■2023年12月1日(金)
■一日一文章トレーニング。

「 琵琶湖の渇水のニュースをみて思ったこと
(計算間違いで数字を修正しました (>_<)ノ 」

 人が知らない話や珍しい事柄、普段“見えないこと”が可視化されること、それがニュースとなります。そして、吾輩の元にも何故か琵琶湖の渇水のニュースがやってきます。それは琵琶湖の水量が減って坂本城の石垣を見ることができるようになったというお話。それを説明するおじいさんは歴史を研究しているらしくて半分楽しくて、半分悲しいそうである。石垣と言っても大きな岩が数個コロリと転がっているだけで「何?コレ?」という石垣である。私がこの岩を見つけたならば休息のベンチとして腰掛けそうな岩である。これが坂本城の石垣の土台であるのか、戦国時代の琵琶湖の水位は今より低かったのか、昔の城は防御の為に水面に面していたのかもしれませんが、いずれにせよ、よくわからない石垣です。そして、琵琶湖の水不足の話は度々耳にするニュースでもあります。

 そこで、琵琶湖がなぜ?水不足になるのかを自分なりに考えてみた。先ず、関西圏の水は琵琶湖を水源とし、その水を淀川で大阪まで引いてきております。河川の水量を測る流域面積という概念を基準に整理したいと思います。流域面積とは雨が降った時に川や池に水を貯める集水可能な面積のこと。この面積が広い程、水流が豊富な川になるということになる。大阪を流れる淀川の流域面積は8240平方キロメートル(km2)、琵琶湖の流域面積は3848km2。この2つを合計すると12088km2となる。淀川の流域面積は第7位ですがが合計すると第三位の信濃川に匹敵する水量となります。関西圏の人口は2084万人で関東圏4198万人の約半分で、関東圏の水瓶である利根川は流域面積16840km2と比べても遜色ない水量があるように思えます。※もしかしたら、淀川のの流域面積8240km2は琵琶湖の流域面積3848km2の水込みなのかもしれない。知らんけど。

 流域面積・長さ
1)利根川 16840km2・322km 関東圏の水源
2)石狩川 14330km2・268km 札幌の水源
3)信濃川 11900km2・367km 米どころ新潟の水源
4)北上川 10150km2・249km 仙台の水源
5)木曽川 9100km2・227km 名古屋の水源
6)十勝川 9010km2・156km 北海道の大自然の川
7)淀川 8240km2・75km 関西圏の水源
*)琵琶湖 3848km2 関西圏の水源

 気になるのは淀川の川が75kmと短いこと。川の水とはゆったりと流し、できるだけ長く水を保管することできれば長く水を貯めることも可能です。徳川家康が関東に居を移し、最初に始めたのが利根川の治水工事である。運河をたくさん繋げて、たくさんの人々が暮らすことのできる水の確保と災害対策を行っております。これは余剰戦闘員を土木事業のインフラ工事に振り分けて、利根川の流れを変えて東京の発展の礎を作ったことになりますが、おそらく、この大事業がなければ今の東京の発展は100%ないと思われます。利根川は新潟方面の山を源流に川の長さは322km。これは淀川の4倍程度である。川の水流の速さはその時々ではありますが、ネットで調べると秒速0.2m〜3m程であるらしい。人の歩く速さは秒速1mぐらいらで、川の流れを1秒速3mぐらいのゆっくりのスピードで流れるものとして考えると利根川は29時間48分かけて源流の水が海に流れることになります。反対に淀川は7時間です。これはあっと言う間に海まで流れてしまう時間でもある。利根川と比べても4倍程の川の滞留時間の差が生まれることになります。この淀川の海まであっと言う間の短さが琵琶湖の水が渇水水不足しやすい一つの原因なのかもしれないと勝手に思ったりもしましたが、雨不足が一番の要因である。それより何より日本の川はまさに滝のようなスピードです。

因みに世界の流域面積の大きい川を比較すると下記のようになる。

1)アマゾン川 7050000km2・6300km 利根川の420倍!!の流域面積。
ブラジル・ペルー・ボリビア・コロンビア・エクアドルを流れる。
2)コンゴ川 3680000km2・4370km
コンゴ民主共和国・中央アフリカ・アンゴラ・タンザニア・ルワンダを流れる。
3)ミシシッピ・ミズーリ川 3250000km2・6210km
米国ONLYで流れる。

 日本と言えば、水資源豊富のように思っていましたが世界と比べると圧倒的な水量の違いです。川の水流は大陸になるともっとゆっくりと流れるものだと思うのですが、同じ秒速3mで計算したとしてもアマゾン川を流れる水は27日間で流れることになります。いやはや、世界は本当にでっかくて“自分が井のかわず”であることが良くわかります。確かに外国の川を見ても水が流れているのか?よくわからない、ゆったりとした水流の大きな川を見かけることはある。

 流域面積の図を描いて面白いと思ったことは、アマゾン川が南米大陸の西から東に縦断するように流れており南米大陸が東寄りに坂道になっていることがわかります。そして、北米大陸は北から南に縦断するミシシッピ川を見ると米国の土地が南に向かって勾配が続いていることもわかります。コンゴ川は昔ザイール川と呼ばれていましたが、ヨーロッパ由来の名前からコンゴ川に改名しております。この川の流れは支線もなく大きく迂回する一本の川です。この流れを見ると古いアフリカ大陸の地形の複雑さを感じることができます。アメリカも日本も川の水が国境をまたぐことはありませんが、ほとんどの国が生命の必需品である川の水を上流にある国と面しながら依存しております。今や、それら川の水流は農業用水や水力発電など多岐に渡って開発されております。よって、下流地域の水量の減少は社会問題でもあるようです。日本の歴史をみても水をめぐる戦争とは日常茶飯事であったことを考えれば、次なる新興国が裕福になる時代には発電の水も生命や工業の水ももっと必要不可欠となると思われて、水資源をめぐる争いが各地で勃発する未来も予測できます。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月1日(金)
■Wake UP
■2023年12月2日(土)
■一日一文章トレーニング。

「何も入らないポケット最高」

いやはや、12月に入りやっと冬に入ったような感じです。昨日は薄雲のかかる肌寒い一日でしたが、確実に季節は秋から冬へと空気が入れ替わります。そして、昨晩は再度、北海道でオーロラが見えたらしい。太陽の活発な活動はまだまだ続くものであります。そして、我家の室温変化データの推移を見返すと下記のような感じ。

2023年11月30日(木) 朝 起きた時 16.7 60 秋冬 水冷たい
2023年11月30日(木) 夜 寝る前 19 57 冬
2023年12月1日(金) 朝 起きた時 16.3 56 確実に冬に入った
2023年12月1日(金) 夜 寝る前 18.5 59 冬
2023年12月2日(土) 朝 起きた時 15.6 57 冬

秋から冬への変化の兆候とは何なのでしょうか。景色の見た目で言うと、紅葉のラスボス・イチョウが今とてもキレイな黄色に発色しています。桜の開花のように満開とは表現できませんが、満貫満色な黄色です。特に昨日のイチョウはここ数日で一番キレイな発色です。そして、最近、足のつま先もとても冷たい。そのようなところが私の感じる季節変化ではありますが、我が家には家庭内蓄積データもあるので、それを参考に秋冬の狭間を探ります。

11月30日の朝に感じたものは今期初めて洗面所の水が冷たいと感じたこと。流石に水温などを計測する発想はありませんでしたが、水道水の水温変化から気候変化の境界線を探るのはありかもしれない。なぜなら、春や夏のぬるい水道水に季節の変化を感じるものである。私が感じる冷たいという感覚は年齢や体調によっても異なる温度変化なのかもしれませんが一つの目安にはなります。ネタ不足対策に春到来の水温の変化を仕込んでおきましょう。

室温の変化は16.7℃から15。6℃に下がります。室内にいる限りは何とも思わない15℃の境界線ですが、昨日の外出時には確かに冬っぽさを感じる寒さではありました。本当は外気温を測れば良いのですが、人が生活している場所とは室内であります。また、クーラーや暖房のON・OFFする境界線も気になります。室内温度の変化から世の中を見ると、密閉性が高くない日本の家屋の室温は外気とそれなり比例しているのは間違いありません。今のところ私の「秋と冬の境界線」は室温15℃です。

毎日のデータを見返していて面白く思う部分は、朝起きた時と夜寝る前の温度を比較すると毎度1〜2℃温度差が起こること。これは生活温度が約1〜2℃室温を上昇させていることを意味します。クーラーを入れたり、窓を開放したりすると何とも言えない室温変化ではありますが、今の時期は朝と夜で必ず2℃ぐらい変化します。もし仮に室内をプラネット地球であるとするならば、人の活動だけで+2℃も上がるようにも思えますが、世の中そんなに単純ではありません。

そして、ここ最近の部屋の湿度が60%を超えで安定していたものが50%台に下降しています。都内の冬は乾燥するので、これも秋から冬へ変化してきている一つの兆候であると思います。

<MY秋冬の境界線>
1)イチョウの紅葉がキレイ。
2)足のつま先が冷たくなる。
3)洗面所の水を冷たく感じる。
4)室温15℃の境界線。
5)湿度50%の境界線。

ということで、

昨日は新しいコートを着ました。早めに購入して、いつになったら着ることができるのか?と家の中で試着して、やっぱりまだまだ着るのは早いとハンガーに戻すロングコートである。新しいコートの後ろにはXで縫われたひらひらの部分が付いています。私はそれをカットする。ネットでこのひらひらする部分の名前を検索すると「インバーテッドプリーツ」または「ベンツ」とも言うらしい?高級感は感じられる。しつけ糸は「切れ切れ」としつこく記事が出てきて、このように分かりやすい糸であれば私でもカットできますが、ジャケットのポケットの開閉部分が縫われている場合には、隙間にハサミを入れることに躊躇します。ポケットの糸を切ろうと思ったら生地まで切りそうになり少し怖く不安に思う。ポケットの仮縫いに当然トラウマはありませんが、人の感じる感覚とは人それぞれであります。なので、ポケットが使用できないままに着ることもあります。これはこれで良いこともありポケットにあれやこれと物を入れないので、服が無駄にダボつくこともない。ポケットのしつけ糸を切れない・切らない人は結構いると思うので、オレオレ!ポケットポエムを最後に語る。

おまえのポケットはポケットではない。
物を入れようと思っても糸で縫われて入らない。
それは見た目ばっかりで開くことのない扉である。
だがしかし、
右も左もポケットスリ団でイッパイの満員電車での強さはある。
世界に唯一刺激(スパイス)を与えるのがデザインだと誰かが言っていた。
それは無駄金と見た目の奇抜さを許容してこそ味わえる世界でもある。
by かしわ

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月2日(土)
■ヤザオジにつかまるゾ。
■2023年12月3日(日)
■一日一文章トレーニング。

「指の入らないポケットは無価値なのでしょうか?」

デザインは本当に世界を変えるのでしょうか。これは強ち嘘とは言えない。音楽を持ち歩くことや新しい洗練されたデザインの建物が出現したならば、私達一般ピープルの見る世界や生活は劇的に変化する。その意味に於いてデザインが世界を変化させてきたことは確かなことでもある。一方でアートが世界を変えることがあるのかと考えたならば、それら何十億・何百億という価値で売買されるというニュースでお金・資産の“ものさし”で世の中に変化させていますが、デザインの大衆性という面からは少し異なるような気もする。ゴッホやダヴィンチは私達にとって雲の上の出来事でもある。

昨日、収納機能をしつけ糸で封じられたポケットのオレオレ・ポケットポエムを書いている時に、意味のないデザインを受け入れる「寛容性の有る無し」で世の中の見え方は随分と変わるものかもしれないと感じた。確かにデザインとは余計で無駄なコストではあるとは思うのですが、諸外国は見た目だけのデザインにお金をかけております。それは恐らく過去に生まれた文化と、これから生まれる新しい文化の両輪を大切にしているからだと思われます。美術やデザインとはその国がその国であることを見えるカタチで表現していると感じているからこそ、見えるデザインに投資しているのかもしれません。

デザインが機能美であると考えると無意味なデザインに価値は存在しませんが、それは果たして本当に無価値であるのだろうかとも思う。失われた30年の経済を我身と共に振り返るとデザインよりも価格や機能性に重きを置いてきた数十年であったような気もする。それはデザイン不要論な世の中の雰囲気とも符号する。私自身もデザインや文化に無頓着な面もあったが、これは今思えば間違いであったと反省している。日本から発信された世界を変化させる数珠玉の技術は人々をワクワクさせるような色やデザインに仕立てられて外国の企業の血となり肉となった。これは技術立国の完全否定でもあり、安く作る等の効率性だけで遊び心や無意味なものを楽しむ余裕がなくなった数十年の結果でもある。私達は無意味なもの、無駄なものを排除して、効率性や有益なことだけを残そうとしてきた結果が今である。

東京には江戸っ子気質の粋な遊び心でお金を使う面白いおじさんたちはたくさんいましたが、もはやそのような人々もあまり見かけません。特に東京では東北の地震以降、顕著に実利中心のフラット化な世の中が進行したような気もします。本来、デザインとは経営の中枢にあって共にカタチ作るものではありますが、生産性という物差しで測ることのできないデザインやアートの特性上、切り捨てやすい部分だったのかもしれません。

今、六角形のキャラクターをかわいくデザインしようと思っていますが、「あれこれ」と長く考える時間は効率性の面からも非常に非効率で答えの無いものである。画像を化学教室に貼るぐらいでしか面白さは思いつかないものではありますが、物販であれば、歴史も長く商習慣が深く根ざしているものなので遅くとも2ヶ月程で投資資金を回収できます。ですが、この手の無形サービスや文化的な事柄をビジネスにしようとすると何年か後に忘れられていた頃に口座に支払われたり、半年後に資金回収できるようなことも多々ある。コンペに出したとしても労働賃金は0でもある。これはどこからどのように考えても、その労働の背後には誰かの生活が存在しているということを完全に忘れられているような気もします。そりゃ商習慣のしっかりとある物販に行くよなと思うのが私達の考えでもある。

この直近の数十年、私達の身の回りで生活を変化させてきたものは輸入品や輸入された概念である。自ら考えて失敗するリスクを負うぐらいであるならば、すでにカタチあるものをコピーして複製するのがお手軽な世の中でもある。これは別の言い方をするとフロンティア精神の欠如とも言える。いやいや、今やフロンティア精神などを発動させれば一般的な会社では生存できないレベルにあるのかもしれません。人も企業も目の前に広大な未知なる開拓地が広がっている時にとても前向きな思考になるものではありますが、コピー文化とは反対に他人の境界線を侵食して同じパイを食い合うことである。隣の家や外国から国境線を侵食されれば嫌悪する人々が、お金目的の錦が立つと平然と知人に行うことは一種ホラー映画を見るようなヒトコワでもある。なので、無害なお化けよりも本当に怖いのは人間で間違いないこと。コピー文化の悪害は、それは誰かの為に、何かの為に、面白いと思うことをカタチにしようと思うリスクを負う人物が現れなくなることでもある。新しくてまだ価値の見出すことのできない無駄なことを否定するとは、投資されない基礎研究みたいなもので、当然フロンティアの種やその先にある新領域も生み出されることもありません。そして、稀に海外企業や外国の人々が日本の埋もれた価値を見出した時に、まるで「浮世絵現象」のように価値を反転させるのが私達の悪きところでもある。私に本物の価値を見極める真贋の目が養われているのであろうかと自問自答するのだが、これは難しき真贋の目である。本物の目とは失敗を繰り返すことで教訓として得る目でもあるので無駄も失敗も許容してこその真贋の目を得ることができるのかもしれません。どうなのでしょうか?

