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■2025年2月1日(土)
■一日一文章トレーニング。

漢字の意味から解釈する幸福論」

幸か不幸なのか、幸の文字が「まわりあわせ、なりゆき、運、幸福」の意味を知る。
幸の文字に因果応報の重しがなければ、悪事を働いたとしても幸運の賽の目はやってくる。
例え、山を築く程の良い徳を積んだとしても不幸なサイコロの目を出す可能性も十分にある。
運とはそのようにコロコロと目を変えるもので、幸福な「幸せ」が賭博な意味を持つとすれば、誰も制御できない運命を感じるものだ。

「幸」を分解すると、幸は土と屰(げき・分解した漢字は上記参照)の会意(かいい)。
会意とは以前にも書きましたが、複数の意味のある文字を掛けあわせて別の意味を生成する言葉である。
そのような「幸」の意味は、「若死にせずに生きながらえて幸いとなる」との解釈のようだ。

上の字の土は文字どおりの「土」ではありますが、その語源は夭(よう)であり、夭は「幼」と「妖」の2通りの意味を持つ。
これは力が弱い幼子や妖艶で美しき者が死んで土に還ったことを示す。

そして、

下の字の「屰(げき)」とは逆転させることの「逆」の意味で、「そむく・逆らう・逆転させる」と上に盛られた土をひっくり返して生きる幸運の意味のようだ。
昔は子供の死亡率がとても高かったようでもあり、幼子や美しき事柄が大きく育つこととは、土盛られた墓標を反転させる死から生への変化の僥倖(ぎょうこう)のような幸せとして例えられたのかもしれない。

ところで、

このように「幸」の文字を上下で分解すると幸には不幸と幸福を分ける境界線が見える。
「幸」の上には死や不幸があり、「幸」の下には運や幸福、賭け事、生がある。
因みに、屰(げき)はよく見ると¥マークにも見えるもので、円の記号にはそのような逆境を反転させる呪文があるのかもしれない。

玉はどちらに転ぶのかわからないのが運命であり、それを賭け事とも言う。
毎年見る幸福度ランキングなどでは低い幸せ度は定番でもある。
自分に置き換えてもそのような評価かもしれなくて、電車などに乗っても陽気な人は誰一人いなく、携帯なモノリスと対話しながらの納得のランキングかもと思うのである。
「楽しい日本」の標語とは抽象的でもありますが、不幸な気持ちを反転できないのはガンジガラメな様々な規制が理由かもしれない。
アレはダメコレも駄目でアレそれも駄目で、これも人目があるので自主規制して規制や法規でガンジガラメとなれば、「出来る事柄は何なのか?」と幸福度も高まらないかもしれない。
もしかしたら、博打的なものが身近にある人とそうでない人では幸福度に変化はあるのでしょうか?
勿論、私は博打を推奨している訳ではありませんが、規制は極力の反対派でもあるので微妙な立場。
身近に博打狂がいれば全力で止めるし、賭博などの闇経済が出来るのは絶対に反対だ。
そして、規制は一般市民を守っているようで利権者を法律で守る側面もあるものだ。

文字の意味から「幸」を読み解くと賭け事を推奨しているというよりも幸・不幸を反転させる生きる力を表現しているのかもしれない。
不幸が起きて土に埋められてしまったような逆境な時に、その土をひっくり返す反発する力があれば不幸は幸福となるかもしれない。
経験則でも、会社を興したり、様々な博打的なリスクを抱えている人と、そうでない人では若干の生命力の違いは感じるものだ。
ですが、リスクな損害を抱えたままドボンと死滅も多々あることなので、どちらの人生が幸せであるかなんて私には計り知れない。

「幸」の文字は「屰の逆」の逆転の力で人生を反転させて、不幸を引っくり返して幸となる意味だと理解した。

 

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■2025年2月3日(月)
■一日一文章トレーニング。

昨晩は「鬼は外、福は内」と豆まきをする

1400万人の江戸の街で節分の豆まきをする家庭はどのくらいあるのでしょう。
近所迷惑でもあるので小さな声で「鬼は外」と外の壁に向かってバシッと投げて、福は内と福豆は中に投げると散らかるので玄関にキレイに並べて行事を終える。
一様、2度は外の鬼は滅した。
そして、玄関に並べた豆は結局食べるしかないもので、何か良い活用方法はないものかと考える。
真の鬼とは自分自身の中に潜む鬼かもしれないもので、福豆を食べれば、内なる邪気も外に流されるものかもしれない。
豆はアルカリ性食品と言われますが、そのまま植物の鉢の土に蒔けばアルカリ性土壌になるかもと思うものだ。
しかし、調べるとほとんどの食品とは酸性であるらしい。
調べると、アルカリ性食品とは食品を燃焼させて灰にしてから水溶液に溶かしたものを計測した時に、その値がアルカリ性を示すものであるらしい。
これは酸っぱい酸性の王様でもある梅干しがアルカリ性食品である謎に直結するものだ。
なので、コーヒーなども豆を炒り黒く焦がしてから飲むことで、アルカリ性なのかと思い調べると、コーヒーは弱酸性であり、弱アルカリ性でもあるようで、何のかことかさっぱりわからない。
もし、我が家にリトマス試験紙があれば、いますぐコーヒーを淹れてペーハーを計るであろう。
しかし、残念なことに一般家庭にリトマス試験紙は一枚もない。
この家には余計なものはたくさんあるものの、リトマス試験紙がないことは当然と言えば当然で、私が今まで住んだ家の中にリトマス試験紙が家の中に存在していたことは一度もない。
でも、何かコーヒーの色の変化は気になるもので、私のマニアックな思いつきを満たす為にリトマス試験紙を買うか買わないかと考えてしまうものだ。
変な思いつきとは銭失い道の入口かもしれない。
余計なものを買いそうで、あぶない、あぶない。
炒った植物を飲むドリンクであればごぼう茶なども何となく体内を中和させるドリンクもある。
あの香ばしくて独特の味わいはホッと一息つくのに良いドリンクだ。

