、引き算、割り算、積と、その時々に応じた使い分けしながら損得計算するコンピューターみたいな部分もある。

割る人生とは何かと考えれば、それは言葉をなぞるのが早道で、先ずは言葉の意味から「割る人生」を探る。

「割る・わる」とは分割、割譲、割烹とあるモノを分割するイメージで1ある何かを分割していく感じ。
1を半分にして1/2、さらに半分にして1/4と割烹料理もまた食材を切って “烹”と煮て、食べ物を彩る感じの割り算な漢字だ。
そして、出汁や隠し味、仕込みなどは足し算や引き算かもしれませんが、料理は割ることに真髄があるやもしれない。

分割する言葉とは「裂く・さく」と「割く・さく」と2通りあり辞書によると「裂く」は布や人仲を引き破る時に使われる言葉。
「割く」は時間を割いたり人手を割いたりと無理やり一部分を引き離すことの意となるようだ。
「割く・割る」とは強引に分割して、漢字の形状からも損害・妨害・災害と災いをもたらす「害」の字を持つ言葉でもあり、分割する意味とはあまり良いことでないことも多い。
実際に、おしいと思いながら省かれる割愛から、切腹な割腹、割引と大切な一部は削られる。

割り勘などの言葉もありますが、こちらは気持ち的にはイーブンイーブンで0となるような気もしますが、先日の押し問答式で見ると(+1)÷(+1)=1、「引き分け・合意」な数字でも(-1)÷(-1)=1と0にならない。
これは少し不思議なことで、お互いに割り勘の出費する痛み分けの1ということかもしれない。
このような押し問答式は合意するかしないかの違いは重要で、同意しないこととは問題は解決していないことでもあり、よって、合意しない割り勘とは伝票を取り合うレジ前のドタバタ劇のようなものかもしれない。

このような何か意味のわからない数字に、少しずつ1や-1、2や-2の意味が見えてくるもので、損得勘定な1もそれ程悪くもない落とし所かもしれない。

また、

他に割り算的なものはないかと考えると米ドルはハーフ・クオーターと割り算的に分割して数える通貨で、米ドルの割り算的な強みとはインフレで元々の1の価値を高めて、それを分割して広める通貨でもあると思う。
そして、押し問答の数字で見ると1となる。
通貨に押し問答も何もありませんが、日本円は足し算型なので2や-2であることと比べても割り算型の通貨には何かの良い面はあるのかもしれない。
はて、それは何なのだろうか???と思いあれこれと。

割り算思考の3倍と足し算の3倍は同じ3倍でも何か微妙に違う感じがするもので、1/3の価値が数年後に2/3価値が増加して1に資産膨張すると1/3+1/3+1/3が3倍で(((1/3)×3)×3)の1+1+1で3となる。
足し算だと1+1+1=3(1×3)に増えても全く同じ3倍ですが何かが異なると言えば何かは異なる。
図から見ると、掛け算が多いことぐらいの複雑さではありますが、足し算思考の劣勢な部分は見えるように思う。

小回りは効く?

何にしても割ることに必ずしも実害がないことは確かのようで、足し算的な思考よりも良い数字を出しているところは興味深い。
割る人生とは日本語ではモノが割れたり腹切りの割るではありますが、それ程悪いものでもないようだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月10日(木)
■頂戴。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月11日(金)
■一日一文章トレーニング。

「昨晩の豪雨で街は涼しくなった」

ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~
ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~ハア~
ハア~ハア~ハア~ハア~と

宣誓、わたしたちpeople(ピオプル)一同はアイス枕抱えてのっとり、夢と炎で燃え上がる情熱と爆熱で力強く正々堂々と闘うことを誓います。令和7年7月吉日

窓を開けると「ここは箱根の避暑地なのですか?」と箱根のお山も登ったこともないのに完全に避暑地モードだ。
箱根の山には美術館があり、木々が生い茂る豊かな森があって清流も流れ、若者たちが我武者羅に走る心臓破りの坂もあり、他に何があるのかわからないのですが、たぶん今朝の東京ぐらいには涼しいと思う。

バンザーイ!バンザーイ!ということで、

昨日の豪雨はピカピカバリバリと怖かった。
ですが、大雨は涼しい風も運んで来たようで都民はすっかり箱根気分だ。
別荘で執筆する文豪先生たちの気分とはこのようなものかと文章もスラスラとだらだらとオーバーヒートを抑える頭のヒートシンクも不必要である。
特に書きたいテーマも無いなかで壊れる文章とはステキな趣きもあるもので、底を見たいと言えば見たい暑さでもあるのですが、僕の夏休みは一旦箱根休憩となる。

