*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月1日(日)
■一日一文章トレーニング。

「早朝から騒いでいるカラスのお話(2)」

「刺客が来たのか」と私は戦国時代の侍なのかと思うぐらいに、熟睡中でもちょっとした物音や動きを察知して目覚めるタイプの寝方をします。
とても神経質のようにも感じられますが、それは全くの正反対で何だかんだと十分に深い眠りでもあります。
実家にいる時は潜水艦のような日の光の入らない部屋でもあったので、朝になってもなかなか目覚めることはできませんでしたが、学生になり一人暮らしするようになってからは、そのような寝方に自然と切り替わりました。
どんなに騒がしくとも、また、寝れるような環境でなくとも1分程で熟睡することもできる位に雑な睡眠でもある。
すぐに寝て、何かの気配を感じて目覚め、再び寝て、とりあえず、忙しい睡眠を行っている。
こういうのは犬の睡眠に近いと思う。
愛犬の寝顔を見ようと「ソロリ」と近づいても、「ふっ」と片目を開けて気付き再び眠る犬さんみたいな感じでもある。

なので、今朝もカラスがまだ暗闇な超早朝時から鳴いていることにも当然気付く。
瞼を開くこともなく、カラスが屋根の上をトントンと歩くような足音を聞き取る位に近くに感じながら、耳だけで完全にカラスの動きを補足している。
声のボリュームは前回よりも大分抑えられ、鳴く回数も大幅に少ない。
前回と比べれば明らかに静かに騒ぐカラスでもあり、そして、今回も一羽だけのランデブーである。
多方面から苦情が来たとも考えられない。
前回よりも声も小さくて元気がなかったことはカラスの悲哀なのかもしれない。
それは「今日もカラス仲間は集まらないな〜」とのカラスの嘆きのようでもある。
カラスの恋人かもしれない。
「カラスはなぜ鳴くの?カラスの勝手でしょう」という歌もありますが、いやいや、多分、カラスが鳴くのはカラスの勝手ではありません。
わざわざ、遠くからわいの睡眠の邪魔をしに来ていることとも考えられないので、おそらく、カラスはとてもよく喋るし、それは他のカラスに対して何かしらのメッセージのやり取りをしていることは間違いないことであると思われます。
銀河系の先に住む宇宙人の声に耳をすます前に、人類は先ずはカラスや小鳥の声に耳を傾ける必要があるのかもしれません。
睡魔に誘われて、夢か真実か、いやいやちゃんと鳴き声を聞き、そのまま寝落ちして目覚めると、カラスは跡形も無く飛び去っております。
鳥とは訳のわからない鳴き声で存在感を表したと思えば、「飛ぶ鳥跡を濁さず」で一切の存在感を消し去って消え去ります。
何かしらのテリトリーはあるのだろうけれども、空間上にどのような境界を導き出しているのかも気になります。

早朝からカラスがカラスと待ち合わせするとすれば、カラスの集合のようなものも考えられます。
カラス語でそのような複雑な情報伝達は可能なのでしょうか?

アァー=おいお前
カアァ=明日
カ=夜明け前
カカァー=おれのお気に入りの場所に
アー=集合だ
パァー=了解(リョ)
は可能か無理なのか?

先日も一羽集合して待っていたけれども、今朝も一羽のカラスも集合しなかった。
心寂しげに弱気な「カァー」な鳴き声は、前回のとち狂う「カアカア・カアカア」の大騒ぎと比べても雲泥の差である。
寝静まる住民にとってはこれ程の幸せはありませんが、そんなカラスの姿は、なんだか、わい自身を見ているようで若干、心痛む。
他カラスに呼びかけるカラスとは「集団」指向ではありますが、朝早すぎて集まらなければ集団よりも「個」を優先する方が手っ取り早いものでもあります。
後輩カラスに助言するとすれば、世の中、誰ぞや、何ぞやに期待するだけ無駄なことも多いので、先ずは自分の出来る範囲の自分自身だけの楽しみを得ることが、それ自体が人生の勝ちであるとの考え方もできます。

クーラーなしでこの夏の猛暑を乗り越えた野生の生物とはそれだけでも立派な生物でもあります。
このような朝晩涼しい気候となれば、それなりにカラスとて心地良く「おれは厳しい夏を乗り越えたのだ〜」と一人ランデブーで夜明けの空を愉しむのもオツなもの。
羽があり、空が飛べるとなれば、深海生物のように地面に這いつくばって生きる私たちとは異なって、とても美しい夜明けを見れるのだと思う。
残念ながら、本日は一面の曇り空でありますが、私も小さい頃に平屋の屋根に登り、空を眺めることはありました。
「馬鹿と煙は高いところを登る」との諺通りに、子供とは危険な場所が好きで屋根から見る景色とは特別なものがあります。

今、あのカラスが鳴きました。
声だけですが、別のもう一羽も鳴いたので相方のカラスも確認できます。
ですが、ほとんど例のカラス一羽だけで鳴いています。
あのカラスがしつこく「カァ」・・・「カァ」と鳴いていると、もう一羽の別のカラスが「カァーカァーカァー」(たぶん:うるさい。しつこい。もううるさい)と大声でシャウトしていました。
街の皆の声を代弁したのかもしれません。
それからのカラスとは静かなものです。
一般的に黒くて憎まれがちな空の覇者カラスではありますが、カラス生き様をあれこれ夢想していると、そのようなカラスでも大切な生き物で大切に守りたい生命だと思います。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月1日(日)
■カラスから空飛ぶ女の子。

■2023年10月2日(月)
■一日一文章トレーニング。

「AREは侘び寂びなのか?が凄い根を生やしたので土に還した」

あれは“侘び寂び”なのか?と安土桃山時代の千利休に聞きに行こうと思っていた切り花から根が出た。
根が出たと言っても、数本出たレベルではなくて、たいそう立派な根がもじゃもじゃと大量に生え出てきた。
それらは海から大漁旗を掲げた船が戻ってくるような感じの大迫力である。
根が出たのは2本ある内の1本だけで、もう1本からは根が出てくる様子はまだない。(写真無し)
根の生えない方も、根が生えていないから枯れたという訳でもなく水差しの状態でも何だか元気。
7月1日から我が家にいる切り花で物凄い長寿な切り花(実?)である。
“侘び寂び”の話でいくと、この根の生えなかった切り花こそが“侘び寂び”状態に思えるのですが、1本だけになるととっても寂しい枯れたような切り花でもあります。
時空を超えて小判を握りしめ、利休に会って「この植物は侘び寂びなのでしょうか」と聞いたら、「何だこれは?」とポイッと捨てられることが目に見えてきます。
そんな時には、伝説の利休にプロレスラー風なキレイな飛び蹴りかまし、小判も取り返し、捨てられた切り花もちゃんと拾って、現代に戻ってくるしかありません。
歴史書に「利休は異国の服を来た人に飛び蹴りされる」と一文増えていたら(草)である。

しかし、根が生えた方はたいそう立派に成長しています。
根は少し前から出てきたのですが、猛暑を避けて、土を用意し植え替えるタイミングを図っていると、突然、爆発的に根を成長させてきました。
根がたくさん生えると、雑草のような新芽も急激に生えて成長し、これは急いで土に植え替えないといけないと思い、昨日やっと土に植え替える作業を行いました。
土を入れ替えたりする作業はなかなかにハードルの高い作業でもあります。
ネットで調べると、このような水の中で根を生やすことを“水耕栽培”と言うらしい。
私にとっては枯れたけれども、まだ完全に死んでいない植物の美しさを“侘び寂びなのか?”と鑑賞していたら、予想外の根や新芽を生やして生命を復活してきただけのことでもある。

ベランダの端に積まれた空の鉢を取り出して、土が流れないようにする網を切って穴の上に置く。
底の方に目の荒いビニールに入った再生土を投入し、上層部はホームセンターで買ってきた培養土を入れる。
再生土は枯れた植物の土を取り出して、ビニールに入れてこの暑かった夏の炎天下の元に置き紫外線と高温で殺菌した土であるので、個人的にはグッド土だと思っている。
この夏はものすごく暑かったし、高温にもなって十分に殺菌されていると思われます。
後から知ったのですが、水耕栽培風の植物を土に返す時には普通の土が良くて、水の中にいた根が栄養豊富な土だと驚いてダメらしい。
そんなことは知らなかったので、栄養満点風の培養土に入れてしまった。
「枯れてしまったらどうしよう」
無知の親心って怖いもの、水の中にあった根はまだ水モードのままの根なので、突然の環境変化や豊富な栄養にもビックリするらしい。
確かに、水の中から土の中への変化とは大きな変化でもあります。
おまけに、栄養満点の培養土でもあるので、根っこを驚かせないようにタプタプと水をかけ、ドロドロの半水状態を保ち何とか根付かせたい。
たっぷりと水をかければ、たぶん余計な栄養分も流れ出て一石二鳥である。
とりあえず、1週間ぐらいはたっぷりの水に浸かり、ほぼ、水状態な感じにすることが必要みたい。

根が生えて、新芽が生える植物とは、もはや“侘び寂び”状態を通り越して、生命の再生プログラムを起動させた状態となります。
これは皆が好きな「荒城の月」な野原に「諸行無常」に生命が循環するような様子であります。
「諸行無常」とは万物は常に移り変わり、常住不変のものは全くないことの意味。
これを言い換えると 、この切り花の状態は“侘び寂び”の向こう側の「諸行無常」な景色なのかもしれません。
“侘び寂び”とは「新しいモノ(NEW)」と「再循環+再生(諸行無常)」の間、「朽ちていく瞬間」を切り取り表現した様式なのかもと思ったりもするのですが、どうなのでしょうか。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月2日(月)
■ついでに猫もドローンで飛ばしておきましょう。

■2023年10月3日(火)
■一日一文章トレーニング。

「視点の違いによって未来も過去もひっくり返ってしまうということを説明をする為の与太話」

昨晩は肌寒くて長ズボン+長袖で寝た。
「室温26.0℃ 湿度43%」
昨晩、「ふっ」と目覚めた時に夏用の布団では寒く思う。
そして、その朝起きた時の温度は
「室温24.8℃ 湿度45%」
室温25℃を切ると冬用布団が欲しくなることが私の境界線でもあるようだ。
室温26℃で長袖を着て、もう−1℃下回ってくると冬布団が欲しくなります。
−1℃の温度差は大きな気温差であります。

自分自身の境界を知るということは、明確な意志と能力、知りたいとう望みが必要です。
これを貨幣経済に例えると需要みたいなもの。
私にとって境界線を知ることは需要なことではありますが、多くの人々にとって境界に需要はありません。
ですが、そのような境界線を知らなくとも、秋も深まり、寒くもなれば体感的に必ず冬用の布団の「needやwant」は自然と生まれるものであります。
恐らく、境界線に敏感になることは誰よりも未来をいち早く察知することのように思われます。

ニーズはより広義な必要不可欠なもので、ウォントはより具体的な要求である。
私は冬布団を持っているので新たに消費することはない。
いわゆる、限界効用に達しているので新たな消費をすることはないのですが、室温25℃を切って今晩でも冬用の布団を押し入れから出すべきかと考えている状態でもあります。
新しき消費というものはなかなかにシビアで崇高なもの。
また、人とはそんなに行動的ではないことを考えると、布団が寒いのように絶対に必要だと思わせる仕掛けが必要不可欠でもあります。

日本の低迷も1)人口減、2)所得減、3)限界効用・・・と次々に積み上がる“ダルマ落とし”のようなモノであります。住宅が狭いとなれば、新しく消費するキャパもすぐに満たされます。値段を下げることで需要を喚起することがデフレーションの続いた原因の一つでもありますが、それを可能としたのがグローバリゼーションや他国との為替差を利用した労働力を安く利用することで商品の価格を下げる錬金術でもある。しかし、今や世界はインフレーションとなり、日本の場合は円安でもあります。他国から輸入すると以前より値段は高くなり、輸出する場合には日本人の労働力は他国よりも安くなる。そして、今までグローバリゼーションの恩恵者(勝者)でもあった元の共産圏?の国々が次々と墓穴を掘り脱落し、日本の場合は微妙な30年となります。はて、未来はどのようになるのかはわかりませんが、限界効用を満たされれば、「新しい」フェーズに入ることになります。考えられる方法は所得を増やす・コマーシャルを打つ・ファショントレンドみたいなのを作る・季節の変化を待つ・イベントで需要喚起する等が考えられます。あと、新商品・新しいものを投入することで、新しい需要を喚起することもできます。この「新製品を出せば新しい需要を作り出せる」という考え方は欧米企業にはあまり見られない日本特有の概念でもあります。ア〜イフォ〜ンも限界効用のジレンマにハマっているような気がします。新商品を数珠繋ぎに投入していくことは一つのビジネスモデルではありますが、新しさの追求は消耗戦でもあり在庫リスクも高い。なので、日本の製造業は。必要とされるものを必要な分だけ作る感じのパーツ供給の需要に答えるという業態に変化してきたように思われます。欧州系企業は同じ商品を長く価格変動しながら売る傾向があります。国によっては戦争によって需要を喚起するように考える国もありますが、需要を見極め喚起することはとっても難しいことのように思います。

そこで、私は「侘び寂び」に興味を持ちました。
「侘び寂び」とは、まだ完全に把握している訳ではないのですが、「新しい」ことのパラドックスな位置にあるようにも思えます。
ここからはややこしくて難しく意味のわからないお話なのですが、個人的にはとっても面白いことのようにも思えます。

今、私たちの住む世界ではSDGs が盛んに啓蒙されております。これは限りある資源を循環させて持続的な社会を構築しましょうという一つの運動です。それが浸透するかどうかは別問題ではありますが、日本人的な感覚するとこの循環する世界観とは古くから存在する概念でもあります。輪廻転生や諸行無常も「ぐるり」と回り循環し戻って来るもの。ついでに、お鉢が回ってくることもあれば、お金が「天下のまわりもの」と呼ばれることや、自分がした悪行も回り回って帰ってきて、良いことも最終的に自分に帰ってくることもあるようです。要するに、私たちが回り回りながら循環し生きることはとても親近感のある感覚でもあります。

昨日、「NEW新商品」が「諸行無常」の円を循環する輪の中にあると考えた時に、「侘び寂び」はその中間にあると書きました(A図)。
これはよくよく考えてみると少し変なこと。
「NEW新商品」が「今」であると考えた時に、私の中の「侘び寂び」とは古くて趣きのある過去のものなのに経年劣化した「未来」に存在していることは少し面白いです。
この図の起点はモノが完成した「今」が始まりです。
NEW商品の過去を遡るとすれば、製造した人の頭の中にあるアイデアが過去となります。
それはモノとしての実体のないないイメージです。

そこで、もう一つ、異なる使う人を起点にした「諸行無常」で循環する(B図)を書いてみた。
「今」という起点は出来たてホヤホヤの商品である。
現代人にとって「新鮮さ」とは命であります。
スーパーで買い物する時にできるだけ、消費期限の長く新鮮な商品を買うことは普通に行われる行動であり、新商品による需要喚起や常なる新しさとは価値あるもので間違いありません。
ここでの「未来」とは新しく企画する実体のない商品であります。
「侘び寂び」は経年劣化した過去の商品となり、私たち通常思い浮かべる過去に位置に存在しています。

長文を長々と書きましたが、(A図)と(B図)同じような「諸行無常」の循環する中で「侘び寂び」の位置が過去と未来で反転することが私の面白いと思ったこと。
これは「視点の違い」であり言葉遊びでもあります。
視る位置が異なれば、過去も未来も反対になっちゃった・・・と言う、
当然と言えば当然なのですが、視点が違えば絶対的に不変的でもある未来も過去も反対になってしまうというお話で、相手側の起点を知れば、その世界も見えるかもということになります。
あ〜朝からもう疲れた〜。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月3日(火)
■流石にモグラは空を飛べないので、空飛ぶモグラ風のサツマイモ飛行機。
■2023年10月4日(水)
■一日一文章トレーニング。

「紙は丸めて捨てれば手を切ることのない優しいゴミとなります」

ゴミ袋に硬い厚紙をそのまま捨てるにあらず。
硬い厚紙や普通の紙のエッジでもゴミ袋を切り裂くのに十分な鋭利さはある。
ごみ袋が裂けると中身がこぼれ出すことになる。
突き破って出てくるゴミは押し込めば、それなりの原状回復はできますが「スパッ」と大きく切れるゴミ袋には、汚いゴミの中身がこぼれ出す悲劇である。
破れた穴はガムテープで塞ぎ、補強したとしても一度破れたゴミ袋は何とも心細い不安定なゴミ袋となり、破れた原因が温存されていれば再び「スーっ」と真っ直ぐにキレイに大きく破れてしまうものである。
なので、ゴミ袋は絶対に破らないことが重要で、硬い紙のエッジとはそのような凶暴性な一面も持っていることを忘れてはならない。

