■2022年11月1日(火)
■一日一文章トレーニング。

「干からびた骨に注ぐもの」

今朝の鉛色の空。
昨日の真っ青な快晴が嘘のように重くのしかかるグレーの空。
skeleton jar」とはもしかしたら水が溜まらない骨のような隙間だらけの容器なのかもしれません。
何も溜めることのできない壺。
それは現代社会を体現するフレーズのようでもあり、評論家が好んで使いそうな言葉でもあります。
実際、情報も物も時間も透明な私の体をはやて馬のように過ぎ去っていきます。
私の体だけでなく社会そのものも隙間だらけで何も受け止めることもなく、全てのものを垂れ流していくような感じ。
何にも身にならなく虚無のように次々と流れ去ることはサルトルの言うところの自由ってものなのでしょうか?
それとも鴨長明の言う諸行無常というものなのでしょうか?
清流であれば溜める価値のあるものかもしれませんが、様々な汚れや呪いに染まった水であればスケルトンジャーの方が良いかのかもしれません。

昨晩、プラスチックに塗装していたので室内がシンナー塗料の臭いで充満します。
カーテンを開けて窓を開けると幾分シンナーの香りが外に出ることにはなりますが気休め程度の換気です。
「ぶるっ」寒く震えながら外の空気を吸い込むと水平線に近い低い位置に三日月のキレイなお月様が屋根の上にぽっかり浮かびます。
「いやはや寒くなりました」
数日前から4つの鉢を室内に避難させております。
朝、外に出して夜に室内に回収することは結構面倒なのですが寒さに弱い植物もいます。
狭い室内に4つの植物を置くことも邪魔ではありますが、室内に入れないと見るからにグッタリと元気がなくなるので仕方がないこと。
1鉢は植物界のお嬢。
寒さにも暑さにも超絶弱いのですが幾度の冬も越冬したベテラン植物。
部屋の陽当たりの一番良い場所に陣取っております。
最近はお嬢様というよりも植物界の魔女という言葉がふさわしい貫禄があります。
2鉢は寒くなって葉っぱを落とした新参もの。
草みたいな植物で少しでも葉に触ると落葉するので、今一番手間のかかる植物。
そーっと動かし、落ちた葉っぱを掃除機で丁寧に吸い取ります。
面倒なのですが春や夏の終わり頃にキレイな小さな花をたくさん咲かすので何とかこの冬を越冬して欲しいものです。
3鉢は今シーズンの新しいお仲間であるアフリカ系の植物。
ツンツン髪の毛のようにパンクな頭。
寒さにもある程度強そうで元気にピンピンとしておりますがアフリカ産の植物なので念のために室内に避難します。
4鉢も今シーズンの新しいお仲間のアフリカ系の植物の兄弟。
カエデみたいなカタチの葉っぱをしています。
最近、カイジみたいな画力の人たちに囲まれて「嫌だなー」と思っていたら私の頭も遊戯王みたいな髪型でどんな夢やねんサーと思ったのですが、この植物のカタチが遊戯王の頭に似ています。
なので、そんな植物のカタチにインスパイアされて遊戯王な頭の悪夢を見てしまったのかもしれません(‘Д’)。
それとも、ツンツン頭とカエデ頭の兄弟はHUNTER×HUNTERのゴンとキルアに似ているとも言えます。
というわけで、何の話かわかりませんが室内はとてもにぎやかです。
それに加えて、音楽も戻ってきたことで家に色が増えました。
パンデミックのここ数年、音楽をほとんど聞くことはありませんでした。
時たま聴く音楽とはネットのオススメ音楽をパソコンで聴くぐらい。
久しぶりにスピーカーから流れる良質な重低音を聴くと体全体で音楽を受け止めているような感じがします。
それは穴の開いていない普通の器に戻ったという表現が正しいのかもしれません。
耳だけで聴く音楽と、ズンズンドコドコと体で全体で感じる音楽は全く別物であると気付かされます。
ノートパソコンで聞く音楽とは何とも貧相な音でありますが、それに何とも思わなく聴いていることは不思議なことではあります。
これはもしかしたら、「便利>質」なことなのかもしれません。
便利さは質の価値をも容易に駆逐する。(byOーチャック)

 
■2022年11月1日(火)
■別の道、異なる地図。
■2022年11月2日(水)
■一日一文章トレーニング。

「ハリーを洗濯しないと」

ミニコンポの横に座る者はデンマーク国鉄DSBのキャラクター「ハリー」。
80センチぐらいあるビックサイズで抱き心地が非常に悪いぬいぐるみです。
※髪の毛を伸ばすと90センチ越え。
頭がミニ・ラグビーボール、体は変形のフットサル用のサッカーボールみたいカタチで、綿がギッシリ・ずっしりと詰まった重量感があります。
お腹と頭だけ見るとバランスの悪い鉄アレイみたいな形状。
それらボールが二つくっついたものに長い手足と鬱陶しいぐらいに長い髪の毛が重力に従いだらりの垂れ下がるので文句なしに持ちにくい。
このハリー以外に持ちにくい、抱き心地が悪いぬいぐるみは見たことがありません。
紫色の体に、太っとい眉毛、芋虫みたいなブルーの鼻、真っ赤な髪の毛とはなかなかに悪趣味。
なのに、ヨーロッパ人の持つセンスいうか、そのようなデザイン力でお洒落でお上品に見えるから不思議ではあります。
本体の作りも精巧で後ろの髪の毛が短かいなど隅々にこだわりをもって作られております。
面白ところは「ネズミを食べちゃうよ」みたいな口の中に隠れネズミーのような柄があること。
ハリーはこの大きさ故に部屋中の隅々を彷徨っておりましたが、この度コンポの設置により居場所を得ました。
スピーカーに囲まれた特等席で何よりもご満悦な表情。
今もハリーを抱き抱えながら文章を書いているのですが、やはり、どの角度から抱っこしてもふわふわとしたぬいぐるみの抱き心地はありません。
膝の上に座りノートパソコンが置かれた机の上に顔を置いた姿はむしろ生物に近い形状です。
このバランス感覚はぬいぐるみよりも人間の赤ちゃんに近い感じもするので、もしかしたら、そのような人に似せた人間工学的なコンセプトの元に作られたキャラクターなのかもしれません。
たくさんのハリーが鉄道の座席に座った時をイメージすると車の衝突実験に使われる人形みたく満員御礼で座るハリーの姿がまぶたに浮かびます。
鉄道会社故に、そのようなこだわりは十分に考えられます。

ところで。

昨日、小さなニュースですが冬の電力消費削減要請のお願いがありました。このパンデミックでも何度も学習したように制限が加わると間違いなく景気後退ベクトルに力が加わります。この国では消費増税による景気後退は統計に含まないとの謎な政治的忖度などもありますが、それは増税でもインフレでも規制、人口減、何でも何かしらでも何かの制限がかかると景気後退圧力が加わります。何の制限もない世の中であれば良いものですが、世界的な資源インフレは世界的な傾向であることは間違いないことであります。欧州などでは消費電力の多い白熱電球をバンバンと使っているイメージはあるのでLEDなどの切り替えによって節電できる余白は多いかもしれません。私たちはほぼLEDなどの節電モードに切り替え済なので、これ以上何を節約するのかと考えると難しい感じがします。この冬は街から灯りが消えるのでしょうか。思い返しても白熱電球からLEDに切り替えてもほとんど電気代が下がらなかったことはとても不思議なことではあります。原子力発電所の稼働がなければ、このままマイナス負荷を永遠に持ち続けることになるのかもしれません。「ふっ」と思ったのですが、宇宙の無重力空間で巨大なモーターを等速で回転させれば無限に電力を生み出すことができそうな予感がします。モーターのプラスマイナスによって減速するのかわかりませんが宇宙空間ならば対した抵抗もないような気がします。もしかしたら、ガンダムに出て来るスペースコロニーの重力ブロックの回転とは遠心力による重力の発生と共に電力も発生しているのかもしれません。

 
■2022年11月2日(水)
■新しい技法。カニっぽいもの。
■2022年11月3日(木)
■一日一文章トレーニング。

「りんごの良い香り」

西部劇の風景に憧れてリンゴを飾るのですが我が家にはガラスボール以外の適当な容器はありません。
わざわざ大きく収納の邪魔になる容器を買うのもばからしい。
なので、ガラス容器にリンゴを飾っておりましたが、ガラスボールの持つ角度によってリンゴとリンゴの接点が触れて痛んでしまいます。
そこで、直角に近い緩やかな角度の容器はないか探していたら四角形の籐製の籠を見つけます。
「ほれほれ良い物を見つけたぞ」と言うことで。
その籐製のカゴにリンゴを入れてみたら思いのほかリンゴが美味しそうに見えます。
若干サイズが大きいのですがオシャレなリンゴ容器を見つけて大満足。
THE日本部屋に突如現れ出た南仏プロヴァンス?のリンゴ農家で今朝収穫されたばかりのリンゴたち。
正にフルーツバスケットの名前にふさわしい籐製のカゴは案外有能です。
今まで目に見えない場所の収納に使っていたのですが、それは少し勿体無いことではありました。
そういえば、フルーツバスケットという遊びがあります。
あれは結構、ドキドキする怖い遊びです。
あの手の遊びで鬼にならない子供たちとは相当の強運の持ち主か、瞬時に考えを行動に写せる特別な能力な持ち主かもしれません。
私は結構逃げ足が速いつもりではいるのですが、閉鎖空間でのあれやこれやと瞬時の判断は結構苦手で鬼になっていたような気がします。
結局、文章化の中で言っているだけで、たいして逃げ足も速くない「とろい面」はいたるところに持ち合わせております。
これは「文章人格」という別の人格なのかもしれません。
そのような考えの立場に立つと、そもそも生粋の「横着人種」でもないかもしれなくて、そこで表現される横着とは仮想の「文章人格」の一つの表現かもしれません。
私とは何者でどのような人格を持ち合わせているのでしょうか?何かこわっ!!な話しではあります。
このような話しはリンゴついでに書く話ではありません。

ということで。

ここ数日、籐製のカゴに入ったリンゴを写真に撮って記事にしようと思うのですが肝心の写真がキレイに撮れません。
肉眼で見る限り編み込みのバスケットに収まるリンゴの風景はとてもオサレです。
なのに、写真に撮ると何か変。
1次:キレイに撮れたかと思うとリンゴの数が少なくて納得がいかなくて、りんごを買い足します。
元からあった5個のリンゴに新しく5個のリンゴを追加して10個のリンゴをモリモリと飾ります。
一つは青りんごにしてアクセント。
2次:夜にリンゴの写真を撮ると昭和感のあるエモイ絵が撮れます。
何かこれは現実の色合いとも異なるし、何かが違って何もかも違うので何度も撮影するが、やっぱり何か違います。
これらリンゴ写真は自然光の元で撮影するのが一番キレイに撮れます。
3次:まーまーキレイに撮影できたかな?と思う写真が撮れたならば、次にリンゴのクッション材が邪魔に思えてきます。
なので、次にそれらクッション材を全部剥ぎ取り美しく盛り付け直します。
これらの行程だけでも3次の寄り道。
4次:リンゴのクッション材は良い香りがします。
このクッション材の名前をネットで調べると「クッションキャップ/フルーツキャップ」というらしい。
りんご以外にもガラスコップなどにも巻いて緩衝材として使えるようなので、私物のフィギュアやソフビの緩衝材としても使えるかもしれないと考えて捨てるのをやめて再利用を試みることにします。
リンゴの匂いがつくのだろうか?いい香りがするしまーいいか。
使えないようだとすぐに捨てましょう。
このような感じで、りんごの写真はいっこうにキレイに撮影できません。
部屋の一角がオサレになった風景を収めたいとの思いは強いので、今日の今日、この文章を書いた後に写真を撮影してリンゴ話に終止符を打ちたい思います。
私の文章は行き当たりばったりのほぼ勢いで書いていると思っていましたが、このようにリンゴ話で考えると意外に帰納法的な面もあるようで。
リンゴが熟しワインを作るようにある程度、頭の中で寝かせているものもたくさんあります。
それは人間の芯の話だったり、ゴミの話だったり話だったりと話が壮大すぎて、朝の短時間で書くにはちょっと荷が重いものたち。
そんなまとめることのできない話は頭の中の微生物によって分解されることを待つことを考えれば、私の文章の50%は勢いの演繹法で、残りの50%は発酵分解を終えた帰納的な方法を用いて書いているのかもしれません。
・演繹法とは後先考えずにとりあえず文章を書き進めること。
・帰納法とは結末を想像しながら文章を書き始めること。

 
■2022年11月3日(木)
■新しい技法。バラカニモーション。

■2022年11月4日(金)
■一日一文章トレーニング。

「張り子の虎」

悲報があります。
先日から作り始めている「張り子の恐竜」は形状の修復を含めて変幻自在です。
柱の設計、内部の構造を無視しても形状の変更えお加えることはお手の元。
極めて容易。
張り子の虎」とは外見上の変化も加えることができて案外丈夫なのかもしれません。
嘘を何層にも塗り合わせて増築される立派な張り子とは国内国外問わず無数に存在する組織かもしれなく、また、私たちが日々使うパソコンのOSでさえオープンソースではなくブラックボックスな張り子のようなものかもしれません。
それらは時間をかければかける程に、層を重ねて丈夫に頑丈に形も変化しながら大きくなっていくようにも思えます。
それに比べて内包する設計ミスをも含めてオープンな組織や思考とは張り子と比べても如何にも常に脆弱であるように見えます。
常にオープンであるがゆえに、様々な角度から攻撃、批判によって頼りなさを露呈してしまうことは開かれた組織が同時に持ち合わせる必要品であるのかもしれません。
なので、オープン思考や社会とは常にそのような弱さを持っていることを皆で周知する必要があります。

現在、恐竜は2層目で頭部の形状変更を行いました。
恐竜の後頭部に脳みそが入るであろう空洞を作り、勿論、脳みそは何mlもなく空っぽの空気だけの空洞。
その空間には酸素や窒素のみで、二酸化酸素は内包していないかもしれないぐらいの小さなスペースを増築。
前述のようにもカタチの変化は簡単で広げたいカタチのイメージに沿って紙を切り、空間を広げるドーム梁を作って木工ボンドで固定するだけ。
そこに外皮を貼り合わせていけば、あっという間に新しく見栄えのよい外観が作り上げられます。
張り子とは超便利な基礎造形です。

