*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年8月1日(金)
■一日一文章トレーニング。

「コンプレッション・Comressionとは圧縮・圧搾(されること)簡素化・扁平化」

今朝は久しぶりにしとしとと霧雨みたいな雨降りて久しぶりに避暑地みたいに涼しいぞ。
この猛暑を耐えた植物たちにもご褒美のハイポネックスをかけるもので植物たちも風にゆられうれしそう。
私も強い太陽光に晒されてもよくぞ干物のように乾燥しなかったもので、まだまだ「人間を舐めるなよ」と新しいコンプレッションな防護服をゲットしてレベルアップしている。

ということで、

コンプレッションな服の何が良かったのか、その驚きの素材感の感想を再び整理する。

先ず、ピシッと体に纏わりつき伸縮する服の素材は肌身を守ってくれているような安心感はある。
ペラペラの薄い素材ですが自転車に乗って例えコケたとしても何だか体を守ってくれそうな予感のする鎧感覚でもある。
このフィットした服は血流の循環を良くする効果があるようで、テーピング的な防護機能を果たしているようだ。
特に長袖は直射日光や街に潜む危ない危険からも守られているような新感覚。
よく、SFマンガで体に密着した戦闘服を着ているイメージでもありますが、戦闘服とはピチピチな服を着ている方が動きやすいかもしれないもので創作する未来のイメージとは単なるエロでは無い先見の明もあるようだ。
その内に自衛隊の服もピチピチ・コンプレッション素材のウェアになっているかと思う。
ただ、コンプレッションウェアが普及して困ることは体のラインがそのまま出ることだ。
マイ体のラインとは公衆面前な衆人監視の元に晒される代物のでは無いもので、これは犬がケツの穴を堂々と見せて尻尾ふりふとり歩くことと同じ位に恥ずかしいように思う。
あーあ、神様、私にどうか何の労力も発動せずに彫刻のような、モデルみたいな美しい体のラインをお与え下さいませ。
お願い、、、
具体的な体型はちょっと思いつかないのですが、コンプレッションウェアを着た時に格好良くみえるアスリートみたいな肉体美が理想的でもある。

ポリエステル素材の特徴は軽くて速乾性が良く汗はすぐに乾燥するようで、シワになりにくい。
イッセイミヤケさんの服もそのような体に密着する楽しい感覚のポリエステル素材の服のようで、そのようなポリエステル素材にわざとシワを付けて、シワがシワシワとならない高度なシワシワ熱圧着テクで加工しているようだ。
もし、宝くじが当たったならば、第一にサボテン三兄弟の素敵なおうちを購入し、そして、私の器はイッセイミヤケさんの素敵な未来的な高級ラインの服を購入することにした。
サボテン三兄弟に今日もコンプレッションな圧念を送りわくわく♪
今日も寝そべっているサボテン三兄弟よ!頑張れ!

ポリウレタンの仕組はスポンジのような気泡構造で、吸収衝撃性、断熱性に優れているようだ。
太陽光の熱を遮断してくれていたのはウレタン結合の気泡の空間があることによって断熱効果も発生しているのかもしれない。
体に耐衝撃性も高まればそれは守られた感じがするもので、服はもともと脆弱な体を守るものとして発明されたと思うのですが、それがファッションな見た目となり、今再び気候変動な猛暑な自然に打ち勝つ為の「人間を舐めんなよ」の化学繊維な変革の息吹を感じるものだ。
江戸から明治にかけて、ちょんまげや和装から洋装と目に入る意匠も異なれば時代感覚も一気に進むものだ。
世の中の変革とは目に見える服装も変われば時代感覚の景色一気に進むかもしれないもので、化学繊維な服に変わり見た目も変われば、私達の住む世界も同時に新しい良い方向に変革されるかもと期待するものだ。
それもこれも化学繊維の新しい服の普及にもよりますが、この夏の殺人的な暑さは見た目よりも機能性を重視する可能性を予感させる暑さでもある。
今日は涼しいですが。

写真は以前もアップした未来予測な宇宙からのダークマターという私の完全なイケてる画の流用であります。
人工筋肉、手が4本あったり、肩の張り方が面白いのでもう一度アップしマッスル。
いやはや、ダークマターって何かな?の本当にファッションセンスが0で面白い。w

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年8月1日(金)
■肩かたカタ。

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■2025年8月5日(火)
■一日一文章トレーニング。

「今日も最高気温39℃で暑いようだ!」

いやはや、「ァヅイ」!
昔は36℃の体温みたい人に囲まれたような温度で「アツイよー」となっていたと思うのですが今は39℃な新常識でもある。
この猛暑な暑さとは「ア」の字は小さく溶けてしまっても不思議でもない暑さでもあり、暑くもなるとあれこれ妄想も膨らむものだ。
最近の東京ではヒートアイランド現象な言葉も全く聞かないもので、どの場所でも全て暑いようだ。
個人的には何の証明も出来ませんが二酸化炭素や強い太陽の活動もあるとは思うのですが、無線電波による水蒸気の温めも外気温度を上昇させる要因としてはあるかもと予感する。
※あくまでも予感です!!

無線電波の発展状況をネットで調べると下記のようになる。

1G 1980年~
2G 1999年~ iモード
3G 2001年~ スマホ
4G 2010年(2012年)~
5G 2020年~

電波を阻害する要因としては空中の水蒸気があるようで、無線電波を阻害するとういことは逆算的に考えると水蒸気は無線電波のエネルギーを吸収している可能性もある。
日本は蒸し暑い夏だとすれば空気中を温める水蒸気はイッパイで、5Gの基地局は4Gの時よりも2~3倍の電力を使用しているようであり、そのような膨大なエネルギーが常に空気中に撒かれるということは地球もある意味、無線電波が飛び交う光星の仲間入りみたいでもある。
無線電波のエネルギーとは空気中の水蒸気と干渉してレンジのように温める可能性はあるかもとは常々思うもので、無線電波が昼夜飛び交う場所とは自助作用で温度が調整出来ない場所となるような予感。
そうなれば、外部からやって来る温度に常に強く影響を受けるもので、東京で温められた空気はどんどんと内陸地に集まり無線電波で保温すれども冷えないものだ。
さて、今後再び「サマー」なトキメク夏夏々はやって来るのでありましょうか?

ということで、話は変わって、

ANAの冷凍機内食のビーフハンバーグステーキの「ハ」の字が小さく印字されていることを確認する。
「ビーフハンバーグステーキ」な表記とは仕様なのか設定のようでもあり、ビーフとステーキに挟まれた真ん中に小さな「ハ」の字があっても違和感は何も感じない。
もしかしたら、ハンバーグという長い文字を小さく圧縮して表示する為の小さな「ハ」かもしれないもので、そう言えば、昔のレジのレシートの印字とは限られたスペースしか表示出来ないもので、全角記載すると商品名が全く記載出来ないので、半角カタカナ文字を混ぜて頑張って記載していたものだ。
ハハハ

こんなにも毎日暑くなると晩飯の食も少し細くなるもので、余った晩飯のお米を使いおにぎりを作る。
目と口もついたかわいい一口サイズのおにぎりで、おにぎりの主の顔もどこか夏バテ顔だ。

ご飯は令和4年産の備蓄米を使用。
備蓄米は最初疑心暗鬼に食べたものの、ご飯の良し悪しとはななかな判別するのも難しいもので、翌日に食べるおにぎりでも普通に美味しく食べれるので備蓄米でも全く問題なしと思う。

おにぎりの頭の上の赤紫蘇は今年の梅干し作りの副産物の赤紫蘇。
一日天日干したやや乾燥気味の赤紫蘇を使用していますが、梅干し作りの赤紫蘇は乾燥させるべきか否かも梅人生の大きな分岐点のようにも思う。
個人的には梅酢に漬かったままの赤紫蘇をおにぎりに使用する方が美味しくて好きかもしれない。
赤紫蘇の味はほぼ梅干しの味でもあり、梅干しの代用品としても使える優れものですが、滴る梅酢の赤い液体がおにぎりに染み込み美味しいとの噂もある。

おにぎりに目と口を付けたならばとってもかわいいおにぎりの完成で、欲も出ればほっぺも赤くかわいくしようと去年産の赤紫蘇ふりかけをふりかける。
そうすると、白くてかわいいおにぎりのかわいさが半減。

この余計な一手を加えて台無しする事柄とは図工の水彩画の絵の具で少しこだわった一筆を入れて全て台無しにすることにも似ている。
あそこで止めておけば良かったと思う、おにぎりの一手間でもある。

学校の水彩絵具とは少し難易度が高めなような気もするのですが、あそこで止めておけば良かったと思う経験をする為の水彩画かもしれないもので、今からおにぎりに梅酢をちょろりとかけて食べてみる。
梅酢はかけない方が良かったと思うか否か、それは食べてみてからのお楽しみ。

 

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■2025年8月5日(火)
■おにぎり汗は赤紫蘇でやさしく拭くのであります。