そこで、私はゴミ袋が破れないようにゴミを捨てるにはどうしたら良いかと考えた。

【答え】ゴミは丸めて捨てるに限ります。

恐らく、昭和の文豪たちが失敗し、若しくは、書けなくて「わ〜〜」となり、原稿をクチャクチャと丸めてゴミ箱に投げていたことは運動や気分転換、八つ当たりのようなものだったのかもしれない。
紙は丸ければ痛くない。
投げて、誰かに当たったとしても誰も痛くない。(ムカつくけど)
飛行機にして飛ばすには時間もかかるし、窓から飛び出して失敗原稿を誰かに読まれるのも恥ずかしいだろうし、何より尖った飛行機がどこからともなく飛んでくることは危ないことでもある。
紙が痛いとは可笑しな話ではありますが、紙とはどんなに薄い紙であったとしても、紙のエッジをタイミング悪く触ると手を切ってしまうことがある。
薄い紙で切る手の痛みはとっても痛いもの。
カッターで手を切るのとも異なり、宇宙人の持つ魔法のレーザーで切られたような見事な切り口で「スーッ」と薄く切れてチクチクととても痛い。
私の呆則から言うと、ぶ厚いダンボールのエッジでも指を切ることは、雑な切り口で数百倍の痛さを持っている。
なので、大量のダンボールを扱う時には軍手などして気をつけた方が良い。
しかし、そんなことも百も承知なのだが、私も面倒くさくて軍手はしない。
昭和の文豪たちはそんな紙の凶暴性を知っているのか、知らないのか、そもそも文豪たちが紙を丸めてポンポンと捨てていること事態が都市伝説のようなものかもしれなく、文系のバスケットボール競技のようなものかもしれない。
だがしかし、例え、ゴミ箱の中に丸めたゴミはインしなくとも丸い紙には確実な優しさはある。
カドにエッジの立った食べ物を口の中に入れる人がいないように、先が尖ったものをごみ袋の胃袋に入れることはよくないことである。
薄い神紙は場所を取らないコンパクトさが魅力ではありますが、クチャクチャと丸めて邪魔な立体物として捨ててこそ、安全でゴミ袋を破らないゴミとなります。

そこで、ティッシュペーパーの空き箱です。
あいつらはゴミ袋を破る定番品のあれくれもの。
丁寧にペッシャンコに潰したとしてもカドのエッジは健在でビニール袋を突き破ってコンニチワとなる。
ゴミ袋を破る、破らないは時の運ではあるが、破る確率の高いアイテムの一つである。

昭和の文豪にならい、私は空ティッシュペーパーの箱を丸め始めた。
霊長類研究所の一室のように、こっちにマルマル、あっちにマルマルと、厚紙とはその名の通りに厚い紙なので丸めるのに四苦八苦します。
反対方向に丸めながら、ついに、絶対にごみ袋を突き破らない厚紙の捨て方を開発した。
それはゴミを筒状に紙を丸めること。(常識であったらm(_ _)mTね)
厚紙を圧縮する為に強く丸めてはエッジが立ってしまうので、ソフトに優しくふんわりと丸めることが吉である。
そして、最後にガムテープで厚紙のカドが隠れるように接着する。
これで、どこを触っても痛くない絶対にゴミ袋を突き破らないゴミの完成である。
ゴミ焼却場で燃やす時にも丸めたことによる空気の空間層があるので、よく燃焼させる蒔きとなろう。
これはそのうちに確実に飽きて止めてしまう習慣にはなりそうな気もしますが、Tシャツもクルクルと丸めて保管した方が良いとコンマリ先生かお掃除の達人が言っていたような気もするので、何でもローリングさせる習慣が身につけば、きっと少し優しさのオーラ―を纏う”丸い”人間になれるような気もする。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月4日(水)
■垂直離着陸が可能な(改良型)サツマイモグラ飛行機のホバリング。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月5日(木)
■一日一文章トレーニング。

「いやはや、とろけるチーズ+サツマイモは美味です 蜂蜜あれば尚良し」

昨日は肌寒い雨。
朝、雨がザーっと降ったと思えば、その後しとしとと小雨降る天気でもあり、雨降れば2歩3歩と秋は深まります。
今朝も曇り空で涼しい朝。
室温は「23.9℃ 湿度63%」で、前々日以前の朝晩の室温26・27℃台と比べても気温は随分と下がりました。
ですが、湿度高めなことが理由なのか?いつもの朝よりも冷たく感じないのが不思議なところ。
今日からは長袖の衣替え。

ところで。

秋と言えば、サツマイモ。
一昨日からサツマイモ・モグラの飛行機を描いていますが、サツマイモの季節です。
サツマイモ飛行機を描いていたら、芋とモグラは良く似たカタチをしています。
さぞ、モグラも芋が好きなような気もします。

先日、40センチぐらいある大きくてずんぐりとしたサツマイモをスーパーでゲット。
芋とは美味しいことに間違いないのですが芋ばっかりも食べられないものも現実です。
とりあえず、大きい芋はホットクックに入らないので1/3や2/2にカットして蒸かし芋を作ります。
でっかい芋とはそれなりの大味であるのですが、大きいゆえに食べきれません。
一度に食することもなかなかに無理となれば、サツマイモは冷蔵庫に保管されることになります。
冷蔵保存のサツマイモとは味も落ち、見た目も悪くなり、塩だけで食べるには心もとない芋でもあります。
ならば、どのように消費するかの芋である。
ある時は、ご飯にサツマイモを入れて焚いて食べると、ライス&芋の組み合わせはとっても腹に重すぎてムリ。
そこで、わい考えた。
余るサツマイモは「さいの目」に切り、とろけるチーズと合わせてフライパンで炒めれば、とろ〜りと美味しいデザートになるのではないかと考えます。

「さいの目」?
動物のサイの目はこのような四角な目をしているのかと調べたら普通の眠そうなつぶらな目であります。
辞書で調べると「さいの目」は賽や采のことであり、サイコロの面に記される数字のことや、その立方体のことを表すようです。
さいの目に切るとはイメージ通りの四角い切り方ではありますが、サイの目ではなくてサイコロ風の切り方のこと。
無意識にサイコロ風にカットしているのが面白いところなのですが、サイコロとは英語ではありません。
英語ではサイコロはダイス・dice。
Diceって言われてもダイス船長ぐらいしか思い浮かべないものでありますが、サイコロは「さいの目」を「コロッ」と転がす遊び道具ということでサイコロの語源になったという単純な予感です。

サイコロコロコロと脱線しましたが、さっそく、調理を開始します。

1)先ずは、体に良さげなオリーブオイルを、芋がフライパンにくっつかないように万遍なくひきます。
2)サイコロ状に切ったサツマイモ芋を投入し、塩をふりかけます。
3)とろけるチーズをサツマイモにたっぷりと、そして、程々の量をふりかけます。
4)で、よく焼く。

芋やチーズに焼き目が付くまで焼くのがポイントです。
芋はすぐにひっくり返さずに、中火でステーキーを焼くように焼き目が付くまで我慢しながら焼きます。
芋に焼き目が付いたら芋をひっくり返し、チーズともう片方の芋面にも焼き目を入れて完成です。

芋にチーズとは定番の美味しい組み合わせでありますが、香ばしいとろ〜りチーズとほんのり甘いサツマイモの味とマッチして、とても美味しいデザートになります。
あいも変わらず、芋+チーズでボリュームでカロリーもかさ上げ。
これは、芋よりもフライパンで焼く”とろけるチーズ”が美味しいという側面が大きいと思います。
ほんのり甘いサツマイモとチーズの粘りと塩加減がとても合う感じなので、ジャガイモ+チーズではこの味は出ないと思われます。
朝食のトースターで焼くとろけるチーズとフライパンで焼かれるとろけるチーズは同じチーズなのですが、味に雲泥の差があることが面白いこと。
とろけるチーズはフライパンで焼かないと、私たちに本気の美味しさを見せてくれません。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月5日(木)
■牛も飛んで移動します。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月6日(金)
■一日一文章トレーニング。

「味あるものが何でも好き」

1)牛の置物を観察して描いた原画

昨日は牛の絵を描きましたが、このような雑な絵にも下絵はあります。牛という生き物とは全く縁のない生活をしているので牛の置物を見ながら想像を膨らませて描きます。体は大きく、白黒まだら模様にすれば牛っぽい風貌の出来上がり。所謂、「牛を記号した図」です。牛という生き物は白黒斑点を付ければ、大体、牛になります。なので、茶色で牛を描くとなると途端にハードルが上がります。

そのような牛にドローンを付けて空を飛ばします。最初はスイスアルプス山脈に住む牛のように大きなベルみたいなドローンで飛ばす予定でしたが、よくよく考えてみると重量のある牛でも、下から一点(重心)でバランス良く持ち上げればベルトで固定する必要はないと思いました。なので、単に下から持ち上げるだけのパワフル・ドローンに牛は持ち上げられます。

そして、この絵をデスクトップ画面に貼ってジーッと眺めていたら、首の短さが気になります。この短い首で、どのように雑草を食べるのか?気になります。

2)動画を観察して描いた牛の絵

ということで、「ushi」と検索すると変なおばさんが出てきます。「ushi」のおばさんは全く参考にならないので、YouTubeで「cow」と入力して牛の動画を観ながら牛を描きます。音楽にあわせて、たくさんの牛が草原を走る動画を観ます。何が面白いのか?全くわからないのですが何十万件と視聴される人気動画でもあります。牛たちの動きが予想よりも早くて、牛のカタチが全然頭に入ってきませんが、リアルな牛を知る為に静止画ではなく牛の動きを追いながら記憶します。本物の牛は、まず耳のカタチが異なります。1画のような犬みたいな耳はしていません。横向きに生えた耳で、首もしっかりと長くあります。自分なりの牛を観た知識を投入しながら牛を描くと、自分で言うのは心苦しいのですが、なかなかに味のある良い牛絵の完成です。私は味のある絵が好きです。首の位置と体の位置が少しバランス悪いので横に移動させる為の矢印も付け加えて、この絵を元に清書すると、それなりの牛画になる予感です。本物の牛を観てから牛を描くと急にリアリティーが生まれてくることは面白いこと。頭の中の記憶だけで描くことと圧倒的な情報の差です。そして、1画の牛よりも何だか良い牛でもあります。

3)何も観察せずに頭の中だけで描いた牛

気になる部分は牛の頭のカタチの詳細がわからないところ。そこで、もう一度、牛の頭部を思い出して描きます。ピンクの鼻と白黒文様が随分と荒々しい牛の顔の出来上がりますが、味も数倍滲み出て存在感があります。私的には2の牛よりも、こっちの牛のクセの方が好きでもあります。ですが、牛っぽさは少し足りません。映像を観ながら描いた絵とは明らかなリアリティーの差は存在しています。それは人間の創造力と観察力の差であるような気もします。それはどちらが良いと言う訳ではなくて、どちらも良いという感じです。

4)動画を観察した牛の横顔

要は牛の頭の骨格がどのような形状をしているのかわからないので、このようなカタチになります。そこで、牛の頭のカタチに注目して映像を観ます。牛の横顔で映像を止めて静止画にして観察すると、幾分、頭の頂点が尖っているように見えます。牛の頭はこのような形状で描けば、何だか牛っぽい頭となります。この単純なカタチが一番牛っぽい頭でもあります。

5)頭の中で整理した牛の首の長さを描く

牛の首の長さはこの位だと思い首を伸ばしてみたけれども、まだまだ、草まで届かないことが草である。足ももっと長いはずで、牛はずーっと草と地面に対面した状態で生活しているものでもあります。なので、牛の首はこの首よりも2倍以上長い首で描かないといけません。

6)牛映像を観て完全に頭の中だけで描いた牛

そういうことで、最終的にまとめたのが、馬やロバ、羊のようにも見える牛画です。牛が牧場を走り回る映像を観た直後に描いた2番目の牛の絵が一番牛っぽくも見えることを考えると、人の残像記録も時間が経過すると、どんどん忘却してファンタジーな牛となります。人は観察しながら描いた状態が一番、それっぽい牛なカタチにはなるのですが、それでもやっぱり完全なる牛ではありません。真に正確でリアリティーを求めるのであれば、牛そのものを写真に撮れば済む話でもあります。わざわざ絵を描くということは対象物を記号化、抽象化して描くことでもあります。これは単に正確に牛を描けないことの負けごとでもなく、人の作り出す歪みや、デフォルメ等の特徴を切り取って作られる姿が、現実世界に存在しない形状であり、実在するカタチと全く異なることが面白いと思う現象でないかと思われます。

その意味では私は3画の無茶苦茶な牛図が一番好きです。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月6日(金)
■バイバイ牛。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月7日(土)
■一日一文章トレーニング。

「私は栗を模写することで、栗の表面にアリが見るであろう風景を見つけた・・・」

 昨日、立派な大玉の栗を買った。旬の食べ物が我が家にやって来た時にはダイニングテーブルに飾ってお披露目会を催されます。ザルの上に栗をキレイに並べると、去年よりも数が少ないような少し寂しい栗でもあります。記録的な猛暑の夏であったので生育があまり良くなかったのかもしれません。小さい頃、栗拾いに行ったこともありますが、覚えているのは栗を拾わずにトゲトゲの栗の殻を蹴って遊んでいたぐらい。栗のトゲトゲは靴の布を突き破って刺ささり「痛い〜アハハ」と遊んでいた感じでもあります。栗拾いの後はサツマイモを銀紙に包んで焚き火の中に入れて食べる感じでもある。銀紙を開けると真っ黒に焦げたサツマイモがあり、その焦げた皮を外すと黄金色に輝く甘いサツマイモがとっても美味しかった記憶でもある。いやはや秋ですね。これは、いろんな思い出が合算した状態なのかもしれません。ですが、栗と言えばあのトゲトゲが一番の思い出でもあります。ネットを検索すると、栗のトゲトゲを「イガ」と言うようで、そう言えば、「イガイガ」と呼んでいたような記憶もあります。そして、あの痛いトゲトゲの理由はよくわかっていないようなのですが、実が熟するまで動物から食べられないようにガードする鎧のようなトゲなのかもしれないとも思います。ドシンドシンと大きな恐竜が闊歩する時代であれば、トゲトゲの効果は十分にあります。表皮が硬い恐竜でも、舌はそれほど固くはなかったのかもしれません。恐竜の時代に秋や栗の樹があったのかどうかもわかりませんが・・・。

 旬の食べ物を見て季節を楽しみ、食べて、さらに美味しい旬を味わうことは風流なことであります。魯山人や千利休な人たちも必ず飾って愉しんだ風流だと思います。こだわりのある料理屋さんでもドヤっと旬な食材を飾っていることはよくあること。食材を飾って目で愉しむことは良いことであると思います。しかし、今回の栗の量はとっても少ないのであります・・・。

ということで、

 栗の絵を描きました。iPadに栗を見ながら模写します。朝から熱心に模写する栗の絵。デジタルで描くと筆を洗ったり、チューブから色を出す手間や、失敗してもすぐに帳消しにできることが便利なトコロ。昨日のことでもそうでありますが、よく観察して栗を描かないとこのような栗は描けません。絵を描くと良さは、やっぱり、「味」であると思います。美味しい秋の味は描く人によってさらに秋味を強調された栗に描かれます。見たままをそのままに表現することはAIや機械にまかせることにして、人である私は最大限の技量を駆使して主観を盛って栗を描きます。これは本当の栗であるかと言えば、勿論「ファクト」ではありません。これは私という人間が栗を模写して秋風になるように色も描いた栗である。所詮、絵は絵ではありますが必ずしも現実を正確に写し取っている訳ではありません。(そんなことは無理)正しい情報としては栗一つを模写したという事実だけの情報であります。人の手が入ると、必ずその人となりのクセが現れるもので、あるがままにその通りの姿を正確に表現することはできないものであります。結局、写真や機械とて同じことではありますが・・・。

 細かく観察すると見えてくる世界もあります。栗の尖った部分は山のてっぺんで、富士山のような高いお山に白く雪化粧した状態にも見えてきます。山の下に向かい魚眼レンズで眺めるように、赤茶色に紅葉する木々の連なります。栗の下部分には岩石の下のモグラたちの地底世界が広がっているのでしょうか。いやいや、土の上からそびえ立つ山を眺めるアリの視線のように私には見えます。秋深まる10月に、小さなアリが一匹トボトボと土の上を歩いていたら、遥か彼方にそびえ立つ富士のお山を拝む一場面の景色です。栗の絵を模写する暇人が「アリの風景」を見出すことの、これを何と呼びましょうかホトトギス・・・。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月7日(土)
■ふわふわ台車風のドローンに乗って香箱座りしている犬。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月8日(日)
■一日一文章トレーニング。

「北大路魯山人の最後の晩餐がタニシとは何のことかな」

おれはやった。byダクソ

この3連休後半は雨の予報でもあることを知っていたので、昨日の晴天の間に冬籠りの準備を行います。
今日もまだ、晴れているので十分に冬の準備はできそうなのですが。
冬用の布団を取り出して天日干し。
お日様にたっぷりと当たった布団はふかふかとなる。
夏用の布団も洗濯機で洗って天日で干し。
最後に夏用布団は洗濯機の乾燥モードでふかふかと温められて押入れ仕舞われます。
「来年の夏にまた会おうぞ」夏布団ということで、我が家の冬支度の準備を終える。
天気予報という未来を先取りする最先端情報を駆使してスキのない完璧な布団干しを行う。

真におれはやったのだ。

ということで、今日はふかふかのお布団に包まれて寝ることができました。
温かなお布団とはふっくらと幸せな空間でもあります。
だが、少し暑すぎるぐらいの冬用布団の暑さでもある。
暑い、寒いとは毎度の戯言のようなもの。
夏は終わり、あれだけ「暑いわ〜暑いわ〜」とぐ〜たれていた夏も終わってしまうと寂しいものでありますが、新たなる冬用布団の中に「ジャンジャガ・ジャンジャガ」と南国の音楽に奏でられて、新しい常夏を見つける幸せは特別なものである。
冬用布団の出だしは幸せ也。
私の残暑はまだまだ終わりません。

