*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月7日(水)
■一日一文章トレーニング。

「これがオレのTシャツ」

あー長―い長―いオレらのゴールデンウィークが終わる。(チーン)
皆が遠出をしたり、近場を巡ったりしている間にも我の世界にもいろんな出来事があった。
先ず、長―い長―い旅をしている間に再生・栽培・デ・グレート・挿し木(SSDGS)の桜の枝が枯れてしまった。
水やりも怠れば植物たちも枯れるもので、桜の挿し木で増やすことに今年も失敗。
そして、拾った種から芽吹く2本の若木の1本も枯れる。
拾った種から芽が出ることはとても奇跡的なことでもあり残念だ。
土が繋がる自然界の庭と違って、鉢育ちの植物たちとは水やりを怠れば枯れてしまうものである。
一つの鉢に適当に植えた種から2本の謎の木の芽が出て、その1本だけが生き残る。
枯れた植物は仕方が無いので、残った1本は桜の挿し木に失敗した大きな鉢に植え替える。
新しい器にお引越し。
1メートル超級の桜の挿し木に失敗した大きく深い鉢に移転したので、樹木の大きさから鑑みると1メートルぐらいは大きく育って欲しいものだ。
樹木系の植物は見た目と同等サイズの根っこが広がっているかもしれないもので、「大きく育て謎の木よ」と呪文をかけて鉢植えする。
それ以外の植物たちは放ったらかしでも元気に枯れずに育つもので、植物たちとはとっても不思議なものだ。

不思議と言えば、ゴールデンウィークの気候も寒暖差に高気圧・低気圧と暑かったり寒かったりで忙しくて不思議な気候である。
これが春の天気なのかと、ふむふむと我が家の冬布団に冬のコートたちも強い紫外線に当てて天日干して完全に仕舞う。
オレはやった!byダクソでグッバイ冬!なのだ。
そして、布団がすこす寒くて包まってぶるぶると震えながら寝ている。

そうして冬物たちが視界から完全に消えると、ネクストシーズンのTシャツが不思議と欲しくなるものだ。
おまいらがブティック・スコスショップで洋服を買わないので、我が社もTシャツを外部委託で大量生産出来ないものだ。
我は仕方がないのでTシャツに手描きで直接描く。
世界でたった1枚のTシャツ
誰ともかぶらないTシャツ。
シルク印刷とは異なる手描きのTシャツ。
ゴールデンウィークに作るべきTシャツはコレだ。
先ずはGUに無地のTシャツを買いに行く。
余計な服も購入して、ついでに街の薬局屋でハードスプレーも購入する。
なぜ?Tシャツを手描きするのにハードスプレーが必要かと言うと、布にそのまま手描きするとインクが滲むのだ。
滲んだインクの絵とは結構不気味なホーラー感が漂うもので、それは皆の笑いを誘うものでもある。
なので、そのような滲みを避ける為にも描く前のTシャツにハードスプレーをプシューとたっぷりとふりかけてから描く。
購入したのはケープの無香料「FOR ACTIVE」。
何やらケープ史上最強キープのようで、我の頭髪にハードスプレーしてボリュームアップする。
「さあー」夜の街に繰り出そうな気分になるものの、「待て待て」とそこはTシャツに絵を描くのだ。
Tシャツに絵を描くのにハードスプレーで頭をツンツンとハードにすることはTシャツペインターにとっての常識かもしれないもので、ヘアーがハードでないTシャツ描きとは「もぐリスト」かもしれない。
ということで、
完成したTシャツがこれだ。(写真参照)
血走った目のウサギさんが88のスケートに乗って滑り、5月5日のゴーゴーなかわいい子どももローラースケートを履いて引っぱってもらう構図。
これは間違いなく世界に1枚にしかない素晴らしきTシャツで、ジークアクスのスピード感に影響された名作なのである。
早速、家族に自慢すると「これいいーじゃん」と褒めてくれるもので、「なら、これを着てもいいよ!」と言うと笑顔で完全拒否される。
仕方が無いので、私がこのグットルッキングガイたちが描かれたTシャツを着て街に繰り出し、そして、ビンテージTシャツにしてから値段を釣り上げてスコス・ブティックで売る!
オレが着てビンテージにしてから価値を高め店で売る!
なんじゃ?このサイクル!!完璧すぎる!!一石二鳥!!
有名人がこのTシャツを着たらこれはバズるなーと邪心も芽生え、市販されているTシャツと我が手描きするTシャツの差とは何であろうか?と考えるものだ。
近場で見ると滲んだり、カスレたり、インク汚れがあったりとロック感は十分だ。
地球人にはこの良さが伝わるのは30日ほど早いかもしれない。
わらわが今年着る夏のTシャツは全部、手描きのTシャツを着て過ごそうかと思うもので、「安い米」な政治スローガンや血走った奴らに謎のメッセージを描いて自己主張して過ごす暑い夏。
因みに、アパレルショップ・スコス・ブティックとはスコスの世界にしか存在しない。
しかし、ここに確実に存在するTシャツファンタジーなのである。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月7日(水)
■うさぎダイヤル。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月8日(木)
■一日一文章トレーニング。

「わたしは冷蔵庫の中に宇宙を見た」

昨日、モノを取ろうと脚立を設置して登るとドアの上の枠の部分に頭を>>ゴッツン<<とぶつける。
「痛たたー痛たたー」と脚立の高さ分の痛みを味わう。
速度はよっこいしょという感じのゆっくりですが、脚立を上る分だけの力も加わってとても痛い。
脳細胞数十個の接続が切れたかもしれないので再び接続し直す。
たんこぶが出来たのか?たんこぶは出来ない。
宇宙を見たのか?宇宙も見ない。
くるくると星が回ったのか?星も飛ばない。
何かのスイッチが入ったのか?テンションだけは高くなり、体温を計測すると36.6℃と少し高め。
そんなにも強い衝撃ではないものの、予期せぬゴツンで一人悶え苦しむ。
1年に1回はどこかで頭をぶつけるもので、1年に数回は椅子の足に小指をぶつけて悶える。
私はこのようなプチ苦痛の学習効果は低いもので、いつもどこかで不注意で小さな痛みを積み重ねるものだ。
年老いたらならばそのままくわばらとなるかもしれないので、年齢を重ねるごとに縦収納とは少しずつ減らす必要はあるのかもしれない。
それとも老いると小動物のような速さで動かなくなるので必然的にぶつけることもないのだろうか?
「宇宙は空にあると」byブラッドボーン聖歌隊が言っていましたが、宇宙に触れることで新しいドアが開くことはあるのかもしれない。
ですが、痛みとはドカーンとビックバンを起こしてから徐々に痛み和らぐもので、そこに広がるのは痛みのみだ。
ただただ、ズシーンと鈍く重い頭の痛みは顔を真っ赤に火照らせて、一人で頭をさすりながらその痛みに耐える。
(まわりは真顔)
この痛みとは誰かと共有したい痛みでもあるので、他人の誰かにもお裾分けしたい。
しかし、そのような人の痛みを共有できないことは幸せかもしれない。
知覚、視覚、聴覚な情報や食べ物の味覚などは共有できますが、痛みな触覚だけは共有できない自分だけの痛みでもある。
人の痛みがつぶさに感じ取れるような感受性の高い人間となれば、毎日痛すぎて耐えきれない人生になるかも。
痛みとは肉体の悲鳴でもあり、苦痛は休んでしまえーという合図かもしれないので痛い時には我慢せずに休むに限る呆則だ。
ゴールデンウイークも終わったばかりなのに何を言っているのでしょうか。