理想を語れば、福豆を土に蒔いて雨と混じればアルカリ性で中和された良い土壌になる可能性もある。
もし豆を土に蒔くのであれば、鍋の上で豆をよく炒ってコゲコゲにしてから、砕いて蒔くか。
最初から福豆を砕いてから炒った方が早く全体を焦がすことが可能だ。
パンでも何でも焦がすのはプロフェッショナル級な得意技でもある。

または、そのような焦がした福豆を鉢に蒔けば、土壌の酸性が中和されてよく育つかもである。
日本の雨は酸性の雨であるらしい。
どのくらい酸性なのか?リトマス試験紙で調べていないので知らないのですが、土壌にアルカリ性食品を蒔くことは間違いなく良いことの予感。
生の食品だとそれらを分解するキモチワル虫が発生しそうなので、燃やした灰は住宅園芸にとっても良いかもしれない。
昔は実家でも庭の小さな焼却炉があったもので、落ち葉や木々など燃やしていたものですが、ダイオキシンが発生するとか、近所迷惑でもあるので失くなった。
調べたら野焼きする時期は2月の半ばぐらいが最適なようで、明日からの寒波が通りすぎた後に福豆は全部炒ってコゲコゲにしてから植物たちの土に撒いてどのような変化が起きるのか観察しましょう。
ワクワク♪

そして、皿に入った福豆は追い豆をして本日フライパンでよく炒ってから、大豆の福豆ブレンドの怪しいドリンクを作ってみませう。
多分、おいしい福豆茶の完成だ。
これはPHの紙が刺さった架空のオリジナルの福豆茶!!にもなる架空の新アイテムだ!!

 

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■2025年2月3日(月)
■ビックリサンダーゴロ鉄。

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■2025年2月4日(火)
■一日一文章トレーニング。

「国産大豆100%の福豆をフライパンで炒ってローストさせます」

弱火でカラカラ・カラカラと炒るもののなかなか色づかない豆。
「のんびりと行こうぜ」とは物語の始まりみたいではありますが、弱火で豆をカラカラ炒るものの、気がつけば夕方になってしまいそうな予感である。
これはいかんと、私は確信した。
豆は強火でローストしないと遅すぎるのである。
しかし、強火でフライパンを空焚きするとフライパンは壊れてしまう可能性もある。
フライパン購入時の説明書には「空焚き絶体にダメ!」な記載があるもので、我々焦がしの名人たちはそのような間違った使い方をして、いくつものフライパンを墓場に送ったものだ。
豆をカラカラと炒ることは、そのままフライパンの空焚き状態のような感じでもある。
そこで、我考えた。
豆は焦がす天才の原石(Byブルーロック)のトースターに任せれば良いのだと。
トースターの窓から大丈夫と焼目を確認しても、ほんの秒、目を離した瞬間でも焦がす火力を持ったマシーンだ。
奴ならきっと出来る。
先ずはアルミホイルを使い豆が転げ落ちない土手のある皿を作る。
そして、そこに福豆をキレイに並べてローストする。
流石に頻繁にパンを焦がすだけのトースターでもあり、豆をローストさせるのも一瞬だ。
コロコロと豆はよく転がして両面をしっかりと焼く。
急速な変色の焦げ具合は・・・いやいや、ロースト具合はフライパンでちまちまと炒るよりトースターの方が間違いない。
ブラウン豆に、ちょっと焦げ過ぎかものブラウン豆、炭化するのも御愛嬌だ。
焦がし目にムラは多いものの、豆の表面にはコーヒー豆のような脂ののった艶も出てきており多分成功。
福豆はついにフロー状態に入ったのである。
福豆をローストする前に、勿論、ネットのコーヒー豆のロースト方法も検索した。
コーヒー豆にこだわりのある人たちの記事に戦慄しながら、トースターで焼くのは福豆なのでお許し下さい。
m(_ _)mT
一般家庭にリトマス試験紙も無ければ、ローストマシーンも無い。

ということで、

福豆のローストが出来た。
豆は茶袋に入れて、ビーカーに熱湯を注ぐとムムムッと麦茶のようなブラウンな液体を煮出すもので、案外何でも作れるものだ。
この茶色液体は初体験の香りで、計量カップに皿を置いて蒸らせば完成だ。
暫く放置して喋ったりしていたので、すこすぬるくなった茶をまったりと飲む。

福豆は 投げて拾いて ローストす 焦げ汁すすり 酸を薄める (ペーハー高まりの和歌)