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月3日(日)
■梅干し流し。
■2023年12月4日(月)
■一日一文章トレーニング。

「令和5年・2023年産の梅干し」

今更ですが今年作った梅干しを瓶に詰めます。
12月にもなり、やっとこ瓶詰め作業が出来て良かった。
今年に行ったことは今年中に終わらせたいものである。
この手のガラス瓶は外国製で円安で値段も高くなっているような気もします。
梅干しの長期保存にフタが金属であるものを使用すると時間が経つと酸化して錆びることになるので、梅干しの保管には絶対にガラス蓋のガラスケースである必要がある。
昔風に蛸壺みたいな入れ物でも良いのですが、そんな蛸壺のようなものはなく、毎年作る宝物の梅干しが蓄積していくことでもあるので、中身が見えて上に積み上げることのできる瓶が良いです。
梅干し=宝物とは変な話でもあるのですが・・・。
作り方の違う梅干しをそれぞれ別のプラスチックのコンテナケースに入れて保存していたのですが、かさばるので一つの瓶にまとめます。
このプラスチックやガラスの食品ケースの呼び方は何と呼ぶのが正しいのか早速、調べるとネットには何でも書かれているものである。
確かに、タッパーと言われればタッパーですが、ジプロックやプラケースと呼んたり、単に食品の保存ケースと言ったりもして正式な名称が一つに定まらないのも、この保存ケースの呼び方の特徴である。
それは愛犬をタロー、ジロー、わんわん、犬、4本足の毛むくじゃらと呼ぶ位にどれも正解に近いのですが、どれもしっくりと定まらないようなものである。
こんなにも多岐にわたる呼び名があるのものは、あんまり存在しないとも言えます。
瓶の下の方には実家産の梅干しを入れ、上の方には自家製の梅干しを入れます。
明らかに実家の梅は赤く、東京産の梅は色が薄くてややオレンジっぽい発色である。
我が自家製の梅干しでも、実家で干すと赤色になっているので、単に干し方に問題なのか?都心の日当たりの短さが問題なのか?とも考えられる。
味は全部、同じような味なのですが、来年の梅干しはもう少し、塩のブレンドにこだわって海のミネラル成分たっぷりの塩で梅を塩漬けしたいと思う。
梅干し作りはこのような一つの瓶に収まって、この夏の梅干し作りが完了します。
初めて自分で作った梅干しがそれなりの我家の伝統の梅干しっぽい形状になっていることは素晴らしいことでもある。
干したばかりの頃は見た目にもどうなることやらと思う梅干しですが、梅を寝かせて熟成させることでそれっぽい梅干しになることは興味深いところ。
熟成とは時期が熟することで、酒類だと十分に発酵することであります。
梅干しが長期保存で発酵することはないと思うのですが、天日干しで干されてダメージをうけた梅干しが静かにじっくりと棚の奥で寝かされることで分子レベルでゆっくりと安定していくように思ったりもする。
よくわからないけれども、梅干しは干したてよりも暫く、寝かして熟成させた方が断然美味しくなることは確かでもある。
来年の梅はもっと上手に作れると思う。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月4日(月)
■風神怒りのアーリング・ハーランド。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月5日(火)
■一日一文章トレーニング。

「風神雷神画は脳天の閃き原子図を描いたものであるとオレオレ流の解釈を加える」

 アーリング・ハーランドは1試合に1得点を重ねるような英国プレミアムリーグ話題のサッカー選手である。そんなハーランドの50ゴールを全部観た。いやはや、とってもしんどく大変なゴール集であった。本来であればゴールシーンでスカッとゴールが決まれば快適であるはずなのに、20ゴール目位からもうすでに疲れた。ゴールシーンを見るだけでこんなにもしんどいものなのかと思う。いやはや、90分×何十試合も対戦する選手たちの苦労とは計り知れないものがあります。アーリングは毎日、筋トレで体を鍛えているようで、フィジカルも強く、瞬発力も素早く、足も早い、そして、大きな身長はまだまだ成長中でもあるような巨体がさらに伸びる23歳の選手でもあります。裏にボールを通せば持ち前のトップスピードで相手側の守備選手を置き去りにしてゴールを決める。ダメ元でアーリングの近辺にボールを放り込むと何かとゴールを決めてくれる守護神あらず攻撃の神でもあるのだ。ゴール前の混戦では、あらよ、あらよと敵のマークを外してからド・フリーとなり転がってきたボールを簡単に決める。ボールを蹴るパワーは矢をさすよう鋭さもあれば、泥臭く体を使って持ち込むこともある硬軟両立な正真正銘のストライカーである。得点を取れる時にハットトリックなかため打ちもできるので、こんなにも大量得点を重ねる秘訣なのかもしれない。全50ゴールを全部観たのか?と言われれば、途中で他の作業をしてフルーツを食べたりもしているので正確には全てのゴールを観ている訳ではありません。変なちょんまげな髪型で韋駄天の如く巨体を揺らして走る姿は正にノルウェー出身の北欧神話を彷彿させるような神々しさを感じさせるものです。昨日はそんなハーランドを風神様とダブらせて描きました。サッカー選手やその他、すごいアスリートたちに風袋を持たせて走らせたら結構面白くなる図になると思われます。

 「そう言えば、風神様が持っている大きなテント袋のようなものは風袋だよね」ということで、龍角散のCMをYouTubeで検索するが風神様が出てきません。「あれっおかしいぞ」ということで、妄想のCMを観ていたのかと心配にもなり、よく調べると風神様のCMはカイゲン・風邪薬のキャラクターでありやんした。「ほらほら、袋から勢いよく風が出ているよ」ということで、夏の暑い日にこの風袋があればいつでも涼しい風が吹いて良いものです。しかし、風神雷神は雲の上に乗って移動できるので、頭上に雲を発生させれば、いつも日陰で涼しき日傘のようなものでもある。さっそく、そのような風袋(かぜぶくろ)を辞書で調べると、風袋(ふうたい)というらしい。「え〜」の「え〜」である。風袋を(ふうたい)と読む能力は私にはありません。風の袋は有袋類の袋みたく(たい)読みするのが吉で、袋(たい)は袋に入れたものを数える言葉でもあるらしく、袋の中のものを1たい・2たい・3たいと数えることは全く馴染みのない読み方ではあります。ちなみに、風袋(ふうたい)の意味は”はかり”で物の重さを測る時の入れ物のこと。比喩的には見かけや外見のことを指すようであります。要は中身が「正味」であるとすると、外側の入れ物は「風袋」となる。これを言葉遊び的に風神雷神図に当てはめると、風神様は外側の「がわ」な入れ物の神様のことなので、雷神様が正味な電撃な閃きを宿すようなビリビリとする神様のようにも読むこともできる。原子と電子であれば、外側を回るのは電子の方ではありますが、内なるものがビリビリと発芽するイメージはあるもので、風神雷神図は「脳天の閃きを図像化」しているようにも見えます。そこで、風神雷神図をネット検索してよく眺める。雷神図には雷太鼓の光背があり円を描いています。そして、雷神様が手に持つ鉄アレイみたいなものは雷太鼓のバチである。そのように見ると風神様は雷神様の円の中心を雲の筋斗雲の乗って回っているようにも見えて、電子が分子の周りを回るような感じでもある。怒れるアーリング・ハーランド選手から風神様、風袋、風神雷神像の絵の構図と繋がり、雷神様の周りをぐるぐると回る風神様が見えてきます。この構図は左右対称に何か変な神様がいるという構図ではなくて、見えない空間が見えて広がっていることは大きな発見でもあります。これは世界を広げる視野開放な呆則でもある。そして、雷神様はムンク画の人々と同じような緑色で顔色が悪いのが気になって、これは顔色警察の出動案件かもと思うのですが、カイゲンのキャラクターも「風邪ひいてまんねん」で顔色悪く風邪薬を飲むと良くなるので、緑色の顔色のお前は良しと考えた。やっぱりオレたちの風神雷神は魅力ある絵であります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月5日(火)
■猫がネズミを追いかけ始めたぞ。
■2023年12月6日(水)
■一日一文章トレーニング。

「数の子の時期がやってきた」

清少納言は枕草子で春はあけぼの(明け方・冬の延長上の寒さ)、夏は夜(涼む)、秋は夕暮れ(寒くなり始める)、冬はつとめて(早朝・キリリと寒い朝)の時間帯が好きだと言っております。文面から清少納言は早起きであることがわかりますが、四季の一番好きな部分を「暑い寒い」で言えば、寒さや涼しさを好む傾向を読み取ることができます。当時の十二単衣な着物が暑く窮屈であったのかもしれませんし、単に、誰もいない一人になれる時間帯が好きだと言っているだけかもしれません。

冬の早起きとは難しき早起きです。早起きをすれば一日も有効に使えて、確かに冬の朝は静かで背筋がピーンと立つような寒さもあります。(起きないけれども)私が一番寒く感じる冬の時間帯は日が落ちたばかりの夕方です。ガラス窓に燦々と太陽が降り注いだ後の暖まった部屋を、冬の太陽が沈むと同時に急激に温度を奪っていくあの感じが一番寒く感じる時間帯です。好きか嫌いかと言えば、冬の黄昏時は嫌いな時間帯でもあります。夜になれば、ご飯を作り、ざわざわと生活温度も上昇しますが、室温が急降下する様は寒いものです。当初、室温も15℃を下回れば暖房をつけておりましたが、夕方の室温18℃は暖房をつけるぐらいに十分に寒い。因みに、私が好きな冬景色は遠くの空が鼠色の雲で濃く色づく感じです。黒いダッフルコートを着込み、フードを被り冷たい風に耐えながら道を進む冬の空です。

先日、スーパーで特売の大好物の数の子を購入しました。もう、お正月がやって来るのかと一年が経過する速さにおののきます。一年12ヶ月はあっと言う間の出来事です。ぼんやりと生き、歳を重ねれば、重ねる程にお正月やクリスマスなどの季節感も薄れていきます。あと数十年経てば、アロハに短パンでお正月を過ごしていないことを祈りつつ、先程のように古文でも読めば、冬の鼠色の空を表現できるぐらいには少しは風流にいけそうな気もします。

ところで、

過酸化水素です。スーパーで購入した数の子が何の魚の卵なのかと調べていると、数の子には漂白された数の子と、漂白されていない数の子の2種類あることを知ります。黒い服を着ている時に、漂白剤が飛べば黒を赤茶に変色させるあの漂白剤を食品に使用しているのか?と思って、さっそく調べると数の子を漂白する化学物質が過酸化水素だということを知ります。台所の漂白剤は次亜塩素酸ナトリウム(NaClO)で別物です。(良かった)漂白されていない数の子は黄色ではなく黒ずみムラのある卵であるようで、漂白してキレイな見た目になるように加工することで、漂白と消毒・殺菌の一挙両得なのかもしれません。過酸化水素は(H2O2)で水素と酸素を結合させた化合物。名前は変わりますが擦りむいた時に塗るオキシドールと同じ成分となります。過酸化水素は傷口に塗ると水(H2O)と酸素(O2)に分解されて、泡立つ酸素を使って汚れやバイ菌等を殺菌します。化学反応式は2H2O2→O2+2H2O。食べても無害ではあるようですが、粘膜に付くと炎症を起こすそうであります?おそらく、食べたらすぐに喉の粘膜であると思うので、数の子は塩抜き8時間としっかりと水洗いと、皮むきをして、余計なものを全て洗いして美味しく食べたいと思います。それにしても、もう1年が終わってしまうとはとても時の速さは恐ろしくも絶望させるのに十分な速度です。

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*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月6日(水)
■数の子マン出動〜帰還。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月7日(木)
■一日一文章トレーニング。

「一年前の落ち葉が24金に変わっていれば・・・との淡い期待は、単なる24菌でありやした」

黄色く発色するイチョウの紅葉はキレイです。
街路樹の紅葉はそれほどキレイに発色しないものではありますが、奥まったところでひっそりと育つイチョウの大木はとても美しくて神々しいもの。
今は早めに紅葉したイチョウの木々は終わりかけで、遅めに紅葉するイチョウが徐々に黄色く変色している感じでもあります。
私の中ではイチョウの木が冬枯れすると本格的な冬の到来なので、ダウンやコートを着込んだりと完全な冬モードを楽しめる季節の到来です。
私が時折観察しているイチョウの標準木はまだまだ黄色く発色していませんが、あと何日で色付くのでしょうか?
過去の紅葉状況と比較することで今年の暖冬傾向を掴むこともできます。
青い空に向かって天高く黄色く突き刺す大木を眺め、地面に広がる黄色の絨毯を踏みしめて、来年も再来年も元気に紅葉を踏みしめ愛でることができれば良いなと思います。

私達が黄色芸術を眺める側で「せっせせっせ」と落ち葉を集めてお掃除をする人々もいます。
落ち葉の量は半端ない量を落葉させるので、それを拾う人々は大変です。
ほうきに塵取りを使う姿勢というのは結構しんどい。
もし私が敷地の管理者であれば全部常緑樹に変えたい願望の一択かもしれません。
なので、このような美しい紅葉を見せてくれ、落ち葉も拾って道をキレイにしてくれる人々に感謝でもあります。
そのような他人目線を感じられることは、毎日、ブツクサと文句を言いながら路上タバコやマックの食べ後のゴミをお掃除した名残りなのかもしれません。
人の気持ちとは相手の立場になって経験しないとわからないものでもあります。
昨日の自然のままで黒ずんだ化学物質を使わない数の子が料理人の良心であったとしても、黄色の見た目が良いと思い込む無知な私であれば、本当のことがわからないものであります。
世の中、他人目線で物事は見ることはできないものです。
いろんな事柄を学んで経験していくことは異なる視線を得る為なのかもしれません。

去年は大量に落ちる紅葉の落ち葉をいくつか拾って持ち帰りましたが、落ち葉を掃除する人にとれば、何の掃除の足しにもならない落ち葉の減少です。
それら落ち葉を1年間ジッパー袋に入れて保存していたので、今、それらを観察しています。
拾った落ち葉は肉厚で発色も良く立派に見える落ち葉ばかりでしたが、1年も経過するとこのような感じです。
確か、夏頃に見た時には見るも気持ち悪いカビが繁殖していて、これはヤバイと見えないように紙袋に入れて光をシャットアウトしました。
そうすると、カビ菌もそれほど見えなくなってミイラ化した茶色い落ち葉となります。
それでもいくつかの菌類は見られるようで細菌学者は大喜びな袋なのかもしれません。
イチョウ袋の中には黒く吸い込むと必ず体調を悪くするような危険っぽい粉も落ちています。
なので、「ジッパー袋を開封することは絶対にダメ」。
けれども、ダメと言われると封印を開けたくなるダメな奴が現れるものでもあります。
なので、未来永劫に封印する悪魔袋を保管しているような気分です。
私は昔から拾ってきたものを集めて飾ったりもしていましたが、実家にあったものは見事に完全に捨てられて何も残っておりません。
現在は引き出しの中に、どこどこのどこどこで拾った種とかとメモ書きと共に保管されているのですが、わいの引き出しは本当に碌な物が入っておりません。
樹木が地中に埋る金塊を吸い出して、葉っぱが24金になっていれば良いのにという淡い期待は、汚い単なる24菌の葉っぱでチャンチャンです。
もはや、「シン・二十四の菌」をリリースする必要があるのかもしれません。
ただ、色の模様とかはいい味が出てきて、利休好みに近づいていると思われます。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月7日(木)
■野球ピンボール。
■2023年12月8日(金)
■一日一文章トレーニング。

「ムダムダムダムダムダbyジョジョ・・・・なのは重々承知ですが、水温を測り始めた、全てはネタの為に」

朝起きて水で顔を洗う時に感じる「温かい・冷たい」と季節変化の境界線をまたぐ時は一度しかありません。
不思議なことに2度目以降は日常の水温となります。
今期、水が冷たいと初めて感じた時はいつだったのでしょうか?確か、一日一文章トレーニングに水が冷たくなったと記載したような記憶もあります。
後で過去文章を読み直して調べましょう。
冬の到来を感じさせる水を冷たいと感じる瞬間はもう過ぎてしまいましたが、次には、春の到来を感じさせる温かい水の季節がやって来ます。
誰もが経験する水道の蛇口をひねると、あの春の冷たい雪解け水が急に温かくなる瞬間です。
これはどこでも誰でも同じように感じる普遍的な温度ではありませんが、水道水から見た季節の境界線で間違いありません。
水道水の温度変化から春の到来を感じる為に日々水道の温度を測る必要がありますが、やりたいと思った時に水温を測る為の道具がありませんでした。
出だしをくじかれるのは毎度のことではありますが、水温を測りたいという気持ちの炎はまだ消えてなかったので事務所のキッチンで汚い水温計を発見して、それを持ち帰ってきた。
電池がなくなり起動しなかったのでLR44のボタン電池を入れて無事に起動させる。
このような意味のない水温の境界線を探る為に、再び水温計を購入するのも勿体ない話でもあるので使用していない水温計があって良かった、良かった。
これがあれば、ローストビーフの中心をピンク色に染める水温も計測できます。
大体、水道の温度が何度くらいかなんて用途がなければ気にかけない温度でもあります。
夏真っ盛りであれば蛇口をひねればお湯みたいな時もあると思えば、逆に、冬真っ盛りでは凍結しそうな時もある。
しっかりと水道水の水から見た春到来の境界線を発見して報告したいと思います。
1ネタゲットできた!