ということで、

頭をドアの上枠にぶつけても宇宙を見ることはありませんでしたが、賞味期限切れのゼラチンの粉を見つけてコップの中に広がる小さな宇宙を見る。
ソーダの泡がぷつぷつと小さな星を作り、イチゴやブルーベリーが赤い銀河や漆黒の紫の惑星を作る姿は正に息を呑む美しさだ。
もう食べてしまいましたが、ちょっとの間だけ我が家の冷蔵庫には確かに宇宙は広がっていたもので、これはゼラチンの箱の中に入っていた「ゼラ活レシピ」のスパークリングセリーのフルーツパフェのレシピを見ながら作ったものである。
ゼラチン料理とは時折、思いついたように作るのですが一度作るとそれで満足してゼラチンの粉の存在を忘却してしまうものだ。
我の日記を思い返しても、どれだけ消費期限切れを起こしているかとの問題ですが、今回も難なく消費する。
これはフランス料理のジュレを作ろうと思いて作った粉かもしれないし、本格的なフランス料理に必要な食材とはスーパーではほとんどゲット出来ないのでド!江戸料理となる。

1)イチゴを洗い細かく裁断、冷凍ブルーベリーも用意する。
※本当はオレンジも必要でしたが、オレンジは高かったので購入しない。
2)熱湯100CCにゼラチンの粉2袋を投入して、よくかき混ぜる。
3)容器の中にイチゴとブルーベリーを投入し、おまけに乾燥フルーツも入れる。
4)400CCのサイダーに溶かしたゼラチンを加え、かき混ぜる。
5)そのサイダー+ゼラチンを果物の入った容器の中に流し込む。
6)冷凍庫で10分急速冷凍。
7)冷蔵庫で30分冷蔵庫に入れて冷やす。
※出来たかと冷蔵を開ける度に美しい宇宙を見せてくれる。
8)生クリーム80gに砂糖大さじ1入れて撹拌し生クリームの泡を作る。
9)完成した生クリームはヨーグルト20gを加えて混ぜる。
10)ゼリーの上に生クリームをのせてイチゴとブルーベリーを飾れば完成だ。

果物や生クリームが加われば何でも美味しくなるもので、私は生クリームとは甘いお菓子の為の「出汁」だと思っている。
とりあえず、生クリームが追加されれば何でも美味しくなるもので、好物でもないパンの上に生クリームと蜂蜜をかけるだけでも美味しい。
小さな頃に謎に「生クリームが嫌い」な口癖なお友達がいたもので、私も何か感化されるもので生クリーム嫌いと口にしていた。
当然、生クリームのことは何も知らない。
これは高級な味の生クリームの魅力を小さな頃から学習させないようにする親たちの策略かもしれない。
生クリームとは何に足しても美味しくなる魅惑な宇宙の泡なのである。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月8日(木)
■頭の中の宇宙。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月9日(金)
■一日一文章トレーニング。

「スプリット・フィクションで遊んだ・・・面白かった!」

夜の街に帳が広がると家々にポチポチと窓に明かりが点灯し、さらに闇も深くなり時間も進めば窓の明かりも逆にポチポチと消灯してさぁ~ゲームの時間だ、いやいや、睡眠のお時間だ。

夏布団にかえてからブルブルと寒さに震えながら布団に包まり眠るものだ。
そして、朝晩途中で目覚めることも多い。
暑くなることもあって布団から這い出る時もある。
そこで、昨晩から冬用のモフモフのボアのついた布団カバーを取り出して来て夏布団+冬布団カバーで寝る。
この季節のお布団事情とはとってもセンシティブだ。
せっかくキレイに洗濯し仕舞った冬用布団カバーを再び出すのは勿体ないことですが、寝ているとやっぱり寒く、時に暑くもあるのでボアのついた布団カバーを取り出して使用する。
これは何だかデジャブだ。
去年も一昨年も毎年同じようなことを繰り返しており、結局今年も同じような温度調整をしながらこの時期を過ごす。
結局、私の中の感情や行動のほとんどはこの「暑い寒い」に影響されるもので、一年中「暑い寒い」と言っているのが私の真髄でもある。
寒冷化・温暖化の気候変動によりゲルマン人や縄文人は大移動し歴史は動いたのかもしれませんが、生物たちの生息圏も移動して地球の生態も変化して来たことを考えると「暑い寒い」とは生物たちにとっても重要な要素に間違いない。

全く関係ないけれども、宇宙に大移動した人類のジークアクスの世界が最終的にアムロとマブ探しに出かけた赤い彗星のシャーがマブになる物語だと勝手に妄想している。
知らないけれども・・・。

睡眠の中で夢や痛みの共有はできませんが経験という名の体感の喜びや苦楽は共有できる。
写真はゲームの「SPLIT FICTION」。
フィクションの精神とは果たしてどのような物語かと思うのですが、ほぼ暑い寒いで出来た私のほとんどもフィクションである。
SPLIT=?
二人で遊ぶ「It takes two」の新作が発売されていたので購入して遊びますが、今回は作家さんの頭に侵入してアイデアをまるごと盗もうとする悪徳出版社を舞台にした物語のようだ。

プレイステーションマークのロゴがある。
よーし!
ビリビリと開封!

ゲームを一緒に遊ぶ仲間もいる。
よーし!
スイッチON!

ということで、

早速スースーヒヤヒヤなスピード感溢れるゲームの世界に没頭する。
あっという間の1時間を「共有」するもので、「時間の中の経験」とは他人と共有できるものだ。
画面は自分用と協力者用の画面に分割されていて、ついつい相手の画面を見ながら操作してしまうので失敗する。
失敗してもすぐに近場からゲームを開始できる点もテンポ良く好き。
※共通の画面になることもある。
視点の違いを感じる感覚も不思議で面白い。
一緒にゲームを攻略する為に相手がやって来るまで待っていたり、気遣いや、攻略方法を教えたり、一緒に難問を考えたりとコミュニケーションも必要。
ゲームとはソロプレーでも十分に面白いのですが、NPCではない生身の人間と一緒に遊ぶことで同じ時間と経験を共有して、さらに面白くなるのがゲームでもある。
ゲームは一人でも遊べますが、やっぱり仲間とわいわいと遊んだ方が楽しいもので、人生のゲームも人とコラボレーションしながら共有する時間の方が楽しいような気がする。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月9日(金)
■fountain of wayneを聴きたい♪

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月12日(月)
■一日一文章トレーニング。

「冷凍庫の中には無駄に凍っている保冷剤が結構あるように思う」

先日作った美しい宇宙を作り出すゼリーにいい気になり、今回は緑色のソーダーと透明のソーダーの2層を織り成す美しいゼリー作りにチャレンジする。

そして、今回は無惨に失敗。

先ずは粉ゼラチンの分量と水の配分の文章に対する読解力が足りなかった。

粉ゼラチンの説明書には、
一、「1袋14gの粉ゼラチンは水カップ2杯半(500ml)を標準とする」と書かれている。
二、「お好みにより水加減してご利用下さい」と書かれている。
三、「1袋14gの粉ゼラチンでゼリーを作る時には5倍の70mlの水に混ぜて使い約10分間ふやかす」と書かれている。