味は未体験なお茶の味でとても良いお手前でござんした。
福豆を炒る手味のこもったお茶でもあるので、忘れてなければ来年の節分でも福豆茶を作りたい決意でもある。
焦げた豆の表面から抽出される液体とは、恐らく、アルカリ性であり、アルカリ性食品の怪しいPHを飲むことで、我ら体内の胃袋の酸性度を若干薄めたような気もするものだ。
胃袋の酸性度が下がることは体に良いことなのでしょうか??
よくわかりませんが、週末に観たブルーロックの中で「オレのことを器用貧乏から器用大富豪と呼べ」との名言もありましたが、これは正に器用大富豪になる一歩手前の「幸」の反転かもしれない。

 

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■2025年2月4日(火)
■鉄棒ぶ~らぶらホラ~。

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■2025年2月5日(水)
■一日一文章トレーニング。

「クリップなどが入ったケースは捨てることなく、USBなどのIT小物を収納する箱として再利用するのがオススメ」

内か外かに分けるならば小さなものたちは小さなケースの内に収納した方が断然良い。
我が家のUSB小物は以前、時計置き場やペントレーにバラバラと無造作に置かれていましたが、今や立派な箱入りの娘となったものだ。
写真のケースはクリップなどが入ったケースを再利用したもの。
以前はポイポイとゴミ箱に捨てていましたが、IT小物収納ケースとして再利用すれば便利なことに気づく。
これらITグッズは頻繁、時々、稀に使用するもので、吊るせて、中身も見えて大変便利。
このケースの大きさは5.5×7.5×2.8センチの少し厚みのあるタイプ。
この小さなケースの中には使用中のUSBメモリーが3個、プレステのヘッドホン用の受信機1個、スティックタイプのSDカード読み込みリーダーが1個入っている。
小さなケースの中に美しく収まると気分はとても幸せでもあり、福が内とは正にこのような箱の中に形成されたユニバースでなかろうかと思う。

配送の箱でもピッタリとキレイに収まることはうれしいことで、不思議とケースに美しく収納出来ることは稀有なことでもある。
あともう1センチ小さければ箱の中にぴったりと入るのに・・・という悩みは尽きないもので、箱を入れ直すのか、2つに分けて送るべきかと悩むところで、何だか微妙にものが入らないのが箱なのである。
大きい箱で送ればそれは事済むことではありますが、箱が大きくなると配送料も高くなる。
これは配送業者と梱包名人との戦いだ。
小さくキレイにコンパクトに収納できれば、その戦に勝った気分でもある。

これは、全て私の勘と妄想であり根拠は薄ではありますが、あともう少しで足りない箱の原因はセンチ規格によるものではと思うのである。
キリの良いセンチの単位で作られた製品はキリの良いセンチで作られた箱に入れようと思うと、微妙に小さくなってしまう自然呆則。
例えば長さ30センチの箱に入れようと思うと、30センチの商品はパッケージなども含めると30センチを越えて入れるのでサイズオーバーとなってしまう。
そこで、知恵を持つ私は少し斜めにしたり、向きを変えたりとテトリスのように箱に収まる置き方を猿の実験室のように考えるのである。

考える人の新作は「箱に詰める人」で決まりだ!!

仮にキリの悪い数字の24.3センチな商品があるとすれば、恐らくピッタリと箱の中に美しく収まる。
このようにセンチ規格に洗脳された私達はピッタリとキリの良い数字で商品を作ってしまうもので、箱も商品も微妙に入らない時が多いのではと思う。

関係ないけれども、センチの支配者は誰かと言うとヨーロッパの人たちだ。
あの人達は人を支配する知恵に優れているものでシステムによって支配しようとの考えだと思う。
アメリカ人はインチを捨てないし、イギリス人やヤード・ポンド法も捨てないが、日本人は尺をポイっと捨てるのでお手軽だ。
そして、何かを叩いて潰して頭をすり替えても結局何も変わらないことを学習しているので、ルールやシステム、考え方等で統治しようというのがヨーロッパ的な考え方である。
それが世界に現れる反発する世界の縮図の一端かもしれない。
よって、何かを潰せば何かが変わるような考え方はヨーロッパ的には浅はかで、一度失われた寸尺規格なども一度捨てしまえばもう二度と戻らないのである。

このように小さな箱にピッタリとIT小物がキレイに収納されて満足だ。
これはパソコンなどを日々使い戦っているIT戦士たちにもシェアしたいお話でもある。
クリップなどの入ったケースはUSBメモリーなどが入ることの出来る便利なケースにもなるので絶対に捨てるのはダメ!勿体ない。
で、使用済みのケースはそのままではパッケージのシールや中が汚れていることもあるのでよく洗浄してから使用します。
紙のシールの場合はお湯などに長時間浸けると剥がしやすくなる。
シールを剥がした後はアルコールなどを使いプラスチック表面をキレイ拭き取ってあげれば透明なプラススチックのケースの完成だ。
コンパウンドなどを使って磨くこともありますが、クリップなどの金属類がケースの中で動いて凸凹と傷ついているので、磨くのは結構大変。
でも、根気のある人は磨くのも良く、私もどちらかと言うと研磨したいタイプでもある。
写真のケースは磨いていない素のままのケースを使用しています。

 

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■2025年2月5日(水)
■scos オリジナル缶バッジ/缶バッヂ - Le cafe, Made in Japan/日本製
https://www.scos.gr.jp/ScosShop/html/products/detail/702