ということで。

千利休と北大路魯山人は同じようなジャンルの人間であるような気もします。
どうなのでしょうか。
魯山人という謎の中国人みたいな名前と思えば、北大路というお公家様のような高貴な名字でもある。
料理に口うるさい人物であることは至極面倒なことでありますが、ネット検索するとタニシを食べてお亡くなりになるとある。
美食家と呼ばれる人物の最後の晩餐とはおにぎりや、味噌汁やそんな素朴なものを食べて「やっぱり白飯が最高〜」と名言を残して欲しかった。
北大路魯山人、タニシを食べての76歳の寿命である。
最後の晩餐とはイエス・キリストが死の迫った前夜に使徒たちと別れの夕食を食べた有名な絵のこと。
その中には横一列に豪華の食材が並んでいますが、私には何の料理なのかさっぱりわかりません。
それらはレオナルド・ダ・ヴィンチの好きな料理が並んでいるのかもしれません。
グルメとは生きる糧でもあります。
私の最後の晩餐は仙台牛タンで間違いないと思い、先ずはいろんな店の牛タンの味を知ろうと旅したならば一食目の牛タン屋で「もう牛タンはいいや」と飽きてしまったように、最後に食べたいと思うお食事とは大きく悩ます味でもあります。
それでも、やっぱり「タニシって何や?」と思う。
タニシには肝吸虫という危ない何かが生息しているみたいで、もちろん、一般ピープルはそのようなゲテモノを食べようと思う発想はありませんが、美食家と呼ばれる人は食べてしまいます。
年老いてもタニシという新しさを求める冒険家であることを考えると、利休の侘び寂びの精神とは異なるように思う。
しかし、温故知新に古きに新しさを求めることも、また同じと思えば、同じような似た者同士のようにも思われる。
前述したように、見方の視点の違いで新しさも古さも同居しているものであります。

魯山人は外見だけの見た目の美しさに厳しかったらしい。
それは内面的な美的にもこだわっていることらしい。
それは美的なセンスを感じさせることもありますが、風呂上がりのビールがないとお手伝いさんにキレるみたいな内面的な美しさの欠片もないこともあるようである。
阪急百貨店で陶器か何かを販売する時に百貨店創業者の小林一三から安く販売して欲しいと言われて「これの値段が高いとは不愉快である」との言葉には感心するところもあるのだが、それ以外は会員制料亭の至高の料理然り、あまり共感するところは少なそうでもある。
人の死に際には、その人の人生の何かが詰まっていると思うところのタニシである。
利休のような切腹や、タニシの呪いは美食家の最後にはふさわしい道なのかもしれない。
実質は流動食なども食べていると思うので、美食とはうんちくあったとしても元気な内に食べてこその味有る美味しさでもあります。
私はちょっくら、利休から取り返した小判をくわえて過去にワープしたいとも思う。
魯山人の会員制の料亭に紛れ込み「タニシ程の美味はないかもしれない」と私がつぶやいていたら草でもある。
ですが、そのように考えると迷探偵は魯山人の死にタニシの第三者の影を感じます。
怪しいところだと風呂上がりのビールに怒鳴られる女中さんや、美食倶楽部のメンバーも怪しいかもしれない。
美食の裏には蠢く嫉妬の渦があるのかもしれない。
タニシを勧め、タニシの美味しさを魯山人に刷り込んだ人は誰なのだろうか。
実際にタニシでも食べるとそれなりの美味なのかもしれない。
ただし、お腹を壊す。
魯山人に近づく為に利休から取り返した小判を使うのは勿体ない話なのだが、タニシを追跡する価値はありそうでもある。
迷探偵侘び寂びって何や?の妄想話は膨らんで面白くなりそうであります。
北大路魯山人の絵が上手く描けて満足だ。www

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月8日(日)
■里山との境界線が曖昧なこともありますが、
今年の栗の生育がイマイチなことも熊が人里に現れやすい理由なのかも。
■2023年10月9日(月)
■一日一文章トレーニング。

「枯れた切り花の「侘び寂び」状態を観察していたら、
根がわっさわっさと生え、
新芽もぐんぐんと伸びてきたので、
土に植え替えたら、
早1週間でこんな感じ」

土に戻された植物は新芽を3センチ程伸ばし土に根ざしています。
とりあえずの成功です\(^o^)/たぶん。
ネット情報では栄養満点の培養土だと根がびっくりするとありましたが、今のところ新芽を成長させているので問題なく成長しています。
今日はあいにくの雨。
ここ最近は秋深まる季節の変わり目でもあり曇り空も多いのですが、晴れている日にはしっかりと直射日光に当てると、光合成で新芽がぐんぐんと成長することが目に見えてわかります。
なので、今、この植物に必要なのは太陽光のような気もします。

水耕栽培な根でもあったので土には水をたっぷりと含ませるように朝晩、2回水をあげておりましたが今日から水は1日1回に減らす予定です。
そうすると除々に土に適した根っこが生えてきて、完全に土に順応するようでもあります。
よく分からないことなのですが、ネット情報だとそのような感じで土に順応していくようであります。

この植物は、一般家庭であれば花枯れして死んだ植物として「ポイッ」と捨てられる植物でありますが、捨てずに花瓶に挿していたものです。
そして、それは運悪く我が家にやってきたおかげで、繋がれた命でもあります。
私はそのような花枯れした植物の葉っぱがまだピンピンと元気であったのに気付き、捨てずに花瓶に挿し、「これは侘び寂びかもしれないと、いつの日か利休大先生にこれは侘び寂びなのでしょうか?と聞かなくては・・・」と思いて、毎日、汚れる水を入れ替えながら日当たりの良い場所に置いて観察してきました。
その内に、植物は予想外の「侘び寂び」状態から「諸行無常」な生命が循環する新しいフェーズに切り替わりました。
そのようなひねくれ者であるが故に、随分と斜めに生えて成長しておりますが、このひねくれ度合いのほとんどは私に責任があります。
土に植える時に真っ直ぐに、根が鉢に均等にバランス良く植えたらこのようなカタチです。
植物の成長する未来を推測しながら植えるようなことは、素人な私に当然考えも及ばない芸当でもあります。
とりあえずは、根っこを鉢に均等に広げて土に順応して欲しいと願うだけの鉢植えであります。
なので、こんなひねくれた生え方をしていますが、勿論、植物のひねくれ度合いも半端ありません。
このようなクセありの植物を育てながら思うことは「命」のこと。
無造作に生える植物たちも土に根ざして大きく成長するまでは大変な時間と労力がいるもので、これがこの植物が私に教えてくれる学びです。

とりあえず、1週間は経過して土に根付きましたが、1週間を経て枯れる植物もあります。
それは2本あった内のもう1本の同一の根を生やさなかった植物です。
同じようにカットして根の生える、生えない違いはよくわからないことでありますが、こちらの植物も根を生やした方と遜色なく育っていました。
ですが、根の生えた方を土に植えると急速に質量もしぼみ枯れてきました。
土に植え替えてから僅か2日目でぐったりと枯れ状態!!
これは面白いことで、それは根の生える植物の生命力と連動することで生き永らえてきたようにも思われます。
側にその原動力がなくなると急速に生命力を減退させることは、そのような解釈です。
前回も大根の根に付く黒い共生菌のようなものを洗い流してしまうと水耕栽培の大根は枯れてしまったように、この2対の植物が花瓶の中に一緒に共生関係にあることで、この根の生えなかった植物も長く元気に生きていたことになります。
では、その生命力って何なのでしょうか?
この植物の根っこには花を買ってきた時に、以前花が長生きした大根の菌を塗り込み感染させてから花瓶に入れました。
なので、これら植物にはそんな怪しい菌を保菌していることになります。
また、同一の花瓶にいることで植物の生命や共生菌が電気で繋がり共鳴しているようにも感じられます。
電気は空気中を移動することができるように、水の中を移動することも朝飯前です。

ということで、現在、この植物こそが本来の「侘び寂び」であるかのような風貌です。
鉢植えの植物や植物界のお嬢の側に置いて「復活しろー」と願うのですが、どうなのでしょうか。
どんどんと小さくしぼみ、質量も軽くなっていく植物です。
生命を感じる質量の有る無しはとても面白いことであります。
このような減退する質量はどこに消えてしまったかと考えるとそれは大問題でもあります。
もう一つの元気な根の生える植物から常にエネルギーは供給されていたのではないだろうかと思ったりもしますが、はて、真理は如何に?
この植物は今、とてもいい感じの「侘び寂び」状態にあります。

 
■2023年10月9日(月)
■「侘び寂び」と「諸行無常」の「重い軽い」で面白いと思うこと。
味のある「侘び寂び」な植物の水分量は減り、質量も軽くなるのだが、
見た目の色は深く重くなる。
生命力が循環する新緑爽やかな「諸行無常」の質量は重いのだが、
見た目の色は薄くて軽やかである。
この理由にはたぶん深い意味がある。

*デスクトップ画面用の画像です。
*音付きの動画

*音付きの動画
■2023年10月10日(火)
■一日一文章トレーニング。

「昨日はほぼ芸術であったwww」

秋です。
秋と言えば、絵を描き、音楽を奏でる芸術の秋。
百人一首でも秋になると突然、皆が和歌を歌い出す季節になります。
暑い夏に何かを作ろうと思う気にはならないことは現代人も平安な人々にとっても変わらないことで、涼しくもなればこその創作活動でもあります。

昨日、久しぶりにゲーミングパソコンを起動してアップデートを長々と実行します。
使用していないゲーミングパソコンはグラボなども付いて非常に重いし、充電時間やアップデートにも悠久な時間がかかります。
ほぼ、半日は消費することを覚悟して気長にパソコンをいじります。
アップデートが終わると、ついでにOculus Rite Sも接続して起動を確かめます。
Oculusは目に付けるゴーグルで、私が付けると海女さんや海水浴のゴーグルみたいな感じです。
偶然ではありますが、本日10月10日はMeta Quest3(Oculus3)の発売日でもあります。
全然、使っていない間にOculus も随分と進化しているみたいです。
解像度もキレイになっているようで、今更、Oculus Rite Sを操作することは時代錯誤でもあるのですが、全然使用していないのでOculus Rite Sでも十分です。
すっかりと操作方法も忘れて、とてつもなく怪しく操作していると船酔い状態になります。

「Quiil」のアプリを起動させます。
「Quiil」を起動させると緊急事態宣言下でとてつもなく広い空間を構築しようとしていた熱い思い出が蘇ります。
「Quiil」は自ら3Dのキャンバス空間に入って3Dオブジェクトを作るという、少し頭のおかしい発想のアプリです。
しかし、特別な3D空間を作ったところで、この空間を公開できるような方法もなく、何年間もほったらかし状態となっておりました。
木や草といっても図のような感じの適当な線の草や木、地面です。
リアリティーが欠如している緩い3Dが広く永遠にあることが、これを買った目的でありますが全然使用していません。
そのような、誰にも公開できない秘密の3D空間を再び作り始めようかとも思うのですが、重いゲーミングパソコンを出してきて、起動させて、ヘッドディスプレイの線を繋ぎ、頭に付けることは面倒な私にとっては億劫なことです。
それだけでも、4工程ぐらいはあります。
これはネットニュースのタイトルが気になってアクセスすると記事内容の画像が全く出てこなくて、その画像に辿り着くまでに邪魔な広告や画像リンクを何回も押しても辿り着けなくて、うんざりするようなクソネットニュースの工程に匹敵するぐらいの面倒さでもあります。
それでも、自分だけの秘密3D空間は魅力なので、何とか作り上げてみたいものです。

そして、

久しぶりにパソコンのキーボードを繋いで音楽も奏でました。
いやはや、音楽を奏でることはとても気持ち良いものです。
勿論、右手と左手も同時に動かないし、「レレレドレ」ぐらいの何の曲も弾くこともできませんので適当に鍵盤を叩くだけのサルの惑星音楽みたいな感じです。
犬やサルがこのようなテキトーに音楽を奏でれば、天才かもしれないと思うのですが人間がそんな音楽を奏でていると少し痛いことにもなります。
このような音楽を奏でることは簡単に家族を苛立たせることのできる音楽でもあります。
勿論、近所迷惑な雑音でもある。
音量をできるだけ最小にして鍵盤をジャジャンジャジャンと叩きます。
私は「ピアノとは打楽器みたいなものなのか?」というぐらいに鍵盤を叩きます。
「カタカタカタカタ」と鍵盤を叩くだけの音に微かに蚊の鳴くように流れるミュージックです。
もはや、メロディーか何かもよくわからない音楽でもあり、再現度0の一期一会な音楽でもあります。
鍵盤を叩き、このような音楽がいいなと思えば、それら淀みに浮かぶうたかたをカタカタと奏で、かつ、結びて何度か繰り返して消滅していくものを「Windows +G」の動画保存で録画します。

適当に鍵盤を叩いているだけのミュージック1
適当に鍵盤を叩いているだけのミュージック2

ということで。

芸術の秋なのです。
昨日作ったものを今朝まとめています。

 
■2023年10月10日(火)
■客観的に見る。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月11日(水)
■一日一文章トレーニング。

「椅子についた模様について語る」

写真はダイニングの椅子に付いた歴戦の模様。
もともとは暗い無地のグレー色でしたが、使っている内に汚れてしまったアートでもある。
毎日のネタ不足とは、このような模様にまでスポットライトが当たるのかと思うと面白いもので、左団扇でのんびり長閑に何かに取り組むよりも、限界まで負荷をかけ続けた先にあるものがこの模様でもあります。
ついに、椅子の模様まで書く日がやって来たのかと絶望しながらパチパチとタイプ入力します。
赤茶に変色している部分は以前、漂白剤の影響で落ちた色で、黒系の布は漂白剤と交わるとこのような赤茶色になります。
なので、大抵の漂白剤が飛び色抜けした服の色は白く抜けるというよりも、このような赤茶色になる傾向は高い。
椅子の模様は、布の折り目部分まで折り紙のようにキレイに写しとられていて美しい模様となります。

NEU(ドイツ語)な服やお気に入りの服を着ている時に漂白剤は服に飛ぶ可能性が高い。
逆にどうでも良い服の場合に漂白剤の影響を及ばさないことを考えるとこれは不思議なことでもある。
人は意識して注意すればする程に「飛ぶなよ、飛ぶなよ、飛んだ〜」と暗示をかけるように失敗することはあるのかもしれません。
これは筋肉の緊張させる一種の電気反応なのかもしれない。
緊張する場面で「飲み物をドバーとこぼしたらどうしよう」と思えば思う程に急に体は硬く、ロボットのようなぎこちなさになる。
一方で、どうでも良い服の場合には自然体にリラックスしてスパゲティー等を食べるので、落とさないようにも思うし、落としたとしても記憶にも残らない可能性もある。
とりあえず、人は大人になっても口や箸からポロポロと食べ物を落下させてしまう駄目な生き物でもあります。
高級レストランで待ち構えて、そんな立派で駄目な大人たちがポロポロと食べ物を落下させて服を気にしている写真を収めると面白いかもしれません。
「食べ物を服に落とす大人たち」の写真集は大人のダメさ加減を再確認する価値ある写真集でもあります。
ポトリと落ちて服の汚れを気にしている人を見つけては、カメラを持った吾輩が登場して「脂汚れが取ることができる魔法のクロスをゲットする為に写真を撮らせる?」と究極の2択をせまります。
手には市販されている脂汚れを落とす魔法の布を手に持ち、水を含んだ布やモップ、タオルなども完全フルアーマーな装備です。
「脂汚れは時間との勝負、只今、写真撮影中」というTシャツを着ていたら、さらに効果的かもしれない。
しかし、世の中とはトレード・オフが常識ではあるのですが、そのようなことが通じない大人も多い。
もしくは、文春砲でもないので「汗汗」な写真絶対NGな危険な場面に遭遇してしまうかもしれない。
怖く怒鳴られて油汚れを取る魔法の布だけを奪われて「シュン」としながら尻尾を垂らして逃げ帰るだけの吾輩の姿が瞼に浮かびます。

ということで、そのようなことはどうでも良いのです。

この泣きマークみたいな模様はサラダ油を椅子の上に置いて蚊を撃墜しようと思った時についた模様です。
植物を置いている木の部分を油引きしようと思い、サラダ油とティッシュペーパーを持っていたら目の前を蚊が「ブーン」と飛んで来て、慌ててサラダ油を椅子の上に置いた時の模様。
ご存知であるように、私は小学校時代からの蚊撲滅運動家であり、飛んでいる蚊を見つければ、すぐに撃墜することは体に染み付いた条件反応でもある。
サラダ油を椅子の上に置き「バチーンバチーン」と蚊を攻撃したのですが、残念ながら蚊はのらりくらりと逃げてしまった。
寒くなってからフラフラと飛ぶ蚊は飛行ルートが予測不可能な蚊でもある。
そのような時にはバチーンと大きく手を叩き衝撃波でも蚊を落とす技術も持っているのですが、この蚊はその衝撃波も乗り越えてフラフラと黒い部分に紛れて逃げてしまった。

ということで、この泣きマークは蚊を撃墜しようと思いサラダ油を椅子に置いた時の模様です。
世の中にこんなにも、どうでも良い情報はないかと思うのですが、これを毎日2000文字ぐらいで毎日書くトレーニングです。
狂っています。

ところで、昨日、汗ばんで帰宅したら蚊は「ブーン」言いながら、吾輩の周りに飛んで来た。
再度、撃墜しようとチャレンジしたのですが、のらりくらりと逃げられてしまった。
寝ている時に「ブーン」の飛来は、もっとも忌み嫌うものである。
なので、寝室に蚊がやって来なくなるスプレーをシュッーとした。
この薬剤は観葉植物を枯らしてしまう危険性もあるらしいので、それだけは使わないようにしていた秘密兵器でもある。
就寝中の「ブーン」はちょっと耐えられないので仕方なし。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月11日(水)
■椅子の模様。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月12日(木)
■一日一文章トレーニング。

