■2021年12月1日(水)
■一日一文章トレーニング。

「にんにく」

冷蔵庫を開けるとニンニク臭。
切り分けて余ったニンニクをラップにくるみ小さな容器に入れて保管していたら、
ラップはふっくらと膨らみニンニクの匂いを蓄積、且つラップの隙間からもれ出ています。
これは大変ということでラップを2重に。
こんな小さなニンニクにこれ程の影響力があることにビックリですが、
ニンニクは料理に入るとがぜん美味しくなります。

さっそく、
ニンニクについて調べます。
ニンニクは傷つくと、あの匂いの成分を出して外敵や病原菌から自身を守るようです。
あらかじめ、すぐに使える状態にしておきたいところですが、
ニンニクの保管は細かく粉砕して保管するのではなくて欠片の状態で保管すると臭いは出ません。

ところで、
ニンニクは地中の中で実がなる球根のような植物でした。
ネギのように上に伸びる茎の部分がニンニクの芽となります。
いやはや変わった植物です。

今朝のニンニクの容器の臭いを嗅いでみたら、もうニンニク臭は一切ありません。
ラップを取ると香りがするかもしれませんが、一時的な臭いを我慢すれば切り置きもありかもです。

 
■2021年12月1日(水)
■にんにくの図。
■2021年12月2日(木)
■一日一文章トレーニング。

「ペイント3D」

昨晩、2時頃?
ぐらぐらと地震で揺れました。
〜〜〜

ところで、
Windows に「ペイント3D」という見慣れないアイコンが気になったので使ってみました。
どうやら標準アプリのようでフォトショのような機能があるようですが、名前のように3Dオブジェクトにも塗装もできます。
以前はハチの3Dオブジェクト等をぐるぐる動かせるだけの機能だったような気がしますが、
知らぬ間にガッツリ簡単に作れるソフトに機能アップされていたようです。
さっそく、顔を作ります。(1分程の製作時間)
以前、Procreate でも3Dペイント機能が追加されて面白く思いましたが、こんな身近に標準装備であることには知りませんでした。
簡単な3Dアニメーションならこれで少しずつ動かしながらモーション加えて面白くできそうです。

 
■2021年12月2日(木)
■3Dで作りたいキャラクター設計。
■2021年12月3日(金)
■一日一文章トレーニング。

「マンホール探して歩いてみる?」

今朝方も小さくグラグラと揺れました。
普通電車の揺れなどのように適度な揺れは眠りを促進させます。

ところで。

先日、歩道に気になる文字の入ったマンホールを見つけました。
東京都水道局のマークに「水基準標」(右回りで読む)。
※↑この読み方は間違い。
※↑東京都の都章です。シンボルマークはイチョウ印。
交番前の立地上、お巡りさんに怪しまれながらの撮影。
マンホールを撮影する私よりも四角形の小さな鉄ブタの方が怪しい雰囲気を持ち合わせます。
これは何か水に関係する基準点だと思い、さっそくググります。
東京都のPDF資料を見つけて読みます。
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000053831.pdf

「何これ?」ということで意味がよくわかりませんが正式名称はわかりました。
「水準基標(すいじゅんきひょう)」(タテに上から下、横に右から左へと読むのが正解)。
意味はマンホール形式で都市の地盤変動を調査するベンチマークのようなものらしく都内に433箇所あります。
暇があると全「水準基標」のマンホールをコンプリートしたくもなります。
まー暇だけども無理っぽいですね。

データは基準日が令和3年1月1日のもの。
弥生一丁目 弥生町交番前 
東京湾平均海面:20.6352m
霊岸島量水標:21.7696m
変動量:+2.3mm
赤門前も+5.7mm上昇しているので本郷界隈は少しずつ上昇しているみたい?
ちなみに日本史の弥生時代はこの東京都文京区弥生町の貝塚遺跡の地名からとったようです。
一つの大きな時代の名前にしては適当な感じがしますが、
貝塚があるということで海はすぐ側まで来ていて陸地は日々隆起を続けていることがわかります。

「東京湾平均海面」は「Tokyo Peil」、
「霊岸島量水標」は「Arakawa Peil」というように、
それぞれ異なる2つの基準点で測量比較するようです。
「霊岸島」は中央区八丁堀(中央区新川2丁目)の地点で「れいがんじま」と呼びます。
不気味ではありますが基準点としては全ての始まりのような名前です。(0岸島)
「Peil」はオランダ語で「レベル」の意味。
オランダ語が使用されることから測量の技術はオランダに学んで構築されたものではないかと思いこれまた調べます。
するとオランダ技師の「リンド」という方のお名前が出てきました。
明治時代・日本の近代化には様々な分野でお雇い外国人は欠かせません。
国の近代化(行政・政治・デジタル化等)や方向性に悩む時には素直に海外に学ぶことが重要な気がします。

測量の方法、フタを開けるとどのような感じになっているのかなど全く不明で何もかもわかりませんが、
とりあえず興味本位に調べれば調べる程にあちこちの「水準基標」は気になります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%BA%96%E7%82%B9

オランダ人のボードワン博士の像

 
■2021年12月3日(金)
■リンド(Issac Anne Lindo)の足跡も気になります。
オランダ人の土木工事技術者。
コルネリス・ファン・ドールン(Cornelis van Doorn)の同行者として日本政府に招かれる。
荒川・新潟・信濃・利根川などの河川改修に参加。
日本全国の基準となる「日本水準原点(Tokyo Peil)」の測定基準を構築。
その後、オランダに戻りアーネム(アルンヘム)やハーグの下水道の整備・都市計画を企画する。
 
■2021年12月4日(土)
■一日一文章トレーニング。

「夢×オーバー認識技術×脚色技術」

先日、夢を見た。

夢の出来事を書くこと。夢の出来事を聞かされる程につまらないことはありません。また、夢でその人の精神状態を分析しようと考える人もいるかもしれませんが、前述にも書いたように、この「一日一文章トレーニング」は寝ながら考えていることもありますので夢半分で文章を構築していることもあります。(時折のことです)いつもは寝起き頭に勢いで書きます。夢は「現実」なのでしょうか「想像」なのでしょうか。夢は自分「認識できる想像」の範囲の外にあり荒唐無稽、且つ「体験(経験領域)」しているようなものでもあります。「想像」は「現実」を超えられるのか?の検証で「空想話し(空想領域)」を創作する手法に参考になるのかもしれないと考え夢の話を書きます。

| ̄ ̄ ̄|
|夢の話|
|   |
 ̄ ̄ ̄
家電量販店で「iPad mini」を購入。
早速、お店の人が丁寧に梱包してくれてスケートボードサイズの大きなラッピングをしてくれました。
商品を受け取ると店員の人はすぐにバックヤードに下がり店内は閉店の時間。
何故か裏口から帰る必要があるということで、お買いものした箱を抱えて家電量販店の裏口の細い廊下を歩きます。
セキュリティーを通る時に名前を書くと天井から防災扉がガチャンガチャンと閉まっていきます。
他の人たちと共に店内に閉め出されないように走ります。
なんとか家電量販店を抜けることができると、手にはお買いものをした「iPad mini」はありません。
ボールペンで名前を書いている時に下に置いたままにしたのか?
防火シャッターに挟まれないように走っている時に落としたのか?
思い出されません。
買ったばかりの新品の「iPad mini」はもう手元になくてガッカリ。
家電量販店に電話しようか?
新品の「iPad mini」を拾った人はラッキーでもう絶対に戻ってこない。
そもそも「iPad mini」ってスケートボードぐらいの大きさあったけ?
リュックに十分入るサイズじゃない?
これって夢じゃない?ということでグッモーニンです。

