■2022年12月1日(木)
■一日一文章トレーニング。

「世の中が歯車でできているとすれば稼働歯車の50%は進行方向の逆、後ろを見ながら動いている」

画像修正しました!

時が歯車であるというのは仮定の話。
これはイメージの話しです。
実際の「時」とは何か?と考えるとよくわからないもの。
自然現象であり普通に過ぎ去っていくものが時間です。
成長と劣化の過程、生命の定規と考えることもできます。
時間に追われ、時を忘れ、ご飯を食べたり学校や会社に行ったりの行動基準や過去の恥ずかしい思い出を反省する時でさえ、時間は確実に前へと進んでおります。
仮に時が歯車だとすると時間とは何かしらのエネルギーを持つものです。
私たちが存在を知らない世界とも、一生係わることもない人達でさえ、人は同じ時のエネルギーを共有しながら間接的に繋がります。
人が時の概念を開発した時からそれはおそらく時の歯車の回転を始めて、0と1のデジタル化が進んだ世の中でも、進化した量子力学の電脳化された未来でも機械仕掛けな時計の歯車は永久に時の動きを止めることのない概念上の永久機関です。
それは鴨長明や美空ひばりが時の流れを川の流れに例えたことと同じ。
時の歯車は誰も知らない未来に向かいゴトゴトと転がり、その転がる時間のエネルギーは末端の私たちの歯車まで次々と力を伝えていきます。
歯車が伝える力は人の歯車の大きさによって感じる時間が異なります。
歯車から欠落した時には、人は時間の誓約から解放されて生命活動を終える時なのかもしれません。

時の歯車は絶えずして虚無の向こうの未来に動いているものではありますが、漠然とする時のエネルギーを想像しながらギアボックスを見ていると面白いことに気づきます。
それは時の歯車が常に未来に向かって回転しているとすれば、接する2個目の歯車は未来とは反対の過去方向に回転します。
それは当然の法則でエネルギーを歯車に伝えていくには偶数歯車は常に進行方向と逆回転する必要があります。
反対に奇数の歯車は常に時の流れと同じ方角の未来に向かい回転します。
これは小さな意味では奇数歯車は未来への動きと同調しているとも言えます。
トルク的にも力をプラスにすることは十分に可能で、それは直近の小さな未来は予測可能な出来事のように思えます。
想像力を膨らまして、もう少し慎重になれば先日の遊戯王の鉢が割れることを防げる可能性は十分あります。
逆に言えば、大きな未来・遠くの未来を予想することは大きな意味での不確実性に満ちすぎていて不可能な無理ゲーです。

人が時の歯車で動いているとすれば、総人口の半分(歯車が人ではない可能性もあります)が常に未来とは逆方向、いわゆる過去方向を見ながら進んでいることになります。
これを未来のゴールに向かい転がるサッカーボールの動きに例えるとAがパスした際にボールを受け取るBは必ず未来のゴールを背にしてボールを受け取ることに似ています。
未来はゴールにあるけれども、それを受け取るBは未来が見えない反対方向を向いての活動となります。
そのような偶数のジレンマを克服するのがスルーやワンタッチで方向を変えてCというプレイヤーにボールを転がすテクニックです。
このようなサッカーボールの転がりを次数のネットワークに変換すれば偶数のジレンマを克服する必要があります。
ゲーム内の偶数の脆弱性を考えればパス回しとは常に奇数で行う必要があることになります。
そう考えると安定した奇数の三角形のパス回しなカタチがゲームの起点としては安定しています。
逆に偶数回でボールを奪われると形勢が一気に不利になることを意味します(多分)、なので、偶数は少し引いた安全圏に配置する必要がありますが、そうすると、オフサイドを狙う1本のラインは消えてなくなります。
どちらが良いのかはよくわかりません。
守りでは偶数回のボールには強烈なチェックを与えて相手のミスを誘うことが最大のチャンスの繋がるような気もします。
次のスペイン戦はそのような目線で試合を見ようと思ったら、試合開始が朝早くて起きるのが大変っぽい感じです。
起きれるかな?

ボールは常に逆方向の力が加わりフィールド内のどこにでも転がります。
ゲーム内では同じ時の進行方向である奇数が最強なような気もしますが、しかし、人生に於いての未来は常にポジティブな未来を暗示しているとは限りません。
歯車とは連結すれば連結するほど力を増幅しながら力を伝える必要があり、それぞれの役目があります。
UCガンダムでダグザ中佐は「歯車には、歯車の意地がある。お前もお前の役割を果たせ」と言っていましたが、人生歯車論とは何しろマイナス思考な考え方ではあります。
ですが、大きな時間の歯車によって支配されていると考えれば少しばかりの救いはあります。
時間の歯車とは一生私たちが縛られて逃れられない呪いです。
時間にルーズな人たちはとてもラッキー。
世の中を力の伝導という例えで言うと、いづれ振り子のように戻ることに例えられることは多いとは思いますが、より複雑な社会とは振り子のように戻ってくるとしても回転している機械的機構のメカニズムな考え方の方がより現実的なような気もします。
どうでしょうか?

 
■2022年12月1日(木)
■改造ギア。
■2022年12月2日(金)
■一日一文章トレーニング。

「3Dアプリを入れた」

いやはや。
3時22分に一度目が覚めたのですが再び寝てしまい7時頃に起きた。
やっぱり、朝4時には起きることはできないものです。
暑い夏ならば5時や6時にもぞもぞと目覚める朝型でもありますが、寒さには滅法弱くて布団から出られません。
ネットニュースを観たらサッカーは勝ったみたい。
良かったです。
わいのムニャムニャ声援はアラブ世界まで届いたのか?届いていないのか?
何も夢を見ることもなくサッカーのことも忘れて目が覚めた。
所謂、優勝候補に勝ったということはワールドカップに優勝したことと同義です。
もう、ワールドカップの名目優勝ということにしておきましょう。
この文章を書いてから詳細を観ることにして、サッカーに於ける次数や逆流する歯車の呆則は次の試合で検証したいと思います。

ところで。

少し話題になっていたiPadに「nomad sculpt」という3Dアプリをインストールしました。
ノマドは3Dオブジェクトを粘土細工のように加工できるアプリです。
モゾモゾとタッチパネルを指でこすりながら3次元立体彫刻を作ると何かとても気持ち悪い物体ができます。
流石にこんなにも気持ち悪いカタチのものを画像に載せるのは気が引けるので、写真はノマドの特徴を全く使わない球や立方体を組み合わせただけの3D画像です。(自分の中でかわいいレベル)
操作方法はハッキリ言うと全くよくわかりません。
何となく直観的に3Dっぽいものはできますが、ほとんどの使用方法はナゾ。
これを押すとどうなるの?何か変化したのか?などとブツブツと自問自答しながらのチンパンジー教育みたいな感じで試行錯誤します。
このままのパンジーではいけないと思い学びのフレームワークを考えます。
1)先ずは操作上のアイコンの意味を調べる。
2)次にアイコンの中にある言葉の意味を調べる。
これで一歩ノマドリストに近づけるのでしょうか?
平面の絵が立体になれば、それはメタバースな世界に一歩踏み入れることになります。
いつの頃からかゲームもアプリもユーザーガイド的なものが一切なくなりました。
何かの製品を購入してもペラっと一枚URLが書かれた紙が入っているだけで何の説明書もない感じ。
「全てはネットに書いてある」この突き放された感じにクールに対応できる人が今の世の中に順応した人達です。
「ネットのどこに書いているの?」と無理な難題にブーブー言いながら必死に調べるのが私です。
物語の詳細も操作方法も何もわからないままに投げ込まれたとしても、まだ、ゲームにはチュートリアル的なものもあります。
操作しながら体感的に学習することもありますが、流石にゲームの世界観を知るには妄想や想像する以上の答えは出てきません。
そのようなことを思うとリチャードワーマン的な数センチのぶっ太い取扱い説明書のインストラクションの時代が少し懐かしく思われます。
何かそわそわして文章が手につかないので、メタバースはもういいので早くサッカーの詳細を見に行きます!!

 
■2022年12月2日(金)
■こんな感じの緑色の気持ち悪いものができます。
■2022年12月3日(土)
■一日一文章トレーニング。

「いよいよAiが人間をジャッジする時代がやってきた」

先ず時間が歯車仕掛けで動いているというのは私の仮定の話です。
もし世の中が複雑に絡み合った時間の歯車によって動いているとすれば、それは何かしらの規則性があるかもしれないという思う私の考え方遊びです。
先日はサッカーのせめぎ合う人とボールが時間という歯車の制約の中で動くメカニズムと似ているように思いました。
組織プレーと言う呼び方も、まさに機械仕掛けな歯車を予感させるネーミングです。
そこで、そのような視線を頭に入れながら昨日のスペイン戦を観戦。
率直な感想を言うと、ボールの動きを歯車的であると判断するにはあまりにも複雑で無茶苦茶です。
チーム内の概念的な戦い方のフレームはあると思いますが、それが常に人を歯車のように動かしているかと考えると大きな矛盾を含んでいるようにも思います。
しかし、ゴールシーンを観返せば人とボールがその時間にその場所にいるという、時間の歯車の中で美しく噛み合わさった運命を感じます。
それは偶然なのか必然なのか?と考えますが、堂安選手は試合後に「必然として勝った」と話しております。
様々な状況がギアのようにしっかりと組み合わさり必然としてゴールは生まれたということになります。
サッカーとは人とボールのぶつかり合いであり、ボールは力が加わるどこにでも転がり歯車的に動くという規則性を見つけるにはあまりも複雑で生物的ではあります。
ですが、一方で複雑な歯車が美しく噛み合った時間を支配する瞬間というものも私には見えます。
日の丸にライン線が話題の三苫選手の切り返しによる2点目は人の体力や執念を体現したものでもあります。
それをアウトか?インか?の人間の目では判断できないギリギリをジャッジしたのがVARという人工知能です。
日本は引き分けだと決勝リーグに進めなかったので今まで通りの人間の目による判断だと勝ち進むことはできなかった可能性もあります。
その意味でこのゲームのあの瞬間は人工知能が運命を変えた歴史上最初のジャッジだったようにも思えます。
三苫選手のユニフォームをゲットした選手は先見の明があります。
ボールとラインの境界線とは私たちの知らないルールではありますがコンピュータが正確なボールの攻め際を判断し、三苫選手が諦めないスーパー足捌きで切り返した思いのこもった一蹴りです。(これは多分未来への熱量だ)
それは同時に人間が持つ生物的な躍動感を感じながらも、その背後には運命的な機械的な歯車がドドドっと動き出した瞬間でもあります。
三苫選手が切り返すことを信じていなければ田中碧選手はゴール前に走り込んでいなかったかもしれません。
伊東純也選手のボールに向けた強い当たりがなければ同じく堂安選手のゴールも生まれなかったのかもしれません。
そのようなことを考えるとサッカーには歯車的なものがないとゴールは生まれないし、同時に歯車を超越する球際の人間的な攻防がフィールド内で繰り広げられているように思えます。
そして、今回からそれを最終的に審判するのがVARの人工知能。
なにか未来を予感させるような1ページです。
私は寝坊してしまいLIVEでは観ていないので、終わった過去のゲームを観戦しながらこのようなことを感じました。
この文章を書く作業は正に後ろ向きな偶数歯車の動きです。

 
■2022年12月3日(土)
■平面的な3DのVAR。
Video Assistant Refereeの略。
【nomad】ライトアイコン(シェーディング)の「ライトなし」選択で3Dが平面的になった。
 
■2022年12月4日(日)
■一日一文章トレーニング。

「偶然とはメシウマなお話なのでしょうか」

とりあえず、私はケアレスミスが多い。
毎日書くとなれば何よりも書く内容を優先して話しを溜める必要があります。
内容が必要となれば一にも二にもネタは必需品。
ネタを見つけたならば、そのネタにロックオンして次にアイデアを練る必要もあります。
アイデアができれば、それを組み立てて文章の構造を何となく頭の中で構築して真っ白な虚無なページにひたすら文章を入力ます。
それが「一日一文章トレーニング」で行われるメカニズム。
言うならば、トレーニングを重ねたならば楽になるかと思う浅はかな想いはいつになっても成就せずに必死に文章を書いております。
よって、文章中のケアレスミスにまで神経を回す余裕はありません。
一昨日の絵は歯車の回転方向がメチャクチャで「こりゃ、にっちもさっちにも回らん歯車な図だ」ということで泣く泣く面倒な画像修正を行いました。
普段は多少の間違いがあっても横着して画像を修正しません。
面倒なので放置するのが常。
ですが、歯車の話をしておきながら動かない歯車なメカニズムでは流石にダメなような気もして画像を作り直します。
このように頭で考えることと手の動きが一致しないことは無感情な証なのかもしれません。
とりあえずは書いて仕上げることが最優先なので、そのようにして作られる図を眺めていると新たに手書きの「偶数」が「隅数」となっているのを発見します。
当然テキトーケアレスミス王ももう画像を修正を行いません。
ならば、そのミスに何かしらの意味を見つけてネタにしてしまおうという道を探します。
大抵のミスは1ミス発生すると、その後に怒涛の如くミスが連なるもの。
それは時間に追われて注意散漫だったのか?腰を据えて作業をしない取り組む姿勢や環境的に問題があったのか?はたまた、野良猫を全然見なくなった理由が皆家猫となってしまったからなのか?などといらぬことを考えながら操作するので間違えてしまうのかもしれません。
そのようなミスを誘発させる時間帯の歯車ではミスは次々と上塗りするものであります。
何か一匹のゴキブリを見つけたら100匹のゴキブリがいるみたいな感じで、一つのミスの背後には異なる大きなミスが存在する可能性があります。
そのような連鎖するミスを目の当たりにすると日常にある時間の歯車とはあながち実存しているようにも感じます。