さっそく、

「滝雨の 落雷ごろり すず風は 座ったままの 別荘くらし」と一句の貴賓度も高い。

どちらかと言うとサーマーーーと夏好きではありますが、マイヘッドもなかなかの沸騰状態でもあったので「そろそろ銀河圏太陽3丁目の黒点を倒しにいくべー」という暇人3人を引き連れた消火活動を行うポンコツポエムを書かなくて良かった。

「暑さも一息」という言葉がこんなにもステキな言葉であったと感じる今日このごろだ。

この数日間の暑さとは外にいても、中にいても暑暑で、昨日はデスストの極寒な雪山に配達業務をしていても汗だくであった。
クーラーも点いているのになぜこんなに暑いのかとあれこれ発生源を探しているとモニター画面がなぜか熱い。
液晶画面は古いモニターでPS5が繋がっており上部を触ると物凄い排熱を感じる。
PS5本体からはそんなに熱を発していませんが、ポンコツモニターからは謎の爆熱が放出されて体温+10℃の46℃の熱が部屋の上空に舞い上がる。
ひえ~。
これは熱の川みたいでゆっくりと上昇気流で流れていくもので46℃の熱が絶えず放出されれば、それはクーラーが効かなくなるのも納得だ。
さっそく、ネットでモニターを調べると今は4KでもフルHDでも値段がとてもリーズナブル。
こんなにも爆熱する画面は熱量からにして電気代も凄そうで、新しく買い替えた方が経済的にもお得な気もする。

なので、我は4Kモニターを買うと決めた!

現在は普通のPS5+クソモニターでもこんなにキレイな画面でデスストを遊べていますが、4K画面となったらどんなにキレイな画面になるかとわくわく。
昔、PS3でHDMI出力端子をわかっていなかったので、S端子と音声出力の赤い線と白い線で繋いで遊んでいたら「何だか画面が粗くない?」という話になり「そ~かな?」と一騒動となったことが頭に浮かぶ。
クソモニターでも普通にキレイな画面であり、ただ熱量が暑すぎるから買い替えとは何だかすこす諸行無常。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月11日(金)
■ハア~ハア~。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月14日(月)
■一日一文章トレーニング。

「街に台風がやって来る」

嵐の前の静けさなのか窓を開けると小雨降って小さな風が涼しい。
天気予報を見ると知らぬ内に関東平野に台風が向かっているようで、今日の15時には最接近するみたい。
いきなり台風とはびっくりですが、私がこの乳白色なお空を見たとしても台風予測出来ない。
本当に台風はやって来るのかと疑心暗鬼で天気図や天気予報などをあれこれと調べて、台風は洋上をかすり北上する進路でベランダの植物たちも室内に避難させないといけないようだ。
今安定している植物たちを運ぶのも重くて大変ですが、植物たちを室内に避難させると鉢の底に付いたナメクジや虫も一緒にくっついて同居してしまう。
植物たちが台風一過(たいふういっか)までの期間中に狭い室内を占拠すると、我が家は本当に台風一家の家族みたいにもなる。

台風で植物を避難させると困ること。

・鉢を運ぶのが重くて面倒。
・室内に土や虫の侵入を許すかもしれないのが嫌。
・部屋が狭くなる。
・台風が通り過ぎた後に再び戻すのも面倒。

だけれども、植物が枯れたりダメージを受けたりするのも嫌なので避難させる。

社会人となり一番驚いたことを思い出すと天気予報で台風が来ることを知っていても休まないこと。
学校は台風がやって来るとお休みですが、社会は普通に動くもので一番暴風雨が荒れ狂う時間帯に我も「わー」と半分飛ばされながらタクシーを拾って帰ったものだ。
何故?もっと早く帰らなかったのか?と思うものではありますが、未来をイメージしながら行動することは難しい。
電車が突然止まっても無反応で、地震が来ても無反応で、台風が来ても何事もないように動くことは結構凄い。
「今日は台風が来るのでお休みかな」などと私みたに言っていると怒られるので御免候。
台風が来ようとも、槍が降ろうとも、例えカエルが空から降ってきたとしても、家に帰らずに日常通りに動くもので、これは「雨が降ろうが槍が降ろうが」精神ではなかろうかと思う。
これはどのような意味かというと、障害が立ち塞がろうとも堅固な意思は砕かれないことの例えで、不屈の精神を指し示すものだ。
人生の生き方の一部を書き示しているかもしれない。
この言葉は世界的に見てもなかなかに異質かもしれないし、世界一般的かもしれませんが、私の勝手な解釈を加えると雨は自然環境、槍は戦争のことで、自然災害やお上な政治事の二大災いの立ち向かい方を説いているようにも思う。
私達一般庶民の心得みたいな感じで、雨が降ろうが槍が降ろうが・・・と続き、誰しもがそこに自分の何かを落とし込める親切な自由設計でもある。
構文的には私には上手く説明は出来ませんが「安心、安全・・・」とも似ているような気がする。