何でこんな夢を見たかのかを考えると先日、ヨドバシカメラの福袋「iPad Airの夢」に応募したので、それが理由かもしれません。(潜在意識)
文章に書いたら少しは面白くなるかと思いましたが、やっぱり本当につまらなくてビックリです。
やはり「空想」が「現実」を超えるということは難しいようです。

ところで、

「実話」をベースにした映画などはあまり面白くない印象があります。でも、「空想」のお話しでも「リアリティ」を感じられない物語にも没入感を感じることはなく面白くありません。※体験を進める「ゲームの世界」は別物。そう考えると話しを面白くするには「現実」に即した「脚色(想像力)」が重要な気がします。

| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|経験領域+脚色|
|       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
例えば、難攻不落の秘境登山のドキュメンタリーが順風満帆に頂上制覇できたとします。登っている人にとってはキレイな景色を仰げて安全にも登れて万々歳です。でも撮影する立場の人からだと画がつまらなく感じるでしょう。それでは人為的に落石を起こしてしまえと脚色する誘惑にかられるかもしれません。何か事件が起きないか?期待するけれども何も起こらないことが日常です。起きないなら起こしてしまえホトトギスということで「脚色」にも功罪はあります。事実の報道・ドキュメンタリー等とは恐らく、カメラの画角フィルターや編集を通す時点でもうすでに「現実」ではありません。製作者の意図があれば青色も赤色となり得る世界であります。話しを盛る奴は信じるなとはその通りではありますが、空想話しを面白くするには「脚色」する技術も必要です。ここでの「脚色」は「粉飾」する技術です。そのような意味に於いては面白い作家さんとは罪深き人たちのようにも感じます。でも、それによって面白いお話を読んだり見たりすることができるので感謝であります。

 
■2021年12月4日(土)
■12月の夢。
■2021年12月5日(日)
■一文章トレーニング。

「チョコケーキ×使う食器は決まっている×下積み期間×棚の守護神」

チョコレートの壁。
有名な本のタイトルのような壁ですがチョコレートの壁は別格です。
とても素敵な壁。
何層にも分かれた茶色の壁。
ケーキの地層を掘り掘り食すとエネルギーがチャージされる感じがします。
このような甘い壁は大歓迎ですが、現実の壁はちょっと厄介です。

1日1コーナー、1スペース、小さな一角をお片付けで食器ゾーンに手を付けます。
我が家には困ったことに日常生活を送る以上の数の食器があります。
それらの数を少し減らしたく思います。
できれば半分程は処分したいです。
お皿は重なり置かれて下積みされたものは一生、日の目を見ることがないような気がします。
人生に下積みの期間は必要ですがお皿に下積み期間必要ありません。
とは言え、捨てようかと思うとひびもなければ割れてもいません。
どの食器もキレイなものです。
まだ一度も使っていない袋入りのものもあります。

コップ類の数も明らかに数が多すぎます。
スタッキングできるマグカップはまだ良いのですが、普通のマグカップは重ねて置けないので場所を取ります。
そこを無理に置くとピサの斜塔のように芸術的な造形をみせてくれます。
このようなオブジェクトは現代社会、特に都市圏の狭いスペースで生きる私たちの縮図のようにも感じます。
それら姿はちょっと好きでもあり、絵や作品にしたくも思います。

毎日使用する食器は大体決まっています。
最近、よく使うコップは小さなコップです。
コップはこれらの小さなコップだけで十分です。
ということで食器類は捨てなければならなりません。

食器を減らすには、それらを捨てる勇気が必要です。
ならば、爽快にバリバリ破壊して捨ててしまえと思いますが、それができません。
そこには見えない大きな壁があります。
(ゲーム)ゼルダの伝説では剣やローリング、投げて壺をバリバリと割りハッスルハッスルしておりましたが、
いざ、現実の皿やコップをそのように意図的に割ってみようと思うと気が引けます。
山に登りどこかのお寺のようにフリスビーのように飛ばしてみる。
地中に埋めて1000年後の人類がそれを見つけて人が住んでいた証を残す。
どれもしっくりときません。
カタチがあり、まだ機能性に問題ないものを壊すことに勇気は必要なのでしょうか。
日常生活でお皿を割ると「うぁ〜最悪」という気持ちになります。
ほうきと塵取りで割れたカケラを掃除するという一連の嫌な記憶がお皿を割ることを躊躇させるのかもしれません。
皿を割るには脳みそを騙す仕組みが必要です。

いつも思うのですがクソどうでも良いと思う程に割れずに「棚の守護神」として鎮座します。
そして、フランスで購入したオサレなマグカップや鴨の置物等の割れて欲しくないものはすぐに割れてしまいます

まー割ることができないので普通に「不燃ごみ」で捨てましょう。

 
■2021年12月5日(日)
■積んで積み上げるコップ。
■2021年12月6日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ふしぎなえ」

他の子らが仮面ライダーやセーラームーンだと言っている頃の小さな頃に好きだった絵本。
もちろん、そのようなものも大好きです。
「ふしぎなえ」安野光雅え

文章は何もありません。
江戸時代の書物やノートのような太い線・細い線の枠の中で三角帽子の小さなこびとたちがイキイキと活動します。
でも、中に描かれるのはクラシックカーにトランプ、家などの西洋の景色。
階段をのぼり、くだり、走り、休憩し、天地がひっくり返り、永遠のループ。
これら絵にはどれも静止した絵はありません。
イメージの中で時間は永久にぐるぐると回り続け、
絵の住人の奏でる音楽、トントンと工事する雑音、ガヤガヤという話し声に空間に響く音は今も聞こえてくるように感じます。
そんなにたくさんの絵を知っている訳ではありませんが、このような「動き続ける絵」はあまり見たことがないような気がします。

今見たら脳をバグらせるような不思議な構造を感じることはありませんが、
小さい頃の私はこの絵本の不思議さに何度も本をひっくり返し指でなぞりながら
いつかこのような絵を描いてみたいと思いで何度も何度もページをめくっていました。
今も憧れの絵であります。

 
■2021年12月6日(月)
■ケーキの迷路。
■2021年12月7日(火)
■一日一文章トレーニング。

「カップソーサーは必需品ですか」

お皿が一枚。
お皿が二枚。
お皿が三枚。
このカップソーサーと呼ばれるカップのお皿は必要なものですか。
我が家では一度も使ったことがないような気がします。

家の食器の1/3ぐらいは捨てることができました!!
とりあえず、机に並べて選択。
いる?いらない?
いる?いらない?
結局カップソーサーは全く使っていないけれども捨てることができません。
全然使用していないのでとてもキレイなものです。
セットで揃うものを捨てるには忍びない。
でも、そのようなカップソーサーを使い優雅にお茶を飲みたいとの願望も湧きます。