で、

どうやって計測するのか?は大問題です。
とりあえず、水を貯めるのは渋い小さな湯呑を利用します。
陶製であれば、それほど外気温の影響も受けないと思うし、全く使用していないぐい呑みを水温計測用に格上げして、昨晩、水温を測ってみたら下記のような感じです。

2023年12月7日(木) 夜 寝る前
19.6 20.1 19.8 20.2
20.1 19.6 17.8 17.4
17.2 17 16.7 16.6
16.6 16.5 16.4 16.3
平均17.99375
30秒水を流した後の水温 13.7

2023年12月8日(金) 朝 起きた時
17.1 17.3 18 18.2
18.4 18.5 18.6 18.5
18.4 18.3 18.4 18.3
18.1 18.1 18 18
平均18.18
30秒水を流した後の水温 14.3

どのように計測するのが正解なのか?
わからないので何度も何度も水を溜めて16回計測し、その後に30秒間水をザーッと流してから計測すると明らかに水温は大きく変化します。
最初の16回計測の水は建物の中のパイプに溜まっている水なので外気の影響は全くうけていない安定した水でもあります。
昨晩の室温は18.7℃湿度62%
今朝の室温は15.9℃湿度59%
まだ、1日しか計測していないので何とも言えませんが、出だしの水温は室温の1〜2℃高くなる傾向はあるのかもしれません。
外気温の影響をうけた水を出すにはある程度、水を流さないといけないので30秒間ぐらい水をザァーと流した後に計測すると水温は随分と下がります。
こっちの温度の方がより外気に近いとも言えますが、これもやっぱり水槽やパイプの中にある水なのでそれなりに外気の影響は軽微だと思われます。
しかし、朝、顔を洗う時の水の「温い冷たい」で季節の変化を感じるものでもあり、朝さえ計測すれば良いと思われます。
パイプの遠くの水を摂取するには、水を流さないといけませんが計測の度に無駄に水を出すのも勿体ないものなので顔を洗った後の水で計測します。
もともと無意味で無駄な活動なことは重々承知で、温度を計測しているのは昔からの趣味でもあります。
室温+湿度に加え、足冷えの足の温度に、水道水の温度も測るというのはなかなかの苦行でもありますが、家庭内データを蓄積する面白さと、面倒臭さを天秤にかけて、とりあえず一番楽な方法で計測して春の水道水の温度変化の決戦の時に備えたいと思います。

1)夜 寝る前 室温の影響をうけた1回目の水温を計測(キッチン)
2)朝 起きた時 室温の影響をうけた1回目の水温を計測(キッチン)
3)朝 起きた時 顔を洗った後の水温を計測(洗面所)

キッチンの水温は室温と水道水の相関性が気になるので調べます。
さてどうなるやら。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月8日(金)
■遠い目でリズムを取りながらエアーマッスル休憩中のヤザオジ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月9日(土)
■一日一文章トレーニング。

「また面白いものを見つけてしまった・・・どうしよう?」

「どうしよう怖いです」。ハチが大変なことになっています。ハチと言っても蜂や忠犬ハチ公のことではありません。それは日当たりの良い植物界のお嬢の横でよく育つ我が家の植木鉢のこと。「何が怖いのか?」と言うと鉢の表面まで白い共生菌が現れ出て、鉢がとても気持ち悪くなります。本来、地中に埋まっている菌は空気が苦手だと思っていたのですが、外で長年ほったらかした年季の入った植木鉢のように黒・白・緑色と汚く不気味な鉢の模様を作り出します。白い菌は、私が大根から取り出した共生菌で大根の花を咲かせた菌をお花屋さんで買った切り花の茎にぬりぬりと感染さてから、水耕栽培させて育てていたものです。なので、なかなかに長く時間をかけて育て、それなりに愛着のある菌でもあります。菌とは人にとって忌み嫌われるものではありますが、この世の中に愛着のある菌を持っている人はそれほどいないと思われます。そして、今、そんな白い菌が生息域を鉢の表面にまで溢れるように出るように繁殖しています。白い共生菌の生息域はこの小さな鉢ではもう狭すぎるのかもしれません。もともと何かの植物が枯れた鉢を再利用しているので、それほどキレイな鉢ではありませんが、この名前の知らない植物を植えた時にはそれなりの茶色な鉢ではありました。水やりをしている内に黒っぽい菌を鉢の表面に発生させて汚くなり、そして、先日、ダムのように鉢の中を水でタプタプに浸してからは、黒い菌も白い菌も活発化して鉢の表面がものすごく汚くなります。そして、今や白い共生菌は黒い菌を侵食するように鉢植えの表面まで現れ出て広がります。これは白い菌が黒い菌を駆逐しているようにも見えます。もしかしたら、これは菌対菌のマイナス・ゼロな戦いなのかもしれません。そして、その内に菌は胞子なども吐き出すようになるのではと心配もしております。菌の胞子を吸い込むと体に凄く悪そうでもあるので、後で、ネットで調べて菌を吸い込む悪害について調べてたいと思います。もし、我が愛しのマイボディーが白い共生菌に共生されれば、私が各地にこの白い菌を植え始め、謎の怪しい白菌を絶賛発売し、寿命も300年ぐらい伸びているかもしれません。そんな時には間違いなく私は白い大根の共生菌に乗っ取られていますので悪しからず。(草)このような菌に寄生されるホラーとは地味で面白みに欠けるものでもあります。ですが、溢れ出す菌の鉢が気持ち悪いからと言って、植物を寒い外に出したならば長年育ててきた植物がすぐに冬枯れしてしまう未来も見えます。「はて〜どうしましょうか」。とりあえず、白と黒の菌は共に共生している感じでもなく、寧ろ戦っているようにも見えます。もしかしたら、鉢表面の白い共生菌と黒い菌との攻防を見て何かの呆則を学ぶことがあるのかもしれません。それならば、汚い鉢にそれなりの価値を見出すことはできます。オレたちの利休であれば、この気持ち悪い菌の模様から美を見出すのかもしれませんが、私にはそれは菌の戦争の陣取り合戦図のようにも見えてきます。軍事の研究家などがそのような菌の一進一退を見れば、新しき戦術を思いつくかもしれませんが、私が見れば何か面白き発見はあるのでしょうか?とりあえず、この菌は大根由来の日本の固有種だと思いますし、菌勢力の攻防趨勢を野蛮に観察していたとしても禁止事項ではないので、小さな世界の小さな自然の出来事でもあります。今回ほどではないものの前回の白菌大繁殖時には、鉢を外で天日干ししたならば、白い菌はもの凄く減退しました。なので、白い菌は空気や日光というよりも、外の風をあててあげると減退するような予感です。ただ、黒菌は消えることはありませんので、白い共生菌に駆逐してもらう必要があります。ブラック騎士とホワイト騎士の攻防は企業の生き残りをかけた壮絶な戦闘となるのかもしれない想像できない結末でもあります。また、面白き良きネタを拾ってしまったと1ネタゲット!!です。ということで、大根の共生菌にボディーを乗っ取られないように注意しながら観察したいと思います。www私が訳のわからない菌語をしゃべり始めたならば、間違いなく大根の白い共生菌に侵食されていますので、その時には私を心地よい風にあてて白菌を減退させてあげて下さい。ぞなもし。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月9日(土)
■テキトウのようで、ものすごくテキトーな猫。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月10日(日)
■一日一文章トレーニング。

「一年前の紅葉した葉っぱを模写した」

カビの生えた一年前の落ち葉などを実家に置いていたならば、「何やっているの!!」と母を怒らせるのに十分な葉っぱである。
いちよう、ジッパー袋に詰めて菌が飛び出さないように保管しているのですが、透明のビニール袋に入っているので見た目の気持ち悪さは見たままです。
気持ち悪い菌はビニール袋を透過してこないよね???と思いながら模写します。

おまけに最近の細菌は植木鉢の表面にも現れ出てくる気持ち悪さも追加されました。
白菌の除去は黒菌を駆逐してもらってからでも遅くないように思うので、今は菌糸対決を楽しむことにしています。
菌の攻防戦を目視していると彼らの前線は「境界線」ではなく「境界面」であることがわかります。
それは、私の単細胞な思考よりも一段上の別次元での戦い方でもある。
あくまでも、鉢の表面から見た限りではありますが、白菌は広い面積の鉢面に白菌を出現させて太陽光のエネルギーを得ているようにも見えるし、これ以上、黒菌や緑菌を拡大させないように囲碁のように周囲を囲っているようにも見えます。
戦闘の前線は内部の境界面で、これは線と線で鉢の表面から黒菌と対峙するのではなく、白菌は目に見えない内面から水エネルギーの補給路を断つように兵站攻撃をしているようにも感じることができます。
やはり、敵の拡大を防ぎつつ、兵糧潰しを地道にやることが基本的な戦術なのかもしれません。
白菌は植物の共生菌でもあり、長年育ててきた菌でもある、なので、親バカのように白菌を応援しているのですが、早送りで結末を早くみたいものであります。

この気持ち悪い鉢も袋も永遠に残るものではありません。
その内に形もなくなり朽ちた砂のように消え去る日はやってきます。
このような物が朽ちていく様子を見ていると、全てのカタチあるものは永遠の生命でないことに気付かされます。
ですが、同時に菌対菌の戦いを見ていると、新しくエネルギーの流れから絶たれた葉っぱもこのジッパー袋の小さな宇宙では細々と菌類の酵素?分解が行われる新しいエネルギー活動のステージが起きているのも事実です。
諸行無常な方丈記であれば、生命エネルギーは輪廻して永遠に続くことになります。
結局、全てのものは同じことをずーっと繰り返して続けていくのでしょうか。
放置した菌やカビは数年生きていることもあるそうです。
夏頃にカビ菌大繁殖で気持ち悪くなったので袋に入れて光を完全に遮断したらカビ菌は減退しましたが、少数はまだ確実に生きています。
絵でも描きましたが白い部分や黒い部分が1年間生き伸びた菌です。
カビや菌が生命であるのかどうかの定義は人それぞれとは思いますが、朽ちた葉っぱでも光のエネルギーがあれば、それなりのエネルギー活動は継続化されて何かしらの生命活動は継続するようでもあります。

今朝はそのような枯れ葉をたっぷり時間かけて模写しました。
模写すると面白いことに細かい部分にも気づきます。
模写することは物事をよく視るということの一つの訓練でもあります。
本当は子葉の一本一本まで正確に書きたいのですが、早く描き終えたいというマイ屁理屈はあっても、何かも正確に模写することは私の能力を完全に逸脱しています。
できるだけ、色の雰囲気を正確に模写しようとしましたが現実の葉っぱとは異なるものです。
今、東京の街ではイチョウが黄色く紅葉し黄色の絨毯を作りますが、そのような色鮮やかな葉っぱの色も1年も経過すればこのような感じの葉っぱとなります。
「美しいのか?美しくないのか?」と考えると間違いなく「汚い葉っぱ」なのですが、ただ、それなりの朽ちていく退色にも渋く感じられる部分はあるものです。
果たして、千利休のように、朽ちた色に平安色なキレイな紅葉色よりも美しさを見出すマニアックな日々はやって来るのでしょうか。
「あ〜やっぱり黄色いイチョウの絨毯とはとってもキレイな色です」。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月10日(日)
■猫カー。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月11日(月)
■一日一文章トレーニング。

「もふもふした奴に媚びるポエムを書いた」

今朝はこの現代日本で一番格好悪くて恥ずかしいと言われるオレオレポケット・ポエムを書きます。
私は中原中也の「ほらほら骨」とか、その他、誰か知らないクラスの生徒が書いた学級ポエムの類が好きである。
そのような、純朴なポエム株の価値を押し下げた進次郎をゆるさん。
(若しくは、ネーミングをした人のセンスが光っていたと言うべきなのか)
なのに、今や「ポエムが好きです」と公言すれば、少し頭のおかしい人のように見られてしまうことは、昔から少しポエムな部分がある私にとれば一大事。
ここは一代決心でポエムの復権を目指さし、ポエムが日常的であるように発信する必要性を感じます。
風の神様ハーランドがサッカーポエムを綴るとなれば、ポエム界に良い風が吹くのかもしれない。

あのチームの17番が嫌いだ。
あいつはいつも「はぁはぁ」言いながら数メートル先から近づいて来る。
そして、変な感じでユニフォームを引っぱり、嫌な感じに服ははだける。
17番はオレのユニフォームで己の汗を拭いているようにも思えて何か怖い。
・・・
みたいな詩です。

私は現実逃避みたいなふわふわしたポエムが好きだ。
なぜなら、毎日、文章を書いていたならば青年の主張みたいなものは、すでに枯渇しています。
自然観察とは大いなる学びの先生ではありますが、菌対菌のゴジラ対決みたいな話のタネ←→ネタぐらいまで辿り着くと流石に重症さを感じるものであります。
種(タネ)とネタは背中合わせの関係なのね。

■オレオレポケット・ポエム

私は若い子らに媚びない。
若さとは未来である。
Zな響きに嫉妬することはある。
夜遊びな音楽の良さもわかる。
だがしかし、私は決して若者に媚びない。

私は老人に媚びない。
老いることは明日の未来でもある。
私は老人に接する時は子供と接するみたいになった。
おばあちゃんが人は子供から大人になって子供に戻ると言っていたが、
それは本当のことなのかもしれない。
なので、私は老人に媚びない。

私はもふもふした奴らに媚びる。
あの毛むくじゃらのもふもふした奴らをよしよしすると癒やされる。
この冬はもふもふした服を着ようと思っていたがまだ購入していない。
自らももふもふとなれば、もふもふに近づけというものだ。
私は徹頭徹尾、もふもふした奴らに媚びる。

道にはいろいろなものが落ちています。
手袋の片割れや赤ちゃんの靴、その他いろいろなものが落ちていますが、その中でも、私の専門は頭上から降ってくる木の実の類。
風に吹かれてアゲアゲなパーティのように木の実、葉っぱや現金が飛びかえれば、それはテンションもアゲアゲなパリピなパーティみたいな感じになります。
今からでもタヌキに弟子入りして、落ち葉を現金に変える魔術を学ぶことができれば、落ち葉でイッパイの秋は収穫の時でもあります。
いつものように墓場道を進んでいたら、前方で5センチ程の葉っぱがバサリと落ちた。
道に落ちた葉っぱを眺めているとクリスマスツリーの一部みたいな木の実で絶対に拾う。
ただ、その葉っぱは天敵スギ花粉の葉っぱでした。
杉の葉っぱは菌糸みたいな変わった葉っぱのカタチで面白い。
高級なお造りに飾られているような葉っぱでもあります。
丁寧にも花粉を収納していると思われる鈴みたいなものもたくさんぶら下げてとても可愛い。
敵ながらその可愛さに魅了されます。
部屋に飾ればクリスマス気分も高まりますが、この中にたくさんの花粉が入っていると考えれば、げに恐ろしき木の実でもあるのでビニール袋の中に保管しています。
今年はもふもふした服を買おうかと思っていましたが、花粉がもふもふした部分に入り込んで永遠に目が痒く、鼻水もズルズルとなることを考えると二の足を踏んでしまうものであります。
もふもふした奴らに近づくべきか否か、それは毎年の大きな問題でもあります。
何かの嫌がらせなのか、樹木からの早めのクリスマスプレゼントは杉花粉がイッパイ詰まった葉っぱの贈り物でありました。
メーリークリスマス、もふもふ。
メーリークリスマスはまだ早い。
いやはや、ポエムって何かよくわからないものであります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月11日(月)
■キック。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月12日(火)
■一日一文章トレーニング。