ということで、

私は今から風で飛ばされて折れたり、倒れそうな植物たちを部屋に避難する。
先ずはオリーブの低木を部屋に避難し、セリの草と実家から持って来たニラの雑草も避難して、細長くて小さいサボテンや種から芽吹いた謎の新緑、エアープランツも避難、ふさふさとした葉っぱの低木も避難して、冬場に枯れかけたけども復活した低木も避難、サボテン三兄弟も避難する。
ほぼ、低い植物以外はみんな避難。
サボテン三兄弟はうねうねとヘビのように曲がり、今や1本を除き真っ直ぐに立っていない魔物系のヘビみたいな植物でもある。
大風吹けばポキっと折れそうなのでこれは絶対に避難しますが、このサボテン3兄弟は3月後半から曲がりはじめて7月現在1本だけが真っ直ぐだ。
サボテン三兄弟はダンスみたいに不思議な舞いの軌跡を作っていて、これが何かしらと連動してメッセージ性を表現していれば面白い也。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月14日(月)
■台風は何処に?消滅!

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月15日(火)
■一日一文章トレーニング。

「やっぱりメンタムの大発見をした」

昨日の台風は右にそれて晴天な天気でしたが、私の右足はただ事ではなかった。

先日足がつりそうになってから何日ぐらい経ったであろうかと、昨晩、寝ようとゴロゴロと足を伸ばしていたらピキーンと足がつりそうになって、やってしまった感が漂う。
そう言えば、お風呂上がりに水分を摂っていないと思い、むっくりと起き上がりキッチンに向かう。
足がつりそうな時にはインターネット先生は水分補給が必要だと仰っていたので、我は必要以上にカイラル茶をガブガブと飲む。
ついでにお風呂上がりの火照った体を冷ます為に冷凍庫からアイス枕を出してそれを抱え転がる。

あ~極楽極楽~。

アイス枕のヒンヤリ度が体を急速に冷やし、脇やおまたに頭と挟み込み体中を急速冷凍する。
そして、ついでに足がつりそうな右足の外側全面も冷やしていると、急にマイ足の筋肉がプルプルと過剰反応してこむら返りを発症する。
つりそうな足にアイス枕は善くない行為のようだ。
足の親指をほんの少しでも動かすようであればピキーンと足は完全にお陀仏にもなりそうな感じで、な~に~漢は黙ってホニャララな、こむら返りの苦痛は黙って耐えるしかないものだ。

泣き

私はよたよたと寝床から立ち上がりキッチンに向かい、この足つる状態の最適解を探す。
足は寝た状態でも無限痛で、立った状態でも、椅子に座っても痛みは止まない。
このような足がつりそうな痛みとは他人には全く伝わらない痛みでもあり、絶望さえも、光になる、NO レイン NO レインボーな止まない雨はないのだ。
そして、冷えた足を手で温めながら机上にメンタム缶を見つける。

そうだ困った時はメンタムなのだ。

歳を重ねると手足のあちこちに知らぬ間に切り傷が出来るもので、そのような傷に塗る薬は正式名称メンタームがよく効く。
もちろん、私はメンタムの営業マンでも無く、打ち傷・切り傷など体の不具合には何でもメンタムを塗るのが我が家の風習でもある。
さっそく、私はそのメンタムの缶を手に取り足にたっぷりと塗る。
缶の裏の効能を見ると筋肉ロイマチスに効果ありと書かれているもので、ロイマチスって何だろうと思いながら同じ筋肉効果に期待する。
ロイマチスとはドイツ語でリウマチのようであり、ロイマチスな即効性は荒ぶるつりの魔筋の暴走を抑えている効果はあるようだ。
足の右ふくらはぎのつり状態が収まると今度は足の裏側がつりそうで足の裏にもたっぷりと塗る。
すると、みるみると足つり状態は収束して普段の足に戻って再び布団にゴロリと寝る。
足つりとはただ黙って耐えるしかない痛みかもと思っていましたが、今回、調査員は足つる患部にメンタームを塗ることで足つりの暴発抑制効果があることを発見する。