カップソーサーあなたは何の為に存在するのでしょうか?
カチャカチャと食器の当たる音もうるさくも感じます。
でもホテルのビュッフェなどでは積極的に使ってしまうカップソーサー。
スプーンや砂糖も添えて他所向きにデコレーション。
確かにフル装備のカップソーサーは一流なカッコ良かな様相になります。
でも、カップソーサーを使うことで洗いものが増えます。
英国人にそのようなことを言うと日本人や米国人は・・・と未開人扱いをうけそうな案件ですが、
無意味に意味を見出すことが様式美であり文明人たる所以なのかもしれません。
※多分、米国人もカップソーサーを使わないような気がします。
※ホテルなどではカップソーサーなしマグカップを持ってうろうろしている印象。

ところで。
割ることのできない食器について書きましたが心配せずとも処分しているうちに勝手に落ちたり、こけたりしてパリパリ割れます。
使わない棚の守護神が割れるのではなく毎日使う日常使いの食器類達が壊れます。
なぜだろう。
棚の守護神たちの強度には驚かされます。
大概にして欲しいデス。

 
■2021年12月7日(火)
■ケーキ帽子とコーヒーブレイク。
■2021年12月8日(水)
■一日一文章トレーニング。

「New食器×バーコード×ワックス」

静寂の街雨上がりの曇った空ふとんから出る出れる出れないけども出て今朝も書く。

使っていない新品の食器を捨てるのはもったいない。
新品の食器は一度使ってから必要性を考えようということで使用することとします。
この手の食器は実家から持ち帰ったり結婚式の引出物として溜まります。
食洗器に放り込み「さあ、使ってみようぜよ」と食器を持ち上げるとバーコードシールが付いています。
バーコードシールは大抵キレイ剥がれません。
ゆっくりとミリ単位で剥がしますが途中で「うわっ」と破れてシールのベタベタと紙が陶器にくっついたままになります。
仕方がないので無水エタノールを持ってきてそれらでキレイに剥がします。
流石エタノールさんみるみるシール跡はなくなります。
エタノールのキャップを閉めようとした時にエタノールがこけて机に広がります。
呆然とそれらを眺めながらも「大変だー」ということでティッシュやキッチンペーパーでエタノールを拭き取ります。
コロナ禍でアルコールを頻繁に使用するので不思議と手のヒリヒリは以前程にあまり感じられません。
世界中の人々がアルコールを日常的に使うようになって、
手に生息していたかもしれない無害の菌たちは絶滅してしまったかもしれないと思いながら机のエタノールを拭きます。
キレイに拭きとりできましたー。
しかし、机にとってはワックスも剥がれて痛んでしまう原因となりますので再びワックスをかけてあげる必要があります。
家には適当なワックスはありませんので食用油をキッチンペーパーに染み込ませて油を机に塗りこみます。
ベタベタ油を木に塗り込み、しばらく置くと次にそれらサラダ油を拭き取ります。

| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|ワックス塗りこむ|
|ワックス拭き取る|
|        |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
こぼすとキレイになる法則は如何なる日にも健在です。

 
■2021年12月8日(水)
■ワックス塗ってワックス拭き取る。親指の爪を描き忘れました。
■2021年12月9日(木)
■一日一文章トレーニング。

「密×密×密」

久しぶり見る掛け軸。
いつ観ても面白い。
お坊さんたちが密です。
高僧はゆったり座りますが一般の僧は狭い所にすし詰めの密。
焚火を避けるような僧侶の行列も密。
籠を運ぶ僧も密。
護衛している?
籠からのスター登場で群がる坊主?
一言で言うと「むさ苦しい」。
何度観ても面白い掛け軸。

ところで。

「むさ苦しい」とはごちゃごちゃしている、汚らしいことを意味します。
「むさ」はどのような漢字になるのか調べました。
ググると「無妻苦しい」と「穢苦しい」の二つの漢字がでてきました。
どちらが正解なのでしょうか?
どちらにしても不浄感はあります。

掛け軸なので何かしらの意味やストーリーがあるとは思います。
この絵の良いところは人間性が露わに聖職者をむさ苦しく描いているところにあります。
貴族や高僧は顔の表情を袖で隠して密談し一般の僧侶は怒涛のむさ苦しさ。
この画家さんが現代に生きていたらならば、この手法でヒエラルキーな国会絵巻を描くのでしょう。

 
■2021年12月9日(木)
■坊主が多くて密となる。
■2021年12月10日(金)
■一日一文章トレーニング。

「掃除機」

今朝は掃除機のことしか思いつきません。(汗)
ゴミを吸いとるだけの機械。
CM的に言うとモーターのパワフルな吸引力でたくさんのほこりやゴミを吸い取ります。
毎日使うものはそんなに多くはありませんが掃除機は確実に毎日使用する道具です。
花粉症なのでハウスダスト対策に毎日掃除機をかけます。
布団に掃除機。
どこにあったかと思う細かいダストが取れます。
次に床を隅から隅に順番に掃除します。
何も考えません。
無の心。
掃除する機械を持って機械人形のように掃除します。
この状態を無心といいます。
座禅を組む状態に近いようにも感じます。
そこで、ついに気づいてしまいました。
毎日使用する掃除なのに掃除機自体をキレイに清掃してあげることはありません。
日々、マスクにアルコールだと神経質に過ごしている中であまりにも無心です。
表面はどれだけ汚れているかもしれませんが何も考えずに無の心で使用します。
それを言えばキーボードも全く清掃しておりません。
たまには掃除機もキーボードもキレイ拭いてあげないと思います。
人には気になる部分の偏りがあります。

 
■2021年12月10日(金)
■いろいろなものに触れる。
■2021年12月11日(土)
■一日一文章トレーニング。

「わさびわさびとわさびなこと」

ワサビは根から擦るのか?茎から擦るのでしょうか?
答えは「茎側から擦る」ことが正解。
根側は成長過程の古いわさびなので固くなっており最後まで擦る時に持ちやすいやすいようです。
茎をペリペリと手でむしり取り擦る分だけの外皮を包丁でこすり剥がします。
そして専用のおろしは持っていないので大根おろしでガリガリと擦ります。
※細かくすり潰して細胞を壊してあげた方がわさびの香りが立つようです。
試しに葉っぱを食べてみると葉っぱの味がしてから大分遅れてワサビの風味が口に広がります。
擦りおろしたばかりのワサビも自然の優しく広がるような辛味です。
チューブの練わさびの直接的なツーンとくる辛味とは明らかに異なるので練りワサビ(加工わさび)の成分表を調べます。
本わさび・西洋わさび・コーン油・砂糖・でん粉・食塩・ソルビット・セルロース・酸味料・香料・増粘剤(キサンタン)。
見たことはありませんでしたが、いろんな添加物がたくさん入っています。

本わさびは小さな静岡産で10cm程の本わさび。
スーパーで431円(税込み)で販売されていたのを購入。
わさびを擦って食すことは憧れです。
昔に井伏鱒二のワサビの本を読んで以来の憧れ。
でも街で見かけるワサビは2000円程する大きな立派なワサビたち。
気軽に手を出せるような感じではありません。
初ワサ擦り擦りのデビューにとっては持って来いなワサビ。
さっそく夕食の牛ステーキに擦りおろしのワサビを付けて食します。
おいしい。

・茎が赤系のわさびは「真妻(まづま)」という品種。(今回のわさび)
粘りと風味があり、お寿司屋さんが使うわさび。
成長に時間がかかるので高級品なワサビだそうです。