粉ゼラチンと水分と比率は完全なる自由とも読めますし、私の頭の中は完全に混乱する。

先ず、前回はお湯で粉ゼラチンを溶きましたが、今回の粉ゼラチンは水で溶くと書いている。
なので、その中間の間を取りぬるま湯で溶く。
何より標準の500mlで粉ゼラチンを溶くのか?70mlで溶くのか?悩む。
分量の多い方が得かもと考えて標準の500mlで溶くのですが、ゼラチン難問の解は完全に間違いだった。

「これっくらいの~ガラス容器に~緑色のサイダーとゼラチンをちょいと詰めて、イチゴさん、ブルーベリーさん、ブドウさん♪」と作りあげていく。

そして、冷凍庫に入れて急速冷凍でゼリーが固まるのを待っていると、「あれっ?」ゼリーは固まらない。
目視では固まっていないように見えるだけで本当は固まっているかと思いて、追いの透明のソーダーゼラチンを投入すると、完全に緑色の液体と混ざり合い完全な緑色のドリンクとなる。
「あー失敗したのだ~」ゼラチンの量は少なくて凝固しない。
これは完全なる失敗で、粉ゼラチンは70mlで溶くのが正解で、後から読み返すと確かにゼリーは70mlと書かれているものだ。
我の読解力不足ではありますが、標準の500mlとゼリーの70mlの違いって何でしょう?

仕方が無いのでゼリーのことは忘却し「SPLIT FICTION」の旅に出かける。
SPLIT FICTIONでは誰も苦戦しないような猿のダンスに苦戦し、太陽フレアの大爆発に溶けて阿鼻叫喚。
何度も詰んだような気がするものの、協力者がいると何とか乗り越えることが出来るものだ。
この週末に1/3ぐらいは進行したようである。
「It takes two」をプレイする時にはいつも思うのですが、右や左、ジャンプに□ボタン連打(ダッシュ)と悪態をつきながらの協力プレイは大変ですが、ゲームをクリアするとそのようなことも忘れて面白い。

ゲームも休憩時間で数時間か数十分か長―い時を経て忘れた頃に冷蔵庫を開けると、ゼリーは固まっていた。
一様、謎の緑色の液体はゼリーの体を成して良かった、良かった。

そして、冷凍庫に入ったゼリーは開け閉めの度にこぼれていたようで、凝固してガラスコップと共に冷凍庫の底に固まってくっつく。
こぼれたゼリーを拭き拭きと、糖分を含むゼリーの残骸は凍りてベトベトとはしませんが、凍らしたパンの粉などとも混ざり合い汚い。
仕方が無いので切り替え室・冷凍の中身を全部出して掃除する。
凍庫の中には全く使っていない凍らしたままの保冷剤がたくさん入っているので、それらや冷凍庫内で凍らされている食べ物の全てを取り出して洗浄する。
この前、冷蔵庫は気候の寒い内にキレイにする!とドヤっていましたが、保冷剤に全く関心がなくて草である。www
保冷剤は紙製のものは捨てていますが、ビニール素材のものは捨てずに冷凍庫に保管して非常時の防災品とするもので、こんなにもの大量の保冷剤はいらない。
ゼリーのついた保冷剤や、そうでない保冷剤の全部を取り出してボウルの中で洗浄するとボウルの水はキンキンに冷たい。
ついでに切り替え室の容器自体も取り出して丸ごと全部洗浄し「オレはやった!」byダクソなのだ。

我が家の冷凍庫「切り替え室(冷凍)」の中に埋もれていた保冷剤の数と重さは下記の通り。

保冷剤大×3個
保冷剤中×18個
保冷剤小×9個
保冷剤の合計は30個
重量は約1.6kg

結構、ズシッと重く狭い冷凍庫内スペースを占領して圧迫していたもので、また、保冷剤は変形して凍って固まるので思うよりもさらに幅を取って邪魔になる。

恐らく、どこのご家庭にも大量の保冷剤がプールされているかもしれないもので、冷凍庫を圧迫する保冷剤を取り出すことは冷凍庫収納のアップに繋がる。
これはあくまでも、切り替え室(冷凍)の保冷剤の数で、本家の冷凍庫にはアイス枕やその他保冷剤がまだまだ入っていると思われます。
次は冷凍庫の保冷剤やアイス枕などを整理して収納力をアップしたい。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月12日(月)
■そんなゾウ。
■2025年5月13日(火)
■一日一文章トレーニング。

「ゼリーを作る時、私の頭にはfountains of wayneの曲が流れている♪」

最近ゼリーを量産していますが、これは粉ゼラチンを溶かし、成形したコラーゲンを摂取することでもある。
厳密にはコラーゲンに熱を加えて分子をバラバラにした状態をゼラチンと言い、食品として摂取する分にはコラーゲンもゼラチンも同じ成分のようだ。
コラーゲンは人の体内にもっとも多く含まれるタンパク質で、細胞と細胞の隙間を埋める接着剤のような仕組み。
体内ではコラーゲンの分解と合成が常に行われており、そのバランスが崩れると細胞と細胞を接着するコラーゲンの力も弱くなり皮膚はシワを作り、骨や関節は痛んで老化するらしい。
加齢とは新陳代謝が追いつかないコラーゲン不足の老化現象の一つで、ゼラチンなどのコラーゲンを摂取することによって、それなりに美容と健康の側面で効果は期待できるようで、時折ゼリーを食べることは良いことだ。

先日は若さと老化の境界線は精神的な見た目の若さの「人生の分岐点のある・なし」かもと考えましたが、「コラーゲンのある・なし」とは物理的な見た目の若さの境界線かもしれない。

精神的な見た目の若さ=「人生の分岐点のある・なし」
物理的な見た目の若さ=「コラーゲンのある・なし」

単に層を成すゼリーの宇宙の広がりを作りたいだけだったのか?
ゴースあるいはゴムスよ!と我にもっとコラーゲンを与えたまえと体がコラーゲンを欲しるのでしょうか?
詳細はわかりませんが消費期限切れの粉ゼラチンを消費することで、ゼリーはマイブームにキターー。
私の体内でも血と肉となりコラーゲンは一時的に増えたのかもしれない。
今さら精神的な分岐点を増やし、コラーゲンを摂取して若作りをすることは痛いことかもしれないが、年相応の健康と体を保つ為にも体にコラーゲンは必要なのかもしれない。
勿論、私はコラーゲン関連会社の回し者でもなく、年老いても健康で肌艶の良いことは理想的な老い方でもある。
そして、ゼリーを食べたからと言って、いつも通りに爪はササクレているし、特段若返った感じもなく、もともと体の痛みもないので効果もわからない。

ということで、

まだまだゼリー熱は冷めないもので、昨日は事務所からゼリーを入れて固めるクマのプーさんのガラス容器を持ってくる。
ゼリーは一つ一つコップに入れて作ると冷蔵庫や冷凍庫のスペースを占有するものだ。
冷蔵庫の開け閉めの振動でゼリーがこぼれたり、冷蔵庫内の食品をテトリスのように積み上げてスペースを確保する手間も面倒。
そこで、プーさんの容器一つでゼリーを作ればコンパクトにまとまる算段。
容器の容量を軽量カップで計測すると500ml分のゼリーをゆったりと収納できる大きさで、次からはこの大きめのガラス容器を使ってゼリーを作り、取り分けて食べようと思う。

