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| ■2026年7月1日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「梅酢に漬けた赤紫蘇の茎で“ちりめんじゃこ”のふりかけを作る」 6月25日から湿度70%超えのじめじめとした梅雨っぽい気候となる。 ですが、窓を開放すれば若干ヒンヤリと気持ち良い空気も流れて、今年はまだクーラーのスイッチをONしていない。 私にとって過ごしやすい梅雨とはどうやらカビやダニたちにとってもパラダイスであると聞いて、恐れおののき最近は入念にお掃除もしている。 70%台の湿度と言えば気温+2℃の不快指数で今朝の室温は25.9℃・湿度75%の体感約28℃。 例年の湿度込みの体感室温28℃では「もう暑いー」とクーラーのスイッチに手が伸びていた記録もあるもので、去年と今年何が違うのかと考えてもよくわかない暑さだ。 今は27.6℃・湿度69%上昇の体感温度も約29℃となる。 ですが、エアコンのスイッチを付けるような気温でもないもので、さてさて、我慢の限界点とはいつ頃になるであるかの「クーラー開き」の日取りも気になる。 そして、今日から7月1日。 季節も進むと変化もあるもので、私の鼻もくんくんと何だか七夕の香りを感じている。 七夕の香りとは言葉にするのは難しいですがモワッと湿る空気の7月の香りで、これは梅雨明けの「サマー」な時期に感じるムワっとした夏の香りともまた異なる。 モワッとムワっの違いもまたそれも難しいのですが全然異なる。 この匂いは先程の梅雨時期に繁殖する何かのカビの匂いかもしれないし、昨晩の赤紫蘇のふりかけの梅酢の香りかもしれない。 または、七夕の香りとは今月の7月9日頃に収穫予定の梅干しの甕から漏れる梅の香りの可能性もある。 去年一昨年の暑い梅雨時期に作られた梅干しはクーラーの効いた涼しい部屋で熟成されるもので、今年の梅は本来自然の梅雨空の元で熟成される梅干しだ。 梅は間違えた赤紫蘇玉作り工程で乾燥する作業もすっ飛ばす。 なので、茎もろともアク抜きしたもので、本来捨てているはずの茎も灰汁も抜き完了で何だか食べられそうだと梅酢に漬けて保管していた。 梅酢に漬かった赤紫蘇の茎をそのまま食すと梅干し風味のすっぱくて塩辛い美味しさはありますが、歯ごたえが若干固めで大根の葉っぱのように火を通して食べようと思う。 ・先ずは赤紫蘇の茎をよく炒める。 ・茎がしんなりとしてきたならば、次にちりめんじゃこ、山椒を入れて水分がなくなるまでコゲないように混ぜながら炒める。 こうして、出来たのが梅酢に漬けた赤紫蘇の茎と“ちりめんじゃこ”のふりかけ。 ご飯と食べると梅干しは入っていませんがふんわりとお口の中に上品に梅干しの香りが広がり、シャキシャキとした食感もまた美味しくお箸も進む梅雨の合間の一品がでけた。 |
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| ■2026年7月1日(水) |
| ■まぜてたたいてほにゃららら~♪ |
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| ■2026年7月2日(木) |
| ■一日一文章トレーニング。 「AとBという異質な事柄の境界線上に花は咲く」 今日はモワッともムワッともしない涼しくて気持ち良い梅雨の雨。 今朝の室温は25.8℃・湿度74%で昨日の室温25.9℃・湿度75%と比べてもほぼ同じですが、過ごしやすさの違いは段違い。 雨に濡れることは嫌で傘を持ち歩くこともまた面倒だ。 ですが、雨には雨の気持ち良い涼しさやウェット感もある。 昨日と今日で何が違うのか?と雨の降る日と雨が降らない日の違いについて思う。 この梅雨前線の雨は静かにぽたぽたと降り続き、私には雨で洗われた新鮮な空気を与えてくれる。 そして、この境界線上の雨が消滅したり、住む場所を通り過ぎれば本格的な暑いサマーを迎える。 このような梅雨前線とは夏の空気とそれ以外の空気を分ける大気の境界線だ。 異なるものがぶつかればそこに風が起こり雨を降らす自然界の仕組みでAとBとは全く異質なものだ。 そして、そのような境界線は単に異なるものを分けるだけで無く、ぶつかり合った境界線上に摩擦を作り出して全てを掻き混ぜた後に豊かさも与えてくれる。 例えば、川と川、川と海、海と海、潮と潮の潮堺に温かい水と冷たい水の温度の差や塩分濃度の違いで境界線は生まれて、その場所は栄養分の豊富な良い漁場となる。 目に見えない海の下で異なる水と水がぶつかれば渦や水流が起こり底に溜まった栄養分を巻き上げる嵐となって植物性プランクトンを大繁殖させるようだ。 そして、そのようなプランクトンを食べる為に小魚も増えれば、小魚を捕食する大型の魚も増えて、漁師や釣り人はそのような大型魚を狙い釣り糸や網を垂らし、鳥たちも上空から魚を求めて賑やかな場所となる。 「雨降って地固まる」とは正にこのようなことで、都市などの発展もこのようなカタチかなとも思う。 何かの境界線上とは自然界にとっては大変豊かな生命活動が行われる場所だ。 確かに以前暗渠された蛇道を下った先の隅田川に接続する場所には越冬する水鳥たちのコロニーはあった。 水鳥のいる・いないとは漁場の目印で、そして、自然界の生物とはそのような見えない境目を見る能力に長けており、最近の私たちとは数字やお金などのデータを通してそれらを捉える。 私たちとは日々の日常事を核なる中心で見ているもので、そして、上記のような境界線上の賑わいある豊かさを知ると境界線を広げるフロンティア精神もまた間違いではない。 荒城の月のように日本的な無常観は中心的なものは瓦解して時代と共に流れて朽ちていくものだ。 AとBという異質な事柄は境界線上に花も咲かすが、AもBも無くなれば境界線も無くなり花も咲かない感じも何だか面白い。 境界線とは中心から辺境にまで届く影響力なのである。 ということで、 あちこちで摩擦を起こしていたあの人もまた異質なものとぶつかり合う存在であった。 あの人とは文芸評論家のサント・ブーヴで、前述のようにユーゴ(ユゴー)とは静かなる対立ではユーゴに見下されていたものの、真っ向正面から対立したバルザックという人物もいた。 オノレ・ド・バルザック(1799-1850)はアグレッシブに100冊以上の作品を執筆するフランスを代表する作家で、お金や社交界にも貪欲で、初めて新聞紙小説を書いた人物で、彼はまた作家の著作権保護の活動をするフランス文芸家協会を立ち上げた人物の一人でもある。 名前にオノレとつくぐらいにブーヴと泥仕合の悪口の言い合いで対立していたようで、ブーヴが評論家の有能さをアピールする為に書いた「愛欲」という作品をバルザックは超酷評する。 そして、バルザックは同じ設定で小説とはこのように書くべきだと「谷間の百合」というリメイク作を書き上げて、こちらはバルザックの代表作となりブーヴを激怒させる。 著作権保護の活動をしているけれどもブーヴのリメイクも作って何だか面白いな。 バルザック51歳が腹膜炎で死んだ時にはブーヴはコケ下ろす毒を撒き散らしていたようで、異質な人と人がぶつかり合う嵐もまた怖いものだ。 全ての境界線が相反するものと混じり合い、かき混ぜる事柄とは破壊力がある。 しかし、今でもこのようなエピソードが残り名作も生まれたと考えれば当時の不毛な争いとは今となっては「雨降って地固まる」と言うべきかなのか、ぶつかり合い摩擦した後の豊穣な下地のようにも見える。 長い目線で見れば、境界線上の無駄事とは何一つ無いのかもしれない。 |
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| ■2026年7月2日(木) |
| ■ランラン。 |
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| ■2026年7月3日(金) |
| ■一日一文章トレーニング。 「肉や魚の表面をパリパリに香ばしく焼くことをメイラード反応と言うらしい」 私も随分と無駄に長く間生きてきたものですが聞いたこともあるようで知らないメイラード反応な言葉を聞くと、いつも頭の中がピロリ~んとなっている。 しかし、そのような言葉は知らなくとも肉や魚はキッチンペーパーで包み水分を吸い取ってから焼くもので、この行為は臭みや雑味を取るものですが余分な水分も取れば自然と表面の焼き温度も上昇してメイラード反応となる。w 私の中ではいつ何時も肉の表面にパリパリな焼き目を付けたいもので、メイラード反応な言葉は知らなくともパリパリな表面を目指している。 豚肉の表面も焼き目がつくようにパリパリに焼きたい。 お揚げさんの表面もパリパリが好き。 パンや魚の炭化したお焦げはポイッと切り落として捨てますが、表面がパリパリに美しく茶色な焼き目になるメイラード反応なはとても好きだ。 シェフもつわものどもも夢の後で皆でパリパリだの、ササッとサーと擬音で“めんこく”作りたい。 「大根をとんとんと切ります、 塩はひとつまみぶわ~っとかけて、みりんと酒をちょぴちょぴちょぴーとかけて、お醤油はドボンとならないようにたらたらと注ぎます、 後は小さな火でぐつぐつと煮てプシューと煙が立てば火を止めて寝かせます」 何の大根料理かわかりませんが大変乙だ。 数字を廃して全て体感の擬音料理とは老舗の祇園の料理みたくカオスで未知な領域である。w そう言えば、 先日作ったブールブランソースは余ったソースを冷凍保存していた。 メイラードにパリパリに焼いた魚に、凍ったブールブランソースを溶かしてかけたならば完全にバターとすっぱいソースが分離してもうた。 あんなに苦労して作ったすっぱいソースが冷凍保存して使えないなんて・・・フランス料理とは物凄く手間暇のかかる料理である。 バターは15℃~20℃で乳脂肪分が結晶化し、一度溶けたバターは元の状態に戻らない。 そして、人間の子の脂肪分も15歳~20歳で何かの結晶化が行われて一度溶けたら元に戻らないものなのでしょうか?w 因みに、バターの乳脂肪分の融点(個体から液体になる)は28℃~36℃のようであり、サマーな夏がやって来たならば私のバターな乳脂肪分は全部絞り出したい。 