とりあえず、「隅数」は減点−10点!!(鬼先生!!超うぜー)
ということで、「隅数(すみすう)」とはステキな響きです。
このような「偶数の隅数の偶然」は超飯うまうまな事件かもしれないので早速、拾って回収していくのが吉です。
「隅数」から何をイメージするのか。
それは数字が詰まった箱の中にある隅っこにある数字。
早速、歯車で使用した計算式を拾ってくると隅っこの数字は10と11と21です。
21は二つあり全体的に規則正しい美しさはあります。
だから何だと言われると、何も答えることはできません。
隅っこにある数字は単なる歯車の回転数を割り出す計算式の一部です。

11 21 10 21 10 21 10 21
――――――――――――――――――――――――
21 10 21 10 21 10 21 10

ならば、数字をメチャクチャなギア数に変更します。

10 21 18 27 13 30 19 13
――――――――――――――――――――――――
21 18 27 13 30 19 13 24

隅っこ数字の印象は規則性がなくなり、より複雑になった印象です。
これをサッカーに例えると、場が落ち着かない必勝ゴールパターンが見えないグチャグチャな状況に似ているのかもしれません。
これまた、だから何なのだと言われると何の意味も持たない数字の羅列です。
ただ、端っこにある数字とは歯車の回転数を計算する中では「入力と出力」の数字となります。
「入力と出力」とは「エネルギーが最初に接する接点の入口とエネルギーが最終的に放出される出口」のことであります。
もし、「隅数(すみすう)」という端っこの数字に意味を見出すとならば、それらはこのたくさんの数字の中でも特に重要な数字であるということになります。
「誤字の隅数」とはその重要な起点と終点を教えてくれます。

だから何だ?と言われれば・・・
恐らく、「偶然とはメシウマなお話です」。
「偶然」なメシウマはもしかしたら「必然」かもしれないので必ず拾っていきましょう。

この番組は「隅数(すみすう)」の提供でお送りしました。

 
■2022年12月4日(日)
■CGの顔。
CGで動かす方が断然ラクチン。
 
■2022年12月5日(月)
■一日一文章トレーニング。

「時間の歯車を円柱に置き換えた」

いやはや寒い朝、今朝も時の歯車はぐるぐると回転しています。
ということで、昨日に続き今朝も時のお話。(仮定の話!)

ギアの回転数の数字を見ていて同じ歯数の数字を結ぶと図のようなジグザグな線(黄色と青色)ができます。
これらは複雑に黄色と青色が組み合わさった状態。
一方で無茶苦茶な数字の羅列では斜線(赤色)のイメージを作り出します。
両方ともギアは密接に繋がり回転はしているのですが別々な線の波形を作り出していることは面白いことです。
数字は回転数の計算なのでトルク計算になると分子と分母が逆になります。
それでも、やはり、それらイメージに変更はないように思います。
偶数と奇数の歯車の噛み合わせは斜線状で表現されて、ギア数が同じ歯数であれば接続するリンクが約2倍増えることになります。
これら形状はおそらく団体スポーツに例えれば、自陣の歯車のリズムが合わさればチャンス到来で、敵側の歯車のリズムに同調すれば絶体絶命な危険な時間帯となりますのでリンク数が多いことが必ずしも良いとも言えないかもしれませんが、危機回避やチャンスの向上の波長を垣間見るような感じもします。

昨日は「隅数・すみすう」に注目することで時の歯車のIN−OUTを意識することができました。
INと言えば時の歯車の接続部分です。
もし、時の歯車が回転しているとすれば「オラ死んじまったのだー」的な天使の輪が人の頭の上に個別でグルグルと小さく回転しているよりも、もっと大きな時の歯車がゆっくりと大きく回転している方がしっくりと来ます。
それは多分、円柱のようなもの。
ある人は寒い朝を起き、道でたくさんの歯車とすれ違い、たくさんの歯車と一緒に電車に乗り、仕事場で大きな歯車に加わります。
そのような動きは時の流れを(a)とすると歯車は連結しながら末端まで力を伝達します。
そんな回転する円柱の横に伸びる長さを(b)とすると、それは物理的な移動距離と考えることもできます。
これはとてもレイヤー的な視線です。
円柱で回転する時の歯車の平行線をたくさんの人という歯車が繋がって平行移動するイメージ。
人は3次元的に動くのでもっと複雑な歯車であると思われますが想像できないので簡略化して円柱で考えます。

円柱の時の歯車が未来方向に回転する中で、それに直接接する私たちの歯車(IN)は常に逆(過去)方向の景色を見ながら回転します。
逆向きの力は決して悪い力ではありません。
時間が歯車で動くとすれば変形ギアを使用する以外、必ず半分の歯車は逆向き回転しないと力を末端まで伝える方法はありません。
逆向きの歯車は必ず必要な歯車です。
ただ、何となく人とは未来方向に向かって歯車を動かしたくとも思うものであります。
時間の歯車との直接の繋がりは常に逆向きの力がかかることを意味するので何かしらの別の歯車を一つ噛ませることで時間の回転と同じ回転を実現することができます。
それは、人だったり、物だったり、本やネット、商いであれば物理的な店舗や学校のようなものでも何かしらの歯車を噛ませることでその視線は変わるような気もします。
家族など集団生活をしていれば、その生活拠点は一つのメカニズムとして機能するので、かくかく個人はそれぞれ未来方向に回る歯車もあれば、過去方向に回転する歯車もある機構もあります。
ですが、昨今の後ろ向きに感じる世の中の問題とはパンデミックやウクライナ戦争、資源高インフレetc.など外的要因が大きいとは思いますが個人が個別になって直接時間の歯車に繋がる時間が増えたことで、より後ろ向き感が増えたような気もします。
これはとても概念的な考え方ではあります。
パンデミックはこのようなギアの回転する世の中の弱くてゆるい歯車のネットワークを次々に断ち切って行った出来事だったのかもしれません。
そのような感じで人と人とが噛み合う歯車の機会が減り、時間と直接対峙続する偶数状態が多くなったのかもしれません。(どうでしょうか?)

 
■2022年12月5日(月)
■数字が作り出すギザギザ斜線の模様の重なりが美しい。
///\/\/\/\/\/\OOOXXX\\\
ゲノムみたい。
 
■2022年12月6日(火)
■一日一文章トレーニング。

「深夜12時からの楽しむサッカー観戦」

昨晩は深夜のサッカー対戦。
お風呂上りの湯冷め防止のサウスパーク状態で何重にも服を着込み試合にスタンバります。
何万人目のスタメンでベンチを温めます。
いやはや、完全なお祭り状態を作る為には温かなおつまみが必要です。
お風呂に入る前のことですが、ならば、コンビニに何かを買い出しに行こうかと思いますが冷たい雨が降っていたので断念。
深夜に飲み食いしてしまうと虫歯や体に良くないことだらけなので、冷たい雨は我が誘惑をよく静止してくれました。
しかし、試合に始まる前から布団に潜り込んでしまった為に逆にサウスパーク状態がとても暑くなりすぎて通常寝巻モードに戻ります。
寝る直前にサウスパーク状態ぐらいに体を保温することは、もしかしたら冷え性対策の最終奥義なのかもしれません。
枕を立てて若干のしんどい態勢での観戦では偶数奇数などのネットワークな視点は完全に抜け落ちています。
このようなことを考えるには正座にノートが必要です。
うとうとと眠気との狭間は堂安選手の鋭いボールと前田(大明神)選手のゴールで完全に目が覚めます。
ずーっと前方でプレスしながら走ってきた前田選手がゴールの女神に報われて良かったです。
先取点のゴールで歓喜して完全なる勝利を確信していましたが、その後はクロアチアのサイドからポーンとFWに投げ込むだけの単調な攻撃で同点になり後半の延長戦に突入。
兎に角、ゴールを決めて〜と祈るばかりなのですがPKで負けてしまいガックリ。
PK直前の円陣でコーチ―が持つ黒いボードをクロアチアのユニフォームを着た誰か知らないチッチが中学サッカーのように覗き見情報収集にやって来ていましたが私の妖怪アンテナはビンビンと反応します。
重要な情報など書くような凡ミスはないと思うのですが世界とは往々にしてズルいものであります。

 
■2022年12月6日(火)
■深夜の攻防。


■2022年12月7日(水)
■一日一文章トレーニング。

「正と負(山型谷型)の組み合わせで普段の味にバリエーションを増やすことは可能でしょうか?」

朝は無味乾燥な食パンを食い、昼はうどんやそば・ラーメンなどをすすり、夜は醤油味の豚肉炒めを食す。
安定・ピンフの落ち着く定番サイクルな食生活。
ですが、時には変化球が欲しいものです。
そこで、何この味?などとちょっぴり変わった味付けを加えることができたならば、くだらない会話も生まれるかもしれません。
そのような味の変化とは日常生活の潤いの一つです。
そこで、「助けて!献立仮面!」ということで毎日のマンネリ化した食生活を打破するくだらない呆則を考えてしまいました。
それは調味料素材を(正)と(負)で考えること。

ソースってヤツはとても厄介なものであります。
先日はヨーグルト+醤油で少しパンチ力が弱かったので今後はヨーグルトにソースを加えてみたら完全なソースの調味料ができました。
ソースは煮ても焼いてもソースでどこから見てもやっぱりソースです。
クセありに素材に癖アリを掛け合わすと−1×−1=+1のような癖アリたちが影薄になったような気がしましたがソースは別枠です。
味を調和させるという面からソースはいつまで経ってもソース味であり、ソースに何味を加えてもソースの味は強く残ります。
それは不思議で面白いこと。
もしかしたら、ソースとは負の粒子ではなく正の素材なのかもしれないと考えます。

そこで、今度はヨーグルトに塩、ジャンクマスタード+粒マスタードにオリーブオイルを加えて良くかき混ぜるとやや酸味のある調味料ができました。
これはフランス料理に出てくるような隠し味にもなりそうな黄色の調味料です。
普段の醤油味の炒め物にかけると少し酸味の効いた変化が加わって美味しくなります。
先日のヨーグルト+醤油よりもパンチが効いて美味しい。
ヨーグルトに加えるものは通常砂糖ではありますが、ここアンダーグラウンドな実験室では逆転の発想を重宝します。
味に迷ったら真逆の食材を掛け合わせることは定石です。
納豆に砂糖を加えて甘いねばねばな納豆として食べることは不気味なものかもしれませんが実際に食べてみないとわからない味です。
書いていることもアタオカなことばかり書いていますが味覚も少しアタオカなのかもしれません。

正の粒子が味に重さを持てば、それに窪みを作り周辺にある負の粒子を集めてきて味のハーモニーが広がります。
そんな粒子の考え方で食べ物食材を分類すると塩とは正に正の粒子です。
逆に正の粒子が軽すぎて尖がった山を作る正の粒子もあります。
正の粒子の周辺にある負の粒子は下山して離れていく様は何か他の調味料と交わりの悪いソースと似ています。
ソースとはもうすでにいろんな味の重なりあった調味料で十分に尖った素材です。
その意味ではソースとは山型の正の粒子に近いのかもしれません。
正と負で食材を分類すると調味料の味の組み合わせの大図鑑を可視化できるかもしれません。
少しづつ作ってみましょう。

 
■2022年12月7日(水)
■シェフ。
■2022年12月8日(木)
■一日一文章トレーニング

「サンスベリアの花が咲いた」

「読み切れない〜♪雑誌のページを〜♪読まないといけない〜♪気持ちになる〜♪」(遊戯王の歌)
曲の最初から何の話しを言っているのかよくわからない歌詞です。
カラオケで遊戯王を歌う奴のヤバさMAXを想像すると、そのドン引き具合は好感度MAXです。

遊戯王の頭から寄生虫みたいなものが出てきました。
センターがパックリと割れて、あっかんベーする細長い舌のようなものが出てきた。
何かラスボス感ある風貌で、それは映画に登場する食人植物のような成長過程のようにも思えます。
この「一日一文章トレーニング」の更新が止まった暁には食中植物に食べられてしまったことが原因です。
どんどん遊戯王ちゃんカットが崩れてきて、最近は針金で姿勢矯正もしていますがどんどん野暮なボサボサ頭となります。
そして、今朝のその姿からは完全にアスパラガスが出ています。
写真は昨日の写真ですが今朝計ると長さは7cmあって毎日ぐんぐんと成長しています。
ネットで「サンスベリアの花」を検索すると花が咲くことは珍しいみたい。
それでいて、サンスベリアが花を咲かせることは不吉な出来事のようでもある。
「フフフッすべてはお見通しで〜〜す」(英語
サンスベリアの花を咲かせるのは珍しいこと、なので不吉伝説になったとの記事を読み遊戯王のアスパラガスとは寧ろ縁起が立ったと(良)解釈。
大体、毎日不吉で昨日の呆則に則ると「負吉×負吉で正吉になった」との考えです。
なぜ珍しいサンスベリアの花が咲いたのでしょうか?
最良の栽培環境でしか花を咲かせないとは言いますが・・・寒い雨の日や夜は室内に避難して、陽当たりの良い昼間は日光浴をさせるぐらいの特に何にもしていません。
遊戯王との出来事を思い返すと何度もトゲに刺さったことぐらい。
そういえば、遊戯王の葉の先端のトゲが丸くなりました。
トゲを触っても全然痛くないし刺さりもしない不思議。
デュエル愛が伝わったのかもしれません。(和解)
あと、考えられるのはお布団干にひっかけてクーラーの室外機から落下させて大ダメージを与えたこと。
あの鉢が割れる衝撃がサンスベリアをジェットコースターに乗った後みたいにハイテンションに覚醒させたのかもしれません。
いずれにしても、遊戯王が珍しい花を咲かせました。(笑)