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■2025年8月6日(水)
■一日一文章トレーニング。

「茹でカエルとはなりたくないが、何が出来ると思っても何ケロ」

夏もこれだけ暑くなれば「なぜ?なぜ?」とその理由は気になる。
しかし、そのような「なぜ?」は結果のみが明らかなになるもので、その理由は皆目わからない。
昔のように熱中症などにも気にせずに夏の日差しがキラキラと輝く小川に、子供たちが網を入れてモロコやヤゴなどをワイワイと採取するような気持ち良い夏は戻ってくるのでしょうか?
夏の甲子園開会式も暑すぎる夏の為に夕方時間開催となったようで、もう決して戻らないかもしれない楽しい夏かも。

この夏の暑さや自然の猛威を端的に表す文章はないかと調べると、夏目漱石「三四郎」の有名な文章を見つける。

先生があれこれと小難しいことを仰る一節のようで・・・これは間違いなく難文だ。

「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうから面白い、崇高だとか、偉大だとか、勇壮だとか。みんな人格上の言葉となる。人格上の言葉に翻訳することの出来ない輩(やから・者)には、自然が毫(ごう・毫末と非常に少ない例え)も人格上の感化を与えていない。」

この難解な文章をタテ・ヨコ・ナナメと熟読しその真意を探る。

「自然を翻訳する」の意味とは、私は未知なる自然を観察し対話することと解釈する。
人でも何でも謎多く答えのない事柄や翻訳作業が必要なことは、現代社会ではとても煙たがれる。
残念だけれども、(1)入力したならば(2)と答えて行動しなければならないのが人が営む社会生活でもあり、人は今や昆虫やコンピュータのように行動することを求められる。
これでも人間は本当に人間と言えるのかではありますが、生命がある以上動く人間でもあるし、電気で動く機械と言えども動いていれば生きているとも表現するものだ。
植物とは自然の一部であり生態の謎も多いですが、人もまた自然の一部と言えば自然の一部でもある。
その行動や言動ひとつとっても意味不明なことも多いもので、おそらく、先生はそのような自然な謎の部分と対峙する時に適切な言葉として外国語を翻訳する「翻訳」という言葉を使っているように思う。
何か注視してその意味を深く知ろうと思ったりすると、それは確かにその対象物を自分なりの言葉で翻訳する作業は必要だ。

時に謎の植物でもあるサボテン三兄弟や植物界のお嬢様などの植物も面白く観察していると人格化は起こる。
人格化とは観察もすれば自然と人間同等に大切に扱うもので、神々しさや畏敬の念などの自然と生まれる敬いの気持ちだ。
そのような状態がこの文章の中の「人格上」の「上」となるかもで、「人格上」を感じて初めて何かしらの行動を生み出せるとも読める。

そして、

そのような自然物を観察しない人物のことを先生は「翻訳出来ない輩」と表現し自然から得る情報もなければ感化されることもなく、感化とは良くも悪くも人の心を動かす力のことで、物事を観察し翻訳もしなければ何の行動も与えないと言っている。
街に住まう私達とは富士山みたいな自然とは隔絶されており、私達の観察対象とは人間や人間の周りにある人工物(人工物もまた自然の人間が生み出した自然物ではありますが)ばかりで、猛暑で苦しむようになってから自然環境との対話や翻訳に疎かった自分自身に気付く。
「三四郎」の物語では西欧化進む社会に対する自然との対比のようで、何やら詳しくはわからないのですが自然主義、浪漫主義をゆり動く心のゆらぎを表れでもある???
自然環境云々な話とは全く関係ないかもしれませんが、この短い文章から何か文章を書くとなれば、自然を翻訳してこなかった自分自身の反省文でもある。
この夏の暑さとは人間社会第一にしか見てこなかった私達が自然環境の変化の猛威に直面しても未だ何も行動できないホラー感でもある。
その顛末は如何に、、、

 

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■2025年8月6日(水)
■おにぎりダンサーズ。

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■2025年8月7日(木)
■一日一文章トレーニング。

「茹でカエルを救出せよ」

写真はお気に入りのヤノシュのカエルのぬいぐるみ。
どこから見ても、フォルムも全てかわいい。
頭に今年から愛用する少量沸騰用のビーカーをかぶり、茹でカエルの危機でもある。

いやはや、昨日も引き続きとても暑かった
いやいや、本当にこんなにも暑くなって、どうなってしまうのでしょうか?。
全ての体に溜まった悪い成分が汗と一緒に「どどどーっ」と流れ出てデトックス感も満載だ。
体の中の全ての毒素を体内から出した後は「ドドドーっ」と体内から疲労が溢れ出しもう動けん。
しかし、ちょこまかと外に這い出るもので、その度に汗だくとなる。
流れ流れ出した汗は1日に1000gペットボトル分ぐらいは放出しているかもしれない。
1000gは痩せたかもしれないと思うと、暑い世界から戻るとホエー入りのスポーツドリンクをごくごくと飲み、また、冷たいお茶も飲み喉を潤し、栄養補給のおやつも食べて、結局、「えっ」と1000g超えのイーブンイーブンなのだ。
※1kgとはファンタジーだ!
しかし、ビジネスウーマンとはこんなにも暑い外の日陰でわいわいと楽しそうにお弁当を食べるもので、ビジネス漢たちも一滴の汗も感じさせない涼しい顔でお昼ごはんを食べに街を闊歩する。
お主たちはスーパーマンか何かの末裔なのかと思うもので、もしかして、この太陽の元でハァハァと暑がりを歩く甘ちゃんは我のみかと絶望していると、アツアツと汗をタオルでぬぐい歩くダンディーや、日傘をさして汗だくに赤ちゃんを抱えるお母さんが通り過ぎて、やっぱり暑いのは間違いないよねー。
この暑さは私の妄想でなくて良かった良かったのですが、いやいや、暑さと誰かの妄想であって欲しい暑さでもある。
涼しい部屋にいればこの暑さの危機感は感じないものの、涼しい部屋に入ったからとしても体内に溜まった熱はなかなか下がらない。
日本最高気温ではない39℃ぐらい???の体温上回る高温の中を移動していると、これはもう高熱な風邪でダウンしている症状とあまり変わらないような気もするもので、この状態はコジプロ風に表現すると「茹でカエル手前症候群」な病気でも良い予感。
熱中症は昔部活でなったことがありますが、視野が一瞬ザザザと白黒となり直立不動が出来なくなり片膝をつくもので、バタリと倒れないところが私の格好良いところだ。
そして、水を飲んで休んだならば、ぴょんぴょんと飛び跳ねカエルでもあり、この新常識な暑い夏のザ・ファーストゆでガエルは私で間違いない。

ということで、

この猛暑に打ち勝つ為の私の秘策を書き出した。

先ず、家のガスコンロは極力使用しない。
ご飯のおかずはホットクックを多用して部屋に出来るだけ熱を貯めない。
暑いのは人間様と外気の暑さだけで十分。
暑い夏には冷たいお茶は必須ですが、約2日間で消費するお茶は大きなやかんを沸騰させて作る必要がある。
そのようなお茶も朝晩のまだ涼しい時間帯にガスコンロでお湯を沸騰させて作る。
カップ麺やティタイムなどの小さなお湯は今夏から始動する直接火にかけられる耐熱ビーカーを使用して必要な分だけの少量を沸騰させる。
少しだけの沸騰だと換気扇を回しても火の熱量もさほどでもあり、涼しい部屋の室温が急激に上昇したりすることもない。
使用している耐熱ガラスは300mlを直接火で沸騰できる耐熱ビーカーのようなもので、これはこの夏に大活躍するニューフェイスでもある。
象印の魔法瓶に氷を入れて冷たいお茶を入れることも冷蔵庫を開けたり閉めたりしなくて毎年大活躍している。
電気代金を抑える秘策も必要なもので、今年から洗濯物の窓側にかけて部屋干しすることは完全に廃止し、洗濯物は全部お風呂場で乾燥させている。
どうやら、窓側で洗濯物を乾燥させると部屋の湿度が高まるようで、そうするとエアコンの除湿機能が作動して電気代も上昇するようだ。
洗濯物をお風呂場乾かしにしてからは少し電気代も下がったような気もするもので、これは大変効果があるオススメ洗濯(選択)かもしれない。
何より、室内の温度を上げないようにサーキュレーターを作動させ、クーラーを作動し続け、遮光カーテンで太陽光を遮り、との努力も洗濯物の湿度で蒸し蒸し度が高まれば全て台無しとなる。
地球温暖化の二酸化炭素云々ありますが二酸化炭素増えれば植物は光合成がたっぷり出来るのでうれしいもので、毎日、室内の閉鎖空間のデータを計測する者としては「水」の温室効果が最も高い要素だと思う。
水はすぐに外気温度を吸収するので、注目するのは二酸化炭素云々よりも水蒸気なのであると、窓際の部屋干しをやめた者は申す候。
植物界のお嬢の為にもカーテンは少し開けて光合成できるようにしていますが、我が家の断熱対策は去年よりも進化している。
後は、ゆでガエルになる前に穴にもぐり、モグラの良きエサとならないように気をつけるかな。

 

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■2025年8月7日(木)
■ヘルプ!暑いよー。

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■2025年8月8日(金)
■一日一文章トレーニング。

「夏を乗り切るカバンの中身!を整理整頓して腑に落ちた」

写真はこの暑い夏を上手にやり過ごす為にチェックしておきたいバックの中身。(適当!)