朗報もあります。
変幻自在で丈夫な張り子でありますが、これらは火に脆い。
ちょっとした火でもあっと今に一気に火は全体に燃え上りよく燃焼します。
オススメニュースに英国ガイ・フォークスナイトのニュースがやって来ました。
このお祭りはその年の有名人の張り子を作って盛大に燃やすお祭りであるそうです。
今年は49日間で辞任のリズ元首相も悪意ある曲がった鼻と賞味期限を競ったレタスと共に燃やされるようではあります。
しかし、この短期間の辞任を悲観してはなりません。
短期間ではあったかもしれませんが英国は今、方向転換をして新しい道を進もうとしています。
これは称賛するべき開かれた社会の強みです。
ウクライナの戦闘はあと5〜6年、若しくは10年ぐらい続くかもしれませんが、その長期間、独裁者はその期間権力の座に座り続けることができるのでしょうか。
所謂、張り子の虎はよく燃えます。
強固で頑丈に塗り固められた独裁機構の張り子ではありますが一旦、火が付くとあっという間に燃え広がるはずです。
歴史本を読んでもそのようなことは何度繰り返されて来たことでしょうか。
基本、身の回りにいる部下たちとは「自分ならこうするのに・・・」と常に権力の座を奪おうとしていることは歴史な明白な事実であります。
なので、従順な者たちだけで頭が揃った組織とは立派な大きな張り子の虎が完成したと胡坐をかいている状況なのかもしれません。
この激動期の世界を覆う暗闇は盛大に燃え上るキャンプファイヤーな炎で一幕を終えるのかもしれません。

ところで。

(11月5日)ガイ・フォークスナイト祭り。
これはカトリック教徒がプロテスタントの国王ジェームズ1世を国会議事堂もろとも爆破してしまおうと企画した事件を元にした張り子を燃やしたり花火を打ち上げるお祭りのようです。
先日の清教徒もカルヴァン派の改革派のプロテスタントであり、私たちにとってはキリスト教はどこからどう見ても同じキリスト教徒なのですが、派閥の考え方はいろいろと難しい異なる考え方の違いがあるようです。
「同質は同質だからこそ憎き」ということは万国共通な事なのかもしれません。
この後にはピューリタン革命が起こり、自由の原則が進められ、議会制の民主化、身分制度の廃止など推し進めることになります。
アメリカに逃れた宗教難民のピューリタンたちも新天地のアメリカの基礎を作り世界は激変していくことになります。
それにしも、ジェームズ1世は全方位から嫌われすぎであることは理解できます。
トップに立つ人の素質とは唯一嫌われない人であることが重要なのかも。
嫌われ者だからこそ歴史は動いたという事実はありますが。
ガイ・フォークとはいわゆる爆弾魔ではありますが後世の人にも好かれているということはジェームズ1世よりも好かれていることは間違いないこと。
それにしても36個分の火薬の入った樽を国会に持ち込めば、それは良く目立ってすぐにお縄になるのは目に見えて明らかです。
何も知らないことについて書いていますが、そういうところが、ガイ・フォークスが皆から憎まれないところなのかもしれません。

 
■2022年11月4日(金)
■猛犬注意。
■2022年11月5日(土)
■一日一文章トレーニング。

「長男(長難)の後ろに次男(次難)、三男(三難)・・・四男(四難)いないよね」

昼間の温かな陽気に包まれた公園横を自転車走行していると前方にデススターのようにブンブンと飛ぶ羽根虫の塊を発見します。(1次)
とっても淡い黒いモヤではありますが、誰よりも街の変化に敏感でネタ探しにいとまがない私の観察能力は常にスイッチON。
なので、そのような羽根虫も見逃すことはありませんので、それらをよけて走ります。
集団で固まって飛ぶ小さな羽根虫はとても気持ち悪いもの。
「おっと危ないぞ」ということで、それらを華麗に避けて直進していると。
一難去ったその先にはまた新しい一難が待ち受けているものかもしれません。
それは予想できない出来事。
羽根虫の群衆をよけたつもりが、その奥にはもう一つの羽根虫の塊があって、その虫の群衆の中に突っ込むことになります。(2次)
突然の虫の塊に、それなりの運動神経で若干回避したような気もしますが羽根虫の塊に突っ込みます。
「ぶぶっ」と「オエっ」となりながらも、そのまま直進。
羽根虫の感触を顔面全体に感じながらそのまま直進するとなると、二難先にはもう三難目あるかもしれないことは常識なのかもしれません。
そうして、もう3つ目の羽根虫の塊の中突入することになります。(3次)
「オヴェ」と。
耳の辺りでブンブンと羽根虫の羽音が鳴って超気持ち悪い。
もはや流石に走行不能。(4次停車)
口はアゴマ状態ではありましたがポカンと口を開けて走っていなかったことが幸いです。
耳をペシペシして、髪の毛もボサボサとはたき、服をパタパタとはたきます。
若い学生たちがお洒落ファッションショーな写真撮影している横で、私は羽根虫の軍団を厄払いのように払います。
最初の危機を首尾よく避けることはできましたが、それに続く2個目、3個目の羽根虫のデススターをよけることは不可能なことです。
これはもしかしたら呆則なのかもしれません。
人は一つの問題(危機)の背後に同等、若しくはそれ以上のものが待ち構えている可能性について考えることはありません。
なので、(1)パンデミック→(2)ウクライナ情勢→(3)米国金利上昇なんて事も起こります。
それは一つ目の危険は避けることはできても、その後ろに控える2個3個の危機には対応できないことの暗示。
これが車の運転だったら大変なこと。
一つ目の危険を回避したと思ったら、その先の車にカスり、さらにその先で大事故。
危険信号にはブレーキ踏んでスローで慎重に一つ目からの危機回避が正解なのかもしれません。
理由はわからないのですが何であの羽根虫の奴らは集団で固まって飛ぶのでしょうか。
さっそく、ググると「はねむし 大量発生」と出てきます。
羽根虫も「羽虫」との表記が多いよう。
皆、「はねむし」を入力する時に「羽根虫か羽虫か?」で悩んでひらがな入力が多いのかもしれません。
詳しく調べようと思いますが何かのハエみたいな表記なども見られて気持ち悪いので断念。
奴らは微妙に大きいのも気持ち悪さをさらに倍増させます。
集団で丸い塊になって飛ぶ理由はよくわかりませんが、皆で集まってワイワイと日向ぼっこしているような気もします。
えらく迷惑な虫です。

 
■2022年11月5日(土)
■新しい技法。少し前にプラモデル界で話題になっていたU-35アクリルを使用しました。
水を使わなくても使える塗り心地も乾いた時の質感も結構好きかも。
ちなみに前回のカニはベースに有機溶剤のガイアカラー蛍光色、上塗りにU-35を使用しています。
プラモデルに全部U-35だとこのように手塗りの雰囲気が重すぎるかもしれないので、下地に有機溶剤塗装に上塗りに薄めた透明・半透明系のU-35で塗ると下の色が透けて良い感じになりそうな予感です。

 
■2022年11月6日(日)
■一日一文章トレーニング。

「我らはゾンビである〜(存美宣言)」

ここ数日、夜寝る時に足が冷たい。
寝る直前に布団でゴロゴロしながらネットみたり、動画をみたりしている間はお風呂上りの直後で足はポッカポッカであるのに、イザっ寝るぞとなった瞬間から急に足が冷たくなります。
これは恒例行事のようなもので、毎年同じようなことを言っているのですが不思議な出来事ではあります。
私はこの足が冷たくなるブルブルな現象を棺桶の中に足を踏み入れた瞬間の寒さ、又は、干からびたミイラになる瞬間のような感覚と捉えます。
それでいて、朝、目が覚める頃には汗ばむくらいのポッカポッカの温かさで目覚めることによって再び生命を宿します。
そのような考えに立つと何かホラー!なホラ話!ではありますが、人は1年の寝た分だけ死に死んだ分だけ再び蘇るゾンビのような存在にも思えてきます。
朝の満員電車とはゾンビ専用の棺桶列車であり適材適所のゾンビ企業やゾンビ学校に朝もぎたてのフレッシュなゾンビを運搬します。
「朝もぎたてのフレッシュなゾンビ」とは何かすごく良い響き。
若いゾンビはピンピンと走り回るゾンビであり、年老いたゾンビはのろのろと活動します。
そのような世の中とは不謹慎ではありますが捉え方よりけりな感想文です。

ということで。

先日ゾンビになる前に見た最新の夢はヨーグルトの夢。
毎朝、毎朝でないこともありますが、今が旬のリンゴをヨーグルトに浸して食べる夢。
この夢をもとに一文章できないものかと思案する中で、さっそくヨーグルトを買ってきてリンゴを浸して食べます。
ヨーグルトの中のリンゴとは美味しいのか美味しくないのか?微妙な線ではありますが、マイナスな面を言うとヨーグルト味によってリンゴの甘さとか酸っぱさとかのフレッシュな味は薄まります。
逆に良い面はリンゴのスカスカした触感がヨーグルトによってしっとりとコーティングされて調理された感じの美味しさになります。
素のリンゴ感を重視するのか?ヨーグルトとリンゴのハーモニーを楽しむのか?それは気分次第なのかもしれません。
ヨーグルトに入れるグラニュー糖が体に良くないと思えば、ハチミツを入れることでも甘くできます。
そもそも、自分自身をゾンビであると考えれば少量のグラニュー糖だって何の事であろうとノープロブレムな気にならないものでもあります。
数切れはサクッとそのままリンゴ味を楽しみ、残りは小さくブロック状に切ってヨーグルトの中に投入すると2度楽しめます。
美味しいリンゴ+ヨーグルトを追求するとなると、それはヨーグルトの中には赤や緑な食材も一緒に投入すると見栄えの良いフルーツデザートになる予感。
それを食べることは間違いなく日中のゾンビ生活にも潤いが出ます。
しかし、その材料を朝から集めるハードルはとても高いことでもあります。

今ここの手元にリンゴの下敷きがあります。
これはだいぶん前に、大量のゾンビが徘徊する新宿の街で貰った青森リンゴの下敷きです。
そこにはリンゴの種類やリンゴの成分、りんごができるまでについて書かれています。
下敷き情報によると約85%が水分です。
甘くておいしいフルーツとはほとんどは水分を食べているのかもしれないのですが、そのようなフルーツを食べることによって朝起きのゾンビにお肌うるるな水分が補給されるような気がします。
フルーツとはアンチ・ゾンビ食なのかもしれません。
闇の使者であるコウモリも多分、フルーツが大好き。
闇から目覚める死者の喉を最初に潤すものもフルーツです。
そのような訳で、今日もガブリと!フルーツにかぶりつくぜ〜!

【総量1.5gのりんご】
水分:84.9%
不水溶性繊維(食物繊維):1.2g
水溶性繊維(食物繊維):0.3g
炭水化物:14.6g
タンパク質:0.2g
灰分:0.2g
脂質:0.1g
カリウム:110mg
リン:10r
ビタミンC:4r
カルシウム:3r
マグネシウム:3r
カロチン:21μg

 
■2022年11月6日(日)
■寝起きの境目。

■2022年11月7日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ついにやり遂げた」

昨日、往年の汚れを持つハリー(大と中)をお洗濯。
勿論、手洗い。
ミニコンポ横にやって来ると白い部分の薄く黒く汚れた感じが気になるので洗濯します。
タグには手洗いOKみたいな表記がありますが、これらを洗濯するのは3回目ぐらいかもしれません。
水を溜めることのできる大きな容器がないので洗濯物入れの容器にお湯を溜めて使用します。
そこに、洗剤を投入しよく泡立ててハリーを1体ずつドボンとつけてゴシゴシと洗浄する。
真っ白な泡はみるみる真っ黒になり汚れが落ちていることが目に見てよくわかります。
中サイズのハリーの汚れは半端ない真っ黒な汚水です。
大ハリーの汚れはそれ程でもありませんが、水を含んだ重量は米俵のような信じられないヘビー級の重さに変貌します。
持ち上げるだけでも筋肉がミシミシと軋む重量感。
そのような重くなったハリーたちを「よっこいしょ」と一歩背負いで浴槽に横たわらせてシャワーでよく濯ぎます。
バチバチとシャワー全身でうけるハリー(大)の顔は満面の笑み。(笑)
次にそれらをお風呂場の浴槽の中で絞って脱水しますが、絞っても搾っても水がボタボタと落下するので、暫く浴槽のフチにひっかけて水を切ります。
ある程度、水を排出させてから外の物干し台に置いて乾かすとお日様にあたって良く乾きそうですが完全乾燥には数日かかりそうな予感です。
ついでに浴槽のお掃除もゴシゴシとキレイに磨きます。
お風呂の椅子や床のカビ汚れも全部全てを水に流します。
そして、ついにオレは全てをやり遂げました。
しかし、乾かすヘンリーの位置を変えようとベランダでごたついていると遊戯王の頭のトゲに2回刺さります。
一回目は右手の手の平、2回目はあご。
チクッと微妙に痛い。
軽く血が出たのですが圧迫してメンタム塗って止血します。
シュッとアルコールで吹いて消毒するととてつもない激痛が走り、正に傷口に塩。
植物界のお嬢は常に室内にいるのですが、ここ数日、アフリカの植物連中を室内に取り入れることを忘れていました。
私が足先冷たいと騒いでいる間の数日間、存在を忘れて放置している内にトゲが鋭く凶暴になったような気がします。
遊戯王達は怒っているのかもしれません。
見た目にはここ数日の寒空の元でもすごく元気そうなので、まだまだ外生活でも大丈夫な気もします。
ですが、その変わりに野性味も出てきたようで枝をうねうねと全方位に動かして美しい遊戯王ヘッドの形が壊れてきてしまいました。(残念)
ということで。
昨晩は先ずはアフリカ勢を寒空の元から室内に避難させて、ヘンリーたちも室内に取り入れます。
ヘンリーたちは重力によって頭の毛や手足の部分にまだまだ水分が溜まっております。
ハンガー2個を使い立体体なハリー専用の乾燥体制を構築します。
これはなかなかの面白ヴィジュアルで陸上選手のベリーロールみたいな感じ。
今さらですが、名前はヘンリーとハリーどっちだったけ?