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■2025年2月5日(水)
■販促活動。

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■2025年2月6日(木)
■一日一文章トレーニング。

「大豆の福豆茶を作る為の御作法」

2月3日(火)
思い立った時が吉日、カリカリの大豆を購入する。
大豆は250gの小さな袋に入っており、豆の大きさは8~9ミリの豆。
その豆をつまんで噛み砕くとネチョネチョとした若干硬めのキャメルみたいな感触。
味はこのままでも美味しいのですが少し重い大豆感を感じる。
大豆は未加熱で食べると消化不良を起こすトリプシンインヒビターと呼ばれる成分が含まれているようで、加熱調理が必要なようだ。
食べてからヒビタンの消化酵素阻害物質が炎症を起こすと言われても困るのだ。
トリプシンインヒビターの件は知らぬが仏と思いながら、2粒ほど生で食べているので念の為に冷たいお茶を胃に流し込み薄めておいた。
ヨシッ万事OK!!
後ろの説明書を読むと大豆の煮方が書いていあるので、その通りにボウルに100gの大豆を入れて水で浸し寝る。

2月4日(水)
朝起きて約12時間水に浸した豆を引き上げ、ホットクックで蒸す。
豆のサイズは計測していなかったのですが大きな粒で立派な大豆に育った。
完璧!!
茹で上がった大豆は宝石みたいにツヤツヤでとても美しい。
どれどれと一つつまみ食いをすると、やめられない止まらない美味しいさで、たくさん出来た豆はご飯に入れ、その他料理にも使ってあっという間に消費される豆である。
炊けたご飯に豆を入れると幾分ご飯のかさも増えたような気もして、とっても美味しいご飯となる。
最初に福豆茶用にザルに豆をよけておいて正解で、本題の福豆茶用の豆も当然つまみ食いの餌食となる。

2月5日(水)
そのような豆も料理に入れられたり、つまみ食いされたりしてどんどんと数を減らすもので残るは少しばかり。
つやつやで美味しい大豆が出来た時には100gでこんなにたくさんの大豆が出来たと喜んでいたのに、あっという間にペロリとなくなる大豆である。

2月6日(木)今朝
ザルに盛られた大豆は寂しい数となりましたが、冷蔵庫の中で乾燥して表面も福豆のような外観にシワシワと育つ。
少しの赤みは酸化しているのかもしれない。
食べると固めの食べ応えのある大豆で、味はやっぱり大豆で乾燥させているだけの濃厚さはある。
「待て!!」と言われても、小腹が空き、のども渇き、反射的に冷蔵庫を開けて何かめぼしい食べ物がないかと探す我らに、ザルの上の大豆とは食べて下さいといわんばかりのおやつでもある。
大豆がおやつとは何か平安時代に生きているようでもありますが、手味な食べ物はとても美味しい。
これ以上長く冷蔵庫の中で乾燥させていると、豆が乾燥するよりも先に豆自体がなくなりそうな予感なので、本日、豆をローストしてまったりとしたティータイムを愉しむ温かい福豆茶を作ろうと思う。

 

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■2025年2月6日(木)
■模範ドライバー。

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■2025年2月7日(金)
■一日一文章トレーニング。

「猿の映画と私の因縁深い話し」

福豆を探して三千里。
ドタバタと缶を引っくり返して探したものの、昨日置いたであろうと思われる場所に福豆はない。
あと、数十個残っていた豆は誰が食べたかと思うのですが自分しか食べない豆でもある。
昨日置いたであろう場所の後ろを探し、調味料の裏に落ちていないかとも探すのですが見つからない豆である。
最近、無意識にモノをどこかに置き忘れることがある。
いやいや、これは幼少の頃からのクセでもあり、いつもどこかにモノを置き忘れて一人でドタバタと探す探し物。
探し物とはなかなか見つからないものであり、人生の1/3は睡眠で、残り2/3の活動時間中でもホニャララと何かのモノを探すのだ。
そして、無意識とは怖いもので、福豆はお菓子入れの中に入っていた。

私にとって福豆とはお菓子でもある。
幼き頃から辛味も甘みもないこの福豆をボリボリと美味しく食べる不思議で、福豆の美味しさとは大豆の風味と歯ごたえで、海苔のついた味付きの豆もあるのですが味なしの豆でも十分に美味しい。
外国の人たちでもこの味なしの大豆を美味しく食べることは出来るのでしょうか。
因みに、福豆の作り方を調べると、水で浸した豆をオーブンの予熱でカリカリに焼くと自宅でも簡単に福豆を作れるそうだ。
そう言えば、
水戻しの大豆に塩をまぶすと枝豆風にもなる。
冬でも美味しいビールを飲みたい時には、前日から大豆を仕込み、水戻しをして、豆を煮込めば美味しい枝豆風のおつまみの完成だ。
ただ、後味はやっぱり大豆の味でもあるので、枝豆みたいにプリプリと出てくる容器に入れれて食べればもっと美味しく食べれる豆かもしれない。