足がつったり、つりそうな時はメンタムのベトベータがヨシの呆則!で、また次に足がつった時には再検証したいと思う。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月15日(火)
■もーーめんたむ。
■2025年7月16日(水)
■一日一文章トレーニング。

「正に三種三様のようかな」

植物たちを台風から避難してわかったのですが、サボテン三兄弟は自らバランスを保てない程に大きく成長している。
幹の直径は4センチぐらいと太く、鉢の高さを含めると1メートル30センチ、真っ直ぐな1本しか計測できませんがサボテンの長さだけでも1メートル10センチはある。
1メートル超級の植物とは純粋に「ガーデニングするレベルではねーぞ」でもあり、鉢込み1メートル30センチの植物をよっこらしょと抱えて腰ぐらいの高さまで持ち上げるとさらにノッポさも倍増する。
植物とは単純に植物の大きさだけでなく、移動する時も考えたサイズ感も大切だ。
そして、サボテンは極太の針を刺すサイコ医者のような、そのトゲトゲに刺さると手も腫れてしまう痛さでもあるので注意深く運ばないといけない。
このように大きく育つサボテンとは大きくなればなる程に難易度も上がり、台風一過のこの1本だけは自立して置けないので、まだ外に戻していない。
次の天気の良い日には新しい鉢に植え替えて自立してもらう魂胆で、まるで人を育てるように植物を育てる。
鉢も大きくなると土も増えて重量も重くなり、鉢も大きくなるとさらに大きく成長しそうな予感で、これ以上に大きく成長すると管理もさらに大変かな。

このような不安定な鉢が今まで倒れずどのように自立していたかと思うと、サボテンの1本が壁の支えとなって倒れないように踏ん張っていたようだ。
仲が良いのか悪いのか?とこの3本は仲違いで、それぞれな好きなスタイルで生きているかもとも思っていましたが、鉢全体のことを考える1本もあったようだ。

はじめて我が家にやって来た頃は恐らく30センチもない普通に売られているサイズであったと思うもので、気づけばこのように大きく成長していた。
ヘビや龍のようにうねうねと動かぬように紐で縛ったとしても違う部分から曲がってしまうもので、このサボテンが曲がるのはある意味仕方がないものだと自由に育てている。
何度かの鉢植え交換をしてどんどんと大きく育った植物の生育状況を鑑みれば、植物にも今流行りの生き方やスタイル、または、植物の個性のようなものを感じる。

1本は真っ直ぐで直立不動。(少し曲がる)
1本も先日までは真っ直ぐでしたが、気付いたならば大きく曲がり、これはどうやら鉢コケを防ぐ為かもしれないもので?自己犠牲のバランスで自ら壁で支えているのかもしれない。
1本は成長とともにひねくれて曲がる。(これも考え方によっては鉢の不安定さからバランスを取っていたかもしれない)

実際に風吹けばゆらゆらと鉢全体で揺れたかもしれないもので、この大きさのサボテンにこの鉢は小さすぎで、時折3本全部真っ直ぐな時もある。

植物にも性格があるとはまた変なことですが、恐らく植物にも性格はあるかもで、同じ土、同じ水、同じ太陽が降り注ぎ、全く同じ環境で育ったとしても上記のようなそれぞれな育ち方をする。
これを植物の性格と言わないで何と言うべきなのかの植物の三種三様だ。
性格とはその人が生まれつき持つ性質で人柄や人格のことで、または、その事物が持っている性質のことでもある。
果たして、植物にも性格はあるのかどうか?このサボテンの育ち方を見ればあるような気もする。
知らないけれども。

サボテン三兄弟が真っ直ぐに育っていたならば、直径20センチぐらいに収まる育てやすいコンパクトな植物となるが、現実はうねうねと曲がり育ち広いスペースも必要だ。
もしかしたら、ひねくれた1本も単独で鉢に植わっていたならば真っ直ぐに育つかもしれないもので、誰かが何かを支える構図とは集団で生きる社会の縮図のようでもある。
結局台風は来なくて植物大移動の取り越し苦労とはなりましたが、暑さも一息、自立できないサボテン三兄弟にも気付き良かった、良かった。

 

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■2025年7月16日(水)
■ホップ・ステップ・かわいい。

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■2025年7月17日(木)
■一日一文章トレーニング。

「落語風のいびつな3本の矢」

いち、にー、さんと3の数字にはどうやら世間を表す記号のようだ。
確かに、町に虎がいる嘘も一人や二人では信用されませんが3人が言えばついつい人は信じてしまうかもしれない「三人虎を成す」だ。
また、「3人の秘密とはそもそも秘密ではなく」知る人が2人以上だとそもそも秘密を保持できない。
「三人よれば文殊の知恵」と3人の叡智を結集すれば良い知恵も浮かぶかもの3で、これら3の数字には「三人よれば人中(ひとなか)」と世間を表す3であるような。