 
■2022年12月8日(木)
■恐怖!!食人植物!!
■2022年12月9日(金)
■一日一文章トレーニング。

「寝る前の足冷え解消」

いやはや寒い。
そして、ぶるぶるしながら布団を這い出る。
これから数か月間は「暑い暑い」に変わって「寒い寒い」が口癖となります。
なのに、朝起きてカーテンを開けたら窓にびっしりの結露状態が嫌なので数ミリ窓を開けています。
少し窓が開いていると換気はできますが冷たい空気が入ってきて室内は寒くなる。
まだ、就寝前は暖房もあり活動もしているので室内は暖か。
ですが朝起きるととても寒い。
2重扉ならばそんなことも考えなくとも良いのですが普通の窓は断熱性に欠けます。
結露の水滴も昼間の直射日光で乾燥すると言えば自然乾燥します。(たぶん)
窓に着く水滴も加湿器のような水分補給と考えて完全に閉め切っている方が良いかもしれませんが、やっぱり数ミリ隙間を開けておきたい。
その理由は窓の結露が蓄積するとカーテンなどがカビカビ状態になってしまいそうな気がするから。
せっかくの鉄筋コンクリートも窓数ミリの換気で断熱性能は落ちます。
なので、朝起きたらいつも寒い。
そして、今朝は特別に寒い。
カーテンを開けてビックリしましたが2センチぐらいに大きく窓が開いていました。
たっぷりの冷たい外気を取り込んで今朝は外と同じくらいに寒かった。

先日の深夜のサッカー観戦で開発した電気毛布を布団の足元に敷いて布団を温めることは今シーズンの足のつま先冷え性対策の決定版です。
これのおかげで足の冷え性問題は解決しました。
お風呂から上がると電気ブランケット(毛布?)を足元に設置、温度をMAXに設定して布団内を温めます。
そして、布団の中でネットを観ながらイザっ寝る時に電源を抜いてお役目御免。
もっと早めに布団の中を暖めるのが良いのかもしれません。
電気毛布は椅子に座りながらブランケットみたいに下半身を温めるものではありますが、これのすごいところは「点」で温める湯たんぽと違い「面」で布団内を暖めることです。
ということで、寝る前の冷え性は解決しました。

 
■2022年12月9日(金)
■水から水素と酸素。 
■2022年12月10日(土)
■一日一文章トレーニング。

「PKのことを考えたらカオスだった件」

延長引き分け後のPK戦で日本は負けた、そして、スペインも負けた、ブラジルも負けてオランダも負けた。朝起きてそれらPKの戦さを探すが見つかりません。なので、文字情報での結果を知るのみ。いやはや、PK戦とは何たる不思議なゲームです。どこからどう考えてもシュート数やボール保持時間を鑑みたポイント制で勝敗を決めるより公平です。ボールでの出来事はボールで決着するという考え方は如何にもサッカー的で時間内に勝敗を決める最後の審判なコイントスによりも遙かに良い選択肢。次数で考えるとPK戦の1蹴りは1次で終わるのでネットワーク科学外の出来事です。PK戦とはゴールまでの距離がとても近く12ヤード(10.97メートル)のところから蹴ります。簡単そうに見えますが素人の私にはかなり遠い。5メートルなら確実にゴールできそうな予感もします。サッカーな人々m(__)mt。11メートルと5メートの差はゴールまでの「距離」と「角度」。距離はボールのスピードと時間でボールは速い方が捕獲しにくいと思います。ですがボールが速くなれば明後日方向に飛んでいく可能性も高まります。角度は狙える方角の選択肢です。平面図を書いたら分かりますが狙える方向は3つしかありません。これは結構難しい。守備的に考えるとキーパーのいない方角の裏に蹴りたいもので、攻撃的思考だとキーパーの手を弾いてもねじ込む感じかもしれません。ゴールと対面した時の角度は約37度。ちなみに5メートルまで近づくと約64度。37度とは案外狭い角度です。

こここからは名ストライカー「わいンバメ」がキックする妄想です!!全て空想。わいンバメが1対1でキーパーと対面した時の物語。平面上に考えると左側に蹴るか?真ん中に蹴るのか?右に蹴るのか?の2/3の選択肢。そして、真ん中にはすでにキーパーは棒立ちしています。キーパーが右か左に飛ぶかと考えると1/2確率。真ん中を使わないと確率は減ります。しかし、今、真ん中のキーパーが棒立ちしている。蹴る場所がわからなくなってバックアップ情報を頼ると数%の確率でAコースが狙い目です。与えられる情報に歯車とはそれを信じて動くしかないので、人の行動とは数字という情報を与えられた時に数字に逆らうことは難しい。なので、確証性が高そうな情報を覆すには常に対案の情報が必ず必要となります。もし、その情報に反する行動して失敗した時の責任は明らかにわいンバベにかかってくる。AIや統計的な情報と異なる行動をした時の非難の矢面に立つ覚悟はあるのだろうか?どっちにしても失敗したら非難される。可能かどうかわかないが蹴る直前までゴールキーパーの動きを見極めてビリヤードの棒でつつくように方向定めることは可能だろうか?最後の歩数が間違ってオロオロとこけてしまったらどうしょう。マイナスイメージが頭に広がります。時間軸で考えた場合にボールを蹴ったその時が初めて蹴り手が全てのゲームを支配した瞬間です。実際はゴール枠の外に飛び出したくないという気持ちもあるかもしれない。このゴール枠の範囲は37度よりもより小さくなる可能性もある。そんな風に深く考えると結構、PKを決めるのは難しいこと。実際のゴールゾーンは立体的でキーパーの身長なども考慮すると平面で考えるより現実はもっと蹴り手には有利な勝負であるはず。PKでの得点はゲーム内の得点とは重みは異なり、明らかにPK戦で得点するよりもゲーム内で得点する方が難しい。試合中にPKを貰うととてもラッキーな気分になるのに、延長戦後のPKにはそのようなラッキーな未来を見ていない。(PKでの得点)>(ゲーム内の流れからの得点)蹴るべき未来を知っていれば情報で勝負を制する可能性は高くなる。その意味で情報とはとても重要だ。そういえば、「PK1000」はとても良いフレーズである。1000本蹴る練習してもゴールを全部外してしまうことは何かの呪いかもしれません。スペインの監督の名前は知らないけれども(ルイス・エンリケ監督)「サッカーとは常に失敗するスポーツである」な名言を言っていてとても好き。どこに蹴ればいいか?なんて、もうすでにわからない。全身全霊フルパワーのトウキック(つま先)キックで蹴るぜ。もし、外れても知らんそれは全て、そのような運命である。そのようなことをぶつぶつ言いながら名ストライカー「わいンバメ」はボールを蹴った。

ゴ〜ル ゴ〜ル ゴ〜ル ♪

私とPKと全く関係のないことではありますがPK戦のことを考えてキックしました。
PK蹴ったことがないのでわからないのですが妄想だけに絶対にゴールします。
PKを妄想しながら思ったのですがゴールを決めた後に大歓声の中のランや変な煽り踊りは一度やってみたいものであります。

 

■2022年12月10日(土)
■・・・
■2022年12月11日(日)
■一日一文章トレーニング。

「群馬県下仁田音頭ソラ♪ソレソレ♪」

今夜は鶏肉・豚肉・里芋、きのこに白菜、いろんな食材を入れて今期初めての鍋。
ぐつぐつと煮込んで美味しく食べたい。
特価の下仁田ネギもあります。(3本入りで158円)
太ネギの2倍位ある泥付きの太い茎にこれまた太く枯れたような風貌の緑の葉はネギというよりもサボテンや多肉植物系の植物に似ています。
関東のネギはもともと太いのですが、下仁田ネギはもっとずんぐりと短く太くてかわいらしい形です。
そのようなネギを手に持つとしっくりと収まりの良いサイズ感。
両手に下仁田ネギを持つと自然と踊りたくなるようなマジカルスティックな形状をしています。
枯れた緑の葉は食べないので完全洗浄して鍋の出汁取りに使ってみようかとも思う。
タイプ入力していて気付きましたが下仁田は(×しもにだ)ではなくて(〇しもにた)が正解です。
今まで「しもに(だ)」と濁音で読んでおりましたが、泥付きの濁った感じが田を(だ)と読んでいた理由かもしれません。
いやいや、ペリー来航の下田(しもだ)のイメージが強いこともあります。
いづれにしても、下仁田ネギ(しもにたネギ)と呼ぶのが正解です。
こういうことは作文を書くことで初めて知ります。
日本の地名とは地方に旅行しても大体、初見で正確に読めない漢字の地名ばかりというのが現実です。

ネギとは不思議な植物で関西方面では中が空洞の細いネギが主流です。
ですが、関東圏に入るとネギは急に青い部分は食べなくて中身の詰まった白く太い茎だけを食べることになります。
そして、関東圏に流入してくる大多数の地方民はそのようなネギ文化にすっかり馴染みます。
ネギのカタチとは文化の一端を体現しているのかもしれません。
関西人が白い茎を捨てて青い葉の部分をおいしく食べていた時に関東人は関西人が食べる青い葉を捨てて白い茎をどんどん太らせて食べれるように品種改良しました。
このネギの違いは関東と関西の文化圏の違いを端的に表していると思います。
関東人はネギを食べる。(主役または準主役、脇役)
関西人はネギをスパイスというか彩り調味料の一つとして使用します。(脇役)
これは何を意味しているのでしょうか?
今は何も思いつかないのですが中身重視っぽい関西人よりも関東人の方が中身重視とも考えられますし、拾うもの、捨てるものの違いは「育てる部分の違い」で視点の違いのようにも思います。
ネギとは長い年月をかけた文化結晶であって考え方や生き方に直結する対象であるような気もします。

さて、下仁田ネギのパッケージにはサラダにもと書かれています。
「ネギをサラダに?とはどういうことでしょう」
さっそく3本入りの1本を昨晩、サラダにしてみました。
試しに生ネギを食すると舌が痺れる程の物凄い辛味、とてもクセありのネギなので生食は無理。
裏のパッケージを見ると蒸して食すると良いみたいなので、さっそく蒸します。
すると不思議なことにあれだけ辛かったネギが甘いネギへと変貌しました。
あれだけのクセありのネギが少し熱を入れるだけでこのように甘く食べ応えのあるネギになることは何か面白いこと。
関東人はクセありのネギに熱を入れることで甘く食することを発見しました。
クセありな人たちも熱い熱量で熱せれば甘くクセのない人たちに変われるのでしょうか?
おまえが一番クセありと突っ込まれるのがオチですが、ネギの呆則に則れば私にも何か甘くなる為の炎を燃やす薪があれば甘くなれるはずです。
そうすれば、きっと甘く美味しいネギ音頭を踊ることができるはずです。

 
■2022年12月11日(日)
■神秘系マジカルアイテム「両手に葱」。
■2022年12月12日(月)
■一日一文章トレーニング。

「何も思いつかないのでミカンの顔を拾ってきた」

今の心境をA4コピー用紙に書くと真っ白な紙。
一点のシミもない純白な白。
「どうしよう・・・」とても焦る中で、私はそのような状況でも何かしらの文章を入力します。
これは自分との闘い。
どうせ意味のわからない文章であればAiに書かせても良いかもしれませんが自分で書くことにはそれなりに意義があります。
それは「生きる」ということかもしれないし、定まらない自分軸や自我の構築過程かもしれない。
それは根性とか度胸とか勢いとか皆が嫌いな精神論の一種のような気もする。
ムダと言えば無駄ではあるが意味があると思えば書き進むことには多分本人には意味がある。
最低でも日曜日の夜からネタを仕込んでおけば、このような状況にならないはず。
何なら前日の夜から文章を入力して一文を仕上げていたならばラクチンな爽やかな一週間の始まりとなったはず。
夜はエルデンの闘技場で戦い、ご飯を食べて、タブレットでネットや動画を観て、それ以外に何をしていたっけ?
夜時間は過ぎ去るのがとても速い。
晩ごはん食べて気づいた時にはあっと言う間の就寝時間。
要はボーっと生きています。