ところで、

このように大人になっても豆がどうのこうのと訳のわからない話を書く私ではありますが、本当に書くことが何もない。
外国で二人の人間のことを「ツーメン(複数形)」と話していたならば「ツーパーソン」だったか「ツーピープル」と言い間違いを修正されるような私でもあるので、猿学的にも猿の映画を観て学習する必要はあるものだ。
要はサブスクなので、映画は観れる時にたくさん観るのである。
そして、そのような猿映画を観ていると、猿の惑星が私の誕生ストーリーとも深く関わることを思い出す。
TV風のMy歴史誕生ストーリーを作るとなれば、最初の画は間違いなく猿の惑星の猿と人間との対話のシーンかもしれない。
猿の惑星にはたくさんストーリーがあるようで、人気の程を伺い知れる。
どの話から観れば良いかわからないので、早速、賢いAI先生に相談すると、先生は放映順に観る方法と、時系列順に観ることで話の全貌を把握する観方を提案する。
私は猿が地球を支配する時系列順に映画を観る。

このような猿人たちが大暴れしているのを観ていると、母が父との初デートで猿の惑星の映画を観てドン引きしたという話しを思い出す。
なぜ?初デートに猿なのか?それは大いなる謎でもありますが、母曰く、昔は若くて素直でもあったので猿にも耐えたようだ。
もし、母の我慢が耐えることができなければ、私を含めた生命はともかくこの世に生まれていなかった可能性もある。
そのような意味に於いて、猿の映画は私の命を封印し消し去りかけた因縁ある映画でもあるのだ。
ザ・メニューな映画でもなぜお前なのかと映画俳優がメンバーに選ばれていましたが、初デートの猿とはそれに匹敵する出来事かもしれない。
そして、何かの「幸」なのか墓場の土はひっくり返されて、私は土から這い出る幸運を得た。
1の頭)で猿の映画の内容を追い。
2の頭)で親の初デートが猿の映画で私が生まれなかった可能性が頭をよぎり。
3の頭)で、ならば、初デートのオススメの映画はなんぞや?
と考えると頭の中は猿どころではないのである。
勿論、私は常にサルの味方でもありサルの応援団でもある。
よって、この3つの頭とはバック・トゥ・ザ・フューチャーの三角形の動力源にも重なるタイムワープする3なのである。たぶん

猿の映画はそのような生命上の危機がかつてあったことを私に教えてくれています。

 

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■2025年2月7日(金)
■ウォッチザ筋肉。

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■2025年2月10日(月)
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「やかんを磨いた」

週末のこと。

「オレはやった、やらない、やります、やれ、やれば、やるとき」と、これこそが人生の心の揺らぎの五段活用である。

人生の苦闘とはあれこれと横目でチラリと見て見ないふりの、“すました顔”でやり過ごす、やりたくない事ばかり。
しかし、人には時が来たらやらなければならない事もあるもので、その筆頭がキッチン周りのオイル汚れのお掃除。
このあぶら仕事とはロボットや学習したペットが進んでキレイにしてくれたならば最高なのですが、我が動かないと本物の町中華屋みたいなベトベータとなってしまう恐ろしい“あぶらすまし”でもある。
妖怪の名前にもなる程の酷いあぶら汚れとなると”すまし顔”でいれないもので、伝統的に家庭のあぶら汚れとはとっても怖い事かもしれない。
やかんを磨く行為とはとても気の重くてやりたくないことの筆頭で、日々の生活でベトついたやかんを見て心にひっかかるものの、磨く行動までなかなか結ばないものだ。

先日の防災グッズ整理でも日用品を集めて持ち出すことを考えていたならば、この脂ギッシュなオイリーやかんは必ず持ち出す必須の生活品だ。
幸い大きなやかんが2個あり、一つはお茶専用で、もう一つはお湯沸騰用の二刀流で2台同時に沸かすと経済効率も倍増。
しかし、このような脂汚れが酷いと気安く持ち出すことの出来ないやかんでもある。

そこで、

「山下清のように大きなやかんをリュックにぶら下げて防災グッズとする」と我は宣言する。
山下清はやかんを持っていないとの異論もあり、画像検索すると確かにやかんはぶら下げていない。
とりあえず、お湯を沸かすのにオシャレなキャンプ用の小さな湯沸かし器でちまちま沸騰させるのは非効率であり、湯とは大きなやかんで一気にドカーンと沸かして、ダダーンと大胆に使ってこそ事足りるのだ。
著名な登山家さんたちにも大きくて邪魔になるやかんを持って登山しよう!と啓蒙したいぐらいの勢いで、我はこのやかんを防災グッズとす~。

ということで、

吾輩はいつでもどこにでもやかんを持ち出しても恥ずかしくないように一昨日にキレイに磨いた。
ゴシゴシとボンスターでステンレスのやかんを磨く。
積年のあぶら汚れとは層と成し、頑固な汚れは磨いても、磨いてもなかなか落ちない汚れでもある。
やかんの汚れには2種類の汚れがあり、1)黒付く焦げ付いた炭化した汚れと、2)茶色くベト付くあぶら汚れ。
黒焦げの炭化はボンスターのヤスリの力で剥ぎ取ると案外とすぐに剥がれますが、まだ炭化もしていない茶色い油汚れは結構頑固な汚れでもある。
そのような茶色い油汚れはボンスターの赤い洗浄剤で溶かしながらゴシゴシと削ぎ落とすと、その内に消える。
ただ無心の一点でゴシゴシと磨くだけの力仕事が私に課された役目。
汚れた部分が美しくなると心も幾分晴れやかになるもので、磨き仕事には心の淀みを洗い流す良い効果もあるように思う呆則。