先ずはサングラス。
これは夏でも冬でも眩しい時の必需品。
コンパクトなので年中いつもバックに入っている。
ともなれば、メガネケースとはとても汚れているもので、私は先日スニーカーを洗うたわしでゴシゴシとこのサングラス入れを手洗いする。
このサングラスケースとは専用のメガネ入れではなく、たまたま持っていた何かの入れ物をサングラスケースに代用したもの。

サングラスは光の眩しさだけでなく、外界とのシャットアウトにも重宝する。
移動中はいろんなアイデアやテーマなど沸々と湧く時間でもありますが、眩しくてサングラスをかけて移動していると不思議に話の種や観察力もガタ落ちで何も考えずにただ移動することのみに集中する。
サングラスには情報遮断の効果もあるようで、何かに目の前の一つのことに集中したい時にはサングラスはありかも。

次はコンプレッションウェア。
これはアクティブに活動したい時に着ると体をガードしてくれる優れもの。
肌身を焼く太陽光もその長袖ボディーは守ってくれるもので、バックに一着入れておけばいつでも必要な時は着替えて戦闘モードとなれる。
コンプレッションウェアは汗をかいてもすっきりとした着心地で、強い太陽光に晒されてもウレタンフォームな断熱材が体をガードしてくれて不思議と暑さも和らぐ。
しかし、涼しい家の中でこれを着ていると圧迫されて苦しい。
そして、当然、私はこのような服を一度もバックに入れて持ち歩いたことはない。
スポーツウェアを持ち歩くようなこともなく、全てはファンタジーであり、夏の理想のバックにこれ一着入っていれば良いなーの思いつきだ。

保冷袋は銀色のキラキラした宇宙服みたいな素材の袋。
これはスーパーで買い物をした時に、入れて持ち帰ると冷たさを保持してくれる袋。
お肉やお魚、冷凍食材をスーパーから家までの長い道のりを冷たく保冷できることは有り難い。
むしろ、これがないと全ては暑い温度の中で溶けてしまうので、これ無しの買い物は考えられない。

このような銀色のキラキラとした素材は宇宙人の服のイメージでもある。
宇宙人の服装とはゆったりと体型を隠すよりも体にフィットしたコンプレッションな服を着ている感じでもある。
未来の暑くなりすぎた大地に住まう人類もこのようなピチピチの銀色の服を着て歩いているかもと思うもので、そう言えば、昔の何かの物語では、宇宙人は暑くなった未来の地球からやって来た地球人であったような。
そして、私は思いつきでこの銀色の保冷素材でカーテンを作り、家中を冷え冷えの保冷パラダイスにしたい。
保冷バックはヨーロッパのスーパーだとオシャレな保冷エコバックが販売されていますが、国内のスーパーではあまり見かけない。
このような全てを溶かしてしまいそうな日本の夏こそ保冷素材の袋が何より必要だ。

そして、バックをガサゴソと整理整頓していると、このような猛暑の中で読めない文庫本や入れたまま忘れられたモノたちがゴロゴロと出る。
絶対にその日に使わないバックの重しとは誰しも毎日運んでいるかもで、合宿など行くとなぜそのようなモノをお家からわざわざ持ってくるのか?と他人が旅行に持ってくる持ち物に興味津々。
カバンの中身とはそれ程に深淵で、奥深く不思議な人間模様があるものだ。

ということで、「あなたのバックの中身を見せて下さい」とバックを整理整頓。

整理整頓とは乱れている物をキチンと整え、どこに何があるかと理解し、不要なものを取り除き、モノを取り出しやすいように片付けること。
ここで問題となるのが整理整頓の「頓・とん」。
「頓・とん」とは計画が途中で挫折することの「頓挫」の「とん」で、昔の人は知恵の中で整理途中の頓挫も想定内の頓知(トンチ)の効いた言葉だったかもしれない。
これは正に整理整頓の未来を暗示しているようで、道理で整理整頓とは上手くいかないものだ。

 

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■2025年8月8日(金)
■88ハウス!

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■2025年8月12日(火)
■一日一文章トレーニング。

「諸行無常な気持ちがだんだんとわかるお年頃だ」

土日の出前の丼ぶりはフタの窪んだ部分に真黄色なタクワンが2個乗っかった親子丼、父が時折お土産に買ってきた内側が銀紙補強された紙箱に詰められた焼き飯や、普通の透明のプラ入れに入った焼きそばは普通ではない美味しさの焼きそばである。
そのどれもが思い出補正かもしれませんが、どれも美味しい思い出だ。
長く人生も生きれば誰しもがいくつもの懐かしの美味しいお味を持っているもので、それらはもう二度と食べることの出来ないお味でもある。
もし、人生を巻き戻せることが出来たならば、今は失われたそのような手味な絶滅食を保存したくも思うものだ。
しかし、食べ物の味とは写真の映えやレシピ以外の見えるカタチとしては復元できないもので、お店の継続や家庭料理の伝承が続かなければ確実に途絶える。
継続とは唯一の答えとは限らないものではありますが、味の開発者にはその代で味を途絶させる選択肢もある。

さて、失われた味と、新しく作られる味の増減を比較するとどちらの方が多いのでしょうか?

私の直感だとここ数十年でどこの街でもカーボンコピーのような同じお店ばかりは増えましたが、料理屋さんはまだ調理する分お店ごとの特徴はあるように思う。
ネットにあるレシピの数は無限大ですが、こちらの方は今食べられている~風な味の再現方法が多いような予感で、新しい味と言えばわーっと広まり、さっと消える一過性のブーム食みたいな感じでもある。
なので、やっぱり新しい味とは結構少ないのかもしれない。

焼き飯をパラパラなご飯にする方法とはいろいろですが、それを実行したところであの味にならないもので、お土産箱の雰囲気や場所や、お腹が減った時のおにぎりが美味しいように「涙とともにパンを食べた者ではなければわからない人生の味(シェークスピア)」というものも確かにある。
その時々の環境や人によっても味の感じ方は人それぞれで、数値化だけでは補い切れないのが食の魅力だ。

継続することとは生物的に考えれば生き物が環境に適した子孫を残していく過程でもある。
お店の味の継続も経済的にはお客様の支援を得て引き継がれていくお味でもある。
一般論として絶滅した動植物を地球上に不必要な生物であったとは誰も言わないと思うのですが、経済効率に毒された人類ではそのような生物の淘汰も是であると言い切るのかもしれない。
それはなかなかにホラーなことでもあり、効率化された資本原理のチェーン店の味が後世に引き継がれる味となることは寂しい。
食育は家で作るか?外食で育てるのか?の違いはありますが、大企業に対するアンチテーゼとしての小さなお店を選ぶ選択軸は常にあった方が全ての人に有益かと思う。

料理の作り手が美味しいものを食べさせてあげたいと思うのはお料理への愛情だ。
同時に食べる自分自身が食べて美味しかった食べ物を大切な誰かにも食べさせてあげたいと思うこともまた愛情である。
料理の周辺には何かしらの愛が溢れているもので、「汝(なんじ)生きる為に食うべきで、食う為に生きるべからず」と食べ物のまわりには生命が生きる本質があるようにも思われる。

土日祝のお手軽定番の焼きそばは家で作っても全くそのような味の足元にも近づけない不思議なお味で、何の味かと思い出しても一度も食べたことのない未知な焼きそば味である。

記憶の紐を辿ると
(1)間違いなく焼きそば。
(2)伝え聞く情報によるととても小さくて汚いお店だったらしい。
(3)お酢を入れて食べたら味変してさらに美味しくなった。
(4)おばあちゃんが一人で作っていたようだ。
その店の雰囲気も想像しか出来ませんが、一人カフェを出来ないような甘ちゃんな私ではおそらく一人では入ることのない門構えでもある。

そして、事務所までの道のりでも謎に気になるお店は多々ある。

1店目はおじいちゃんとおばあちゃんが二人で営業しているお店。
いつも前を通る度にドア開放の店内丸見えでエアコンはあるのかな?
2店目は大きな室外機もありガテン系な人たちをどんどんと吸い込まれるお店。
営業時間がご飯時間帯に限られてそれ以外はシャッターが降りている。
3店目は誰がこの中に入っていけるのかと思うぐらいの小さな間口で、時折、行列が出来ているので有名店のようだ。
・・・と、いつもよく前を通るお店ですが敷居も高くいつまでも入れないお店だ。

 

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■2025年8月12日(火)
■8月12日ですヨー!