・茎が緑系のわさび「実生(にしょう)」という品種。
水っぽくさらさら、お蕎麦屋さんが使うわさび。

 
■2021年12月11日(土)
■香り立つわさび。
■2021年12月12日(日)
■一日一文章トレーニング。

「年末も近づき大掃除の前哨戦」

「おれはやったぞ(by ダクソ)」
というメッセージを残したいぐらいにスニーカーを洗い、そのついでにお風呂の排水溝もキレイに洗浄。
この二つはやりたくないことの上位に位置づけされる事柄。
アクションを起こすには初動はかなり重い。
先ず濡れることが嫌。
お風呂に入るわけでもないのに足がびしょびしょになるのも嫌嫌。
汚れは見るのも気持ち悪い。
排水管のフタなんて絶対に開けたくない。
お掃除のロボットが欲しい。
そもそも排水溝は耐水性の紙素材にして毎月の使い捨てにしたら良くない?
使い捨てプラでもいいから「ぽいっ」と捨てることができれば最高。
でも、こまめにやらないと排水が詰まるので仕方なし。
汚れ仕事は誰かがやることにより世の中が回ります。

私は「1日1コーナー、1スペース、小さな一角をお片付け」を行いますが、
毎日使うもの程に整理整頓清掃の対象から外れるような気がします。
積み重なった読まない本。
一年に数回しか開けない箱の中など普段使わないものが気になります。
カーテンなんてものもそうです。
毎日、使うのに全然洗濯をしておりません。
カーテンを購入する時には丸洗いできて遮光性や花粉などのホコリをキャッチしてくれるなどスペックをみて購入。
なのに、未だに洗濯機に投入されることはありません。
そこで考えました。
一か月に何度かは「毎日使うものたちの日」を作りたいと。
何日何曜日がいいのであろうか。
何故か決めれないし、決めても絶対にやらないような気がします。
毎日使うものは汚れも半端ないので毎日使うものに感謝する日は必要です。

毎日使うものたちを気にかける生活になると究極「使うもの以外いらない」的なミニマリスト的な思考になるかもしれません。
詳しいことはわからないですがミニマリストは最低限の使うもの以外のものを持っていないのだろうし、
ものが少ないということはスッキリとした独房部屋のような何もない空間で生活しているようにも思えます。
我が家にはモフモフのウッディーとバズのようなものがいます。
ミジンコのようなカタチでヒゲの生えた茶色いうさぎと何でこのデザインになったのかと思うグレー色の手足が長いネコ。
まーまークッション代わりに踏みつぶされ、そしてよれてはいますが必要なやつらでもあります。
存在しているだけで安心感があります。
とてもかわいいやつらです。
ものに愛着を持つと、いつか歩き出したりしゃべり出したりするかもしれません。
その時には有名な心霊Youtuberたちを恐怖のどん底に落として驚かすことができます。
それはラッキーなことです。
一緒に棺桶行きのバディーなのかもしれません。
その他、ソフビやポテトヘッドにこまごまとしたガラクタもあります。
それらは恐らく必需品。
心配しなくともミニマリストになることは前澤さんのようにISSに行く可能性程に絶対にありません。
一か月に一回ぐらいは毎日使うやつらに感謝してお掃除。
「絶景(byダクソ)」のメッセージを残したい。

 
■2021年12月12日(日)
■ステップ*ステップだけで動き出す。
■2021年12月13日(月)
■一日一文章トレーニング。

「山椒魚を読む」

先日のわさびで井伏鱒二が気になり本棚をガサゴソと漁ります。
井伏鱒二と言えば、私の中では魚やワサビ、狩猟、食べ物のようなイメージ。
残念ながら「川釣り」の文庫本は見つかりませんでしたが、かわりに「山椒魚」の本を見つけることができたのでさっそくそれを読みます。
「山椒魚は悲しんだ」で始まる有名な面白いお話。
川の流れる映像や色が浮かびます。
水の濁りはすぐに川下に流されますが岩屋に残り広がる濁りには臭いも感じられます。
この話は「空想領域」「経験領域」のどちらの領域から創作されたものでしょうか。

筆者はたぶん釣り好きだと思うので糸を垂らしながら魚が泳ぐ水の中の世界を想像して書いたのかもしれません。
釣りは岩の下にひっそりと潜む魚の棲み処を想像しながらポイントを狙います。
水面下は目に見えない世界。
魚との格闘技、騙し合い。
釣り人は地形を予測し、魚の幻影を追いながら糸を垂らします。
釣りとはものすごくは想像力を鍛えられる作業なのかもしれません。

逆に経験領域のお話だとすれば岩屋から出ることのできない山椒魚は私たち人間に置き換えて作られた創作話とも読めます。
山椒魚は自由ではありますが自由な世界を満喫することもせずに二年の歳月を棲家で過ごすことにより、あまりにも大きくなった体ではもう外界に出ることもできないという呪いを背負い嘆きます。
また、ある日では群れで泳ぐ魚や流れに流される他の生物たちを不自由千万でバカだとあざ笑い、最後には他人のカエルの自由までを奪ってしまったお話です。
このお話のテーマは「自由」で山椒魚を通して自由の持つ自由さとその不自由さを風刺しているようにも思えます。

 
■2021年12月13日(月)
■井伏鱒二の発想力。
■2021年12月14日(火)
■一日一文章トレーニング。

「方丈記を読む」

昨日は風の強い日で夜にはクリアに透き通った空気の中で明るい輝くお月さまがキレイに見えました。そして今朝はうっすら曇り空でとても寒い。

ところで。

足元で起きる危機は何世紀もの前から続く私たちの伝統行事ということを教えてくれる本があります。それが「方丈記」。井伏鱒二の本を探していると一緒に方丈記も見つけました。目的のものよりも目的以外のものが気になるのが探し物。そんな方丈記を読み込んで簡潔にまとめてみます。方丈記と言えば序文が有名ですが今でも暗記しているのでインパクトのある名文の一つだと思います。

先ず安元(1175-1177)大火。平安京の街を焼き尽くす大火事が起こります。空が真っ赤になり旋風と共に火はあちこちに燃え移り京の街のあちこちを焼け野原となったようです。

治承(1177-1181)辻風。調べたけどよくわかりませんが突風のようなもの。先日、米国の中西部・南部を襲った巨大竜巻がありましたがそのような災害なのかもしれません。大火事の後の追い打ちの辻風により京の街はさらに大きく壊れて福原遷都することとなります。福原とは現在の神戸市長田の辺りです。それにより大臣、公家、役職のある人たちは京都を出ていってしまったので街に雅さがなくなり武家のような街になったとあります。鴨長明はそのように変わりゆく街の変化を「世の中が乱れる前兆である」と言っています。実際に次の元号となる養和以降は平清盛率いる平氏の政権となります。その年の冬にすぐに天皇は福原から京都に戻られます。昔の天子様は街の釜土の煙が乏しいとなると年貢を免除し世の中を救おうと考えられたそうですが今の世の中の低落が伺いしれると書いています。