乳化状態が壊れたブールブランソースのお味はバターとすっぱいお味で分離している。 ところどころはバターの油ですっぱいようなお味で乳化とは相反する2つの素材を見栄えよく調和させる奥義である。 これらはカチャカチャと熱心によく掻き混ぜて乳化するもので、ある意味境界線もなくなり一つの味となる。 しかし、それらは時間と熱量によって簡単に分離するもので、バブル的なものはどこの国にもありますが隣の国の一つの何ちゃらもまた乳化状態のようだ。 全てを掻き混ぜて泡立てて乳化するもので、そのような乳化状態とは境界的な意識も欠落している。 そして、冷やして混ぜ続けなければ簡単に壊れる。 凍らせてブールブランソースも低温でゆっくり溶かしながらかき混ぜれば、もしかしたら乳化状態となったかもしれませんが一度溶けたバターは決して元の状態に戻らない。 これは自然の摂理だ。 ブールブランソースとは作ってすぐに食べないと分離してしまうとても手間のかかる料理なのである。 すっぱいお味とは蛋白な魚の塩味とこってりバターと組み合わさってとても美味しい。 ソースを舐めたらすっぱい酸味ですが、塩味の効いた魚と一緒に食べると全く酸味も感じなくとても不思議。 ブールブランソースは作るのはとても大変ですが、私たちは日常的にレモン汁とサバの缶詰を焼いて食べるもので、そのお味は結構近い。 全てはこってりバターと酸味をあわせて食べる為に混ぜて乳化させるものであり、フランス料理のソースは本当に奥が深い。 このすっぱいお味は梅干しや梅酢、赤紫蘇なのでも活用できる予感で、今度白身魚の切り身やホタテ、蛋白な鳥肉などでも梅のすっぱソースで絡ませて食べたい。 |
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| ■2026年7月3日(金) |
| ■メイラード活火山。 |
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| ■2026年7月6日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「葛切りを自宅で美味しくお得に食べる方法を考えた」 朝晩窓を開放して寝ると肌寒くて目覚める時もある。 お風呂上がりの暑さとは動画を観ながらゴロゴロと段々と寒くもなり体もクールダウンして寝落ちする。 そして、ふっと気づくと無意識に断熱効果の全くない夏布団に包まり眠るもので、夜中や朝方に肌寒く目覚めると薄々の毛布をかぶって再び眠る。 去年の猛暑などと比べても俄然過ごしやすい梅雨で、過去の平均気温はどの位のものかと1951年~1980年の東京の月平均気温・月降水量を調べたら下記のような数字となる。 6月:月平均気温21.5℃・月降水量は181ミリ。 7月:月平均気温25.2℃・月降水量は125ミリ 月平均気温は1ヶ月の日平均気温の合計をその月の日数で割ったもので、日平均気温は1時間ごとの最高気温+最低気温を2で割ったものを24時間の平均で算出する。 因みに今年の6月の月平均気温は21℃~22℃台とほぼ昔の数字と同じような推移だ。 このような涼しき梅雨空のもとで、私は昨日葛切りを食べる。 京都の観光地で食べたならば1500円以上はしそうな葛切りを自宅で食しますが、勿論、本物の葛ではなく安物の葛だ。 本物のクズ・安物のクズとややこしいのですが、どっちのクズがまだましなのかと考えてもクズはクズでどっちもどっちだ? 甘くて美味しい葛切りをズルズルと食べると、透明感が川のせせらぎのような涼を感じる。 俳人ならば「梅雨空に クズはクズなり ちゅるりん」とクズな一句も浮かぶものかもしれませんが、私は本物のクズを高いお金を浪費しながら食べるのがエレガントなのか、いやいや、安い偽物のクズを食べてお財布にも優しい平穏も捨てがたき。 何が正解なのか?とクズはクズでもお金のスケールで測りながら悩む。 そもそも、クズは米国の危険な外来植物にもなる程に大繁殖する世界を席巻する日本の雑草が高級品であることも意味不明。 そして、葛には偽物と本物のクズが堂々と両立していることも何だか面白い。 クズはクズとしか存在しない一つのジャンルの常識ですが、葛にも本物のクズと偽物のクズがあるようにクズにも本物のクズと偽物のクズがあると周知されればまた面白き世の中かもだ。 そして、葛は偽物のクズを食べても本物のクズを食べても美味しい。 葛切りとはペロリと食してすぐに器の中身が空っぽになる位にちょっぴりとしか入っていないもので、物足りない私は器の底に残った甘く黒い蜜を見てある閃きをする。 それは葛切りを食べた後に、自家製の紅茶のゼリーを葛切りを蜜の中に投入すること。 そうすれば涼はあるけど量は少ない葛切りを満腹に食べることが出来るもので、さっそく、私は葛切りの甘蜜に紅茶のゼリーを入れて食す。 味はほぼ葛切りのお味。 葛切りの味とは無味無臭の平麺のようで、ほぼ蜜の味と言っても良い。 紅茶のゼリーを投入すれば若干紅茶の風味の葛切りとなり、味なしのゼリーを入れればほぼ葛切りそのものになる(たぶん)。 目を瞑ってぱくりっと食せば葛切りだ。 噛み締めて食べても歯ごたえやや柔いやっぱり葛切りで、クズは本物の葛を食べていないからの味覚具合もクズかもしれない。 甘味処で高級な葛切りを食べると上品に入った少量が瞬時になくなる。 京都に行ったならば食べたくもなる老舗の葛切りのお味で、葛切りとは容器や空間、時間を愉しむような何の味もない涼やさでもある。 確か、前に本物の葛を食したのは真冬の凍えるお正月の時期であった。w そして、そのような葛切りにラーメンの替え玉のようなサービスがあれば良いなと思う。 様々な風味のゼリーの替え玉を入れて甘く残った汁も美味しく消費できれば一石二鳥。 よって、 我が家では自宅で葛切りを食べる時には第二幕の事前にゼリーの替え玉を用意する呆則で、ここにスポーツマンシップに則り誓います。 あ~めん。 |
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| ■2026年7月6日(月) |
| ■にゃ~~。 |
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| ■2026年7月7日(火) |
| ■一日一文章トレーニング。 「本物のクズと偽物のクズの違いについて葛切りのような透明性と面白さを見つける」 ただし、それは明確な答えも無い。 麺と麺とは決してもつれることも無く噛み締め喉越しで「ちゅるりん」と楽しむ葛切りだ。 葛は俗字のようで何故?「くず」と呼ばれるのか気になる。 ネット情報によると奈良県の国栖地方に由来しているような話もありますが、さて、どうなのでしょうか。 葛はマメ科の多年草で山野につるを伸ばして繁殖する雑草で、つるは葛籠(つづらかご)として編んで容器となり、根っこは葛切りの材料や薬草となる。 「葛」を「クズ」と呼ぶには昔の日本人の生活に切っても切れない必需品だ。 「屑・クズ」とは美味しい実を食べて残った「カス」なようなもので、そのような身近な葛をクズと読むのはやっぱり変だ。 ぐずぐずと「愚図」と濁ってみても、のろまでハキハキとしない動作の遅い感じの雑草で、葛の植物は実際に観察したことは無いので何とも書けませんが、つたが地面全体に根を張ればそれはそれで農家にとれば厄介事なのかもしれない。 偽物とはあるものに似せて本物そっくりに精巧に出来たまがい物のことで、偽物を一見した見た目で判断することは難しい。 なので、本物の葛切りを食べ慣れていない私では本物の葛と偽物の葛を見分けることも出来ない。 真贋の目を持つ人物以外には本物と偽物の違いを見分けることもまた難しいもので、葛は葛から作られたものが本物の葛となる。 本物の葛と偽物の葛のことを考えていたならばアニメ有頂天家族のニセ電気ブランを思い出す。 何せ本物の葛と偽物の葛のお話には「本物」と「偽物」と「クズ」という強い言葉が3つも揃うもので、私が狸に化かされて「葛」と「屑」を連想しても仕方無きこと也。 写真の電気ブランは東京浅草の神谷バーで逆さ文字の「ンラブ氣電」を購入したもの。 アルコール濃度が40度のリキュールで名前の通りに電気がビリビリときそうな強い酒で、全然飲んでもいないので色も若干薄くなったような気もする。 そして、電気ブランは宮沢賢治のような昔の小説などにも出てきたような予感で、有頂天家族の中でも狸たちがわざわざニセの文字を印刷したニセ電気ブランの密造酒を夷川発電所の工場裏手で密かに作っていた。 お酒の名前もインパクトがあって記憶に強く残る。 そして、 電気ブランの瓶を手に持つとカーボーイたちの世界のならず者たちがよく飲んだくれているお酒にも似ている。 これは私の中では西部劇みたいなお酒だ。 映画の中でも大抵の用心棒はこのようなお酒に酔って本物のクズな感じで、冒険を続けて、人なりも深め、信頼も深まり、とても立派な偽物のクズだと知る。 何を言っているかと詳しく説明すると、本物のクズな外見をした偽物のクズは人々にとって必要不可欠で人徳も深い人物であったという逆説的な解釈である。 本来、偽物のクズとは本物のクズをさらに劣悪させた本物のクズの二次劣化コピーを想像するものだ。 しかし、視点を変えれば本物のクズを反対側には真っ当なパターンもあるように思うもので、それが西部劇などで見る本物のクズか偽物のクズかの構造である。 本物のクズな外見の偽物のクズは自分の壁を乗り越えヒーローとなる。 偽物のクズが本物のクズを越えてくるならば、偽物のクズが本物のクズの正反対となってもおかしくはない。 本日は7月7日で毎年七夕とは梅雨空の曇り空。 そして、朝から本当に意味不明な本物のクズと偽物のクズについて思いを巡らして本当に何をしているやら。 |
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| ■2026年7月7日(火) |
| ■本物のイヌと偽物のイッヌと偽物のイヌ。 |