ところで、

あのベト付く「あぶら汚れ」が脂なのか?油なのか?わからない。
辞書によると、1)「油」は流状・液状の油のことで、2)「脂」は動物の体内の脂肪の脂で、3)「肪」は脂肪の肪で肉をとりまく肪のようだ。
美味しい街中華風のベトベトしたあぶら汚れとキッチンレンジ周りのあぶら汚れとは流体でもあり、動物植物の脂肪分でもあるので難題。

とりあえず、

ベトベーターな汚れは力ずくで何回も擦って剥ぎ取り、炭化した焦げはボンスターのたわしで剥ぎ取る。
力ずくの作業なもので親指の裏が筋肉疲労で痛くなると同時に、同じ足のふくらはぎも何故か痛くなる。
人間の体が各部位が繋がって痛みを感じて不思議なものだ。
爪も真っ白に変色し、手荒れも酷いのでハンドローションを塗ってピロリン♪と回復。
脂汚れと格闘することで、やかんはピカピカの新品の輝きを取り戻すものだ。
やかんを磨いているとステンレス製のやかんで良かったもので、やかんに顔を近づけると顔が写るぐらいにピカピカになる。
やかんを動かすと、おでこが伸びて、鼻の下も伸びて、伸びたり縮んだりと変顔の完成だ。
これは画にしたい面白さで、この移り込む顔は正に猿顔であり、関係ないけれども面白かった猿の惑星の気分にもなれる。

因みに、

やかんの姿をよく観察していたら、注ぎ口のカタチが直線的なものと、水鳥や蛇型のような曲がったカタチの2通りのデザインがある。
やかんの注ぎ口を引っくり返すと後ろの一部に薄っすらと接続の線が見えるもので、一枚の鉄板をくり抜き、プレス成形してから、溶接してつなぎ合わせて研磨しているようだ。

ものは磨いて大切に使うと、長持ちして愛着も湧くようだ。
大好きやかん!

 

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■2025年2月10日(月)
■車高上げ下げBoonBububuBoon。

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■2025年2月11日(火)
■一日一文章トレーニング。

「私は確かにカーテンの隙間から光るお月さまを見た」

夢なのか?現実なのか?今となっては定かではない。
昨晩のことですが、ぐっすりと寝むっていた時に急に目が覚めた。
夜中に目が覚めることは普段でもよくあることだが、昨晩の目覚めは部屋の中が少し明るく眩しくて起きたような気もする。
私は昔から侍のように、少しの物音や変化でも目が覚めるものだ。
だがしかし、速攻の秒速で再び寝る習性もあり、これが乱世乱世であれば忍び急襲の予感に気づいても再び就寝してしまい「YOU DEAD」なお陀仏な感じでもある。
私が夜中に目が覚めた理由は、恐らく、強い光を感じたからであろう。
確かに部屋に降り注ぐ明るい光はあったように思う。
私は布団に包まりながら朝がやって来たのかと思い目をパチリと目を開けて室内を確認すると、カーテン隙間から明るいオレンジの光を見た。
それは映像的に表現すると他の建物の屋根スレスレの低い位置から明るく輝くお月さまの光で、布団の中から見るお月さまとは久しぶりのことだ。
暗闇の部屋を照らす月の明かりとは結構明るい照明でもあり「眩しいなー」となって目も覚める。
今となればムクリと起き上がりて写真の一枚でも撮影すれば、カーテンの隙間から光る月の光よって目覚めたとの照明にもなるのだが、温かい布団から這い出して証拠を残すことは私には無理であった。
「カーテンの隙間からお月さまが見えるなー」と思い、再び目をつぶりて寝ようとするが、月の明かりが眩しくて「あ~もう眠れない」と眠気はすっかりと消えて再び目をパチリと開けるものだ。
「あれれ」とカーテンの隙間のお月さまはもう見えない。
部屋の中も外も真っ暗で、もしや、あの光は円盤か宇宙人なのかと思うもので、カーテンに目を凝らして月の明かりを探すと、カーテンの隙間の横の生地が透けて光っているのが見えて、良かった、良かった、月は順調に公転しているのである。
私はお月さまに背を向けて再び寝る体勢に入り、次に目が覚めた時にはすっかりの大寝坊
因みに、真人間アピールタイムがあるとすれば、我は夏の暑い時には朝6時ぐらいから活動していることもある。
ですが、寒くなると急に布団から出れないダメ人間にもなる。
冬季限定のダメ人間、いやいや、オールシーズンの可能性もある。
カーテンの隙間のお月さまが夢か現実かハッキリしないように、朝にも弱くて、夜にも弱く、これまたハッキリしなくて困ったものだ。
大抵、人の型とは朝型か夜型の二通りの話しで進んでいくものの、私の場合は朝も弱くて夜も弱いので、太陽次第の野生味が少々あるものだ。
人は大人になればなる程に真人間育っていくかと思えば、案外、ダメな部分はそのまま大人になってもダメなもので、そのお世話をする人たちとは本当に大変だと思う御免候。

いやはや、月がマイハウスを覗いている時には、深い深淵の布団に潜む私も月を見ているかもしれなくて寝坊する、ひゃ~怖い、なんまいだーなんまいだー。

 

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■2025年2月11日(火)
■ヤカンに写る顔。

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■2025年2月12日(水)
■一日一文章トレーニング。