ということで、あっと言う間の月曜日がやって来た。
これまでの機械式な歯車で考えると時間の回転が速いのは歯車が小さいからであります。
ならば、歯車を大きくすれば良いはず。
噛み合う歯数を増やせば歯車は大きくなります。
それにはどうすれば良いでしょう。
1)自分自身を変態させる?(自分自身の歯数を増やして変化させる)
2)噛み合う別の歯車の存在を見つけてそれに接続する?(接続している外部要因を変化させる)
変態とはとっても変態的ではありますが昆虫の形状の変化みたいなもの。
ギアは組み合わせであると考えれば両方必要と考えることが妥当です。
一方は与えられるもので、もう一方は自らトランスミッションのようにギアを切り替えてつなぎ合わせていくものに似ています。
人生は時間に支配されている歯車論で考えれば、この一日一文章トレーニングを書く時間とは案外ゆっくりと流れています。
苦痛ではありますが、それなりに頭も使い書くことで時間はゆっくりと大河のように流れます。
その意味では人間の歯車とは常に一定の固定ではなく、状況、状況によって常に変態していると考えるのが妥当です。
変態要素がある人程にギアの変態も自由自在だったりして???
普段生活の高速ギアが嫌だと思えば何かしらのギアチェンをしたいものです。
私もまだ見つけていないので何ともその方法について書けませんが、何かに集中して取り組む時の時間はゆっくりと流れていることに間違いはありません。
ギアをシフトチェンジすることは支配される時間を調整して自由自在に時間の流れを変化させるスゴイ技術となります。
真っ当な大人ならぜっひ身に着けておきたい必修課題です。
このような時間的なギアの回転によく似たものを探していると地球の自転軸を見つけることができます。
地球は見えない軸で回転していますが、目に見えないからと言って地球を回転する軸がない訳ではありません。
見えない軸は確実に存在しております。
地球の自転でさえその上の太陽歯車を公転して、その上位にはもっと大きな銀河の歯車があるはずで人は大きな時間の歯車の中で回転しています。
私たちこのような大きな見えない時間の歯車が回転するエネルギーを今、今の時間軸で受け取って回転していると考えると壮大な世界観が見えてきます。
あくまでも、仮定のSF的な話ではありますが、その内にミカンとミカン、コショウの缶の間にも歯車に見えてくるのかもしれません。
文章とは経験則と知っていることの集合体ではありますが、寝起き頭によく知らないことについて文章を書き進めることは何かスゴイ強心臓なことではあります。
アホ話ご勘弁m(__)mT。

 
■2022年12月12日(月)
■こんなのを作っているから時間が高速回転するのです。
※本当は赤の回転方向は逆方向が正解です。
■2022年12月13日(火)
■一日一文章トレーニング。

「Adobe Illustrator7.0のユーザーガイド」

Adobe Illustratorを英語で書くとIllのこの3文字のiとlが似すぎていて昔からとても気になります。
CS以降のこの女神様を見ることはありませんが、この女神様はギリシャ神話に出てくるボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」。
古いイラストレーターでは「イラストレーターについて」のボタンを押すと画面に女神爆誕したような気もします。
表紙は目や顔、紙の輪郭をイラストレーターの線でなぞり素敵にアレンジされています。
今思うとこのような使い方もあるのかと思いますが、昔はなんとも思わなかった。
今も昔も一線で現役のソフトでもあり正に女神爆誕なソフトウェアです。
ミリ単位、ポイント単位で正確な線を作れることはスゴイところ。
これは古いイラストレーター7.0のユーザーガイド。
値段は覚えていませんが当時7〜8万円で購入したような気もします。
あまりにも高い値段なので本当にこのような高額なソフトを使いこなせるのかと清水の舞台から飛び降りつもりで購入しました。
立派なパッケージの中には1.5センチ厚362ページのユーザーガイドが入っており懇切丁寧な説明が書かれていたので当時、このユーザーガイドを手に入れるだけでも価値があったと自分自身に言い聞かせておりました。
お陰様でこの本とチュートリアルを進めながら、なんとか独学でイラストレーターは使いこなせるようになりました。
中身は基本的な概念やベジェ曲線の描画、レイヤー、文字、グラフやDTPなどの印刷関係の知識まで、ほぼ全てについてイラストとともにフルカラーで書かれています。
実質この本だけ読むだけで十分です。
何より便利だったのは索引。
この分厚い本を前から全部読まなくともクイックツアーのチュートリアルのわからない言葉や事柄を検索していくことですぐに必要なページに辿り着けて大変重宝しました。
操作方法が異なる今でも基本的な概念な調べとして役に立ちます。
勿論、1ページから読んでもコピーライトやトレードマークや法律的な文言が書かれていて流石外国の本はカッコ良いと思ったもの。
今はこのようなユーザーガイドはほとんどありません。
トライアルエラーを繰り返して機能を学習するのにも限度があります。
タブレットや携帯を片手にググりながら操作を覚えるスタイルが普通なのかもしれません。
情報はいくらでも落ちていますし、今の子らが新しいものを学ぶ方法とは昔の私たちとは異なります。
当時はパソコンをゲットしたばかりで文字を入力するワープロの延長線ぐらいしか使えない中でいきなりイラストレーターはかなりのハードルは高いことでした。
その意味ではイラストレーターを学ぶことでコンピューターの使い方を理解したとも言えます。
当然ベジェ曲線は使えません。
頭を曲げ、肩こりしながらマウスを転がして線画を操作していましたが、それも今では慣れてしまいiPad+アップルペンシルよりもマウスの方がちゃんと動かせるのに〜なと思う時も多々あります。
何よりも慣れです。
そして、イラストレーターの使い方で一気に視野が広がったのはレイヤーの概念を理解した時。
レイヤーを理解すれば実際の手作業の工作とモニター上で行う工作行程は同一のものであるとう感覚になります。
そうすると、コンピューター上の操作は現実の世界の延長線上として自由に使えるようになります。
コンピューターと頭の一体化。
今はどちらかというと手書き風のものが好きなのでイラストレーターで絵を描いたりすることはありませんが印刷物の入稿原稿などには必須のソフトです。
今考えるとイラストレーターを使えるようになったことで印刷の入稿もできます。
正確な図面も作れます。
作る気ヤル気になれば・・・。
ということで、当時、高いお金を出して購入したことは自分への良い投資であったと思います。

 
■2022年12月13日(火)
■ヴィーナスの髪の毛は結構多い。
■2022年12月14日(水)
■一日一文章トレーニング。

「関心を持つと見えてくるものはあります」

昨日は雨が降りました。
単なる雨ではなく空気をキレイ洗い流すヒンヤリと澄んだ雨。
そのような気持ち良い空気を吸いながら谷中霊園を横切っているとでオナガの大群を見つけます。
50〜60羽、いやいや100羽ぐらい!!いる?
たくさんのオナガが木々から木々へと飛行します。
野鳥の会なら何羽何羽とちりちりに飛ぶ鳥の数を数えることはできるのでしょうが、移動中の通行人に鳥の数は数えることは難しい。
オナガは真夏の間もちょこちょこと見かけることのある鳥です。
猛暑の夏でも避暑地に逃げることなく墓場暮らしをしていましたような気もしますが、こんな数はいなかったと思います。
少し前まではオナガと言えば水鳥のオナガガモのことを連想する位の見たことも聞いたこともない鳥です。
ですが、1羽のオナガを見つけて以来、私の中にオナガレーダーができて頻繁にオナガを見つけることができます。
それは何か不思議なこと。
普通に見ていたとしても、関心なければ認識もしないはずの鳥を今やいつでも発見できることは、世の中のあるあるな出来事かもしれません。

そのような意味でも樹木の幹色とはあまりにも日常過ぎて誰も見ていない色だと思います。
桜やイチョウの木の幹色を思い出して色を塗ることはできますでしょうか。
大抵の人は木を茶色に塗るだけだと思います。
でも、実際の木の幹色は微妙にそれぞれ違います。
最近、イチョウの木と桜の木の幹の色が明らかに違う茶色であることに気づき毎日観察しています。(毎日ただ見ているだけ)
太陽光や曇り晴れる天気によって色は常に変化して見えますが、大きな意味での幹色は木の種類によって決まっています。
街路樹のイチョウは墓場のイチョウよりも少し幹色が暗く感じるのは排気ガスや街の喧騒の影響かもしれませんが、それでも大体、イチョウの幹色は黒い桜の木よりも白い。
樹の幹色は異なることは当然のことかもしれませんが、先日紅葉の色が色素の化学変化によって変わるように幹色もそのような色素成分によって決まってくるのではないかと考えられます。(知らんけど)
大体、同じよう成分の土で生育している木々が種類によって落葉の葉色を変えることは不思議なことです。
土から栄養素を吸収する根や幹にもそのような秘密があるのかもしれません。
・イチョウの木の幹は薄い黄土色系の幹色。(カロテノイド系)
・桜の木は濃く暗い褐色の幹色。(タンニン系)
・杉系の木々は幹のやや赤味のかかった幹色。(コルク形成層の下?隙間にややアントシアニンっぽい色が見えます、でも葉?の部分は紅葉しない緑の常緑樹)
雨で幹色も若干暗く沈んだ色になりますがイチョウの幹色はやっぱり黄土色系の明るい色で変化なし。
葉っぱの色素がカロテノイドやタンニンなどの化学変化によって色付くならば、それら栄養分を葉っぱまで送る動線のある幹色もそのような色素の影響を受けるのかもと思うのですがどうでしょう?
その他、黄色の葉を持つ落葉樹を確認しますが案外まちまちな色合いでよくわかりません。
ただ、桜の木だけは雨濡れてもより真っ黒な幹色となるのでタンニン要素が強そうに見えます。

そして、先日の下仁田ネギの葱は緑の葉と白い茎を持つ植物です。
この色素の違いは関西ネギと関東ネギの違いのヒントとなります。
調べたらネギの生育方法はひっぱり君という機械を使ってペーパーボードで育苗したネギ苗を植え付けていく作業のようです。
関東ではその植え付けた成長したネギに盛り土して土を被せることによって隠れた部分が白いネギ部分となって生育します。
太陽が当たる緑の部分はクロロフィルによって光合成して、土に埋もれた部分は光合成しないので白色です。
関東では火山灰の関東ローム層が広がっているので、その土地柄からもそのような土を被せた白ネギの栽培が盛んなようではありますが、要は好みの問題でもあるようです。
土壌の違いとは生み出す文化の差でもあるかもしれなくて、江戸時代の江戸っ子ならスカスカした青っぽいネギを「てやんでい」と好かなかった感じも何となく想像できます。

ところで。

納豆にネギとは当然すぎてとても普通な話になりますが、埼玉では納豆にタマネギを刻んで食べることがあります。(家庭にもよるかもしれません)
個人的な意見ではありますが、納豆にタマネギを入れて食べると納豆にはタマネギ以外考えられません。
まー何かしらのネギが納豆に入っていればラッキーだし、何も入っていないとしても納豆をそのまま美味しく食べるものですが納豆にタマネギは意外に美味しい。
葱は根っこを乾燥させると玉状になってくるそうです。
もしかしたらタマネギも生育方法の違うネギの兄弟かもしれないと思いググると、やっぱり遠い昔に分化した仲間のようです。
今あるものたちって何かみんな繋がっていて、本家から分家・分家と繰り返して多種多様になった感じみたいな感じ?かも。

 
■2022年12月14日(水)
■女神を描き続けて失われた30年。
ネギり・ネギらう・ネギ坊主。
ついに辿り着いた「葱の女神」。
ネギのヴィーナスが爆誕しました。
■2022年12月15日(木)
■一日一文章トレーニング。

「均等な縞目とは定規です」

ぼんやりとした人生でも赤信号は無意識に止まるもの。
交通量の多い交差点を次々に車が過ぎ去り、待っていればその内に青信号になります。
ぼんやりとした私でも無意識のままに青信号を渡り始めます。
いつものようにトボトボと横断歩道を前進しようとしていると結構大きな声で「待て!!」と後ろから聞こえます。
私は「ビクリッ」となって全方位の安全確認。
そして、後ろを振り返ると犬の散歩中の飼い主が愛犬に向かって信号の渡り方?を教育しています。
犬も私も「えっ」との急停止でキョトンです。
犬が青信号で道路を渡るということを理解するのは大変難しいことです。
大体、目鼻口が地面すれすれなので遙か上空にある交通整理の信号を認識することは大変デス。
「犬 色の見え方」で検索すると犬は青・黄色などは見えて赤色はあんまり認識できないようです。
犬に信号機を教えるには犬の目線で信号機の色の変化を指さして「あれが青で進めやで」と根気よく教える必要があります。
賢い犬のことだから信号機の位置さえわかれば青信号で渡ることにも問題ありません。
色に等級を付けることもおかしなことではありますが、犬の目は低級な赤色を排除して高度な色だけを見ているということは何か面白いこと。
その意味では犬たちは色属性だけは高度なものだけを見ていていることになります。
赤く邪悪に蠢く色味を見ないことは、これは大変なスルースキルでもあります。

ということで。

歩道橋のアスファルト色と白の縞々を踏みしめながら、遅ればせアルゼンチン対クロアチア戦の得点シーンを見ます。
アルゼンチンのカウンター攻撃の走りを見ているとグラウンドに芝の縞々の線が気になります。
今までは刈る方向を変化させてキレイに芝目を出しているだけと思っていましたが、芝目の数を数えるとハーフラインからゴールまでに均等な10本の線があります。(グランド全部で20本の線)
フットボール通には当たり前の話かもしれませんが、これはアメフトなどに於ける定規みたいなものかもしれません。
さっそく、グランドの長さを調べると105メートルあり、その半分の52.5メートルで中に10本の芝目があるので1本の芝目の幅は5.25メートル。
この約5メートルの芝目を数えることでゴールまでどれだけ近づいたのか?と画面見ながら判断することができます。
ゴール前2本の芝目に近づくとPKを蹴る距離ぐらいまでゴールに近づきます。
一切説明のない芝目でゴールを見れば一目瞭然なのでそのような定規は必要ないとも言えますが、芝目1本を約5メートルとして認識するとグランドに定規が見えて新しいサッカー観戦の視点になるかもしれません。