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■2025年8月13日(水)
■一日一文章トレーニング。

「村上春樹さんの物語に出てくるバーのカレーのお値段は?」

村上春樹さんの小説にオサレなバーがよく出てくる印象はある。
そして、そのようなバーのカウンターでは主人公がカレーやオムライスを食べている記憶もあるもので、本当にそのようなシーンがあったかは定かではありませんが、他の人と話してもバーのお食事は確かにあるような気がする。

これは「村上バーのカレーのお値段はハウマッチ?」な問題のお話でもある。

あなたはバーの店主でありジーンズにポロシャツ、白いスニーカーを履いた小綺麗でモテそうな男性に提供するカレーの値段を自由に設定することが出来る。
カレーは常連だけの特別食かもしれないし、メニューに載っている定番飯かもしれない。

学生時代に読んだ私のイメージだとバーのカレーのお値段は750円や820円ぐらいかなと思ったりもする。
ですが、今現代の物価状況からお値段を算出すると1500円位が適当のようにも思う。
そうすると、750円から1500円の2倍・100%の価格上昇率でまるで令和の米騒動みたい。
物語から算出されるカレーやオムライスのお値段は2000円ぐらいとの意見もあり、人それぞれで面白い。
私達の学生時代から現代までの肌感覚からすると、約2倍オーバーぐらいの物価上昇率となるようで、これを毎年空想して集積していけば自分なりの物価の上昇率を想定できるかも。

バーなので通常の洋食屋のカレーよりも高くはなるはず。
そして、観光地や聖地化した専門店のお値段よりは安くなるであろう。
店内にカレーな匂いが漂っては台無しなので乾き物の感覚のレトルトの線もありますが、近くの洋食屋から仕入れや、賄い飯としてのマスター直々のこだわりのバー飯の可能性もある。
店内は大きなスピーカーからレコード音源が鳴り響き、机の上に何も置かれておかれていないようなスーッと真っ直ぐなキレイなカウンターのある高級なイメージ。
文章から想像されるカレーのお値段とは社会状況を鑑みた適切な物価の相場感覚を指し示している可能性もあるもので、実際のモノのお値段だと特売や外部環境と様々に影響し変動するもので、まちまちな仕入れ原価や卸価格をホイホイと公言するような業者も存在しないと思うので、消費者が文章から読み取るバーカレーの相場感覚とは案外的を得たその時代や年頃の価格帯の指し示すのかもしれない。

それぞれの世代ごとに抜粋した一文を読んでもらい「さて、このバーのカレーのお値段はいくらぐらいと思いますか?」という簡単なアンケート。
バーのカレーというのはほとんどの人が絶対に食べたことのない食事でもあると思うので、これが妄想力を爆発させる。

ということで、

当然、私はバーカレーを食べたことはありませんが、東京に来たばっかりの頃に住んでいた場所にコンビニも食べ物屋も全然なくて困り商店街銀座のスナックのハンバーグ定食を食べていたことはある。
休日の午後の昼下がりにラフでヨレヨレとした普段着でスナックの扉をカランカランと開け、4人席に座りハンバーグ定食を注文してただそれを黙々と食べて帰るだけの面白さ。
一人飯のハードルがこんなにも高いというのに、腹が空いては背に腹は代えられないものでハードル高きスナックの扉を開けてしまうのだ。
ハンバーグはおそらく手作りで柔らかくて美味しいハンバーグでもあった。

村上さんの小説を読みバー飯のくだりを探すが見つからず。
そして、本を読んでいると村上さんは他人から聞いた話をそのままスケッチするように書き記し小説にするとの記載もあった。
他人の話を小説にすることは何だか凄いことですが、私も村上さんの小説に記載があるのか?無いのか?よくわからないバー飯についてあれこれと長文を書いていて、文章とは本当に罪深いものだ。
あなかしこ・あなかしこと、私の日記は他人のことを書くと角が立つので、できるだけ自分のことを面白おかしくデッカク膨張させて書く。ww

 

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■2025年8月13日(水)
■エンジニアの構図。

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■2025年8月14日(木)
■一日一文章トレーニング。

「【企画書】タンクトップ・エコバックのご提案」

そろそろで
そろりそろりと
そろそろだ
夏もそろそろ
時そろそろり

ということで、

楽しい夏の思い出はたくさん溜まるかもしれませんが、おそらく、楽しい夏の思い出が溜まれば溜まる程に夏休みの宿題も溜まるでしょう。
そろーりそろりと時は確実に進んでいるもので、今日は8月14日。
そろそろと本気で夏休みの自由研究も作り始めないと追い込み作業も大変になるもので、今年の某某(なにがしそれがし)の夏休みの自由研究のご提案はタンクトップのエコバックだ。

大抵の家にはよれたタンクトップの一つや二つはあるでしょう。
真夏のタンクトップとは必需品なインナーでもあって毎日着る服でもある。
GUやユニクロで新しいタンクトップを買ったとしても安いもので、今日はそのような夏の汗をたくさん吸うタンクトップを素敵なエコバックに仕立てる。
作り方はタンクトップをひっくり返して底の1辺をミシンでガシガシと縫うだけ。
それに楽しかった夏の思い出をデコレーションすれば完成だ。

そもそも、タンクトップとはタンク(戦車)なトップ(頂点)のような変なネーミングでもあり名前からして少し面白い。
因みに、我が家のインナーは綿100%のジーユーのタンクトップ。
長年着ても破れることもなく、何回洗っただろうかと考えても形崩れしない丈夫な素材だ。
当然、肩にかけても当然やさしいように思えるものでエコバックとして加工しても良い感じ。
試しにタンクトップを図のようにエコバック風に持ってみた。
家族にエコバック風に持った姿をモデル風に見せたならば、真顔で「なにしているの?なんでタンクトップを持っているの?」とエコバックには見えないようだ。ww
いやはや、いつも着ているインナーを手に持てばそれはタンクトップにしか見えないもので、ファッションの醍醐味とはそこを突き抜けた天地にあるものだ。
そして、家族いわく2時間後ぐらいにじわじわとタンクトップ・エコバックが面白くなったようで、タンクトップは前後反対に着ても金太郎服に見えて面白い服で間違いない。ww

タンクトップを着れば二の腕がドドーンと丸出しで何だか無防備。
マッスルな人たちの正装着なイメージもありますが、こんなにも暑い夏の街で見かける人の姿とはほぼTシャツ姿でもある。
時折、海外からのツーリストがダボーと長くてお洒落でかわいいバスケットボールの服みたいなタンクトップ姿を見かけるものの、某某がそれを着てもあーにはならない。
それは北欧のかわいい耳付きのニットボーを被っても植村直己風な登山家や単なる極寒地の住民にしか見えないもので、肩出しタンクトップな服を着てもちょっと違うなーのコーヒーのようだ。
要は似合わない。

長年愛用のエコバックは洗濯すればする程に、使えば使う程に肩掛けがだんだんと肩ひもがひも状となり、重いモノを入れて持つと肩や手に食い込んで痛い。
これを人はひもエコバックと言う。
そこでご提案のタンクトップですが人間工学なのか何なのか人が着ても心地良い肩は幅広で手肩に食い込むことも少ないように思われる。
伸縮性があるので重いモノを入れるとビヨーンと少し伸びてしまうかもしれませんが、良いエコバック風になる予感。
作るか、作らないかはそれはあなた次第!
ドドドーン!!

 

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■2025年8月14日(木)
■スイマー。

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■2025年8月15日(金)
■一日一文章トレーニング。

「某について調べる」

某(それがし)某某(ぼうぼう)候(そうろう)と某をテーマに何を書けるかと思う乱筆だ。

某(なにがし・それがし・ぼう)とは直接名前を言わない時のあなたや私の謙遜した人称代名詞。
または、某月某日と情報の曖昧さを表現する記号でもあり、某氏(ぼうし)は人名不詳な時や名を隠したい時の表記、某所(ぼうしょ)とはわからない場所知らせたくない場所などにも使うぼやかした表現でもある。

はっきりと明確に言えないことは主語を省き、暗号化して、某とぼやかして表現するもので、それはとても日本的でもある。
某とは匿名社会の高慢傲慢某某と根が張るかもで、そういうのは一見自由のようでもありますが言論封殺された共産主義圏の国々の表現者のひねり具合にも似ているかもしれない。
日本文化の曖昧さとは謙遜して某(それがし)という私でもありながら、名乗るほどの者でも無く、時に某(なにがし)とあなたでもあり、某(ぼう)と様々なモノでもあって、何ものでも無く、何ものでもあり、不思議な言葉だ。

謙遜とは威張ったりしないことで、その反対語は高慢となる。
よくよくと考えれば、謙遜、謙虚、高慢、傲慢の違いとはよくわからないもので、さっそく調べる

【謙遜(けんそん)】
控え目でへりくだり威張らないこと。
「遜」は人に譲ったりすすめたりすることで、相手を敬いへりくだることの意味だ。

【謙虚(けんきょ)】
謙遜と全く同じ意味で威張らず控え目なこと。
しかし、こちらは虚偽、虚栄、虚言の「虚」の文字が含まれており、謙遜を語れるような高い人間性もなければ、せめてカタチだけの謙虚さを演じる素直さであれと言っているようにも思う。

【高慢(こうまん)】
自惚れ強く威張り人を軽んじること。
「高」とは人を小馬鹿にしたような高い目線のようにも見える。
「うぬぼれ」は今や「じぼれ」と読むこともあるもので、自分に酔った高慢であってはいけないものだ。

