■2026年5月1日(金)
■一日一文章トレーニング。

 「モナ・リザ画を鑑賞していると聞こえる音楽はある」

昨日ヴゥ~♪ヴゥ~♪コッコロコッコロと鳴き声が聞こえるものでその方向を見上げると架線の上にキジ鳩が一羽止まっている。
ガタンゴトンと騒がしく電車が通り過ぎた後の束の間の静けさの中で、鳩は長閑に歌うものだ。
私はスマホをポケットから取り出してパシャリと写真を撮る。
それはまるで楽譜のようだ。
何の楽譜かと言ってもよくわかない楽譜ではありますが、それはとても美しい譜面である。
ドはどれかな、レはどれかなと楽譜が読めないのですが何かの曲には聞こえきそうな感じの風景でもある。
そして、私の脳内では「My First And The Gimme Gimme」の「Mona Lisa」が流れている。
https://youtu.be/5xjCUVoazy4?si=nhcEd45GEXcH_aJz

「ヴゥ~♪ヴゥ~♪(鳩の声)モナリザモナリザ♪」

この曲はモナ・リザの絵を観るといつも頭の中を流れる曲だ。
昨日は我が家のモナ・リザ画をまじまじと見ていたので、すっかりとジメジメな音楽が流れている。
ヴゥ~♪ヴゥ~♪と言う鳩の鳴き声も何だかモナ・リザ的。
昔にルーブル美術館で本物のモナ・リザを観たことはある。
厳重に守られたガラスケースの中で小さな絵を見たような記憶ではありますが特段たる思い出もない。
しかし、印刷物のモナ・リザを見るといつも頭の中に流れるのはこの曲だ。

「ヴゥ~♪ヴゥ~♪(鳩の声)モナリザモナリザ♪」

モナ・リザとは誰なのか?
モナとは氏名のことではくマダムのことでリザ夫人の絵となるようだ。
そして、モナ・リザの絵を見ていると流れるジメジメな歌はMona Lisaの歌。
なぜ?リサがリザと濁りて発音するのか皆目わかりませんが「Mona Lisa」で「モナ・リザ」読みで良いようだ。
それだけ謎に満ちた微笑みでもある。

さっそく、私はCDを掘り返してジメジメの歌を聴く。
そして、CDを見つけて開封するとCDが飛び出すもので落ちないようにギリギリでキャッチする。
ケース内でホールドする留め具は折れておりCDはカラカラと自由運動して飛び出す。
危ない、危ない。
CDケースは落としたり衝撃を加えると中のホールド部分が折れてしまう。
よく聴くCD程にケースの中のホールド部分も折れるもので、時折、昔から新しいケースにお引っ越したくも思う。
さっそく、ネット検索すると丸ごとCD空ケースや中のトレーだけでも売っているもので、固定するシールのような便利物もある。
しかし、空ケースや中のトレーだけを購入したとしても「COMPACT disc DIGITAL AUDIO」なロゴが無いものでそれはそれで少し嫌だ。
やっぱり、ロゴはあった方が良いし、そのまま放置の折れたままのCDでいいやと思う。

笑顔とはとても偉大である。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/76/Leonardo_da_Vinci_-_Mona_Lisa.jpg
万人にいつまでも微笑みかける人と考えても、モナ・リザさんは長年絵画を通して孤独に神秘的な微笑みで人々を魅了してきたもので、その功績は偉大だ。
モナ・リザさんの笑顔をじっくりと見ていたならば少しばかりの般若のお面のような鬼を含むような笑みにも見える。
または、写真の時の「ハイチーズ」のニッコリ顔のようにも見えて、もし、モナ・リザさんが歯を見せて笑っていたならば、どのような感じになるのだろうか。
口の中が見えると開放的かもしれないもので神秘性は減少してしまう予感である。
そして、絵の具のひび割れがとても素敵な感じでもあり、無数のひび割れた絵の具のノイズによりこの絵の魅力はましましに増し上がる。
ツルッとした表面であれば魅力も半減し、昨日の紫外線で薄くなった我が家のモナ・リザ画の修復でもツルッと感じに味を感じなくなるのものだ。
ノイズがないものはデジタルデジタルとしたツルッと感でもあり、ノイズには聴きざわり、見ざわりな心地よくないノイズも多いものですが反対の心地よいノイズというのも確かにある。