「ひのきの葉っぱのボディーにはHYXITのようなアルファベットみたいな記号が刻まれています」

いやはや、昨日の天敵スギの葉っぱだと思っていたものはヒノキの葉っぱでした。
m(_ _)mT
私の花粉症は杉花粉で間違いありませんが、似た者同士でもあるので檜花粉にも反応するのかもしれません。
杉の葉っぱはもっとトゲトゲした形状で、檜(桧)は菌糸のようなサボテンのようなユニークな葉っぱが特徴です。
なので、遠目に見たら全く同じで区別できない杉と檜の判別は、木の下に落ちている落ち葉で判断するようで、正に、杉や檜とは森全体を見て葉っぱを見ないようなものでもあります。
この落ち葉を拾うことがなければ、檜と杉を区別することも恐らく永遠に知ることもなく棺桶に入りしていたのは間違いありません。
その意味ではこの「一日一文章トレーニング」それなりに自身の視野拡大に貢献していることもわかります。
檜と杉を識別できることはスギ花粉アレルギーを持つ人にとれば有益な情報です。
信じられないことですが、杉林に入っただけで花粉を飛散させる時期でなくとも肌がヒリヒリとするものです。
杉花粉で毎年苦しんでいるのに、敵である杉のことを何も知らない自分自身に気付かされます。
昨日、見たお魚屋さんには檜の葉っぱが魚と一緒に飾られていました。
その隣には1万数千円の立派な伊勢海老が飾られていて、そればっかりに目がいってしまい肝心の檜葉っぱに乗っていた魚の記憶はありません。
本当に何しに行ったお魚屋さんです。
伊勢海老は氷の上に座っていました。
檜の葉っぱを見にわざわざお魚屋さんを通ったのに、伊勢海老の貫禄と魅力に負けて主役を見ていないことは、これを「主役を食う演技」という現象なのなのかもしれません。
恐るべし伊勢海老。
人は当初の目的を忘れて、他の関心や寄り道をしてしまうものです。
このようなお魚や松茸など高級品な食材に敷かれるものを「掻敷・かいしき」と言うようであります。
天然の葉っぱは殺菌防腐効果有りで、ふかふかな葉っぱの弾力は柔らかいお布団のようなもので優しく食べ物を保護します。
そして何より、見た目にもオシャレな敷物です。
昔の人は食品をこのようにもオサレに飾ったものと考えると、現代人は物質的には豊かにはなりましたが、掻敷を引くなどの些細な粋なこだわりな部分を失っているような気もします。
前述のように杉や檜などの葉っぱは人の手が届かない高い位置にあります。
高い部分にある葉っぱを切り落とすことは、高い位置まで上り葉っぱをカットする必要があるので、これはなかなかに大変です。
木々に花粉が付く前の時期に杉の葉っぱを散髪してあげれば、スギ花粉の発生も抑えることができるのでしょうか。
このような天然の葉っぱが再利用されるようになれば、魚屋さんや野菜売り場にも天然の葉っぱのディスプレイでオシャレに食品を飾ることができます。
これこそ、ドローンを使って天然木の自動散髪等ができるようになれば、お手軽に檜の葉っぱを誰もが入手できて花粉の飛散を抑えることはできるのかもしれません。
花粉の飛散は減少して欲しいものです。

ということで、

とりあえず、簡単に檜の葉っぱを模写すれば「Confirmation」できます。
檜の実は先端の部分が茶色くなり、それが丸く膨らむとキレイでかわいいボール状の実を付けます。
なので、かわいいボールは常に葉っぱの端の先端に付きます。
そして、変な檜の葉っぱの形状は模写していると「HYXIT」といろんなアルファベットみたいな文字が葉っぱに刻み込まれていることに気付きます。
これは遺伝子記号のような感じの羅列で、アルファベット文字の語源が檜の葉っぱではないよね?とも思ったりもします。
その位に文字っぽい天然のたくさんの記号を刻んでいるので、見ているだけでも面白いです。
もっと腰を添えて模写したならば天然に刻まれた記号に何らかの法則性があるのだろうかと思ったりもします。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月12日(火)
■ひのき星人のパンチを避けるスギスギ(スギ星人)。
花粉会議R051212。
■2023年12月13日(水)
■一日一文章トレーニング。

「新しきものに伝えること」

先日、人工受粉させた白黒菌対決中の鉢の実が落下した。
花が咲いた後に白い実を結実させた唯一の種がポトリと落ちて、いやはや、残念。
写真はそんな種で、ズームでほこりも一緒に写って汚くてm(_ _)mt。
ホコリを拭いて撮り直すのも面倒なので写真はそのままに、これはエセ丁寧な生活の現実でもある。
元気な切り花の時には実を落とすこともなかったので、植物が自ら実を切り落としたような感じもします。
菌対菌の戦争中の栄養のリソースは戦時中の食事がサツマイモなどで栄養価が低くなることと似て、実に割り当てるエネルギーが足りていないのかもしれません。
それとも、冬の時期でも肥料をあげた方が良かったのでしょうか。
一様、種は春に土に埋めてみたいと思うのですが、もし、種から芽が出れば3世代or2.5世代的に命を繋ぐことになります。
落下させた種(タネ)を拾いてネタにしてあげるのは大人の流儀でもありますので、げに恐ろしきことではありますがノープランで文章を書き進めます。

タネやネタや、「ばしょ」を「しょば」のように反対にする言葉のことを倒語(とうご)と言います。
先生の名前とかは倒語になっていたような気もしますが、業界用語で「スーシ」や「まいうー」などと言っている人は身近にいなかったので馴染みのない倒語でもあります。
しかし、倒語は江戸時代に仲間内で流行った言葉でもあり、そのまま現代にも定着している言葉もたくさんあるようです。

「ばしょ代」→「しょば代」
「やど街」→「どや街」
「じだらく・自堕落」→「だらしない」
など。

江戸時代の倒語には裏や何かしらの闇有りなものを、さらに悪く格下げして言う時に使われるような気もします。
それに比べて、昭和なTV業界用語の倒語には意味の格上げみたいなものを感じます。
少しバブリーでアゲアゲな「まいうー・スーシー・ぎろっぽん・ワイハ」などの言葉はネガティブ指向である人間にはおいそれと口に出来ない言葉でもありますが、当時の人々のエネルギッシュなパワーは言葉からも十分に感じることはできます。
良き経済から言葉が生み出されるものなのか?
前向きな言葉から良き経済が生まれるのか?
それは卵と鶏 どちらが先かみたいなものの似ていて、「経済は気から」みたいなとっても重要で有るような気もします。
ダメであっても言葉だけは景気よく威勢よく話していたならば、良き運勢も開かれるものなのでしょうか。
(知らんけど)(ダメなことわざもあったような)

私達が毎日使う「新しい」という言葉も古文的に言えば「新た・あらた・あらたしい」と呼ばれていたものが「あたらしい」になったようです。
「あらたしい」とは本来正しき言葉なのかもしれませんが、今、私達が使っているのは「あたらしい」です。
しかし、「あらた」な言葉は完全になくなった訳ではなく、「心を新たに」と云々する時には「あらた・新た」と使って仰々しく喋るものでもあります。
「新しい」と言う時にだけ倒語にして反対にして読むことは面白いこと。
これを人々が正しさや伝統を捨てて、新しき道を選んでいくことが「新しさ」の新たな面白さなのかもしれないとも言えますが、江戸情緒視線で考えると新しきことが変化をもたらすことにマイナスな感情を持つ国民性の何かしらの格下げ・卑下した言葉のようにも聞こえます。
それは江戸時代の変化を拒む保守性を強く感じるものである。
日本人は新しいものが大好きで、また、新しきもので生活が変わることの変化を嫌う面も多々あります。
それら新しき・古きものの狭間で感情を揺さぶっているのが日本人であると、古きものから新しき価値観を見出した千利休なら言うのかもしれません。
倒語とは単なる言葉遊びではありますが、わざわざ倒語にする意味は絶対にあると思われます。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月13日(水)
■ねこ隊長のスイッチON。
■2023年12月14日(木)
■一日一文章トレーニング。

「2023冬コレクションボアカバーの羽毛布団挟むサンドイッチ風」

暖冬の寒くない冬ですが、お風呂上がりにうろうろとしてイザっ布団に入らんとすると、体はすっかりと冷たくなるヒンヤリ布団でもある。だからといい、風呂上がりに布団に直行すると体温と湿気が布団に籠もって逆に寝にくくもなります。特に足のつま先の冷え冷えは定期的に起こる現象でもあります。「ふ〜ぅ」と温かに感じるベストな布団コンディションはいつも探している究極の布団でもあります。最近は暖かな布団生活も少しは進化もして、ボアのもこもこ布団を2つ折りにして布団に挟み込まれるように寝ています。これは下にボアの羽毛布団と上にもボアの羽毛布団がサンドイッチなサブウェ〜イ状態になります。羽毛が体重でプレスしてしまうのが勿体ないので、正確には足の部分だけが二つ折りな状態でもありますが、快適睡眠に羽毛ダメージは仕方無きこと。当然、毛布は掛ける派ではなく、敷布団の上に敷き下に敷いて寝る派でもあるので、どんな寝スタイルになってもいつも底冷えも防御可能です。いやはや、完璧ですわ。このような寝る体勢が狭くて動きが制限される感じは案外落ち着くものであります。学生時代の一人暮らしの冬の寒い夜はいつも寝袋に入って、さらに寝袋の上に布団をかけて寝ていたものであります。穴熊のように狭い部分に入って寝ると安心することは動物の鉄則なのかもしれません。恐らく、麻布台ヒルズの最上階の人々も寝袋を使って寝ていると思います。客観的に寝袋イン布団の姿を想像すると寝袋の顔窓から顔を出して、さらに布団をかぶっているシュールの絵面でもあります。エジプトの墳墓に眠るミイラのように寝袋に包まると、どんなに体が湯冷めした状態でもすぐに体は温まるもので良いものです。また、寝袋の狭い場所の空間にいることで金縛りやお化けがやってきた時も寝袋という密閉空間の防御壁があるので何だか安心して寝ることができます。ただし、強盗などが入ってきたならば自らを寝袋の中に縛ばられているので白旗です。そんな訳で、毎年恒例の布団の寝方ですが、今はもこもこな布団にサンドイッチされる感じが温かだ〜。

そこで、最近、もこもこしたボアの服も欲しくなります。インターネットという社会の窓をカシャカシャと検索すると、あの手の服はどの角度のどの方向からみても部屋着感が漂っております。モデルの着こなしを見てもなかなかの部屋着ぷりなのに、己がその服を着たら、野良犬、若しくは、「このコンビニの上に住んでいますよ〜」みたいな感じになるような予感です。なので、今年もボア服を買うのは断念かもしれない。ボア服には何かしらのデザインが欲しいと思えば、なかなかの奇抜。これも毎年恒例のボア服を購入する?しない?詐欺みたいなざわざわとする瞬間でもあります。それは東北の人たちが履いている冬の温かそうなボアインブーツを毎年欲しくなるけど、都心でそんな靴を履くのはAREやな〜と思ったら諦めてしまう感じのアレです。

ということで、

今朝起きたら、そんなボアの布団に一昨日使った貼るカイロがくっついていました。確か、お腹を壊してお腹に貼っていたカイロが寝ている内にボア布団に伝播して布団を温めていたようである。そして、シール付きでもあるので、布団にくっついたまま忘れられて今朝発見される。サブウェ〜イみたいなサンドイッチ状態にしても朝起きたら、もう無茶苦茶布団であるので、結局、どんな寝方をしても兵どもたちは夢の跡な感じでもあります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月14日(木)
■たいへんニャーそッぢはキケンなのにゃら〜U※W。わたわた綿綿。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月15日(金)
■一日一文章トレーニング。

「先日の夕方、キレイな雲がポッカリと浮かんでいた」

これは先日のお話しです。
それも、少し前のお話し。
美しき雲の姿を見つけて何かと言葉にしようと努力したのですが、その心に染み入る美しさを文章に書き残すことはとても難しきこと。
世の中は美しき事柄で溢れてはおりますが、美しいものを見て、それがどのように美しいのかを説明することはとても難しいことでもある。
そして、今朝の何も書くことの思いつかないグレーの曇空を眺めながら、この白いキャンパスを染めるのはあの空色しかないと思ったので、おにぎりをかじりながら書いている。

先日、

私は暗がりが広がる夕方の街底から、助走をつけてエッサホイサとペダルをこいで緩い坂道を登り、ゼェゼェと息を切らして見た景色がこの一枚目の写真であります。
青く透き通る青い球体のお空に真っ赤に染まった雲が浮かび、地平線はオレンジで地上の家々を黒一色に染めます。

「おぉ」

この場所は毎度の都内でも珍しく、建物も電柱も邪魔しない直接、空を眺めることのできるスポットでもある。
先日はネタ不足の中、黒いマスクが帆船のように空を舞い上がりそれを文章にした。(マスクに感謝)
そして、この坂道を登った後に広がる光景はいつ見てもキレイなものの、毎度キレイな景色を見せてくれる訳でもありません。
ほとんどは普通の東京の一風景でもあるのですが、時折自然のいたずらなのか、写真を撮りたくなるような不思議で美しい景色を見せてくれます。
日常の延長線上からの“たま〜”のキレイな景色を見せるところが本当によく計算されています。
そのような、お空の景色をプレゼントをくれるのはこの場所だけである。
赤く染まった雲の中を飛行機が直線的に横切って飛ぶ幻想的な風景を慌てて写真に収めて、雲は何のカタチに見えるだろうかと考える。
神話のトカゲ、干からびたトカゲ、踏み潰されたトカゲや何かのボール競技をしている姿かもしれない。

私は広く土地が開けた場所に出れば、雲をもっとゆっくりと観察できると思って公園の方に自転車を走らせます。
すると、走れば走る程に雲はどんどんと建物や電柱に遮られ、遠く離れて見えなくなります。
公園に着くと、あのキレイな雲はもうどこにも見えなくてなって頭上に日の暮れたお空が広がるだけである。
帰り道でもあるので、当然、道を戻ったりもしません。
ただ、遠回りした帰宅道を自宅方向に向かって走ります。
いつもの殺風景な景色と空を眺めて走っていると、突然、先端の部分が赤く染まった大きな雲が視界に表れ出た。

「お〜」

あのスポット程の美しさはないものの、写真に撮るのに十分な美しい雲でもあったので写真をパシャリ。
(2枚目)
私は随分と遠回りした帰り道を雲の写真を撮りながら帰宅するのでした。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月15日(金)
■猫谷三丁目を下ることになります。
■2023年12月16日(土)
■一日一文章トレーニング。