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| ■2026年7月8日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「これは週末に漬けたピクルスだ」 まだ一口も食べていないので味はわかりませんが、見た目だけはとても美味しそう。 何が上手くいったかと考えると赤くピンク色の酢漬けがお洒落さを爆上げしている。 ※全て自分の感想です。。 この赤色は梅干し作りで出る廃液の梅酢を大切に保管していたもので、それをピクルスに入れて赤く染めている。 梅酢は毎年継ぎ足しで混ざり溜めているもので、衛生面はどうかと思うのですが塩分濃度が高い梅干しが全く腐らないようにそれを漬けた梅酢もまた全く腐らない。 半透明色の赤は涼を感じさせるもので、食欲もそそる。 昔、半透明のマッキントッシュが流行ったものだ。 半透明な機械を見るだけでも何か未来的な感じがするもので、ウォークマンやパウチな文房具からフィギュアまで何でも半透明な時代はあった。 半透明なボディーには涼しげな感じと新しい時代の到来のような素敵さはあった。 また、このような半透明ブームの再来はあるものかなと思うもので、いやいや、ウォークマンにしてもパソコンにしても昔はメカメカしい機構の機械の中身はあった。 そのようなメカメカしい機構があったからこそ、スケルトンに中身を見せるモチベーションもあったのかもしれないもので、今のガジェットとは器の中に基板だけのことも多く中身を見せるような感じでも無い。 これが軽薄短小の究極の形なのか、この数十年のIT化とは家庭からメカメカしい機構を排除してきた時代のようにも思う。 勿論、ガソリン自動車や機械式時計などメカメカしいものはたくさんありますが、デジタル化したものの全てはスカスカとシンプルな基板ばかりの構造となる。 今や中身を見せる程のスケルトンに対応するような機構は少ないのかもしれない。 そのような意味に於いては現代は「中身」よりも「外装」の時代だ。 ピクルスの作り方は野菜を切り軽く茹でてから、野菜を瓶の中に詰めてミツカン酢、砂糖、塩、スパイスを入れて空いた空間に梅酢をなみなみと注ぐ。 スパイスはマスタード、オールスパイス、クローヴ、ディルシード、シナモン、ローリエ等が入ったピックリングスパイスを入れて、おまけにピリ辛山椒の実も同梱する。 材料はブールブランソースを作る時に買ったエシャロット、ニンジン、小さい玉ねぎのペコロス、黄色と緑色のズッキーニとおフランスっぽい食材ばかりで漬けた。 いわば、梅酢や山椒の実も入れてフレンチと和の融合なのだ。 これは「見た目」と「中身」の二面要素から見ると、見た目は赤く美しく、中身もスケルトンで全部見えて、但し、何度も言うようにまだ一口も食べていないもので味に一切の保証も無く、謎の味のニセモノのピクルスなのである。 昨日の本物クズと偽物のクズの関係性で言うと、見た目だけは映えるものの、中身がまだまだ不明瞭なピクルスの偽物でスケルトンの見える化によって偽物のピクルスのNOT偽物であって欲しいと思う。 いやはや、何を言っているのかの難しきアレで、昨日の偽物クズと本物クズを整理すると人にも「外見」と「中身」の二面性はある。 今の時代は人からモノまで何でも見た目であり、見えない中身を見せるというのはなかなか難しきこと。 本物のピクルスを真似て作っても材料や何やらと足りなく、見様見真似で作ったとしても中身も異なるオリジナルの劣化となるようなことも多い。 しかし、時に偽物のピクルスでもオリジナルを越える味となることもあるかもだ。 私の味予想はいかように・・・。 そして、そのお味とは美味しいのか、不味いのかと事後報告も絶対に書かないもので本物のクズと偽物のクズな感じは常に霧の中だ。 |
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| ■2026年7月8日(水) |
| ■なっとうの踊り子。 |
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| ■2026年7月9日(木) |
| ■一日一文章トレーニング。 「クサから花の蕾が生えて、私は本物のクズと偽物のクズと自分のクズを思う」 まだ、「サマーーー」と叫ぶような夏でもありませんが、梅雨の雲が晴れるとすっかりと夏の気分。 カーテンを開けて気持ち良い外気がなだれ込むとベランダの食べられないニラの草から花の蕾が生えていることに気づく。 とても小さくて真ん丸い紫色のかわいらしい蕾である。 この食べられないニラは実家の庭に群生していたもので花一面の花を咲かしキレイだったので紙コップに入れて持ち帰った。 そして、ベランダにもかわいい花を咲かして彩りにしようと思ったものの、繁殖もせず、枯れもせず、猛暑や冬も乗り越えて、現状維持のままの長く緑色の草を生やす。 去年も一昨年も花は咲くことも無かったもので、ほぼ私の記憶の中から花が咲くことさえ忘れていた。 鉢植えの植物とは移動や鉢替えすると大抵2年程花も実も新芽もつけない呆則で、やっと花咲く準備も出来たようだ。 これは私の中では見えない土の中に根を張って落ち着くまでは余計なエネルギーを消費しない植物の生き方のようにも見るもので、もしかして、足元が安定しているからこそ実もつくものかな。 そのような意味に於いては、経済にしても何にしてもまた人々に足元の将来に安定を与えてこそ未来の実もなるものかなで、何十年も実もならない世界とは人々に実を付けるような安定の場を提供してこなかったのかもしれない。 植木に熱心なおじいちゃん・おばあちゃんであれば、このような雑草は迷わず抜いてしまい枯れ土となるだろう。 この食べられないニラとは何の植物なのかと調べてもわからないもので、ネット検索するとハナニラで、画像検索するとヤブランなそうな。 何の植物なのか皆目わかりませんが花も咲けば名前もわかるであろうと思うもので、食べられないニラというニセモノ感からも脱却して、もうすぐ、私はこのクサの本当の名前を知るであろう。 そもそも、本物・偽物とは何であろうか。 本物や偽物とは他人からの評価である。 一般人であれば本物も偽物もクソも無く自分は自分であり他人は他人で、自分から「オレは本物だー」と言うシチュエーションもはぼ考えられない。 そのような意味では本物・偽物をアピールするのは特殊な環境である。 この世の中で本物を語れるとすれば、名画であったり有名ブランドであったり、ブームで発生する偽物に対してのアピールだったりと、人々から広く認知されてこそ本物となる。 そして、それでさえ何が本物かと考えると商標や書類の証明で、真贋を見極めるものは一枚のペラペラの紙であったり、見極めるノウハウや知識なのかもしれない。 見栄えの見た目が大きくなった世界では画面上でふんぞり返る本物を見る。 そのような時には私の頭の中では本物のクズと偽物のクズなクズな言葉が浮かぶもので、それはそれで少し痛々しくも思い、また、正直何だか怖い。 その怖い・怖くないの境界線はクズ感の自覚の有る無しのような気もするもので、おそらく、本物と偽物とクズとは正に枕詞なのだ。 私たちの世界では本物の葛と偽物の葛が普通に同居して受け入れられているように、本物と偽物の境界線もまた曖昧でクサのように生えてくる。 そして、全ては私の直感ですが上に立つような立派な人達は案外自分のダメさ加減というかクズ感を自覚している人も多いようにも思う。 それは一般の人と比べても多いような予感。 本心はどうだかわかりませんが立ち振舞や仕草や言葉でそのように思うもので、そのようなことを感じると少しは親近感も持てる。 クズだからこそ上に立てるのかもしれないし、最近の自分もクズ度合いを知ってからこそ初めて土俵に立つものかなしれない。 若い頃は何にも恥ずかしげも無く本物のクズとして立ち振る舞うものだ。 そして、人にも分岐点があるとすれば、本物のクズを知って本当の道は始まるのかもしれないもので、偽物のクズのコピー品となるか、または、その反対の善行を行いNOT偽物のクズとなるかの部活動の先輩後輩OGOBみたいな壁を見る。 私が部活の先輩になった時にクソな伝統を踏襲するのか悩みに立つことも無く、距離を置き逃げて見て見ぬふりのほほ~んと過ごす部活生活で直視もしない。 クソはクソであることを自覚してこそスタートして変われるものであろうか? |
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| ■2026年7月9日(木) |
| ■小野妹子レコード♪ |
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| ■2026年7月10日(金) |