【傲慢(ごうまん)】
傲慢は高慢と全く同じおごり高ぶり人を馬鹿にする態度のこと。
「傲」は威張って人を見下すことのようで高慢と傲慢の違いとは何かと考えれば、私は「高慢と偏見」なような高貴な上目線からの見下すことが高慢で、同じ土俵上の目線から見下すことを傲慢さであると解釈する。
高慢も傲慢もどちらも嫌だけれども、いずれにしても、謙遜、謙虚と高慢、傲慢の違いとは対面する人の接し方の敬意のアル・ナシかもとも思う。

間違っていたら御免候。

謙遜、謙虚、高慢、傲慢で思い出される言葉は「実るほど頭も垂るる稲穂かな」だ。
日本の美徳として教えられるこの言葉ではありますが、現代では人々よりも大きな果実をつけた人たちがより頭を大きくあげているもので、この言葉はもう死語かもしれない。
それは謙虚な気持ちが社会全般で衰退しているのか?今まで見えなかった世界が単に可視化されているだけなのか?わかりませんが、人畜無害のお化けな話よりも最近このような現実に見える世界の方がホラー感が高いような気もする。

そして、 某の語源とは「甘い木」の梅の木らしく、「甘い」とは厳しくない「甘やかす木」とも解釈できる。

 

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■2025年8月15日(金)
■某のチャリ~~~ン。

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■2025年8月18日(月)
■一日一文章トレーニング。

「卵の殻がキレイに剥けなくて」

昨日ラーメン用のゆで卵を作っている時に一部はポコポコリとキレイに殻を剥けるのですが、一部分はどこぞの惑星のクレーターみたく卵白もろとも剥ぎ取れて黄身は丸見え。
お月さまがこんにちは!と丸見えのゆで卵とは日常アートのようでもあり、殻とは全部キレイに剥ぎ取りたい。
確かに卵の殻剥きとは大雑把に、大胆に、適当で、殻とは一枚一枚丁寧に剥がないものである。
先ずはティッシュペーパーを1枚用意して机の上に敷き、卵の殻はドンと机にぶっつけてひび割れた小さい欠片をちまちまと剥ぎ取る。
次に殻は大きくドカドカパカパカと分解してティッシュペーパー上に殻を捨てるもので、そこに丁寧という言葉とはない。
散々な見た目のゆで卵とは壮大な新惑星発見な歌のようにも聴こえる。

ゆで卵は時にキレイに剥けるものでそのクオリティーの差は大きい。
さっそく、インターネットでその原因を探ると茹でた卵は冷水で冷やしてから剥くとキレイに剥けるようだ。
そして、我が家でも常にそのように茹で上がり後に水で冷やしてから剥くもので、そう言えば、私達は常々、水の蛇口をひねると水が出てくるものだと思っていますが最近の水道水は水をジャジャジャと流しているとだんだんお湯になる。
そのようなお湯でゆで卵を冷やせば保温状態にもなり、卵の殻が卵白にくっつくことは水が水ではないほぼお湯な原因にあるのかもしれない。
水とは外気温を吸収するので、ほぼお湯とはそれだけ外気が暑いことの証明だ。
水道水をひねりてガス給湯器も不必要な位のなお湯となれば、ゆで卵の中身が殻とくっつくことも仕方がないものだ。

先日は大雨も降りて暑さも一段落しましたが、最近は暑さも戻りて暑すぎる。
何で暑さは戻ってくるかとも思うのですが、戻り鰹にしても、戻り梅雨にしても何故か再び戻ってくる理はある。

戻り梅雨とは梅雨明け後の7月下旬から8月初めごろに再び梅雨前線が現れることで、先日の大雨な梅雨空はこの戻り梅雨で間違いない。
暑さの後の一時の恵みの雨とは救いの雨とはなりますが、最近はどしゃぶりの大雨となることも多い。

カツオは春の4月から6月にかけてイワシを追いかけて黒潮にのって北上するカツオのことを初鰹と言い、そして、戻り鰹とは8月から9月にかけて、北でたっぷりのご飯を食べて脂がのり南に戻る美味しい鰹のことを戻り鰹と言うようだ。
これからの時期は美味しい鰹が食卓に並ぶ季節であり戻り鰹であらば大歓迎である。

このような水をひねるとお湯が出てくるような時期になると、我が呆則ではキッチン周りの油汚れのお掃除の季節にもなる。

昨日はボンスターを使い恒例のヤカンを磨いた。
表面に付着した油汚れをゴシゴシと鏡のような状態になるまでよく磨き、これでヤカンは新品みたいに当分気持ち良く使える。
冬場だと手がガサガサと荒れてしまうのでヤカン磨きは今の季節が最適の呆則だ。
大きなヤカンはお茶作り用とお湯沸騰用の2種類あり、どちらもピカピカとなる。
そして、お湯沸騰用のヤカンは無駄なお湯沸騰のエネルギーロスを無くす為の我が家の温暖化対策(ww)で暫く涼しくなるまでは仕舞うことにした。

ということで、オレはやったのだ(by ダクソ)!

話は変わりますが、

エルデン・ナイトレインの強化版リブラは強すぎて討伐出来ない。
いつも、どのようなボスも最強の強敵だと思っていますが、強化版リブラだけは別次元の無理ゲーである。
私はナイトレインの地形や周り方を全く把握しない役立たずでもありますが、途中発狂の苔薬など集めていると仲間からはぐれてしまうことも多々あるので、上手なベテランな人の後ろを金魚の糞みたいに行動している。
そして、レベルも最強で武器も最強となったボンクラ三人衆で挑んだとしても、強化版リブラの体力の半分を超えたぐらいの発狂状態で全滅する。
私は強化版リブラをゲーム史上最強のボスだと予感している。
先ず無限湧きのNPCをどうにかしないといけない。
最強の無頼漢で挑むと金色に輝いて無限湧きの脳筋無頼漢(NPC)がフィールドに溢れて強すぎる。
ならば、最強の体勢崩しを持つ追跡者やフットワークの軽い復讐者や執行者かと思いても複数人のNPCに追いかけられても対処不能。
もはや、ゆで卵の黄身とは発狂の苔薬にしか見えないもので、強化版リブラの討伐はもう無理な予感。

 

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■2025年8月18日(月)
■やかん協奏曲へ長調「大きなクレーターのある惑星に捧げる歌」。

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■2025年8月19日(火)
■一日一文章トレーニング。

「やかんはやかん」

やかんを磨いているとボーボーと海の汽笛のような音が聴こえる。
その音とは青い音であり、プロヴァンスな真っ直ぐで地平線を大きな貨物船がスーッと静かに「ボー」と汽笛を鳴らしながら流れいく姿。
音に色があることは可笑しなことでもありますが、音からイメージする光景とは青い海だ。
勿論、プロヴァンスな土地に行ったこともなく、海の汽笛にも馴染みもありませんが、遠くから聞こえるその音は異国を感じさせるのに十分な西欧的な音でもある。
私は何かの電子機器から急に音が鳴り出したのかと思い、手を止めてキョロキョロと音の出所を探る。
すると、そのようなリゾート地のような汽笛音も聴こえないもので気のせいだと思う。
そして、再びやかんをごしごしと洗浄していると、やっぱり室内にボーと汽笛音が鳴り響くもので、この音の発信源はやかんであることを確認する。
音はやかんの細い注ぎ口を磨いている時にだけ鳴るもので、他の部分を磨いても音は出ない。
丁度、やかんの細い注ぎ口を磨くとその振動がやかんの大きな空間で共鳴し、管楽器のように「ボー」と鳴り響く。
そのような海の音がする理由は貝を耳に当てると聞こえる「ボー」や「ザーザー」な音が貝から聞こえる音と、やかんを磨く音が似ているように思うことだ。
貝の音を聴くのは子供の特権であり、江戸の街ではおそらく誰一人として貝殻を耳に当てて音を聴く大人はいないように思う。

やかんとは変な響きでもあり語源を調べると“薬缶”から由来するようだ。
昔はやかんに調薬を混ぜて大量のお薬を作っていたのかもしれなく、そのような語源となる。

落語による由来は少し面白いもので、昔、川中島合戦で急な夜討ちをうけた武者が慌てて手短にあったやかんを兜としてかぶったら、頭に矢がやかんに「カーン」と当たりて「やかん」となったそうな。
やかんの持ち手は顎に引っ掛けて、フタは口で噛んで面として、注ぎ口は某某と闘う相手の名乗りを聞くのに適しているようで、片耳しかないのは不便ではないかと聞くと物知りな隠居はいつ急襲が来ても寝れる設計のようだ。

こうなると、やかんとは湯沸かし器であり、楽器でもあり、ヘルメットでもある。
前にやかんをかぶったバイクが1台走っていたら、「やかんはやかん」とすぐに動画をアップされるかもしれない。
やかんとはカーンと叩けば金属製の打楽器であり、注ぎ口を摩擦したり、吹いて振動させれば管楽器のような貝のような音を奏でる楽器となる。
さっそく、ぼんくら楽団の新しい楽器とコスチュームとしてやかんをマークした!!