「大辛の塩鮭を自宅で作る」

東京では大辛の塩鮭はほとんど販売されておりません。
その理由はよくわからないのですが、それは文化的な理由もあるのかもしれません。
関東の鮭はシャケというよりも、サーモンという響きの方がしっくりとくるような食べ物でもある時もある。
確かにサーモンは美味しい食べ物でもありますが、私が求める大辛の塩鮭と、その他鮭類な食べ物と比較しても雲泥の味の差の食べ物です。
それは鮭の種類の差なのか?加工の仕方の違いなのか?詳細はわかりませんが、私が求める大辛な鮭はどこでも売られている鮭ではありません。
稀に大辛が販売されていても値段も百円程高くもなります。
大辛とは鮭を焼くと表面から塩が吹き出る程の塩分の強い鮭であります。
健康志向の世の中で塩辛い鮭とは体に良くないことではありますが、困ったことに、私は大辛の塩鮭が大好物でもあります。
もはや、食べ物は何でも熟成させることを“善し”とする熟成主義者な一面もあるので、大辛の塩鮭には味を深く美味しくさせる熟成魔法が存在していると強く思っております。
そして、そんな塩味の効く身の締まった鮭を「ちみちみ(珍味)」と少しずつ切り崩しながら食べることが塩鮭を食べる醍醐味でもあります。
塩辛い鮭をご飯の上に置くと、白ごはんは何杯でも進みます。
なので、塩鮭は大辛でないといけないのですが、困ったことに入手することができません。
そこで、私はスーパーで中辛の塩鮭を購入して、我が家で塩漬けして加工して大辛の塩鮭に改造します。
塩鮭をタッパに入れて塩をすり込み2〜3日寝かせる。
そうすると、鮭からたっぷりの塩水が出て、その水を捨てて自家製大辛塩鮭の完成です。
このような作り方でも、まーまーな大辛っぽくなる鮭となる。

鮭を塩に漬ける時にはこだわりもあります。
それは普通に販売されている粗塩に、フランス製のグレー色の塩をブレンドすること。
日本の塩だけだと塩辛さにパンチがありませんが、フランス塩を混ぜることで塩味も断然、味も深く美味しくなるような気もします。
このような味覚とはとても主観的なものではありますが、個人的には粗塩にフランスの塩を混ぜることは塩を美味しくさせる一つの方法だと思っています。
フランス塩は純白な白ではなく海のミネラルがイッパイ詰まったような複雑な味の塩味です。
私はそのような白くない塩を食するフランス人のセンスや味覚に大いなる尊敬の眼差しを持っております。

ということで。

鮭と言えば、太平洋の鮭と大西洋の鮭で子孫の残し方が異なると読んだことを思い出します。
太平洋の鮭と言えば、川を遡上して産卵し命を賭して子孫を残すことになりますが、大西洋の鮭は何度も遡上して産卵するようでもあります。
これは日本の川がヨーロッパやアメリカ大陸の川と比べても滝と言われるように激流であり、遡上した鮭を容易に海に帰さないような感じがこのような生き方の違いを生むのかもしれないと思ったりもします。
太平洋の鮭は遡上して産卵し死ぬので子世代と競合することはありませんが、鮭の経験値や文化的(魚に文化的なものがあるのか?知りませんが)なものも同時に失われてしまうことにもなります。
一方で大西洋の鮭は何度も遡上して産卵することで、子孫世代とも集団として何度も共存しながら生きることになります。
これは少し面白い現象です。
太平洋の鮭は鮭の集団として老化し成熟期を迎えた鮭を一気に自然群淘汰することになりますが、これは遺伝子的には変化の早い集団となり外的やウィルスから捕食される可能性が著しく減少させますことにもなります。
そして、遺伝子的にもより集団が早く入れ替わることによって環境に適した生命を残す可能性もあると考えられます。
一方で大西洋鮭の場合には何度も産卵して固定化した集団でもあるので病原菌や捕食者に狙われやすくなります。
昨今、寄生虫などが大西洋鮭に発生していることもそのようなことが関係しているのかもしれません。

ネットで調べると
太平洋鮭(70〜80センチ)の寿命は3〜5年
太西洋鮭(70〜100センチ)の寿命は5〜8年
となります。

寿命や老化には多産短命・少産長寿との考え方もありますが、鮭に関しては大量淘汰の行われない大西洋の鮭が当然寿命も体も大きく成長することになります。
※寿命や老化は遺伝子が大きく影響していると考えるのが今的な考え方のようです。

太平洋と大西洋にまたがるアメリカ大陸にはもの凄いたくさんの種類の鮭類を食べることができそうです。
マス釣りなども盛んで、「鮭」=「鱒」で同じ魚でもあるみたいなので、いろんな種類の鮭、いろんな食べ方もあるのかもしれません。
大西洋の鮭のサーモンは寿司で食べるけれども、太平洋産の鮭を寿司で食べる文化は古来から存在していたのでしょうか?
太平洋の鮭と太西洋の鮭はサーモン寿司を見れば、味は随分と異なることになりますが、ニジマスとかも鮭の種類であることも考えれば鮭の種類は広大です。
スーパーで見ても赤身や、やや白っぽい鮭の身など多種あり、鮭の見極め方は私たち一般ピープルにはチンプンカンプンなとことも大きい。
私たちが食べる「鮭」という分類の範囲は少し広すぎるのかもしれません。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月12日(木)
■鳥も驚くシオジャケ・ドローンを作りました。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月13日(金)
■一日一文章トレーニング。

「私の好きな鮭の種類は高級品の紅鮭であったwww」

ディスプレイ棚をハロウィン仕様に変更します。
ディスプレイも変わると喜びの音頭も奏でたくもなる。
頭の中にズンズンズンとアフリカなリズムが湧き上がると、さっそく、高い所にある物を取る為の乗り台にのぼってハッピーハロウィンを踊る。
両手を上げて、腰を振って。
ドンドンドドドン
ハッピーハロウィン
ドンドンドドドン
ハッピーハロウィン
しら〜とした冷たい目線、苦笑。
「OK OK」
皆を元気づける為に踊っているだけである。
「ハロウィンの思い出ってなんかあるのか?」と言われて、
「はっ」
となる。
私にはハッピーハロウィンの思い出はないのですが、一歩突き出る背の高さのバレーボール選手みたいな高い目線からハッピーハロウィン・ドドドンドンを踊るとほんとに笑えます。
お立ち台みたいな感じです。草

ということで、

昨日の鮭についてインターネットでカタカタと入力してお勉強する。
当然なのだが、身の回りには鮭に関するものは何もありません。
インターネットというポンコツ先生のみが唯一の情報源でもある。

古の鮭の寿司については「柿の葉寿司」がありました。
柿の葉寿司は奈良時代から食べられている食べ物で、その中に鮭が含まれているらしい。
柿の葉寿司と言えば、青系な魚やエビなどのイメージがあるのですが、街で柿の葉寿司を売っているのを見つけたならば買って食べて確認したいと思います。

自然淘汰とか関係なく、太平洋鮭にもアニサキスという怖い寄生虫はつくようで生で食べることはしないみたいです。
生で食べるのは魯山人もそうだけども気をつけなければなりません。
伝統的な江戸前寿司だって、前夜から酢漬け加工して仕込んでいると思うので生は生だけれども完全なる生でないような気もします。

鮭の種類についても調べました。

単刀直入に書くと私が好きな鮭は寒い国から輸入される高級品の「紅鮭」でした。
やっぱり、高価なものは良いものなのでしょうか?
「紅鮭」は天然物しか存在しなく、あの赤身な鮭がなぜ?普通に販売されていないかと思うと単に高級品だったからでもあります。
鮭は鮭でも取れる場所や時期によって名前が変わるようでもあります。
都内でよく見られる薄いオレンジ色の身の鮭は恐らく「白鮭」と呼ばれる種類のものです。
9月〜10月の今の時期のとれるものが「秋鮭」と呼ばれて、産卵の時期を控えて栄養分は卵に持っていかれるので、あっさりとした脂身となるようです。
なので、この秋鮭は「塩鮭」には向かない鮭で納得です。
炒め料理などには向いているのかもしれません。
秋と言えば、鮭というイメージですが秋とれの鮭はあまり脂ののっていない「秋鮭」の可能性が高いことになります。

9月〜10月にとれる鮭でも生後2〜3年でまだ産卵時期にない鮭のことを「鮭児(けいじ)」と呼びます。
この鮭児は脂ののった鮭で、成熟した鮭と一緒にとれるので、見た目が小さい鮭で損した気分にもなりますが、若い分、脂がのって美味しい鮭となるようでもあります。
デカければ、何でも善しという訳でもなく、小さい方が美味しいことはある意味の食べ物あるあるです。

5月〜7月にとれる鮭は「時鮭(ときしらず)」と言います。
同じ、「白鮭」でもとれる時期によって名前が変化することは面倒くさいことでもあります。
魚とは成長過程でも名前が変わり、難しい生き物でもあります。
時の鮭でトキシラズとは粋な呼び名でもありますが、こちらは産卵期がズレているので脂がのっている珍しい鮭のようでもあります。

養殖で通年出回っているものが「銀鮭」で白鮭よりも脂がのっていて、私たちが一番良く食べている鮭がこの鮭であるようでもあります。

「鮭」の漢字は遡上して命尽きて土土の土に還った鮭のイメージが描かれております。
私の好きな鮭の種類は高級品の「紅鮭」でありましたが、一年間ぐらいかけて、好き嫌い言わずにいろんな鮭を食べて鮭の味を確かめることも良いネタ集めになるのかもしれません。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月13日(金)
■水の中。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月14日(土)
■一日一文章トレーニング。

「ふたたび足の冷える季節となりました」

いやはや、足寒な季節がやってきた。
昨晩の寝る時から今シーズン初の足のつま先が寒くなる現象が起こります。
今年の夏はサンダル生活でたっぷりのお陽様も当たり、もしや足寒状態にはならないかとも思いましたが、足が冷たく感じる季節は確実にやって来ます。
「室温23.3℃ 湿度45% 布団に入る就寝時に足が冷たく感じます」
前日から室温はほぼ同じ位で、変化があるとすれば湿度が10%ぐらい下がったこと。
湿度が10%上昇すると体感温度も+1℃上がるという話もあるので、湿度が10%減少すると体感の室温も22℃ぐらいになるのかもしれません。

だがしかし、

以前にも書いたように、足が冷たくなる原因は足裏の体温が床の温度の冷たさによって熱を奪われている可能性が高い。
その温度を正確に測りたいと思い体温計でピピッと計測するも、家のポンコツ温度計はおでこ以外の体温を計測してくれません。
ネットを調べると、様々な考えもあるようですが、私の場合は足裏の温度が明らかに低くいように思われます。
冷えている床面を計測しようと思うのですが、体温計では計測できないので、さっそく、コレクションケースをガサゴソと漁って表面温度を測る機械を探します。

コレクションケースとは見慣れたものばかりではありますが、気になる物もたくさんあります。
パンドラの箱を開けることとは表面温度云々を一旦、忘却することでもあり、ハロウィンコーナーに飾ると良さそうなものを見つけて、それらを取り出します。

1)ブリスターパックに入ったティム・バートン監督のナイトメア・ビフォー・ナイトのミニフィギュア。黒と紫色のパッケージに青白い顔色がハロウィン感を高めます。江戸時代の白粉の顔も灯具の元で見るとハロウィン感があるように思います。

2)シルばーぁさん「SILVER SUN」のバッジ。「VOLCANO」火山爆発を誘発させる起爆ボタンを持ったキメラアントです。火山爆発すれば先ず虫が最初に撲滅するのが虫だと思うのですが起爆ボタンをノリノリで押しています。この虫緑色の虫は玉虫かもしれません。虫の怖いところは、掴むと小さい体からは想像できない物凄い力で動くところです。

ゴースト・バスターズのバッジは中高生の時にカバンに付けていたもの。これの恐ろしいところはゴースト・バスターズの映画を観たことがないこと。(途中は見た)威風堂々とにわか的にバッジを付けることは、今も昔も変わらない”にわか”ぶりでもあります。形状とかデザインとか見た目が好きなのだと思いますが、黒と白の西欧的なお化けの感じもよろしい。以前も書きましたが、私がヨーロッパで見た幽霊もやっぱり、このような布のようにひらひらと浮遊していました。旧市街の無風密室の洋館でひらひらと、やっぱり西欧のお化けは布です。www

3)昔、スコスでも販売していたOzのお人形さんも黒白のコスプレ感があります。頭の帽子が大きいのもかわいらしい。ティム・バートン監督の映画は何回も観ているのに、Ozという超有名なお話を全く知らないことも怖いことでもあります。この人形は立てて飾ると目を開けます。

4)ハトカーのカタチも洋館に飾られるゴシック彫刻みたいでどこかハロウィン的でもある。この鳥は後ろに引っぱって手を離すと首をポッポポッポと首を動かしながら走ります。このように手に取ると数回走らせて遊びます。Ozの帽子の上にマスキングテープで固定して鳥の巣みたいな感じで飾ろうかと思うのですが、どうでしょうか。

そのようなことはどうでも良いのです。

とりあえず、表面温度を測る機械を見つけて床面や足の裏などの温度を計測すると、頭の温度が33.3℃で明らかにおかしい。
体温が33度の人とは低体温すぎます。
体温計で測ると36.3であるので、+3℃を足せば、体温は大体正確な温度となります。
表面温度を計測する機械と体温計測する機械ではシステムが若干違うようです。
とりあえず、人の体温を計測した数字の全てに+3℃を合算したら上記図のようになります。

ここで面白いと思ったことは体温と床面の温度差がせめぎ合う感じです。
床の温度は22.2℃で床の接着面である足裏の温度は24.6℃で2.4℃分の体温上昇で頑張っています。
凍傷とかは体温で保温できなかった現象でもあります。
足寒は物理的に足の裏から熱を奪われることでもあるので、対策としては血行を良くして体温をよく血液を循環させて体を温めるか。
床面の温度から影響を少なくなるように足自体を温める方法も考えられます。
暑さにも慣れますが、寒さにも体は段々と慣れるものでもあります。
呆則を紐解くと足が寒いと言っているのは、寒く成り始める最初のこの時期だけでもあるので、この時期にしっかりと足を温めることができれば万事解決できるのかもしれません。

 
■2023年10月14日(土)
■コントローラー。

*デスクトップ画面用の画像です。



■2023年10月15日(日)
■一日一文章トレーニング。

「服を模写する」

本日は雨//////
西の空は深いねずみ色。
日曜日の午前中。
雨ですることもなく、時間もたっぷりあるのでビリー・アイリッシュの映画「バービー」の挿入歌の「What Was I Made For?」に出でくる服を模写する。
映像をストップしながら服を模写することは、なかなかに大変なことでもある。
細部のほとんどは見えないので、精密には描けないがそれも良し。
歌の中に出てくるお人形さんの服ぐらいは認識できるだろう。
服は実際に彼女が着たものを、それをバービーサイズにミニチュア化したものだ。
どれもスゴクかわいらしい服である。
私が一番お気に入りは牛迷彩模様の服である。
黄色の服はどれもかわいいし、黒にアクセサリーがジャラジャラしているのも全て良し。
ビリー・アイリッシュが服のエピソードなどを説明する動画も観たが、説明する表情に小さな愛がイッパイ詰まっているように思った。

https://youtu.be/3Zp8O_e5ckU?si=-YwxymaJyA1QhFOh

このように小さな服に幸せの種が詰まっていることは驚きだ。
世界は少しずつ暴力により侵食されつつありますが、小さな幸せが数珠つなぎに繋がってこのようにも微笑ましくなることが理想的でもある。
私たちは大人になりすぎて子供心をどこかに置いてきたのかもしれません。
実際に実物サイズの服もかわいいけれども、小さい物はかわいらしいものである。
映像を観ながら7枚の服を描いた。
「オレはやった・やり遂げた」
今日は雨で家から一歩も出ない予定です。
夏物を仕舞って冬物を出そうと思う。

「Billie Eilish - What Was I Made For?」の歌も好き。

https://youtu.be/UlkCvoTiG-Q?si=HzFE3VhWTm_jMKNO

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月15日(日)
■黒猫。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月16日(月)
■一日一文章トレーニング。

「鮭の種類を学習したので、次は鮭料理を作ります」

いやはや秋です。
食欲の秋ということで、旬なものを喰らいて冬籠りの準備も万端です。
鮭は大きい魚なので、塩鮭用ではない鮭の切り身は大きくて食べごたえのある大きさです。
“どうぶつの森”で大型魚影を釣り上げると「またスズキか〜」と大体スズキは良く釣れるのですが、私の中のスーパーの魚売り場代表魚と言えば鮭で、鮭もまた大型魚であります。
私は肉食なので肉はじっくりと観察するのですが、魚類コーナーは鮭と特売品を確認ぐらいしか見ないものでもあります。
スズキを食べたことがあるのか?と考えると???な感じです。
せめて、“どうぶつの森”で釣った魚ぐらいは魚の味や特徴を知っておきたいものでもある。

何年も起動させていない“どうぶつの森”の家はGだらけかもしれません。
家のまわりに植えた花々はどうなったのでしょうか。
“どうぶつの森”はあれだけ毎日のようにやっておきながら、ある時「パタリ」とゲームをしなくなる時はやって来ます。
現実世界でもいろいろやることがあるのに、花に水をあげたり何をしたりと疲れてしまうものである。
“どうぶつの森”を何年ぶりかの開封の儀式をしてみたら酷い村の姿になっていそうで面白そうでもある。
少し前に、ふっとDSを触っていた時に都内を「すれちがい通信」をONにして歩いたことがありますが、当然、誰ともすれ違うことはありませんでした。
あの頃のDSって面白くて、あれだけ皆が遊んでいたものが過疎る状態は寂しいものであります。