冷蔵庫も私のキャパシティーも有限なのだ。
冷蔵庫の中身を見ればその人の内面を垣間見ることはたぶん出来る。
毎日の食と繋がる冷蔵庫とは恐らくその所有者の内面の情報がたっぷりと詰まった箱なのである。

1つの容器で作るゼリーとは盛った時に見た目はすこす悪いのですが、コラーゲンは確かに含まれているもので一石二鳥だ。

そして、ゼリーを作っていると頭の中に「fountains of wayne」の曲が流れる。
なぜ?この曲が流れるのか?と不思議ですが、これは恐らくソーダーファウンテンなネーミングのイメージから来ているかもしれない。
異国の色とりどりなジャンクな液体、半透明好きはゼリーの透明も大好きで、そこから溢れ出すソーダの宇宙がソーダーファウンテンする素敵な響きと共鳴するのかもしれない。

【fountainの意味】
小川の源泉、飛沫となって空中に流れ出る水、または、上昇する水、水が押し込められるパイプ、飲用噴水のソーダーファウンテン、比喩としてあらゆるものの源、起源、a fountain of wisdomで知恵の泉(因みに、王冠はthe fountain of honourで名誉の泉)
そう言われれば、確かに王様の被る王冠とは水面で跳ねる水しぶきのようなカタチをしている。
王とは名誉の泉を頭に浴びて人の上に立つ人かもしれないもので、王冠の造形からそのような意味を感じ取る。

万年筆もfountain penで自動にインクが送り出される機構の言葉だ。

ソーダな泡のある宇宙広がるゼリーを作れば、普段は見えないfountainな瞬間な水の溢れる状態が固定されるもので、そのような水の止まった状態が私の好きなゼリーの面白さかもしれない。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月13日(火)
■王冠の源泉。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月14日(水)
■一日一文章トレーニング。

「西洋の王冠は人々からの尊敬の水が頭上に落ちて泉と広がる滴りを模していることが面白い」

本当に人々から名誉な尊敬を受けていたかはわかりませんが、カタチとして戒めとして頭にかぶる意味はありそうだ。
現代の王と言えば総理大臣、大統領、最高指導者などでもありますが、世界を導く権力者の頭上にそのような名誉な王冠はあるのだろうか?
恐らく、この世界にそのような王冠の楔を意識しているような人物はいないと思う。
ならば、栄誉な水が常に滴る冠を被らない王とは何かと考えれば、それは無位無冠か、はたまた、恐怖の泉を滴る独裁者の二つしか思いつかない。
その両方とも私達にとっては絶望でもあり、権力者の頭上に決して栄誉の水は降り注がない。
個人的には国の頂点に立つ人物とは常にそのような名誉の冠を意識して隅々も照らす灯明であって欲しいものであり、また、冠の意味を失った権力者とは不幸かもしれないし、国民にとっても不幸なLOSEーLOSEである。

日本ではいつ頃から人々の頭上から被り物が消えたのでしょうか。
古くだと烏帽子(えぼし)などがそのような類かもしれない。
烏帽子の面白いところはカラスという名の黒い帽子を被るということで、貴族から庶民まで皆、烏帽子を被っていたようだ。
明治維新後は髷(まげ)を切った空虚感からなのか、はたまた、単なるファッションなのか?知る由はありませんが西洋のシルクハットを被った絵や写真は見たことはある。
昔は今よりも帽子をかぶった人は多いような気もする。
今だと、スーツなビジネスに帽子を被るような人はほぼ皆無で、政治の世界でも麻生さんぐらいが冠の楔かもしれない。
とりあえず、深くキャップをかぶりサングラスにマスクの有名人は名誉の冠の呪を被るものだ。
直射日光を避ける我々庶民もいつも深く帽子を被り太陽光フレアに晒されながら移動するもので、確かに帽子には幾分かの安心感はある。
1)お金や大切なものを収める懐(ふところ)、2)怒りを収める腹(はら)、と感情を直接脳に直結しない壁は現代人が失った古き伝統かもしれませんが、第3)の頭を直接に守る戒めの冠ってのもあるのかもしれません。

フランスではそのような栄誉の王冠を被れる時が1年に1回あるらしい。
それはガレット・デ・ロワ(Galette des Rois)というお菓子を食べる伝統行事で、本で読んだだけなので、食べたことも、実物を見たこともないので間違っていたら御免なさい。
ガレットとは丸いカタチのお菓子の意味で、ロワは王様の複数形でイエス・キリストが誕生した時にベツレヘムを訪れた東方の三博士(王)のことを指す。
東方の三博士と言っても誰なのか?全くわかりませんが、1月6日に祝う公現祭というカトリック教徒の祝日に丸い伝統菓子として食べるようだ。
当時はパン屋さんしか販売する許可がなかったようですが、ケーキ屋さんでも販売できるようになり広く浸透したようだ。
ケーキはその場にいる人数+1人分で切り分けて、最年少の子どもがテーブルの下に入りどのピースを誰に配るのか決めて、余った1切れは神や不在者、貧乏人の一切れと呼ばれ、門を叩く訪問者や戦争で不在の家族の分となるようだ。
ケーキを食べるとその中にフェーヴと言われる小さな陶器の玩具が入っており、それが入っていた人物が王冠をかぶりて王様や女王様と皆から祝福されるようである。

写真はガレット・デ・ロワの文様が面白かったのでメモったもの。
クローバーは幸福、太陽は生命力、麦は大地の恵みを表し、焼き菓子に素敵な文様を刻む。
「the fountain of honour」の滴もそうですが、身近なものに意味を見出して図像化するのが面白い。
私が興味を持った部分はケーキを食べる「食」が、伝統行事のイベントとなり、フェーヴを見つけた者が王となりて王冠をかぶり祝福されて、また、フェーヴを集める楽しさもあり複合的に様々な仕掛けを見つけるものだ。
やはり、文化とは面白い。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月14日(水)
■ビーーーム。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月15日(木)
■一日一文章トレーニング。

「烏(カラス)の言葉にまつわるエトセトラ」

先ず「烏」と「鳥」の字がとても似ていて紛らわしい。
これにはこのことを表す烏焉(うえん)と言う言葉があるようで、意味は文字の誤りのこと。
「焉」とは終焉の焉のことであり「終わり~なのだ」と断定する意や、「いずくんぞ」と疑問・反語でもある。
我は正に烏の漢字にいずくんぞと合体したのであろうかと不思議に思うもので、文字の誤りとは烏と鳥程度の些細な間違いなのだ・・・と解釈する。
よって、この空間にある脱字とはウエ~んと烏焉程度の間違いなのである。

このような紛らわしい事柄をカラスな言葉で言うと「烏の雌雄(からすのしゆう)」と表現する。
よく似ていて区別のしにくいことの例えのことで、確かにカラスのメス・オスとは区別不可能だ。
街中を飛ぶカラスを見てもあれはメスかオスかなどとは思わないもので、鳥の中には明らかにメス・オスで姿が異なる鳥も多い中で、真っ黒でメス・オスも判別不可能な鳥とは結構変わった鳥かもしれない。
雌雄とは文字通りにメス・オスのこと。
また、「雌雄(しゆう)を決める」となると勝ち負け・優劣を決める時にも使われる言葉でもある。
「しゆうを決める」とは日常言葉ではありますが、漢字でメス・オスと書くことは知らなかった。
個人的にはオス+メスと書かずにメス+オスとメスを上位にしていることは、何か昔の日本人の知恵ある表現であるようにも思うものだ。