 
■2022年11月7日(月)
■足を温めるもふもふとの誓い。
■2022年11月8日(火)
■一日一文章トレーニング。

「妙な睡眠デス」

これが遊戯王な植物
逆光ですが・・・。
名前は「サンセベリア」。
画像検索すると同じ「サンセベリア」でも全く異なるカタチのものがたくさんで出てきます。
では、どれが本当の「サンセベリア」かと考えても全て本当の「サンセベリア」です。
カタチが全く異なっていても同じ植物であることはとても不思議なこと。
生き物の分類をすることはとても難しいことだと思いますが、昔の人は「十人十色」という良い言葉を作ったように生き物は皆、それぞれ外見は違えども同じ生き物です。
我が「サンセベリア」は新芽がニョッキリと出てきたが為に元センターが右に曲がってしまい遊戯王の形が崩れてしまいました。
ですが、このグループ内の形状変化は成長の為に必要な新しい頁の始まりです。
この小さな新芽が大きく成長したらならば再び遊戯王なカタチに再び戻ると思われます。
今はまだ、根っこはビニールポットに入ったままの植木鉢に入っていますが、春になったら正式にビニールポットを剥ぎ取って肥料入りの土を入れて植え替える予定です。
この「サンセベリア」は外に出しッパにしたことで先端がより鋭利に尖った子に成長しています。
ですが、寒い期間中ぬくぬくな室内で育つことでトゲも丸くなっていくことが予想されます。
刺さると手が腫れる程の凶暴なトゲを持っていたサボテン三兄弟もストレス満載のお店から静かなベランダに移動することでトゲがなくなったことを考えると、間違いなくトゲは優しくなります。
植物とは不思議な植物です。

ところで、昨晩はこれまた不思議な現象もありました。
就寝時は大きな窓はカーテンを閉じ、小さな窓から外灯の明かりが漏れる程度の真っ暗な闇な寝室で寝ておりますが、昨晩、朝が来たと思い飛び起きたら真夜中1:30でした。
何が起きたのであろうか?とおろおろしていると部屋が妙に明るい。
窓の外から照らされるオレンジ色の光で朝が来たと勘違いして起きたようです。
ただ、このオレンジな光が自分の寝室ではないような雰囲気を醸し出していてビックリ動揺しておりましたが、自分の部屋であることを確認したらそのまま寝てしまいました。
何か変な寝つきの睡眠ではありますが、朝起きてあの光は何だったのだろうかと考えたならば、あれは満月の明かりが部屋に注ぎ込んでいたのだろうと考えに辿り着きます。
寝ていても月明かりに反応してしまうところが前世が人間でなかったらしいwww狼っぽいところではあります。
11月8日(火)の今夜は満月です。
それに加えて18:09〜21:49(19:59最大)の間で皆既月食も起こるようです。
+皆既月食と天王星食を同時に見ることができる442年ぶりの天体ショーも起こるみたい。
本日の東京は快晴で天体観測日和です。

 
■2022年11月8日(火)
■遊戯王カード。

■2022年11月9日(水)
■一日一文章トレーニング。

「11月8日の皆既月食」

昨夜の皆既月食は太陽と地球、月、天王星が一直線になる一大スぺクタクル。
一直線になると何が起こるのか?何も起こらない日常です。
4スターカード?な1/161330 per day なスゴイ役満がやってきた状況なのかもしれません。
ですが、私たちにそのような惑星が一直線になる実感はありません。
夜空にポッカリと浮かぶ赤い梅干し、若しくは、浮遊する小さな赤オレンジ色のピンポン玉を見て何を思うのでしょうか。
とりあえずキレイ。(赤が良い)
アカツキに私利私欲な願掛け。(ボーっと見ているだけで何も願いません)
太陽光線の強さを実感。(宇宙空間は澄んでいます)
暗がりの大イチョウのてっぺんに赤い月がのぼり、その月のそばを飛行機が飛ぶ非日常感から月並み以上の感想は思いつきません。
携帯を片手に月を観察する人々と、我、月に興味なしと歩いて過ぎ去っていく人々と半々な感じではありますが、ネタを拾うのであれば、皆既月食に照らされる人々にも少しの関心を持つことができれば何かしらの面白物語を発掘できたのかもしれません。
人間の行動とは一番面白く興味深いものです。
しかし、皆と同様に私もアカツキ以外に関心を向けることはありません。
肉眼では全く識別できませんが写真の月の周辺には白い星っぽいものが4個ぐらいチラホラと光ります。
何の星なのかはわかりませんが遠い世界に確実に存在する星です。
仮面ライダー龍騎の編集長が「正義はいくつもあるが真実は一つしかない、俺らはそれらを取材するのだ」みたいなことを話していましたが、写真に写る星の瞬きからそのような真実な光を感じます。
都内でこんなにも多くの星を見ることは珍しいことです。
私も皆既月食が最大になる数分前から外に出て観察しましたが、19:59分の最大領域を過ぎると人もスーッと減りました。
皆既月食の観察とはネットで観るのが一番よく見えることなのかもしれませんが、月のサイズ感やイチョウの上をぽっかりと浮かぶ感じは実物を肉眼で見ないと伝わらないものであります。

そして、

皆既月食話は消化不良なので今日見た夢の話について書きます。
テストの点が20点で図書館に向かうと図書館の管理人が「あんた20点なのか?」と話して来たので、私は「はぁ、そうです」と答えます。
席に座り20点の答案用紙の解答を検証していたら、上級生がやって来て解けない4択問題の解き方について話してきて、私は「はぁ〜」とその話を聞きます。
※問題の内容ではなく解答選択の方法。
夢の中では「はぁ〜」と面白く思ったのですが文章にすると月並みなお話でした。

 
■2022年11月9日(水)
■透過色。
■2022年11月10日(木)
■一日一文章トレーニング。

「金利利息安息休息愚息に姑息」

銀行の預金金利はほとんど「0」に近いです。
たまに、通帳見たら何円とか利息が入っていることもありますが「何だこれ?」って感じの利息です。
1990年代頃からの大変動の後、1995年以来、預金金利は長らく「0」に近い低空飛行で停滞しています。
預金金利と経済状況の関係性は面白い指標の一つのような気もします。
データーが経済状況を表すのか、経済状況がデーターを形作るのか、それは大きな問題です。
1995年と言えば阪神大震災や地下鉄サリン事件、バブル後の不良債権を抱えた金融がどんどん破綻していく状況下。
これは27年前のお話で「失われた30年」の定義とはバブル崩壊から含む大体な30年間の衰退を表現しています。(多分)
日本の30代ぐらいまでの若者は銀行預金に金利が付くことを知らない人もいるのかもしれません。
基本的な人生設計とは何か?と考えると毎月コツコツと預金して将来へのお金を増やすことが真っ当な人生設計の第一歩です。
世界的にみても貯蓄は人生設計の一つの基本に変わりないと思います。
ですが、この27年間でそれさえできなくなる国家のカタチとなりました。
預金金利がなくなれば、貯金よりも投資のスローガンを言われ始めます。
随分円が安くなり今や貿易赤字国で大変となれば、次は円安で稼げる産業形態にみたいな話と似ています。
米ドル安の時代に米国の製造業は復活したでのしょうか。(むしろ衰退しました)
今やアメリカ経済を牽引しているのは別の新しい産業です。
恐らく、米国などの金利とは「単利」ではなく「複利」的な思考でもっと強欲なのかもしれません。
「複利」とは元本の上に利率を上乗せした元本の利率を掛け続けること。
「ふくり」と入力すると「福利厚生」の「福利」が一番に表示される位の今の世の中です。
ここで、10万円の貯金に年率3%の利息が付く計算でどの位利息が付くのか?計算しました。

計算1桁間違い?
30%の利益で計算してましたラッキー?
いやいや計算あってる?
何か利息が多くないかと不安なりましたが計算合っていると思う。
低金利の影響で頭が混乱中。
汗汗。

【計算式はP元本×(1+利率)N】
1年目:100000×1.03=103000
2年目:103000×1.03=106090
3年目:106090×1.03=109272、7
4年目:109272.7×1.03=112550、881
5年目:112550.881×1.03=115927、40743
6年目:115927.40743×1.03=119405、229652
7年目:119405.229652×1.03=122987、386541
8年目:122987.386541×1.03=126677、008137
9年目:126677.008137×1.03=130477、318381
10年目:130477.318381×1.03=134391、637932
と134392円と10年間で34392円の利息が付きます。
これが単利計算だと年間3000円×10年で30000円の利息。
それに加えて利息に税金を引かれることになるのでしょうか?
複利計算の利息分を上乗せる分の約4400円のお得です。
4400円の強欲とは4400円分(0.44%)の価値増大です。
このような複利的な考えが世界的標準な思考であると思われますが、この国ではまともに貯金してお金を溜めようとも全く利息なんて付きません。
「〜ガチャ」という言葉を使い将来を見通せない若者とは真っ当な感覚だと思います。
デフレ時代は物の価値を下げることで実質所得を均衡させてきましたが、これは安く製造販売するという民間努力のたまものです。
それも生産人口減少で物量による価格を下げることも難しくなると思われます。
世界のルールは変わり資源高、円安等で国民は全方向で実質所得を目減りします。
景気後退で民間需要が落ち込むと政府が巨額の借金をしてそれを穴埋めして繰り返してきたのが、この30年起こった現象で100%政治の責任です。(国際情勢もあります)
ここに来て、いろんな増税や制限のかかるニュースが出てきておりますが、政府が借金を増やすと民間需要が減少すると一般的に言われております。
なので、個人的には税収以上の歳出は次の景気抑制効果の種を生み出しているだけのような気もします。
さて、どうなるでしょう次の10年。
金利とは100にほんの少しの価値が付くものでありますが、何にも付加価値の発生しないものが発展するとは当然考えられないものでもあります。
それは個人的にも大変耳が痛いことでありますが付加価値を高めるということは大変難しいことです。
唯一、確実で固いのが収奪的な資源投資(貿易含む)ぐらいなのかもしれません。
その意味では資源国ではない日本の立ち位置は常に何かを新しい価値を生み出していかないといけないハードモードな訳であって、競争原理は必須でこれからも大変難しい行路を歩むことになるのだと思われます。
教科書的には逆説的ではあるのかもしれませんが、0金利や長期の低金利がデフレ停滞の一つ要因かもしれないとも思うのですが、どうなのでしょうか?

 
■2022年11月10日(木)
■意味のないメカニズム。
■2022年11月11日(金)
■一日一文章トレーニング。

「金利は寝て待て」

文章の書き方には幾通りもの書き方が存在しますが、私の場合主に3つぐらいうまく組み合わせて書きます。
(1)経験則で書く。
これは文字通り経験したことについて書きます。
ただ、経験上の感想なので学術的な研究結果と言う訳ではありません。
なので、経験則ばかり書いていると学術系の人たちに「単なる感想文」として馬鹿にされます。
(2)誰かの意見、知識を元に文章を組み立てる。
これは一般的な話や心に響く誰かの名言を元に書くのでとっても便利。
ただし、他人の意見を引用した文章なので自分の意見ではありません。
一見、正しそうに見える他人の権威を利用して文章を組み立てるのでズルくもある。
(3)無感情の中で書く。
無の感情でテーマに沿って思い浮かぶことをつらつらと書き進めます。
無感情故に後から読み返すと自分の考えとは真反対のことを書いていたということもあります。
毎日文章を書くとなれば兎に角、字間を埋める必要があります。

昨日は「預金金利」の話を書きましたが(3)無感情な感じで書きました。
文章も入力して、電卓を叩き思うがままに書き進めます。
そして、文章を書き終え、パンを食べ、リンゴを食べた後に脱字誤字はないかと再び文章を読み返していると「あれっ!ちょっと待てよ3%の金利は少し高すぎではないか!」と思います。
年利3%・10万円・10年の金利が約3万4千円、改めて自分の文章に動揺します。
計算が間違ったと思い訂正しますが、再び計算機を叩くとやっぱり正解です。
金利3%の亡霊とは突然の幽霊に遭遇するよりもビックリ「怖な(コア)」出来事です。
金利が上がるということは昨日の複利計算からも重く大変なこと。
年利3%・10年間の1千万円の複利は1千350万円で利息分は350万円。
何とも。
金利が高い金貸しとは地主みたいに実物資産を持たない大家さんみたいなものです。
ただ、小銭を預けているだけの小国民にやすやす儲からせるのは面白くはないと考える人がいてもおかしくはありません。
低金利な数字に慣れ過ぎてしまったのか私の頭の感覚も少しおかしくなります。

ググると「CASIOの複利計算」というものも見つけます。
誰がどのような用途でこれを利用するのかと思うのですが便利です。

そんなメリットある低金利ではありますが、なぜ、失われた30年と預金金利の推移が同じような図式で重なるのでしょうか。それ以前にもたくさんの不景気や資源高の荒波に幾度も経験しています。なので、この金利状況は正しく経済状況を反映しているとも言えません。これは何分よくわからないのですがイールドカーブに代表されるような流行りの政策スケールに伴った考え方なのかもしれません。バブル期には急激な上り坂で金利が上昇し、バブル以降はナイアガラの滝のように急降下でその後低調。上下が5%から0%で極端に変動していることが特徴のように思えます。米国も金利を急激に上げているので金利とは急激なのがセオリーなのかもしれません。このような低金利であれば経済がもっと発展しそうな気もしますが、なぜ?失われた30年と表現される状態となったのでしょうか?その理由は気になります。それについて思うことを片っ端から書き出します。

・低金利のお金は国の借金の増大により国の国債に吸い上げられて民間に回っていない。
・低金利により国民の資産は常に減少したので国民のお金を使わなくなるスパイラル。
・民間需要の減少で国内投資がない。
・低金利は国内企業の発展よりも海外諸国の発展に寄与した。
・それにより日本の地盤沈下も加速。
・銀行審査が厳しく借り手であるプレイヤーが資産(土地)持ちだけとなって、お金はそこだけで回っている。(仲間内の経済)
・バブル期の貸しはがしによる苦い経験により企業の銀行に対する信頼が失墜。
・そもそも低金利といえども、クラウドファンディングなどの銀行を通さなくともお金を集める方法はいくらでもある。
・基本、資源投資以外の新規事業は当たり外れの博打のようなものなので、よくわかない事業や先端分野の基礎研究、ハイテク分野に投資されることはない。
・同じよう理由で非生産部門にもお金が流れないのでITを含めたイノベーションを起こすような事業にも投資は行われない(IT化の遅れ)。