 
■2022年12月15日(木)
■(改1)ネギの女神。
■2022年12月16日(金)
■一日一文章トレーニング。

「3本のにんじん」

昨日、朝採れの葉付きのニンジンを購入。
ニンジン3本に立派な葉が付いて298円。
普通のニンジンよりも何十円か高いけれども何か見た目が面白いのでそれを買います。
ニンジンの葉は70センチぐらいの長さがあってかなり立派。
お陰で移動する際に葉がコンニチワと袋から常に顔を出している状態でなかなか持ちにくい。
自転車のカゴに入ってもゆっさゆっさと移動中にヘドバン状態で頭を揺らしています。
葉付きの野菜を見かけない理由は持ち運びに不便であるからと郵送用の箱も大きくなり郵送料金も高くなるのかもしれません。
道の途中に馬がいれば1本お裾分けしたくもなりますが残念ながら馬も兎もいない世界に私たち生きています。

昨晩は墓場ルートを走りました。
谷中霊園は全く怖くない墓場とは言え、夜の霊園はそれなりに不気味です。
なので、夜は違うルートを選択することも多い。
チャリカゴに葉付きニンジンが乗っているせいか?心持ちも大きくゆっさゆっさとヘドバン・ニンジン共に明かりも少ない夜の墓場に侵入します。
さっそく、墓場の入り口付近の暗闇に制服を着た中高生カップルが見つめ合って立っています。(たぶん)
自転車乗りながら横目でわいセンサーは人らしきものを感知した。
揉めているのか?ラブラブなのか?暗闇すぎてよくわかりませんが、それでなくとも外灯少ない墓場の明かりの届かない暗がりな場所で見つめ合っています。
兎に角、黒くて暗い。
私は「墓場で何やっとるの」と思いながら通り過ぎます。
本当のところは学生コスプレの幽霊同士の恋のもつれかもしれません。
自転車を止めてバックして確認しに行ったら、もう人はいなかった・・・はゾゾっと盛り上がるお話です。
けれど、暗闇のカップルを再確認しに行く程の中二病でもありません。
先を急ぎます。
墓場を直進していると今度は散歩連れのお兄さんが前方に見えます。
所狭しと建物が立ち並ぶ東京の墓場とは大切な犬の散歩コース。
車の音やワンさか人が通る住宅街よりもワンちゃんにとって墓場は楽しい散歩コースのはず。
このように、夜になってもちらほら人もいて幽霊よりも人の方が怖いかもしれないと考えると猛犬となら安心です。
私はヘドバンニンジンがいるから安心。
そして、ワンちゃんは墓石の壁の境界線におしっこマーキングをしています。
人間の感覚からすると墓石におしっことは不謹慎ではありますが、夜の墓場人もいないし犬も当然おしっこをするので気に入った墓石にしーこいこいをやっています。
散歩の兄ちゃんは「墓石へのおしっこを見たな〜」という感じで私を見てきます。
お〜こわな感じではありますが、まーメイン墓石ではないからギリギリセーフだと思う。
さらに、進むと墓場の奥の暗がりから老婆が出てきた。「ドキッ」。
自転車を細い墓道道に置き恐らく野良猫にエサをあげにくる老婆だと思われます。
墓場には2〜3匹の野良猫を確認していますが、何人かの人がエサやりをしています。
墓場の猫たちはかわいくないというか、野生味あるというか、愛嬌もなくて目つきも悪い、とにかく、人や幽霊にも近づかない猫たちです。
やっぱり、夜の墓場にはいろんなドラマが潜んでいて怖くて面白い。

ということで。
昨晩葉付きニンジンを調理しました。
さっそく、インターネットという機械を使いニンジンの葉の調理法を検索しますが、美味しそうなメニューはなかなか見つかりません。
とりあえず、茎は固いので塩漬けのお漬物に、柔らかい葉っぱはよく洗浄して炒め物に入れるとパセリのような味になりました。

 
■2022年12月16日(金)
■(改2)ネギ
■2022年12月17日(土)
■一日一文章トレーニング。

「オーランド・デ・リオについて大いに語る」

遊戯王植物から伸びたアスパラガスは11.5センチまで成長してまだまだ成長中。
もはや、アスパラガスにしか見えないので遊戯王の頭からアスパラガスの種が成長している疑惑も浮かびます。
もしかしたら、遊戯王とアスパラガスは同じなのかもしれません。
園芸な人たちにとっては遊戯より団子(花)ですが、寒い冬に不気味な器官を伸ばして遊戯王ちゃんカットはどんどん崩れてしまいます。
ところで。
「一日一文章トレーニング」は数日間更新を停止します。
食人植物に食べられてペロリと逝った訳ではありませんので念のため。
墓場のランナーとして日々生と死の狭間を駆け抜けているとはいえ植物のエサとなるにはまだまだ早い。
あと、数年分はお見逃し下さいませ。
文章と頭のメンテナンス、クリスマス休暇という訳でもなく数日HP更新をお休みします。m(__)mt

簡潔に整理して、この一日一文章トレーニングをオーランド・デ・リオ作として書けば何かスゴイことを書いているよにも思えます。
先ず「オーランド・デ・リオって誰やねん」という話です。
何かの映画に出てきた名前だと思います。
私のメモ帳をペラペラとめくっていたら「オーランド・デ・リオみたい おまえとオーランドは違う」と書かれていました?
オレとオーランドは違う?当たり前、何の意味なのか書いた本人も全くわからないけれどもステキな響きです。
意味がわからなければ文脈上でその意味を探ります。
上の行には「南口」に下線??
どういうこと??待ち合わせの場所でしょうか??
下行には「(F)→思い出す やったね 友達に教えていて」とある???
何かを教えて「いいね」なのか?何か教えていて何かを思い出したのが「いいね」なのか?のどちらか?。
これまたナゾです???が、どうせ何の役にも立たないことだと思います。
文脈から意味を探ると、それは単に?マークが増えるだけの意味不な出来事です。
結局、「オーランド・デ・リオ」とは何なのことか????わかりませんが、名前の響きからイタリア人、ポルトガル人かスペイン人?かもしれません。
念のためググるとリオの治安みたいなものや、リオデジャネイロ発オーランド・フロリダ便も出てきます。
よくわからない外国人がよくわからない言語で一生懸命何かを話している映像などを観ると何か我々はとても重要で大切なことを話しているように感じるものです。
実際は海外旅行するとマダムたちが口から生まれてきたのか?と思うぐらいに何かずーっと話しています。
私たちはカタカナ言葉に非常に弱いところはあります。
カタカナ言葉をペラペラと話すことは日本語なのでしゃべっていることはわかるのですが、話す内容の意味がわからなくなて頭がクラッシュします。(キョトンと?真顔)
そして、相手は何かスゴイことを話しているような錯覚を起こします。
今ここで「オーランド・デ・リオ」みたいなカタカナを探しますが最初に思い付いた言葉は「ナッジ」です。
最近良く聞く言葉ではありますが「ナッジする(Nudge)」とは人々を望ましい方向に導くという何か誘導技術のナッジ理論らしい。
今度読んでみたいと思います。
会話の中でやたらと「ナッジする」とのワードが出てきたならば・・・今の私にとって、その人は「オーランド・デ・リオ」爆誕です。
完全にチョロく相手の導く方向にナッジされてしまいます。こわwww
「この案件をディクリーズしてディスティネーションしたものがマサドラにアカンパニー(Hunter X Hunter)」みたいな意味不なコトを話したとしても「しれーっと」カンパニーな単純単語を紛れこませているので誰も何も言わずに会議は進行していくことと思います。
日本語のカタカナには最新っぽい知識のマウントをとる技術としてのカタカナ言葉乱用はあると思います。
カタカナ言葉への畏怖は世代間ギャップとして存在しているのでしょうか。
ローカル・ザ・ニッポン暮らしの子供たちは大人になり横文字カタカナを話す別人種に接すると途端に「意味がわからない」とクラッシュします。
昔、誰かがコンテンツや何かわからないカタカナ言葉が議題に溢れ出すとその案件や業界は必ずポシャルみたいことを話していましたが、その本質が「オーランド・デ・リオ」かもしれません。
自分で書いた意味不な「オーランド・デ・リオ」に勝手に意味付けをすることは、それが「一日一文章トレーニング」の醍醐味です。
世の中の本物のオーランド・デ・リオさんたちにm(__)mT。
オーランド・デ・リオっていう響きは言葉巧みで何か胡散臭くて結構好き。
実際にナポリから連れてきた普通のおじいちゃんを偉大な研究者だか哲学者だと紹介して「わしゃは今朝〜を食べて軽く散歩したら日本の香りはなんか変わった香りをしているので・・・」とど〜でも良いことを話しているだけでも何か有難くスゴイことを話しているようにも思えます。
何かよくわからないものとは偉大なる神秘性を持ちます。
このようにして古は鑑真和尚などのナゾなお経を読む外国のお坊さんたちも迎えられたのかもしれません。
私も意味のよくわからないことを書いているので「オーランド・デ・リオ」に気をつけなければなりません。

チャオ♪

 
■2022年12月17日(土)
■(改3)ネギ。ネギは根が命です。
■2022年12月20日(火)
■一日一文章トレーニング。

「二日ぶりの文章を書き始める」

「一日一文章トレーニング」を2日間お休みしていました。
習慣とは最強の自動化で毎日の習慣であるからこそネタ不足の時にも何かしらの謎な勢いやゴリ押しパワーでも書けます。
何かをやり遂げるには習慣化することが最短です。
習慣とは日々拘束する大変なことではありますが、そんな習慣よりももっと大変だなのが、そんな習慣的な情熱を傾けることのできる対象を見つけること。
習慣とは大変でも何かの習慣的な情熱を燃やせることは幸せなことなのかもしれません。

そのようなナゾな勢い・習慣とはなんぞやと思うと「根性ややり遂げるという執念」みたいなもの。
なので、書くことを休むことはそのようなリズムな火を止めるようにも感じて少し怖くも感じます。
しかし、スポーツ的呆則に則ると集中的にどっぷりと体を動かした後の休み明けには体が自然とスムーズに動けることも多いです。
それは休息している間に筋肉に「技術の記憶」が染みついて成長する感覚です。
休みの間に体が無意識のイメージトレーニングで動きを調整しているのかもしれません。
その意味ではただガムシャラに書くこと・動くことの時間は必要で、同時に何も書かない・動かない時間というものも必要のようにも思われます。
そのようなことを考えながら何かしらの成長はないものかと低速ギアでたどたどしく文章を入力していると、文章とは終始ネタ次第であるような気もして運動とは少し違うような気もします。

そういえば、面白いこともありました。
文章を書いていない二日目にレアな「睡眠しながらの文章構成を組み立てる」夢をみました。
普段でもなかなか体験することのない「寝ながら文章構成」とはとてもラッキーな出来事です。
朝、目覚めたら「寝て考えたこと」をそのまま文章に書き示すだけの作業でそれなりの分量・内容をラクチンに書き進めることができます。
これは自分の意見というよりも天啓なことを書き示す感じです。
お休み中の文章を書いていない今、なぜ?なその時にそのような夢をみるのかとても不思議なことであります。
ネタ不足の時にはそのような夢は羨望の出来事で全く見ることはありません。
理由をいろいろと考えたならば朝起き後に出力しなかったことで脳みそが勝手に脳内文章を構築したのかもしれません。
それはいつも行う文章出力の習慣を脳が夢の中で無意識に再現して補った感じ。
そう考えると脳みそって不思議で習慣の勢いは停止しても脳内ではそのスピード感覚は生きている感じです。
筋肉運動の記憶とかもそのような無意識の反復運動なトレーニングなのかもしれません。
そうなれば、時折、書くことをストップすることで習慣の自動化とは異なるルートの寝ながら考えること再現できるのかもしれません。
夢の中でどんな文章を書いたのかというと寝起き後感想だと面白い夢でした。
毎日文章を書く出力モードだとすぐにメモったり書いたりしますが、休息中だったのでその内容はメモしていません。
ハッキリと濃い記憶だったのでメモらなくとも大丈夫だと思っていたら、あれやこれやの日常生活を過ごしている内に完全に忘却しました。
どんな些細なことでもメモ帳に書くことは大切です。
頭の中の立場に立てば夢の中で一文章をこさえたので表現として残らなくともそれで十分満足だったのかもしれません。
二日ぶりの文章とはやっぱり大変でたどたどしくて大変です。
「寝る子は良く育つのか?」それはよくわからないことですが、文章を書くことは私の場合は未知のジャングルを切り開いていくような感じなので筋肉みたいな反復運動とは少し異なります。
「よく寝かせたネタは面白く育つ」かもしれませんが、単に休んだり眠るだけでは成長はないようです。

 
■2022年12月20日(火)
■ネギにとって必要なもの。

■2022年12月21日(水)
■一日一文章トレーニング。

「かわいいネギ画の考察していて思いついたこと」

いやはや、寒寒とした毎日。
寒くなると寄り道をせずに先をサッサと急ぐことになります。
ですが、少し耳を澄ませてみれば様々な鳥の大合唱が聞こえてきます。
スズメサイズの抹茶色の鳥が飛んでいてメジロではないかと思い凝視しますが小さくて速いので識別できません。
その変わりにチュンチュンとスズメみたいな鳴き声の冬鳥ハクセキレイを見つけることができます。
ハクセキレイは目立つ白黒模様で道をトントンと歩いていることが多いのですぐに発見できます。
白黒模様と言えば、不忍池にキンクロハジロも飛来しています。
黒白模様に寝ぐせ頭、目つきが非常に悪い水鳥です。
水中を潜って泳いだりもしているのでペンギンに近いような生物のようにも感じます。
そういえば、母が「空を飛ぶペンギン」みたいな不思議な話をしていて、何を訳のわからない話をしているのかと完スルーしていましたが、この白黒・黒白模様の鳥たちを見ていたらそのようなことを思い出します。
もしや、本当にペンギンは飛ぶのか?と思い、念の為ググると水族館の水槽を泳ぐペンギンを下から眺めるペンギンや明らかな合成映像で空を一斉に飛ぶペンギンの群れの動画がありました。www
「空飛ぶペンギン」とは何のことやら。