チャンチャン♪チャチャ♪チャン♪

「へい、旦那様お呼びでしょうか」
「喜平よ、この床の間のサボテンは何だ」
「へい、このサボテンは先日旦那様が玄関から移動させろと仰せられたサボテンでございます」
「喜平よ、今日はお茶の先生やお取引様など大切なお客様が来られる中でこのようなけったいなサボテンを床の間に飾っていたならば我が家の恥となるものだ、さっさと片しなさい」
「へい、旦那様承知つかまりました」
「なぁ、喜平よ、そもそも私がなぜこのサボテンを片しなさいと言った理由を知っておるのか」
「へい、旦那様、門前にヘビのような大きなサボテンが伸びていたら、ヘビ屋敷であるとの噂が立つやもしれないとのお話でござります」
「そうだ、この大きな異国のサボテンは日当たりの良い場所に置いていたらみるみるうちに大きく育ち、今やお客様も見下ろす如くでもある。また、毎日見る度ににょろにょろと動いているようでもあり至極薄気味悪い。あの憎き良太の通り道にでも植えて幹から生える太い針を奴にお刺しておくんなまし」
「へい、旦那様承知つかまりました候・・・ただただ一つ困ったことがありまして名芸者の祝い事か何か市中から花という花が消えたようであります。床の間に艶やかに立派に飾るお花は手に入らないと家中の者も困っており、お茶の先生と言えば、この江戸の町でも名の通った大先生でもあるので、このサボテンのうねうねとうねる美の侘び寂びをさぞ理解してくれるやもしれないと期待するものでもあります。遠目で見ると私めでもこのサボテンの持つ独特な形とは松にも劣らない立派な風貌のように思うものであります。」
「番頭がまた変なことを申し始めて、私を上手くまるこめようとの魂胆が見え見えだ。わしはあの良太という男の足にこのサボテンの太い針がグサッと刺さり、運良ければめーんと蛇みたいなサボテンが倒れくれても尚良しだ。今宵の床の間は掛け軸だけで良い。」
「へえ、旦那様の仰る通りでございます。ですが、我が家の名誉の為にも掛け軸だけでは箔が付きません。このサボテンは動かしている時にふっと気づいたのですが、あまりにも大きく成長しているもので単独では立てないことに気付くものです。なぜ、今まで倒れなかったものかとその理由を調べていると1本のサボテンが壁で倒れないように押さえており、もう1本のサボテンがうねる重心を探りて均衡の間を保っていたようであります。この3本のサボテンは面白いことにお互いに助け合って自立していたことにあります。よく見ると、真っ直ぐに伸びるサボテンは龍のように天登る立派な長男のようで、うねうねとバランスを保つのは思いもよらぬ発想で新しい発展の礎を作るやもしれない次坊であり、影で倒れないように鉢を支えるのが三坊がいなければ倒れてしまう器でもあります。3人揃えば世間であると言うように、この3という文字は不思議な魔力があるもので、3つのサボテンがお互いに役目を果たし家を立派に盛り上げるご様子は、この喜平には御子息様の立派なお姿と重なって見えるのでござります。今宵は三坊のご養子のお話でもありますが、この小さな鉢の大きなサボテンが倒れないように影で支えていたのは次坊や三坊でもあります。器を大きくすればこのサボテンも家ももっと大きく大蛇や登り龍のように育つように思うやにしれません。3本の矢という程の真っ直ぐな矢ではありませんが、このうねうねと曲がったサボテンの矢のお話で御一行様をお迎えすれば皆様さぞお喜びになられようかと思うものございます。」
「ふむむふ、まだまだ白紙ごとではあるが、わかった頭に入れておく。随分といびつな3本の矢というものもあるもので真っ直ぐな矢だと確かに角が立つものだ。お客様方々にもぜひ見せてみたくも思う盆栽でもあるので床の間のサボテンはこのままで良い。」
「へい、旦那様かしこまりました。さぞ、三坊もお喜びになるやと思います。さっそく、今宵の宴を滞りなく進めて参ります。」
「ところで、喜平よ。町から消えたというお花はお主が買い占めた訳ではなかろうな。」
「いえいえ、私めが買い占めた訳ではございませんが、ただ、旦那様が次に夜の町にくり出される時には皆様から大層感謝されておもてになるやにもしれません。」

チャンチャン♪チャチャ♪チャン♪

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年7月17日(木)
■トン♪トン♪トン♪