不景気といえども、国が財政出動すると国策による補助金で潤う業界もあれば、円安で空前の売り上げを出す業界もあります。そもそも景況感の視点もまちまち。わいは今最悪だけどね☆働き方改革に問題があるのかもしれません。残業が減れば給料は減ります。ものすごく働いているとお金は溜まりますがお金を使う時間はありません。仕事がないとお金を使う時間はありますが、お金自体はありません。お金と労働の関係とは多分そういうもの。国家社会主義的な全国民総動員労働などを進めれば遊んでお金を使う人はいなくなります。平日の街歩きをすれば閑古鳥で溢れます。それをインバウンドで補うと言う考えでありますが、旅行を楽しむのは外国人ではなく私たち日本人であって欲しいものです。

 
■2022年11月11日(金)
■四角い頭のキャンパー。
■2022年11月12日(土)
■一日一文章トレーニング。

「今日は散歩日和」

今日も温かな良い天気。
何を書きましょう。
遅い目覚めの後にキョトンと椅子に座る。
何にも思い浮かばない土曜日の文章。

ということで。

今日は雑な桜の紅葉話です。
桜の木の雑な紅葉は汚いのですが落葉の色は案外とキレイです。
そのような落ち葉を撮影するとピントが合っているようで微妙にズレているような不思議な写真が撮れます。
落ち葉写真を眺めながら今日書く内容を考えていたならばあることに気づきます。
それは色。
通常、紅葉がキレイなイチョウの木は葉っぱ全体を同じ黄色で統一して染め上げます。
今、ちょうどイチョウの木は黄金に輝いたキレイな状態です。
他のもみじ等の紅葉でも同系色のキレイな葉っぱ色となります。
逆に、桜の木の落ち葉の色は赤茶だったり、枯れた茶色だったり、時折キレイな黄色だったりの色の統一感はありません。
正に色ムラが大きい。
ある桜の木は完全に落葉していますが、その横の桜の木は一部紅葉して、または一部落葉、一部にはまだ緑の葉っぱを残していたりもします。
それは先日書いた色ムラな美的感覚によるものかもしれません。
そのような雑な桜の落葉に美しさを見出すことができたならば、それは利休みたく何か新しい価値観(美的感覚)を創出したと言えるのかもしれません。
雑に感じてしまう桜の木の統一感の無さは多分そのようなところに理由があります。
また、桜の木の落ち葉は地面に落ちると簡単に粉々に砂状に分解します。
これは葉脈を通る水分補給がストップすると完全にカラカラに干からびたミイラ状態になり、その葉脈の空洞からパリッパリッと亀裂が入って細かく分解されているようにも思えます。
それは葉っぱの葉脈ネットワークの崩壊を見ているような感じがして面白いこと。
今まで落ち葉に関心を向けたことはありませんが他の葉っぱがどのような感じになっているのかも気になります。
種拾いの次は落ち葉拾いかな。
何もないところから何か書けて良かった。

 
■2022年11月12日(土)
■ボタン。
■2022年11月13日(日)
■一日一文章トレーニング。

「鉢on鉢スタイル」

昨晩、アフリカの兄弟を室内に取り込むことを忘れました。
ついつい忘れてしまうアフリカの兄弟のこと。
また、ズ太い針を刺す機会を狙っているかもしれません。
昨晩の寝る前、数日ぶりの足冷たく感じる夜でもありましたが最低気温はまだ二桁なので(たぶん)大丈夫。
朝起きてカーテンを開けると寒空の下で二つの植物は緑の体をピンピンと元気にやっております。
植物界のお嬢なら見た目にもシュンと弱った姿を見せるので役得です。
このサンセベリア系の植物は葉っぱを伸ばしているのか、多肉植物のような茎なのか、はてまたサボテンに近い植物なのか、と曖昧すぎて何かよくわからない植物でもあります。
なので、文章を書く時にそれが何と呼べば良いものなのかと説明することも少し難しい。
ツンツン頭は昔のロックバンドのハードスプレーで真上に立たせたような髪型であります。
それが葉っぱなのか、茎なのかよくわからないネギみたいなものをすくすくと成長した暁にはピトー戦直前の大人に変化したゴン・フリークスみたいな収拾がつかない姿に成長しているような予感もします。
新参者の植物とは緊張感から常に直線的ではありますが、来春以降は何かわからない緑の体を四方八方に伸ばしだらしなく成長すると思われます。
そのようなことを考えるとこの子たちには姿勢矯正用の針金コルセットをはめて姿勢制御したくもなります。
改造人間を作るように針金を絞り成長具合をコントールする・・・しめしめ(サイコ博士)。
人も植物もほったらかしておくとだらしなく成長してしまうものであります。
アフリカ兄弟の姿勢がだんだん崩れていく様子はだらしない私への教訓なのかもしれません。
野生に生える神々しいイチョウやその他大木たちが長い年月を経て凛々しく立派に見えるのは背骨を真っすぐな姿勢にあります。
うねる立派な木々もありますが、大木とは大抵真っすぐで、真っすぐでないと台風や大風で倒れてしまのかもしれません。
今も背骨を丸めて文章を入力していましたが、背筋をグッと伸ばすと背骨が痛気持ち良い感じです。
時にはやっぱり、背筋をピーンと伸ばさなければなりません。

ということで。

この冬は4鉢を温かい室内に取り込む必要があります。
そのような鉢をそのまま床に置くと鬱陶しくて邪魔です。
植物界のお嬢だけは専有の丸テーブルの上でゆったりとゴージャスに鎮座しているので、時折葉っぱが当たって邪魔は邪魔な時もあるのですがそれ程の邪魔ではありません。
ですが、後の3鉢は床に直置きしなければならないので歩く時に不意にトゲ攻撃に晒されたり、お掃除する時にも邪魔になります。
そこで考えました。
それは使っていない空の鉢の上に受け皿を置いて、その上に植木鉢を置く「鉢on鉢スタイル」。
これにより空の鉢分だけ鉢の高さが上がるので、お店で言うところの立体陳列のような床に平置きしているのとは異なる視線の高い立体的な見え方になります。
この22センチぐらいの底上だけでも十分に部屋の空間変化が起きます。
この底上げという手法はお店のディスプレイ陳列の山あり谷ありを加える技術でもあって売り上げも上昇する魔法の技術です。
なので、後2つのアフリカ兄弟用の底上げ用の鉢を購入する必要があります。
また、昼間の日光を浴びている間に下の鉢の空間に温かな空気を蓄えることもできて、夜の底冷えも防ぐことができそうです。
これはいいことづくめ。

「名は体を表す」いやいや「まっすぐな姿勢で書かれる文章は真っすぐな体を表す」?
そういうことで、姿勢の悪さに気づき真っすぐにしんどい姿勢で文章を書きましたが、真っすぐな凛々しい文章になりましたでしょうか。
寝転んで書いても、立ち姿勢で書いてもその人の楽な姿勢で書けば内容に変化はないような気もしますが、書き方の姿勢とは習字の最初の教えのようでもあり、そのような最初の苦痛姿勢から学ぶと多くの人が脱落していくものでもあります。
肉体的にしんどいはしんどいのですが、このような様式美に何かしらの変化が生まれるものかは気になります。
なので忘れない頃まではできるだけ姿勢を正して書きたいと思います。

 
■2022年11月13日(日)
■ネギ。
■2022年11月14日(月)
■一日一文章トレーニング。

「アニメを2度観るのはなかなかのこと」

2度観るアニメとはなかなかに体力がいるものです。
今、「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」を一気見で観なおしております。
2クール50話なので「ま〜」相当に長いお話です。
「オルフェンズ」は火星の民間軍事会社の少年兵という人生の無理ゲーから始まる物語。
そこには様々な正義の実行や条約で禁止された兵器にモビルアーマーという無人兵器もあって、常に「大人と子供の人格の軸」を比較しながら観ると面白いのかなと思ったりもします。
残り3話で物語の結末を知っているので何とも表現できない気持ちでいっぱいなのですが、勿論、倍速で観たりもせずに通常スピード(×1)での視聴です。
結末を知っていても再視聴するオルフェンズとはやっぱり好きな作品なのかもしません。
物語の記憶とは知っている未来に対して物語をなぞる感じです。
もしかしたら、このような感覚が未来を予知するみたいな感じなのかもしれません。
記憶とは案外、断片的なものしか覚えていないものではありますが、映像として見続けていく内にその先の物語の未来に一歩、二歩と先読みして結び付けていきます。
ただし、記憶している時系列は滅茶苦茶なので一致しないことも多く、必ずしも断片的に残る記憶と映像進行が一致している訳ではありません。
なので、再視聴することで「こんな話だったのか」と「この人物はこんなキャラクターだったのか」と結構新しい発見もあって楽しめます。
程よく知る物語を何度も観ることは、そのような理由から好きな事なのかもしれません。
初見時はご飯のお供として話半分、もぐもぐとアニメ消費していた時期だったので時折の「え〜っ」な衝撃な出来事・言葉にその都度お箸が止まっていた記憶があります。
その衝撃はメイドインアビスと同等位の予期しない「え〜」な感じではありましたが、突然やって来るそんな「え〜」なコトは初回しか味わえない醍醐味ではあります。
「えー」な気持ちとは初見だけのたった一度の経験なので、その為にもネタバレはあってはならないのかもしれません。
2度観る楽しみとはそれは多分再発見。
映像作品とは一度観ただけでも理解できるシンプルなわかり易さは必要なのかもしれませんが、見返した時に何かしらの発見もあるということも面白い要素です。
50話と長くなると別な作業をしながらという時もありますが、ラスト数話で何かジェットコースターの最後の山を登っているような感じ。
最後まで観てから感想文を書くとネタバレ度が高くなるかもしれないので、映像感想は途中ぐらいの感想が丁度良い具合なのかもしれません。
バルバドスは獣のようなデザインがかっこ良い。
プラモデルの箱を見るとバルバトスの表記があって(ド)の(〃)はいりません。
こういう思い込みの記憶間違いは結構多いです。
記憶とは案外、適当に再構築されたあやふやものではあります。

 
■2022年11月14日(月)
■ミカ〜待っていろよ!!byオルガ・イツカ
来週は夕方5時00分からお送りします。
■2022年11月15日(火)
■一日一文章トレーニング。

「真っすぐな文章を書く為のトレーニング」

凛とした姿勢で文章を書くことを思い出します。
そのような真っすぐな姿勢で書こうとの思いは一日で忘却の彼方へと封じられて、昨日はいつもどおりの丸まった姿勢で文章を書きました。
そして、今、そのようなことがあったことを思い出します。
頭の頂点にヒモがあり、真っすぐに引っ張られる感じの姿勢をキープして腰をミシミシと伸ばすと、何かやってもうたなな感じの急激な朝の目覚めになります。
雨降るまだ暗い灰色の空に照らされて、姿勢正しく座るのは幾分場違いな感じでもあります。
ですが、背な筋たちは「伝わる、わかるよ」と程よくストレッチされた感じに喜んでいるような感じもします。
このような矯正コルセットを続けた暁には趣味クラシック、昨日聴いたのはヒャインコフスキ〜、ペンを指揮棒に見立ててジャジャジャジャーンと頭の中を書き換えられてしまいそうな気分です。
「一日一文章トレーニング」を始めて数年間、それ以外にも文章を書いては来ましたが文章に取り組む姿勢や環境について考えることはありません。
ただ、がむしゃらに文章を書いた先には上に登る階段があって、その階段を見つけて上へ登ることができたならば文豪のようなステキな表現な文章を書けるのかもしれないと考えていました。
ですが、それは間違いかもしれません。
もしかしたら、上の階にあるものはアスリートみたいな文章や絵に取り組む姿勢や様式美に取り組む脳筋文章のようなものなのかもしれなくて、肉体との対話の末に何かしらの自我の更新が行われるのかもしれません。
ということで、だんだんと筋肉は緩まり姿勢も悪くなりますが、曲がっては真っすぐ伸ばして、曲がっては再び真っすぐ伸ばす姿勢に正しながら文章を書きます。
真っすぐと姿勢を正して文章を書くことはとてもしんどいことです。
一昨日真っすぐに姿勢を伸ばした時よりも数倍しんどい。
普通に呼吸するのもしんどくて回数も減っているような気もします。
文章とはもしかしたら体全体を使い書くものなのかもしれません。
脳みそ数%の甘ちゃん文章の上には、鉄アレイをブンブンと振り回しながら書かれる脳筋文章が乗っかって、その上にはもっと異なる境地の文章の書き方がある。
文章を書くこととは何とも奥が深いこと。
肉体の痛みが伴う文章という毒を吐く自分自身に対する戒めであり、他人に糾弾されバカにされる前から十分な肉体的なダメージも持ちます。
なので、もすでにノーカウント。
フロムゲーな世界にも自らの体にダメージを加える強い武器があります。
その武器には通常よりも自分のダメージ分だけ物凄い攻撃力を追加で付加することができます。
同じような理由により姿勢の苦痛で正された筋肉から生まれた文章には一味も二味旨味が加わるのかもしれません。
背中を曲げて足で耳を掻きながら文章を書く生き物にとって、そのような謎の様式美は少々しんどいことのように思えます。

第一条:文章は背筋をピーンと伸ばして書く。
第二条:鉄アレイは文章のお共。
第三条:文章とは汗。
第四畳:未定。
(復唱・脳筋文章の会)