「”おのれ”とは”私自身”のことで”あなた自身”のことでもある」

「あなた」は「私」であり、「私」は「あなた」である。
「いやいや、そんなことはあり得ない」
ピュアに解釈すれば世の中にそのような事実は無いけれども、訳のわからないことを考えることが、私の平常運転でもあります。
「私」と他人の「あなた」の境界線が曖昧となれば、「私のものはあなたの物であり」、「あなたのもんは私の物である」との屁理屈も立ちます。
なので、実際は「あなた」が「私」であることは無くて、「私」が「あなた」であることもない。
だがしかし、時折、「あなた」と「私」の境界線が無くなり同一視してしまう状況は存在しています。
それは「怒り」を爆発させて「おのれ」と怒りも頂点に達すれば、「私」と「あなた」の境界線もわからなくなることは有りがちなことです。
そのような時は、「私」と「あなた」の境界線は確かにとてもダブって曖昧になります。
関係のない余計なことも言って個人と個人との境界線も無茶苦茶です。
相手を激しく罵る時に「おのれ許さん」とは、私もよく吐く暴言の一つではありますが、意味から解釈すると「おのれ」とはその人自身のことであり、私自身のことを表しておりますが、同時におまえや、汝などの他人の「あなた自身」のことも指しております。
「おのれ」とは「私」のことであり、「あなた」のことでもあることは、よくよく考えてみると誰に向かって怒っているのかわからなくなる言葉でもあります。
ですが、長年育まれてきた言葉には何らかの文化的な意図が隠されていると考えるのが妥当なことでもあります。
では、
なぜ?「おのれ」という言葉に「あなた」と「私」が同時に存在するのか?ということについて考えてみた。
「おのれ」などの汚い言葉を使う時は、私のような日常的に面白おかしく言葉を使う人種は除いて、人々が真剣に怒っている時でもあります。
「私」が「あなた」に言葉の剣を刺したならば、「あなた」は心の血を流します。
そして、「あなた」が「私」に反撃の言葉の剣や実力行使も伴うとなると、その時、「私」は心の血や、物理的な血を流すことになるでしょう。
先ず、第一に考えられるのは怒りの「おのれ」とは「私」と「あなた」を同一的に痛めつけている構図が見えます。
これは「私」が吐いた言葉の剣はそのまま、自分自身な「私」に返っているとも解釈もできるので、「おのれ」の言葉に「あなた」と「私」が仲良く共存している理由がその辺りに正解があるのではなかろうかと思ったりもします。
そのように解釈すると「おのれ」という言葉はとても宗教的な概念を含んだ言葉であるような気もします。
そこで、思い出されるのがはキリスト教の「汝敵を愛しなさい」という言葉です。
当然私はクリスチャンでも無く、また公立育ちでもあるので、この手のキリストの言葉の意味は全く知りませんし馴染みもありません。
されど、フレーズだけはよく知っているので、中二的な小競り合いの仲裁に「汝敵を愛しなさい、人類皆兄弟」などと口づさむワードでもあります。
「汝敵を愛しなさい」とは前々からちんぷんかんぷんで変な言葉であります。
なぜ?私が敵を愛さないといけないのか?ということです。
今回「おのれ」な言葉の意味を考えていた時に先ず閃いたのがこの言葉で、この「おのれ」な言葉は一見、非常にアジア的な思考のようにも思えるのですが、私はとても西欧的な概念であるようにも感じました。
パンデミックや全体責任などを含めても、「わたし」を「全体の一部」と同一視して領域を拡張させることは度々起こるアジア的な現象でもあります。
反対に「あなた」と「私」の「個人と個人」を同一視することは個と個の関係性でもあるように思えて、「おのれ」という言葉の領域はとても乾燥的で西欧風な概念であると感じました。
「汝敵を愛しなさい」とはネット検索しても難しくて意味がよくわからない言葉でもありますが、本当に敵であると思っている他人は敵なのか?と単に問うて「敵を愛せよ」と言っている言葉であるような気もします。
映像的なイメージを付け加えると、「私」が「あなた」と争い「おのれ許さじ」と罵倒している時に、脳みその紳士が現れて「パッチン」と指を鳴らした瞬間に、「あなた」は「鏡」に切り替わり、「私」は「鏡」の前に一人立っているイメージです。
鏡の前に向かって、ものすごい剣幕や怒り罵声を上げて不満を鏡写しに見たならば、どのような感じになるのでしょうか。
「おのれ=私=あなた」
インスタでよく流れてくる、猫が鏡に写った自分自身にビックリして「シャー」やっている感じなのかもしれません。
さて、おのれらはこの件をどのように解釈しますでしょうか?

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月16日(土)
■動力カリカリ。
■2023年12月17日(日)
■一日一文章トレーニング。

「夜時間の有効活用にはフットワークの軽さを取り戻す必要があるとの結論に達した」

恐ろしきかな、今年もあと15日。
まだ両手を広げても数えることのできる段階に来ていないので、まだまだ大丈夫。
いやいや、何が大丈夫なのかわからないけれども、チクタク・チクタクと1年1秒は一瞬の瞬きのように過ぎていきます。
年末もあと15日となり、毎年恒例の時間あっという間に早く過ぎるお話です。
そのように思っていたならば、最近は晩ごはんを食べてから寝るまでの時間が高速に早いことにも気付きます。
ご飯を食べたら、すぐに就寝です。
お前は牛か?みたいな生活でもありますが、夜時間が高速に過ぎ去っていくことは以前から薄々気付く出来事でもあり、この2023年は何も顧みずに受け入れてきた出来事でもある。
その無意識な時間何をしているのかと考えたならば、ゲームやYouTubeなどを観てゴロゴロする時間です。
こりゃダメだ、我が大切な夜時間をどーでも良いことに費やすことは勿体ないこと。
来年は寝るまでに、いろんな作業をできるようになりたい。
もしかしたら、夜の数時間を有意義に過ごせたら、もう少しは一年間に充実感を味わえるのかもしれない。

さて、若かりし頃の夜時間とは、今感じる1分1秒よりもとてもゆっくりと流れていたような気もします。
夜の深くて長い帳(とばり)がストンと降りると、自分だけの夜時間が始まります。
昔から朝も夜も弱きことは変わらなきことでもありますが、短い時間でも、こちょこちょと何かを製作したり、映画を気軽に観たりと有意義に過ごしていたものであります。
何度も同じ映画を観ることも苦にならない性格でもあるので、今でもたまに持っているDVDやブルーレイを観たいと思う時はあります。
同じ映画を何度も観ると、物語の構成や展開などがより見えてきて好きな映画がさらに面白くなります。
ですが、プレステにDVDを入れて取り出す時に、たまにどん詰まって取り出すことに苦労することがあります。
そんな時は円盤入り口にピンセットのようなものを挿して取り出しますがDVDが傷つき、わいも傷つく。
なので、
円盤を入れると取り出せなくなるかもと思うだけで、映画を観ることはなくなります。
これも夜時間のフットワークを下げる要因の一つなのかもしれません。
プレステのディスク詰まりからのDVDを観なくなることは、多くの人が経験する事柄であると思います。

関係ないけれども、お正月はサブスク三昧でいろんな映画を観ます。

とりあえず、昔は夜時間を今よりも有効に活用していました。
何よりもフットワークが軽かった。
お前は機械人間なのか?と思われるのかもしれませんが、マニュアル車で言うと現在の状況はギアが最初から高速ギアで動いているような感じです。
3速発進、いやいや、5速の高速発進で我が愛しのマイボディーがギシギシと悲鳴を上げながら動くようでもあり、時間もあっという間に経過するのかもしれません。
もしくは、そもそも(N)ニュートラル状態の空回りなのか?
いやはや、高速ギアをブンブンと回転させて、特段の用事のないこの世界のどの終末に向かって急いでいるのかという話しでもあります。
常々、高速回転のスピード感に慣れると低速に落とした時の速度感覚が気持ち悪くなるものです。
オートマ脳ではなくて、ギアをガッチャ・ガチャと多少面倒臭くとも負荷をかけながら小刻みに動かして、多彩な速度感覚を日常生活で行うことは大切なことのようにも思えます。

何よりも重要なのはの軽いフットワークの回復です。
昔の自分はやりたい事だけは早くて、やりたくないことは超絶未来回しなフットワークでもありますが、好きなことだけでも1速ロー、2速、3速とフットワーク軽くギアチェンできるようになれば、晩飯後の時間も有効に満足に過ごせるというものなのかもしれません。
ということで、来年の目標にフットワーク軽くロー発進を付け加えました。

■2024年・令和6年の目標

1)ファッションや文章、絵などにワンポイントな変な箇所を2箇所ぐらい作る。
(変ですごく難題なこと)
2)1速ロー発進のフットワークを軽くして、寝るまでの夜時間を有効に過ごせるように改善する。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月17日(日)
■地鳴りを響かす野球人。
■2023年12月18日(月)
■一日一文章トレーニング。

「種とはとても大切なものである」

「種のない手品は使われぬ」ということで、種を仕込んでおかないと手品は成立しませんが、文章も何かしらの種を仕込んでおかないと面白くならないものであります。とりあえず、文章は最低限、面白おかしく、キープシンプルにが教えではありますが、守られているでしょうか?毎日文章を書くとなれば、種やネタはなくとも「一日一文章トレーニング」を書き進めなければなりません。なので、何とか気合と根性で仕上げる根性文でもあります。そして、書き始めてから2〜3日後からは常にネタ切れ状態です。(マジです)

そのようなどん詰まりな時にはヘッドホンをつけて集中力を増すようにしています。ヘッドホンをつけると耳が塞がれて音は遮断されますが、音が全く聞こえなくなる訳でありません。小さな「シーン・サー」な周波数的な雑音はあるものの、無音のヘッドホンから「シーン・サー」な雑音は微妙に心地よい雑音でもあります。カフェなど雑音が激しい雑踏な場所の方が不思議な瞬間的な集中力を増すような感じと似ています。

一方、同じ毎日描く絵もなかなかの苦行です。毎日、描きたいものもなければ描くテーマも自分で勝手に決めて描いています。こちらの絵の場合も同じく短時間で仕上げなければなりませんので、ヘッドホンを耳につ着けて外世界との繋がりを遮断して集中して描きます。ただし、絵を描く時には音楽が鳴っている方が集中力増すようにも感じるので、音楽にノリながらwwwと描いています。。

これはとても面白いことで、何も書きたい・描きたいものが無くとも、何かを作り上げないと時にはヘッドホンをつけて耳と外界を遮断するとことは同じです。ただし、文章を書く時には無音で、絵を描く時には音楽を流している違いはあります。この作業の違いで集中力増す方法が異なることは面白いことであります。これは脳の考える部分が異なるのかもしれません。

・書くものがない→集中→ヘッドホンをつける
→無音の「シーン・サー」環境で→中心へ向かう感じ

・描くものがない→集中→ヘッドホンをつける
→音楽を聴きながら→進行のベクトルに向かって進む感じ

音楽を聴きながら文章を書くことは気が散ってなかなかに難しいことです。なので、文章を書く時には耳を塞ぎ完全に内に向かって神経を集中するように書きます。それはまるでブラックホールや水道水の吸い込み口のように周辺にあるものを全て中心に集めるような感じの感性の高め方でもあります。

一方で絵を描く時は勿論、無音でも描けますが、音楽という薪が投入されることで何か描く方向性のようなものが生まれてくる感じです。これは文章を書く時と明らかに異なる進行方向に向かって突き進むドライブ感です。絶対的にノリノリな音楽が耳から聴こえて来た方がその音の流れにのっかって筆もさらに進むというものであります。

文章は構造であり中心に集めて構築するもの・水もの。
しっかりと掴みとらないとネタは流れてしまう。

絵はイメージであり何かしらの薪を投入して燃やす炎。
何かを燃焼させることでアイデアが生まれる感じである。

そういえば、若い頃はハードコアな音楽を聴きながら集中力を高めていたこともあります。速い音源が脳内に響けば頭も体も攻撃モードで活性化するという訳のわからない現象でもあります。その場合は全てが振動する感じかもしれません。何かを作成する為にはとても負荷のかかることであります。そのような負荷も極限まで行くと、また、新しい仕掛けが見えてくるようで、不思議で面白く、とてもしんどい苦行であります。

ということで、

昨晩、先日谷中霊園で拾ったヒノキの実が床に散らばりました。
11個の種が床に散らばった。
※写真の種は1つ写っていません。机に落ちていたw
ヒノキの葉っぱには保湿するみずみずしさが有って、ビニール袋に入れていると湿気や呼吸の水滴がたくさんつきます。
そのような水滴は雑菌を生むことになりますので、袋から出して乾燥させていました。
袋から出すともう一度、葉っぱに刻まれるアルファベットのような記号を完全に昨晩模写していた。
夜時間を有意義に過ごすのはヒノキの葉っぱの記号を描きとり、その記号の呆則性を見出すことができれば何かめっけものである。

ですが、

途中でドアラとつば九郎のディナーショーのHPをみながら、今キックバックで話題のパーティー券って結構儲かりそうだなと人数とパー券を掛け算して、ディナー人件費等の経費引き算して皮算用したり、虎バンチャンネルのハワイで聞いた「誰が一番グッド・ルッキング・ガイなのか?」という番組を観ながら模写していたら、途中でほったらかして、そのまま毎日の変わらない夜は過ぎます。

https://www.yakult-swallows.co.jp/pages/info/event/dinner_show2024
https://youtu.be/Z7OOKi321lk?feature=shared

そして、電気を消して寝た時にヒノキの実が床に散らばってお〜大騒ぎです。
クリスマスの飾り物のようなかわいい実は2つを除きバラバラに分解しました。
どうやら、服にひっかかり種と葉っぱをばら撒いたようである。
もしかして、ヒノキの花粉が部屋に散らばったかもと思い、今朝ネットでヒノキの実に何が入っているのかと調べたらならば、どうやらヒノキの実には種が入っているようである。
岩石の割れ目みたいな部分から種が出てくるようです。
(ほっとひと安心)
固い実に守れた種はさぞかし美味しそうに思え、このヒノキの実や種にはダニなどに対する防虫効果があるようなので「ま〜いいや」と思う。
種は然るべくして、地面にばら撒かれ、種冥利に尽きるというものである。

このような「ばら撒き・撒き散らし型」の文章・絵の発想方法いいなと思う、種欠状態の与太話。
※床にもう1っこ落ちていた。総数12個の実www。
 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月18日(月)
■やっとこ鼠の国に辿りつくことができたのでした。完!
■2023年12月19日(火)
■一日一文章トレーニング。

「観察しているイチョウの大木から今年の暖冬を判断すると、今年の暖冬は去年と比べて約4日分遅れの暖冬です」

昨日、12月18日(月)マイ標準木のイチョウの大木は完全に落葉しました。4日前の12月14日(木)にはまだキレイに紅葉しないと思っていたら、昨日はすっかりと落葉していた。暖冬なので、満貫紅葉はまだ先かと思っていた矢先の落葉でビックリ。数日見ないだけでゴッソリと葉が抜け落ちることは結構ショックなことでもあります。過去写真を見ると、気付きませんでしたが12月14日時点で右端部分が一部落葉しています。なので、すでに紅葉の終わりは始まっていたのかもしれません。過去写真を見返して12月12日(火)が満紅葉であると判断しました。今年は記録更新の温かい日も多かったのですが、去年よりも4日遅れの紅葉です。

我がイチョウの標準木が一番キレイに見えた日
2022年 12月8日
2023年 12月12日
https://www.scos.gr.jp/useing2023f.html#R051105Ichixyou

気になる点は、このイチョウの標準木の発色がキレイな色にならなかったこと。毎年、濃くて美味しそうなオレンジ色を発色する墓場の大木です。なのに、今年の紅葉はキレイでなかった。雹害を受けた文京区辺りのイチョウはキレイに発色し、落葉もゆっくりと進行していたのと比べても弱々しい黄色でもあり、また、葉っぱもあっという間に落葉してしまった。これには何か原因があるのかもしれません。

墓場の大木とは、ほぼ、何の変化も起こらない立地に生える大木であります。よって、標準木に最適な変わらぬ木でもある。ここ数年の墓場の変化と言えば、通常の全く無害な墓の入れ替えや、近所の2本の大木の一部分が切られたぐらいの変化しか思い出されません。まるで、墓守みたいな発言ではありが、単に墓場を通りすがる人間の感じる墓場の変化です。1本の大木は公園作りの土壌の掘り返しや、枝を切られて2〜3年ぐらい経ちますが、切られた時と変わらないぐらいに原状復帰はまだまだです。昔は「この〜木なんの木気になる気になる」ぐらいに「わさ〜っと」葉っぱを生い茂らしていた立派な大木でしたが、今は何だか弱々しくて昔の面影はありません。

もう1本はこの夏に切られたヒマラヤスギの大木です。おそらく、背を低くする為に樹木の上部分をバッサリと剪定カットしました。木の伐採ではありませんが上の部分がすっかりとなくなったので普通サイズの低木となっております。墓の囲まれた敷地に生える木は墓の持ち主が木を管理しないのといけないと思うので、背の高すぎる大木の管理は大変だったのかもしれません。