 
■2026年5月1日(金)
■A.走る。
■2026年5月7日(木)
■一日一文章トレーニング。

「やかんを磨き私の心も幾分晴れやか」

おれはやった、やったのだー。
ゴールデンウィークは何故か朝5時頃から早起きしているもので、普段では絶対に起きない時間帯から活動していた。
朝5時から活動することは朝も4時ぐらいからもぞもぞと布団の中で動くもので今日は7時起き。
徐々に朝型となる予感の何だか妙な早起きな休日である。
そのような休日な空気も溢れる街に響く音はただ一つ「ゴシゴシ・ガシガシ・ジャージャー」とやかん磨きの音。
近所迷惑にもならない磨き音は「トーキョーは朝の5時」とただただやかんに磨きを入れるだけの無心の音。
私は心を静かに無となりて丁寧にやかんを磨く。
何かを磨くと心とは何なのかの心は妙に落ち着く。
これやもしや茶道、書道、剣道、合気道、柔道、華道・・・と続く「磨き道」かもしれない。
やかんは漢字で書くと薬鑵(缶)のやかんで、やかん磨きとは夜間ではなく早朝5時から磨く薬となるやもしれぬお作法だ。
朝からこんなにも活動的に動きさぞ有意義なゴールデンウィークとなったのかと思えば、上野とか言う汚い街に行っただけの本当に何でもない祝日でもあった。
羽毛布団は天日干してふかふかとなる。
しかし、まだまだ肌寒く思う時もあるのでまだまだ夏布団には切り替えていない。
もうすこす季節も進む梅雨入り前にもう一度天日干しして冬布団を完全に仕舞いたい。
そう言えば、毎日の我が部屋の室温水温データによると令和8年5月2日(土)に季節の変わり目を計測した。
そして、令和8年5月4日(月)には今年始めての室温のカラカラ乾燥も計測した。
冷蔵庫の中のお掃除はちょっとやる気がなくて来年の寒い時期にすることにしたが、やかんはまるで小豆洗いのような勤労ぶりを発揮してキレイに磨く。
小豆洗いは単にジャラジャラと小豆を洗うだけの人畜無害の妖怪で、我が家の皿洗いの業務は小豆洗いの妖怪業者にお願げーしたい。
つまり、私はゴールデンウィークの最中、朝もトーキョーの朝5時から熱心に一年間の積もり積もった油汚れとサビをゴシゴシと磨いたもので、私の指は長時間風呂に入ったようにしわしわとなる。
そして、我が家のでっかいおやかんは1つはお茶作り用で、もう一つはお湯沸かし用の2つの大谷流派の二刀流で、最初のやかんは眠気眼に何の考えもなくガシガシと磨く。
円を描きながら磨き、縦や横とサビや油汚れを自由な方向に磨けば磨き目の方向を揃えることもないもので若干鏡面度も曇りがち。
さっそく、パシャリと接写用カメラでその磨きぶりを撮影すると磨き目は揃っていない。(写真参照)
2代目のやかんからは磨き目が一定になるように磨き鏡面度も上昇する。
次のやかん磨きの時には磨き目を揃えて磨こう。
覚えているかな。
そして、スチールにこびり付いた頑固の汚れやボンスター磨きの届かない細かい場所は爪楊枝を使ってこすり落とす。
取っ手の金具の裏や隅々まで爪楊枝でこすると尖った先端が筆のようにふさふさとなり、その木製の繊維がさらに細かい汚れをこそぎ取りキレイに落とすもので結構本気のピカピカ。
やかん磨きにボンスターと爪楊枝は必須の理でお陰様でおやかんはピカピカの新品のようになる。
いやいや、新品は言い過ぎの年季の入った良く磨かれた愛着も深まるおやかんである。
やかん1台の磨き時間は45分ぐらい。
エルデンリングナイトレインの1ゲーム×2台分の90分の長丁場だ。
途中、チョコベビーやコーヒー飲む休憩時間を挟み磨き終わってもまだ7時台の超朝活となる。
ふむふむ、このようなヒルズ的な意識が高い朝活をしてしまい我ながら怖い。
因みに、こんなにも大切に使っているおやかんは何のお洒落度も無い街の金物屋で普通に売っているリーズナブルな日本製のおやかんです!!