姿勢を伸ばし、時折緩めながら暑苦しい脳筋文章に疲れます。
どうでしょう、真っすぐな文章になりましたでしょうか。

 
■2022年11月15日(火)
■納豆タブレット。

■2022年11月16日(水)
■一日一文章トレーニング。

「イールドカーブを作ってみよう」

「失われた30年」と「約30年の預金金利のグラフ」には相違ない相関関係が見られます。
そして、そのような図になる原因と結果(因果関係)は先日いろいろと思いつくことを書きました
本当のところはどうかわかりませんが、何かしらの個人的な意見は重要です。
この図式から考えると約30年間の超低金利は本来なら受け取って然るべき国民の預金金利が預金者である国民の手元に渡ることはなく、誰かの手に渡っていたことになります。
最初はバブル崩壊の痛手で仕方がないことであったかもしれませんが、超低金利は旨味の多い政策だったので長期間続くことになります。
国民から吸い取った金利は日銀の資産に積み上がり、低金利の恩恵を受けた国内外企業に恩恵を与えて国民の預金金利をネコババしていたことと同じです。
日銀は残念ながら独占企業なので独占には独占なりの責務があります。
そして、その責任は必ず果たさなければなりません。
どのような解決方法があるのかと考えたならば、それは保有する債権や株式の一部を放棄して国民に再分配することだと思います。
そのような巨額資産の組み換えによって保有国債や株式の名義は日銀から日本国民に移すことになります。
早い段階で債権放棄すれば債務超過になることもなきことなのかもしれなくて皆ハッピーなのかもしれません。www

ということで。

本日はイールドカーブを作ってみたいと思います。
イールドカーブの使い手とは何か仕事が出来そうなオーラを持っているものであります。
ただ、調べてわかったのですが、とても単純なミミズ占いのような感じもあり疑心暗鬼にはなりますが、デイトレーダーが複数のパソコンを使いかっこ良く情報を追うのもグラフ変動の視覚情報であると考えると、それなり皆で共有する判断の基準でもあって精度もそれなりに信用もあるようです。
イールドカーブ(yield curve)とは・利回り・曲線・という意味。
グラフの曲線の金利差異や逆に変化がない部分から意味を抜き取り今後の景気動向を予測するツールとなります。

(A)はスティープ。坂道のように短期の金利が低くて長期の金利が高くなる形状は財政赤字や景気悪化の時に見られます。
(B)短期金利も長期金利も高い状態。(B)の状態は(C)(D)と比較すると好景気な状態になります。
(C)順イールド。通常、短期金利は低くて、長期金利は長く預ける分だけ金利は高くなります。
(D)はフラット。インフレや景気後退。
(E)逆イールドは短期金利が高くて、長期金利が低い状態。景気後退が懸念されます。アメリカで逆イールドのカタチが発生して米国の景気後退、株安はその流れです。

1)作り方はエクセルを使って図のような感じでデータを打ち込みます。
A列:縦軸が償還する期間(年)。
B列:横軸が金利(%)。
※数字は適当です。
2)入力したデータを指示して「挿入」→「グラフ」→「散布図」→「平滑線とマーカー」を選択するとイールドカーブ・グラフの完成です。
3)グラフに名前を付けるには「グラフのデザイン」→「グラフの要素追加」からの選択で文字入力できます。
※図の横軸の数字は入力するのを忘れました。
誰でも作れる超簡単!!何にでも利用できるイールドカーブ!!
縦軸を生産数、横軸を作業時間にすると、製造時間に対する生産量のイールドカーブを作ることもできます。
そうすると時間ごとの作業工程の見直しに利用・分析できます。(生産工程の見える化)

「見える化」のイールドカーブがあれば「見えない化」のイールドカーブもあります。

イールドカーブにはコントロールと言う言葉がつきますが、海外のイールドカーブ情報を追うとイールドカーブとは純粋にイールドカーブのことでコントロールの言葉の付くものはほとんどありません。
そのようなイールドカーブにコントロールという特別な単語が付くことはこのミミズが這ったグラフに手を加えて操作する意図を感じます。
そこで、私の妖怪センサーはピーンと働きます。
イールドカーブの使用法は前年度等やカーブが形作るグラフの比較にあります。
また、2年(短期)と10年(中長期)を比較することで今後の景気動向を調べることができます。
日銀は10年国債を公開市場で0.25%の無制限買い付けております。
指値オペという何か中二病な医者みたいなネーミングの手術を行っているようです。
さておき、なぜ?10年なのか?という疑問を持ちます。
前述のように、イールドカーブなグラフでは短期と長期の比較でその国の経済状況を押し測ることができます。
私はネズミ占いみたいでまだなんとも信用していないところはありますが、それでもやっぱり市場を検証する一つの手段としてのチャートの意味はあります。
しかし、10年もの国債が0.25%に強制的に固定されているので国の経済実態をイールドカーブで比較しようにも検証することができません。(見えない化)
なので、企業監査などが入れば多分、何か臭いものにフタをして意図的に見えなくしていると考えるはずです。
これの面白いところは公の情報でよくニュースで流れる皆が良く知っている公開情報であるとこと。
当然、学者やマスコミは周知する出来事であるとは思うのですが、謎の忖度や総菜(裁)万歳みたいな人たちは置いといても誰も指摘していないことは少し不思議なことではあります。
(私が知らないだけで皆、指摘しているのかもしれません)
一般人からしてみると長期金利を0.25%で固定と言われても「はぁ?何言っているの?by 三日月オーガス」みたいな感じではありますが、自分でイールドカーブを作り仕組みを勉強することで誰でも気付きます。
MMT的な考えでは当然、金利の安定は計れます。
しかし、多分、m(__)mtな考えでは為替の安定や景気の回復は無理なような気もします。
「クンクンクン」何かプンプン匂うぞ。
今日は背中を丸めて(姿勢悪姿勢)で書きました。。。

 
■2022年11月16日(水)
■イヌ。
■2022年11月17日(木)
■一日一文章トレーニング。

「知らない味」

写真はベーコンのコーヒー漬け。
無糖のブラックコーヒーにベーコンを3日間コーヒー浸しました。
冷蔵庫に入れているものは次から次へと記憶の彼方から忘れてしまうものです。
なので、目立つところに置いていますが「そういえば…」と恐らく3日後に気づくベーコンのコーヒー漬け。
見た目の通りにコーヒーの香りも味も十分に染みついたと思われます。
さっそく、それをパスタに入れて食べてみたら不思議な味となりました。
後味に広がる不思議な味わい。
時間差でやってくる別の味。
二段階後にやってくる立体感ある味わいは今までに食べたことのない味なので説明しようがない味です。
何か奥にくすんだ部屋があるような味で、多分、それはむさ苦しい煙で充満したような部屋。
そのような二度と来訪したくないよう部屋なのに、不味く感じない部屋。
なので、美味しい部類には入るとは思うのですが、それを言い切ることもできません。
何せ知らない味です。
知らない味を表現することは何とも難しいこと。
ネットで調べるとコーヒーに肉を付ける料理法はあるようで、お肉が柔らかくなるみたいです。
ベーコンではその柔らかさはよくわかりませんが、後味だけは何か少し奥深い。
味に燻製っぽさが拡張された訳でもありません。
私はコーヒーの香りが燻製の香りに若干似ているような気がしたので、肉をコーヒーに漬けこむと冷燻ベーコン度合が高まるものかと考えました。
実験なのでベーコンの量も少量です。
たくさんの量を食べると「オエ〜」としつこい味になる予感もします。
今度はステーキ肉をブラックコーヒーに漬け込んで試してみたいと思います。
「ベーコンのコーヒー漬け」それは未知なる扉が開くような感じがする不思議な味でした。

 
■2022年11月17日(木)
■昨日の2フリップの犬の動きの修正版を作ってみました。
■2022年11月18日(金)
■一日一文章トレーニング。

「ビロ〜ンとは何の話しのだろうwww」

いやはや。
最近の冷え症は足のつま先から首肩に広がります。
首が寒く感じるのは今シーズンになってからのことです。
なので、寝る直前にはふわふわタヌキの尻尾を首に巻いたまま寝たい気分です。
一旦寝ると寒くはなくなりますが寝る直前の「暖」は必需品です。
しかし、現実にはそのような便利なものは存在しないので、布団の上に転がる兎や猫のぬいぐるみを使い首元を温めます。
長年一緒のお供たちは安心で温か、おかげで猫や兎は使用前・使用後見本として売り場に返却したいぐらいにペッタンコに頭部に押し潰された面白カタチとなります。
冷え性の原因は何かと考えます。
去年との違いを比較したならば、多分、それは健康志向のような気もします。
今年は去年よりもフルーツやヨーグルト等を食べることが多くてより健康的な食事となりました。
後+1歳老化しています。
さて、冷え性の拡大要因は何なのでしょうか。

ということで。

最近、ヨーグルトを食べています。
リンゴとヨーグルトを食す中で学習したヨーグルトの分量はリンゴにまとわりつくぐらいの少量が一番、リンゴのサクッとした歯触りと甘さスッパさが丁度美味しく感じられるような気がします。
ヨーグルトが多すぎると白い液体を食べている感じがしてイマイチです。
なので、ヨーグルト少な目の食べ方が最近の流行りです。
少量でもヨーグルト菌は腸まで運ばれるでしょう。(たぶん)

ところで、ヨーグルトの容器を開封する時に付いている内フタのビリビリと開封するヤツを全開できません。
内フタは半分ぐらいまで開封したビロ〜ンとした状態のまま食べ終わるまでそのような感じです。
私が想像するアメリカ人ならば内フタを全部開放してポイっと捨てるでしょう。
むしろ、底上げの外フタも付いているのでスプーンを入れたままの豪快な直食べするのかもしれません。
※間違っていたらごめんなさい。
でも、何か内フタを全開にすることはできません。
それは如何にも日本人的な感覚なのかもしれません。
開封した時点で酸化は始まるだろうし、外フタもあるのでゴミも入らないのもわかってはいますが、やっぱり捨てることができないのは内フタとは貧乏性の象徴のようなものかもしれません。(貧乏性?)
砂糖や塩のパッケージも全部切り落とすことなく途中でビロ〜ン状態なものは多い。。
そのビロ〜ンとした中途半端な奴は中身を出す時に、中身が付いて拭き取りの手間が加わったり、ビロ〜ンに当たり机にまき散らしたりと見た目のだらしなさに加えて良いことは何もありません。
なのに、ビロ〜ンはビロ〜ンとした状態で残り続けます。
このビロ〜ンとした名称は何と言うのでしょう。
やっぱり、ビローンはビローンでビロ〜ンな感じ以外の適切な名称は思いつきません。
おそらく、このビロ〜ンを完全に取り除ける人と途中で止めて切り落とさない人間との間には大きな性格的な隔たりが存在していると思われます。
ヨーグルトの内フタを全開できる人は商品のタグとかもどんどん気にせず切り落とすことができるはずです。
前述のウサギとネコの相棒はタグを切り落とさなかったので今やタグはヒモ状になっております。
でも、流石にカップラーメンのビロ〜ンフタは食べるのに若干邪魔すぎるので全開します。
よくよく考えたらカップラーメンのフタを全開しなければズルっとすする麺汁が机に飛ぶのをガードしてくれる可能性も考えられます。
フタを全開するとフタに付いた水滴で机が汚れるのが少し嫌なのではありますが、それよりも食べる時の圧迫感や美意識からフタを取っているような気もします。
こんなにもビロ〜ン寄りな人間なのにカップラーメンのフタを全開しない人の食べ方はとても気になって一言言いたくなるのは人間の自己中心的な価値観の賜物なのかもしれません。
やっぱり、同類は同類程により気になるという呆則は案外正しいのかもしれません。
ビロ〜ンはズボラ横着なのでしょうか、ならば、米国人に対する勝手なイメージのヨーグルトを豪快に食べる米国人は違うカタチのズボラ横着仲間ではないのでしょうか?
ビロ〜ン問題は大陸と大陸を分ける広大な海、道と道を隔てるドーバー海峡(対馬海峡でもいい)人と人を分ける一つの境界線なのかもしれません。

 
■2022年11月18日(金)
■風になびく。
■2022年11月19日(土)
■一日一文章トレーニング。

「読書感想文」

これは何かの物語のあらすじと感想文。
ここでは物語のタイトルはあえて書きません。
タイトル不明の感想文とは斬新でしょう。
内容は仮面をつけた大泥棒が現れて日本の国宝を次々と盗み出す物語。
それの対抗馬として名探偵も登場します。
以下完全ネタバレを含みます。
偶然にも同じ物語を読んでいる人がいればm(__)m。
後半に感想があります。

 あらすじ

【第一事件】志摩の女王と呼ばれるスゴイ真珠が本物仮面によって盗まれる(上野)。本物仮面は建物の上に逃げて見失う。
【第二事件】国宝の仏像が盗まれる。(日光の美術館)偽物仮面が入浴中のお嬢様を殺害(第一殺人)。犯人は学友のR子。その間に本物仮面が国宝の木製仏像を盗み出す。名探偵登場。「この仏像は偽物だー」と蹴り倒すと仏像がこなごなに壊れて仏像が偽物であることを証明する(;゚Д゚)本物仮面は鎧武者の中に潜み偽物仮面に脱出方法を教える。しかし、名探偵一同に捕まってしまったので、仕方なく本物仮面は偽物仮面(R子)を殺害(第二殺人)。本物仮面は逃走。名探偵は頭を掻きむしりくやしがる。
【第三事件】O家から「紫式部絵日記」が盗まれる。その後、執事の婆が探偵事務所にやって来て屋敷の娘O不二子と本物仮面が通じていることを相談する。同時に、本物仮面からこの事件から降りないと名探偵の命の安全は保障しないとの手紙も届く。燃える探偵。探偵は偽物仮面の変装をして皆を驚かす。後日、密室空間に本物仮面が現れてO不二子をさらう。現場検証にやって来た探偵は布団で寝ているO不二子を、探偵が激しく引きずり出して、O不二子が偽物であることに一同驚く。私は毎度の探偵の偽物の扱い方に驚かされます。
【第四事件】お家デートを楽しむ本物仮面とO不二子の秘密のお屋敷に名探偵が侵入。本物仮面と偽物仮面(名探偵)との格闘。恐怖するO不二子。偽物仮面は本物仮面を撃退してO不二子を手筈通りに救出する。しかし、運転手は本物仮面であった為にO不二子をさらい返す。名探偵は本物仮面からの銃撃が脇腹をかすめて怒鳴り散らす。
【第五事件】後日、名探偵が本物仮面に窓越しに銃撃されて死亡(第三殺人?)。そして、名探偵の遺体が消える。
【第六事件】本物仮面からF国大使館の大夜会に招かざる客として参加すると手紙が届く。「現れたな!」と怒る警部。私にはなぜ招かれていない夜会にわざわざ出席することを告知するのかと動揺する。当日、夜会は開かれて盛り上がるが突然、偽物仮面が現れて大騒ぎとなる。刑事が走る、悪魔のコスプレも走る?追いかけて偽物仮面を確保。悪魔のコスプレは名探偵でした(‘ω’)ノ。名探偵は死にかけた偽物仮面に本物仮面が誰なのかと尋ねると偽物仮面は特命全権大使を指さす。偽物仮面死亡(第四殺人)。変装した本物仮面を逃げ場のない密室に追い詰めるがまたしても逃げられる。フランス刑事登場!名探偵フランス刑事になぐさめられる。
【第七事件】大御所の彫刻家の家から法隆寺の玉虫厨子が盗まれる。この玉虫厨子は以前、彫刻家が法隆寺から盗み出した本物の盗品で、その本物の厨子を本物仮面が盗み出します。彫刻家は玉虫厨子の窃盗が世間にバレたことで拳銃で自殺(第五殺人?)現場に「玉虫厨子は白い巨人に届けよ」との手がかりが落ちていた。
【第八事件】銀座に白いピエロに仮装した巨人が闊歩しているのが発見されて皆で追いかける。名探偵は体調不良の為に途中で離脱。白い巨人をホテルまで追い詰めるがまたしても逃げられる。
【第九事件】名探偵は白い巨人をO町の白い大仏だと目星をつける。それは正解で大仏の中は本物仮面の美術館でした。侵入する名探偵一行は4人の偽物仮面の罠にかかり名探偵はつかまる。3人は仲間を呼びに逃げる。本物仮面は怒り心頭で白い大仏から脱出を始める。そのついでに名探偵諸共アジトごと爆破。名探偵死亡(実際は本物仮面の部下の偽物仮面死亡で第六殺人)。途中、警察が盗んだ宝物を積んだトラックを確保。本物仮面はO不二子を連れて飛行機で国外脱出。「私は失敗を悔やんではいない、国宝は取り逃したがO不二子を盗むことができた」と余韻に浸っていると偽物仮面を被った名探偵が仮面を脱いで悲鳴を上げるO不二子を連れてパラシュートで脱出する。(おしまい)