最近、ネギに興味があってネギの絵をたくさん描いています。
かわいいネギを作るべく改良を加えているとあることに気づきました。
それは「芸術は爆発だ〜」の岡本太郎画伯の太陽の塔のモチーフが太ネギではないかという疑惑です。(図参照)
勿論、どこかペンギンにも似ています。
本当のところは何にも似ているのかもしれませんが、私はこの造形物を太ネギの端の葉は折れて横に手を広げたように見えます。
その他の葉は省略してネギを擬人化させれば何となく太陽の塔っぽくなります。
そういえば、ネギのてっぺんにネギ坊主の帽子をかぶせると完全なる太陽の塔の完成です。
どうでしょうか。

ネギは根っこが命のようです。
根を育てるにはケイ酸(グルタミン酸・アミノ酸)などの栄養分が必要で、ネギにとって豊かな土壌があることが元気の元であり免疫力も高めた立派なネギを育つ条件となるようです。
日光よりも根が重要だということは面白いこと。
関東の人たちは土で隠れた光合成しない白い茎の部分を好んで食べます。
ちなみに、植物が光合成なしでも育つのか?調べてみると植物は根からの栄養を吸収するだけでもそれなり育つみたい。
ただ、太陽光に当たらないと種子は作らないので種の繁栄を考えれば適度な日光は必要で、単に育つだけであれば日光はそれほど必要ないことになります。
そのような大切な根っこならば、かわいいネギ画に根は必須です。
ネギの根っこを足に見立てて絵を描いていると私たちが見ているのは葉っぱの部分だけでネギにとって本当に大切な部分を見ていないことに気づきます。
これは「木を見て森を見ず」に近いもので「葉を見て根を見ず」みたいな感じ。
半分は見ているけれども半分は見ていなくて根の存在も気にしていません。
私たちを植物に置き換えると光合成とはネットや動画、TVみたいな刺激物であるようにも思えます。
光合成によって作られる酸素は生命に必要なものではありますが同時に触れるものを何でも酸化させる猛毒でもあります。
そのように考えると現代社会に氾濫する刺激物とは根から吸収する栄養物ではないことは明らかで人を育てるものではありません。
ならば、苦土、石灰、マンガン、ホウ素、銅、亜鉛、ケイ酸等の土壌から吸収する栄養素とは人にとっての何になるのでしょうか。
これはとても重大な問いです。

 
■2022年12月21日(水)
■(改4)ネギ。顔をワイヤーっぽくした。


■2022年12月22日(木)
■一日一文章トレーニング。

「今年も両手を数える程で終わります(こわ)」

今年もあと10日間。
手の平を広げて指折り数えると令和4年もあと10日間でお終いです。
10日間!!
(仮)時は歯車のように回転するとしても残酷すぎる程に速すぎて猛スピードで駆け抜けます。
誰しも逃れることのできないこの流れに身を委ねると、きっと、次の令和5年もあっという間に駆け抜けてしまうことでしょう。(こわいこわい)
この何も成すことのないダメな一年の終わりを指折り数える虚しきカウントダウン。
ダメ加減を忘れぬ為にもしっかりと数えて受け賜まおうと思います。

Aが未来に向かってギアを回すと、その話を聞くBのギアは過去方向に回転します。
これがギアの動きです。
BはそのエネルギーをCに伝えると、次にCはAと同じ未来方向にギアを回します。
(偶数奇数で反対方向)
そこで、よくよくと考えてみるとギアの半分部分は180度で未来向きに回転したとしても残る半分のギアでは過去方向から逆回転して、結局、未来方向に回転することになります。
要はギア同士の接続部分をどこに繋げるかのポイントによって回転する方向は異なりますが、目に見える回転があるとすれば、その裏には目にすることのない逆回転も同時に存在していることになります。
そして、それは回り回って未来方向に運動する同じ意味を持ちます。
これはネギの葉と根の関係に似ています。
目に見える葉の部分があるとすると同等規模の土に埋まった根っこの部分が存在していることと同義です。
根は目に見えなくて、食べることもないので捨てる廃棄物でもありますが、私たちはその根っこをゴミとして無視します。
時の回転ギアが存在していると仮定して目に見える運動があるとすれば、その反対の裏側には決して見ることのできない逆回転の裏の運動が常に存在することになります。
これは決して見ることのできない逆方向の動き。
(地球の裏側と似ている)
これは正と負の粒子の(伝統的な概念だと陰と陽)関係にも似ています。
電車に乗ると皆スマホな眩しい画面ばかり見るように光合成ばかりを求めると根からの栄養分(肥料)を疎かにしている可能性もあります。
この状態とは正と負のバランスで考えるととてもアンバランスな状態です。
大きな根が存在していれば良いのですが、私が「人間の芯」についての話を書けないように「人間の根」についても書けません。
土壌の栄養とは人間に例えると何になるのかと考えたけれども、それはとても難しいことです。
それは、食べ物のことかもしれませんし、もっと深い意味での生きる本質みたいなものかもしれません。
私の根はどこにあるかと考えればエアープランツのようなふわふわした存在にも思えます。
風が吹けば風に流され、根があったとしてもとても軟弱なものです。
しかし、光合成を求める葉っぱのアンテナは立派です。
ギアは確動カムみたいな変形ギアなのかもしれません。
※関係ないけど、個人的にはトランスミッションBOXのように様々なギアの組み合わせで時間をコントロールできるようになりたい。
風雨に飛ばされや病原菌によって倒れてしまわぬ丈夫な根を持つことは大切なことで、先ずはオモテ部分面ぐらいのしっかりとした根を土壌に伸ばしたい。
経済に於いても根と葉の関係は通ずるものを感じます。
根の部分を疎かにした状態というのが失われた30年だったかもしれません。
どっしりと根をはった既得権とそうではない根をはることの許されない下請けが明日、明後日、来年にはもう用無しになっているかもしれないと思う関係性に似ています。
そんな不安定な状態では普通に考えて根を下ろすことはあり得ません。
そして、既得権でさえ土壌は痩せてしまって十分な栄養分が欠落しています。
そのような状態だと土壌に根をはるよりも光合成に頼ることは妥当なことです。
しかし、ビジネスに於いては根をはることは新たな既得権を与えることにもなります。
地中深く根をはった存在が気にくわないと思ってもすぐに交換はできません。
そのように考えると根をはるということは必要不可欠でもあって同時に少し厄介なものにも感じられます。
これらの関係性はシーソなような微妙なバランスの上に成り立っていて、その意味では程よくよく回転しない歯車な経済というのは何かしらのバランスが偏っている状態とも思えます。

 
■2022年12月22日(木)
■(EV)電気自動車。
■2022年12月23日(金)
■一日一文章トレーニング。

「言葉は生き物です」

最近の「日本化」とは少し意味が違うらしい。
私たちが子供の頃の「日本化」とは異国文化を国内に持ち込み、それを日本仕様に魔改造して文字通りに「日本化」したものを指します。
「日本化」されたものを例えると工事現場で見る一輪車の「ねこ車」のようなものが思い出されます。
※江戸時代から猫車が存在していたらゴメンね。
外国のホームセンターに行っても4輪の土砂を運ぶ手押し(手で引っ張る)車は販売されていても一輪車のような不安定で変な道具を販売されているのを見たことはありません。
「ねこ車」というネーミングも変わっていて由来を調べると猫の歩く細い道でも一輪車で運べるという意味でのねこ車であります。
本来は工事現場や農場でモノを4輪駆動で運ぶところの文化を輸入の際に「日本化」が行われて「ねこ車」という変態仕様のカタチに生まれ変わったのだと思われます。
日本の工事現場、農場に狭い部分にマッチして利用されることになり、皆、おろおろと不安定な一輪のタイヤと手に持った2足歩行の3支点で重たい荷物を運びます。
この島国では「ねこ車」はほぼ100%に近い割合で普及しています。

ところで。

最近の「日本化」とは「Japanization」といいます。
「ジャパニゼーション」とは何かカッコいい響きですが、最近では米国経済学者のローレン・サマーズ氏が「世界経済が日本化するぞ」と警告的な発言をしています。
何とも勝手に世界が日本化することは私にとって一向に構わないことではありますが、どうやら良い意味での「日本化」ではないようです。
失われた30年のように長期間の経済的な停滞を表す名詞としての「日本化」です。
島国根性な私たちであれば「君たちもこちらにおいでよ!!(≧▽≦)ウェルカム(≧▽≦)!!」と両手を振ってのオモテナシをするところかもしれませんが、同じ「日本化」でも意味は変わってくるものです。
そのような「日本化」な言葉を見ると言葉は生き物であることを感じます。
今日の意味は明日には全く反対の意味が付与されている可能性もあります。
もしかしたら、新語造語というのはその国の勢いを表すバロメーターであるのかもしれません。
新語造語というのは日本では若者が作り出す言葉ではありますが、今海外から流入する新しい言葉は新しい市場と共に生まれてきた言葉です。
ぱっと思い出すのが「web3」「フィンテック」「エドテック」「DAO」「NFT」「ブロックチェーン」に「ユニコーン」などの言葉たち。
異国言語のままの流入なので「日本化」された言葉ではありません。
「ブロックチェーン」はナカモト氏であるが故に若干「日本化」されているようにも思えます。
以前、横文字言葉が溢れてくるとその業界やプロジェクトは必ず「ぽしゃる」というお話を書きましたが、このようなカタカナ文化は日本の風土や文化に合わせて「日本化」されずにそのまま運用しているので定着しないのではないかと個人的には思います。
「ねこ車」みたいな一ひねりがない。
逆に言うと上手に「日本化」するデザイナーの魔法にかかるとガラケー(iモード)みたいな「ガラパゴス化」して独自進化した変態マシーンを完成してしまうところもあるような気もします・・・が。
そのような意味では「ライフライン(生命線)の確保」のような外国語みたいな災害言葉だと世界に普及しやすい規格的な言語となるのかもしれません。

ちなみに内閣府のホームページを覗いてみて横文字言葉を書き出してみました。
・政府調達苦情処理体制(CHANS)
・成果連動民間委託契約方式(PFS:PAY FOR SUCCESS)
・民間資金活用事業(PPP/PFI)
・戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)
・ムーンショット型研究開発制度
・クールジャパン戦略
・地方創生SDGs
・小さな拠点情報サイト
・バリアフリーユニバーサルデザイン推進・・・
いやはや、セーラームーンのお仕置き制度から、支払って成功するという「成功はお金で買う」的なもの、政府調達に苦情を言うと何かのチャンスをゲットできそうなものやPPPの下ネタみたいなものまで、最後はラスボスのSDGsで「日本化」されてはいない難しい言葉がたくさん並びます。
真の意味は知らないので詳しくは内閣府のHPから調べて下さい。
本当はIT企業HPの横文字を拾って検証したいと思ったのですが民間企業をディスることはできないのでお手頃な公共機関のHPから文字を拾ってきました。m(__)mT
ディスるって言葉は侮辱というよりマイルドであり、外国語っぽく、どこかの誰かが作り出した造語となります。
語源は無礼を働くという「ディスリスペクト・disrespect」を省略した言葉のようです。
新語造語、言語化することは今までなかった概念やカタチを新しく作り上げることであります。
その意味では新しい言葉が次々に誕生することは社会が大きな原動力となるのかもしれません。

本日は12月23日、あと9日間で今年も終わります。
1週間+2日!!
来年は何か新しい造語を作れたら良いですね。(目標)

 
■2022年12月23日(金)
■カウントダウン。
■2022年12月24日(土)
■一日一文章トレーニング。

「来年の抱負」

「ブルブルちゃん ブルブルちゃん」
「来年こそは良い一年になりますように」
ぶるぶるぶる〜〜〜さぶい。
とても寒くて布団から出ることができません。
1時間前位から目が覚めて肌寒い布団の中でうずくまります。
布団から這い出ることができないのであれば頭の中で本日の文章構成を組み立てます。
そして、大体の構想も固まったのでモゾモゾと布団から這い出て文章を書きます。
(10−3=)ということで、今年もあと7日!!
今日も入れたら8日間だけれどもね。
基準をどこに置くかで数え方も微妙に変わります。
1週間とはあっという間に過ぎ去るハヤテのような時間ではありますが、これは本当に低速ギアを身に着けないと来年も今年と同じ過ちを繰り返してしまいます。
1週間とは結構長く、あまりにも短い。
この残された1週間は来年への抱負を考えて過ごしたいと思います。
こんなクソみたいな令和4年を鑑みると当然に来年は本年よりも良くなる予感を期待したい。
低空飛行、そのうち飛ぶのか?わいの飛行機。
来年の抱負をと考えると!!それは「機動戦士」になること!!
小学生でももっとマシな将来の夢について語ることができますが本人は至ってマジ真顔。
いつも話半分なメルヘン話で詰まってはおりますがメルヘンが存在しない現実とは何か寂しいものであります。
機動戦とは火力に頼らない機動力による戦術です。
火力戦術というものがロシアのような大陸国家だとすると機動戦とは日本や英国、アメリカみたいな海洋国家型な戦い方です。
そのような機動戦士になる為にすでに御NEWのノートパソコンを購入しました。(気分一新)
LTEというか5G対応のSIMカードが入るノートパソコンです。
いつでも、どこでも、ネット環境に繋がってワークできるエアリアルです。
言うなれば、時間場所を問うことはなく常に機動力を以って足げ良く行動範囲を広げることが可能です。(たぶん)
以前は毎日のように居酒屋に通っていたような時代もありましたが、パンデミック以降は行動範囲がとても限られております。
だからこそ「一日一文章トレーニング」みたいな脳内旅行を旅してしまうのかもしれません。
「来年こそは機動的になる」それが来年の夢。