今、私は鉢の中で黒菌と白菌で戦わせて観察していると思うことがあります。それは、菌糸のネットワークのものすごい影響力です。土壌の下で全ての植物が菌糸で繋がっていると考えるならば、イチョウの大木にも伐採の余波が伝播しているのかもしれません。観察の中で感じることは「植物を生かすも殺すも“人間”と“菌糸(共生菌)”次第」です。人は斧やチェンソー、ハサミで植物をカットして、菌糸の有る無しで植物は生かされている感じもします。そのような意味では、大木の伐採は周辺の木々や環境に影響を及ぼすことはあるのかもしれません。(知らないけれども)いずれにせよ、ラスボスの冬枯れが始まると完全な冬の始まりです。木々が落葉して見える景色は完全な冬模様となりダウンコート着用OKの冬仕様となります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月19日(火)
■かわいいリス。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月20日(水)
■一日一文章トレーニング。

「荒川区を流れる川は荒川でなくて墨田川なのだ!困ったなのだ〜」

私は荒川土手が大好きだ。
誰が何と言おうとも、荒川土手が大大大好きなのだ。
そして、荒川土手が東京都内のどんな繁華街などと比べても最大に楽しい娯楽場所であるとも確信している。
勿論、土手と大きく流れる川と草むらがあるだけの、他に何もない空虚な場所ではある。
ではありますが、何もないところがとても良いことである。
都心からそれなり近い都内に、こんなにも広大な土地が広がっていることに先ず感銘する。
荒川土手を楽しむには広すぎて自転車は必須だ。
本気なロードバイクに混じりながらマイ・チープな自転車で走ってもどこまで続く原っぱが続きますので、イキリ立って、どこまでも進んでしまうと帰り道が大変になります。
河原を走っても楽しいのですが、土手を走っても超!楽しい景色であります。
また、芝生の上でフリスビーをしても広いので誰の邪魔になりません。
河原に広がる公園は広すぎて荒川に近づけない程の大きさであります。
フリスビーが川に落ちる心配も全くない。
そのような、気兼ねなく、フリスビーが楽しめる唯一な場所で、遠くに高速道路の車が走り、道には自転車やランナーもたくさん走って流れてくるマイ大好きスポットで誰にも教えたくないけれども、文章化するマニアックな場所。
しかし、それなりに遠いので気安くいける場所でありません。
広大に開けた空、大きな草むらの中にいると、少しばかり心も大きな気分になるものであります。
海が前方に広がる世界の広さを感じるならば、荒川土手で感じる広さは天上に無限に広がる空であります。
本来、空とはこんなに広い空間が広がっているのに、私達は普段、こんなにもちまちまとした日常空間しか感じていないものは勿体ないものであります。
そのような荒川土手のことを思い出していたならば、また再び土手に行きたいな〜と思うものであります。

そして、今、私は地図を見ながらすこす戸惑う。
「荒川」が浦安市・川口市・戸田市方面から都内に入り、足立区・葛飾区・墨田区・江戸川区・江東区を流れて、荒川区を一切流れていないことに困惑します。\草/
荒川区に流れることのない「荒川」とは何だか不思議なことでもあります。
荒川区とは毎度、何か不思議な部分がところがあります。
土手並に好きな街でもありますが、ならば、荒川区に流れる川は何の川かと言うと「隅田川」です。
荒川区なのに「荒川」が流れていなくて「隅田川」が流れていることは、とても不思議なことでもあります。

「隅田川」と言えば、滝廉太郎の「花」で有名なあの川です。
子供の頃は滝廉太郎の歌を歌いながら、隅田川にはメダカやモロコなどがキラキラと太陽に反射しながら泳ぐ清流であると思っていました。
ですが、東京に来て知った隅田川は護岸のコンクリートで固められた街の中心地を流れる都会っ子な川であります。
たまに、ドボンと大きな鯉が川を跳ねる隅田川です。
荒川土手は私の中の東京を代表する大好きなアミューズメントパークな川ではありますが、隅田川沿いには人工的な機能面が強化された川でもあって、この2つの川の関係性はあまりよく知られていないものであります。

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
かいのしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき

「かい」とは「櫂」で船のオールのことであり、船を漕ぐ水しぶきが花と散った様子を見て廉太郎が何に例えるべきか自問自答しています。
確かに、隅田川を何に例えるのかはとても人工的な川でもありますが、牧歌的な歌からイメージされる景色と随分と異なります。
ただし、隅田川の桜は本当にキレイな景色を毎年見せてくれる桜の名所でもあるので、廉太郎が歌った桜の景色はそのままで間違いないと思われます。

なぜ、荒川区に荒川が流れていないのか?と荒川区の歴史を調べてみたら斯々然々(かくかくしかじか)の歴史があるようです。
荒川区が誕生した昭和7年には現在、「隅田川」と呼ばれていた川のことを「荒川」と呼んでいたようで、その名前から荒川区は誕生したようでもあります。
明治43年の荒川の大洪水被害により川の大工事が行われて、北区に水量を調整する岩淵水門を設けられました。
その水門から東京湾まで流れる荒川放水路を昭和40年に「隅田川」と呼ぶように決まったようであります。
滝廉太郎が「花」の歌を作ったのは明治33年であるので、その当時の隅田川はどこの川のどの部分を見て歌っているのか?ととても疑問に思ったりもします。
少し、ググって見ましたが、明治33年に廉太郎が見た隅田川の全容はわかりません。
廉太郎は隅田川を何に例えて良いのかとわからない千金の景色であると歌っているので、自然に調和した素朴で美しい川だったのだと思われます。
荒川区に荒川が流れていないことは本当に面白いことであります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月20日(水)
■ロボットの顔を分解する。
■2023年12月21日(木)
■一日一文章トレーニング。

「さぁ妄想旅のページを開くのら〜」

昨日、高校時代の地図帳を引っ張り出して来て荒川の流れを眺めていた。地図帳は土地の要素が視覚化され、いつまで見ても飽きないものである。この場所とこの場所はこのように繋がり、あそこと・ここはこんなにも近いものかと見る度に発見はあるものです。何よりフルカラー印刷で見ているだけでも楽しいものであります。そして、ほんの少しばかりの旅気分にもなります。昨今の外国への興味薄な状況はもしかしたら地理不足なのかもしれません。人々よ!もっと地図帳を開いて世界を見るのら〜!!。地図を見てその世界をなぞれば、異国への興味も自然と湧くものでもあります。そのような訳で、地図帳は本棚の友として絶対に外せない本でもあります。

昨夜は関東平野の地図を血眼に見ていた。京浜・京葉の地図。京浜工業地帯とは東京・神奈川に広がる鉄鋼・機械・化学の重工業と軽工業が発達する日本最大の工業地帯である。京葉工業地帯は千葉に広がる鉄鋼や石油化学などの工業地帯のこと。パッと見、京の文字が付くので関西風の地域にも見えますが、東京の「京」と横浜の「浜」、千葉の「葉」を抜き取り並べた関東の工業地帯の呼び名です。そのような地図を眺めていると地図上にボールペンの丸が付いた箇所を見つけます。これらは、私が高校時代に付けた丸印です。

東京国際空港(羽田空港のことです)
成田市・新東京国際空港(成田空港のことです)
大宮市
所沢市
調布市
川崎市

空港の丸印には覚えがあります。「われは一人で飛行機で東京に出張に行くだ=」と高校時代にわざわざ飛行機で東京まで行った思い出です。母から東京には飛行場は2つあるから絶対に間違えないように強く何度も言われて、地図帳で飛行場の場所を確認していた淡い記憶。私と言えば、目の前の電車に迷わず乗ってしまうところは昔からあるもので、何度も何度も空港を間違わないように言われると「羽田」と「成田」の、どっちも「田」の字が付いて関係性がゴチャ混ぜになって、頭がクラクラと「もう無理だ〜」となったものであります。

そのはじめて一人で飛行機に乗った時はバレンタインデーの日でもありました。スチュワーデスさんから搭乗者に手渡しのチョコレート・プレゼントの配布があり、私は喜んでチョコレートを貰っていたものであります。後日学校に行くと、私が満面の笑顔でチョコを貰っている姿がニュースに写っていたよと言われて驚いた記憶があります。勿論、私はそのニュースを見ていないので全く想像出来ない映像ではありますが、大勢の大人の人に紛れて笑顔でチョコレートを貰っている姿を想像すると結構うけます。「東京国際空港」と「新東京(成田)国際空港」と「羽田」と「成田」とは本当にいい加減にして欲しいネーミングです。今でも1日に数人は空港間違いの餌食者になっていると思われますが、空港第一・第二駅のどっちで降りるのか?、複数空港!の存在でドキドキと不安になってしまうのは私だけではないはずです。勿論、今は東京暮らしなので完全に成田と羽田を理解していますが、始めての土地だとよくわからなくなるものであります。

なので、

空港の丸印は理解できます。ただ、川崎市・調布市・所沢市・大宮市の丸印は意味がわかりません。今でも通り過ぎるぐらいのほとんど縁のない場所に丸印が付いていることは、とても不思議なことでもあります。地図帳はほぼ100%わいしか見ない本であり、丸印を付けたのも勿論、私自身であります。

ということで。

この4市に私がなぜ?この4市に◯を付けたの推理してみた。先ず、この4都市は東京郊外の同心円状に広がる街でもあります。早速、東京駅からの距離と所要時間を測ってみたら下記にようになります。電車での所要時間は平均化しております。

東京―大宮市 32分・30.3km
東京―所沢市 49分・33.5km
東京―調布市 42分・25.8km
東京―川崎市 21分・18.2km

これら数字から判断すると、埼玉県大宮市は距離の割に交通アクセスは非常に良いことがわかります。一方、東京都の所沢と調布は距離と交通アクセスが案外遠いこともわかります。そして、神奈川県川崎市は距離もアクセスも非常に近い良い立地にありますが、その辺にいる一介の高校生が住むのかもわからない東京郊外の住みよい場所を探すことは先ずあり得ないことであります。この4箇所の丸印はとても謎が深まります。

そして、何より所沢(ところざわ)と入力している時に検索候補から「トコジラミ」が出てきてとっても嫌である。最近、トコジラミのニュースを見て確かにたくさん検索しました。海外旅行に行った時には、浮遊する布のおばけには警戒しておりましたが、トコジラミに警戒する発想はありませんでした。幸いホテルに泊まっても体が痒くなったことはないので、何の無警戒でもトコジラミに遭遇しないラッキーさは持っております。

地図帳を見ながら、よくよく考えてみると毎度の珍道中、複数の空港や電車移動にトコジラミさんなども生息しているようなので、そのような海外旅行で本当に毎回よく無事に帰国できたものであります。
ただ、大宮市、所沢市、調布市、川崎市の謎は深まるばかりです。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月21日(木)
■とりの羽ばたき。

*デスクトップ画面用の画像です。


*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月22日(金)
■一日一文章トレーニング。

「手作りのクリスマス飾りを自作しましたwww」

恐ろしいことに、今年もあと10日。
ついに、手でカウントダウンできるフェーズに入ります。
「10」です!

昨日、ギリギリなのですがクリスマスの飾りを家に飾りました。
クリスマスグッズは紅茶の缶々に入れていたもので、そのまま事務所から持ち帰って缶を開けると、さらに紙製の内箱もあってテンション爆上がりです。
写真に写る全てのアイテムは、昔、すこすですこす販売していた商品たちであります。
中に入っているものは、売れ残り品、サンプル品、ダメージ品などのかわいい奴らである。
内箱を開けるとさっそくサンタクロースが「ヨッ」とお出迎えしてくれましたので、「ヨッ!久しぶり」と再開を喜びます。
「それにしても、君は何という目をしているのでしょうか」
サンタクロースは金属製で起き上がりこぼしのようなもので絶対に倒れることはありません。
写真では強制的にテープ固定して倒しておりますが絶対に倒れないサンタです。
起きて倒れてを繰り返すとサンタの中の鈍い鐘の音がチンチラと鳴ってとても素敵でもあります。
そして、何より驚いたことにクリスマス箱を開けると半分以上がキノコグッズでありました。
そう言えば、一時期、頭おかしい位に毒キノコばかりを販売していたマイ毒キノコブームな時代はありました。ww
しかし、全く一般受けしない毒キノコです。
私のハートの中だけはキノコ旋風のブームが渦巻いておりましたが、追随してくれる人はそれほどいなくてフェードアウトしていった記憶です。
日本人のきのこな発想だと椎茸やエリンギな姿となりますので、毒毒しいきのこはとても西欧的なキノコでもあります。
ヨーロッパでは森で赤と白の毒毒しいキノコを見かけるとラッキーなそうな。
いつかのことか、随分と前のこと、税関検査で箱の中に何が入っているのかと聞かれて「きのこが入っている」と答えたら、「検査じゃ」ということでダンボールを開封したら、この手のかわいいキノコグッズがシコタマ出てきた(草)な思い出もあります。
ラッキーかアンラッキーなのか“ドッキのこ”には人のハートに訴えかける何かはあります。
それが何か?わからないのですが、クリスマスやサンタクロースの赤色に近い感じのイメージなのかもしれません。

キノコばかりでクリスマスグッズが少ないので、急遽、先日新たに拾ったヒノキの枝を使って手作りのクリスマスオーナメントを作りました。
ヒノキの枝にリボンを巻いてくるくると巻くと、プレゼント飾りみたいでなかなか素敵。
このようなリボンでプレゼントを貰えたら嬉しいものではありますが、生枝を拾い加工するハードルはなかなかに高い。
ヒノキの実を拾った時から、これは松ぼっくりや何やらを飾る輪っかのクリスマスの飾りに似ていると思っていたので、適当にリボンを巻いてミニチュアのクリスマス飾りに仕上げます。
まーまーまー。
まーまーなのです。
来年はもっと、ヒノキの葉っぱをたくさん拾いグレードアップさせたクリスマス飾りを仕上げることはできるのかもしれません。

昨日は箱の中から赤色グッズをたくさん並べてクリスマスっぽく飾りましたが、ほぼ、キノコです。
キノコな飾りを棚に並べると、温故知新で私の毒キノコ好きな情熱がフツフツと蘇ります。
「あ〜毒きのこかわいいな〜私はやっぱり毒キノコなカタチが大好きなのかもしれません・・・」
ということで、
絶賛の今なら、このような路線の毒きのこ在庫なら持っても良いような気分にもなります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月22日(金)
■ノット、キックバック。
■2023年12月23日(土)
■一日一文章トレーニング。

「カウント9、狭い空間にいると時間はなぜ?ゆっくりと進むのであろうか?それは大問題である」

カウント9。

9×9=キュッキュッと年末のお掃除は必要です。
特に冬の寒い時期に冷蔵庫の中を掃除しておかないと、来年一年間、冷蔵庫を開ける度に汚い冷蔵庫を見て後悔することになります。
「冷蔵庫のお掃除は冬に限ります」
なので、これは我呆則です。
冷蔵庫のお掃除は寒い冬の時期にやっておくのが吉。

9×9=句句でネタ不足の救世主、百人一首も来年に持ち越して良かった句会です。
そこで冬の句を一つ選別します。

心あてに 折らばや折らむ (写実)
初霜の (事件・事故)
置きまどはせる 白菊の花 (写実+心境)
by 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

「テキトーに 折り紙を折り折りしていると 外は初霜の降りる寒い日です 私の畳一面も初霜か、白菊かと思うぐらいに もう置けない程のたくさんの折り紙の花で白々と温かな花を咲かしております」と超意訳的な自己解釈です。
どうなのでしょうか?
適当に菊の花を折ることはとても難しいことでもあります。
その意味では凡河内躬恒はとても手の器用な折り紙の達人であることはわかります。
また、文章の節々から漂う気品さからも真の文化人であるような珍しき人間性も読み解くことができます。
霜が降りたように寒々しい部屋の景色が白い紙の菊でパッと部屋の中を明るくなった楽しい心の心境がよく伝わる句で、私が今まで読んだ百人一首の中でも一番好きかもしれません。
そして、何より名前が読めない難解な凡河内躬恒さんは誰やねん?というお話でもありますが、耽美的な作風で知られる有名な歌人で、時代を先取りする純真なオトメンみたいな人でもあります。
しかし、その床一面の美を散らかした部屋の向こうでは、こやつまた部屋も汚くしている・・・とメラメラを怒りを燃やしている人がいるのかもしれません。