 感想

小さい頃に読んだ本で当時、これは名作に違いないと思った本です。
内容は全く覚えていなかったので、大人になり読み返すと何ともハチャメチャで異なる景色。
子供の頃と今とでは同じものでも感じるものは違います。
当時に面白いと思ったことは多分「仮面」を被った大泥棒の存在や奇想天外に現れては消えてを繰り返す仕掛けが面白かったのでしょう。
「仮面」には何かしらの魅力があります。
その下に隠れるものが本物なのか?偽物なのか?わからないもやもやとした存在です。
市場ではそのようなもやもやはグレーゾーンとして市場価値を下げるものではありますが、実動としての仮面(記号)には仮面を被ればどこにでも存在しているもので、もしかしたら本物かもしれないという疑心暗鬼にさせる何かはあります。
本物仮面はその家の宝物を盗むと同時に、もう一つの家の宝でもある娘と娘の心も盗む手癖の悪さもあって名に恥じない本物の大悪党です。
仮面の下に、たぶん「紫式部絵日記」を盗み入る際に一目ぼれしやすい人間性も感じられます。
そう考えると最初に盗んだ真珠首飾りはそのような女性に捧げる為の宝石であったのかもしれなくて用意周到な本物仮面です。
私には志摩の女王を首から下げたO不二子が空からパラシュートで降りて来る姿が瞼に浮かびます。
「志摩の女王」がどんな宝石なのか?ネット検索しましたがわかりません。
探偵が小脇にO不二子を抱えて弾丸のように飛行機から落下する様子は真の恐怖。
唯一まともそうだと誰もが思う探偵が一番ヤバい奴だったというのが最終的な結論です。
本物仮面にとっては第六事件で容疑者死亡の国外脱出を図ろうとしたのかもしれませんが、その後日に玉虫厨子という大物を盗み出します。
そのぐらいに玉虫厨子はすごい美術品なのかもしれませんが、何ともよくわかりません。(読解力不足)
※法隆寺にとっては大迷惑です(草)
むしろ、第六事件はこれからもっと本物仮面と偽物仮面が混じり合って街に拡散流行していくという暗示を含む儀式だったのかもしれません。
美術品にも本物論争のようなものがあり本物と偽物の見分けることは難しいことのようです。
ソフビ人形などでも流通量が少なくて偽物の方が価値ある場合もあります。
変身する仮面の下は知っている姿。
ピンチの時に助けてくれる変態仮面の下は謎の素顔です。
いやはや、ヒーローものが好きなので仮面とは少し興味深いものに見えてきます。

 
■2022年11月19日(土)
■ネコのジョーカー=ネコババ。

■2022年11月20日(日)
■一日一文章トレーニング。

「仮面とは本性を隠す防具かもしれなくて、いくつもの顔を使い分けることができれば便利でもあります。ですが、そのような仮面の裏に本当の顔があると考えれば何とも人とは怖い生き物也。そこで、昭和風に自分不器用ですから…な生き方とは逆にカッコ良かと思う。しかし、その不器用でさえ仮面だとしたらと考えれば考えたくない。考えてみようホトトギス。化けの皮を剥がすことこそが物語や人生の醍醐味です。」

名探偵の偽物に対する扱いはキックして破壊したり、または、引きずり出したりと酷いものです。
おまけに恐怖で悲鳴を上げる女性を抱えて飛行機から飛び降りるなど数ある本の世界でもっともゾっとさせる狂った登場人物でもあります。
しかし、彼の怪奇な行動により日本の国宝?は大悪党による盗難から守られました。(先日読んだ本のお話)
名探偵の行動はスポーツ選手の派手なプレーの見せ場と似ているのかもしれません。
空想の物語であれ、リアル人生でも「何それ」みたいな印象に残る何かを持っている人はいます。
恐らく、スーツをバシッと着こなして普通に事務所に座っていれば、名探偵程に真っ当で信用足りる人間はいません。
その裏に潜む悪党や偽物に対する尋常ならざる正義(漢)はその人の仮面に下に隠れる本性です。
名探偵の風貌が極道面であったり、人の感情が漂っていないロボットのような冷静沈着な探偵であっても、それはそれで面白味に欠ける物語です。
笑いとしては面白い。
バットマンや何であれと正義のヒーローや悪党には多少なりとも皆そのような二面性を持ち合わせております。
何せ自分の中の正義を行動として自己完結することはなかなかスゴイことです。
そう考えるとコスプレして本性を隠し記号として行動することは理にかなっております。
素顔のままの名探偵はマッド界の真正ヤバイ奴ではありますが、それ故に、率直素直で信用できるヒーローと言えるのかもしれません。
残念ながら子供目線にはそのようなマッドマンの狂気を見抜くことはできません。
むしろ、子供はアクションしか見ていません。
そのような目線の違いが大人と子供の差です。
ここに(A)という文字情報があるとして子供にとっては、それは(AXXX00000XXXA)と認識できないものかもしれません。
逆に大人は(AXBXMXA)と解釈や感情を通して何かの情報を拾い読む可能性があります。
その拾う拾わない差とは何なのでしょうか?
大人になったら多少、感情移入して文章を読むことができます。
その情景をより深める想像力も働きます。
物事を認識するには比較対象物なしに物事を認識することはなかなかに難しいことです。
大人の読書とは人生の“ものさし”と比較しながら読むことで何かしらの関連性を見つけているのかもしれません。
それが巷で言われる人生経験・職務経験の重要性に繋がっているように思います。
何かしらを経験していることで、それらを認識して対処することができます。

ということで。

仮面の話。
もともと前髪を作り顔のパーツ1/3位隠すことが多い日本人ではありますが、その上に今ではパンデミック用マスクで半分位隠し、それに眼鏡などもしているかもしれません。
これを仮面だと仮定すれば、私たちはほぼ顔の隠れる立派な仮面を作っております。
マスクで覆われた外面(ソトヅラ)とは本性を隠した偽物仮面と言っても良いでしょう。
このようなマスク生活は内に持っているかもしれない毒を内に止める役目と、外部からの自己防衛の境界線です。
なので、今の社会のマスクは本物仮面がいる前提で「私は偽物仮面ですが一様にマスクをしています」という外面上の真っ当人間アピールな記号とも言えます。
海外だとマスクして顔を隠すことは何か悪さをするのではないかと考える恐怖感もあると思います。
その意味ではマスク姿での犯罪が多発することになれば「悪貨良貨を駆逐する」と言わんばかりにコンビニのバイクマスクしたままの入店拒否のように価値観の反転も考えられます。
要は得か損かのその人の全体を見まわした時に天秤にかける評価基準です。
私のように花粉症の為に絶対に必要な時期がある人達も多いですが、日本的な感覚からすると本心本性とはできるだけ隠した方が得である考えるのが今の風潮に沿った考えのように思えます。
私のように好きなことを書いていたらならばドン引きされることはあっても何かしらの得はありません。
とは言え、苦痛であり苦行である文章を書き続けることができるのは、それなりに楽しい部分を見つけてノリノリで書いていることでもあります。
それは「仮面の内の素の内面」を晒していることでもあります。
虚飾しなければ「本当のわいはこんな化け物なのだ〜☆」と仮面を脱ぐ必要はないので楽チンでもあります。
しかし、「仮面の内の素の内面」とは本当に仮面ではないかと問われれば、それを否定する答えを私は持ち合わせておりません。(^O^)(^O^)(^O^)

 
■2022年11月20日(日)
■動く色。
■2022年11月21日(月)
■一日一文章トレーニング。

「もしかして肉は何に漬けても柔らかくなるの?」

約3日間ブラックコーヒーに漬けこんだ熟成肉を食べました。
いやはや、美味しかった。
塩で肉を食べると、いつもの肉でも十分に美味しいのですがコーヒー漬けされた肉の触感はいつもと異なってさらに美味しかった。
パチパチとフライパンから飛ぶ水分が嫌なので水気をよく抜いてから焼きます。
なので、ベーコンの時のような2段階のコーヒー後味はありません。
ただ、肉がステーキショップの肉みたいにプルンプルンに柔らかい食感となります。
手間と面倒、コーヒーも勿体無いのですがステーキを柔らかくしたいならブラックコーヒーに肉を漬けるとどこかのお店屋さん風の柔らかお肉となります。
ステーキは3cm程の厚さのアメリカ牛で十分に柔らかい。
肉の塊で見ると肉が水分でぶよぶよした感じは気になりますが、切り分けるとそのようなブヨ感もわからない程の美味しい一欠けらとなります。
コーヒー漬けの実験肉は大成功です。

そして、

もう一つ新しい実験調味料を作りました。
それはヨーグルトにホットドックに使うマスタードを入れて醤油を入れてよくかき混ぜて作る新しい調味料。

(ヨーグルト+マスタード+醤油)

それを炒め物にかけるといつもと異なる味になります。
味はヨーグルトとマスタードの酸味に醤油を入れて味を決める感じのソースです。
これはマンネリ化する味付けの救世主かもしれなくて、まーまー美味しいとは思います。
おまけに、ソースとして食するのでヨーグルト菌も同時に摂取することができます。
健康オタクにも結構オススメ。
粒マスタードを使っても良いのですが、ジャンキーなマスタードの方がクセありで美味しいかもしれないと思いましたが、両方混ぜるとさらにお得です。
ただし、クセありの者達が混ざっている割には少し味のパンチ力が弱くてあっさり系の味となります。
なので、もう一味何かの強い味が欲しい感じもします。
クセ(ヨーグルト)×クセ(西欧マスタード)=クセが打ち消されて?+味の決め手があっさり醤油味。
クセ者同士が混じり合うとクセが失われていくことは何か面白いことであります。
これは何かの呆則があるのでしょうか。
炒め物のパンチ力に負けているとも言えますが、普段食べる醤油味よりもあっさりな感じもしました。
ならばソースを混ぜれば良いのかもと考えると、それはもはや水分星な魔女の実験室です。
ネットを検索するとヨーグルトに肉で検索しても肉は柔らかくなり、コーラーに漬けても肉は柔らかくなるみたい。
結局、何の水分に漬けてもやっぱり肉は水分でふやけて柔らかくなる予感です。
ならば、砂糖水とか適当に冷蔵庫に埋もれている余った安い水分類を混ぜた謎の液体に漬けこんでも肉は柔らかく美味しくなるのかもしれなくて、料理とは作り手があれやこれやと混ぜ物する「こわっ」な実験室となります。

 
■2022年11月21日(月)
■牛肉。
■2022年11月22日(火)
■一日一文章トレーニング。

「紅葉(落ち葉)が赤や黄色、茶色になる理由について調べた」

数日前に拾った桜の落ち葉をビニール袋に入れて保管していたらすっかり汚く変色します。
左から真黄色、真ん中は赤と黄色のまだら、右は真赤な桜の落ち葉、どれも美しい面影はありません。
赤なんてカビの菌糸まで発生しており、とても不気味に汚く変色します。
そのような気持ち悪い葉っぱの入った袋ではありますが、暫くは捨てずに汚い色の変遷を観察したいと思います。
もしかした、何かしらの美の発見をできるのかもしれません。
ネットで調べると、この状態は「タンニン」色素が表面に現れ出た現象のように思われます。
タンニンは抗酸化物質で化学防護機能が働いた状態で茶色くなります。
抗酸化物質な紅葉部分が長い時間によって酸化が進みさらに分解されてタンニンが現れでた状態。
タンニンは水溶性なので雨など降ると流れ出てしまいます。

葉っぱの緑色は「クロロフィル」という緑色素で(光エネルギー)をキャッチして(水)と(二酸化炭素)を使い「グルコース」と(酸素)を作り出します。
グルコースは生物にとって基本的必需品なエネルギー源です。
酸素も同じく。
植物では糖。
人間では摂取すぎると糖尿病を生み出すと言われている血糖値で表されるものです。
人は食べ物から摂取したり膵臓で作り出しているものを、植物ではクロロフィルでの光合成で酸素とグルコース(糖)を作り出しているようです。
※詳しい仕組みはよくわかりません。
グルコースとは人間社界に於けるお金のようなものかもしれません。

緑色素のクロロフィルの下には目に見えないだけで黄色色素の「カロテノイド」が存在しています。
紅葉により緑色素(クロロフィル)が酵素や酸素によって分解される過程でもとからあった黄色が現れ出る仕組みです。
カロテノイドは黄色でタンパク質と結合しているので分解されにくくて、抗酸化作用もあります。
イチョウの落ち葉が長い期間黄色を保てるのはそのような強い油性成分にあるのかもしれません。
酸化しないように油性被膜を塗装すれば色を固着できるのでしょうか?