| ■一日一文章トレーニング。 「今年の梅ボールがでけた」 昨日、私はおそるおそるコントローラーのスイッチを押す。 「ピピッ」と音は鳴りエアコンの室内機がカタカタと動き始めて冷気も吹き出す。 もわーっともしない、むわーっともしない暑い夏の到来で~クーラーの風はとても気持ち良い☆ あ~夏であ~る~。 令和5年の冷房の起動は6月17日(土)で、令和6年は6月11日(火)、令和7年は6月16日(月)、そして、令和8年は7月9日(木)となる。 例年の猛暑な夏と比べても1ヶ月程遅いクーラーのスイッチONとなる。 因みに、冷房のスイッチがONになった時の室温湿度は26.4℃・66%で、この室温湿度はこれまでにも何度も記録するような暑さでもあって、特段の珍しき温度や湿度でも無い。 しかし、私の中の暑さの我慢を越えた気温でもあり、不思議な暑さの限界点でもある。 考えると梅雨明けのようなお陽様も燦々と照るもので日差しが焼けるように暑く、雲一つ無い日光のエネルギーは凄まじいほどに暑い。 とりあえず、今年の夏は例年の夏と比べても1ヶ月ぐらい短縮されて30日ほど短くなった夏を計画的にエンジョイしたいものだ。 そして、 そのようなクーラーのスイッチがONとなる夏の日は梅干しの収穫日でもあったが一日遅れの今朝、梅干しを甕から取り出す。 毎度、一度作ったら1ヶ月程放置で蓋を開けるまで出来具合もわからないもので、私はおそるおそる蓋を持ち上げて梅を確認する。 先ずは壺の容器の覆う紙を剥がし蓋をカッポッと開けると、梅酢のツーンとした香りが室内に広がる。 時折、家の中で「何だかスイーい匂いがしないか」と犯人探しの元凶は、この匂いであった。 例年の涼しいクーラーの中で漬かる梅干しはあんまり匂いがしないもので、今年の梅は空調も一切無くて、梅雨の湿度と自然のままの常温で熟され梅酢の香りも強いのかもしれない。 くんくんくん 梅ボール おかめのまわりに 梅の花が咲いたよ くんくんくん 梅ボール 【メモ】 ・梅干し作りの香りとははじめに熟した果実の甘い青春の香りから、重みで潰され熟されたツーンとしたお酢の香りへと変化する。 ・空調機のない温度変化の大きい気候の方が梅の香りは強い予感。 梅を潰す為の重石の水を入れたタッパを水漏れしないように「そおーっ」と慎重に引っ張り出す。 そして、そのようなタッパは取り出すとすぐに洗浄する。 重石の下の負荷を万遍なくかける為の平皿も取り出してすぐに洗浄する。 1つ取り出せば1つ洗浄するもので洗い溜めずに1つ1つ終わらせる。 効率が悪いとまとめて洗えと怒られそうですが、梅作りの材料は洗いながら梅開封も進めればその都度手もキレイに消毒されて、流し台にも洗い物も溜まらなくて一石二鳥だ。 次に、赤紫蘇を1塊ずつお箸で取り出してお皿にのせる。 梅干しも美味しいのですが、廃液の梅酢も美味しくて、赤紫蘇もまた美味しい。 梅干し作りで発生するものは捨てるところが一切無くて凄いことだ。 白いおにぎりに赤紫蘇を乗せれば、梅風味の赤い汁と赤紫蘇がライスボールは美味しくなる。 そして、梅は1梅ずつお箸で甕から取り出して容器にキレイに並べる。 パシャリ。 写真のような立派な梅干しが出来た。 作ろうぜ、梅ボール 世界で一個のすっぱい秘密 食べようぜ 梅ボール 世界で一個のUMMMEEE味 梅干しは東京のベランダで干すには空が狭すぎるもので、全部実家に送り干してもらう。 最後に重量級の甕もキレイに洗い梅干作りの儀は全部終了する。 今年の梅は目視で判断する限りなかなかに上手に漬かったような気もする。 毎年そのように思うものの、去年の梅は青梅から梅干しを作りをして塩分も多少多くて塩が吹きすぎる多少の失敗作でもあった。 梅干し作りとは適当に作ってもそれなりにテキトーな梅干しとはなりますが、お店で売られているような昔ながらの梅になるにはそれなりの難易度はある。 何せ1年に1回しかチャレンジ出来ない梅干し作りで、1年後にはいろんな事柄も忘れて毎回初心者のようだ。 果たして今年の梅のお味なのでしょうかと・・・。 うめうめうめ 梅ボール 梅ボール うめうめうめ 梅ボール 梅ボール |
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| ■2026年7月10日(金) |
| ■暑さにレッドカードなのだ。 |
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| ■2026年7月13日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「壊れた扇子をセンス良く?修理した」 今年の夏は風流に行こうと古い扇子を掘り出し使用している。 この扇子はどこかの老舗料理屋の扇子のようで料理は食べないけれども扇子だけを貰い愛用している。 よく街歩くおばあさんが全く関係ないと思うインテルやらエヌビディアなロゴ入りエコバックを持ち歩くように、私もどこの料理屋かも知らない扇子を愛用している。 先ずは、折り畳まれた扇子のクッション性が好きだ。 手のひらでパンパンと叩いても、自分で自分をつっこみトントンとしてもソフトな軽い叩き心地が良い。 世の中にこんなにも叩いても痛くならないような優しい道具はあるものかな?と思うもので、扇子で扇ぐ風もまた優しい風だ。 このような積層する構造に耐衝撃吸収力があるもので、全てはこの蛇腹構造に優しさの秘密があり、扇子は徹頭徹尾優しい。 意味も無く肩をトントンと叩き、手のひらでトントンと叩いてリフレッシュすればお師匠様も1本取られたような軽やかさだ。 私には今、侍の二刀流のような2本の愛用の棒がある。 1本はヒッコリー木材の持ち心地も良きドラム用の棒で、もう1本の棒はこの扇子である。 ドラムの棒はかいかいと背中を掻けるだけで無く、寝る前にも足裏をトントンとリズムカルに叩き、時折、先端でツボ押しながらリフレッシュする棒だ。 ※本来の用途ではないことも多いので御免なさい。m(_ _)mT 今も背中にドラムスティックを刺して、背中をカキカキとツボ押しながら、扇子でパタパタと扇ぎながら~ながら~の文章なのだ。 片手にドラムスティックでバチンと、片手に優しさの扇子で凛と、厳しさと優しさの戦う棒で悪党がやって来ても一網打尽にできる予感。 最近のお風呂上がりの体は暑くて粗熱がとれるまでは布団の上でごろごろと転がっていますが、片手のドラムスティックで足裏マッサージしながら、片手の扇子で扇ぎ扇ぎと涼むスタイルだ。 扇子の良いところは叩き心地の優しさだけでは無く、扇ぐ風もまた優しい。 去年は最新式の四角いコンパクトな充電式ファンを購入しましたが、涼しい大きな風を作ろうと思うとモーター音はバカでかっくてうるさい。 音を静かに使用しようと思えば風力も弱くすると効果も薄い。 その点、扇子は扇げばぶわーっとした塊風で音も無くて涼しい。 これは扇風機と団扇の風の違いで、扇風機は連続的な風ではありますが、扇子は扇ぐ時に和紙の蛇腹と木の骨がしなりながら大きな空気を捕まえて風を作り出す仕組みだ。 扇子の厚みのある風は周辺の空気を巻き込みながらカルマン渦という小さな渦をたくさん作るようで、この空気を巻き込む小さな渦が扇子の風を優しくさせる要素のようだ。 朝起きると枕元にドラムスティックと扇子が転がり、再び扇子をふりふりと涼みながら朝も目覚める。 寝る直前から朝起きてからもこの2本の棒さえあれば何だか事済む。 そして、そのように扇子を開けて閉めてセンス良く過ごしていると扇子の骨が2本折れた。 使い方が粗いと言えば粗いもので、トントンと優しくも叩けば枕元の後頭部で潰されるような扇子でもあり、ヘビーに使用されれば骨も折れる。 しかし、扇子の骨が折れた理由は扇ぎ方にあったような気もする。 通常、扇子は小刻みに小さく扇いで風を送るものですが、他の人に風を送るとなれば1回1回の扇ぐモーションも大きくなり、大きな空気を捕まえる大振りの風となる。 この大振りの風が何だか扇子の骨に負荷を与えたような予感で骨も折れた気もする。 扇子の風は大振りな風よりも細かくパタパタと回数多く風を送った方が涼しいもので、大振りの扇子とはセンス無しかも。 とりあえず、 木と扇の紙の部分を細く切った紙で骨と扇を接着して写真のように修理した。 扇子の色味に似た茶紙を細長く切り、強力な高分子の木工ボンドと塗布して両面の扇と骨に張り合わせて固定すれば完成だ。 開いても閉じても一見では修理の後はわかりにくく、扇いでもびくともしない江戸の職人のような修理ができた。 |
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| ■2026年7月13日(月) |
| ■むしむしと小雨ぱらぱらと降って蒸し暑い梅雨空。 |
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| ■2026年7月14日(火) |
| ■一日一文章お休み。 「どうしましょう」 夏が始まってまだ6日ばかりですが、もう夏バテた。 どうしましょう。ぞなもし |
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| ■2026年7月14日(火) |
| ■スイッチONOFFあちぃあつい。 |
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| ■2026年7月15日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「扇子の扇ぎ方の違い」 いやはや暑い~暑い。 私の暑いレベルではもはや「暑暑暑」の最上級の3層目に達する。 (1レベル)暑:暑いな~ (2レベル)暑暑:暑いな~~ (3レベル)暑暑暑:暑いな~~~ ※暑さのレベルによって語尾が伸びる。 私は本格的な夏がやって来てから6日目で夏バテとなるもので、クーラーのスイッチをONにしてから6日目で夏バテとなるポンコツな人なんて私の他にいるのであろうか。 昨日も汗だくだくと汗を絞りだすボロ雑巾のように活動するもので、暑すぎてほぼ空回~ゾフの兄弟な感じである。 何か昔に読んだ夏休みの読書でも物語の原因が暑さであった記憶も多いもので、この夏の欧州の記録的な猛暑では何か新しい物語も生まれるのかもだ。 ただし、私の毎年の猛暑は記憶喪失である。 暑くなると全てのスペックも落ちるようで、後、何日暑い夏を過ごすのかと指折り数えても約3ヶ月間は確実に暑い夏は続く。 だんだんと暑さに体も慣れてくる呆則ですが、辛くしんどい夏の思い出はそもそも記憶に残らない仕様なのか?ほとんど暑い思い出は何も覚えていない。 毎年暑い夏をどのように過ごしているかと思い返しても「暑い暑い暑い」と言いながら皆目わからない真夏の夜の夢のようだ。 私たちは干物のようによく炙られ移動するもので、こんなに暑いのに道歩く人々の誰も干物になっていなくて本当にビックリ!! 少し前まではサンダルに降り注ぐ太陽光が足指の冷え性を程よく温める感じが「快適だなー」と思っていたのに、今や足の爪先から頭までとても暑い。 そして、もはや冷え性を云々とするような隙も無くタオル片手に顔の汗をふきふきと暑さに堪える。 外にいればそれなりに心地よく外気温に慣れるもので、しかし、暑い外から涼しい室内に入ると汗は滝のように吹き出す。 涼しい部屋で涼んでいるのに玉のような汗が出ることはとても不思議なことだ。 おそらく、外を移動中も汗はたっぷりと出ているだろうけれども、風が吹き、汗や不快感を吹き飛ばして、強烈な日光が汗を蒸発させれば気化熱で多少涼しく感じるかも。 