ところで、

やかんのサイズも大きいもので、小さく湯沸かすならば急須の方が使い勝手は良い。
さっそく、急須で直火は可能なのかと調べると、鉄瓶は直接火にかけて沸騰可能ですが、急須で直火は無理のようだ。
急須とはあくまでもお茶の道具であり、別にお茶を沸かしてから急須のお湯を入れて、茶葉を膨らませてお茶を煮出し、湯呑みに入れる一連の所作である。
作業を省略させないところにお茶の美学と時間をゆったりと楽しむ嗜みがあるもので、急須でお湯を直接沸かしたいと思うのは時短な現代人の病みたいなものかもしれない。

急須という言葉も変な言葉で調べると「きびしょ」という、今では九州や東北地方などの方言として残っているようですが「急備焼(きびしょう)」が語源のようだ。
急備焼からなぜ急須の須となったのか?それは謎でもありますが、私が仮に急須を作る製造元や販売者として急備焼という名前が備前焼みたいなどこかの窯元みたいで間際らわしく思うはずである。
デザインの変遷と共に「すべからく~須べしな」必須の道具としての急須と言い方を変えたような予感もする???
100%の空想です。

 

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■2025年8月19日(火)
■狼煙。
■2025年8月20日(水)
■一日一文章トレーニング。

「貝の音とは結構不気味な音かもしれない」

大きな貝を耳に押し当てればザァーザァーと波が打ち寄せるメルヘン。
そして、海に行ったとしてもキレイな貝殻や大きな貝殻とはお土産屋さんぐらいでしか見かけないもので、浜辺に耳を覆うような大きな貝殻なんて全く落ちていない。

大きな貝と言えば、思い出されるのが「ほら貝」で大きな音をボボボーとラッパ代わりの戦陣の合図ともなる珍品でもある。
ほら貝(法螺貝)は日本最大の殻長40センチぐらいになる巻き貝で南西諸島以南の熱帯太平洋の岩礁地帯に生息している。
なるほど、
その辺の海岸では決して見ることのない理由がわかるもので、ほら貝はヒトデなどを捕食して大きく成長し、その貝は食用にもできるようだ。
さて、そのほら貝のお味とはどのようなお味なのかと思うものではありますが、個人的、貝類とは大きな貝になると大味になる傾向があるように思うもので、サザエでも大きな貝よりも少し小ぶりな貝の方が美味しいと思う。

そして、そのようなほら貝な楽器をネット検索すると何だかとても高額でびっくり。
ほら貝の音色とは今で言う緊急アラートのような感じでもあり、ほら貝の音が聞こえたならばさっさと荷物をまとめて逃げる準備も必要だ。
山伏なども武装して霊山に籠もるものでほら貝をボーボーと吹くイメージもある。
あれは熊や野犬、イノシシなどを追い払い、追い剥ぎのような悪党も威嚇する時に使われるほら貝の音色で、昨今の熊被害などを鑑みれば、昔の人の知恵を借りて山伏のようにほら貝でホラ吹いて入山するのも一つの熊対策のようにも思う。
貝から鳴り響く音とは生物にとってはあまり聞き慣れない音であるので、遠くからでも何かしらの危険を察する怖い音のようにも思う。

因みに、手持ちの大きな貝殻はなくとも手の平を貝殻みたいなカタチにして耳を覆えば、それなりの潮騒は聞こえる。
これは無音のヘッドホンの情報遮断で集中力は高めることとは少し異なり、プールに入った時のようなモゴモゴモゴという水の音にも似ている。
少しの間、手で作った貝殻で耳を覆えば何かのスイッチを切り替えるような集中力も高まるもので、しかし、長時間耳を手型の貝殻で覆っていると耳の感度も高まりやっぱり何だか少し怖いザザザ音にも思える。
海や水とはやっぱり大きな存在で怖いものかな

ということで、ホタテ貝(帆立貝)の貝殻。

我が家には耳を覆うような貝殻はありませんが、ホタテ貝の貝殻はある。

何だか発音が難しい有名な作者ボッティチェリのビーナスもホタテ貝の上に立っているもので、このホタテ貝は豊穣の印でもあるようだ。
女神の乗っているホタテ貝は日本の帆立貝の品種とは異なり、聖ヤコブに由来するジェームズの帆立貝と呼ばれて、ホタテ貝の形とは良く見るととても素敵な形状であるようにも思える。

このホタテ貝の貝殻は処理水が溜まった時に、中国や韓国の海産物輸入禁止の嫌がらせで山積みになったホタテ貝を購入したもの。
立派なホタテ貝はバターソテーとなり日本沿岸の海水のミネラルと共に美味しく我が胃袋に入った。
そして、その時のホタテの貝殻は今もキレイに洗われ保管されている。
お刺し身を家で食べる時にホタテ貝の貝殻の上にキレイ並べたら美味しく食べれるかな?と思ったけれども、未だに1回もお刺身は置いていない。
お刺身は買ってきたならば、お皿の上に並べて変えて食べるけれども、ホタテ貝の貝殻の上にお刺身は飾る発想にはならない。
細かく砕いて植物の鉢の栄養分とも思いても、あまりにも立派な貝殻でもあるので砕くのも勿体無い。
潮の音を聞こうと耳にあてても平らすぎて、耳のフタだ。
そのような帆立貝の貝殻はキッチンの下を開ける度に、これは何だろうと思い紙袋を見るとマジックで「貝」と書かれているもので、あーあの時のホタテ貝かと思う。
困った時には困る理由もあるもので、「お互い様」とはそのような時の為にある言葉でもあり、それを嫌がらせの追い打ちをかけてくる奴らとは絶対に!許すまじきことでもあり、牙はその時が来るまで虎視眈々と磨くのである。
ガルル~草

 

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■2025年8月20日(水)
■皆から祝福される生まれたてのわんわん。

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■2025年8月21日(木)
■一日一文章トレーニング。

「信号待ちの自転車の前輪にスズメが止まった」

毎日本当に暑いもので少し外に出ただけでも汗はダラダラ。
夕方の太陽は少し陽が落ちるのも早くなったような気もしますが、暑さの陰りはまだまだ。
昨日、日陰一つない十字路の交差点で信号待ちしていると自転車の前輪にスズメが1羽止まる。
私は「おっと!」と独り言をぶつぶつと呟くもので、それは他の信号待ちの人達にとれば蜃気楼でもある。
炎天下の信号待ちとは地蔵の如くじっと暑さに耐えるしかないもので、鳥にとって私は置物ぐらいにしか見えなかったのかもしれない。
ジュージューと肉でも焼けそうなアスファルトの上を歩くぐらいならば、ゴムクッションの柔らかな自転車のタイヤで一休みする方が賢明であり、靴も履かない野生動物とは少しでも暑くない地面を探して止まっているのかもしれない。
逆に自分が裸足でこの強い陽射しで温められたアスファルトを歩くとなれば、「あちいーあちちちー」のフライパンで焼かれる晩ごはんのように飛び跳ねるであろう。
本当に暑い時には街に鳩以外の鳥一羽見かけないもので、このスズメも何をやっているかと思うのですが、動いているのは鉄の塊と人間と鳩ぐらいなもので人間とは不思議な生き物でもある。

私の自転車と鳥とのコラボと言えば上空から落とされる鳥糞攻撃ぐらいのもので、鳥糞に当たるショックに比べればいつでも小鳥たちの止まり木としてはウェルカムだ。
そう言えば、宝くじの当選発表は21日の今日のようで、蛇のエサに鳥が自転車の前輪に止まるのは1日早かったかもしれない。
あー当たるかな?当たれば良いな、宝くじということで、昨日は鳥の導きかもしれませんが?強化リブラは倒せた。
あまりにも死にすぎたのか昨日ぐらいからNPCのヘイトが弱くなり複数のNPCから集中攻撃もなくなったのが勝因でもある。
二人のぼんくらもプロゲーマーのような立ち振舞いでとても上手であったので、リブラに勝てたのはあの人達のおかげでもある。
ばんざーい!