赤い落ち葉は「アントシアニン」色素でグルコースとアントシアニジン(赤青紫色素)が結合することで緑色の色素クロロフィルを分解して赤色になります。
アントシアニンも抗酸化作用があり活性酸素を抑制します。
なので、こちらも緑色素が酵素や酸素によって分解前に緑色素と結合することでレアな赤色となります。

生産活動を終えた葉っぱは緑色素のグルコースと老廃物だけとなり活性酸素によってクロロフィルは分解されます。
そのような活性酸素に分解されない抗酸化作用がある色素が残って紅葉の色を作り出します。
酸素とは生きる為に必要不可欠なものではありますが、一方で鉄サビのように触れるものを片っ端から酸化させていく猛毒な化け物でもあります。
活性酸素はより反応性の高い酸素で触れるものの全てに化学反応します。
1)生命活動がストップして抗酸化作用がなくなった緑色素が分解されたならばその下の黄色が見える。
2)緑色素が分解される前に赤色系色素と結合すれば赤色の葉っぱになる。
な感じなのでしょうか。

おそらく。
この辺で一番最初に始まった紅葉は桜の紅葉
イチョウが美しく黄金に輝く、今の今な長期間にわたってまだ雑な紅葉を続けています。
おまけに、葉っぱの色も様々で紅葉の景色も雑。
そして、春には皆を魅了するキレイな花を咲かせる変わった植物でもあり、かなり憧れの存在ではあります。

 
■2022年11月22日(火)
■雑な落ち葉の変色。
■2022年11月23日(水)
■一日一文章トレーニング。

「お布団内を移動するカイロの動きをネットワーク図にしてみた」

我が家には3種類のカイロがある。
1)貼るカイロ
2)小さなカイロ
3)マグマという名のカイロ
それらは防災用にキープしているものではありますが就寝時の冷え性対策に利用してみました。
初っ端から関係ない話しではありますが、昨今、再び世界で地震が多発してきているような気もします。
今一度、防災グッズを見直そうかなと思ったりもします。
我が家の備蓄食料は賞味期限切れでほとんど食べてしまいました。
追加備蓄もしていませんので何にもない感じです。(‘Д’)
そう言えば、Gmilに期限切れの予定を予約していたものも全く通知を受け取っていないような・・・全く機能しておりません。
先ずはパントリースペースを開けてそこに入れるようにするのが良いかもしれません。
段ボールに入れていると中身が見えないので放置状態にはなります。
災害が何もないことが良いこではありますが食料備蓄の賞味期限は少し面倒くさいです。
定期的に備蓄防災のお話に戻ってきますが本題に戻ります。

【赤色】一日目「貼るカイロ」を使います。

1次:お布団に入る前に開封して後ろのシールを剥がしてどこかの患部?温めたい場所に貼る。正直、どの場所に貼るべきなのか悩みます。左足に貼れば右足は温まらない。首元に貼れば下半身は寒い。ということで体の中心・お腹のど真ん中に貼ります。寒いのは首肩や足のつま先でありますが体の真中に貼ることが適当だと考えました。

2次:深夜カイロが熱すぎて目覚めて寝ぼけながらカイロを剥がす。

3次:朝目覚めるとカイロが行方不明。ということで、カイロの暖房効果は全くありません。カイロは布団の隅っこに強力にくっついた状態で見つかります。強粘着でなかなか剥がれなくて苦労します。

【青色】二日目も「貼るカイロ」を使う。

1次:昨日の教訓で夏場に利用する汗拭きタオルに貼り付けます。足元に置いておくと両足が暖かくて良い感じ。

2次:朝起きるとカイロ付きの汗拭きタオルは蹴られていて布団場外に出ていました。

【緑色】三日目は「小さなカイロ」を使用します。

1次:小さなカイロを開封して足元に置き両足を交互に温める。カイロを置いているだけだと踵(かかと)しか温まらないので器用に足で持ち上げてつま先に置いたりしながら足全体を温める。足はよく温まってポカポカ。これは良いかもしれないと微睡んでいると突然布団の中がとても熱くなる。「熱いゼ暑いゼ」ということで布団から体半分を出して温度調整。どちらの「あつい」を使用すれば良いのか?迷うのですが布団の中が南国のような暑さとなって目もパッチリ。

2次:小さなカイロということで油断しておりましたが体に直接貼るタイプとは異なり普通のカイロはそれなりの発熱パワーを持っているようです。カイロをポイっと布団場外に投げ捨てます。

3次:いつもと変わらない朝。カイロは場外に出ています。

図はネットワークな次数を使ってカイロの動きを可視化しました。
カイロは最終的に全て場外に放り出されておりますので、布団の中で使うには少し暑すぎるようです。
たくさんある防災用のカイロを利用しましたが冷え性には「湯たんぽ」が一番なのかもしれません。
毎年そのようなことを言っている感じもしますが、横着とは横着故にお湯を沸かしたり準備するのが面倒なので結局ゆるゆるの毛糸の靴下を履いて寝たりもします。
しかし、困ったことに寝る時に靴下を履くことは死者に靴下を履かせる家の伝統とダブります。
なので、寝る時に靴下を履くことは何か少し気持ち悪い気分にもなります。
そこで、私は超ゆるゆる靴下を履いて寝ます。
これは大きくてゆるゆるなのでギリギリ靴下ではないという解釈です。
これは夜グモを殺さないとか、夜に死んで朝にゾンビのように甦るような迷信と同じような仲間であって、そのような迷信を全く気にしないようでとっても気にする私の解決法です。
そのようなゆるゆるの靴下とは朝には大抵脱げているものです。
脱げれば万事OK、勿論、脱げてなくともゆるゆるなのでOKということで、昔から何かしらの自己解釈な屁理屈で自分のやりたいように正当性を作り出すところはあります。
これは長年作り上げてきたややこしい性格でもありますが、鬱陶しく思う国会議員とも同じようにダブって見えます。
解釈とは何用にもその人の解釈次第で便利なものであります。
自己解釈の反対は何でしょう?
自己解釈とは自己中みたいでその反対は「利他?」何か心痛むお話です。

ということで。
朝には冷え性は終了しています。
なので、直近の寝る前だけ温かなお布団であれば十分な冷え性対策になる予感もします。
そのような訳で、最後に残るマグマという恐ろしいネーミングのカイロをお布団で使用することはありません。
マグマカイロとは野外で使うものであります。

 
■2022年11月23日(水)
■パワーモーター。
■2022年11月24日(木)
■一日一文章トレーニング。

「ゴールシーンを次数化」

さて、日本の宝、堂安選手の同点ゴールとヒーロー浅野選手のスーパーゴールで逆転勝利しました。
解説は何もできないのですが試合ごとにラッキーボーイを生まれるチームは強いです。
次の試合でも新しいラッキーボーイが生まれて勝ち進んで欲しいと思います。
サッカーの得点シーンを見てボールをゴールまで運ぶ過程はボールを繋ぐネットワークに見えてきます。
ということで、早速ゴールシーンを次数化してみました。
※画像の解像度が低いのですが背番号は多分あっていると思います。

【1点目のゴール】
→1次:(16)パス(9)
→2次:(9)ドリブル+パス(10)
→3次:(10)ゴールに打ち込む
→4次:キーパー弾く
→5次:(8)ゴール

【2点目のゴール】
→1次:(4)ロングボール(18)
→2次:(18)ドリブル+ゴール

何かこのような図を描くとコーチの分析みたくて面白いです。
このネットワーク図に何があるのかと考えれば、それはゴールまでの美しいボールとゴールを生んだ選手の軌跡です。
サッカーの本質は「点を取ること、点を取られないこと」だと思われます。
なので、得点シーンはもっとも重要な情報の宝庫です。
※得点にからみそうなシーンも重要。
1点目はスピーディーな2回のパス回しの後にゴールに向けた2シュートでのゴール(4行程)。
2点目はスピーディーに1回のロングパス後の個人技によるゴールとなります(2行程)。
ゲーム中のほとんどは右に左に無作為にボール移動するだけとなるかもしれませんが、ゴールシーンのボールの軌跡はネットワークで言うところの最短ルートを辿った得点の因果関係を示す図となります。
1点目のゴールの起点は左バック富安選手と三苫選手によるゲームメイクによる南野選手シュートによって生まれたゴールシーンです。
2点目は右バック板倉選手からのロングボールなゲームメイクによるゴールシーンとなります。
厳密なゲームメイカーと呼ばれるような中盤の選手がいない中で、守りと攻めの選手がそれぞれゲームメーキングの起点として機能するコンパクトなサッカーとも言えます。
何もわかっていないのに偉そうなことを書いてm(__)mt。
それにしても、勝てて良かったです。

 
■2022年11月24日(木)
■イヌ。
■2022年11月25日(金)
■一日一文章トレーニング。

「イチョウの葉っぱを拾って来た(またまたゴミを拾ってきた)」

桜の雑な紅葉はまだまだ続きますが、イチョウの紅葉は黄金色に美しく輝いています。
ザクッザクッと黄色の絨毯は踏みしめていると枯れたイチョウの落ち葉もやっぱり黄色。
褐色になるタンニン色素は見られないので黄色のまま分解されていく感じです。
なので、黄土色の葉っぱはほぼ100%「カロテノイド」と考えても良いと思われます。
カロテノイドは油性分の紅葉色素です。
赤や茶色は水性色素なので雨水等で流れ溶けてしまいます。
ということは、イチョウの落ち葉からはイチョウ油を抽出できそうな予感です。
雨の日のイチョウの葉を踏むとツルッと滑ってしまうことがありますが、それは多分カロテノイドの油性分が靴で踏まれた重みで絞り出されて、それが葉と葉、葉とアスファルトや石で「ツルリ」と滑るのではなかろうかと思われます。
赤や茶色の落ち葉はパリパリと乾燥して砕ける感じなので成分が異なります。
足を滑らせる可能性のある落ち葉は黄色系のカロテノイド(油性)落ち葉一択で間違いないのかもしれません。
そこで、植物油一覧表というものをネットで見つけます。
やはり、カロテノイド系の黄色色素を持つ植物が多いように思われます。
そういうことで、昨日葉っぱの上を走り回る子供たちも拾わないイチョウの落ち葉を拾いました。
毎度、大人が地面の物を拾うのは心苦しゅうな気分です。
案外人の行動とはそれ程に誰も気にしないものではありますが、道のものを拾うとなると何を拾っているのか気になるものです。
私は紅葉狩リストの吟遊詩人だと言い聞かせて落葉を拾います。
しかし、現実には黄金色の落ち葉の下にトゥールヴヨンが落ちていれば良いのにというイメージです。
イメトレです。
「高純度なイメージトレーニングには高純度なトゥールヴヨンを与える」と我が愛読書の自己軽発本には書かれています。www
枯れていないフレッシュなものを選んで拾うとイチョウの葉っぱとは意外にゴムみたいに弾力性があります。
この落ち葉の厚みは他の落葉樹の葉っぱとは明らかに異なる存在感です。
一日放置した若干水分が飛んだ葉っぱの表面はカサカサとなりますがそれなりの厚みもあります。
「これには油が詰まってそうだ」と予感させるのに十分な葉っぱたちです。
これが全て油だったらすごい量の油が採れそうです。(令和のオイルショック到来)
紅葉が始まったばかりのフレッシュな御神木風のイチョウの木から落ち葉を頂戴して油を抽出したいと思うのですが、どのような方法で葉っぱから油を抽出できるのでしょうか。

追記:すべる定番のバナナの皮も色もカロテノイドです。

 
■2022年11月25日(金)
■イチョウ時計。

■2022年11月26日(土)
■一日一文章トレーニング。

「最近ギアに興味があります」

昨日、タミヤの「ミニモーター低速ギヤボックス(4速)」を購入。
中には2.5×1.5×1.2cmのミニモーターが入っております。
モーターには「standard motor FP030-KN/11160/DV」の印字があったのでネットで調べてみるとマブチ製のモーターでした。
マブチモーターと言えば工作モーターの定番ではありますが、このように低騒音、低振動、低コギングのミニモーターとして進化しております。
https://product.mabuchi-motor.co.jp/detail.html?id=20
「コギング(cogging)」とは何?と調べると無通電動駆動した時の磁力のゴツゴツ感のことらしい。
何ともいろんな専門用語があるものですが確かに磁石の抵抗感は少ない気もします。
ちなみに、モーター1分間の回転数は10870rpcとスペック表記があるのでギア比を算出することができます。
計算しなくとも箱に記載あります。
組み立てた機構サイズは3×2.4×1.9cm程のミニサイズとなりますので戦車などのプラモデルにも内蔵できます。
ギアは5連結の基本ギアにトランスミッション的に最終ギアの接続部分を変更することで4種類のギア比を実現します。
しかし、
一度組み立てたならばギアチェンするのは難しそうなのでマニュアルをガン見して組み合わせ構成を研究します
基本ギアは5枚の歯車で構成されております。
21歯と10歯の2段ギアが4枚と1枚のヘルカルギアを組み合わせて使用します。
ヘルカルギアとは螺旋状の歯車で噛み合い率も高く清音性も高く強度も高いギアのようです。
「噛み合い率」とは野犬っぽい響き (^^)/。
組み立て図を見ていると11が回転すると21と17(ヘルカルギア)が同時に回転するように見えるので歯数が異なる同士が回転して最終的に問題なく基本ギアを動かせる不思議な機構となります。
早速、歯数から回転数を計算したいと思います。
力はmルート(11−17歯車)とnルート(11−21歯車)に分かれた後に10歯のギアに収束・伝導します。
なぜ、このような複雑機構にするのか?わからないのですが力を一度二つに分散してから1点に収束すると良いことがあるのかもしれません。
これには何かしらの人生法則を予感させます。
スタートの11歯車が1回転すると最終的にアウトの10歯車が何回転するのかを計算してみるとmnの両ルートで1.1回転となります。
何とも不思議なことではありますが、ヘルカルギアという複雑なギアを組み合わせることでそれを実現しています。
ちなみに、mルートの11が1回転すると17歯車は0.65回転で、nルートの21歯車は0.52回転となります。
その差は0.13回転数の差。
その時間的な差をヘルカルギアな溝で減速調整する緻密なギアです。
多分、図の計算は合っていると思います。
作り方の図を見ながら適当に書いたので実際に作ると若干異なるのかもしれません。