ところで、

「紅鮭以外の鮭は認めぬ」のような食わず嫌いではいけません。
なので、結構な大きめの「銀鮭」の切身を購入しました。
もちろん特売品。
この前に鮭のお勉強をしたのでチリ産の銀鮭ということ養殖のお魚であるということがわかります。
世の中は本当に意識しないと何も見えてこないもので、鮭の見識も食べることでじょじょに広がるのかもしれません。
表面に軽く塩をふりクッキング・ペーパーで魚類の臭みの水分を取り去ります。
本当にこのような方法で良いのかもわかりませんが、肉だと塩をふらずにクッキング・ペーパーで包んで寝かせて熟成することで美味しいステーキになります。
逆に肉の塊に水やコーヒーなどの水分をつけて焼くと、ふわふわとした柔らかいお肉にもなる。
どっちの肉が好みかと考えても、それぞれな気分なことでもあります。
魚の臭みを取る方法はいろいろあるようで何が正解なのかわかりませんが、今回の魚は少し塩をふって余計な水分を取り去って身も締まれば良いなと思いこの方法です。
とりあえず、匂いは完全に消えました。
臭み取り後に追い脂分として、オリーブオイルを魚にふりかけておけば脂分を馴染ませることができるのかもしれないと思い追いオリーブオイルもかけます。

焼き方は皮の方からじっくりと火を通して焼きます。
鮭の中まで火が通ったと思ったらひっくり返します。
フライパンにクッキング・ペーパーをひいて魚を焼くと鮭の皮が写真のように炭化せずにキレイな焼き目となりました。(オススメ)
フライパンは購入した時に空焚き禁止と書いていたので、クッキング・ペーパーで焼かれた状態の鮭が空焚きか?否か?その判断は難しいものであります。
とりあえず、フライパンとクッキング・ペーパーの間に気持ちオリーブオイルを流し空焚き状態ではない体にします。

話は変わりますが、
大辛口・塩鮭をグリルで焼く時にも皮は黒く炭化してコゲがちです。
皮を焦がさないようにするには、最初から皮を剥がし取るか?皮だけを鯛みたいに塩で固めて焦がさない方法等も考えられます。
ですが、皮の部分だけ塩で固めるのも勿体無く無駄なコトでもある。
そこで考えた。
もしかしたら、クッキング・ペーパーに包んで塩鮭をグリルで焼くと焦げずにキレイな焼き目の塩鮭になるのかもしれません。
今度試してみましょう。

鮭の切り身をひっくり返すと、またしばらく鮭の表面を焼き目がつくように良く焼きます。
よく焼けたと思ったら、きのこやオクラ、帆立貝などを入れてフライパンに蓋をして蒸し上げます。
野菜に焼き目がついたら完成です。
全部、自己流でテキトウな鮭料理ではありますが、思ったよりも美味しくできました。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月16日(月)
■魚の切り身。

*デスクトップ画面用の画像です。
*タブレット携帯画面用の画像です。
■2023年10月17日(火)
■一日一文章トレーニング。

「シシャモ会議の風景」

昨日、「次の投資先は何だ?」な会議を行う。
私たちがクンクンクンクンとあっち行ったり、こっちに行ったりと野良犬みたいに路頭に迷うことは毎度のことでもありますが、次の10年に向かってそろそろ何かに投資する必要もあります。
私たちはアイデアをカタチにすることは得意ではあるものの、アイデアをカタチにしてお金に変換することが苦手でもあります。
事によると、多くのアイデアをカタチにすることを得意な人たちとはアイデアをお金にすることが不得意な人でもあるらしい。
そんな人たちの為に、アメリカにはシリコンバレーという土地があるようで、その場所は無数のアイデアを収益化してお仕事として立ち上げることの達人たちがたくさん生息しているようでもある。
それは一種の錬金術師のような感じでもある。

ネタを見つけることを(1)選球眼とすると、
アイデアをカタチにすることは(2)のトライ&エラーな開発者であり、
そんな、まだ0値なものを価値あるお金に変換することが(3)のビジネスの錬金術師のお仕事であります。
これは希少性な原石を扱うようなビジネスでもある。

日本にもシリコンバレーのようなアイデアを収益化する達人がいればと思うのですが、残念ながら日本にはケイ素の谷はありません。
それが日本の弱みであり、アメリカの強みでもあります。
シリコン=ケイ素はどこにでもある土壌に一般的な存在する非金属系の元素でもあります。
経済が希少性が重要であるとすれば、ケイ素のようなレアではない谷(普通の谷)のことをベンチャービジネスの発祥の地「シリコンバレー」とネーミングするアメリカ人のセンスと哲学を感じます。
勿論、シリコンバレーに行ったこともありませんし、単に読み聞きしたことをイメージして書いているだけのシリコンバレー(IC基盤)でもあります。
私がパリコレを見に行くぐらいに場違いな場所なような気もしますが\草/。

ネタを見つけ、アイデアをカタチにして、それをお金にする前にレア素材であるスコスに必要なものはブランド力ではなのかと言うことでブランドについて考えます。
国で言えば、北欧やおフランス、南国のバカンス・ニューカレドニアなんて国にもブランド力があるよねー、ということで、それらを東京に置き換えて変換してみると。

北欧→ 北ヨーロッパ→ 北東京→ イマイチ→ 北関東→ いいね
北関東のフレーズにはやんちゃなイメージがあります。

おフランス→ お東京→ お関東→いいね
お関東ちゃんとは、ゆるふわ系な響きであります。

ニューカレドニア→ ニュー東京→ 怪しい昭和のキャバレーみたい→ ニュー関東→ いいね
スコスとニュー関東、何の関係があるのでしょうか?
謎のブランド会議をうだうだとお菓子を食べながら、アホっぽい時間はチクタク・チクタクと過ぎていきます。

ということで、

マンネリ化するお食事に新星を発見したので、それについて記載します。
それは「シシャモ」の大発見。
スパゲティーの味にこのシシャモを入れるととたんに味が深くなるニュー関東味。
これはとっても美味しくなるスパゲティーなメニューです。
価格も安く、私たちの庶民の味方でもあるシシャモを使ったお関東な味の料理で、用意するものはシシャモとオリーブオイル、塩、酢、にんにくチューブだけ。

1) 先ずはシシャモの頭と尻尾をカットします。
頭と尻尾は捨てます。
魚の臭みが苦手なので、今は実験的に塩ふり、キッチンペーパーで臭みを取ってから調理しようと実験していますが、アイデアを思いついた時は先ずは行動ということで、魚臭さもとらずに、そのままシシャモで調理しました。

2)カットしたシシャモをオリーブオイルに浸す。
オイルサーディンみたいにたっぷりと油に浸します。
これは火にかけていない生の状態ですので、生食は絶対にダメです。

3)塩、酢(魚の匂い消し+魚の鮮度を保つ)、チューブににんにくをシシャモのオリーブオイル漬けの中に投入。
量は適当ですが、とりあえず、塩分はよく効かしていた方が魚も痛みにくいと思われます。

4)暫く、冷蔵庫の中寝かせるとオリーブオイルと共にシシャモもゆるく固まります。
2日程寝かしました。
これは食べる前に常温で置いたり、フライパンに入れると溶けます。
※お酒と切り身だと固まらないかも???

5)これらを火にかけてよく炒めてスパゲティーと絡ませると完成です。
シシャモは火にかけると縮むので、一人分は2匹ぐらいで計算すると適量かもしれません。
クセありのシシャモがスパゲティーに絡むとアンチョビみたいな奥深い味わいを醸し出します。
この味はスペインのレストランで出てくるような高級且つ、庶民的な魚介類エキスの濃厚な味です。
まんべんなく麺と絡むように茹で汁を入れましたが、カルボナーラみたく牛乳など入れても美味しくなるのかもしれません。
クセあり食材は仕込んでおけば、美味しく化ける可能性も高いようで、準備しておけば炒めるだけの簡単な料理でもあります。
世の中、何でも仕込んでおくことが大切なのかもしれません。
このようにしてアホ会議は終了します。

呆則な結論。
「美味しいものを食べるには何でも仕込んでおくことが必要」
「特にクセありなものが美味しくなる(確信)」

 
■2023年10月17日(火)
■シシャモの仕込み。
塩をかける→ オリブをかける→ 酢を入れる→ チューブにんにく入れる→ お酒も少し

■2023年10月18日(水)
■一日一文章トレーニング。

「人生山あり谷ありでも最後は谷底にまっしぐらでもありますが、そのような長期トレンドを打破する方法は不愉快な干渉を受け入れて、他者の波形にのっかれれば、また異なる人生かな」

 昨日はシリコンバレーのバレーを「ケイ素の谷」と「ケイ素の丘」を間違って書きました。堂々と間違いを書くことは「シュポー」と赤面な煙を吐き出す位に恥ずかしいことでもあります。ですが、この真反対な意味を書くことは面白いことでもあります。頭の中でビバリーヒルズを思い浮かべて「谷」と「丘」がひっくり返ったのかもしれません。間違いの中から何かのネタを拾ってこその一日一文章トレーニングでもあります。「山あり谷あり」と言えば、人生を表す言葉でもあります。人生の山の頂上から谷に下って行くことと、谷の底から山の上に上っていくことの、どちらの方が辛い道なのだろうか?と考えると、永遠と長い下り坂は耐え難きとても辛い道でありますが、見上げる遠い登り坂もなかなかに辛い道でもあります。結局、どちらの道も苦行です。持ち前のテキトーさにより「山と谷」もひっくり返すことができれば、上っているのかも下っているのかもわからない曖昧な世界でもあるので、物事を反対に言ってしまうことは、私の中の一つの防御反応なのかもしれません。

 先日、私の波長は非常に良くありませんでした。道を歩いても人や自転車、もの、車等に遮られスムーズに進むことができません。ヒヤリとすることはないのですが、兎に角、何かに引っかかる感じでスムーズに進まない最悪な日でもあります。世の中、何の干渉も無くスムーズに進む最高ーな時もあれば、何かちょくちょくと停滞してしまう日もあります。そんな時は自分の中で悪いリズムが繰り返す感じでもある。特に体内のスピード・時間があるものはその感覚からズレると気持ち悪さやイライラも倍増します。私は自分自身の波長が良くないと考えてリズムを正すようにしています。一呼吸つき、良き波に乗ろうと思うのですが、大抵、そのような時には一日の始まりから終わりまで悪い。こういうのはスポーツ選手のゲームの流れ的な話でも良く聞く話でもあります。波長とは「山あり谷あり」の波形でもありますし、誰しも、持っている異なる波長では合う・合わないもあります。脳は01デジタル化の直流化に侵されておりますが、野生的・体感的な波長は音や電気の交流電源にしても波であることを考えると、人の直感的に感じる好き嫌いを含めても、その人や時々が持つ波形的なものが重要な気もします。思い返すと、とりあえず、人が多くて、いろんな人の波に干渉されることが多かったのかもしれません。

 前述のように大きな「山あり谷あり」の安定した波長とはしんどくもあります。様々な波形が干渉してスムーズに物事が進まない時は、「山あり谷あり」波形では上下に細かく波打つカタチでもあります。それは金融のチャートのように多数の人の意見により上下と心を動かされた波形に近いのかもしれません。人生とは「諸行無常の響きあり、盛者必衰の理を顕す」とすれば、終息の時は必ずやって来ます。そのような時に安定した「山あり谷あり」だと長い坂道を登ったり、長い坂道を下ったりすることになります。自分の波長が毎日続くということには悪い波長であれば永遠に感じる事柄なのかもしれません。人は安定した苦痛に耐え続けることはできるのでしょうか?安定した波形に多少の危機感は感じます。

 一方で干渉が多い場合には波形も多彩に変化します。長期トレンドでは下り坂であったとしても、上昇下降の小さな浮き沈みを多数繰り返すことはそんなに悪いことではないようにも思います。いろんな人の干渉を受けながら時折の上昇下降を感じることは逆に良いことかもしれません。【結論】 スムーズに物事が運ばない時には確かにイライラもしますが、波長が干渉されて自分も変化している思えば、永遠の苦痛に耐え忍ぶことに比べれば変化多きことは良きことなのかもと思ったりもします。

ということで。

直近の人生の中で作り上げたいと思うことは写真のような3Dの自分だけの空間を作ること。
Quillの操作方法はほとんど落ちていないので個人的なメモです。
VRというのはパソコン入力とは別次元で運動に近い作業です。
習い始めのスポーツをしているように運動神経の悪さを感じますが直感的に操作できるまで繰り返すと操作できるようになるのかも。
写真は3Dパーツを複製して作った「緑の木」と「青い水」です。

昨日学んだ【3Dオブジェクトの複製方法】

1)右手の「DRAWモード」のトリガーを引いて対象物を描く。
2)左手の(X)ボタンで右手の「DRAWモード」から「選択モード」に切り替える。
3)右手の「スティック」で選択モードの円の大きさを変化させて対象物を囲い、右手「選択モード」のトリガーを引くと対象物は点滅して指示選択されます。
4)左手の「ALT」トリガー引きながら、右か左の「GRAB」ボタンを押しながら、点滅する対象物を横にずらすと、対象物をコピーすることができます。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月18日(水)
■風吹く秋のビール。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月19日(木)
■一日一文章トレーニング。

「冷蔵庫の温度で固まるオリーブオイルの凝固点の違いを見つけたので、それについて調べた」

朝起きて窓を開ける金木犀の香りが部屋中に広がります。
時の流れとは早いもので、ほんの少し前に金木犀が咲いたと思えば早1年のもうこの季節。
こんなにも無味乾燥な街の中に広がる黄色い香りを漂わせるのは金木犀以外にありません。
どんどん・じゃんじゃんと秋の五人囃子の笛太鼓な感じの騒がしき香りでもあります。
これは金木犀のお祭りなのかもしれません。
この夏の猛暑を乗り越えて、よくぞ耐えきった植物たちのお祭りです。
私のような軟弱者が植物であれば、この暑さと直射日光で枯れてしまったであろう猛暑を乗り切った植物たちの喜びでもあります。
さぞ、他の植物たちも金木犀の香りの化学物質を楽しんでいると思います。
最近、私は生魚を触っていたので生魚の匂いにも敏感です。
むしろ、鼻の記憶に生魚の匂いが残っているようでもあったので、そのような嫌な匂いを忘れさせてくれる良い香りでもあります。
鼻の記憶とは不思議なもので絶対に金木犀の香りが届かないような場所でも、突然、鼻の記憶が蘇ってきたりもします。
なので、この金木犀の香りも昨日嗅いだ金木犀の記憶かと思うのですが、確かに窓の外から風に乗って漂ってくる良い香りです。
風流、雅、よっしゃー。

先日書いたオイルサーディンのような、アヒージョのような、怪しい子持ちシシャモはお酒入りと、あらかじめカットしてお酒が入っていないものに分けて仕込みます。
一度気に入った味は、何度か作ってものにしたい味でもあります。
写真の大きい容器は丸々のシシャモ入りでアヒージョ風の炒めものとして食べる予定です。
小さい容器は前回と同じで、お酒が入っていないスパゲティー用の仕込みもの。
オリーブオイルが勿体ないとの話もあるので、お酢で程良く割って薄めてオリーブオイルの量を減らします。
お酒は生魚の匂いは嫌なので消臭効果を期待しての投入です。
そうすると、冷蔵庫で保存するシシャモに面白いことを見つけます。
それは同じオリーブオイルなのに、粘度に違いがあること。

・お酒入りのシシャモは水のようにサラサラなオリーブオイルの液体である。
・お酒の入っていないシシャモのオリーブオイルはやや粘り気があって固まっています。

この違いは何であろうか?と考えれば、これは凝固点の違いではないかと考えます。
化学の人にとっては当たり前のこととは思いますが、一般ピープルにとって冷蔵庫の中で固まる液体と固まらない液体の違いは不思議なことでもあります。

通常、私たちが身近に感じる凝固点は水の0度だけ。
この夏場は暑くて大量の氷を消費しましたが、氷だけが日常的に感じる凝固点です。
ただ、ごま油も冷蔵庫に入れているとねっとりと固形気味なごま油となるので、薄々、ごま油の凝固点は冷蔵庫内の温度であることにも気付いておりました。
ネットで調べると、ごま油の凝固点は10℃ぐらい。
それと同じようにオリーブオイルの凝固点は6℃ぐらいとありますが、添加物を含む種類によっては10℃からでも白く濁ったり固まったりもするようであるので、この10℃ぐらいが冷蔵庫内で凝固し始める温度のKORE(コレ)です。
つまり、KORE(コレ)で・ARE(アレ)とややこしいのですが液体が固形に固まる温度はその液体によって異なって、オリーブオイルは10℃ぐらいから冷蔵庫内で固まりはじめることになります。
そこで、そのようなオリーブオイルに不純物のアルコールを投入すると、液体の凝固点がアルコールの凝固点へと移動したのではないかと考えました。
アルコールの凝固点は−117℃らしいので、当然、オリーブオイルはサラサラの液体となります。
よって、
アルコール入りのオリーブオイルの凝固点は物質の変化でアルコールの凝固点へと相転移したことになります。

仮にアルコールを入れていないシシャモを長期間、冷蔵保存するとして、もし魚が発酵し始めたら途端に固形のオリーブオイルがサラサラの液体へと変化するようにも思えます。
発酵とは微生物の働きによってアルコールとガスを発生させる活動でもあります。
これは発酵パラメーターとして使えるのかもしれません。
子持ちシシャモに火を通して、怪しい自家製のなんちゃってのオイルサーディンを作って見ますか?
ウシシシ〜楽しみだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月19日(木)
■風舞う鳥どり。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月20日(金)
■一日一文章トレーニング。

「足の温度を測る趣味を見つけて少しうれしい」

朝、起きて窓を開けたら、隣の家の屋根の上をムクドリの群れがチュチュン・チュチュンと現れ出てきた。黒い屋根から黒い影の主たちが姿を見せはじめることは映画のワンシーンのようでもあります。乾いた夜明けの大地の境界線を超えて一羽一羽と数を増やしていく様に、チュチュン・チュチュンとお前たちはスズメに化けた大悪党なのかと問いながら、私は鳥たちを凝視します。「あっ」気づかれた。鳥たちは私のおめめに気付き、わらわらと一斉に飛び立ちます。あっという間の西部劇である。部屋の中に金木犀の香りが漂い、物語が始まるとすれば砦を守る戦端が開かれます。