他には「烏合の衆」というカラスの集まりのように規律のない人の集まりを指した言葉もある。
こちらはカラスに整った集団行動はないもので、「ギャーギャー・カーカー」とうるさく騒がしい様子を烏合の衆と表現したものだ。
昔は烏帽子(えぼし)を被った黒尽くめの人々が集まり騒がしくもしていれば烏合の衆と言われても言い得て間違いないものでもある。
現代毎日繰り返される群衆とは通勤電車でも見かけるものであり規律の整った黒いスーツを着た人々が一糸乱れず静かに規律的に動くことは烏合の衆と真反対な光景でもある。
そのような意味に於いては、現代社会は烏合の衆と真反対側の世界かもしれないもので、カラスを巡る言葉遊びから見出すものは、雌雄・烏合と正反対にひっくり返る現象でもある。
これらは明治維新後の薩長史観のひっくり返しかもと勝手に思う。
本当のことは知らないけれども。

「烏有に帰す(うゆうにきす)」とは何もないことで、有る(存在する)カラスを元の場所に戻せば、カラスはいなくなり何もなくなるという誰もいなくなった感じの無である。
烏有に帰すとは何かしらの哲学を感じるもので、カラスとは騒がしく真っ黒で大きく存在も強めなので、そのようなカラスがいなくなれば無と感じるのも仕方がないこと。
これもどこか白黒オセロのように価値観の反転を感じるもので、有と無、黒と白のようにカラスを比喩的に見ているものだ。

また、「烏に反哺の考あり(からすにはんぽのこうあり)」と子供が親の恩に報いることの例えもある。
これはカラスをひなから育てると懐いて親に感謝するように恩返しするお話のようだ。
そして、反哺(はんぽ)とは何か?とそれは大問題だ。
「反」とは反対のことであり、「哺」とは哺乳類や哺育の哺で、親子の養いの反転だと解釈する。
カラスは犬よりも賢いと言われるぐらいに知恵を持つ生き物であり、大切に養われて育ててもらった記憶とは持ち続けてもおかしくはないものだ。

「烏の行水」とは私のように長風呂ではないパパっとお風呂に入りチャチャッと出てくる感じの簡易入浴。
風呂好きではありませんが、毎日風呂に入らないと気持ち悪いもので、どんなに疲れていても、どんなに酔っ払っていても気合と根性で入る烏の行水でもある。

ということで、

昔の人はカラスを人に例えてあれこれと思案していたようで、令和の私もあれこれとカラスの思いを巡らすものだ。

写真は冷蔵庫内のゼリーを撮影したもの。
冷蔵庫内の写真とは甘い秘密に覆われているもので写真に撮るとその美しさに惹かれる。
この冷蔵庫内の美しさとは何であろうか?
先ず白と黒のコントラストの濃淡の差が美しい。
光り照らされた明るい場所がカラスのような真っ黒な闇によって映える感じでもある。
これはカラスの黒あっての映える美しさかもしれない。
そして、真上から照射される照明がとてもキレイだ。
冷蔵庫の中の食べ物が色とりどりの美しさのインフレを起こし美しい。
とりあえず、プライベートな冷蔵庫とは不知知らぬ秘密の場所でもあり、リベンジで作ったゼリーはそれなりのカタチとなって美味しく出来た!

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月15日(木)
■好きなフルーツ。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月16日(金)
■一日一文章トレーニング。

「オレがレフリーだ!」

いやはや、だんだんと暑くなる、暑くなる。
昨日は暑さの境界線の気候でもあり、Tシャツよりも半袖シャツかもと思い太い縦縞のシャツを着る。
キャップを深くかぶり、シャツは一番上までピッシリとボタンを留めて、シャツの丈もズボンにイン!

そうすると審判みたいだと言われる。

確かに、どこかの審判のようでもあり、片手を上げればストライク!と、どの角度から見ても私はアンパイアーである。
人生はそれなり長く生きていればそれなりの経験もあるものだが、レフリーっぽいねと言われることは新境地でもある。
さっそく、服の丈はズボンから出してアンパイアー感を薄める。

ボーダーの服を着たレフリーとはどのようなスポーツなのかと思い調べるとバスケットボールやプロレスの審判のようだ。
時間が経つとなぜかニヤニヤと無性に面白くなるもので、思い出し笑いをする。
歩きながらの笑みとはヤバいのでクソワロタ真顔を頑張って作りスタコラと歩く。
ですが、どこかやっぱりと面白い審判服なのだ。
世の中は広いとは言え、審判官なコスプレをした人物が街を歩いていることはない。
何だか、この服の組み合わせはもう着れなくなる予感だ。
ですが、我ボーダリアンは頑張る!!

早速、レフリーの服がなぜ縦シマなのかとネット検索すると、1910年代の米国でバスケットの審判をしていた人物が試合中に選手に間違われる事象が多発していた為に、白いシャツから縦縞の服に着替えて選手と審判の見た目を明確に区別したようだ。
シマシマの服とはどこかおフランスなヨーロッパ感があり、また、爽やかでもあるので憧れる服でもある。
そして、どこかあまり似合わない服でもある。
そもそもどのような服でもそこそこしか似合わないことを考えると、審判風には似合っているとも言える。
ここは前向きに、胸ポケットにイエローカードを堂々と仕込み審判の日を過ごすことが吉かもしれない。

赤白ボーダーだとグワシまことちゃん!である。
水玉柄だと草間画伯のようでもあり、やっぱり、ボーダー柄や水玉とは主張が強く着こなすことは難易度高めの服かもしれない。
黒白だと脱獄感あり、黄黒だとタイガース感ありで、自分なりのボーダーカラーの組み合わせとは何色なのでしょうか。
ここは雑誌のオシャレ番長の出番でもあり、この夏のボーダー柄を素敵な着こなす方法について読みたい。
そして、ボーダリアンはやっぱりシマシマが好きでもあり、やっぱりボーダー服を着るのだ。
頑張るボーダー族なのである。

そういえば、そのお店で購入した服を着て後日再び同じ服を購入することはちょっと恥ずかしい話もした。
私が店員であれば、ほぼ無の境地で二度買いはうれしいしか思わないのですが、買う方にとれば着ている服と同じ服を購入することは何かとても恥ずかしい。
外国人だと陽気に「気に入ったのでもう1枚買うわ~www」となるのかもしれませんが、我らド和人は他人の目がすこす気になる。
このような他人の目が気になり審判官濃度を薄めたり、そのお店で買った服を着て同じ服を購入するのを躊躇ったりとすると、あれこれといらぬ妄想もしてしまうところが客観性というものなのでしょうか?
いやいや違うか?
よくわからん。
大抵の人は他人のことなんてこれっぽちも何とも気にしない取り越し苦労かもしれないもので、これが日本人の持つ想像力の源泉かもしれない。
審判みたいな服でも素敵なボーダー族となれるように鍛錬を積もう!
そうしましょう♪

ということで、

昨日はフライパンと関孫六の包丁を買う。
これで、少しでも焦げ付く部分に炒め物が触れるとひっつき炭化してしまう末期症状のフライパンとはおさらばだ。
包丁は刀の波紋模様が素敵であったので購入する。
どちらも一番リーズナルなタイプのものを購入して、とっても満足なボーダー族のお買い物日記なのだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月16日(金)
■ストライプ柄。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月19日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ゼリーの上にのせるヨーグルトとはサラサラとした普通のヨーグルトでは無くて、粘着度も高いギリシャヨーグルトがオススメ♪」