それにしても、もう土曜日。
一週間経つのがいつもよりも早いのは休日があったからでしょうか。
それにしてもやっぱり1週間は早いもの。
これはもしかしたら年齢によって時間の経過が違うのかもしれません。
昔なら平日5日間は恐ろしくも長くていっこうに過ぎ去らない平日でした。
このように感じる時間の長い短い感覚は「ヘルカルギア的」なものなのかもしれません。
ギアの連動と時間の経過とはどこかよく似ています。
若い頃と今を比べれば、どちらがヘルカルなのか?わかりませんが、ヘルカルギアの噛み合わせの調整で感じる時間も調整できそうな予感です。

 
■2022年11月26日(土)
■ネコのメカニズム。
■2022年11月27日(日)
■一日一文章トレーニング。

「本日はわいにはすこす難しかった」

昨日、ギアの連動と時間の相似性について書きました。
一日も経てば考え方も多々変わるものではありますが、ギアのメカニズムと時間との関係性はより深まります。
機械と自然現象の時間に繋がりがあるなんてとても変なことです。
時間の定義とはいろいろあるかとは思いますが、ここでは時計が刻む時間で考えていきたいと思います。
時間の概念は時を刻むギアの組み合わせで動いています。
時計の中身を見たことはないので何とも想像の範囲でしか書くことはできませんが、単純に考えるとAという1秒1歯のギアが60秒で1回転すれば隣接するBギアの歯車が1/60動く、Bのギアが1周動くとCのギアが1/60動いて1時間を表示するというカタチだと思われます。
回転スピード調整ギアが別途必要だと思いますが3つの歯車にエネルギーを与え続ける限り「時分秒」を表示することができます。(多分)
そのような感じで昔の人は時の移り変わりを「見える定規」時計を使って可視化しました。
そして、そのような等しく分け与えられたはずの時間が人によって感じるスピードが異なること、それが昨日面白く思ったことです。

昨日の例でいくと(A)1周11歯の歯車は同時に(B)1周17歯と(C)1周21歯の歯車を回転させて最終的に(D)1周10歯の歯車を回転させます。
Aに与えられたモーターの力が同時にBとCに分散されることは減速することでもあり、その分散されたエネルギーがDに集まることで力を増幅していると思われます。
AからCに1.91倍に増幅されたトルクはCDで0.47倍に減少して合計で1.52倍の力が伝わります。
AからBは1.55倍に力を増幅しますが、BDはヘルカルギアの使用で0.59倍以下に力の減価するのだと思われます。
DにはBルートCルートの二つの力が加算されます。
※トルクの計算は回転数と反対でスピードを出すと力は減少します。
Bはヘルカルギアという斜めったギアを使用することでその回転速度を調整します。
青い線が通常ギアの軌跡だとすると赤い部分がヘルカルギアの変形した歯車の軌跡となります。
その赤線分だけ噛み合わせ接地面積が広がり力を伝える時間も長くなり力も強くなります。(たぶん)
そして、ABCDは全て連結しているのでBCが異なる動きをすればギアは停止してしまうような気がします。(たぶん)
(たぶん)(たぶん)と続きますがわからないことが続きます。
そのような光景を1本の時間軸の中で見るとBとCは同じ時間に異なる動きをしていることになります。
これがヘルカルギアの面白いところで異なる歯数同士のギアを同一時間上の直線に存在しているように見えます。
ヘルカルギアがどのように設計されるのか考えると赤と青にナナメ線を入れて、接地面の長さをBCの時間差分で計算して作っているのだと思います。
少し考えただけでも気の遠くなるような難しそうな設計です。

時間に追われていても、暇をしていても時間というものはあっという間に過ぎる時には過ぎ去ります。
※楽しさには関係するかもしれません。(ギアがぐりぐり回っている感じ)
逆に過ぎない時は「まだ全然時間は経過していない」と思う時もあります。
それは心の感じ方であると考えるには少し短絡的です。
歯車の大きさや歯数が異なる人たちが噛み合って生きているのがこの世の中であって、その人々が持つ歯車な大きさや歯の数が同一時間でも異なる時間の相違なのかもしれないというのが今日のまとめ。
歯のピッチが異なればどうなるのでしょう。
歯のピッチが違うものは見えないのかもしれません。
なので、見えないものは見えないので見えるもの同士は同一ピッチで良いと思われます。
何か矛盾なところは幾多も考えられますが、とりあえずは、私たちは常に計算された歯車の一コマという訳ではなくて、複雑にからみあった社会の一コマの歯車として生きているようにも見えます。
そのようなことが人が常に同じ時間でもまちまちな時間を生きていると感じる理由なのかもしれません。

 
■2022年11月27日(日)
■ギア。

■2022年11月28日(月)
■一日一文章トレーニング。

「噛みつきに失敗した屁理屈の王者は遠吠えする」

m(__)mT

今日の教訓。
「物事は作ってみないとわからない やってみないとわからない」
昨日、ギアボックスを組み立てていたら写真のような隙間ができました。
これは何を意味するかというとAのヘルカルギア部分を使用しておりません。(悲報)
ヘルカルギアはモーター駆動の中で誰にも噛みつかずに空回りしています。
よって、
動力を二つに分割して一つに収束するという私の中で生まれたスゴ機構は完全なる妄想で終わりました。(残念)

m(__)mt

以下、全て屁理屈です。

組み立て説明書を見る限り使用するパーツがヘルカルギアでグリスも塗るように指示されており、図も噛み合っているような感じで、誰がどこからどう見ても猛犬同士がガッチリと噛み合っていると思うことは仕方がないこと。
早とちりが全ての元凶ではありますが、私を歯車に例えると小さなギア。
高速回転の力のない小さなギア。
大きくゆっくり動き力を隅々まで届けるような歯車ではないので物事をサッササッサと処理します。
何が言いたいのかと言うと想定通りにコトが運ばないのが世の中の常です。
実際の頭の中で思うことと現実との間には相違があります。
最初にプレゼンした通りに事を絶対に進める必要があるとなると必ずどこかで行き詰まることと似ています。
実際にやり始めたら頭で考えたことと違うぞ!!ということで「ギア様」にネタ不足の中で3日分のネタ提供感謝します。
そうなると偽物仮面を脱ぎ捨てて屁理屈王の登場です。
人生を語り、世の中の法則のようなものを語り、この失敗が次へのステップに繋がっていることをテヘペロな笑顔で語ります。
とはいえ、
昨日の時が機械的なメカニズムに似ていて、人の時間の感じ方の差についての話しに修正はありません。
人が時という概念を発明して以来「時間」という名の大きな歯車が動きだして、その歯車に噛み合って私たちは生きております。
当然、人の持つ歯車の大きさ(歯数)の数は人によって異なり感じる時間も違います。
前述のように私の歯車は超高速で空回っているので時の流れも超高速。
朝起きたらもう晩飯だ〜みたいな感じです。
それはギア職人が全く使わないとも言いきる伝説の高速ギア。
ガンジス河のようにゆったりと流れる大きなギアが欲しい。
子供の頃の私はどのようにしてクソ長い時間流れる歯車を作り出したのでしょうか?
歯車が大きければ、このようなひと時もゆったりとティーを楽しみながら流れる時間なのかもしれません。
そのような為にもティータイムは必要です。
「高純度なイメージトレーニングには高純度なトゥールびヨン〜を与える」by 自己軽発本
などと言っているからダメなのだ。(多分)

 
■2022年11月28日(月)
■誰にも噛みつかない犬、噛み合わない牙、空回る犬。
■2022年11月29日(火)
■一日一文章トレーニング。

「届かない、届かぬ 想い(OP歌)」

いやはや、昨日から冬っぽいお天気。
そのような寒い日にはパーカーのファスナーもしっかりと上まで閉めて首まで保温したいものです。
さっそく、ファスナーを勢い良く上までズズッズーと持ち上げると唇がファスナーに挟まります。
一人で「イタッ」と思いながら鏡を見ると血も出てなければ何もないのですがチクリと唇が痛みます。
チクッと痛むものはもう一つあります。
それは遊戯王のトゲ。

日曜日にデュエリストでもある遊戯王の鉢を割ってしまったので昨日ホームセンターで鉢を買って来ました。
ゼルダの壺割りのようなストレス解消音ではなく「あ〜」とスローモーションな落下で「ガチャン」と割れるデュエリストの鉢を見届けると「あ〜あ〜やってしも〜た」な気分になります。
幸いにも遊戯王はビニールポッドのまま鉢に入っていたので土が飛び出すこともなく後始末も秒で終わる。
ただ、鉢が割れるのと同時にビニールポッド内の土も柔らかくなったので、ビニールポッドのまま置いていても非常に不安定な傾きで倒れそうな感じ。
カーテンの開け閉めの都度トゲが引っかかり、夜室内に移動する時にもチクチクなトゲトゲ攻撃を受ける。
ゴメンゴメンと救出したのではありますがデュエリストはご立腹なのかもしれません。
ということで、昨日、早速シン・鉢を購入しました。

遊戯王を落下させた理由は日曜日のお昼に天気が良かったので天日干ししていた布団を取り込む際に遊戯王のトゲが布団に引っかかり落下しました。
布団に刺ささる遊戯王の様子はよく見えていて落ちないようにがんばったのですがどうしようもなかった。
何しろ冬用羽毛布団は大きくてかさばるサイズなので持っているだけで精一杯。
布団を抱える姿とは軽い人間を肩に抱えているようなものであります。
ふっかふっかの軽い人間みたいな布団を抱えながら遊戯王のトゲを布団から外すことは到底無理なこと。
少し動くと遊戯王もぐらぐらと引っ張られる状態で暫く固まっていましたが、永遠にそのような恋な駆け引きはありえませんwww。
「次はオレのターンだ!!」www。
というのが、この事件の顛末です。
布団を干す前に邪魔になりそうな遊戯王を動かそうかと少しは考えたのですが、少し鉢を動かすことを面倒に思う横着心が横着である故の全ての原因です。

そして、新しく買って来た鉢に入れる際にも手の平に強烈なトゲ攻撃をくらいました。
これまた傷も何もない痛みなのですが、ファスナーどころではないとびっきりの痛いトゲ攻撃。
それはデュエリストのターンなのかもしれません。
「攻と守」デュエリストとのカードバトルはまだまだ続きます。

 
■2022年11月29日(火)
■【クエスト】怒れる植木鉢。
■2022年11月30日(水)
■一日一文章トレーニング。

「の」

快晴の小春日和からの一昨日の冬、そして昨日は生ぬるい気温で今日の夜は気温が再び下降するみたい。
まさに、「猫の目な天気」とはこのこと。
昨日は体にまとわりつく生ぬるい温度と湿気で何かしらの野生的な嫌な予感を感じとっていました。
しかし、天気予報を見ていなかったので、それが雨だとは知りません。
よくよく考えればこの生ぬるい気温と湿気は雨を呼び込みそうなことぐらいは少し想像力を働かせればわかります。
ですが、私の勘は「何か生ぬるくて嫌な天気だな〜」ぐらいにしか思いません。
よって、帰宅時間は大雨に降られて右往左往。
春であれば三寒四温と3日寒くて4日温かくなるなど徐々に気候が変化していくような気もしますが、ここ最近の天気は「猫の目」にピッタリにコロコロと入れ替わります。
さて、秋から冬の季節の変わり目とはどのような気候変化だったのか頭に浮かべてみると一雨ごとに寒く&冷たくなる感じです。(「一雨一寒」自作した。)
昨日の生ぬるい気温は南からの温かい風を吹き込んで雨は空気と同様の生ぬるい雨。
季節とは逆向き方向の変化です。
雨は予期せぬ雨だったので帰宅時は雨レーダーの雲の途切れをみながら帰宅することになります。
そのような雨雲の動きを見ていると、これはまさに未来予知みたいな気持ちになります。
未来時間にダイヤルを回して雨雲の隙間を探していると丁度1時間後ぐらいに雨の隙間があります。
なので、一時間後の帰宅。
ネットのない時代には想像もできない人の動きです。
しかし、横着な私はそのような雲の動きと切れ間と現在地の地図を比較して分析することが少し苦手で、雲の隙間を見つけるだけでも大変です。
何度も未来時間にダイヤルをシフトさせて何度も同じことを繰り返すのですが結局、答えが出なくて人の助言を得て1時間後に帰宅するという結論を得ます。
そんな感じなので、短い距離なら雨レーダーを調べるのも億劫で大雨絶賛降雨中の中を歩き出すこともあります。
雨レーダーを検索することは目の前にやって来た電車に躊躇わずに乗ってしまうぐらいに動物習性的に苦手なことであります。
「大降りになってから出る雨宿り」という諺もあるぐらいに、雨レーダーがない時代は皆そのようであったと思います。
時代の進化とはスゴイものではありますが、何かをしながら何かをするみたいなマルチタスクなことが苦手なのは自己分析の一つです。
だから、歩きスマホをしたとしても足を止めてスマホをしています。
典型的な運動音痴みたいな感じではありますが、何かをしながら何かをすることは苦手な所はあります。
こういう雨レーダーをスマホで調べるのが苦手なのは、今さらだけれどもスマホのタッチパネルを指で上手に押せないことも原因の一つだと思います。
私は前日に記したように高速歯車人間なところがあるので異なるタッチパネル部分を押して間違った文字を入力したり、関係ないリンクを押して広告に飛ばされたりすることが滅法嫌い。
「うわ〜もういいや」となる。
決して指が太い訳ではないと思う。
プラモや工作などすれば手先の器用さはどっちかと言うと器用な分類だと思う。
タッチパネルを触って反応しないことがあるので、そのような亡霊的存在にも原因があるのかもしれません。
だから携帯サイズは私には“ちと”小さすぎてiPadサイズぐらいが丁度良いみたいな老人みたいなことを言っています。
スマホ時代にスマホが苦手とはまさに「の」を失った暗闇を歩く「猫目」状態な歩みです。

 
■2022年11月30日(水)
■ねこー♪