ということで、

夢の中では増える竹をノコギリで伐採していました。竹にガリガリガリガリと切れ目を入れて、蹴って向こう側に倒し、後は土を掘り返して竹の根っこを根絶やしにするだけの重労働です。もちろん、竹を切ったことは人生の中でも一度もありません。あまりにも何も書くテーマがなかったので寝ながら何を書こうかと考えていたら竹の伐採をしていました。金高騰な世の中でもあるので、まだ、砂金をガサゴソ掘り出している方が100倍有益でもありますが、夢の中では大満足しながら面白いネタをゲットできたと竹を伐採していました。今思うと何をしているのだろうと思う謎行動でもある。竹の伐採範囲は1メートル×細長い距離なので狭い範囲でもある。花壇にしようとほったらかしにしていたら竹が侵食して来たので「竹を切るべ」と格闘している感じであります。根っこはシャベルで掘り返します。全部の竹を伐採して朝目覚めて、ムクドリの一群れを眺めて西部劇な悪党が攻めてきたという話の体で今朝は何を書こうかと大あくびしているカオスな展開でもある。

朝起きると、私には先ずは日課があります。
カーテンを開け、窓を開けて、「今朝の室温は22.8℃で湿度は58%」とメモる。
窓を開けると涼しい風にのって金木犀が部屋中に漂い、小鳥たちのチュンチュンな大合唱もあり、これはリゾートホテルでもあり得ない理想的な朝でもあります。
そのような室温の計測とは他に、最近は足の温度も測っています。
世の中に朝起きて体温を測る人はそれなりにいるとは思うのですが、足の温度を測る人は早々にいないと思います。
大体、足の各部位の温度を計測するにはそれなりの技術が必要です。
この温度計測に何の意味があるのかと問われれば、それは何も意味のない全てネタ集めの趣味であり、仕込みでもあります。
人の趣味が温度を測ることであったら、人に何を言われようとも趣味です。
年も重ねると趣味とはなかなか見つからないものでもあり、まして、足と床の温度と室温、湿度を測ることが趣味であるとプロフィールに書けることはとっても素晴らしき変態性もある。
このことは、あまり人には話さないでおこう。(絶禁句)
足の計測は10月14日の夜から計測します。
朝起きて計測して、夜のお風呂上がりにも計測し、1日2回の計測です。
10月13日に足のつま先の冷え性を発症しましたが、足の細部を計測してからは未だ足の冷え起こらずで、このデータの活躍はまだ見られません。

計測する部分は(1)体温と、(2)足のつま先の上の親指部分と(3)下の親指部分、(4)足の裏の飛び出た部分と(5)土踏まずと(6)かかと、それに(7)足のこうと(8)ふくらはぎと(9)床の温度の合計9箇所の温度を計測しています。
寝る前からあちこちの温度を測ってメモって大変忙しい。
しかし、11計測もするとそれなりに足の法則というものも見えてき、短期間ではありますが面白い発見もあります。

・私の体温が平均して36.0℃で低く目な体温。
・この6日間の平均床温度は23.0℃で、私たちの体温は常に−13℃分ぐらいの熱を床面から奪われていることになります。
・(7)足のこうと(8)ふくらはぎの温度はいつも体温に近い温度で保たれています。
これは体温の保温機能が足のかかとまで機能していることで、足の裏とつま先までは体温の保温が及ばないことを意味していているように見えます。
・毎日、何かをすることは上手くなる秘訣のような気もしますが、足の絵は毎日、どんどん下手になります。
写真は足の温度の情報のメモです。
本のような形式な紙にメモっているので、最終的に手作り本にしたい。
まだ、一枚目でとっても先の長い話でもありますが、紙の厚さは4センチオーバーぐらいあるので、これは随分長く観測できるお話でもあります。
これは観察対象物は良く見て描かないと、毎日描いていたとしても想像の足は歪みデフォルメされてイタリア半島みたいなアバウトなカタチの足となります。
上手に何かを書くことには一に観察、二に観察、三もできる限りの模写ができれば、それなりの文章や絵になるような予感です。
この呆則は毎日やっても、意志無き道にはそれほど上達泣き(なき)〜道なのかもしれません。
ぞなしも。

 
■2023年10月20日(金)
■昨晩製作した3Dのキャラクター。

*デスクトップ画面用の画像です。

*タブレット携帯画面用の画像です。
■2023年10月21日(土)
■一日一文章トレーニング。

「何だか分からない課題を一つ終えた」

【課題】
架空の新商品を考案し、その商品の特徴と魅力、ターゲットを記載しなさい。また、その新商品を拡販する為の広告するイメージ(ラフスケッチ)を作りなさい。

(1)新商品:
(2)商品の特徴と魅力:
(3)ターゲット:
(4)イメージ(ラフスケッチ):
・提出期限:2023年10月23日(月)まで。

 昨日は夢の中で竹を切る重労働をしていました。今朝は謎の課題提出でわたわたとしています。現実の私が横着者であれば、当然、夢の私も横着者でもあります。課題には何も手をつけずに、夢の終わりまで白紙状態でうろうろとしていました。私が夢の中で行う行動と言えば、他人の進行状況などを確認しに行って、無駄に話しかけ邪魔をして戻ってくるだけの簡単なお仕事です。夢の中であれば、「ホホイのホイ」で完成してしまえば良いものなに何もしない(イライラ)。夢の中の私は全くやる気なし。結局、現実の私が突貫工事で仕上げます。夢の中の私が決めたテーマは「コーヒー」。大して好きでないコーヒーを選択する意味もわからないのですが、夢世界から目覚めてバトンタッチし新商品のコーヒーについて考えることも意味不です。謂わば、これは何かの授業に参加することでもあり、スカイリムのウィンターホールド大学に入学したけれどもクエストに忙しくて全然学校に行っていなかったことのつけかもしれません。

アイデアの源泉をどこに求めるのか?とりあえず、直近の記事からネタをひっぱり出して書くことが手っ取り早い。コーヒーと言えば、利休ということで新コーヒーは「千円(高〜)利休」に決定です。

湯呑で飲むコーヒーはあまり好きではありません。飲むならやっぱり今風なカップが良いもの。「詫びの精神」とはシンプルとすれば、今のお洒落な定番カフェとはシンプルで削ぎ落とされた「詫び的なカフェ」です。「寂びの精神」を味ある古い感じだとすると、古き建物の外観をそのままに活かす素敵空間なカフェもよく見かけます。どちらも、日常風景であることを考えると、千利休の「侘び寂び」の精神は今も確実に現代に息づいていることは確かであり、そこに新しさを見出すことはできません。

そういえば、昨日は風が強い一日でした。ビル風の突風に目が一文字となるビシバシした風でもあります。そのような風の強い道を真っ直ぐに直進していると、前方のカフェのオープンテラスでお茶しているおじさんがいます。「こんなに風の強い時にオープンテラスとは随分ロックな人だな」と思う。サングラスをかけて、耳にiPodみたいなのを挿し込み、足を組んで小さな机に大きな体でノリノリにオープンテラスでカフェしています。おじさんの隣では落ち葉が人の丈ほど渦巻いて舞っています。この環境下でカフェできることは何かすごいことでありますが、用事を済ませてからの戻り道でも、まだ、一人オープンテラスに座っていました。www 私と言えば、一人カフェでお茶をまったり全く楽しむことができないタイプでもあります。なので、ほんの少し羨ましくも思います。椅子に座ったらズッズっと飲み干して、すぐにでも動きたくもなる感じは、落ち着きのないお茶タイプです。なので、一人カフェをすることもほとんどありませんが、このおじさんは間違いなく利休タイプではありません。本物のDJを見たことがないので何とも言えませんが、昭和のDJみたいな風貌でもあるので茶道型としては昭和DJタイプに分類します。

千利休のコーヒー好きはすでに開拓済みで新しさも無いとすれば、これまた過去記事の資源に乗っかるしか手立てはありません。直近の好きなフレーズは「反対言葉は自己防衛の防御反応なのかもしれない」というワードです。新しきことは反対言葉に有るのかも?ということで思案すると、コーヒー好きの反対はコーヒー嫌いな人たちです。ならば、その中間な人たちもいることも然り。コーヒー好きとは苦くて真っ黒なコーヒーが好きな人達のことで、そんなにもコーヒー好きではない薄目のコーヒーが好きな人たちも必ず存在することが、世の中の習わしでもあります。

(1)新商品:ほとんど牛乳のコーヒー
(2)特徴と魅力:コーヒーの量が少ない。苦くないマイルド・コーヒー。
(3)ターゲット:黒くて苦すぎるコーヒーが少し苦手だけれどもコーヒーは飲みたい人たち。

コーヒーはコーヒー好きに媚びた黒いドリンクでもあります。世の中には声の大きいコーヒー好きだけではありません。黒くて苦いコーヒーが嫌いな人たちもそこそこにいて、また、その中間層もそこそこいると思われます。よって、ほとんど牛乳で薄めたコーヒーが好きな人たちも1/3ぐらいはいるのかもしれません。

何だか分からない課題を一つ終えました。
ふ〜疲れたぜ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月21日(土)
■しゃべり負けない。
■2023年10月22日(日)
■一日一文章トレーニング。

「色の変化は食べ物の色によって決まるらしい、そう言えば、卵の白茶もエサによって決まるようである」

今年の金木犀の香る季節は少し短いのかもしれません。
鮭の切り身を模写していたならば魚の匂いが部屋に充満します。
ですが、数日前であれば金木犀の香りがそのような魚類の匂いをキレイに洗ってくれました。
今は窓を開けても金木犀の香りが微かに香る程度で、香りの境界線は確実に押し下げられる魚の匂い天国です。
魚の匂いとは重要な問題です。
魚を買ってきたら適切にクッキング・ペーパーと軽く塩をふることで多少匂いを軽減できているような都市伝説でもありますが、それでも、やっぱり魚の匂いとは気になるもの。
どうにかならないものかと思う肉食系の私ではありますが、今は魚を週に1回でも2回でも魚を多く増やして食べるようにしています。
その理由は一にも二にも漁業の応援。
震災被害の延長上にある原発の廃炉する為の処理水を安全かつ排出することで世界中が一致協力する案件でもあります。
なのに、日本の水産物を禁輸するという少し頭がおかしな国も存在しています。
これは震災の後遺症で困っている人たちを棍棒で叩くような感じでもある。
しかし、それら国々は日本のEEZ内で漁業をしていて意味不でもある。
今まで限界まで処理水を溜め続けて先送りしていたことにも問題はありますが、大口を叩いているあいつらを絶対に許さないと思うのが人の心でもあります。
狙いを定めて!!いつか、仕返しをしてやろうぞ、食の恨みは恐ろしい。
ということで、
魚には無縁ではあるものの、肉食を減らして魚を消費しています。

写真は石巻産の養殖・銀鮭。
見た目でもテリテリと輝く脂のった美味しい鮭です。
この養殖銀鮭はキレイなサーモンピンク色ですが焼くと写真のように白っぽくなるのが面白いところ。
焼く前はキレイなサーモンピンク色なのですが、焼くと白っぽく色身が変色します。
先日はチリ産の同じ養殖の銀鮭を食しましたが、これは焼いても赤色が強い鮭でした。
同じ銀鮭なのに色身に違いがあることは不思議なことでもあります。
養殖地域の育つ環境によって色身が変化するのか? はたまた、北米のキングサーモンなどは外観からも赤く色づいたりもする時期もあるようなので、漁獲時期によって赤色の身になったり、白っぽくなったりと変色するのか?よくわからないので・・・ネットで調べたらエサの問題でした。
甲殻類のエビの赤い成分のエサをよく食べれば、その鮭は赤い身に変化するようで、みかんばかり食べていると肌の色がオレンジ色になるみたいなものです。
養殖のエサをエビ・カニ類にして真っ赤赤の銀鮭が良いと強く思います。

銀鮭は珍しい大辛の特売品2切れ入りのものを購入。
流石に高級紅鮭1切れよりも高くはなりますが、それでも一切れ分に近い家計に優しいリーズナブル価格です。
このほぼ半分ぐらいの価格差とは最近の物価高で体感する現在の食料品の価格上昇に近いものを感じます。
生産国はインフレに強い側面はありますが、食料品や肥料、エサのほとんどが輸入に頼る我が国であれば物価高の影響を強く感じ部分もこの辺りです。
今、一番インフレを感じやすい場所はコンビニです。
菓子類はステルス値上げで分量が半分近くまで減少して、牛乳やパック系のジュース類なども2倍とは言いませんがそれに近い値段まで価格上昇しています。
なので、
ウクライナ戦争が始まってからの食料品の物価価格はほぼ2倍近くまで上昇したことになります。
戦争を始めたあいつらも絶対にゆるさん。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月21日(土)
■しゃべり負けない牛モォ〜。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月23日(月)
■一日一文章トレーニング。

「秋の深まりを感じながら、欠片から全体を視る方法について考える」

土曜日の夜から関東平野の空気も入れ替わります。
それは湿度30〜40%台の乾燥した少し肌寒くも感じるヒンヤリ空気です。
当然寒くも感じるので適度に室温調整しながら、それまで全開であった窓も閉めます。
窓を全開にしていることは外の自然と繋がることを意味します。
自然と繋がることは、小鳥のさえずりを聞き、散歩する犬の吠えにうるさいと感じながら、金木犀の香りを楽しみ、外の全てと遮るものなく繋がることでもあります。
それは近所の生活音やこちらの近所迷惑な音まで直に丸聞こえとなってしまう開放感でもあります。
江戸時代であれば、障子一枚のお隣さんでこのような感じであったのかもしれません。
隣のお家で起きた出来事は話す前から、お隣さんの周知な出来事であることは怖いような、説明不要であれば隠すこともない気楽な生活なのかもしれません。
ネットワーク的に自然と一体になることは、このような障壁を無くして上下左右に開けっ広げにいろんなところとオープンに繋がることでもあります。
これがオープン社会の一つの形態であると思いながら、寒いので窓を閉めると、それはそれで何だか壁ができて正直「ほっと」する自分もいます。
大体、オープンな社会を謳いながらプライバシー強化することは全く逆なことであります。
これこそ、アクセル踏みながらブレーキを踏むようなものでもある。
この辺はよく考える必要はあります。
全開であった窓を閉めて「ほっと」することは、開放感・快適さと引き換えに。不安や居心地の悪さもあることを暗示しております。
しかし、そんな開放感と不安入り交じる期間も短いもの。
自然とは暑く寒く牙を向いてくるのであり、人は自然の変化を自然と受け入れて再び障壁を作り部屋と外との繋がりを切断することになります。
人が身勝手なのか?自然が身勝手なのか?開けたり閉めたりしながら、ほんのひと時の短き快適な気候は終わろうとしています。
あ〜何と短い快適な気候な頃合いでありましょうか。
今日から薄いものを一枚羽織ろうかな。

ということで。

ネットで鮭のことを調べていたら、とんでもない事実に気がつきました。
それは鮭の切り身がどのように切られてお店で売られているかの真実である。(真実を見ろ!!)
ご存知のように鮭の切り身は、その切り身のカタチから魚っぽいARE・アレのカタチをしています。
一方が膨らみまん丸と、もう片方は狭まって尻尾のようなアレである。
なので、鮭の切り身は、普通の魚のように骨にそって縦切りされた魚であると(上記の右上図)のように、何となくボンヤリと思っていましたが、実際の鮭の切り身は画像のように内臓を取り去った後に足の生えたような対称型な身を横にカットされて1カットから2つの切り身ができる算段の切り方であることを知ります。
それは予想外の切り方ではあります。
ですが、よくよく考えれば、なるほどで当たり前なカタチでもあります。
魚の切り身しか見ていなければ、その全体像をイメージすることはとても難しいことでもあります。
一つのパーツだけを見て、それがどんな機械を使い、どのように型を抜かれて製品になるかなんていう全体像を予測する目を養うことはとっても難しいことでありますが、一部から全体を予測することは「過去情報の復元」のようでもあり面白き遊びの予感です。
ネットという優秀なぼんくら先生が、そのようなカタチも教えてくれるのですが、それも見つけたのは偶然であり、疑問に感じる発想もない。
そのような一部から全体を予測する能力とは観察眼や興味のアンテナが拾うようなものかもしれない。
鮭の横スライス画像を初めて見た時に思ったことは、そのまま歩いたら可愛らしい足の生えた鮭の切り身です。

鮭の切り身が、それがどの部位であるのか知らなくとも今まで生きてきた中で何の不具合もない雑学でもありますが、もう一つどうでも良い鮭の雑学を一つ。
もともと、白身である鮭が(鮭は白身の魚なのですよ!!)赤身になる為にはカニやエビ等を食べる必要がありますが、それにはアスタキサンチンと呼ばれるカロテノイド系の色素を摂取する必要があります。
アスタキサンチンはカロテノイドの一部であり、またカロテノイドはイチョウの黄色い葉っぱと同じく油分を含む色素でもあります。
鮭は赤い身である程に脂を持つことは色素成分からも納得です。
なので、赤い身の鮭は脂がのっていることの間違いなきことでもあり、アスタキサンチンは眼精疲労の効果もあるようです。
アスタキサンチンとの聞き慣れない単語は「明日滝三珍」で覚えます。

 