「包丁のお手入れとは寝静まった深夜におばあさんがゴシゴシと磨くようなホラー昔話でもある、なので、包丁のお手入れのお話は誰にも言えない秘密なのだ」

ものを長く大切に使うことは大切だ。
そして、道具のお手入れなどをするとさらに愛着も生まれる。
写真の小さな包丁はいつから使用しているのかわかりませんが結構長く愛用している包丁でもある。
自分で購入した記憶はないので実家から持って来たものかもしれない。
包丁の先端にはギザギザの刃があり硬いパンでも良く切れる。
もちろん、刃を研ぐ手入れをしたことは一度もないのに、やかんもそうですが日本製のキッチン道具は本当に長持ちする良品が多いものだ。
そして、私はこの数日間はこの包丁の木製の柄にニスを塗り、長く愛用できる道具をまた増やそうと目論む。

先ずはヤスリで木の部分をゴシゴシと削り滑らかに、そして、木製の柄の表面は乾燥して白く劣化しているので、その上にニスを塗る。
家には昔IKEAが東京に出来たばかりの当時に購入したBENHANDLAという商品名のニスがある。
これまた全く使用していない年季もので、12センチ程の缶にたっぷりとニスが入っている。
IKEAの商品名とはベンハンドラとかのスウェーデン語の独特の名前が付いていて面白いのだが、とりあえず、そのベンハンドラの缶をマイナスドライバーでこじ開けて開封する。
中には1センチ程使用したニスが蜂蜜のように入っている。
そのニスを筆でペトペタと塗り込んで、再び手にフィットする愛用の包丁を復活させるのだ。
包丁の柄は長年使用しているので艶なくガサガサ。
そこで、そのようなミイラ化した表面にニスを塗るとやや木に潤いが戻りキレイな木目が浮かび上がってくる。
それを数日間乾燥させて完成なのですが、何故かニスは乾かないものだ。
あまりにも乾燥しないもので、直射日光に当てたり、ストーブの前に置いて乾燥させる。
包丁は消しゴムにぶっ刺してマグカップに入れてストーブの前でよく暖める。
ストーブの前の包丁とは危険な組み合わせで、蹴らないように周知してから数分後に私が包丁を蹴るパス出しで、自分の作った蜂蜜のトラップにはまるプーさんのようだ。
ストーブの前の包丁は危ないので、バーナーライターで直接木の表面を炙るとパチパチとニスが揮発して燃え、木の表面にも焼目が付いて良く乾く。
果たして、ニスを塗ることとはこのようにワイルドな方法で乾かして良いことなのかと、初めて缶の上に付く説明書を開封する。
ビリビリと説明書を破き使い方を読むと、ニスは塗った後に15分間放置して木に染み込ませたから、柔らかい布で拭き取ることが正解のようだ。
そう言えば、大工さんが作ったテーブルにニスを塗った時にもニスが乾かなくてベトベトとしていると話をしたならば、ニスは塗った後に拭き取って下さいと言われたような気もする。
ニスは塗ってから15分間置き拭き取るのである。
ワックス塗ったら、ワックス拭き取るとカラテキッドの精神と同じ。
そして、何より使用期間は未開封で24ヶ月、開封後で6ヶ月と超絶に試用期間が大幅に過ぎていて驚愕する。
念の為に割り箸でベンハンドラの缶を撹拌すると色が茶色から薄いピンクがかった乳白色に変わりにその液体を包丁の柄に塗る。
やっぱり塗るのかと、やっぱり塗ってしまうニスなのである。
まだ、たっぷりあるに使用期限切れのニスは木製品に塗って消費しないと捨てるにしても捨てようがない液体なので、いろんな木製品に塗って消費してから捨てることにした。

後ろの缶を見ると日付かよくわからない国際電話みたいな刻印がある。
「0534-00+」
効果があるのか?ないのか?よくわかりませんがとりあえず塗って乾かし拭き取りニス塗り作業は完成だ。
成分はキリ油ということで、油紙などに使用される乾性油の油脂。
乾性油とは反応性の高い物質で酸化によって固化するようで、揮発性ではなく空気中の酸化物と化学反応して固まる成分でもある。
トロトロとした液体でまだ固まっていないので大丈夫な気もしますが、揮発は少ないとは言え揮発しない油とは限らないのでキリ油を購入して追加投入して再利用する方法も考えられる。
光や熱によって酸化反応が起こり固まる油なので、強ち、野蛮にライターで燃やして固めたり、直射日光に当てることは間違いではなかったようだ。www

キリ油=固まる油
リンシードオイル=アマニ油(筆塗りに最適な油絵の具用の油)
メチルセルロース=ゲル化
無鉛乾燥剤=油を乾燥させる
植物性乳化剤=水と油を結合
水=H2Oで薄める

成分は全部安全。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月12日(水)
■いぬー。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月13日(木)
■一日一文章トレーニング。