「ガンダム♪ガンダム♪希望の光♪ガンダム♪ガンダム♪未来を目指す♪乗って安心!動いて安全!飛べる!踊れる!エアリアール〜〜」

と頭の中で歌いながら、さっそく昨日家電量販店に新しいマウスを買いに行きました。(1次)
新しいパソコンにはやっぱり新しいマウスが必要です。
ブルートゥース仕様で見た目が一番良いものを選んで購入。(2次)
新しいマウスは色がイエローとブラックでとてもかわいくてパッケージも小さくて微妙に可愛いい箱です。
マウスを買ってからプラモデルコーナーを覗くと「機動戦士ガンダム 水星の魔女 ガンダム・エアリアル」のプラモデルが販売されていました。
さっそく、エアリアルを購入。(3次:ラッキー)
クリスマス前の週末なので何かレアものが販売されているかもしれないと予測しておりましたが予感的中です。
行動範囲を広げることは幸運の女神にひっかかる確率も広がるのでしょうか。

写真のガンダムはメタリックのガンダムにSDガンダムの顔を載せたもの。
顔の接続パーツが異なるので上に載せているだけとなります。
MDにSDガンダムの顔を載せると顔デカなソフビっぽい可愛らしさのガンダムになります。
次はSDガンダムとの組み合わせでより本格的なソフビっぽいガンダムを作ってみたいと思います。

 
■2022年12月24日(土)
■カウントダウン(24日)。
■2022年12月25日(日)
■一日一文章トレーニング。

「抱負のふ」

「一年の計は元旦にあり」
昔の人は新しい年の計画は元旦の内に考えろと言っています。
人は元旦の朝に何を願い、どのような計画を立てるのでしょうか。
私はどちらかと言うと毎年無計画の寝正月。
大きなことを願うとするならばロシアが戦闘地域から撤退してウクライナでの戦争が終結して欲しい。
これはロシアにしか出来ないことであり、それを決断できるのも世界で一人しかいません。
その意味でも独裁とは一方的であり百害あっての一利なし。
一滴の利益も見出すことはできません。
仮に集団体制と言えども独裁独占に利益はなく、ミサイルや銃弾での破壊行為に何らの価値を見出すことはもっと難しいことではあります。
ですが、兵器から派生する技術は常に私たちの生活を変化させてきたことも事実です。
その意味ではドローンが飛ぶ空間空域やその技術は次の未来を決定づける要素の一つとなるのかもしれません。
ドローンとはよくわからないもので1台買ってみようかな?とも思う。
個人的な願いはプチヒットな商品やサービスが欲しい。
どちらの願いも重厚重大な大きな難題ではあります。
一年の「抱負」な漢字を読むと「一年の計」はもっと小さく些細な願いでも良いのかもしれません。

来年の「抱負」を読むと「負け」な漢字を抱えております。
「先負け」のように個人的にはそんなに嫌いではありませんが、一年の最初から負けを抱え込むことを忌み嫌う人はいるはずです。
そこで、「抱負」の意味を調べると心に抱いている考えや計画のことです。
「抱」は抱える(Hold)なこと。
「負」は負う(Carry-on)のこと。
「負う」には背負う・引きうける・「その名を負う」ような相応する意味での「負」の字を使用しています。
なので、「勝ち負け」の負けを意味を持っている訳ではありません。
それは分子の「正と負」の関係性のようにも思えます。
世の中に正の分子あれば負の因子も同時に存在します。
正(+)のように何にでも反応する汎用性の高いものではなくても、負(−)の小さな些細な願いを抱きかかえることには意味はあると!この漢字は言っているように思えます。
世界には「抱負」の負けな漢字が嫌だと考えて「抱勝」と呼ぶようなギラギラした国や国民性はあるのかもしれません。
ですが、抱負に負けな字を背負うことが如何にも日本的な美学ではあるように思えます。
さて、来年に向けてどのような「抱負」を抱いていきましょうか。
本日は12月25日で今日を含めるとあと1週間
10日前から考え始めて若干早いような気もしますが「正と負」の考えに立てば、どんなに小さくとも、どんなにしょうもない願いでも未来への抱負を抱くことはそれはそれで良いことのように思えます。

 
■2022年12月25日(日)
■手相。
■2022年12月26日(月)
■一日一文章トレーニング。

「大掃除とは現実逃避のカタチである By亡霊使い」

いつでもどこでもネットワークに繋がる機動ワークを夢見てクリスマスな休日にパソコン設定をしようと考えていましたが・・・初期設定・アプリ・パスワード等の設定が億劫でNEWパソコンに1度も触れていません。
今も旧ノートでの入力。
パソコンの設定とは私にとって光顔巍々(こうげんぎぎ)と聳え立つ山みたい難仕事であります。
スペックを見たり設定をいじることが好きな人たちのようにはなれないのでパソコンは単なる道具派。
来年に向けての目標!!
「このお正月期間中にNEWパソコンの全ての設定を完了する」
パソコン設定をする時にいつも思うのはシスアドみたいな人がひょいと現れて「さ〜どうぞ」的な感じで完璧な状態のパソコンを差し出してくれたら良いのにと思います。
そして、今さらですがオシャレなカフェでノートパソコンを広げて作業をしようにも荒川区にはスタ場な場所がないことに気づきました。
荒川区は東京都で随一のスタ場が存在しない場所です。
この神秘感は好きでかっこ良く思います。
パンデミック前は老人と外国人ばかりで人もまばらな街でしたが、パンデミック以降は若い人たちも随分増えて物価も安くて暮らしやすい街のようにも感じられます。

この前、スタ場のガラス窓側の椅子にゼレンスキーみたいな人が座っているのを見かけました。(もちろん荒川ではありません)
そのような感じでカフェの窓側にいると結構目立って皆、見ています。
目立つが故にパソコン作業をやるなら奥の壁側が良いものです。
このようなクソ文でも後ろからカフェで暇潰している人に読まれているのではないかと疑心暗鬼になると物凄いプレッシャーを感じます。
気が小さい私は「な〜む〜あ〜み〜〜だ〜〜ぶ〜〜×(数乗)」なお経を書くかもしれません。
カフェの横の人がパソコンでお経を書き始めたならば不気味に思い暇人退散できるのかもしれません。
その位に自分が書く途中の文章を盗み読まれることは結構な拷問です。
確かに変換間違い、誤入力などは見ているだけでも面白いこともあります。
自分が他人のパソコン入力はチラ見するのは全然平気で面白いのに、自分がやられるのは嫌だと言うのは虫の良い話でもあります。
そして、書いては消して、消しては書いてのバックスペース連打でどんな長文を入力しているかと思いきや「今日は良い天気かもしれない・・・」との一文だけということもあります。
私のキーボードタッチも煩くてカフェ向きではありません。
荒川にスタ場なくて良かった 良かった。

ならば、静かな墓場で入力作業することもできます。
墓石に囲まれて入力すればなかなかに雰囲気ある世界観を作れるかもしれません。
できればアダムスファミリーみたいな服装で入力したい。
未だかつて墓場でネットサーフィンしている人を私は見たことはありません。
これは新しい働き改革です。
墓場で入力する背後には亡霊たちがズラリと並んでいると考えるとオシャレカフェでの入力作業と変わらない気まずい雰囲気でもあります。
それは見えるか?見えないか?の問題です。
マウスの矢印が勝手に動き始めたらお化けはいる!!との確証を得ることでしょう。
誰にも歓迎されない人間にとってはゴースト歓迎でも、それなりにうれしいものかもしれません。
さっそく、彼らにパソコンを支給して無賃労働をさせる株式会社幽霊ワーク商会の設立を考えます。
ディズニー的には幽霊をこき使うメッチャ悪そうな代表取締役(CEO)の爆誕です。
機動性が高まると、そのようなどうでも良いことをいつでもどこでも書き記せることは何か楽しみです。
パソコンでなくて携帯電話でも良いこともかもしれませんが、携帯よりもやっぱりノートパソコンで作業している方がビジュアル的に面白いです。

ということで。

昨日、パソコン設定が面倒で逃げていたら大掃除を始めました。
ドッタンバッタンとの大掃除。
押し入れの中からいらない服を掘り出してゴミ袋にポイポイと捨てます。
何かすごくスッキリとした気分。
見えない所に忘れられたものを隠しておくことは無駄に塩漬けしているだけなので良くないことです。
使わないものは捨てましょう。
懐かしい服は洗濯機にほり込み、何やら掘り出しものが出てきて面白いです。
大掃除とは現実逃避な時にだけ起きる現象です。
やらないといけないことから逃げるように突然始まり一定のゴミが溜まると終了します。
これを光顔巍々から光顔無異(こうげんむい)な状態へと変化する状態なのかもしれません。

本日は12月26日、手は「パーとグー」なカタチになります。
今日入れると今年もあと6日。
今日を入れないとパーな勝ちでカウントダウンも佳境です。

 
■2022年12月26日(月)
■ガール。
■2022年12月27日(火)
■一日一文章トレーニング。

「反応性の高い指」

いやはや、今日を入れて今年もあと五日。
本日も恐ろしいことにノープランでつれづれなるままに文章を書き進めます。

12月27日の小指を曲げようとすると28日の薬指と27日の中指も一緒に曲がります。
左手の小指だけを単独に曲げることはできません。
右手の小指は単独で曲げたとしても薬指中指はグッと堪えて直立不動を保持できます。
左手の曲がった薬指中指は曲がった後に力(りき)を入れて持ち返すことはできるので、これは指力の入れよう次第なのかもしれません。
左手の小指を曲げると中指薬指も連動して動くことは雪崩現象のようにも見えます。
物語に例えるとAという行動を起こした結果BCの事象を誘発する歯車を回り出す面白味があります。

A(27日)→B(28日)→C(29日)

これを図にすると、いつもの時の流れと変化がないように見えます。

その意味に於いてBCは「反応性の高い酸素」みたいなものです。
世の中にある反応性の高いものを探すと「市場」があります。
時に市場は過剰反応でパニックを起こすこともありますが、鉱山のカナリヤ的にマーケットを窒息させる毒素を嗅ぎ分けて売買を通じた自然なポイントに拮抗・調整する能力を持ちます。
または、自身の猛毒によって止まぬバブルな化学反応を続けて市場が崩壊することもあります。
何でも結びつく反応性の高いものとはやっかいでもあり、必要不可欠な面白素材です。
管理されていない野生要素の高いものと言えば暗号資産。
今年はドル高によって仮想通貨も大きく下落。(ドル高と暗号資産は反比例な動きをしています)
マイニングするにしても資源高によって電気代が高くなってマイニング損かもしれません。
いやはや来年はどんな令和5年になるのでしょうか?

左手の小指だけを曲げることは訓練をすることで簡単に曲げるようになりました。
数回の指運動で手の筋肉は動きを学習します。
コツは人差し指と中指薬指の3本の指を真っすぐピーンと伸ばすことで小指だけを簡単に曲げることができます。
反応性の高い指を筋肉トレーニングでコントロールできることは面白いことです。

 
■2022年12月27日(火)
■おててミュージック。

■2022年12月28日(水)
■一日一文章トレーニング。

「この文章はたぶん何かの抱負?」

最近アップデートされたiPadOS 16.2で「フリーボード」というアプリが追加されました。
フリーボードは巨大なホワイトボードみたいなもので画像、文章、付箋に動画まで何でも思いついたアイデアを書き込むことができます。
少し触ってみましたが結構面白い。
誰かを招待して共同編集のようなものもできるようで遠隔地とのコラボレートをできるみたい。
アイデアはアップルのクラウドサーバーに保存されるので少し躊躇しますが、さっそく、どうでもよい来年の干支のウサギ柄のイメージマップを描いてみました。

1)ウサギの図。
2)少しおしゃれなうさぎ。
3)丸くて変なうさぎ。
4)四角形のアバンギャルドなウサギ。
5)ゆるくて変なうさぎ。

解説動画によるとどんどんとイメージやアイデアの膨らませて書けるようです。
私の場合Procreateで描いた絵を貼って画面の見栄えを気にしながら作ったのでVARなアイデアは1ミリも広がりません。
このようなノート風の思考には少し訓練が必要です。
メモに新しいアイデアメモを書いて、それらを自分の中で化学反応させて膨らませる感じなのでしょうか。

さて、年賀状のデザインはどのようなウサギ柄にしましょう。
勿論、このようなウサギ柄でも誰かと共同編集はできます。
膝を突き合わせてアイデアを練れることは面白そうではありますが一生懸命に描いたものを一心不乱に描き変更されたり、画面上がスプラッター映画の事件現場のような赤ペンだらけになっていたらイラッとくるかもしれません。
画面はリアルタイムに修正されていくので、修正された後にすかさず消された部分を修復していくと我の強い者同士の面白コラボレートは白熱しそうではあります。
なので「赤ペンと消しゴム不使用」は必須ルールです。
ネットにアップして誰でも書き込めるページを作ったらどうなるのでしょうか?
誰でも勝手に消せるし、誰でも勝手に描けるのでカオスなページになる予感です。