と言うことで、

昨晩の晩御飯は美味しいハンバーグであった。
ジュージューと草履みたいな大きなハンバーグをピチパチと油でしっかりと焼き目を入れて焼くと油がキレイに放物線を描いてやかんに飛ぶ。
「あーあー」
磨いた直後のやかんにハンバーグのパチパチ油が飛べば何だかショック。
さっそく我はやかんの表面をアルコールで拭き取り、油が飛ばない場所にやかんを避難して移動させる。
あと幾日程、そのようなやかんの汚れを気にかけるような日々も続くものかな。
もはや、私はやかん磨きの朝活も出来る程に意識も高くもなり、いくら愛着がましましと言えども油飛びも気にせずにやかんは気楽に使いたい葛藤との板挟み。
これからの季節は水もぬるくもなってやかん磨きも気楽に実施できる。
汚れたらまた再び磨けば心も落ち着く「磨き道」でもあり気楽に使いたいおやかんである。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年5月7日(木)
■おしゃべりなバード。
■2026年5月8日(金)
■一日一文章トレーニング。

「ゴールデンウィークにしたことは全く吸引力の無くなったダイソンを修理する」

いやいや、最初は壊していたと言うべきなのか分解していたならば自力で何だか直ってしまった掃除機である。
掃除機は電源を入れると「詰まりエラー」が表示されるもので、これは電動ブロワーで吹いて内部掃除した後に壊れてしまった全く吸えない掃除機である。
目詰まりエラーはブロワーの勢いで壊してしまったのかと思っていたもので掃除機は何年もの間、部屋の文鎮として置かれていた。
使えない掃除機ほど邪魔なモノもない。
どうせ捨てるのであればモーターや基盤、バッテリーを取り出してから捨てようと思っていたもので、これはゴールデンなウィークに取り組む案件でもある。
さっそく強力なモーターを取り出す為に分解を始める。
まだまだバッテリーも劣化も感じられなく、これらパーツは取り出して何かの二次利用したい。
さっそく星型のねじを回して掃除機をバラバラに分解だ。
最近のパソコン類や外国製品でも特殊形状のネジは結構使われることも多いのですが、そのようなネジを使う理由も多少気になるので今度調べてみよう。
パーツを外して掃除機の中心部分をパカッと開けると中には細かい塵がたくさん溜まっている。
この溜まる塵が故障の原因のようで、これだけの細かい塵が内部に溜まればそりゃー目詰まりエラーも起こるものだ。
開封した1本のネジに細かい塵がたくさん蓄積していたもので迷探偵はこのネジ山が細かい塵の侵入口だと推測する。
使っている間にネジは緩んだのか、出荷段階からの緩みの可能性もありますが、内部に溜まった塵はパンパンと叩いて取り出す。
頑固に残る塵は電動ブロワーで吹き飛ばすと本来ゴミが溜まってはいけない内部はこれでピカピカ。
もう1度元に戻して組み立て直せば何だか動きそうな予感でモーターや基盤を取り出すのを止めて再び組み上げる。
ネジもしっかりときつく閉める。
そして、電源を入れると普通に作動して直った!直った!良かった!良かった!
壊れた掃除機を使用している間は今の軽い掃除機を使用していたもので、この掃除はこんなにも重たかったけーなーと思う。
ネット情報によると壊れた掃除機は約2.6kg、今使用している掃除機の重さは約1.7kg。
時折、母が「掃除機が重い重い」とよく言っているもので、なんで掃除如きが重いのかと思うものの、軽い掃除機に慣れると鉄アレイの如く重い筋トレ掃除機である。
その差たった900gなのかと考えてもほぼ1kgでもあり、やっぱり持つと目茶目茶に重くも感じる掃除機だ。
持論ですが、重い段ボールや在庫をたくさん運んできた経験から言うとモノを持って重いと感じる時には握力の減少を感じものだ。
握力をグワーッと力入れてこの3kg弱な掃除機を持てばそんなに重く感じないもので、手の筋力というか握力や足の地面をしっかりと掴む力は老後も維持したい。
それでも、次に買う掃除機は重量1.7kg以下の重さの掃除機を選びたいもので、この修理した掃除機は現役復帰して再び置き場に困り事務所に持っていくこととする。

ということで、

ゴールデンウィークの暇人は修復したダイソンをデスクにドシンと置いて模写した。
結構、保証期間外のすぐに壊れて放置状態も長く続いた掃除機で何の愛着も思いれも全く無いものすが、見た目の形状が面白いので詳しく観察する。
描く部分で面倒な部分は吸引するパイプ部分。
あのうねった部分を正確に描く手間はなかなかの大変さで、この絵の半分はこのパイプ部分に時間をとられているような気もする。
このパイプは内部構造にすればもっとすっきりとしたシンプルな形状にもなりそうですが軽薄短小とコンパクトしようとすればする程にこのようなパイプ部分が見える形状となるかもで、それがダイソンらしさのデザインかもしれない。

  

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年5月8日(金)
■にゃんだむ。