養和(1181-1182)飢饉。二年間にわたり春と夏が日照り続きで秋には台風、洪水などが起こり作物が全然収穫できなくなります。京の街は周辺の田舎からの作物供給で成り立っているので当然街には作物が入ってこなくなります。しばらくの間、人々は何事も変わらないように過ごしていましたが、多くの働き手が地方や山に去っていくことになります。これは平氏の政権になったことも関係しているのかもしれません。最初の1年目はなんとか乗り越えることができたので、今年はなんとかなると皆が思っていた矢先の再びの飢饉。2年目はもっとひどい状態でめちゃくちゃとなります。鴨長明曰く「飢饉とは人々が水溜まりであえぐ魚のような状態」と言っています。人々はばったばったと道端で倒れて賀茂川の河原は死体で一杯なり、木を切り倒す人がいないので薪の値段も高騰。金箔の付いたままの薪が売られ家や神社仏閣を壊して盗んで焚火にしたりすることもあったようです。母親が餓死すると幼い子が残されるとも書かれております。仁和寺の降暁法印が数えきれない死体を悲しみ出会う死体の額に「阿」の文字を書いて仏縁を結んだそうです。「阿」の文字は梵字で第一の文字で言語の根本とされる文字。同じ頃には大きな地震もあったようですが飢饉の惨状があまりにもひどすぎたのか小さな記録となります。

そのようなことがたくさんあり鴨長明は50歳で出家。60歳の時に京の南東にある日野山に四畳半の方丈を建て自分自身の住まいとして過ごすこととなります。方丈記とは846年前の日記ですが残されているおかげで様々な災害の詳細を知ることができます。どの災害も大変ひどい惨状ですが運と不運はあります。ですが飢饉だけは平等に起こる他の災害とは異なり弱い者から確実に命を奪っていく災害です。世界のあちこちで飢饉は起きていると思われるのでグローバルな救済の仕組みは大切なことだと思います。このコロナ禍に於いて、私たち一人一人の個人は3密等のディスタンにより隔離・離され共同体意識を感じることはほぼありませんでしたが、国家レベルの大きな枠組みに於いてはグローバルな共同体は目に見えるカタチで発揮されたようにも感じます。いつの時代も気候変動に災害・事件が起きることは常のことです。方丈記の無常観は昔から何も変わらない世の中を教えてくれます。

最後の方には下記のような一説があります。

魚は水に飽かず、
魚にあらざれば、その心を知らず。
鳥は林をねがう、
鳥にあらざらば、その心を知らず。
閑居の気味もまた、同じ。
住まずとして、誰かさとらん。

魚や鳥になって経験してみないと魚や鳥の気持ちはわからない。
閑居生活も同じことで、その生活を体験してみないと悟ることはできない。
と経験の重要性を書いています。
やはり「空想領域」は「経験領域」を超えることができないのでしょうか。

 
■2021年12月14日(火)
■空想はぼんやりと霧のよう。経験は具体的で写実的。
ぼんやりとしたものもそのうちにカタチあるものとして認識することはできるのでしょうか?
■2021年12月15日(水)
■一日一文章トレーニング。

「行きと帰りに考えたこと」

■行き
昨日は冷たい雨が降っていたので登山靴を履いて久しぶりに歩きます。
まーまーの長距離。
雨の日のウォーキングは人も少なく新鮮な空気に包まれるので好き。
「ザーザーザー ザッザッザ」
歩きながら何かを考えたり、何も考えなかったりしながら黙々と歩きます。
登山靴は通常の靴よりも山用途、高額なこともあり防水性も最強で浸透しません。
水溜まりを気にせずに我が道を直進することができます。
子供たちが長くつを履いた状態で水溜まりの突入するのと同じ感覚。
イチョウの黄色い葉っぱの絨毯を踏みしめて歩くことはこの時期ならではの楽しみです。
登山靴でも葉っぱの上を歩くと時折ツルっと滑ることもあるので気をつけて歩きます。

滝に打たれた修行僧のようなハトが「鳩が豆鉄砲くらった」みたいな顔で近づいてきます。
雨に打たれながら何をしているのでしょうか。
この鳩が犬や猫などのモフモフな一族だとすると「雨に打たれてどうしたの?可哀そうに〜」という気分にもなります。
そして鳩の人生も180度反転するかもしれません。
ですが、それは鳩、いくらうるうるな目をして私に訴えたところで何にも感じません。
それが鳩が鳩たる所以であり私が私でもある所以です。
羽毛とモフモフの間には大きな差があります。
人がこのように雨に打たれた状態で一日中外にいるとすぐに風邪をこじらしてしまいます。
その意味では野生の生物は丈夫な生き物でもあり、
人は強きに見えて肉体的には服など守るツールを身に纏わないととてもか弱き生物です。

■帰り
雨も止んで再び歩いて帰ります。
雨上がり街にはずいぶん人も増えます。
空気はヒンヤリとして吐く息は白くなります。
やっと冬がやって来たことを感じさせます。
雨上がりのこの空気感はヨーロッパの街を歩いているような気分にさせます。
雨上がりのウォーキングもこれまた心地良くて好きなこと。
手袋は行きの雨でびしょびしょとなってしまったので気持ち悪くて付けません。
なので、素手で歩くこととなりますが手が冷たく、赤くかじかみます。

帰り道はさっさっと帰り道を急ぐので行き道よりもさらに何も考えません。
歩くスピードはそんなに遅くはなく、どちらかと言えば追い抜く方だと思います。
ですが時折、とても早歩きな人たちに追い抜かれます。
「ザッザッザ ザザザザッザッザ」
歩きスマホのお兄さんとリュックのおばさん。
あの早歩きの人たちに追い抜かれた後に「ふっと」前方を見た時には遙か先にいたり、もう角を曲がってしまったのか姿は見えません。
永遠に縮むことのない分速何mの算数計算のように考えても早すぎます。
考えるとしたらそんなところ。

ということで本日のまーまーの長距離移動は11406歩。
山育ちでもないので流石にこれだけ歩くとそれなりに疲れます。
健康に良いという人もいますが歩いただけで何がそんなに健康になるのかわかりません。
街に住んでいる人の方がたくさん歩いているような気もします。
でも、ぼんやりと歩くことはすっきりとした気分にはなります。
そのような感じで雨の日や雨上がりの日のウォーキングは好きです。

 
■2021年12月15日(水)
■ハトとの遭遇。

■2021年12月16日(木)
■一日一文章トレーニング。

「星と星座の本を読む」

井伏鱒二の川釣り本を探していて目的のものよりも目的以外のものが気になった第二弾。
「何?この本」
ということで読んだこともない知らない本。
奥付見たら昭和59年の重版。
星を見ようと実家から持ってきた本なのかもしれません。

さっそく、頁をペラペラとめくり「冬の星座」を読みます。
冬空に君臨するオリオン座の絵が描かれます。
どうやらオリオン座は猟夫を表現した星座で先日のほぼ皆既月食でも話題になった牡牛座を襲う姿を模しています。
こん棒を持つ右手を高く上げ、左手に捕獲した牛の毛皮のようなものを自慢げに持ち、右足はウサギ座を踏んづけています。
わざわざ牛の皮らしきものを持つことのできる煽りの才能。(闘牛士?)
牡牛も怒り心頭で皮を剥がれた仲間の敵討ちに突進するようにも感じます。
オリオンとは猟奇的でヤバそうなおじさんの星座となります。
※もしかしたらオリオンには愛と感動の全米が泣いたストーリーがあるのかもしれません。
幼き頃、オリオン座はステキな音楽を奏でる楽器のような幾何学模様だと思い眺めていました。
また、オリオンは剣をぶら下げております(牛の皮をはぐナイフかもしれません)。
どこをどのように見たらナイフになるのかさっぱりわかりませんがオリオンの三ツ星真下でぼんやりと光るこの剣の星が「メシエ42」。
筆者が言うには肉眼で見ることのできる一番明るい「大星雲」でメシエ42は注目のポイントのようです。
オリオン座はすぐに見つけることができる冬の星座、真東から昇り真西に沈むので方角を知るのに便利な星座です。