ここ最近はコラーゲンに満たされるゼラチン生活をしている。
肌ツヤは良くなったのでありましょうか?
いやいや、よくわらない。
血色は良いがそれはゼリーというよりも暑さや太陽のおかげかもしれない。
何だかお通じもよくなったような予感もしますが、いつもどおりと言えばいつもどおりだし、イチゴやブルーベリー、ブドウなどの食物繊維なフルーツもゼリーと一緒に食すればそれなりにお通じには良いと思う。

ゼリーの暗黒面とは何かと考えれば、それはゼラチンに味がないこと。
そして、お金。
美味しくゼリーを食べようと思うと必然的に糖分過多となるもので、ジュースベースのゼリーを作ったとしても、その液体にはたっぷりの糖分が含まれているのですが、恐ろしいことにゼリーは固体化すると味薄に感じる。
もっと糖分を!さらなる糖分を加えよ!との誘惑にかられて、シロップや糖分を追加すると化け物糖分となる可能性もある。
薄味のゼリーとは食えたものでない。
そして、ゼラ生活、あるいは、コラー生活を始めて明確なる事実もある。
それは妙~にお金が出ていくこと。
ゼリーも頻繁に作って食べるとなるとその上に乗せるお供や中に入れるフルーツも用意するもので、そうなると様々なゼリーを引き立てる食材の出費も多くなる。
困った、困った、困ったーのである。
確かにゼリーに生クリームをのせれば美味しいが、毎日生クリームとは何か違うもので、そこで思うのがヨーグルトである。
生クリームから格下げしたとしても美味しいヨーグルトは蜂蜜をかければ完成で、ゼリーの蛋白なお味を補うのはヨーグルトの酸味や蜂蜜の甘さなのである。
ただし、ヨーグルトと言っても普通のヨーグルトでは組み合わせは良くない。
そこでオススメなのがひっくり返しても落ちないクリミー感のあるギリシャヨーグルトだ。
ギリシャヨーグルトはチーズのような粘り気があり、そして、普通のヨーグルトの2倍程の価格もするので困った、困った。
ということで、写真を見よ!
我が家ではギリシャヨーグルトをホットクックを使って自家生産を始めた。
ギリシャヨーグルトの種から6時間程の時間をかけてホットクックで増幅させるグリッチとは電気代や労力を補う経済性はあるのか?ないのか?疑問でもありますが、これで、いつもセリのある生活に加えて、いつもギリシャヨーグルトのある生活も加わる。
完璧な白さ、どこからどう見てもヨーグルトで、どこからすくってもギリシャヨーグルトの硬さで美味しい。

果たして、このゼラチン生活は続くのか?はたまたは、体の健康や若さを保ちおサイフにも優しいのか?誰も知らない。

ということで、

昨日、ゲーム「SPLIT FICTION」をクリアした。
苦しみ、苦痛、あせり、もう無理と何度もの苦難を乗り越えて何とかクリアした。
そのようなゲームもクリアすると後に残るのは満足感だけの不思議。
あの苦しみはどこに行ったのやら???
そして、今はトロフィーコンプする為に走り回っている。
このゲームの所要時間は15時間と言われているようで、我らは約倍の32時間をかけてゲームをクリアする。
結構ゲームは得意だと思っていたのですが結構凡でもあった。
そして、ゲームのプレイ時間を見ていると「DARK SOULS3」で5550時間も遊んでいた。www
2000時間のプレイ時間は普通だなと会話していたら、5550時間で草である。
5550時間とは約231日で、どれだけ遊んでいたのかと自分でもビックリなのですが、毎日熱心に侵入をして元気に遊んでいたものだ。
そして、5555とあと5時間遊べばゾロ目となる。
今でもサリ裏には猛者たちがいるのであろうか???

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月19日(月)
■ダークモード。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月20日(火)
■一日一文章トレーニング。

「塩漬けする白菜の漬物にヨーグルトの上澄みを入れてやった・・・」

ヨーグルトは蔵にイッパイで売るほどあって、種菌の支援者からもいただくので買ったことがない。
いやいや、買っている(ニヤリ)
なんだ、この不愉快に浮かび上がる一連のイメージとは?

ただし、ホットクックでヨーグルトを自作すればカスピ海ヨーグルトのように永遠に毎日ヨーグルトのある生活はできそうだ。

今年の1文字が「米」の予感から確信へと変わり、無位無冠の王や、独裁独善の王の「the fountain of honour・名誉の泉」な呆則も確信へと変わる。
そして、令和6―7年の米騒動を一つだけを見てもこの国のカタチはどこからどのように見ても国家社会主義的でもあり、この国は新自由主義だととち狂った吹聴に惑わされてはいけない。

ヨーグルトはホットクックで量産体制が出来て自宅でも作れる。
ヨーグルトを自作するメリットは発酵食品をおサイフ気にせず大量に食べれることで特に大家族にはオススメかも。
内容物を把握できる食材を量産し、且つ、健康的でもあり、副産物を含めていろいろと活用もできれば、ヨーグルト業界の潜在的な競争相手は消費者家庭にも存在することになり競争原理も働く。
何事も独占を排除することは重要で、特に国家の独占とは最も厄介で排除が出来ないとフリードマンは言っている。

そして、

ギリシャヨーグルトを調べていたら、ギリシャヨーグルトとはギリシャ特産の特別な菌を使い発酵させている訳でなく普通のヨーグルトの種を使用しているようだ。
ならば、ギリシャヨーグルトと普通のヨーグルトの違いとは何かとすれば、それは製法の違いのようである。
日本特有の得意技の勝手に異国の特産物みたいに国や地域名をつけて発売する商品でもないようで、ギリシャの水切り製法で作るヨーグルトのようだ。
ブルガリアから余分な水分を取り除きヨーグルトを固くすればギリシャとなるそのような感じで、普通のヨーグルトから水分や乳清(にゅうせい)を取り除くと、チーズっぽい固さのあるクリームになるようだ。

乳清とはヨーグルトを食べる時に出てくるあの上澄みの水分のこと。
ヨーグルトを食べれば先ずはゴミかなと思うあの液体のことで、2日目3日目となるとどんどん増えてくるヨーグルトの液体である。
今回ヨーグルトを自作するまでは確実に捨てていた液体でもありますが、その意味に於いては消費期限切れのゼリーを消費しゼラ活ブームも始まれば、味変を楽しむ方法を考え、ギリシャヨーグルトで美味しく食べる方法を知って、ギリシャヨーグルトの価格が高いとなれば自作で作ろうヨーグルトとここまで繋がる道なのである。

乳清にはタンパク質、乳糖、ビタミン、ミネラルと様々な栄養価の高い成分が含まれており、捨てるには少し勿体ない液体のようだ。
なので、今回からは写真のように乳清の液体を捨てずに取り置き、白菜の塩漬けにふりかけてみた。
白菜はスーパーで大きいのが丸々1個お買い得品で売られていたもので意気揚々と購入しましたが、馬の頭ぐらいありそうな立派な白菜なので冷蔵庫に入らなくて、とりあえず塩漬けの漬物にする。
昨晩から1日塩漬けにした白菜を朝起きてヨーグルトから取り除いた乳清を満遍なくふりかけて冷蔵庫にしまう。
まだ一口も味見していないのですが絶対に美味しくなるような予感。
なぜなら、昨晩、試しに乳清を使い野菜のドレッシングを作ったら結構美味しかった。
なので、すこす自信はあるものだ。
ドレッシングのレシピは油なし、塩+お酢+乳清のシンプルな組み合わせで、油は使わなかったのですがサラダにかければ十分に美味しかった。
ネットにも「捨てるなヨーグルトの乳清」といろんなレシピがあるもので、ヨーグルトを食べると出てくるあの液体は隠し味や調味料として使えそうな予感である。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月20日(火)
■運ぶゾウ。
■2025年5月21日(水)
■一日一文章トレーニング。