この時期一番涼しい場所はスーパーやデパートで店内に入ると一瞬で汗もひいて快適だ。 そして、店の外に出た時の一瞬だけは春のような日光の温かみを感じて、すぐに「あち~いーゼ」となる。 我家はスーパー程に涼しくも冷えないもので体も一瞬で冷えることも無い。 エアコンの設定温度は25.5℃ですが、最初26℃に設定していましたが暑くて0.5℃下げた。 しかし、この程度の室温だと一瞬で汗も引くこともなく、帰宅直後に玉のような汗が出る。 どうせ、汗が出るのであれば顔や体では無く、お腹の脂肪分から大量の汗が出て絞り出したい。 しかし、腹からは汗はあんまり出ない。 このぐらいの室温だとエアコンだけでは涼しくはないもので、扇風機やサーキュレーターで空気をかき混ぜながら涼む我が家の風物詩でもある。 とりあえず、頭の中の2/3は「暑さ」で占められている。 この世の中の全てが暑い暑い暑いと暑くもなって、時折、1/3ぐらいはその他のことも多少考えている。 最近、私が考える1/3の事柄とは有名な聖徳太子の横の変わった団子頭の髪型のこと。 あの髪型のことを私は「小野妹子の髪型」と呼んでいる。 しかし、ネットで調べると有名な聖徳太子の横に妹子カットの二人は山背大兄王(やましろのおおえのおう)と殖栗皇子(えぐりのみこ)という太子の長男次男のようだ。 私の中ではどちらかが小野妹子だと思っていたのでビックリ!! そもそも、聖徳太子も今では厩戸皇子(うまやどのおうじ)と言うようで、何だか全てよくわからない。 言葉を決める権限みたいな権力の一旦を感じるもので、歴史を書く、歴史を書き換えるとはやはり権力の示威活動の一端のようだ。 とりあえず、私は妹子風の髪型が気になるもので、それを絵に描く。 そして、我が家必殺の奥義の扇(おうぎ)を開いてパタパタと涼んでいると、自分で自分を扇ぐ時と自分が他人を扇ぐ時では扇子を動かす手の関節が異なるようだ。 ・自分で自分を扇ぐ時は手首のスナップを効かせてパタパタと素早く小さな風をたくさん送る。(INの風) ・そして、自分が他人に風を送る時には手首の関節をしっかりと固定させて肘の関節を使ってヴワーヴワーと1回1回大きく風を送る。(OUTの風) だからと言って特段の深い意味は無い。 相手に扇ぐ時の方が遠くまでたっぷりと風を捕まえて風を送りたいような気分でもあり、当たり前と言えば当たり前の両方とも関節の可動する90度ぐらいで扇ぐ。 人は自分で自分を扇子で扇ぐ時と、他人を扇ぐ時では使う関節が異なることは何だか面白い☆ |
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| ■2026年7月15日(水) |
| ■さかな。 |
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| ■2026年7月16日(木) |
■~~~~~疲れている人に。 ![]() |
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| ■2026年7月21日(火) |
| ■一日一文章トレーニング。 「この3連休は涼しいお家で終始ごろごろごろと過ごす」 窓を開けると物凄い熱気だ。 朝起きて「うーうーーん」と体を伸ばすと左足が「イタタ」とつりそうになり、痛みに耐えながら運動不足を感じる。 私の子供時代はどれだけ暑くとも暑さも気にせずに走り回っていたような夏の子でした。 いやいや、過去を思い返せば人形を並べてレゴを組みた立て家の中で遊ぶことも好きな子供で、床に散らかったレゴを足で踏んづけては痛ーい夏の思い出である。 子供の頃から家で大人しく遊ぶもので、大人になっても大人しく家で過ごし、正に三つ子の魂百までの大人である。 いわば往年のインドア派のようであり、たっぷりの72時間で何を成したかと考えても有意義な時間の記憶も無い。 ネットを開けば反対に有意義な時間ばかりが溢れているもので、気付けば夕焼け空に時の流れの速さの罪悪感も深まるもので、黄昏時とはいつも物悲しい。 強いて言うならば、リベンジのちりめん山椒を作り、小野妹子風な髪型の名前が気になって調べたぐらいの3連休である。 ちりめん山椒は写真のように今回は醤油や砂糖、みりんの量を増やして色も濃くする。 大体、何でも三度目の正直というか3回目の挑戦の後には何とかカタチになるもので、来年も同じく3回目ぐらいにそれなりのちりめん山椒が出来そうだ。 ちりめんや山椒の実やと大騒ぎしていた時から何日程経ったかと思いても21日目(3週間)で、このようなちりめん山椒作りとは3連休な時に限る。 要するテキパキと動くには横着すぎて1・2・3の三拍子の3で動く鈍重な私である。 先ずは卵焼きのフライパンにお酒+醤油+みりん+砂糖を入れてちりめんを入れてよく煮る。 そして、煮汁が減少してきたならば冷凍保存の山椒の実を投入して煮汁が無くなるまで炒める。 後は空調を循環させる扇風機の前におけば粗熱もすぐに取れて冷蔵庫に入れて保存する。 3日に一度の頻度のお茶作りでも大活躍するサーキュレーターで、最近は何でも冷ますものには循環させる空気を当てて二次・三次?と利用している。 風とは熱をA→Bへと移動させる偉大な効果がある。 経済もまた熱量やお金の移動のようでもあり、熱が加わったり奪われたりして面白いものだ。 こうして、今回のちりめん山椒は「旬な味よし」、「白いご飯も進んでよし」で、「当分食卓の一品も増えてよし」の三方よしである。 そして、 あの妹子風カットの髪型は「鬟・髻・角髪・美豆良」と様々な当て字がありますが「みずら」と言うらしい。 ヤマタノオロチなどの神話を読めば両耳に八の字を束ねた定番の髪型で、古代の若い男子の髪を頭上や左右に分けて両耳の辺りで丸く結んだ束ねた日本の伝統的な髪型だ。 ネットを検索すると筋肉隆々のいかついおっさん顔に「みずら頭」な絵でもありますが、私のイメージでは爽やかな若者の「みずら頭」だけである。w このような髪型は古くは埴輪などでも確認出来るもので、新しくは聖徳太子の時代の絵にも描かれており、古来より長く続いた今では廃れてしまった伝統な髪型である。 埴輪の髪型を見るといろんな髪型があって面白い。 板状や棒状の髪型は帽子なのかな?純粋なヘアーなかな?と思うもので、異なるデザインの「みずら頭」のユダヤ人の風貌のような埴輪もあって国際色も豊かだ。 古代の私たちの祖先とは埴輪の形状から想像するに随分と奇抜で様々でお洒落で文化的な生活をしていたようにも思う。 私も子供の頃に土器のようなものを拾ったこともありますが、土粘土からあのような造形を作れるだけでも素晴らしいことだ。 ファッションのいろいろとは文化的な豊かさである。 私の空想ではみずらな髪型が似合いそうな顔とそうじゃない人の顔が頭に浮かぶもので、みずら髪が似合う人とは神話感がある人かな?。 そのような意味に於いては北欧神話風のハーランド選手は「みずらヘアー」にしても大変似合うかも。w 日本代表でも「みずら頭」をシミュレーションしてみましたが、森保監督でもイメージしてみた。www |
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| ■2026年7月21日(火) |
| ■あつかった~。 |
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| ■2026年7月22日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「今月の新刊は「扉を開けたらおス(押す)」である」 いやはや暑い。 今日も暑すぎるので午前中から活発に動き出し後は涼むモードでしたが、朝から動いても汗もびっしょりとぐったりとなる。 因みに、今の温度は何度くらいかと温度計を外に置いてみようと窓のサッシに触ると火傷しそうな位に熱く、温度計の温度も 暑さはも~う御勘弁。 私の朝活とはベランダの植物たちにたっぷりの水をあげて、室内の床に落ちた髪の毛を掃除機で吸い取ることから始まる。 これは毎日の日課で、床に落ちた髪の毛はローラーで普通に吸い取ると髪の毛がローラーの軸に絡まり壊れてしまうので、本格的に掃除機をかける前に床上の髪の毛だけを事前に吸い取る。 姿勢をかがめて目を凝らして床に落ちた髪の毛を探していると、冷蔵庫の冷凍室の扉が微妙に開いているような・開いていないような嫌な気配を感じる。 「おやおや」と私は冷凍室の扉を開けて中を確認すると、冷凍庫の中は冷気もほどほどに凍っていたものたちは解凍されて水滴が溜まる。 肉類も解凍されてぶよぶよに、アイスクリームもおそらく溶けているであろう感じで、冷凍庫の中はすっかり普通の冷蔵庫みたいだ。 冷凍庫が壊れてしまったのか、半ドアの隙間から冷気が逃げ出して溶けてしまったのかと、様々な煩悩が浮かびながら、ただただやってしまったー感で気も重い。 冷蔵庫には最近、扉の閉め忘れが多くて写真のような標語を貼っている。 生活の感丸出しとは正にこのようなことで、汚字なお習字で標語を書いて注意喚起を促す。 1・2・3 扉を閉めたら おス 押す このような文章は、お店などのPOPを長く書いてきた身としては短くキャッチーに手書きで書きたい。 しっかりと扉を押すの「押す」はでっかく書いて、「おス」と印象も残し、扉を開け閉めしたらならば常に1・2・3秒と扉を押して確実に扉が閉まっていることを確認する。 扉は大きく開けっぱなしであれば音がピーピーと鳴り教えてくれますが、小さく微妙に開いた半ドアの場合にはうんともすんとも音は鳴らない。 反半ドアに対応する為には冷蔵庫の扉の閉めを確認する習慣が必要である。 文章とは大抵の人は読まない。 また、タイプされた文字をそのままプリントしてもこれまた人はさらに読まない。 美術館や博物館のカテゴリーごとの入口に貼られた文章の説明書きほとんどは読まれないもので、ほとんどの人はちらりと文章を見ては通り過ぎて行くと思う。 多くの人はそのような整った文章とは案外読まない。 そもそも、暗い電球の中で人に押されながらゆっくりと細かくぎっしりと書かれた説明を読む事自体がしんどい。 