関係ないけど昨日のつづきで雨の日は予備の手袋を持ち歩いた方がよいです。

 
■2021年12月16日(木)
■あれが「scos座」です。
■2021年12月17日(金)
■一日一文章トレーニング。

「Turnstile」

ハードコアな激しい音やダイブなどしている可笑しな奴らのLive映像が好き。
なので、時折YouTubeでそれらを観ています。
先日「Turnstile」というバンドのLiveがオススメに来ました。

https://www.youtube.com/watch?v=0B7FUziUECY

と言うことで視聴すると「いいね」で早速ハマりました。

先ず音がカッコイイ。
昔のベックを彷彿させるようなボーカルの人の声も良い。
懐かしくもあり新しくて青春を思い出させるような感じもする。
とりあえず今は「Turnstile」の存在ににビビッテおります。

次に
"TURNSTILE LOVE CONNECTION" by TURNSTILE
https://www.youtube.com/watch?v=WdJZlmhQXug
を観たらこれまた映像がカッコ良くてビビります。
映画のようでもあり静寂からノイズ、のりのりへとターンタイルを通り抜けていきます。
とりあえず今は何か「Turnstile」です。

ところで、昨晩、英国の中央銀行政策金利引き上げのニュースもありました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5934e847d739ebbe1b823b527e5073c388efc64f
そろそろ季節の変わり目ですかね。

ところで、明日から数日間記事のアップお休みさせていただきます。
よろしくお願いいたします。

 
■2021年12月17日(金)
■グッドミュージックの使者「Turnstile」。
R
■2021年12月22日(水)
■一日一文章トレーニング。

「音をつける」

4日ぶりの更新。
いやはや5日ぶり。
まーなんとも文章を書かない日々は最高です。
明日何を書くかな?なんて考えることもありません。
無の心。
空っぽの心。

ところで。
さっそく筆を持つ。
筆とは言いますがノートパソコンに文字をぺシぺシと打ち込む作業です。
でもノープラン。
そのようなことで、このようなお粗末な「一日一文章トレーニング」を読んで下さる方々にご報告することがあるとすれば・・・。
AKAIのMPK miniを購入しました!!
1万1100円で買えるDTM。
わいのヘンテコ絵にオリジナルミュージックを添えてアップしたいと思い購入。
本当はね。
Rolandの新しいSP-404MK2を予約しているのだけれども何か月も経過しても入荷しないのでたまらずにコレを購入。
見た目がグレーの限定色でカッコ良くキーボードにドラムパッドも付いているので即決。
コチラはスタンドアローン(単独駆動)で動くものではなくパソコンに繋いで使用するものでした。
(汗)
購入してからいろんな真実を知ってしまうのが腸型人間の特権です。
Miniと言ってもノートパソコンサイズありますので、これを持ち歩くようなことはしないのでまー良しとしましょう。(32cm弱)
※単独で動かしたい人にはMPK mini Playのスタンドアローンタイプ。
でも、やっぱり見た目の方が重要です。
小スペースにも立てて置けるのが良い。
どうしたら事前に賢く調べて購入できる考える大人になれるのでしょうか。
教えて諭吉さん。

【最初の儀】

さっそくパソコンに繋ぎソフトウェアをダウンロードします。
DTMソフト有料?
最初は英語の指示に従いインストールを始めましたが恐ろしく何もかも不安になり最終段階でDoneを躊躇。
もう一度ネットを詳しく検索すると日本語のインストールマニュアルがあったので、それを読みそれに従い進行します。
全然異なるやり方なのでDoneしなくて良かったと思う。
他のアプリを入れたりしながら何とかインストール終了。
フリーソフト。
これら一連の作業はなかなか面倒な作業となります。
インストール際はAkaiのHPを熟読して進めることをオススメします。

http://akai-pro.jp/mpk-mini-se-grey/
http://akai-pro.jp/data/Akai_Setup_Guide.pdf
http://akai-pro.jp/mpc-beats/data/JP_MPCBeats-QuickstartGuide-v1.3.pdf

ということで、まだ使い方が全然わかりませんが、とりあえず1曲作りました。
作った曲の取り出し方もわからないので「Windowsマーク+G」から画面ごとの映像で音を取り出しました。
ピアノそのたヘンテコ腸」。
真顔で格闘しましたが何か本当に無理です。
使いこなせる日がくるのでしょうか?
諭吉のムダにならぬことを祈りつつ。
ヘンテコモーション画に音を載せる企みは長い道のりになりそう。

 
■2021年12月22日(水)
■2022年・令和4年の寅年のデザイン。
年賀状はもう書いていないのでHP用。
音付き
■2021年12月23日(木)
■一日一文章トレーニング。

「車の字文さかさ」

早いもので今年もあと9日。
昨日は音を作る機械が「諭吉の無駄(福沢諭吉)」とならぬことを祈っておりましたが、
2024年度以降にはそれも「栄一のムダ(渋沢栄一)」と言葉も変わります。
そのようにして人生も言葉も容赦なくチクタクと進みます。
そんな人生を逆さ回りに進んでみたいとは思うのは横着一族の末裔の生き方でもあります。
人生の巻き戻し「<<<」リバース。
100回ぐらいは巻き戻したい。

そんな時に一台のトラックが目の前を走りぬけます。
「逆さ文字のトラック」。
これだー。
時折見る広告の文字が逆向きに書かれた車。
左側から見ると普通の「あいう商店」ですが反対側から見ると「店商ういあ」とタイポされる鏡文字となるアレ。
そのように文字が何故反対になるのか気になりググります。

調べると昔から日本語は縦書き、横に書き進める時には右から左へと横に書いていく文化でもあるので今とは逆の右から左への横文字が主流だったとの説。
あと、運転手側から文字を見る時に最初の文字が右から始まった方が読みやすいとの説もあります。
もしかしたら会社ならではのゲン担ぎもあるのかもしれません。

現代では横書きだと左から右が普通に読みやすいです。
ネットやパソコンは英語と同じの左から右の横書きが安定です。(このHPも)
左から右書きはインクや黒鉛で手が汚れる可能性は少ないです。
習字だと手を浮かして書くことになります。
手は汚れませんが手を浮かせながら文字を書くことはとてもしんどいことです。
小さい頃は文字を右だろう左だろう気にせずに書いていました。
国語の読み書きや習字の時間は右から左に文字を書くことになります。
そうすると鉛筆の黒鉛で手は真っ黒になります。
左から右に文字を書き進める習慣は西洋の文房具輸入と共に手が汚れないとの理由で普及していきデジタル時代を迎えて読み慣れた文字配列となったのかもしれません。

しかし一方でマンガを読む時には縦や右、左といろんな読み方をすることもあります。
マンガはとてもロックな存在です。
外国では鏡文字になった広告とかを見ることはほぼないので、そのような意味に於いても日本語は自由で枠に囚われない言葉のようにも感じます。
未来の若者たちが仲間内の言葉として昔ながらの右からや縦書きが流行るかもしれません。