*デスクトップ画面用の画像です。

*タブレット携帯画面用の画像です。
■2023年10月23日(月)
■鮭の切り身は学ランのズボンのように見えてきた。

■2023年10月24日(火)
■一日一文章トレーニング。

「3面性の構築を目指して頑張っています」

「アスタキサンチン」を暗記するには「明日滝三珍」しかありません。
頭の中では「鮭の身を赤く染める色素物質の名前は」→「(1)明日」→「(2)滝」→「(3)三珍」の3工程で辿り着きます。
意味不明な文字の羅列は脳を固まらせるのに十分なワードではありますが、「なぜ?」こんなにも覚えにくい名前を名付けたのかと思い調べます。
「アスタキサンチン」は1938年にリヒャルト・クーン(オーストリア)によって発見されて命名された物質名です。
分子式はC40H52O4。
これはβカロテンの分子式C40H56と酸素部分が抜けた感じと、ほぼ同じようなカタチの成分でもあるようです。
酸素が付着するだけで機能や効果が変化することが面白いのですが、分子の数が40や56と数多すぎて繋ぎすぎなところもワケワカメで面白いところです。www

昨日の「オープンな社会とプライバシー強化の関連性」を「アスタキサンチン」の分子ネットワークのように考えれば、これまた至極複雑な構造でもあります。
意識して認識すればさらに繋がりも増えてと人のネットワークと複雑怪奇で誰と誰は繋がって、誰と物も繋がっていくネットワークでもあります。

一日一文章トレーニングだと、表面は完全クローズドしております。
なので、プライバシーな事柄は一切表に書くことはありません。
書くことは徹頭徹尾・自分自身の内面なことであるので、本来であれば決して人目に触れることのない裏側の内面の世界が開放されていることが特徴です。
仮に、人には表の「表面」と裏の「内面」の2つの顔があるとすると、どちらの顔が本物の自分なのでしょうか?
恐らく、どちらも本物であって、どちらも偽物です。
その理由はどちらも、虚飾できるし、時に本心と違うことも適当に書き、また。話すことも自由自在です。
その意味に於いて、どちらかが本物偽物とかではなくて全てが私自身であります。

この世の中がフェイス・トゥ・フェイスの表面と表面の繋がりであるとすれば、このページの表のプライバシーはマスクを被った秘匿した状態で、裏面の内面は完全なガラス張りである状態は、一般的なカタチとは若干異なるレアケースなカタチでもあります。
内面とは常に隠したいと思うのが日本的なことでもありますが、昨日の江戸時代の長屋ではありませんがオープンにすると楽な面もあります。
人は他人の内面が見えないことに恐怖し疑心暗鬼になることも多々あることですが、相手の内面が見えていたならば恐怖感もあまり感じないのかもしれません。
しかし、裏面の内面は見えてはいますが、表のプライベートは完全なる防護壁で遮断されていることは重要です。
常にダイレクトに世の中と繋がることは、とてもしんどいことでもあるので、個人的な感想だと、いっとき有りか無しかで話題にもなった匿名的なことにはそれなりに有益なことも感じれます。

ということで、

「アスタキサンチン」のような複雑な裏表+その他の三十面相というのもアリなのかもしれないと思い、もう一つの3Dの仮想空間で日々格闘しています。

日々と言っても2日に一日ぐらいの私だけの3D空間作りです。
記憶とは恐ろしいもので、以前は出来ていたことも2〜3年VRに触っていないと完全に忘却します。
なので、再び学ぶ呆則は自分の為にも、学んだ事柄は確実に記録に残すようにする必要があります。
アホは本当にすぐに忘れてしまうのです。
3DVRであれば「Oculus Medium」の方が直感的に使えて本格的なものも作れて良いのですが、個人的にはQuillの雑で中途半端でダメな感じが好きなので、先ずはQuillということで夜な夜な3D空間に潜ってイマイチなものを作っています。

<Quillで球体を作る為の方法>

1)先ず、(左)「ALTトリガー」+「Y」でメニューを表示して、「Tool」内の「Document」「ポリゴンボタン」を押す(必須)。
このボタンを押すと製作するオブジェクトのポリゴンが表示されるようになります。

2)できるだけキレイにアバウトに半円を描く。
Quillはキチッとしたものを作りたい人には向かないアプリです。
【重要】この半円を一周回転させて3Dの球体を作るイメージです。

3)半円の中央に浮かぶ「ジンバル(回転軸)」の中心点を指示して(右)トリガーを押して掴み、ジンバルを回転させる軸の頂点部分に移動させます。

4)次に、移動させた「ジンバル」の回転させる方角の指示し掴んで同じ半円を複製して隙間なく移動させます。
この作業は(左)「ALTトリガー」+(左)or(右)の「GRAB(掴む)」を押して右横に移動させながらコピーします。

5)後は、(右)「スティック」を「右に倒す」と連続してコピーして複製して3Dの球体を作ることができます。

6)360度回転させて完全な球体ができていることを確認すれば完成です。

いやはや、右・左・三次元に体を動かして作る3次元操作には運動神経も必要です。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月24日(火)
■トラック・リズム。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月25日(水)
■一日一文章トレーニング。

「十読は一見にしかず」

十度読むよりも、一度写す方がよく覚えるという意味。

ということで。

アスタキサンチンの分子式を描いてみました。
朝からCだHだと線を繋ぎ、数を数え、「あれっ」Hの数が足りないぞということで、数え直して加えて作る分子式。
ネット上には丁寧に分子記号まで記載されたものは無いので、自分で継ぎ足ししながら描きます。
上記ことわざは本当のことで、昔の人達は良い言葉を残します。
「十読は一見にしかず」何でもない普通な言葉ではありますが、確かに模写してみないとわからないことは多々あります。
絵を描いても空想と模写して描くのとは、見たままを大体のテキトーに写したとしてもリアリティや発見の差は歴然にある。
実際にこのような意味も分からない「明日滝三珍」の分子式でもあっても書いていると、何となく見えてくるものもあります。
C40H52O4ということは、C(炭素)が40個、H(水素)52個、O(酸素)4個の分子でアスタキサンチンはできています。
私の場合はCをN(窒素)と思い込みの勘違いして描いていたので、全てをC(炭素)に変換する二度手間の修正で描き直しましたが、どちらにしても狂ったように長くて多い分子の数であります。
何でこんなことをしないといけないのかと思うのですが、全ては文章を書くトレーニングの為です。

この形状を見て、先ず思う特徴は炭素40個のディレクトリで出来ていること。
炭素は炭やダイヤモンドのように強固に連結するととても硬くもなります。
そして、分子図の左と右の端っこには6角形の硬い炭素形をみることができます。
ただし、真ん中は炭素と水素の結び付きは1本線でとても脆くもあります。
恐らく、これはカチカチの炭素のカタチで固まってしまうと硬すぎて、生物として活動する栄養分や成分としてはにっちもさっちも行かないのではないのかと思います。
脱皮や動く時の弾力性などを考えた時に適したカタチがこの分子式なのかもしれません。
酸素の結合する部分は端っこの4個だけとなります。
弱い一本線部分は硬い炭素の6角形の中にあるので、反応性の高い酸素と結びつくことがないことが、カロテノイド系のアスタキサンチンには抗酸化作用があると言われる所以なのかもしれません。
おまけに、アスタキサンチンを持つ生物は大抵、水の中にいるもので、酸素との結合する機会も少ないのかもしれませんし、若しくは、水の中の生物なので酸素分子は少しはあった方が利便性があるのかもしれません。
陸上にあるβカロテンだと全く酸素と結合していないので、もっと抗酸化作用は強いと思われます。
次はβカロテンの分子図を描いてみましょう。
このような分子の構造を見ていても、何となくエビやカニの硬い殻の雰囲気は理解することができます。
鮭や鳥たちは赤い生物を何となく直感的に食べることで、紫外線やフリーラジカルのような攻撃から体を守っているのだと思われます。
硬い色素分子な食べ物を毎日食べていれば、それは体内に色素が沈殿することも理解できます。
図を見ても赤色と発色する理由や仕組みは全くわからないのですが、エビやカニを食べると、固く結合した12/40の炭素部分は絶対に壊れないので、それが沈殿すると思われる仮説です。
分子は食べたぐらいでは壊れることはないのでしょうか???
そう言えば、
フラミンゴのピンク色もアスタキサンチンの赤色色素であのような赤×ピンク色になっているようであります。
本物のフラミンゴを見たことがないので、何とも漠然とした知らないピンク色のフラミンゴなのですが動物園でも赤色に着色したエサを与え続けないと白いフラミンゴになるようなので、白鷺のエサにカニ・エビ類をあげていたらその内にピンク色の白鷺になると思われます。
サプリメントで使用されるアスタキサンチンはコンクリートやアスファルトに発生するヘマトコッカス藻という藻を大量に培養して使用しているようであります。
食べ物の影響が肌の色に影響することが面白いです。

 
■2023年10月25日(水)
■色の動き。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月26日(木)
■一日一文章トレーニング。

「私の場合、図会に描いて具体的なイメージを作ってこそ理解できるものであります」

いやはや、昨晩の集中豪雨はすごかった。
人生で初めて、単なる雨だけも怖いかもと思ってしまう爆音と大雨の量です。
先ずは雷がピカピカゴロゴロと始まってポツポツと雨が降り出したかと思えば、それからの爆音な大雨です。
バケツをひっくり返した雨というものは幾度か体験したことがありますが、高速に打ち付けるような大雨は初めの経験でもあります。
それくらいに昨日の夜の雨はすごかった。
縄文人の家ならば間違いなく壊れてしまう大雨です。
窓ガラスにカチカチと雹か雨粒なのかよくわからない固いものが物凄い勢いでビシバシと当たり、心配で玄関の方に見に行くと。その雨音はジェット飛行機の騒音レベルみたいに爆音で鳴っています。
この雨が降っている場所がとても限定的で荒川文京千代田(あらぶんちょ)+港区辺りを真っ赤に覆う限定的な大雨でもあります。
電柱の照明も雨に打たれてヘドバン状態で、「これはヤバいわ」と思いながら雨が止むのを待ちながら分子図を描きます。

図はアスタキサンチン(C40H52O4)を改良し、βカロテン(C40H56)と比較したもの。
何の為にこんなのを描くのかと思うのですが、なかなか、キレイに描けて満足です。
これら図を比較すると、ネットに書かれているように、βカロテンとアスタキサンチンは同じカタチをしております。
アスタキサンチンもβカロテンも全く意味不明な物質でサプリも全く飲まない位に感心もありませんが「本当に同じようなカタチをしているのだ」と感動するところは不思議な現象でもあります。
人の学びとは適当ではありますが、何となく興味湧いて気になる部分にはスポットライトが当たるものでもあります。

エチレン(CH2=CH2)の片割れCH2のH2個が取れてOHとO×2個に置き換わるだけのだけの変化です。
H4→O4
それだけで、βカロテンの色素「黄色・オレンジ・橙色」をアスタキサンチン「赤色」に変色します。
これは橙色がOと結びつくことで、侘び寂びよろしくと寂びて赤く変色しているようにも見えますが、どうなのでしょうか?

そして、もう少し面白そうなこともネットで見つけます。
それはこの脆そうな1本線の真ん中で切断すると、どうやらビタミンAが2個取れるようでもあります。
私たちがβカロテンを食べて、ビタミンAを摂取することはこの分子構造を2分割しているだけのことでもあるようである。
次はビタミンAとクロロフィル(緑から黄色の変化)の分子図を描いて比較してみたいと思います。

このように図に描いてみると分子のカタチには意味があり、切れたり、くっついたりと自由闊達にやりながら様々な機能的に変化していることがわかります。
因みに、サプリなどでビタミンAを摂取すると過剰摂取することもあるようですが、食べ物からβカロテンの栄養素を取り込むと必要な分だけを分解して作り出すことが人の体にできるようであります。
なので、過剰摂取にもならない人体の不思議です。

C炭素の6角形はシクロヘキセンと呼ばれ、ベンゼン素材であるようです。
因みに、C−OHの部分はヒドロキシ基と呼ばれ、アルコール・フェノール素材で、C=Oはカルボニル基と呼ばれ、ケトン・アセトン素材でもあります。
ケトンは知らんのですが、私にとればベンゼンもアセトンも全て同じアルコールにしか見えません。
恐らく、この強固な6角形のアルコール風のシクロヘキセンがイチョウの黄色い落ち葉のように、以前は油分が関係しているのかと思っていたけれども、なかなかに水で流れない耐水性色素の肝なのではないかと思うのです。(知らないけれども)

しかし、

昨日のヘマで覚えられない、若しくは絶対に覚える必要もないと思われるへマトコッカス藻からヒドロキシ基、カルボニル基、CH2か?H2Cなのか?がひっつくシクロヘキセンとシクロヘキシンの違いを含めても、少しいい加減にして欲しいものであります。
ムリムリなのですが、
無理してまだまだ続く、ビタミンAとクロロフィルの図解への道でもあります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月26日(木)
■化学式に反旗をひるがえしたシクロヘキセン群。
(シクロヘキセン=四黒壁栓)


■2023年10月27日(金)
■一日一文章トレーニング。

「βカロテンは2つ分のビタミンAの構造を持っています」

昨日、雹カキされた道は雹の山となる。
このように見ると随分な量の雹が降りました。
あの爆音の正体も雨音というよりも、雹がものにぶつかる恐怖音源でもありました。
ほっこりと暖かい良いお天気の一日ではありますが、路上で溶けずに固まっているので冬の溶けない雪みたいな感じでもあります。
冬の雪との違いは雹に混じる葉っぱが青色のイチョウの葉っぱであること。
見た感じ夏の氷に埋まった刺し身皿みたいでもある。
雹の山は集合体となることで、日の当たらない部分では溶けずに一日中冷えております。
最近は化学にも興味津々なので何かしらの不純物を含む雹なのかもしれないと勘ぐったりもするのですが、道路の落ち葉の乱れ具合から判断するに雹が凄かった地域は文京区辺りだけに限られるようでもあります。
いずれにしても、雹の山とは珍しくてはじめて見る山でもあるので「パシャリ」と写真に収めます。

ところで。

ビタミンAの構造式を描くと、間違いなくβカロテンの分子図と一致します。
毎度のことでありますが、こういうのは本当に感動することでもあります。
これはβカロテンを1摂取すると、ビタミンAを2つゲットできることを意味します。
F:中央部分でカットすると2個分のビタミンAが取れる構造式で、βカロテンはビタミンAの同じ構造のものが2つのトランス状態でくっついたカタチとなります。
切れた部分にHOの分子が結びつくとビタミンAの完成です。

ビタミンAは化学的にはレチノールと呼び元素記号は(C20H30O)となります。
ビタミンAは酸化、乾燥、高温、紫外線の全てに脆弱ですぐに壊れてしまう物質でもあります。
暗記案件の「四黒壁栓・シクロヘキセン」のC炭素の壁の片方がなくなると途端に不安定な物質となることの意味は、シクロヘキセンの壁が左右両端にあることで物質が安定していたことにもなる。
そのような壊れやすいビタミンAを保存する為には油分やカプセルに包めるなど保護する仕組みが必要となるそうですが、ヒトには血管という特別な容器があります。
人間の血に含まれるビタミンAもそのほとんどが、このレチノールであるらしいので、ヒトの血管は物質を安定させるカプセルのようなものであることがわかります。
いろんな栄養素を血に含み体内に循環していることを考えるとヒトの体とは本当に高機能なカプセルみたいな感じでもあります。

血液のビタミンAのほとんどレチノールでありますが、「レチノール(ビタミンA)」は体内に取り込まれて酵素分解されて栄養源やエネルギーとなると「レチナール(ビタミンA1)」に変化します。
「レチナール(ビタミンA1)」は元素記号が(C20H28O)で切断部分がO酸素のみで強く結合された状態です。
レチナール(ビタミンA1)は視覚に影響する物質でビタミンAからしか生成されない特別な物質でもあり、自家製生はできないので植物や肉などを摂取することによって、はじめて体内に取り入れることができます。
レチナール(ビタミンA1)は目の健康に重要な成分で、これを摂取しないと目に悪影響は出ます。
前述のようにビタミンは過剰摂取も体に悪いらしいので、健康を考えると満遍なくいろんな食材を食べて栄養を取ることで、体が必要と思う物質を取り入れていくことが美味しいし体にも良いことでもあります。

食べた食材からビタミンA1に辿りつくまでの工程を纏めるとこんな感じなのかもしれません。
口から目まで栄養素を届ける工程は8で大変長い道のりでもあります。

1)緑黄野菜を食べる。

2)化学物質C40H56(βカロテン)を摂取

3)必要に応じて酸化やNAD+酵素分解されて栄養素やエネルギーになる。

4)化学物質C20H30O(ビタミンA・レチノール)×2個に分割される

5)ビタミンAは血となり体内を巡る

6)必要に応じて酸化やNAD+酵素分解されて栄養素やエネルギーになる。

7)化学物質C20H28O(ビタミンA1・レチナール)が生成される

8)目に効く

目は常に使用し続けるものであり、いつまでも大切にしたい大切な機関でもあります。
なので、食わず嫌いしないでしっかりと食べたいと思います。
因みに、βカロテン含む野菜はカボチャやトマト、にんじんなどの赤っぽい緑黄野菜に多く含まれるそうです。
元素記号の図など描いて初めて大切に思う栄養のことは、如何にも雑な人生であることがうかがい知ることでもあります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月27日(金)
■全てを水に流してくれたシクロヘキサン。
「セン・サン・セン・サン」とややこしいのですが、
「シクロヘキセン」は間違いで、
正しくはで「シクロヘキサン(四黒壁三)」となります。m(_ _)mT
6角形の強さとは全てを優しく水に流してくれます。www

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月28日(土)
■一日一文章トレーニング。

「色素を食べると色素は体内に溜まりますが、それだけでは発色しないと思うので、その色素スイッチをONにする刺激というものもあると思うのです」

「朝起きて すでに眠い目 もう一度 布団にいれば 確実に寝む」 by四黒壁三

「ごーひちごー」で書くぐらいに眠い朝。
もちろん、季語なしで、春眠も十分に眠いのですが秋の眠りもなかなかに眠い。
そのような眠気まなこも昨晩からβカロテンのにんじんをポリポリと生で食べ始めたからなのか、至極快適な目でもあります。
ビタミンも分子から学ぶと、ヒトは人一倍に効き目を感じる暗示みたいものを発動してしまうのかもしれません。
なので、今朝はとっても快適な目の不思議な朝でもある。