その点、手書きの文字は人に文字を読ませるような魔力がある。 街角のお店の手書きの貼り紙などは結構読まれる確率も高いように思うので、このAI時代には本当に文章を読んで欲しければ血判状みたく手書きの激しい文字で書けば、それなり誰もが気になり読んでくれるかもしれない。 冷蔵庫は20年も経過したようなベテラン選手で最近は扉の開け閉めも緩い。 そして、扉の開けっ放しも散見されるもので注意喚起も含めてこの貼り紙を貼っている。 冷蔵庫の中がイッパイだと中の食品に扉が押し返されて再び扉が開くこともある。 そのような状態を見つけた時にはテトリスのように冷蔵庫の中のモノを配置換えして整理整頓してから再び扉を閉める。 なので、最近の冷蔵庫の中は腹も8分目にすこすゆったり目の収納を心がけていた。 しかし、冷凍室の中は油断であった。 冷凍庫の中はまーまーに100%ぐらいにいつも一杯に詰まっているもので、ネットの情報によると収納率は70~100%ぐらいが良し!と書かれている。 冷凍庫の中は保冷剤も多くて、それらを大量に捨てて冷凍庫の収納力をあげたばっかりなのにすぐに一杯になる。 冬場であれば少々扉が開いていても許容範囲ですが、昨日から酷暑日らしく今日の暑さもMAXで、扉が開いていれば冷蔵庫の中のモノも冷えないし、冷気も逃げて電気代も無駄となる。 ということで、 さっそく、冷凍庫から冷気が漏れていないかと冷蔵庫の表面温度を計測すると写真のようだ。 何だか一番下の冷凍庫まわり温度は低めで少し冷気は多少漏れているのかも? そして、冷凍庫の中を掃除すると冷凍庫の中の温度も0℃以下となり、解凍した冷凍室のいろいろも再びカチカチとなる。 冷凍庫は壊れていなくて一安心。 |
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| ■2026年7月22日(水) |
| ■涼山涼風~。 |
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| ■ 2026年7月23日(木) |
| ■一日一文章トレーニング。 「今日も暑いようなので涼ある文章を心がけた」 朝起きて恐る恐る冷凍室を開けると白い冷気が立ち込めて温度計も-15℃ぐらいまで下がる。 とりあえず、冷蔵庫は壊れていなかったようで良かった、良かった。 私は常々ピンチをチャンスにと考えるようにしている。 しかし、冷凍庫の壊れからのチャンスとは何かと考えても何も良い案は浮かばない。 新しい冷蔵庫を買い替えると思っても・・・面倒だしお金もかかるし暑い中で冷蔵庫の移動やお掃除も大変だ。 冷凍庫の中身が溶ければ全部を食べて一新できると思っても備蓄も無くなれば困る。 ピンチをチャンスと考えても話の種を一つ拾うぐらいの、暑いしご機嫌もななめである。 そして、今日もとても暑い一日のようで、背筋もすこす凍るような納涼話で涼を作りたい。 誰でも一つは愛用の棒を持っているように、私の相棒の棒はヤマハのヒッコリー木材のバチである。 海外のドラマや映画を観ながらスティックをバチバチとエアードラムで叩き、スリルあるシーンやLOVEシーンでも真顔の無音でバチバチとエアーでドラムを叩いている。(恐怖の納涼話1) 映画はじっとミロではありますが、私をバチを奮って落ち着きもない。w 私の相棒のドラムスティックは背中を掻いたり、足のツボを刺激したり「ここだの、あそこだの」と棒で指示してムカつかれる。 そして、正しいドラムの使い方を一度もしたことが無いことも怖い怖い。(恐怖の納涼話2) 我が家にドラムも無いのにドラムスティックがあることが不思議ですが、スイスに行った時に小さな子供がおもちゃの太鼓を楽しそうに叩いているのを見て太鼓が欲しくなり買ったものだ。 ですが、音が出る太鼓を買うと近所迷惑だし、おもちゃとは言え置くような場所にも困る。 なので、スティックのみを御茶ノ水の楽器屋で買ってエアーでバチバチと奮っている。w(恐怖の納涼話3) そこで、私はスティックでモノを叩けばドラムのバチ冥利に尽きるかもと、鉛筆の後ろにくっつける消しゴムをドラムの先端にくっつけた。 消しゴムはピンク色のアメリカ製の消しゴムで、大抵の外国製の消しゴムとは消え味もほどほどである。 なので、清書などでは消し跡が広がりそうな恐怖で絶対に使えない消しゴムである。(恐怖の納涼話4) そして、当然ドラムの正しいバチの叩き方を知らない。(恐怖の納涼話5) 持ち方とは人差し指と インターネットなど調べれば正しい叩き方とは五萬とあるでしょうが、自然とそのような持ち方となったのでこれがオレのロックだ。 そして、リズム感もすこすおかしい。 「トントン(んっ?)トッ~トン(んっ?)トトン」みたいな感じで、ちゃんとした間の間にちゃんとした(んっ?)も入るボンクラ・エアー叩きだ。w(恐怖の納涼話6) そして、 昨日は汗だくとなって帰ってから倉庫から持ってきた鉛筆消しゴムをはめる。 何だかいい感じのキャップになるもので、やっぱりロックとは鉛筆キャップだなーと思う。 鉛筆の消しゴムでキャップされた相棒のスティックを自慢しよう手に持つと鉛筆消しゴムの穴が少し小さかったのかキレイに裂けて割れる。 それでも、固いモノを叩いて叩き具合を試していると鉛筆キャップの片方が消えて行方不明となる。 おれらの消しゴムはどこに行ったのかと探せども見つからないものでピンク色の消しゴムは異次元に転生されたようだ。 (恐怖の納涼話7) 時折、我が家では不思議なことが起きる。 キッチンのテーブルの下では写真のような何かのパーツの欠片がたまに落ちているもので、私は床面に落ちた髪の毛を探すついでに得体の知れない何かの部品も見つける。 我が家ではそれらを異次元転生した落とし物として捨てずに保管している。 それらは何から壊れて落ちたかと思うても皆目わからない壊れ物だ。 そして、このような転生落とし物はほぼゴミ。 白いプラスチックはスライドする何かのパーツである。 しかし、白い電化製品を探しても壊れた部分は見つからないもので、以前壊れて捨てた何かの電化製品の部品の予感。 黒いゴムみたいなものはMICな文字が見えるので恐らくマイクやヘッドフォンのカバーのようなものかな。 しかし、これもまた何の音響機器から欠落したものなのかわからない。 そして、真鍮製の何かは立派なパーツで大切な部分が落ちた予感。 あー不思議で不思議な納涼話なのですが、異次元から転生した落とし物はオレの落とし物だと主張されてももう遅い。 これは写真を撮ってポイッとゴミ箱に捨てた。 そして、真鍮部品だけは何だか重たくて格好良いので記念に取っておいた。www |
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| ■2026年7月23日(木) |
| ■窓から伝わる熱気がスゴイ。 |
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| ■2026年7月24日(金) |
| ■一日一文章トレーニング。 「イメージとしての涼を求めて~」 昨日の異世界からの転生Xはメタルポリッシュを使いよく磨く。 メタルポリッシュはクロム・アルミニウム・マグネシウム・真鍮・金・銅・銀・ステンレス鋼・フィバーグラス等が安全に磨ける研磨剤で以前購入した米国製の未開封のものを使用する。 開けると油分と磨き粉が分離しており「はてっ?どうなっているのか」と説明文を読むと使用する前によく振り撹拌させてから使うようだ。 さっそく、私は二の腕をガンガンと振るい容器の中を掻き混ぜて、どろっと分離した液体もキレイなブルー色の磨きクリームとなる。 そして、そのクリームで緑青や黒ずんだ真鍮の表面をひたすらに磨く。 細かい部分は綿棒なども使い擦って、手を真っ黒にしながら金属は暗闇の中で黄金銅色に輝く。 「あー綺麗だー」 昨日の画像と比べてもそれなりにピカピカと輝くものの、傷の中やデコボコの窪んだ部分の黒ずみはポリッシャでも磨ききれないようでコンパウンドなどを使えば完全にピカピカと磨けるかも。 何の部品なのかよくわかりませんがその輝きに惚れ惚れで、私の直感だと銅線パイプのキャップの予感だ。 そして、これを銅線と呼ぶべきなのか真鍮と呼ぶべきなのかと迷い調べると銅と黄銅は異なり、黄銅と真鍮とは全く同じ素材のようだ。 黄銅と真鍮は銅に20%以上の亜鉛を混ぜ合わせた合金で、亜鉛の割合が増えると金属は硬くなり、鉛を添加すると切削加工性も向上するようだ。 黄銅の良いところは黄金色の見た目が良いもので、銅よりも電気伝導率は劣りますがそれなりに良好で加工性も高い。 しかし、空気中での耐食性はありますが海水や酸には弱い。 銅は価格の安さが魅力でしたが、昨今価格が高騰しており代替材料への切り替えも進む。 さてさて、 このキレイに輝きだした真鍮はどのようにすれば良いものかなと悩むもので、とりあえず机に置いて飾る しかし、飾っても何だかよくわからない飾り物で、ただし、この暑い中で無心にモノも磨けば心も幾分磨かれて心も落ち着くもので、暑さも一瞬忘れて金属的な輝きに「涼」も感じる。 金属に「涼」とは少し変わった感覚ではありますが、私たちのご先祖様たちはこのようなエアコンの無い夏の暑さを忘れる為に様々な「納涼」を作り出してきた。 私の考えではそのような「涼」には2種類ある。 一つは物理的に涼しくなるもので、もう一つは味わいや見た目としてのイメージとしての「涼」である。 (1) 暑さを避けて「物理的に涼しくなるモノ」とは、うちわや扇子、浴衣、下駄、打ち水、裏庭に小川を取り込み、簾などの自然素材を活用して風通しの良い家を作る物理的な涼しさ。 (2) 暑さを避けて味わいや見た目の「イメージとして涼しくなるもの」とは、ざるそばやそうめんに葛切り、あんみつ寒天、冷奴、風鈴、川に見立てた枯山水の庭、花火やホタル、怪談、お月様を愛でて涼む夜の活動などはイメージとしての涼しさである。 現代人の物理的な「涼」はとてつもなく充実している。 そして、私たちが失ったものと言えば風鈴を聞いて涼しく感じたり、涼しげな庭を作るような余裕もスペースも無いもので、これらは失ってしまったイメージとしての「涼」である。 ということで、 私も昨日からあれこれ涼しげなイメージを考えている。 そして、写真のあんみつは時折食べたくなる根津様近くの甘味処で買って帰ったもので、見た目も涼しくて味も甘くてとっても美味しい。 そして、紙のパッケージもとてもかわいらしく、ひとときの涼を得る。 「あー美味しくて涼しげだーなー」 |