9×9=COOKのクック仕込みも完了した。
昨晩から肉マスター推しの大きな鶏もも肉を美味しくなるように仕んだ。
思い出すだけで、お腹がぐりぐりと鳴る肉だぜ。
お正月の食材もそろそろ買い出しに行く必要があります。

9×9=苦苦と昨日は捨てる雑誌の選別を行いました。
私の体の多くは音楽やファッションの雑誌でできているというぐらいに、昔は雑誌の隅々まで熟読して眺めたものであります。
私のセンスの大部分は雑誌ゆずりでもあるので、雑誌を捨てることに心苦しくもなります。
本棚とはその人の頭の中を再現しているのか否か?
そのような答えは持ち合わせておりませんが、他人に本棚を見られることも、ぐちゃぐちゃな本棚も嫌なものではあります。
そこで、とりあえず本棚1段だけをキレイにした。
1段だけにすれば捨てる分も減り、写真のように棚はキレイになった。
脳みそも随分、整理されたのであろうか?いやいやわからん。
雑誌やカタログをファイルボックスに収納すると倒れて来ないので良いものだ。
12冊分の厚みを取り除いたのに、未だ棚はギュウギュウで面白い。
以前の棚は隙間に差し込み、横置きにと収納率120%を超えて棚に突っ込まれていたような棚でもある。
とりあえず、雑誌をいきなり捨てるのは心が引けるので、もう、読まないと思う雑誌12冊を一時保管ゾーンに置き、それぞれ目を通してから捨てるようにする。
選抜されたたった12冊の雑誌ではありますが、重さだけはヘビー級である。
紙一枚はこんなにもペラペラと薄くて軽いものなのに、束になると筋トレ系の重さになることは、本の重さが作り手の血と涙、産みの苦しみが表れ出ているのかもしれない。
そんな選抜メンバーを読む場所はおトイレである。m(_ _)mT
トイレ中にもう一度ペラペラと目を通してから順次捨てていこうと思う魂胆である。
一年は経つのはとても早いものではありますが、トイレのスマホも、トイレの雑誌も、いつの時代もおトイレ時間の暇つぶしする時間は時が止まったようにゆっくりと流れているものであります。
もしかしたら、お家のトイレの狭い空間だけは時間がゆっくりと進むように断絶された別空間なのかもしれません。
そういえば、茶室の狭くて小さな空間も時間がゆっくりと過ぎていくものであります。

ということで、今年も後9日間ですよー。
時を止めたい人は狭いおトイレに籠もりて、ゆっくり時間を過ごすのも一考です。
広いトイレの人は知らん。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月23日(土)
■実験室。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月24日(日)
■一日一文章トレーニング。

「人生皆旅人のオモテウラ」

カウント8にもなり、今頃ですがカウント数が合っているのか不安になってカレンダーで数え直します。
1234、5678大丈夫。
あと8日間で今年もおしまいです。
最初からカレンダーで確認すれば良いものの、頭の中で数えてそのまま書いてしまうのが私の悪いクセ。
なので、突然、「あれっ」カウント数は大丈夫かと基本的なことが気になります。
そして、もし間違っていたとしても「何のことでしょうか?」と「しれ〜」と何事もなかったように過ごすことも得意である。
根本的なうっかり数え間違いをしていなくて本当に良かったのですが、いつも見切り発車で書き進めるものであります。
やり方はそれぞれですが、私の場合、毎日書くこととは“気合と根性と勢い”のみで書くしかありません。
なので、荒々しくて野暮ったさになることは仕方がなきこと。
「悩んで買うのか、買ってから悩むのか」のように「書いてから悩むのか」、いやいや、書いてからも悩むことも全くないのですが、これは「文章の恥はかきすて」みたいな感じでもあります。

毒論を吐くと、いわゆる、毎日の生活とは「旅の恥は弁慶状」を持って旅行中みたいなものであります。888
さらに大口を叩くと、全人類は皆「人生の旅」の途中でもあるとも言えます。888
なので、飛び抜けた人も、先生と呼ばれる方も、その辺を歩く人々も、全ての人に「旅の恥はかきすて」が可能です。888
いやはや、恐ろしきかな毎日が人生旅行論です。
これは間違いなき呆則に間違いありませんが、文章内容の適当さ脱字、誤字、間違いに不愉快に思う人は多々いるもので、その時には満面の笑顔で「ごめんね」と、全ての人々が現在人生の旅行中であると「目に入らぬか〜」と弁慶状を出すのです。m(_ _)mT

話は変わりますが、
とても重要なので何度も書くのですが、ここに書かれていることは自分自身のことのみを記載しています。
特定の誰かのことについて書くことは絶対にありません。
ただし、架空の人や、政治経済社会など公共性の高い話題については記載します。
また、一般論を書けども、圧倒的に世論の意見と違うような場合には、偉人の威光を借りて、または、全く関係ない事柄に例えながら遠回しに世論と異なる自分の考え方を書くような汚いやり口も当然やります。
そして、凡河内躬恒などの歴史上の人物について書くこともOKです。m(_ _)mT

昨日の名前も読めない凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)が気になって少し調べます。
凡河内躬恒は平安時代中期の有名な歌人で、凡河内国を治めていた官人で関西圏の地方官を歴任した後に京都で没したようです。
凡河内国とは神戸辺りから大阪湾を含む、摂津・河内のことを指すようで大阪湾の交易を治める要職であったと思われます。
「凡」とはすべて・みな・おしなべて、ありふれた、ふつうの、凡人や平凡などに使用される言葉であります。
なぜ?凡の文字を最初につけたのか、「異」ではなく「凡」の文字がつくところがこの人物の人となりをよく表しているようにも思われます。

我が宿の 花見がてらに (写実)
来る人は (事件・事故・要因)
散りなん後(あと)ぞ 恋しかるべき (心境)

「花見盛りに、我が宿に泊まりに来る、来訪者は多いのだが、桜が散った後は、誰も来なくて寂しくて世の中の友とは薄情なものだ」と歌っております。
私も桜に対する人々の熱狂と、桜が散った後の無関心さは怖くて、嫌いです。
いつの時代も人々は同じものを共感して、殺到して去っていくものなのかもしれません。
凡河内躬恒は大阪湾辺りに赴任して京都の街や生活が恋しかったようであります。
京都に比べたならば当時の大阪は田舎であったかもしれませんが、その後、経済の中心となり世の中の繁栄の核となります。
また、平安貴族の雅な文化は、その後、武士の安土桃山文化、千利休などの価値観によって駆逐されていくことになるので、そのように考えると、お公家様文化と侍文化と美の価値観とは移ろい変わっていくものであります。
一方で、数千年間変わらず桜を愛でる人々の生活もあれば、青葉となって掌返しで誰も桜に関心を持たなくなる人々の変貌はいつの時代も変わらないことは面白いことでもあります。
変わらないことと、変わるものの境界線は一年に1回だけの珍しきことと、毎日継続するものは変化するかと思ったりもしたけれども、散った桜は心持ちは普遍の無関心でもあるので、よくわからなく難しきことであります。

鮭の裏表は上手に描けた。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月24日(日)
■パチパチ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月25日(月)
■一日一文章トレーニング。

「多肉植物を白菌を感染させて繋げることに成功した」

「七」です。
今年も僅か1週間ですよ。
皆様覚悟はできましたでしょうか。
「7」を何にたとうべきかと考えても何も思いつかない「7」である。
文章とは書く内容を考えてから記載するものですが、廉太郎風に読者に問うて「7」って7(な)にか7(ナ〜)である。

ところで、

ベランダに置いている多肉植物の葉に白菌を感染させることに成功した。
鉢植えに置いていたならば、多肉植物の根っこからわさわさと根が伸びて無事に繋がった。\草/
写真でみると多肉の根は土とコンタクトするよりも、明らかに白菌の白い部分とアクセスしております。
植物の根と共生菌の関係性を視覚的に見ても繋がっているように見えるので、多肉と白菌の共生関係は成立したように思える良い写真です。
少しピンボケですが高画質のデスクトップ画像で根と白菌がよく見えるように用意しました。
水挿しの場合だと物理的に接触していなくとも白菌は植物を生かしていましたが、こちらは明らかに接続しています。
この白菌に感染させた多肉植物をベランダの外の鉢に植えるべきかと今頭を悩ましております。
この多肉を外の鉢に挿せば他の植物にも白菌が広がる可能性はあります。
現在、鉢の中は白菌と黒菌の戦争の真っ最中です。
白菌が確実に黒菌をグレー色に染めながら駆逐しテリトリーを広げている状態です。
大根の花を咲かせて、枯れた花から生命を復活させた菌でもあるので、白黒のどちらの菌の応援団かと言えば白菌派でもあります。
ただし、白菌の一色のホワイト社会のように何かしらの正義で染め上げることは少し違うような気もします。
この鉢はベランダに置いていたものなので、当然、これら鉢の中には黒菌は生息しています。
そこにこの白菌に感染した植物を投入するということは、外の世界でも菌対菌の戦争が勃発させる可能性はあります。
おそらく、この白菌には黒菌と戦う遺伝子的?なものが組み込まれている可能性は高い。
白い共生菌をベランダの外に広げるべきなのかは、とても悩むところであります。
どうしょう?
本格的に根付く前に菌判断を下す必要があります。

そして、

昨日はクリスマス・イブ、なのに、私はお腹を壊して痛くて泣いていました。\草/
年に数回ある、あのお腹が痛くなる現象で、大体、年に1〜2回が通年ですが、今年は3回もあった。
本当に日頃の行いの何が悪かったのかと思いながら、トイレと毛布の間を何回も往復しながら苦しんでいた。
症状としては、先ずお腹が痛くなっておトイレに直行します。
そこで、これはあのヤバイ奴かもしれないと悟ると、すぐにビオフェルミンを飲みます。
ビオフェルミン効果は結構ある。
いよいよ、腹痛もMAXになると顔から冷や汗が出て唸り、咽び泣く。
とりあえず、よたよたとトイレから出て横になると、一瞬でお腹が痛くなりトイレに直行するような感じではあります。
それを何度なく繰り返していると今度は体がとても寒くなり、毛布に包まれながら腹の痛みに耐えます。
電気毛布やカイロで体を温めると良いことに最近気づいた。
夏でも寒くなり、酷い時は吐き気がある時もあるので、侮れない腹の痛みではあります。
そのような感じで何度もトイレと毛布を行き来している内に痛みも収まって、疲れて一眠りすると腹痛から開放されることになります。
たぶん、この腹痛は、私が御老体ともなれば絶対に耐えきれない痛みであります。
その場合には、腹痛のままお陀仏となってしまうかもと考えると、う※※まみれみたいな死に方は迷惑もかかり絶対に嫌である。
どうしましょうか?
そのような訳で、年に数回はそのような腹痛によって死を身近に感じるものであります。
我身のことも案じて不憫に思うのですが、サンタとは本当に碌なものを運ばないものである。
勿論、「腹痛が欲しい」などを星に願った記憶もありません☆
元からの育ちの良さもあって、菌と菌を戦わせて観察したり、毛布に包まれながら苦痛に耐えている最中に涙を流しながら3万円のパー券は立席立ち食いで、赤い安物ウィンナーと乾き物とビールサーバーと素敵なゲストを呼んでいいいかな?と粗利ガッポリの何か訳のわからない胡散臭い架空のパーティーの皮算用をしながら痛みに耐えているものであります。
いろいろ考えてみると、腹痛によって我没することも仕方が無き運命(さだめ)なような気もします。

皆様に良いクリスマスをアーメン。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月25日(月)
■来年は辰年です。
■2023年12月26日(火)
■一日一文章トレーニング。

「重しのように言葉を語る頑固爺は案外必要なのかもしれない」

カウント6です。
毎年毎年、年末感が薄れていくこの時代に少しでもお正月な雰囲気を呼び起こすことは大切なことであります。
DJ風にロックな6の日に贈る言葉は「六親不和なればその家治まらず」〜。
ロックな字の“ことわざ”はないのかとパラパラと辞書をめくっていると、「六親不和なればその家治まらず」の言葉を見つける。
六親とは父母兄弟妻子のことで、これら六親に不協和音が高まると家は衰えるという例えだ。
かつて、物語の定番と言えば、嫁姑、鬼嫁、不良の娘に息子、高齢化離婚に、黙って耐える父はプッツンと糸が切れてみたいな家族を分断する物語が流行ったものであります。
六親不和を描けばその人はお金ガッポリで、いつの時代も社会に分断を入れて利益を得ようとする人はいるもので、私の口からはこれ以上申し上げることはできませんが、「あーあーまたあれか」と社会分断を広めるお話は話半分でよいのかもしれません。
不思議と隣の芝が青いと感じることは日常事でもあり、身近な人であればある程に嫌な部分は絶えずよく目に入ってくるものであります。
内村鑑三は「完全なホームを作るは完全なる人を作るが如く難し、我先ず完全にならざれば、我がホームの完全なる理由の存するなし」と少し難しいのですが、完璧な家を求めることと完璧な人を求めることは同じことで、私自身が完璧ではないので完璧な家も存在しないと屁理屈を言っています。
確かに、完璧を求めると辛くなるものです。
あの家やあの人たちは完璧であると口軽くお世辞を語るものではありますが、内心の妬みはあっても100%どーでも良い完璧さのお話でもあります。
そして、「六親不和なればその家治まらず」にアクセスできるか否かが、白菌に繋がることができるかの分岐点でもあるような気もします。
「よっしゃー」。
決断した。
我、外世界に白菌を移植することに躊躇わずです。
ということで、次の曲はカリフォルニア生まれのイッツオーライズの「フルハウスの家族」(妄想曲)。
♪♪♪

ということで、

私は今、2つの計量カップを並べて悩んでおります。
一つは横長でずんぐりと重量感のあるガラスが分厚い計量カップで、もう一つは縦長で物が当たるとパリンとすぐにでも割れそうな極薄ガラスの計量カップである。
どちらも並べて見た感じは同じようなサイズ感であるものの、水をマス目まで入れると左は250ml計量できて、右は500mlを計量できます。
「えっ?」
パッと見、同じ分量を収納できる感じが漂っているのに、左と右で計量差が2倍あることはとても不思議なことでもあります。
ちなみに、右の重量が385g、左が203g、約半分近くのガラスの分量差もある。
見た目はほぼ同じようであるのに、測れる機能や重さが違うことはとても不思議なことで、これを目の錯覚と言います。

最近、「話の種集め」に水温を計測しています。
そこで水温を細かく測る中で気付いたことは、水温が外気温にもの凄く影響を受けるということです。

平均→ 20.0 15.8 15.9 12.4 13.6

年月日 最後の水 置き水 一番水 出し水 室温
2023/12/26 20.9 16.7 14.7 11.6 11.6
2023/12/25 17.5 - 14.2 11.4 11.4
2023/12/24 18.8 14.6 16.4 11.4 11.4
2023/12/23 20.3 15.1 15.5 11.8 14.4
2023/12/22 21.5 15.5 16.1 12.3 14.8
2023/12/21 20.1 16.5 16.9 13.6 15.7
2023/12/20 21.2 16.5 17.4 14.8 16.1

※「最後の水」は寝る前の最後に出した水の温度で、「置き水」は一晩容器に入れたまま置いた水、「一番水」は朝一番に水道水から出した水、「出し水」はしばらく水を出し顔を洗った後の水温です。

今朝の数字を見ると「出し水」の水温が反転したので寒さも一段落してきたのかもしれません。

今考えると、水道水は最初に使う人程に室温に近い温かい水を流れてきて、一番最後に起きてくるような駄目な子には外気温の影響をもろに受けた冷たい水が回ってくるという万能のサイクルでもあります。
なので、より冷たくなった水で「シャッキっ」と顔を洗えと言われても、外気の影響を十分に受けた水で顔を洗うことは冷たすぎて無理なのです。
そのような訳で、駄目な子とはすぐにお湯という万能で文明の力を回して顔を洗ったり、猫のように顔を洗うものであります。