思ったら即日です。
昨日は価格高騰気味の大きいにんじんをさっそく購入し、串揚げ屋さんのように細長くカットして水の入ったコップに入れてボリボリと食う。
家族で生のにんじんポリポリとする絵柄はカオスな感じもするのですが、味付けなしの細長いにんじんをボリボリと食べることは案外美味しいことでもあります。
色素を学習した結果を復習すると、食べ物の色は肌色の外観にも多少影響がある可能性は高い。
なので、今朝は「にんじん+牛乳=健康的な薄い赤・オレンジ肌色」になりそうな予感もしてバリボリと食べる。
ネズミ色や茶色・黒色の食事ばかりを食べていたら、間違いなく妖怪人間ベムの世界に住んでいる薄気味悪い血色の悪い住人みたいになってしまいそうである。
なので、食事は明るく、血色の良さ気なものを積極的に食べる。
暫くは「養殖鮭はエビ・カニを食べようなみたいに」茶色や黒の暗い色の食べ物を避けてカラフルで明るい色の料理を多めに摂取するように心がけますが、何よりバランスです。
食べ物のカラフルさが人の外観に影響があるのか?確証は持てませんが、それなりに影響があると考えられることも、此れまた自然の成り立ちを観察することで得られる知見です。
ということで、
カラフル食事の呆則を発動して健康肌になる算段である。
おそらく、三日坊主、いやいや、一週間ぐらいで忘却してシフトアウトしそうな予感もするのですが、見た目に影響する食事を追求するべく意味は大いにある問題でもある。

そして、生物の色が発色する時には色素を持つものを食べることも大切なのですが、色素のスイッチをONにすることも重要だと思うのです。
鮭はアスタキサンチンの成分ばかりを食べていても簡単に赤くならないのかもしれなくて、漁獲時にある程度のストレスや負荷を加えないと赤く発色しないと思うのです。
たぶん、日本の漁師さんは優しいので漁獲時に魚が傷つかないように、大切な子供を扱うように優しく丁寧に魚を扱うと思うのですが、ペルーの銀鮭養殖業者たちはたぶん適当です。(ペルー産の養殖銀鮭は赤い)
鮭はストレスを与え、怒らせて、必要以上の負荷を与えてから水揚げすると真っ赤な荒れ狂う赤色の強い鮭になるのではないかと思うのです。(+アスタキサンチン摂取も必須です)
何気に暗記してしまったヘマトコッカス藻についても、藻にストレスを与えることで赤く発色させるとの記載があります。
アスタキサンチンは赤い成分はあるけれども、それはカニ・エビのように普段は表に現れでないのですが釜茹をして刺激を与えることで初めて赤く発色するエビ・カニでもあります。
フラミンゴも人工密度が高すぎて鳥たちのフラストレーションも極限に高まり赤くなっているのかもしれません。
なので、色素を食べたら何かしらの負荷やストレスを肌に与えることでその色が現れ出るのかもしれないと思うのです。
どんな刺激の刑があるのでしょうか?
熱めの風呂に入る。釜茹での刑
恥ずかしさで赤くなる。羞恥心の刑
人工密集地帯で真っ赤にストレスを感じる。狭すぎる刑
肌に直接冷たい水の刺激を。滝行の刑
どれも、ストレスに晒されることは辛いこと。
いやいや、
鮭やヘマトコッカス藻、フラミンゴも刺激を加えられて真っ赤になって怒り発色しているのかもしれません。

履歴書の得意の欄に「人を怒らすことが得意です」と書けるぐらいに、人を怒らせることが得意です。
そして、また子供も人を怒らせることが得意である。
子供の頃は怒られている最中に「ヘラヘラしているんじゃね〜」みたいな感じで火に油を注ぐような子供たちがたくさんいますが、頭の中ではアスタキサンチンで赤くなる分子構造を頭に浮かべていたら面白いものでもありますが、実際は冷静に考えて大人が三角お目々にして真っ赤な顔で怒ることが子供にとっては面白いと思うのです。
なので、「怒・ど」なのです。
たぶん、「ど」って何だか面白い。
どのような刺激スイッチでもONしそうな予感ですが、「ど」は色素スイッチを簡単にONにする魔法のボタンで間違いないような気もします。

ところで、

最近、鮭の切り身とシクロヘキサン(サンやでのベンゼン環)の絵を描くことが大変上手になっております。
これは鮭の切り身とシクロヘキサンの六角形がとても好きであることの証明でもある。
これらは私の中の今好きなツボに入っていると感じるので、来月からのスコスはこの2つをピックアップしながら活動をしていきたいと思います。

そして、来月の肌の色がにんじんみたいなオレンジ色の肌になっていたら草である。wwwww

 
■2023年10月28日(土)
■やわらか。
■2023年10月29日(日)
■一日一文章トレーニング。

「酸素は外気だけでなく血液の中にもいました」

体内に空気を注射したら四ヌというのは子供時代からの言い伝え。
誰から聞いたのか?どのように広まったのか?大人風に言うと「記憶にはありません」と言うことではありますが、これは子供の頃の私たちに広く浸透した考え方の一つでもあります。
子供とは本物の注射でお医者さんごっこをしていたならば、本当にあちこちに注射をしてしまう危うさはあります。
なので、注射の危険性を広める意味でも、空注射の怖さを子供に知らしめるに十分な情報でもある。
実際に空気を注射したどうなるのか?とネット大先生で調べると空気感染する可能性があるとの回答でした・・・「何のこっちゃ???」
空気とは窒素(N2)が79%、酸素(O2)が20%、二酸化炭素(CO2)が0.04%な感じの空気感です。
空気感を感じることが得意な私でも、触れるものを片っ端から酸化させていく酸素割合20%は現代社会の縮図なような劇薬感も感じもして怖いのですが、窒素は酸素と結びつかないので空気の世の中はとても安定しております。
窒素と言えば、私の好きなクリスチャン・ビルケランド(ノルウェー)です。
役に立たない窒素を高出力することで電気分解して肥料を取り出した人でもありますが、この人は100年前に今、話題の電磁波で大砲を飛ばすコイルガン(レールガンの原型)の実験にも成功しています。
無意味な窒素に満たされることで酸素が薄まり、私たちの酸化のスピードを弱められます。
窒素とは何の役立たずでもありますが、植物にとっては必需品でもあり、目に見えない部分では大切な物質ではあります。

昨日、「血液中のビタミンAが必要に応じて酸化やNAD+酵素分解されて栄養素やエネルギーとなってビタミンA1になる」ということを書きましたが「あれっ」と引っかかる部分がありました。
それが血中に酸素は含まれるのか?です。
そこで、早速、血液の中に酸素が含まれているのか調べると血液に酸素は含まれていました
パンデミック下で有名になったパルスオキシメーターは血中の酸素を測る測定器で、数値だけで何も知らずに使用していましたが動脈血酸素飽和度と脈拍を測定しております。
血中に含まれる赤血球の中にはヘモグロビンがあり、そのヘモグロビン1つに対して酸素(O2)が4個付いた状態で体内の血液を巡って必要な部分に酸素を運んでいるようでもあります。(>_<)ノ知らなかった
そのような血液で運ばれる酸素量を増減を測って体調の健康具合を測れる仕組みです。
このような測定機は重さを測るのであればセンサー測定部分の小さなな伸縮を計測して実際の重さに当てはめたり、血液中のヘモグロビンと酸素の結合具合を計測したりとノーベル級の人々の生活を変えるセンサー大発明でもあるとも思います。

なので、血液にも酸素は存在しており、血中の様々の化学物質と酸素を受け渡し、酸化・結合しながら変化していきます。(とりあえずビタミンAしか知らないので、血中のビタミンAは酸素と結び付きビタミンA1に変化します)
そして、活性酸素であれば血管自体もサビて劣化させることにもなります。
そのようなサビついた血管とは体には危険な化学物質を血液に投入しない限り、キレイにならないと思うので、ヒトの体内も体外も錆び付いてくることは、此れまた月日は百代の過客也であります。
そんな酸化に対応するには、たくさんの緑黄野菜やその他栄養を摂取して野良の血中酸素を次々に取り込むことができれば、それらが血液内で不要な酸素と結びついて酸化することを抑えることにもなります。
そのような意味がβカロテンやアスタキサンチン等が「抗酸化作用」のある理由だと解釈しました。

そして、

このような年月と共に「侘び寂び」て、人間の血液は年齢と共にサビて経年劣化していきますが、そんな酸化状態に価値観を見出したのが千利休でもあります。
恐らく、千利休は固定観念から価値観の反転させたぶっ飛んだおじいちゃんでもあります。
若かりし頃は、金に目が眩んで戦争遂行や運営資金のお金を膨らます錬金術師のようであったのかもしれませんが、晩年は何かの心変わりなのか秀吉に半旗を翻し切腹となります。
利休の「侘び寂び概念」とは、古くてサビて年月を経てダメになったようなものに新しさとは異なる何かしらの美的な価値を見出す価値観の反転で間違いありません。
それは新しいようで古く、未来と過去を同居させるような価値観なのかもしれません。
500年前の昔のことと言えば、現代よりも生と死の境界線はもっと近かった時代です。
利休から直接話しを聞かないと詳細はわかりませんが、「侘び寂び」の立場に立てば超高齢化社会にも別の視線があるものと思われます。
老人は死ぬまで働けみたいなことを言っているヤバい人もいますが、そのような頭のおかしいことは横に置いておいても、ご高齢な方々にはお金云々や名誉、利益とかではない公共的な何か新しい価値観を残せる可能性はまだまだ高いと私は思います。
太平洋の鮭は人生の教訓も文化を何も残さずに身をとして世代交代をしますが、日本の高齢化社会には無尽蔵の経験や教訓、文化が残されております。
いかがでしょうか。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月29日(日)
■家に遊びに来た猫のコスプレ。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月30日(月)
■一日一文章トレーニング。

「物事を階層化させて視るレイヤー型思考は、昭和のアニメーターと同じ、恐らく、此れパソコンGenerationな考え方なのかもしれません?」

「Quill」 ステップ3「レイヤーを作る」。
3Dオブジェクトを複数作り、その一つを選択しようと思った時に、別の触れたくないオブジェクトまで干渉してしまうことがあります。
そのような時はレイヤーを作っていると大変便利です。
レイヤーとは初めてAdobeイラストレーションフォトショップを触った時に学んだ概念でもあります。
理解するのに時間がかかりましたが、レイヤーは透明のガラスの板に絵を描いて、1・2・3層と階層を作りながら絵を描く感じの概念です。
コンピュータのすごいところは、このように何枚何十枚と絵を重ねても透明度や画像が劣化しないこと。
仮に100のレイヤーを作ったとしても見た目には何も変わらない一枚の絵です。
この作業は昭和のセルアニメーション画を一枚一枚描くような感じでもあります。
レイヤーの構造は一番底にベース画像があり、その上にレイヤーを重ねることで、影や線画や塗面の模様、修正等の多層化された画像を重ねて一枚の絵を完成させます。
これはクリストファー・ノーランの映画「インセプション」の夢の階層世界もこれに近い感じです。
恐らく、監督の階層化された世界の発案はパソコン上の仮想レイヤー構造の不思議に発端があるのではと個人的には思います。

このレイヤー的な概念はリアルな失敗を「BackSpace」キーで過去に戻りたいと「ジタバタ」と思うようなことに似ていて、時折、レイヤー構造で作業したいと思うようなこともあります。
現実世界でレイヤーの思想を持ち込むことは、画質の劣化やとりあえずボリュームの受け入れることが必要です。
それは舞台装置みたいな大きさになるのかもしれません。
それでなくとも狭い住居に住んでいる故に、階層を作るとなればVRの広大な世界も一つの方法です。
ですが、実際は手が棚に当たり「痛っ」となるのが関の山。
その意味に於いては、今や世の中でデジタル画を描く人たちのほとんどは「レイヤー脳」に感化されています。
もちろん、レイヤー不使用な人も存在していて、使わなくとも何の支障もないレイヤーではありますが、一度そのディレクトリ思考が頭に染み付くと結構何でもレイヤー的に物事を視てしまうクセはつきます。

レイヤーの便利なところは、レイヤー1とレイヤー2という階層を作り、レイヤー2で作業して塗り足し、削除、さまざまな加工して結局失敗したとしても、レイヤー1の画像には一切の影響を及ばされないので、すぐに最初の状態に戻れます。
これは未来への保険のようなものでもあり、時間の節約や過去と未来への時間操作するシュミレーション機能を果たしているような感じでもある。
とりあえず、レイヤーの概念は覚えると便利な構造であります。

Quillの3Dアプリにもレイヤー機能はあります。
平面ではない立体構造物なので、ガラスによる階層ではなく3D空間丸ごとのレイヤーです。
アニメーションのタイムラインを司る「タイムライン」フォルダの中の「new paint」ボタンを押すと新規レイヤーが作製されます。
骨格ごとにレイヤーを作りモーションを動かして作れば、動く3D画像を作れるようになっています。
写真はそれぞれのオブジェクトをレイヤーごとに作って並べました。
落ち葉、薄っぺらい平面みたいな立体の人、造形物のこれでも三次元データを持った3D画像です。
Quillのレイヤーの作り方がわかったので、少し前進です。

 
■2023年10月30日(月)
■レイヤーの操作。

*デスクトップ画面用の画像です。

■2023年10月31日(火)
■一日一文章トレーニング。

「やっぱり刺激だよね」

秋深まり近所のイチョウの木も少しずつ緑色から薄黄色に色付き始めます。
この色付きは寒暖差による寒さスイッチ刺激で間違いないと思うのですが、そんなにも寒くはない10月でもあり例年よりも少し早いような気もします。
例年は11月中下旬ぐらいのような気もして、過去写真と見比べて比較してみる必要はあります。
イチョウ等の紅葉が早まった理由は先日の雹害の影響も考えられます。
雹が降った翌日はものすごい量の落ち葉が道路に落下しました。
そのほとんどがクロロフィル色素全開の真緑な葉っぱですが、あれだけの量の葉っぱを強制的に落葉させたとなれば、木々が紅葉の始まりを勘違いしても不思議ではありません。
鮭の身の変色や、木々の紅葉のカロテノイドな変化とは、何かしらの刺激を発端として色の変化が始まるということで間違いないと思います。
刺激によって色が変わるというのは何かしらの呆則です。

刺激 → 色素の変化

人の明るい暗いも何かしらの刺激によって変化することは多々あります。
雰囲気の色も刺激で変化するとなれば、そのON・OFFとは刺激者のセンスや力量が問われる見せ所です。
そのような「刺激」に注目すると、また異なる世界が見えて面白いのかもしれません。

先日の雹害は、家のベランダの植物たちも体をボコボコに傷ついてダメージをうけております。
そのような中でもサボテン三兄弟やアフリカ勢の遊戯王頭は雹に当たっても頑丈なのか無傷で不思議。
一番大ダメージをうけた多肉植物は中央奥から新芽のようなものを出して、早速の新陳代謝を初めております。
傷ついた葉(多肉)部分を諦めて新しい葉の準備を始めることは、植物たちの神秘でもあります。
普段、動くことも感じられない植物ではありますが、このような切り替えの速さの一面もあることは面白いことで、十分に学び観察する価値はあるものです。

追記:雨雹が直接激突する部分は多肉部分が全部剥げて落ちてしまう凄い衝撃でした!!

ところで。

昨晩はQuillを使用して食後の魚の骨を3D化しました。
もっと良いものはないのかと思うのですが、なかなかに思いつかない被写体でもあります。
このような平面的な魚の骨ではありますが、いちおう3次元データでもあります。
なので、どの角度から見てもホネホネなお魚で草。

どうせ、3Dオブジェクトを作るならば、写真を見ながらリアルに模写して作りたいものです。
そこで.Jpeg画像をQuill内に持ち込めないかと画策して試行錯誤していましたが結局、画像を読み込むことはできませんでした。
マッピング機能のある3Dであれば、画像を取り込むことは簡単なことでもありますが、Quill作業は徹頭徹尾、頭の中のイメージの再現性が重要となります。
なので、作る被写体をスケッチしてからモデリングしていくのが良いのかもしれません。
Windowsのペイント3Dで作ったものもQuill内に取り込めないかとも考えましたが、それもできませんでした。
Quillは普通の3Dアプリができる形を引っぱって立体にするということができないアプリでもあるので、ひたすら雑に立体物を構築していく必要があります。
それが味とも言えるのですが、外部から作った造形物をQuill内に持ち込んでペイント作業ができたら、それはそれで便利でもあります。
今日の夜はOculus Mediumの保存形式や互換性を調べてみて、何とか互換性を高めたデータのやり取り方法について探りたいと思います。

<メモ>

Quillの保存 → JSON+QBIN+JSON(3つのファイルで保存しています?)
 → JSON  (JavaScript Object Notation)のWeb互換性のあるJavaScriptファイル。
 → QBIN ?Quill用のBinなのかもしれない。

ペイント3Dの保存
 → GLB glTF(GL Transmission Format)の一種Web上で動作するフォーマット。
 → 3MF (3D Manufacturing Format) 3Dプリンタ用の互換用データ。

Quillの出力形式
 → IMM 3Dファイル。
 → USD(アニメーション不可)Universal Scene Description ピクサー開発の3Dファイル。
 → USDZ(アニメーション不可)iOS用。
 → ALEMBIC 3次元データ+アニメーション用の互換ファイル。
 → FBX  (FilmBox)3Dの互換用ファイル。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2023年10月31日(火)
■昨日、不忍池にキンクロハジロの一群が飛来していました。