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| ■2026年7月24日(金) |
| ■雷ピカピカゴロゴロ。 |
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| ■2026年7月27日(月) |
| ■一日一文章トレーニング。 「新しいキャラを描いたよ☆」 ウルトラマン怪獣のようなカニの目から始まって妹子カットとなり動物の耳も付き、1枚目2枚目3枚目とだんだん可愛くなる、可愛くなる。 この週末またかわいい名画を描いてしまい「またつまらないものを描いてしまった・・・」。 私は本家ルパン三世の石川五右衛門がアニメの世界で何回ぐらいつまらないものを斬ったのか?と調べて、公式な記録は無いようだ。 このような落書きの書類が街中に落ちていたならば人はどう思うであろうか?と私なら「んっ?」となり、通りすぎてから気になり戻って書類に斬る。 いやいや、手に掴んで「これはなんじゃ~ガクガク」と震える。 これは何だ?と言われても上手く答えることは出来ませんが、これは生まれたてのロヴィロである。 目が「□V□」で「ロブロまたはロヴィロ」と私が勝手に名付ける。 最初は丸形と角形とアシンメトリーでしたがメガネのカタチが異なると奇抜な有名人みたいで、私の良心(両親)は「メガネを左右同じにしろ」と言っている。 途中から角形のお目々となり1ロヴィロを描く度に微妙に異なる新しいロヴィロたちが生まれる。 このようなものは無数にたくさん描くことで初めてカタチも成すものだ。 そして、1000ロヴィロも描いたならば仏教の教えでは何かの悟りを開くかもで、ロヴィロにも命は吹き込まれるやも知れない。 因みに、1ページ目では7ロヴィロ描き、2ページ目では13ロヴィロと1鼠を描いて、3ページ目で17ロヴィロを描く。 合計37ロヴィロで描き、煩悩を捨て無の境地であと963ロヴィロを描けば根津様や三十三間堂の千手観音様に奉納しても受け取り拒否は無いかもである。 この週末、東京ドーム周辺を彷徨いていたならば有名人のコンサートもあるようで人もわんさかと多い。 こんなにもたくさんの人を呼べる集客力とは凄いよねーと東京ドームや武道館の前を通る度にそのように思う。 私は一人あたり何千円で何人いれば・・・と取らぬ狸の皮算用をするもので、そして、私がこの箱に人を呼ぼうとすれば一人1万円ずつのお車代を用意して支払い完全に破産するねー☆と話も盛り上がる。 私はこの37ロヴィロの絵落書き曼荼羅画を見て、これは3Dメガネをかけたロヴィロたちの映画鑑賞の絵のようにも思う。 自分で描いた落書きを自分なりの解釈で語る無礼をお許しですが、映画館の上段にはガラの悪い荒々しいロヴィロたちが陣取り、真ん中には皆大人しいロヴィロたちが静かに映画を観て、下段の子供たちの巣窟のような騒がしさとなる。 ロヴィロとは目が□V□であれば何でもロヴィロになりそうな予感だ。 ロヴィロの誕生期・かわいい期・小中高期・成長期・自我が生まれる時期・停滞期・社会人期・倍返しな時期・・・老年期といろんなロヴィロを書けそうだ。 次はかわいい時期だ。たぶん。 |
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| ■2026年7月27日(月) |
| ■生まれたばかりのしわくちゃ。 |
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| ■2026年7月28日(火) |
| ■一日一文章トレーニング。 「昨日も今日も比較的に涼しい夏で、今朝は窓も全開にして空気を入れ替えて納得している」 窓を開けるとちゅんちゅんと鳥たちも涼しげな鳴き声で嬉しそうだ。 クーラーの締め切った部屋では鳥の声は聞こえないもので、久しぶりに聞こえる外の音。 街はすっかりと夏休み感も強く、てくてくと坂道を上りながら体も暑さに慣れて過ごしやすい。 暑い夏の最中にこのような一息入れる間があって至福だ。 最近、我が家では水出しの緑茶が流行っている。 不織布のお茶パックに緑茶を入れて水出しのボトルの中に放り込み4杯ぐらいの氷を投入してから水を注ぎお茶を抽出している。 東京の水は美味しいですが、一度煮沸したお湯をサーキュレーターの風で冷ましてからの水を使った方が美味しいというか、飲みやすい・・・気もする。 味覚とは不確かなものだ。 しかし、今日の水出し緑茶は水道水をじゃーじゃーと流し込んで作ったもので、それと比べても何となくそのように思う。 一手間の有る無しが微妙な飲み物のお味に影響するようだ。 また、個人的には水出しのお茶には玄米入りの緑茶など使うと、香ばしさや香りも立って風味爽やかな緑茶となる。 飲む前に底に溜まった緑茶色を撹拌して全体に薄い緑を馴染ませれば飲み頃である。 後は冷蔵庫で冷やすだけの簡単なお茶で、“あんみつ”等の涼しげな甘味を食べる時にお茶もまた涼しげである。 このような色の薄い緑茶とは中が白い夏用の湯呑で飲みたいものですが、我が家では無いので往年のガラスコップで飲む。 そして、甘いものと一緒に喉も潤せば清涼感も強く、これまた至福の時だ。 この水出し緑茶の納涼感はどこから来るのかと調べれば、緑茶は熱いお湯で煮出すとカフェインやタンニンも出てお茶の苦味や渋さも一緒に出てくる。 その点、水出しの緑茶だと冷水でそれら苦みや渋み成分が押さえられて飲みやすくなるようだ。 水出しの緑茶を作るメリットは覚醒するカフェインや渋みのタンニンの成分を抑えてテアニンやビタミンCというリラックス効果の強い成分を多く取り出したお茶となる。 ということで、 この2日間ぐらいは納涼気分も深まる。 「納涼」とは暑さを避けて涼しさを味わうことで、「納」とは納品・納入・奉納・収納と涼しさを入れる容器のようなもの。 これは方向で指し示すと箱の中への方向を示すもので、別の面白い見方をすると別の「納」の字もある。 それは「のう」と読まない「納」のことで、納屋(なや)・納戸(なんど)・納得(なっとく)・出納(すいとう・入出金)とこれらは単なる入れる(送りだす)だけのスペースでは無くて「出し入れ」する双方向な場所を指し示す。 ・「納」を「のう」と呼ぶものは一方的な一方向な向きしか無く、一度入れたならば手出しはしない納め(入れる)だけの1方向の「納」。 ・「納」を「な・なん・なっ・とう」と読む時には双方向のような方向性が現れて一時保存するような意味を持つ。 ただし、私の調べでは納豆(なっとう)だけはぐるぐると「かき混ぜ」ネバネバするようなもので、昔の人たちはよくよく熟考しながら禅問答のように言葉を紡ぎ出したようにも思う。 この仕組みから見ると、納涼は一方的に一方向だけに涼しさを届けるもので双方向な涼しさの意味は持たない。 双方向に取り出したり仕舞ったりする呆則であれば、「納」は「納(な・なん・なっ・とう)」と呼ばなければならないもので納涼とは呼ばない。 私は冬の寒い時期に冷たい空気をどこかに保存して、暑い夏にそのような冬の冷気を取り出して涼しく過ごしたいと常々思う。 そのような冬の冷気の保存とは「納冷気」のようなもので、「納(な・なん・なっ・とう)」と読むような「なになにの冷気」である。 毎年夏になると冬の冷たい空気を保存して熱交換したい。 |
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| ■2026年7月28日(火) |
| ■納豆もある意味、藁に入れて納豆が出来る「納」ですね。 |
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| ■2026年7月29日(水) |
| ■一日一文章トレーニング。 「地震や災害のことについて書くといつも気は重い」 どこにでもあるような商業施設でこのような大爆発が起こりビックリだ。 「油断大敵」という言葉もあるように、この言葉は油を断ち、引火しやすいものの扱いを油断せぬように説くもので、油断とは何よりの大敵だと言っている。 これは恐らく火の元注意の諺の一つで小さな裾が燃えて風に舞い大火となりて街を焼いたように引火を起こす原因を極力取り除くような標語のようなものかな。 普通に買い物をしていれば今から地震が来るなんて誰も考えない。 そして、地震の数十分後に何かよくわからない大爆発で施設が吹っ飛ぶ危険性なんてものも想像すら出来ない。 しかし、大爆発は現実に起こり、爆発を誘発する原因は何なのか?地震後に空気中に舞った粉塵が影響したのか?わかりませんが映像をみて私は衝撃を受けている。 私たちの社会にはいつの時代にも常々ブラックボックスはある。 中身がよくわからないものとは昔であれば中心部にだけに起こる秘密事で、宮中で何かの秘め事があったとしても一般人にとっては存在すら知るよしも無いが、その近辺で守衛する武士はそれを直接見て飽き飽きとして反旗を翻す。 しかし、最近では一般人の生活の細部にもブラックボックスは広がるもので、それはITのブラックボックスから原産国不詳の国内製造な食べ物まで、ありとあらゆるモノや事柄に中身はよくわからないものは溢れて、私も飽き飽きとしている。 ※国内製造とはまるで国産品のような表記ですが国内で製造しているだけで原産国は明らかにしない。 私はアンチ国内製造でもあり買い物する時はいつも裏面の怪しい表示を気にしている。 そのような意味に於いてはそのような国のシステムは全く信用していないし、時折、油断して購入してしまった時には「あー間違って買うてしもうたー」とガックリと次からは絶対に買わないように学習している。 確認する事柄とは見た目の鮮度や値段に国内製造と多岐にわたる見極めで、私にとってはババ抜きのようなものだ。 