「今朝起きると外はむわりと広がる夏の空気」

この空気は間違いなく夏の空気だ。
そして、昨日は「サマーーー」とクーラーのスイッチに手が伸びる。

ですが・・・ちょっと待てよ。

クーラーには起動日や終了時の詳細情報が記載されており、それによると一昨年は6月17日にクーラーON、去年は6月11日にクーラーON、と約1ヶ月早いクーラー起動の開始日となる。
去年一昨年と猛暑であったのに1ヶ月早い気候変動な現実を受け入れる勇気はないもので、暑いは暑いのですが耐えられない暑さでもないのでクーラーを起動せずに我慢する。
窓は全開に、扇風機はフル稼働、降り注ぐ強烈な太陽光は遮光カーテンで遮ると室内の空気の流れは完全に堰き止められて淀む暑さでもある。
昨日の暑さとは過去情報を知らなければ間違いなくクーラー起動していたもので、1ヶ月も速く進む気候変動とはげに恐ろしき予兆でもある。
確か、今年の扇風機の稼働も約1ヶ月早かったので、大体、季節の進行とはそのような感じで進行しているのかもしれない。
今年に入り強い日差しに日陰を探して歩くことはMY情報によると2度ありましたが、昨日は3度目で歩行者全員がこぞって木陰を奪い合う本格的な夏到来でもある。
しかし、室内の床温度や水温変化はまだ季節の分岐点の空気を観測していないので、このむわっとした暑い空気はまだ一時的な夏の到来なのかもしれない。

ということで、

この夏のスケジュールを予習すると下記のようになる。

5月中旬から初夏がやって来た予感
6月中旬クーラーON必須の夏本番
7月中旬の夏の暑さ
8月中旬の夏の暑さ
9月中旬は残暑の暑さ
10月中旬にクーラーOFFして過ごしやすい気温となる
11月中旬にクーラーをお掃除して完全終了

日本列島に住む私たちは今から約5~6ヶ月にわたるサマーの入口に立ったようで、去年は5カ月間のクーラー生活で、今からクーラーをONすると6カ月のクーラー生活となる。

ということで、

暑かったり寒かったりの5月ですがベランダ菜園にも異変はあった。
今まで黙っていましたが、とんでもない事件が起きていた。

糠(ぬか)と土をブレンドした土壌のニラの土と土作りの鉢から小さな羽虫が湧いて増えた。
あまりにも気持ち悪いので見て見ないフリをしていたのですが、最近、その羽虫が室内までチラホラと侵入することとなり、流石に子供の頃からの蚊撲滅家は立ち上がった。
羽虫は1匹1匹と撃墜したり、網戸にいる羽虫は指で潰して奴らの見せしめとしたり、鉢を動かしたならばガヤガヤと地面を這う羽虫たちは巨人のサンダルで一気に踏み潰す。
進撃の巨人たちの気分とはこのような気分かと思うのですが、巨人は食べるので別次元だ。
そして、鉢の土を散歩している奴らは潰せないもので、ガムテープでひっつくトラップを作ったりと試行錯誤する。
しかし、奴らにも知恵があるのか?全くトラップにはひっかからないもので、仕方が無いので、カメラ用のブロアーでふっ飛ばして踏み潰す。
シュポシュポとカメラのブロアーとは植物にも優しく羽虫を吹き飛ばす有効なものではありますが、段々と握力もなくなり疲れて羽虫も吹き飛ばせなくなる。
そこで、グラフィックボードをお掃除をする電動ブロワーを使って奴らを飛ばす。
「ボボー」とカメラマンもびっくりの轟音を立てて植物は大きく揺れ、土も飛び、羽虫も飛ぶ、すごいパワーだ。
ということで、多くの羽虫たちを飛ばされて駆除される。
しかし、土にはまだモゴモゴと動く羽虫たちがいるもので、それらはブロワーでは吹き飛ばすことは出来ない。
そこで、ネットを検索すると木酢液というものがあるようで、それを買おうかとおもったのですが、たった2鉢に住む虫を潰す為にそのような市販品を買うのも馬鹿らしいので水にお酢を混ぜて自作する。
どれどれと恐る恐る、お酢を振りかけると羽虫はパタパタと落ちて、または、鉢の外に慌てて逃げ出す。
外に逃げ出す羽虫はキンチョールでプシューとスプレーしてぬかりなし。
キンチョールのCMにしたいぐらいに完璧だ。
塩と酢で銅もピカピカにする洗浄効果で羽虫は大分と駆除出来たようだ。
しかし、今朝見るとまだまだいるので追加のお酢をふりかける。
植物たちにどのような悪影響があるのかわかりませんが、ネットを見れば、お酢の効果で植物が元気になったような記事もあるようで、私も暑い夏の日が続くと夏バテでお酢をぺろりとひとなめして元気になり、恐らく、植物や土壌もお酢を吸収して幾分元気になったと思う。
正直、何にもわからないのですが、羽虫も特に無害のようですが気持ち悪い。
そして、ベランダ農家のニンニクは先日の長雨で弱っているようで失敗の予感。
せりは元気に育っているのですが食べるとパクチーなパンチがあって苦手かもしれない。
セリ鍋にはパクチー感はないのに夏のセリはパクチーそのもので、どうしましょう。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月21日(水)
■それは灯火。

*デスクトップ画面用の画像です。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月22日(木)
■一日一文章トレーニング。

「ヨーグルトの山を登る」

クリーミーさが魅力のギリシャヨーグルトとは普通のヨーグルトから乳清や水分を搾り取ったものだ。
ならば、普通の安いヨーグルトを買ってきて水分を抜いちゃえば高級なギリシャヨーグルトに変質する予感。
そのようなブルガリアをギリシャに変質させる方法を考えていれば、そのような容器が普通に販売されているものだ。
世の中には本当に何でもあるなと感心するもので、さっそく「水切りヨーグルト」の容器を購入しギリシャヨーグルトを生産する。
製法は市販されている普通の安いヨーグルトをそのまま容器に投入するだけ、1日待つと立派なギリシャヨーグルトが完成だ。
味は加工するヨーグルトの味となりますが固さはギリシャそのものだ。
「まだかな、まだかなー」と何度も冷蔵庫を覗く度に容器の底に乳清の液体がポタポタと落ちるのを確認するのも乙ですが、そのような気の早い人には1時間で作れるクイックタイプもあるようだ。
この乳清な液体とは白菜の漬物に入れると少しサワー感のある漬物の原料ともなるもので、普通に漬ける浅漬でも乳清を投入するだけで発酵食品の仲間入りするお得感だ。