今日は逆さまに生きてみたら何か新しき発見はあるのでしょうか。
。かうょしでのるあは見発きし新か何らたみてき生にまさ逆は日今

昔の業界人の言葉みたいで入力だけでも大変です。
慣れは必要です。
会話で使おうとすると頭はすごく使います。
クリエイティブを追求する人にとって逆さ言葉は現実を違う角度から見る逆転の発想でもあります。
それなりに頭のトレーニングになり面白いアイデアの源泉だったのかもしれません。

 
■2021年12月23日(木)
■深淵の生物。一つ前の「車の字文さかさ」の絵から抽出。
■2021年12月23日(木)
■一日一文章トレーニング。

「横着が需要を作り出す?横着一族のお話」

ちょっとしたことなのだけれども。
毎日描き溜めている原画の上に関係ないものを置いていてしまうことがあります。
紙の上は平面で物も置きやすい。
平らな書類の上には置き場所に困った物を少しだけここに置いておこうと思わせる何かがあります。
そうすると次の日から原稿はその置かれた分の厚みだけ傾きながら重ね置きされることになります。
そのような日が何日も続くと書類はピサの斜塔のようなゆるやかなに傾き、そして、それらはその後「1日1コーナー、1スペース、小さな一角をお片付け」で思い立った日にお片づけされます。
結局これは広義な意味での循環型なのかもしれません。
もし、小さく整頓しものを動かし整理していたならば、その後にまとまったお掃除の必要性はありません。
そうすると循環も起きません。
誰かが横着することで誰かの何かの仕事を作り出し、小さな一歩がやがて大きな波となり横着のドミノは東京の下町に広がり荒川を超えてそして江戸っ子は世界へと羽ばたきます???。
横着な一族の末裔はこのように小さなお片付けができない正当性をあれやこれやと考えます。
しかし世の中に於いては「横着」とは横領、着服みたいな何だかニュース番組の定番好物ワードとよく似た文字形をしています。
これは大変困った事態です。
「何月何日、何〇何号室の何々に横着の容疑で家宅捜索が入りました。」
「何々は横着の容疑を否認しておりますが警察は捜査資料を運び出しております。」
どうでもいいような話ですがショッカーに支配された●国のようなニュースです。
このようなニュース仕立てにすると「横着」とはとてもいけないことのように感じます。
確かに横着な態度を見るとは腹も立ちましょう。
不思議なことに横着な人でさえ他人の横着を見るとイラっときます。
本当のところは申し訳なくも思い「ノーカウントでいこうゼ」と考えるのですが、それは横着な一族の一存で決めることではありません。
すぐにお片付けできないことは生まれ育った性格もあるだろうし、根底にある面倒くささから楽をしたいと思う気持ちやそれ以外にも何かしらの奥深いストーリーもあるはずです。
そのような経験値を深めながら横着な一族は立ち上がりDyson掃除機を分解清掃を始めました。
最近、家のDysonがすぐに「フィルター清掃」や「詰まっています」のランプが点灯します。
仕方なく星型のドライバーを使い掃除機を分解すると予想通りにゴミがびっしりと詰まっています。
ゴミ箱の上でぼとぼとホコリの塊を落下させて綿棒の繊細な手さばきで細かく拭き取ります。
最後は外でパソコン清掃用のブロワーを使いボワッと拭くとたくさんのほこりが煙のように排出されました。
「ごほっごほっ」。
部屋を掃除する掃除機にもメンテが必要なのかと思うと横着一族は非常に面倒に思います。
家に星型のドライバーがあったことにビックリなのですが、横着な一族はやる時にはできるのです。

あと8日間寝るとお正月です。

 
■2021年12月24日(金)
■横着ハンター取り締まり中。
■2021年12月25日(土)
■一日一文章トレーニング。

「ナッツ・小動物な生活」

いやはや今朝はぶるぶると寒い。
早くから目が覚めたけど寒くて布団から出られません。

落ちた木の実を拾い収集したり。
どんぐりなどの木の実が美味しそうに見えたり。
小さな木の実をカリカリと食す。
前世は木の実好きな野生動物ではないかと思うぐらいに最近ナッツ類がマイブーム。
そこで、それぞれ異なる種類のナッツの徳用大袋を購入しました。
アーモンド(米国産)×1袋
カシューナッツ(インド産)×1袋
クルミ(米国産)×1袋
それらをブレンドしてナッツの瓶詰めを作ると凄くステキな宝物に見えます。
リスが頬を膨らまして集めた冬眠用の木の実に「ドヤっ」顔する気持ちがよくわかります。
もう一度、写真をよく見ます。
ナッツがガラス越しに積み重なり冬の暖かな太陽に照らされる様を。
これはもはや単なる食料備蓄ではなく何かわからないのですが心を満たしてくれるアートです。
ナッツの赤茶や薄茶の色にも心を癒す何かがあるのかもしれません。

ハリウッド映画で保安官が瓶に入ったナッツを食べます。
メジャーリーガーもひまわりの種を頬張ってペッペッペと行儀悪く吐き出します。
最初は噛んだガムを吐き出して汚いなと思っていましたが、吐き出しているものはどうやらひまわりの種のようです。
上手に実だけ取り出して皮を吐き出す技術は難しそうです。
ひまわりの種を見つけたら購入してみたい。

人生至福の時はナッツと共にあるのかもしれません。
貯め込んだナッツににんまり。
ナッツの詰まった瓶を片手に美しい景色を眺めながらナッツを頬張る。
※美しい景色はどこにもありませんが。
木の実を集め、蓄えて、それを眺めながら食べる、そんなリスの一日とはとてもステキな一日です。
今日も我が家にナッツの「キューキューカラカラ」と瓶を開ける音が響きます。
我ら小動物の自慢の貯蔵庫によってこの冬のナッツ在庫は安泰です。
しばらくはナッツブームが続きそう。

 
■2021年12月25日(土)
■虎にビックリ。
■2021年12月26日(日)
■一日一文章トレーニング。

「パーカーズ(集中力を増す方法)」

冬の朝は布団から出るのが億劫です。
冬眠必須。
朝方の布団は体を新しいスペースに動かすと冷たくなるのでカブトムシの幼虫のように同じカタチで固まります。
そして、気合を入れて「ワー」との掛け声と共に起きます。
次は冬の布団から心地よく出る方法について考えてみたいと思います。

集中力を増す方法について考えた。
先ずフードのあるパーカーを着る。
吾輩の場合はグレーのパーカー。
そしてフードをしっかりと被る。
そうすると視界が一人だけの空間となり集中力が*すこす*増します。
追加でパーカーの上から大きなヘッドホンを付けると耳からの雑音を遮断できてさらに一人だけのオンリー空間を構築できます。
今のような冬場に顔が暖かになると「頭寒足熱」とは言われることに反するような容姿ですが、耳が覆われて温かくなると集中力は増すような気もします。
この時期、耳が覆われていることは特に良い。
「頭寒足熱」とは頭を温かくすると眠たくなるという意味で使われる言葉です。
足と頭どちらかを温かくできるとしたら間違いなく足です。
最近、足は24時間冷たく寒い。
冷たい足に水に付けている水鳥を見るといつもな「なぜ?」との気持ちになります。
冬の間だけ鴨脚が欲しい。