私はこのような見えないブラックボックス化にどのような原因があるのかと常々思う。 なぜ?中身が見えないブラックボックス化するかと考えれば、そのメリットとは何かを独占して、富を収奪する為の装置である。 普通に考えれば、この円安で輸入物価も高くなれば国内の生産を増やして人も育て産業を作り出して輸出しようと思うのが筋ですが、現実はそうはならない。 中身をごちゃまぜに秘匿して、人を育てる手間をかけるぐらいならば外から持ってこようと考えるものが主流で、人もモノも外から運ぶ。 私はこれを収奪的な経済や国のカタチだと思っている。 このような収奪的なものは一部にお金が集中して広く社会に広まらない腐敗した資源国に多いカタチだ。 私たちの誰もが奴隷商人を心から軽蔑して否定すると思いますが、人が足りないとなれば高いスーツを着込んだ人々はお金で人材を売買する。 これはとても不思議なことですが日本は資源国でも無いのにいつからか人や技術、モノは育てることを放棄して収奪的な資源国のような振る舞いをするようになったかである。 (勿論、全部ではありませんが一般論として) これは恐らくバブル経済後の世代を切り捨てた時から社会全体で人やモノを育て育む事柄を放棄したもので、それ以前にもそのような下地は脈々とあるように思う。 失敗した人が全く責任を取らなくて、全く関係のない新社会人や立場の弱い人にしわ寄せが来るような不思議なシステムだ。 緊急性の高い一時的な特例は悪しき前例として定着することもあるやにしれない。 今輝く多くのものは中心で生まれたと言うよりも社会の辺境で生まれたものも多く、大抵は国が絡むと利権や補助金漬け何やらと逆効果となることも多い。 なので、何かを育てるということはとても難しいことのようにも思う。 資源国であれば自然の中からの恵みを掘り出せば生み出される資源ですが、資源のない国では人や技術、ものを育ててはじめて生み出される資源で、その道筋とは不確かでとても長い。 |
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| ■2026年7月29日(水) |
| ■ステーキ。 |
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| ■2026年7月30日(木) |
| ■一日一文章トレーニング。 「名前はやぶらん」 そもそも雑草を育てること自体が変なお話ですが、実家で大繁殖して持ち帰った食べられないニラは今年初めて花を咲かして名前も判明する。 「やぶらん」は夏から秋にかけて薄紫色の花穂(かすい)と呼ばれる小さな花を咲かせる常緑の多年草で地面一面に咲くととても美しい。 3本の雑草を植えて2本は根付き、その内の小さな1本の株からかわいい花を咲かす。 しかし、なぜか?大きく育った葉っぱの株からは花を咲かせないもので、自然界の植物の戦略とは摩訶不思議なもの也。 「やぶらん」は以前はユリ科と分類されていたようですが、今はキジカクシ科と分類されている。 そのような分類の違いとは不思議なもので調べるとDNA解析の技術も進歩して今までの見た目の分類よりも精細な遺伝子的な分類となるようだ。 キジカクシ科はアスパラガスやスズランなどの仲間で地下茎があり環境変化に強い植物のようだ。 その意味は何かと考えると、ここ数年の酷暑で今まであまり見たこともない記憶に残らないような「やぶらん」が大繁殖したということで環境変化に強い植物が繁殖した結果とも言える。 このような環境変化に強い自生植物の大繁殖とはあらゆる場所で見られるのかもしれません。 根生葉(こんせいよう)と呼ばれる茎近くの根元から葉っぱを密集させて伸ばしてその見た目とはニラだ。 まーこれが生えていても食べようとは思いませんが、山で遭難して何も食べ物が無ければ何とかアク抜きでもして何とか食したい。 そもそも、自然に生えるキャベツやレタスなんて頭の中にイメージは湧かない。 草食動物であればその辺に生える雑草や葉、木の皮を齧っても何でも食べるような気もしますが、自然界に生きる私たちの食べれる食べ物は自然界に少ない予感。 人間は人間の食べられる植物や動物を育て、人間に食べられてしまう植物や動物はそれによって種の繁栄を得るということで、どこかで読んだような共存共栄の話でもある。 そして、私は食べることも出来ない偽のニラな雑草を育てるもので実利無き育てることの意味について考える。 それは=愛かな? そう言えば、柑橘系の植物の種から生えた低木には去年も今年も蝶々が卵を生んで新芽や葉っぱを盛大に食べられる。 春の新芽はほぼ全滅ですが、最近また新しく新芽が生えて良かった、良かった。 何だか毎年この柑橘系の葉っぱには蝶々の幼虫が付くものでアゲハチョウに人気の植物のようだ。 蝶にも好きな葉っぱと嫌いな葉っぱがあるのようで、葉っぱの味ももしかしてオレンジな風味かもと思う。 イモムシはどこにいるのかと葉っぱを凝視して幼虫を探し、葉っぱの上に乗る小さな茶色っぽいものたちをピンセットで摘んでイモムシ除去する。 そして、幹には緑色の丸まった葉っぱみたいなものが垂れているので、それを直接指で掴んで捨てようとすると5~6センチはあるかと思う緑色のイモムシで恐怖する。 おまえはこんなに大きくなるまで我が育てている葉っぱを食ったんかーと思う大きさでイモムシの柔らかい皮膚の感触が私の指先に残る。 あまりにもふんわりと柔らかい皮膚で指の力で潰れてしまい緑色の体液が飛び出してしまい、私は白目をむく。 イモムシの響きとはあの夏の何だか歌のタイトルのようで、私は掴んだイモムシをポイッとゴミ袋に投げ捨てて手をゴシゴシとよく洗う。 ただ、あの緑色は柑橘系植物の色だと知っている分だけ幾分心は穏やか。 ただし、指の感触の記憶は怖いもので、以前に落ち葉と間違い掴んでしまったナメクジの硬さよりももっと柔らかくてふわふわとした感触でもある。 そして、ロックな私の右足親指の記憶にはブーンと飛んできて足先に止まりしっかりと親指を掴まれているゴキブリの感触も残る。 これはもはやPTSDだ、あー怖いですね、怖いですね、虫を掴む感触の記憶とは案外忘れない。 |
![]() ![]() *デスクトップ画面用の画像です。 |
| ■2026年7月30日(木) |
| ■ピカピカゴロゴロザアザアと嵐。 あつい。 |
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| ■2026年7月31日(金) |
| ■一日一文章トレーニング。 「パイポパイポシューリーガンのべーリンガム・・・」 と、ワールドカップの時にイングランド代表のベリンガム選手という名前を見たり聞いたりする度に、私の頭の中に落語の寿限無も発動する。 これはパブロフの犬のようなものなのか?べーリンガムという言葉の響きにどうやら寿限無が結びつくようだ。 何せW杯の試合観戦の為に購入したビールはまだ無傷のままに冷蔵庫の中でまだまだ冷え残る我が家でもある。 深夜や早朝からお酒を飲んで応援とはいかない国際大会なのだ。 そういえば、 「欧州サッカー連盟と加盟と55協会はFIFA大会所有権の一部を民間投資家に譲渡しようとする提案を全会一致で拒否する」とのニュースを見る。 このニュースの何のことやらと文章を読んでも意味がわからないもので、私は逆にそのような意味がわからないものが気になり調べる。 先ずは、この計画を主導する民間投資家とは誰かと調べると米国投資グループのThrive Capital(スライブ・キャピタル)が2026年4月に設立したThrive Eternaltという会社が主導するお話だ。 この会社はジョシュア・クシュナー氏が創業者の会社でAIやテクノロージで代替出来ないスポーツや文化資産に特化して投資する持株会社のようだ。 グローバル戦略やブランド化で後押しして商圏を世界に広げ、AI等の技術進化によって模倣されない分野を売却期限の持たない長期保有の投資スタイルである。 このような長期保有の投資とはまるで現代に新しく生まれるお金を生み続ける世界の中央銀行に対する投資のようなカタチでもある。 果たして、今ある景色と数年後の景色とはどのように様変わりするものなのかなで、これはAI化時代を見据えた一つの投資形態である。 FIFAの計画ではワールドカップの商業権を管理するFIFAの子会社を設立して、その株式の20%をスライブが取得する予定となる。 また、1兆ドル以上を運用する大手ファンドや中東系政府ファンド、中国資本なども感心を寄せているようだ。 確かにワールドカップというスポーツイベントの利権と考えれば大きいもので、FIFAでは地理的な偏りがないように投資グループを構築中だそうな。 欧州サッカー連盟や北中米カリブ海サッカー連盟はスポーツの投資商品や商品化を嫌い、誰が経済的な恩恵を受けるのか不明瞭であると反発している。 そして、今回欧州サッカー連盟はFIFA関連の全ての試合をボイコットすることを全会一致で可決するもので、現状は強豪国が多いヨーロッパは欠落したこととなる。 この200億ドル規模の新会社設立スキームを主導する財務アドバイザーのJPモルガンはFIFAが8月から正式に投資者を集う前段階から問い合わせが殺到しているようで「需要は計測不能なぐらいに破格でチャートは突き抜けている」と語る。 そして、FIFAのインファンティーノ会長は全211の加盟団体に対し9月19日までに賛成か反対を表明するようにと最後通牒を行い、賛成すれば数千万ドルのボーナスを支給して、反対すれば資金の75%カットすると脅して決断を迫っているようだ。 これは1カ国1票で資金難の小国を仲間につけて次のFIFA会長戦に向けた布石のような話でもあるようで、さてさて、9月19日如何なるものなのかと俄サッカーファンの我も少しザワザワとする。www 何だかわからないけれどもスゴイね。 ※翌日、この件は中止となる。 |
![]() ![]() *デスクトップ画面用の画像です。 |
| ■2026年7月31日(金) |
| ■ぼくの太陽はすこす暑すぎる。 |
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