いまだに、コラーゲン生活も飽きない。
ヨーグルト加工も飽きない。
自分でヨーグルトを自作するヨー活がどれだけお得なのかはネット上でもたくさん計算されているようですが、たくさん食べれば食べる程に間違いなくお得な自作で、乳清を活用したりと食生活の幅も広がる。
ヨーグルト菌は腸に優しく、胃にも優しくて、お財布にもやさしい結構お得な趣味かもしれない。
立派に完成したギリシャヨーグルトは酸味のあるケーキや生クリームやクリームチーズような感じでもあり、砂糖や蜂蜜を加えて加工すればどんどん美味しくなる。
チョコペーストと混ぜれば生チョコみたいなものにもなるし、豆乳で作っても良いかもしれない。
これらは無限大に広がるお山にも例えることが出来るもので、我が家ではコラーゲンやヨーグルトをたくさん作るフェーズのお山を登りはじめたようだ。

そのような山とは富士山であろうか?愛鷹山(あしたかやま)であろうか?と「一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)」と頭に山が浮かぶ。
「一富士二鷹三茄子」とは吉夢として良い夢の例えのことで、初夢に見る縁起物の例えでもある。
いずれにしても、富士山を眺め、鷹が空を飛び、茄子が走る?夢とは良い夢で間違いない。
富士山は3776mで日本一高い信仰の山でもあり、鷹は富士山の隣にある1504mの愛鷹山(あしたかやま)、茄子は駿河(静岡県)の名産品を列挙したとも言わるが、私は茄子はご先祖様がお盆に茄子に足が生えた乗り物に乗って移動するように何かの伝言(吉報)を伝えにくる夢ではなかろうかと思う。
愛鷹山は富士山の海側の前にあるお山で映画「もののけ姫」のアシタカはこのお山の名前から名付けたように思う。
山岳信仰の富士山の神様の横に聳えるお山がアシタカである意味は物語的にもありだと思う。

富士山の地図を眺めていたら山から流れる川が何もないことに気付く。
川とは一般的に山から流れるもので年間雨量20億トンの雨はどこに流れるかと思えば、主に山梨県側の富士五湖に湧き出るようだ。
富士五湖は山中湖、河口湖、本栖湖(もとすこ)、西湖(さいこ)、精進湖(しょうじこ)の5つの湖で全部山梨県側の内陸地にある。
富士山の横を流れる富士川は長野や山梨を源流とするもので明確に富士山から流れる川はない。
調べると富士山から流れる川は大沢崩れという涸れ川があり、この川は雪解け水や大雨が降った時にだけ川となる。
御殿場(ごてんば)から湧き出て流れる黄瀬川(きせがわ)は富士山の湧き水を源流とするもので、明確な山の表面を流れる川ではありませんが富士の湧き水の川である。
そして、御殿場は今まで(ごでんば)と読んでいましたが正確には(ごてんば)が正しいようだ。
それ以外には太平洋側に田子の浦に出る潤井川(うるいがわ)は大沢崩れとも合流する唯一の富士山の川かもしれない。
富士山の水の流れの面白いところは、雨は地面に滲み込み、山の裾野から湧き水となってから川となって流れるところ。
そして、ヨーグルトの話から大きく脱線しましたが新しいことにチャレンジしていると聳える未知の山を眺め、登ると見える景色は次々に変化していくものだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月22日(木)
■一富士・二鷹・三茄子。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年5月23日(金)
■一日一文章トレーニング。

「なすびの夢は一度も見たことがない」

どうやら「なす」とは「物事を成す」と縁起を担ぐ考えもあるようだ。
そう言われれば、そのような「なす」「成す」事柄でもある。
茄子に棒を挿して「ボーナス」なんて悪夢は見たくはありませんが、現実問題このような感じが世の中かもしれない。
茄子が夢に出てきて物事が成せばラッキーでもあり、何事も夢で完結したい、わいみたいな茄子事でもある。

巷では「なす」か「なすび」な論争はあるようで(いやいやありません)、それは方言の違いなのか?昔の女性言葉の違いなのか?我には知る由はありません。
さっそく、私も辞書を開いて茄子を調べますが、茄子は食べ物の茄子以上のことは書かれていないものだ。
しかし、一富士二鷹三茄子の茄子とは「なす」ではなくて「なすび」であるように思う。
茄子の漢字を見て、「なす」と読むか?「なすび」と読むか?それは大問題で、
「なす!を買ってきて」
「なすび!を買ってきて」
いろいろだ。

そもそもですが、「なす」が「なすび」であらば「成すビ(非)(否)」の否定形になる予感で、そうなると「物事が成さない」と非・否とならないか。
朝起きて思うことはそのような「一富士二鷹三茄子の屁理屈」な“ほら話”のみで、我は「なすび」に絶望を抱えながら長文を書くホラー話でもある。

昨日はご先祖様の助言を伝える「なすび」の車かとも思いましたが、今朝は異なる。
今朝の考えはご先祖様からの吉報やってくる「なすび」よりも悪夢を追い出す「なすび」かな?である。

ご先祖様を乗せる霊界と現世を繋ぐ乗り物には2つあり、どっちも愉快な乗り物で、霊界からの御霊をお迎えすることは怖いことかもしれないので、かわいらしくオブラートに包む必要性もあるものだ。
一つは「きゅうり」の車で高速にお迎えして、帰りは「なすび」でゆっくりとお帰り頂く乗り物。
夢に出てくる茄子の乗り物ということは「さっさと帰りやがれ」的な悪夢退散の精霊の皆様にご丁寧にお帰り頂く為の悪夢を見ない為の茄子車かもしれない。

いやはや、本当にどうでも良いことって世の中にはあるものだが、一富士二鷹三茄子と悪夢はないだけでも良い夢だ。

心霊系のユーチューバーさんたちは左手に自撮りカメラを持ち、右手にお化け撮影用のカメラを持っている場合ではないのだ。
さっさと、左手には「きゅうり」の乗り物を持ちてお化けをお迎えし、右手に「茄子」の乗り物を持って帰りのご足労を労う心霊スタイルが令和の幽霊ハンターの模範かもしれない。

ということで、

富士山の夢も、鷹が飛ぶ夢も、勿論、茄子の夢も見たことがない私が勝手に茄子の夢を夢想する。

ある時、私はスーパーで黒くてリュックサックみたいに大きくて立派な茄子を購入する。
その茄子を抱えて家まで持ち帰っていたら、通りすがりの人々がその茄子を強い視線で見つめている。
いやはや恥ずかしき茄子と我は照れ隠れしながら小走りで商店街を駆け抜けると、街人たちが急にその茄子を奪おうと手を伸ばして追いかけてくる。
我、とても恐ろしくなりて走って逃げる。
私はアスリートや韋駄天のように走り、住宅街の角を華麗に曲がって、後ろを振り返ると茄子を追う街人は老若男女で雪だるま式に増える。
とても疲れ走る速度も遅くなり、もう駄目だと、この茄子はビルの屋上に蹴って自分だけは逃げようと考えていると、急に茄子から足が生えてオレに乗れと言う。
息もゼェゼェと足も疲れた私は素直に茄子に乗る。
すると、茄子はてくてくと空中を歩き出して、眼下に小さく見える街人たちを見下ろしながら気付くと朝がやって来た・・・とさ。
めでたし、めでたし。

空想の茄子夢なのだ。

さて、

上記文章の茄子は「なす」か「なすび」と読んだのでしょうか?
私の場合「なす・なす・なす・なすび・なす・なす・なす・なす・なす・なすび・なす」という感じである。

なすび。