次の曲は「給湯器が壊れてしまった」さんからのリクエストでダンボーダンボーの「ホットウォーター」(妄想曲)です。
♪♪♪

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月26日(火)
■2024年・年賀状の原画です。
来年の龍は八つ目でゴーだ。
■2023年12月27日(水)
■一日一文章トレーニング。

「液タブにゴー」

今年もあと5日です。
5×5・ゴーということで液タブ・デビューすることにしました。
液タブとはパソコンで絵を描くことのできる液晶タブレットのこと。

昨晩、クリップスタジオ(アプリ)の年末スーパーセールでVer.1からVer.2のアップグレードが5000円から3500円と30%割引となっていたのでポチりました。ついでに、TABMATEというペンタブレットの作業を効率化させる端末機も44%オフの3900円で販売していたので購入する。液タブを持っていないのに値段の安さに惹かれて購入してしまうことは、よく毎日ネット記事のオススメにやってくる「できる人やお金持ちは絶対にやらない」伝説の衝動買いそのものです。「やってしまったのか?」いやいや、「これでいいん〜です」。(たぶん)これで液晶タブレットを購入する決心もつくものです。

デジタル描きと、リアルな筆やペンで絵を描くのは半々ぐらいなのですが、デジタル描きをする時には「iPadPro + Procreate派」で描いております。iPadで描く時に困ることは電池残量が少なくなること。電池がなくなると当然、充電中で何も作業ができなくなります。準備良くiPadをフル充電していると1日使用できるので充電のタイミングさえ間違えなれば何の問題もないのですが、充電忘れとはうっかりと起こるものであります。充電しながらも作業もできますが充電しながら作業は何故かやりません。そのような時には充電休憩でお茶やお菓子を食べながらまったりと過ごすものです。ですが、作業は当然何も進みません。それはそれで牧歌的で良いのですが時間が勿体なくもあります。iPadの二刀流となるのも良いのですが、円安でもあるので、わざわざ外国の高額商品を割高で買うのも馬鹿らしいので国産液タブも俎上に上がります。Wacomの液タブがあればiPadの充電中も作業ができます。iPadからパソコンへのデータ移動が面倒な時もあるのでパソコン上で全ての作業が完結すれば、それはそれで良いこともあります。そこで、以前からWacom Oneを買うのか?買うまいか?と悩み続けておりました。ほぼ毎日侃々諤々(かんかんがくがく)の液タブを購入するのか?しないのか?の同じ質問を毎日聞かされる方は鬱陶しいものではあります。それは延々とモルモットが輪の中を走るような感じで、いやはや、決断力の欠如とはわいのことだと思うのであります。最近では「買うのならば早く購入した方が早く使えてお得だよ」という同じ返答しか返ってこないのですが、だがしかし、そのような返答が私の背中を押す程でもないので液タブを買う決断には未だ至らず。ですが、昨晩、ほとんど使用していないアプリのアップグレードと液タブでしか使えない周辺機器のセール品を購入してしまったので、もうこれはWacom Oneを購入するしかありません。ルビコン川を渡る決断とは予想しない場所に存在するものであります。Wacom Oneは少し前にブラックフライデーのセールの時に3万円程で売られていました。ポチっと買いそうになった時によくよく調べると、その機種は電源とパソコン接続に3本の線でパソコン接続するタイプでもありました。面倒くさがり屋の私のことではあるので、使う度に有線接続の3工程を踏むことは絶対に面倒で使わなくなるという結論に達し、結局、購入を断念。ならば、有線1本で接続できる機種はあるのかと思いWacomの営業マン並に詳しく調べると、サンダーボルトのUSB1本で接続できる機種を見つけます。しかし、その値段はセール品のWacom One の2倍くらいの価格をしております。「とりあえずブラックフライデー中は無理」と、商品は異なるのですが価格差は大きすぎるのでブラックフライデーが終わってから購入すると決めてから、もう何日経過したのかの思う延々と買う?買わない?の禅問答を繰り返していた次第であります。

ということで、安売りという周辺機器の伝家の宝刀から液晶タブレットデビューにゴーすることができそうです。よかった、よかった。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月27日(水)
■ゴーゴーです。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月28日(木)
■一日一文章トレーニング。

「常緑樹は環境が厳しければ厳しいほど強い生命力を持つ」

カウント4。
4は「死」を連想させる数字ではありますが、文化圏も異なればそのような意味が全くない4の数字であります。
4の「死」に普遍性はありませんが、常緑樹には西欧と日本で「永遠の命」という同じような意味を持つようだ。

厩戸皇子こと聖徳太子が好んで飾ったお花は「桃の花」と「松の木」です。
桃の花は春の到来をお知らせする「季節のお花」でかわいいピンクのお花を咲かせます。
どこの誰から見てもキレイで、それを部屋に飾ればパッと明るく華やかになる美しいお花でもあります。
もう一方の、松の枝は常緑樹であるので季節を問わずに飾られる植物でもあります。
常緑樹は永遠の命が宿るとされており、松、ヒノキ、いぶきなどを好んで飾るようでもあります。
この「季節の花」と「常緑樹」を飾ることが聖徳太子から始まる華道の基礎でもあるそうだ。

先日12月10日に拾った常緑樹ヒノキの緑の葉っぱは今尚、青々とした緑の葉っぱ色を称えております。
2週間経過しても枯れない葉っぱとは確かに生命力に溢れたものである。
広葉樹の葉っぱであれば、落葉して拾ってきた翌日から変色して美しさを失うものと比べても雲泥の差だ。
密閉した袋に入れて保管していると生命力が強くて葉っぱの呼吸で袋内に水滴が溜まります。
水滴が溜まるとカビが付くことになるので、葉っぱを袋から出して乾燥させるように机の上に置いていますが、そうすると、それでなくとも狭い机がさらに狭小化して、電源の線を挿そうと思ったら葉っぱに引っかからないように注意する面倒さイッパイの不便な机となる。
先日は葉っぱの上にタブレットをバタンと倒して、その衝撃と重さによりヒノキの実の隙間が開いてヒノキの種が飛散した。(写真を御覧ください)
大きく真っ直ぐに天に伸びるヒノキの実がこんなにも小さな2〜3mmの種であることは面白いことだ。
これら種は白菌の側に置き発芽を促したいと考えております。
発芽すれば天敵スギ花粉の仲間・ヒノキが我が家に育つことになりますので、なかなかにカオスな展開です。
ヒノキの枝も白菌の鉢にぶっ刺していたならば、生命を与えられるのでしょうか。

常緑樹の葉が「死」の対局にある「生命力」の象徴であることは、このヒノキの葉っぱを見ても一目瞭然。
洋の東西を問わず、常に常用樹が同じ「永遠の命」という普遍的な意味を持つことは面白いことでもあります。
今はお正月飾りの門松が店頭に並ぶ時期でもありますが、これもお供えもののお餅などを飾り神様を迎える昔からの風習で、常緑樹の松を飾って歳神(としかみ)様を迎える目印だそうだ。
数日前であれば、クリスマスツリーのモミの木も常緑樹であり、永遠の生命を飾ることによって年の瀬を祝うものです。
そのように極東の島国と西欧文化圏で同じ年末時期に常緑樹を飾る文化が存在していることは興味深い共通点でもあります。
日本文化に全く関係ないクリスマスが日本で受け入れられる理由はそのような常緑樹を飾るという同質的なものも理由の一つにあるのかもしれません。

常緑樹をよくよく調べると、この木はとても面白い木でもあります。
それは温かい地域の良い環境で育つ常緑樹よりも、環境が悪い地域で育つ常緑樹の方が長く生命を保つようにできていること。
白菌の生命力も大根の葉から生まれており、大根も寒ければ寒い程甘く?辛味のある美味しい大根ができるように環境の厳しさが生命を生かす何かの鍵になっているのではないかと思ったりもします。
教科書に出てくるラッツェルの環境決定論は動植物の地域性は自然環境に適応したカタチで体現されていると主張しております。
対する、ブラーシュの環境可能論は、自然環境は人間活動を規定するものではなく単に可能性を与えるものでしかないと言っています。
ラッツェル・ブラーシュの詳細は知りませんが、これは昨今の人の生まれた環境が及ぼす影響と似たような議論で、自然環境が生物にどのような影響を及ぼしているのかとは複雑で難しい事柄でもあります。
ある程度は確かにありそうだけれども、ある程度からは無さそうな気もします、どうなのでしょうか。
もし、人類は宇宙空間で生活するようになれば、その時には必ず技術革新により絶え間なく降り注ぐ放射線を防御する方法を獲得していることだろうし、そして、人類が宇宙空間に生活圏を広げていくことも誰も止めることのできない自然な流れのような気もします。

環境が厳しくなればなる程に、常緑樹の生命力が伸びる不思議は意味深で、ヒノキの枝はボロボロになってきたけれども、まだまだ元気にスクスクと生きております。
本当に常緑樹の生命力はスゴイものであります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月28日(木)
■3セットを染める4(よん)!


*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月29日(金)
■一日一文章トレーニング。

「唇のシワに美しき景色を見出したならば、全てOKなような気がする」

いやはや、師走です。
どこもかしこも人でイッパイです。
人を避けて裏道に入ったとしても、どの道にも常に人がたくさん歩いているのが東京の特徴です。
そして、昨日、人通りのない急な坂道をハァハァとのぼって見た景色がこれ。(いつもの場所)
紫がかった群青色の薄い夜幕が晩ごはんを用意する家々の上を静かに覆う景色。
正にこれを“夜のとばりがおりる”と言うのだと思います。
そして、そのとばりと地平線の境界線は美しくオレンジ色に輝きます。
境界とは大抵、何かと何かの力を拮抗・摩擦させてギスギスさせるものであると思っておりましたが、このように美しく輝く境界もあるものです。
これを視野の拡大と言うのかもしれなくて、境界線とは常に美しくキレイに保つ必要の呆則を見つけたのかもしれません。
夜空を染める夕焼けオレンジ色の教えとして来年は美しき境界線を作れるようになりたい。

■2024年・令和6年の目標

1)ファッションや文章、絵などにワンポイントな変な箇所を2箇所ぐらい作る。
(変は変でも、ものすごく難題だ)
2)1速ロー発進でフットワークを軽く、寝るまでの夜時間を有効に過ごせるようになる。
3)身の回りの境界線をすこす美しく彩る。

ということで、

そのような美しき境界線と言えば、大問題のほうれい線です。
私は昔から人の顔を描く時に、ほうれい線や頬の膨らみまでしっかりと描きたくなるタイプでもあります。
人と話していても、鼻と唇の谷間の二本線がとても気になって、手でムニュムニュとしたくもなる衝動にもかられます。
勿論しません。w〜
それは子供の絵がしっかりとほうれい線やシワまで描くことと同じで、見えたものはしっかりと描きたくなる性分なのかもしれません。
学校の課題で家族の顔を描くことがあれば、母は絶対にほうれい線やシワを描かないようにと注文を出されるように、顔の線は子供でも若い人でも誰しも必ず持っている線でもありますが大変嫌われ者な線でもあります。
絵を描けばよくわかりますが、人の顔とは1本の線を描くか描かないかで随分と印象は変わるもの。
ほうれい線、シワなどをしっかりと描くと顔は急に生々しくなる。
若々しさや、かわいらしさが無くなるインパクトは確かにあります。
人は成長と共に人間性も高まって、そのような線を完全無視で描かなくなります。
これは一種の情報改ざんであるような気もしますが、シワの隅々までしっかりと描く似顔絵画家がいたならば、わいとて何か嫌でもあるので、世間を丸く穏便にする為に必要な技術であります。

そのような中で、不憫なシワをなんとか可愛く描けないものかと描いたものが先日の絵
そうすると案の定、シワを入れると絵は急に老けるので、シワは完全に消されました。
唇の二本線は横線で代用します。

そこで、
私はほうれい線とシワ、鼻の下の二本線をどうにかして良き復権はできないものかと考えて唇あたりをよく観察します。
顔のシワとは見れば見る程に暗鬱な気分になるもので、特にシワに注目することで良いことは何もないような気もします。
ですが、私は一つの呆則を見つけます。

上唇はカタチの良い山に見える。
下唇は山の裾野に広がる大きな湖。
ほうれい線は天空を回る星の公転軌道で空。
鼻の下の二本線はその天上に向かって伸びる何かしらの良いもので、おそらく、言霊がのぼる感じです。

ほうれい線やシワの復権はできませんでしたが、顔の上を刻む線に何かしらのありがたき図像を見出しました。
「口は善悪の門、舌はわざわいの根」というように、言葉とは善悪を分けるもので一旦分断してしまうと角が立ち禍(わざわい)をもたらすものであります。
なので、口はしっかりと閉めて言葉を慎みなさいとは昔の人達の教訓です。
ですが、毎日文章を書くとなれば無言で文章を書くことも出来ませんし、もう遅きこと。
そうなれば口にまつわる美しい図像を見出してしまうことも仕方なきことでもあります。
上唇に豊かな森を持つ山に例え、下唇にキレイな水を称える湖のイメージを持てれば何かギリギリセーフな感じです。
そして、その口から発せられた言葉は美しく纏まって天上に上って行ったとさ・・・。
ということで、
全て良い風にオールオブオッケーに解釈しました。www
そして、耳のカタチは「3」で今年もあと3日となります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月29日(金)
■(お正月っぽさを出して)ようこそ三階に。
■2023年12月30日(土)
■一日一文章トレーニング。

「第一回、年末恒例の大集合写真大会を開始します」

はーい、もっと中心に集まってー。
端っこの緑の君もっと中心に寄ってー、
左の緑の君は動かなくとも大丈夫。
右の緑の君はもっともっと真ん中に寄ってー、
その隣の子ももっと中心に寄ってー
はーい、もう一度、全体にぎゅっと中心に寄って、
次に1・2のニッコリで写真を撮るので、しっかりと笑ってね。
1・2の2でニコニコだよ。
パシャリ。
あっ間違えてシャッター押してしまった。
「アハハハ」
そうだよ、皆いい笑顔していますー。
皆、シャッターのタイミングを油断しないようにその笑顔をキープしてね。
ではいくよ、1・2のニッコリ。
パシャリ。
もう一枚、1・2のニコニコー。
パシャリ。
後ろのノッポ君の隣の君ー、心霊写真の手はダメだよ。
「アハハハ」
では、本番の撮影をするので1・2のニコリ。
パシャリ。
もう一枚、1・2ニコニコリン。
パシャリ。
はーい、お疲れ様〜でした。

ということで、

1年間、くだらない駄文・長文を読んで下さいましてありがとうございました。
1年間、辛いこと、楽しいこと、悲しいこと、いろいろあった一年ではありますが、毎年の変わらぬダメなところもかわいらしいものであります。
そこで、本日は恒例の第一回記念の合成”念写”集合写真撮影大会を開始しました。
ハーランドに大谷選手、シクロヘキサン、白菌まで有名人が多数御来席の上に、老若男女大好きな皆様をギュッとひな壇に集めて大撮影大会を行いました。
勿論、PROメークアップアーチストさん付きなので抜かりはありません。
撮影は大自然や動物を撮影して30年の大ベテランのカメラマンが撮影します。
大判サイズの8×10カメラでの撮影なので、隅々までキレイに写っております。
何より、皆様の笑顔がすばらしい。
写真は新年の初夢4・5番ぐらいには届くと思いますので、夢の中でしっかりと拾っておいて下さいね。
では、ニコニコーな笑顔で新しい年を迎える準備をしましょう。
私は今から今年のラスボス、冷蔵庫の中身と格闘お掃除を行います。
冷蔵庫の中から面白いものが出てきたら、またご報告を書きますので皆様、良いお年をお迎え下さいませ。
1・2のニコニコー。
パシャリ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年12月30日(土)
■2だよ。