ところで。

道を歩く人、会社や学校のみんながパーカーのフードを被っている姿を想像してみた。
クリエイティブ系の事務所などでは日常的な姿であるような気がしますが普通のオフィスでパーカー被ったリーマンがパチパチとパソコン入力している姿や、フードを深く被った生徒たちがこれまたフードを被った先生の授業を聞いている姿に思いを馳せるとワルな暗黒組織感もあって面白く思います。
昔、マイケルジャクソンのライブを観に来ている人たちの全員が黒いマスクで仮装している姿などもお気にです。
私は強めの花粉症なので春頃はマスクを付ける習慣はありましたがコロナ禍で多くの人がマスクの生地一枚で外界と遮断することとなります。
マスクは呼吸が苦しくなる時もありますが、付けていると何かしらの安心感を感じることもあります。
私たちが服を着るのは当たり前のことです。
顔を出したままに日常を過ごすのも当たり前。
Ai 社会となり顔認識などで絶えず監視されることをうざったく思う人が増えたり、頭部を物理的な何かで覆われていることに安心感を持つ人が増えると、頭や顔をフードや帽子などで覆うことは服を着ることと同じ感覚になるはずです。
近未来スーツやジャケットとはフード一体化されたデザインが常識となるかもしれません。
「パーカーズ時代の到来」見た目が変わること外観が変化すること、それはイノベーションであります。

 
■2021年12月26日(日)
■星をまたぐパーカーズ。
■2021年12月27日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ASA8JI(早起きの方法)」

寒波到来と共に早起きが難しくなります。
そこで寝ている間に「早起きの方法」を閃くことを期待しながら寝ます
朝8:00「ピンポーン」の音と共に夢の中から現実の世界に叩き起こされます。
目覚め 2021 12/27。
ボサボサ頭にふらふらの足元で荷物を受け取ります。

本当はね。
昨晩、外の温度計を見ると氷点下に近かったので不忍池が凍るのではないかと思い早起きのイメージトレーニングをしながら睡眠をとりました。
1)朝6時頃に起床。
2)不忍池に散歩。
3)凍った池を歩く鴨の写真を撮影。
4)その写真を「一日一文章トレーニング」としてアップして自己満足。

でも起きたのは結局8時。
横着は寒波に負け、何にもできていないし何もしておりません。
冬は横着を生み出し、横着は経済を廻します。
とりあえず先ほどコーヒーを飲みパンを食べて文章を書き始めます。
結局は冬の「早起きの方法」は配達のお兄さんのチャイム音です。

グッモーング、エブリワン。
写真は先日、電車の車窓から撮影した雪景色。

 
■2021年12月27日(月)
■カモ・パーカーズ。魅せられる鴨脚。
■2021年12月28日(火)
■一日一文章トレーニング。

「朝型か夜型か」

夏の朝は早起きです。
5時とか6時頃から起きていることもあります。
冬の朝は滅法弱くて睡眠時間も長くなります。
夜は12時来る前には眠くなり「朝も弱いし夜も弱い」。
朝も夜も弱いって人としてどうなのだろうか?と思います。
朝型か夜型かと質問されたら有名人なら「朝型」と答えることが無難な答えです。
朝型の人にはしっかりとした人間性を感じます。
何かを任せるのに十分な安心感。
常識人であることが間違いない確信。
朝型であることのマイナス要素はほぼありません。
ロックな人だと夜型は鉄板ですが、まともな路線の人なら夜型と答えることは横着な一族に認定されるリスクがあります。
「オレ夜型」とか不特定多数の中で発言することは何とも痛い気持ちになります。
ですが、私はあえて言いたい!!
夜型の人は夜行性で皆が寝静まる時にコチョコチョと何かの作業をしている面白く素晴らしい人たちです。
なので朝と夜でステレオタイプなイメージを構築することには異議を申し立てたい。

先日から横着が経済を回すと発言しましたがその真意を書きます。
横着人は初動がかなり重い。
初動が重いということは、それをスムーズに動かせる仕組みができたならば新しいイノベーションが行われます。
横着人は面倒なことを中抜きにする。
いらない作業を間引きして最低限必要な処理だけをする。
これは紛れもないイノベーションです。
横着な人は計算高い人よりも冒険した金払いをする。(me too)
世間は社会主義的な計画計算のみで動くのではなく企業のムダな投資や誰かのムダな行動により動いています。
無駄は単なる無駄ではなくて誰かの糧になります。
無駄を許容できない社会は息苦しくもあります。
日本人と言えば正確で完璧なイメージです。
ですが、本当に私たち日本人は昔から完璧な気質を持ち合わせていたのでしょうか?
私たちの住む世の中は完璧な住人だけの世界ではなく、いろんな価値観を持った人たちで成り立つ玉石混交(ぎょくせきこんこう)な世界です。
完璧な正義の仮面を被ることもなく、横着を排除もせずに市民権を与えることにより、より寛容な社会となるはずです。
すれば、新しい価値観や産業が生まれ、新しい経済循環を成すこともあるかもしれません。
公私の正反対。
棚のほこりをサッと感知するようなモノホンな人もいるでしょう。
ですが、会社や学校でしっかりした人でさえ家では隠れ横着な一族の住人も多いと思います。
2021年の年末テーマは「横着」と言うことで横着一族の末裔の戯言はまだまだ続きます。
横着な人もほどほどに許してね!!

 
■2021年12月28日(火)
■横着画。一進一退。
■2021年12月29日(水)
■一日一文章トレーニング。

「おせち」

昨日は「朝型」のことを「朝方」と入力。
文章は勢いのみで書いていますので脱字誤字「仕方」なし。

ところで。

実家から送られてきた金柑を使いおせち用のキンカンを作ります。
金柑はそのまま食べても喉に良さげな野生の風味が広がります。
ネットで調べるとおせち用の金柑には半端ない砂糖を使うみたい。
サイトによって諸説あります。
「いやいやそんなに大量の砂糖はないだろう」ということで勝手に分量を減らします。
どうせ分量を減らしたことだし砂糖の袋には丁度握りこぶし弱サイズの固まった砂糖があったのでそれをそのまま投入。
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金柑はまだまだ余っているのでどうしましょう。

【おせちのメニュー】

グリルで焼かれるオマール海老殿下1尾。
ローストビーフに仕上げられる牛塊肉。
てんこ盛りにゲットした大好物の数の子は塩抜きしてそのままボリボリ。
その他は簡易素材かな?
おせちの具材がイッパイ揃ったのでプチおせちが楽しみです。

 
■2021年12月29日(水)
■納豆に抱きかかえられる猫。
■2021年12月30日(木)
■一日一文章トレーニング。

「横着な締めくくり2021」

ワー、ヤ―、そりゃ、とりゃ、そいやー、エイヤー、よっこいしょ、どっこい、ホイ、そら、ほりゃ、ふー、へいへい、もぞもぞ、パチパチ、カタカタ、トントン、るんるん、しめしめ・・・。

「これがオマール海老だー」と言うことで私にとっての2021年・令和3年のスカスカのカニみたいな実にならない一年もようやく終わります。
※写真のオマール海老は小ぶりですが身はギッシリです。
クソ一年としてはこのぐらいの横着な締めくくりで十分な感じ。
タイ落とし。

 
■2021年12月30日(木)
■オマール海老。