アップルは定期的にこのような面白アプリを実装してきますが、使ったことはありませんが、もしかしたらウィンドウズの「OneNote」はそのような機能なのかもしれません。
齧られたリンゴはiフォンのiモードの後出し実装で「ドヤっ」とクリエイティブの最先端みたいな感じを醸し出してくるので少し苦手です。
2023年どこでも機動戦士になるべく20万のiPadプロを購入するならば28万程のノートパソコンを買うことを選択した私ですがiPadプロでも良かったのではないかと思います。
来年もインフレは継続するとの予想の駆け込み購入ではありますが、いやいや。
私は遠い昔にリンゴマークから脱藩してゲイツの窓をくぐった者であります。
アップルの使い手のようなお洒落デスク環境でもなくパンデミック期間中に事務所に埋もれたフォールディングデスクを持ってきて“にわか書斎”を作って一日一文章トレーニングを書いている身でもあります。
これは偏見かもしれませんがアップル使いとはウィンドウズを使っている人達よりも何かシュッとした感じはあります。
お洒落とは言えないが何かシュッとした感じ。
これをワールドカップサッカーに例えると、ヨーロッパ選手風にヘアーをガチっと固めた日本の宝、堂安選手をアップルだとすると、同じく日本の宝でもう少しブラッシングが必要なボサボサ頭の三苫選手は正にウィンドウズ陣営なヘアカットです。
三苫選手の漢字がわからなくて検索すると「三苫 嫁」が一番に出てきます。
「皆、何を検索してるねん」とは思いますが確かに気になります。
ブラッドボーンのマリア様も「秘密とは甘いものだ」と言っています。
毎日アホ程のフィッシングやドロドロとカオスなウィンドウズ環境に慣れ切った私にとってリンゴ界隈にはもう戻れない世界です。
iPadだけは別かもしれませんが安ければサーフェスを選択するという手もあります。
しかし、左手にノートパソコンを抱えて入力することは面白ビジュアルです。
ハイスペックのグラボ付きゲーミングパソコンみたいな筋トレ重量級のノートパソコンをモバイルとして使う御方がいれば、それは殺伐した街に一輪と咲く癒しみたいな存在のようにも見えます。
大体、ノートパソコンを片手に持って毎日持ち歩く変態に悪い人はいないような気もします。(全くの確証なし)
私のパソコンは軽量・薄型ノートパソコンですがいい人アピールをしたい訳ではありません。

本日は12月28日で本日入れて今年も後4日
指の画は昨日、もうすでに曲がってしまったので今日は描きません。

 
■2022年12月28日(水)
■うさぎ年。
■2022年12月29日(木)
■一日一文章トレーニング。

「ぼくだけの低速カレンダー(ドラえもん風)」

朝は寒いのですが夕方の黄昏時はもっと寒く感じます。
温度計を見ると室温は十分に暖かいのですが体は寒い。
太陽が欠ける夕方時間の寒さは何故こんなにも寒いのでしょうか。

指折り数えて今日を含むと後3日
今日を含めないと後2日。
もうすぐ数えるとお正月ということで時は今もチクタクと時間を刻んで進んでいきます。
10本指で日数を数えると案外、低速ギアな感じで時間が経過していることに気づきます。
これは大発見です。
当たり前ですが7日間よりも3日分長い。
1週間が7日間であることは一つの単位としては短すぎます。
月〜金の5日間動いて2日間休むサイクルはあっという間の一週間です。
大体、7という数字も少し変な数字ではあります。
1週間はなぜ7日間なのでしょうか?
私はこの1週間の7という数字を地球にやって来た宇宙人の指の数が7本指だったかもしれないと予想しましたが・・・。
調べると旧約聖書で神様が6日間で世界を作り7日目に休息したことが理由のようです。
この1週間が7日間であることは欧州の得意な規格支配のような気もします。
純粋に考えて1週間が7日である理由の根拠はよくわかりません。
6日間で世界を作ろうと思えば物凄い人数の神様が必要です。
日本のような八百万の神様総動員でトントンカンカンと世界を作ることは可能かもしれませんが、一人の神様で世界を作るには世の中あまりにも大きくて複雑です。
7は365でも割れないし何とも不思議な数字です。
低速ギアで時の流れをコントロールしようと考えれば1週間は10日や21日単位で数える方が時はとりゆっくりと流れるはずです。
10日間は左手5本と右手5本の合計の数です。
21日間は左手右手を山あり谷ありで数えた時の数。
右の親指の谷から数えて左の親指の谷を下ると21です。
ギアの呆則で考えると数字は奇数で終わる方が時の進行と一致することになります。
なので、1週間を21日で考える方が10日間よりも良いような気もします。
1週間21日の内の6日間を好きなように組み合わせてお休みを取る感じは良いかもしれません。
人には遊びにしても仕事にしても1週間7日間という単位に囚われずにガムシャラに打ち込む時間は必要です。
15日間連続働いて6日間連続休暇でどこか遠い世界へ旅するという考え方もできます。
しんどければ、3連休を2回とることも可能ですし、3日ごとに1日休むことも可能です。
そうなれば、1年は約17週間で終わり、四季で分けると4シーズンで約4週間となります。

来年の抱負?

1週間があっという間に過ぎるのであれば低速ギアにギアチェンジする必要があります。
自分だけの異なる1週間を21日で生活してみたらどうなるのでしょうか。
先ず月火水木金土日の概念は消滅します。
ガンダムでいうところの宇宙世紀みたいな感じでしょうか。
少し面白いので実験してみる価値はあります。

(21÷3=7)!!
1週間7日の理由は指の山あり谷ありだったりするのかも。

 
■2022年12月29日(木)
■うさぎカー。


■2022年12月30日(金)
■一日一文章トレーニング。

「クセありを分解する方法」

ニンジンの葉っぱの茎部分は物凄いクセありな風味を持っています。
塩漬けにすれば美味しく食べるかもしれないと考えますが、あまりにものクセ強な為に食べられたものではありません。
しかし、このクセありの青い茎をソースに絡めると何か微妙に美味しい深みを感じます。
西欧料理により深い欧州味が加わった感じ。
クセありはクセありに掛け合わせることで美しいハーモニーを奏でる呆則はなかなか確証性の高い法則のように思えます。
ソースというものはソースのかかる食材を完全なソース味にしてしまう”化け物”液体であります。
もし、私が人間界のソースタイプな人に交われば、空虚な私はすぐに完全なるソース味に染め上げられてしまうことに似ています。
もしかしたら、私はもうすでに十分にクセあり人間かもしれなくて、それは人から見るとソースタイプかもしれません。
自分ではピリッと辛くもないし、さらりとあっさり、どのような食材でも程よく馴染む醤油味だと思っています。(自己分析)WWW
「自分自身を調味料に例えると何味であるのか?来年はどんな調味料や食材風を目指すのか?」
これは新年早々誰もが自問自答するべく一年の抱負(課題)であります。

そのようなクセありのソースを酸素から水素を作るように電気分解すればガッチリと固まったソースを分解できるのでしょうか。(仮説)
我が家では土日のお昼に焼きそばを食べることが多いのですが、焼きそばと言えばカルボナーラ味や塩ニンニクなどで食べることが多くてソース味は不人気。
おかげ様で焼きそばを食べる度に付属の液体ソースの子袋が冷蔵庫に溜まります。
これらソースはいらないからと言って捨てることはできません。
ソースを感電させて黒くてドロッと固まった液体を分解できれば汎用性の高い調味料に改良できる可能性もあります。
当然、電気発生させるような拷問器具は持っていませんので、ソースを瓶に詰めて沸騰したお湯の熱で「ぐつぐつ」と煮込みます。
「熱でソースを分解できるのでしょうか?」それはわからない事です。
ですが、ソース成分の何かが熱によって分解するとなればトマトと結合できれば美味しくなる予感もします。
さっそく、媒介としてトマトも瓶の中に一緒に投入して煮込みます。
そのような実験室で作られたソースは当初のソースよりもサラサラな液体のソースとなります。
味も少しソース味弱めになったような気もしますが単にトマトな液体で薄まったとも考えることもできます。
ソースを分解して溜まったソースを消費することは来年の抱負です。

再び、ニンジンの茎の話。
そのような固くてクセあり素材はインドカレーのスパイスのように粉砕して粉にすると美味しくなるのかもしれないと考えます。
先ずは冷蔵庫の中で冷燻状態にしてよく乾燥させます。
半ば忘れられた状態で乾燥しておりましたが塩も効いているので痛むこともなくいい感じに乾燥しております。
そして、一昨日、思い立つようにフードプロセッサーを取り出してきてニンジンの茎を粉々に分解しました。
ほとんど使用することのないフードプロセッサーの登場は出してくるだけで大仕事。
コンセントを抜いたり挿したりしながら使い方の忘れたフードプロセッサーを安全確認しながらニンジンの茎を分解すると一瞬で粉々です。
ほんの数秒で粉々。
何とも清々しいい気分。
緑色がキレイで美味しそうな食材となります。
試しに一口食べると塩分の効いた緑の葉っぱみたいな感じのクセのない“ふりかけ”みたいな食材です。(茎のクセが全くなくなった!!)
せっかく、フードプロセッサーを出してきたのでこの一回使用で終わらせるのは勿体ないことなので、ついでにダイコンとニンジンも粉々にします。
ダイコンはダイコンおろしになるかと思ったらやや粒の大きめのダイコンおろしではないものになりました。
粉々にしても液体がほとんど出ないのでフードプロセッサーを使う時には前もって水分を飛ばすことを考える必要はないようです。
このダイコンおろしもどきをお豆腐にのせて、味の素、かつお節、粉々ニンジンに醤油味をかけて食すと具だくさんの美味しい冷奴になりました。
これはかつお節が美味しいのかもしれませんが、やわらかい豆腐に噛みしめる味のある具がたっぷりのっていることが美味しい要素だと思われます。
粉々ニンジンはスプーンですくうとボロボロと机に転がって若干お掃除が大変。
粉々ニンジンを炒め物や納豆、その他いろいろにふりかけると味に変化はないのですが、見た目には赤味が加わり美味しそうには見えます。
粉々ニンジンが味に全くの変化を起こさないことは面白いことです。
ただ、見た目だけを良くする食材となります。
ニンジンはそれなりにクセあり素材だと思いますが粉々になるとクセがなくなります。
これを呆則に取り入れるとクセあり人間は細かく多用に分散した業務を受け持つとその特徴であるクセは消えてなくなってしまう可能性はあります。
その意味ではソースをホイップしたりして粉々にする分散するとクセがなくなるのかもしれません。
来年の抱負!ソースをホイップすること。

本日は12月30日で手のカタチも「いいね」ポーズになります。
いやはや、明日は数の子を塩抜きしたりしてお正月の準備です。

 
■2022年12月30日(金)
■30日。カウントダウンもあと少し。
■2022年12月31日(土)
■一日一文章トレーニング。

「大晦日の次は卯」

本日は12月31日大晦日。
両手のカウントダウンの指も全て折れて明日はお正月。
10本指で物事を数えると3日分長くなって時間も少々長く感じられます。
1週間を低速ギアな21日で数えようと企む不届き者な私ですがお正月は特別な行事です。
図は一週間21日で作てみたカレンダー。
字余り29日発生しています。
もう少し美しい21日カレンダーを考案したいです。

大晦日の晦(みそ)とは日に毎ではない苺のような母を持つちょっと変な漢字です。
晦日(みそか)は「三十日(みそか)」のことであり、月の終わり陰暦の末日“つごもり”を意味します。
あいうえお順に解釈すると「みそ(か)」の次は「みそ(き)」です。
何かの節目の次に“禊ぎ(みそぎ)”が待っていることは如何にも日本的な順番のようにも思えます。

(節目)→(禊ぎ)

お正月だからとは言え何かが変わる訳ではありません。
“禊ぎ”という汚れや罪を洗い流すという荒々しいものではありませんが、1月1日元日を跨ぐことで何か新しい気持ちで次の新年を迎えようと思う気分にはなります。
それは禊ぎ近い何かのような気もします。
気分一新する季節は4月1日の春にはもう一度やって来ます。
心新たにする時期が二度やって来ることは1年を2度スタートさせる節目を持つことなので私のような初心を忘れっぽい者にとってラッキーなコトです。

令和5年の一年がどのような一年になるのかわかりませんが次の干支は卯年です。
これまた「兎を卯」と読む変な漢字です。
卯月とは陰暦4月のことで今の暦で言うと生命が息吹く5〜6月頃の季節を指します。
未来に向けてピョンと飛び跳ねるウサギよりも卵から新しい生命が生まれるウサギ年を表しているのかもしれません。
ならば、その卵の中身がどんな卵であるかが重要です。
個人的には「ドヤっ」とバカ売れ商品な卵であったらうれしいのですが、卵(子)は親を選べません。
その意味では2023年に生み出される兎の卵とは2022年を過ごした私たちの鏡として生まれてくる卵となります。
それが戦争や物騒なものではなくて希望ある未来の卵として生み出される為には、私たちがより良い未来に希望を持つ必要があるのかもしれません。

何の意味があるか、何の意味も持たないかもしれませんが「一日一文章トレーニング」という苦行はネタ不足、知らないコトなどにも臆することなく今年一年間も結構がんばって書きました。
来年は情報の根や葉が立派に育つことになれば良いです。

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■2022年12月31日(土)
■うさぎが卵を生むのか調べたら哺乳類なので卵を生みません。
卯は東の方角のこと。
昔の時間で午前5時〜7時の間。
コケコッコーとニワトリが卵を生む時間帯です。
卯と卵・・・点なし点あり。
ドンッ!!