そう言えば、

最近、8月のこの時期に玄関に「しで」を飾るご家庭をチラホラと見る。
この時期の「しで」な風習とは気になるもので、ネットでその理由を調べますがよくわからない。
「しで」は雷のように折って形状で垂らして飾るもので、玉串やしめ縄などに垂れさげるもの。
昔は木綿(ゆう・コウゾの皮の繊維を裂いたもの)を用いたようですが、今では紙を用いる。
玉串(たまぐし)はサカキの枝に木綿(ゆう)を付けて神事に備えるもので、槍の柄(え・持ち手)に槍印として払うものも「しで」となる。

そう言えば、昔の道具の持ち手には謎のヒモのようなものが付いていたような気もしますが、もしかして、あれが槍印としての「しで」なのでしょうか???
子供の三輪車の握り手にもひも状なものが垂れさがっていたようにも思うもので、あれも安全を願う何かしらの「しで」なのか。???
「しで」は雷の形状をしており、雷とは神鳴りと邪気を追うものであるようで、俗世界と神の境界を示すものだ。

そして、気になるのは「しで」の漢字。
本来、「しで」は「四手」または「四垂」と書くものではありますが、ネット上の検索情報だと「紙垂」と改ざんされたものが表示される。
写真などを見ても雷模様が1つ2つ3つ4つと四折りで「四手」となる。
神話や文化の成り立ちとは神事にまつわる根幹を表すようにも思うもので、このようにしれっと改ざんされている意図はとても気になる。
Aと叩けばBと返答が返ってくる便利になる情報社会でもあり、情報とは広告に置き換えれば人間の脳の隙間を狙い埋めるものが情報でもある。
どんなに便利なエーアイ時代となりても、人間には「考える葦」と言う言葉もあるように、古い書物や辞書などは決して手放さずに自分なりの思考の砦として持ち続ける意味はあるのかとも思う。

 

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■2025年8月21日(木)
■オオーガイ。

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■2025年8月22日(金)
■一日一文章トレーニング。

「味わいとは噛みしめてお味がぎゅぎゅぎゅと染み出る味のこと」

昨日ふっと空を見上げるとモクモクとした大きな入道雲が立ち上がる。
一時の雨を期待するが、ポタポタと数滴の雨をアスファルトに残すが本格的な雨とはならない太陽光を遮っただけの大きな雲。
雨は降らなくとも太陽が雲に隠れれば、随分と過ごしやすくなるものでその雲の景色もまた美しい。
そして、今日のくもり空も良いものだ。
太陽を遮る雲の何が美しいのかと写真を見直すと、それは白く透過させる光り輝く雲の美しさにあるように思う。
私は巨人を見上げて、巨人は私を見下ろし、この目線とはガリバー旅行記や昆虫目線の関係性でもある。

暑い暑いとは何万回言ったら気が済むものなのか、頭の半分は暑さが占めているもので、毎日毎日これだけ真夏の太陽光に晒されればまるで日干しの魚のようでもある。
雲がそのような強い光線を一時的でも遮断してくれれば、日干しから一夜干しぐらいには和らぐようで、いずれにして美味しい干物の運命に変わりはない。
因みに、一夜干しとは夜や日陰など風通しの良い環境で干す製法のこと。

そして、

強い光を遮った時に自然が見せてくれるほんの束の間の神秘的な美しさとは、世の中の何に例えられるものかと考えると、それは恐らくマネーかもしれない。
街の隅々まで照らす強い光は全てのものに影を作り出すお金の世界のようでもあり、お金を浴びすぎて、または、お金ばっかりを見すぎて干物になった人はいるのであろうか。

いやいや、そんな妄想はわかりませんが、とりあえず、

私は大買いの欲望も渦巻く宝くじを買ったもので今朝当選発表を確認する!
結果は300円の当たりで、全くカスリもしない大外れ。w
世界の名建築家にサボテン三兄弟の鉢を発注する計画は頓挫し、名建築家の皆様、宝くじに当たらなくてごめんなさい。
いっせいのミヤケさんの縫い目のない未来風をゲットするのもお預けで、いっせーみやけさんにもゴメンナサイ。
三兄弟の家は鉢市場で素敵な鉢を見つけて10月以降に鉢変えする予定で、素敵な鉢とはどこに売っているのかも謎ですが、あちこちにアンテナを立てて良い鉢を見つけたい。
本日宝くじの結果を知らしめる為に三兄弟を窓から覗くとTT兄弟のセーフのTみたいなポーズで鉢から生えていたので全てを許した。ww
https://youtu.be/zA17namdjfE?si=2BC6d5k-Hv-xjds9
まーこりゃー真横に伸びても仕方がないもので、蛇みたいなサボテンの夢を見て蛇のお告げかなと宝くじを買うぼんくらの顛末である。www

ということで、

私は最近、お習字な道具を使う習字絵にはまっている。
墨汁に筆をつけて描く線は味があるもので、線の強弱、画面の汚れ、カスレ具合にベタ塗りも簡単で、例え間違ったとしてもまーいいやと何かと気に入る。
一時、筆ペンで何もかも書いている時期もありましたがそれの再来でもある。
習字絵の良いところは、江戸の住人の気分で筆と墨汁壺を持ち歩きイキって粋にメモをすることだ。
先日は鉛筆にはまっていましたが鉛筆は薄いし、面を塗るとなるとせっかちな自分には少し時間がかかり過ぎる。
習字は学校以外では習ったことも無く、字もド下手で人様に見せられるような字ではありませんが、筆で書くと何だか味わい深くもなる。
因みに、下手で読みにくい字は「かわうぃぃ」だ。
味とは何かと考えれば、噛みしめるような味覚の美味しさであり、または、面白みのある趣味の味でもあり、かなり手前味噌ではありますが味わい深い。
手前味噌とは私の為にあるような言葉である。

 

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■2025年8月22日(金)
■手前味噌ざんす!

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■2025年8月25日(月)
■一日一文章トレーニング。

「手にまつわるエトセトラ」

いやはや8月も末日とはなりましたが、まだまだ暑い。

冷蔵庫のお味噌とは使う度に前方に来たり後方に行ったりと頻繁に冷蔵庫の置き場所を転々と動くものだ。
昨日のお味噌とは前方にあるものをどかせて後方から取り出す。
すると、今朝のお味噌はドシンと前面で構えているものだ。
冷蔵庫の中身とは使われる度に前に来て、使用頻度が少なくなると冷蔵庫の守護神として奥に埋もれる。
まさか、前方に来てオレオレを使えと自己主張するのが手前味噌でもないもので、何とも不思議なお味噌である。

昔はご家庭でも梅干しのように自家製のお味噌を作っていたようで、恐らく、そのような味噌とは愛着も生まれる我が家自慢のお味噌な予感。
例えば、我が家の伝統の梅干しとは他の一般的な梅干しの見た目とは異なり、梅干し好きから見れば邪道な干からびたような塩吹く梅干しでもありますが、これこそ伝統の味でもある。
何十年経過しても絶対に腐らない究極の保存食な手前味噌でもあり、梅干しの品評会があれば、我こそが至高の梅干しであると自画自賛するのもので、しっとりと水分を蓄える梅干しだけが梅干しではない。
ごまんとあるご家庭で保存食のお味噌が作られれば、途絶えた麹菌もあるだろうし、赤白の美味しいお味噌から臭き味噌まで、これは本当にお味噌かな?と思うような様々な種類のお味噌があったかと思われる。
「味噌の味噌臭きは食われず、学者の学者臭きは真の学者にあらず」とのことわざもあるように、当時の味噌はそれ程に味噌臭きお味噌話しであったのかもしれない。
今でも旅行した時にその土地土地のお味噌などを購入すると馴染のないクセある味も多い。
長い時間をかけて天塩にかけて育てた麹やお味噌とは愛着も100万倍の自慢の子供ようなもので、自画自賛にも値する手前味噌なお話でもある。
なので、お味噌話が始まるとなればウンチクもあれもこれもと面倒臭く、味噌も臭い長~~いお話であったのかもしれない。

手前味噌の手前(てまえ)を調べる。

(1)自分の前のこと。
自分の前の前面に押し出して自慢したい手前味噌はあるかと思う。
(2)終点の1つ手前のように~そのものよりも自分に近いところ。
この手前には手前味噌は含まれない。
(3)世間体の手前のような体裁のこと。
名のあるお味噌工場であれば手前味噌な体裁はあるかもしれない。
(4)手前どもにおまかせ下さい~と第一人称で自分をへりくだる私のこと。
手前味噌の自画自賛が想定するのは多分これ。
利己的ではなくへりくだり、自画自賛もちゃーんと行いイーブンイーブンとなる。
(5)目下の者や軽蔑的に用いる第二人称のおまえ。
手前味噌なんて食べれるかー侮蔑すると喧嘩となる。

因みに、お茶のおてまえをご拝見~とは「点前」と表現するようだ。

さて、

手前とは頻繁に使う用語ではありますが、謙遜から軽蔑的まで様々なタイミングでいろいろな解釈が出来るおてまえでもある。

そして、

手前ついでに、手とは人間の身体の基準となる行動の0ポイントのようにも思うもので、手を中心に方向性のある言葉を書き出した。

手前(てまえ):上記に記載
手先(てさき):指先、近辺、手下の使い走り
手中(しゅちゅう):手のうち、所有すること、支配下にあること
手の内(てのうち):相手に対して秘密にした技や隠し事
奥手(おくて):遅く実ること、成熟度合いが遅いこと
奥の手(おくのて):一般的ではない秘密のやり方、最後の秘策
先手(せんて):ゲームで先に打つこと、相手より先に動き相手の動きをおさえること
後手(ごて):手遅れ、先こされて受け身のこと、ゲームで相手の後から打ち始めること
手段(しゅだん):方法
上手(じょうず):うまいこと、うまくすること、うまい人
上手(うわて):優れていること、上の方、風上、相撲の技
下手(へた):物事にたくみでないこと
下手(しもて):下の方、下流、客席から見て左の方
下手(したで):人にへりくだること、地位や能力が低いこと、相撲の技
手下(てした):家来、部下

言葉としてしゃべっている分には何とも思いませんが、文字として書き出すと日本語とは何だかカオス。

 

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■2025年8月25日(月)
■涼しくなーれ。

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■2025年8月26日(火)
■一日一文章トレーニング。

「シンプルとは直して愛着も湧き、恐らく最強―」

サーキュレーターのスイッチが壊れて弱と中のボタンが同時に押された状態となる。
切るボタンを押してみても、ペンチでボタンを引き出そうと思ってもうんともすんとも動かないボタンである。
どうやら、切るボタンを押した時に誤って弱と中を同時に押し込んだようだ。
こうなればもう扇風機は止まらないもので、とりあえず、コンセントを抜き分解修理する。
このサーキュレーターは森田電工製で何度かの壊れを経験し、その度に自分で修理して復活しているもので愛着もある。
サーキュレーターの洗浄できる羽パーツを全部取り外し、ボディーのネジもパカッと開けてどれどれと眺める。
どれどれと分解したところで修理技術はないもので、どうせ捨てるにしても一度は分解して回復不能と確認してから捨てたい。
パカリと開けたサーキュレーターのスイッチ部分は2個のボタンが同時に押された状態でバネの引っ掛かり構造で詰まる。
この引っ掛かり部分を外せば直りそうな予感がするもので、細いドライバーを強制的にカチカチと刺して外していたらカチッと外れて直る。
どの部分を触っていたのか皆目思い出せませんが、カチカチと適当にいじくっていたら直った。
修理とは作った人や構造を理解する人は直せますが、私のような凡人にはなかなかハードルが高い。
しかし、シンプルな構造だと私でも直せる。
ファンのパーツなども全部洗浄して、表面や内部に溜まったホコリまでキレイに拭き取り、なかなかに年季の入った扇風機はとてもキレイだ。
スイッチを入れると風も幾分涼しく冷たくなったようで洗浄しただけでも空気も爽やか。

ということで、

サーキュレーターを修理していて思ったことは故障原因を予想出来るシンプル構造は神だ。
しかし、世の中の制度や機構とは複雑でもあり、制作者の不在、退職で、もう誰も修理出来ない複雑構造も多いかもしれない。
ニュースなどを追っていても国や組織の問題とはずーっと同じ問題が内在しているように思うもので、いつまで経ってもホニャララだ。
具体的に何だと言われると難しいですが経済、人口、制度etcな問題とは、私がこの引っ掛かりを外せばボタンは直るという単純なものではない。

ここで思い出されるのはトランプさんですが、修理出来ないものは一旦壊してから新しいシステムを作ろうとの考えのようにも思う。
昨日は米国向けの国際郵便の受付を郵便局がストップするとのニュースがありましたが、消費者目線からすると正に「雨が降っても槍が降っても」な災害級の政治事でもある。
5500億ドルの対米投資なニュースもありますが、民間ベースで考えるとそのような郵便一つ送ることにも障害のある国に投資する機運はなかなか高まらないと思う。
しかし、これは一方で輸入などをやっていた身からすると効果もあるようにも思うもので、郵便物が無税で大量に国境を超えると通貨高の国の経済とは歪になる。
「歪・いびつ」は「不正」と書く!いいね!
それは恐らく、日本の経済を見ても体感するもので、例えば、A会社がB国から大量仕入れした輸入した商品Cがあるとして、通貨高で何の規制も無く国境もボーダレスに販売できる多国籍企業のDのネット通販があり、配送料の特例などもあって送料も格安となると、並行輸入で仕入れする業者と正規の関税などを支払い直輸入する業者の仕入れ原価とは変わりなくなる。
そのような状況とは結構あるように思うもので、正規に輸入する業者は関税を支払い大量生産の在庫リスクのみが発生した状態で、一方で小規模取引の並行輸入者は無税でジャストインタイムのような在庫いらずの近代的な販売スタイルとなる不公平感でもある。

デフレとは日本だけの専売特許では無く、デフレ圧力とは中国、インド、アジアに東欧などの国々がデフレを輸出すれば、関税はそのようなデフレ圧を潰すには結構効果を発揮する可能性は高い。
日本は低金利と円安でこれらを打開しようと考えたが国力を衰退させた。
中国の戦略とはITではカーネルな接続部分を押さえて何でも結構簡単に繋がる電子機器だ。
先日PS5用に購入した大きなモニターは約35000円でとても安く、これは一般人感覚から考えても日本の国内企業では太刀打ち出来ない価格帯のようにも思う。
日本からパネル製造工場が無くなるのも納得だ。
味のスパイスでは美味しさの応用範囲の高いニンニクや蜂蜜などを安く輸出して貿易相手国の養蜂業を駆逐すれば果実を受粉する蜂を弱体化し食料の主導権を取るにも等しい。

単純な機構であれば誰でも修理して直せるかもしれませんが、複雑怪奇で魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした機構は潰してから新しく作った方が速いような予感だ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年8月26日(火)
■久しぶりにオナガがバサバサと飛んでいた。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年8月27日(水)
■一日一文章トレーニング。

「毎日暑く、まだまだ暑い」

そのズボンは裏表反対じゃないですか。
白いシャツに濃紺紫色なズボンを履いて威風堂々と立つ蜃気楼。

「えっ」
「あはは、これはデザインですよ」
「アハハ」
と完全に裏返しのズボーンだ。

生地と同色で目立ちませんが、前面に出たポケットはガマ袋のようでありポケット機能は無い。
タグがピカリと輝くブランドのタグもありますが、ごく普通の綿100%のタグ。
縫い目とはそれなりにキレイでもあり今やオモテウラとは一見わかりにくいのですが、いやいや、一目でわかる表裏反対。
着る人が着て「これはニセーミヤケさんのデザインした服だよ」と言えばそのような服にもだんだんと見えるかもしれない服の不思議であり、実際に裏面みたいな生地の切れ端のような糸がポンポンと出たお洒落な服もある。
しかし、私が着ていればおばあちゃんが丁寧にキレイにカットして整えられた服になるかも。

服を全部裏返しにして歩いていたならば、人はどのような反応をするのであろうかと思う年頃。
私であれば、どのように反応するだろうかと考えても関係性にもよるのですが、どうするかを悩んでいる時点で何もしないような予感。
寧ろ、服を裏表に着る面白い奴が身近にいることに心から感謝しているかもしれない。
服を反対に着ているいい奴なんて、世の中に稀有な存在であるものだ。
私は若者が穴の空いたG―パンツや変わった格好をしているとうれしくなるもので、若さとはほとばしる内面が表に溢れ出たようなエネルギーのようにも思う。
ファッションとは内面にある核が裏から表に現れ出るような気もするもので、そのような裏面から表に出た服とはこのような裏表反対の服と同じような感覚である。
ファッションが面白い人や、奇抜な人は服は鎧を着ているとも聞きますが、確かに真正の悪い虫とはファッションな見た目で怖気づいて近づかないかもしれない。
反対にとても普通の格好ではありますが、とんでもなくハジケ飛んだセンスの人もいるもので、それは裏面と表層が分離しているとも言える。
どちらにしても、個性的な服とは何だか良いもので世の中を少し明るく楽しくするのも街歩く人々の服装のあれこれだ。
自分でも服を作れたならば世の中もっと面白くなるような予感はしますが服は全く作れないもので、私に出来ることは自分でペイントしたTシャツを着るぐらいが関の山。
しかし、それもその手描きTシャツでさえ何だか主張が強すぎて恥ずかしく着れないものだ。
モデルさんのような何着ても着負けしない秘密を知りたい。
スタイルなのか?自信なのか?やっぱり神秘なのか?手前味噌なのか?
大体、東京だと一度すれ違ったとしてももう二度と合わない一期一会で、誰がどのような格好をしていても皆スマホ画面に夢中で、現実の服が後ろ前反対であったとしても些細のさーも気にならないかもしれない。

前も書いたかもしれませんが、自転車などに乗っている時に派手で目立つ蛍光色みたいな服を着ていると目立って自然と人も車も避けて安全運転かなーと思えば、逆に目立たない呆則もある。
一方で迷彩服のように街に溶け込むような黒い忍者のような時にこそ、人も車も何だか自然と気付いてよけてくれる安全運転でもあり、明らかに人工的な色が動くよりも、何かよくわからない黒い物体が視界の外で動く方が人の目には気になるのかもしれない。
※夜夕除く。

現代社会ではウラオモテとは人の内面性の表裏を意味することも多いですが、表裏とは衣へんのある字で純粋に衣服の表裏を表す言葉のようだ。
服を裏返しに着ることは内面を外にさらけ出すような恥ずかしさでもありますが、このような日記も内面がそのまま表面に現れ出た恥ずかしさであり、内面が見えるとは時に服を反対に着ているぐらいに恥ずかしいことなのかもしれない。
しかし、どこか内面が溢れ出す外見の素敵さみたいなものにも憧れるもので、年齢相応なのか何なのか内から外に溢れ出る人ともなりたい。

ということで、

毎日暑くて、すっごい陽射し、まだまだ暑い8月の終わりではありますが、スコスはアバウトな3~4日の夏休みに入ります。
夏休みは山に行き、海で泳ぎ、空を飛び、南極で凍ってから、フライパンの上に戻ります。
よろしゅうお願いいたします。