「キッチン用品を大切にすることは重要で
儚くも壊れてしまう台所用品もある
それが屋敷のお皿」

先日、お皿を一枚、二枚、三枚と数えて合計五枚のお皿を床に落として二枚の皿が割れた。
落としたと言っても、それはコップを取ろうと食器棚を開けたならば、予期せずに皿が地すべりのような雪崩落ちした心臓バクバクのわーわーな惨事。
ガチャンと地鳴りのような大きな音を立てて床に落ちたもので、わーは今年一番にビックリした。
扉を開けると何かがドドドットと飛び出すもので、大きな破壊音とは心臓にとても悪い。
わー驚きすぎて、出来れば皿はパリンと上品に割れて欲しい。
しかし、不思議なものであんなにも派手に落ちたにもかかわらず皿は何故か2枚しか割れなかった。
全部割れなかったことはラッキーだった。

食器類とは同じ柄や種類で複数あるもので、下の方にある皿は普段使用されないことも多い。
当然、自宅パーティーもないもので全部の皿が入り用となることはほぼ無い。
自宅パーティーを行ったのはいつ頃のことかと思い出すとたこ焼きパーティーまで遡る昔話で、重ねられたお皿は一番上にあるものが毎日使用され、それ以外の下に積まれた皿は不動皿として鎮座する。
もし、仮にそのような底の皿を使うとなればアルコールでキレイに拭いてあげないとホコリまみれの皿かもしれない。
よって、皿がガシャンと割れたことは普段使用されない皿たちに脚光を浴びる良いことだ!
ということにした。
それにしても、なぜ、平皿が滑り落ちたかと言うと、ボールみたいな厚みのある皿の上に平皿を置く不安定な凡ミス。
皿積みは安定に積んでこそ割る罪はなくなると和尚は言っている。

床には細かい割れた陶器の欠片が散乱するもので、わーはホウキで集め、取れない破片はテープの粘着を使ってペチペチと取り、最後に掃除機をかけて足を怪我しないようにキレイに床掃除をする。
よっしゃー完璧。

この溢れ出すやりきれなさとは、とても複雑な感情でもある。
どこにどのようにぶつけていいものやらと思う、悲しみ、怒り、何より驚きの大音量の破壊音のドキドキで感情が複雑に組み合わさるのだ。

例えば、職場やバイト先で皿をバシャンと複数枚割った時には、その後の空間に広がるのはシーンと広がった緊張した空気である。
誰もが皿が割れたのに気づいているのに見るでもなく「あーあやったな」みたいな、動きがパタリと止まって横目で確認するような真苦空間だ。
わーみたいな単純思考な天然はまたあいつかみたいになるし、一挙手一投足で驚きのわーわーとやるのですが、割れた皿が引き起こす様々な感情とは人によって違うので空想してみる価値はありそうだ。
国宝級の皿を手に持ってプルプルと筋肉を震わせて「あーあー」みたいな状況は、それはとっても怖いホラーだ。
皿の緊張感とは大切に思う食器ほど割れやすいものだ。

ということで、モノが壊れた時に発する感情をわーなりに整理してみた。

自分が壊す)
・不意に壊す=びっくり・悲しい・損失
・不注意に壊す=反省・他人の目・損失
・何度も壊す=あはは・他人の目・反省・損失
・わざと壊す=罪悪感or壊す決意があれば爽快感
・すぐに壊れる=イラッと怒り
・経年劣化で壊れる=儚さ

他人が壊す)
・不意に壊す=しゃーないorあははor関係ない
・不注意に壊す=イラッor関係ない
・何度も壊す=不快・怒り
・わざと壊す=自分に関係すると不愉快・怒りor無関心だとあははと関係ない
・すぐに壊れる=共感共有
・経年劣化で壊れる=モノの宿命を諭す

同じ壊れるモノを通しても、自分が壊すことと他人が壊すことで感じる感情が異なるものが面白い。
大音量の破壊音は大抵、不快音で心地良いものではないのですが、自分が壊す時には損得勘定がベースにあるようにも見えますし、他人が壊すと独善的な正義感や道徳的な事柄をベースに見てしまうような気もする。
モノの価値に視点とは幾通りもあり、自分事と他人事でも感情の相違はあるものだ。
わーの場合は皿割れる衝撃で数時間動揺したもので、様々な感情が生まれてソワソワだ。

ということで、

皿の衝撃のドキドキも収まり日常が戻ります。

わーは椅子の上に白い欠片が落ちているのを発見するもので、これは先日割った破片が椅子まで飛んだ危険を察知する。
早速、椅子に皿の破片が落ちていて危ないので気を付けてと話すと、それは口から出たので大丈夫らしく、「それはどういうことなのですか?」とわーの心は再び動揺するのだ。
「おぬし割れた皿を食ったのか」と問い詰めると、それは口から飛び出たタブレット菓子の破片のようで、わーは人の口から出た菓子の破片を皿の欠片と勘違いしてわーわーしていたようだ。
わーはここ数日、一人で心臓バクバクなわーわーで、今朝はビュービューな突風が吹き抜けるのである。
ドキドキ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月13日(木)
■わんわん時計が10時20分をお知らせいたします。
■2025年2月14日(金)
■一日一文章トレーニング。

「冷蔵庫の上とはホコリまみれな場所の一つだ」

我が家の冷蔵庫の上には置き場所に困る大きなボールが一つ、タッパーの入ったカゴ(これは時折使用している)、オリーブオイルとゴマ油の在庫、木の箱(?)、米ぬか1Kgが置いてある。
どれも大きなキッチン周りのアイテムで置き場に困まりて冷蔵庫の上に置かれる。
年季が入った米ぬかは未開封で賞味期限が2021年8月とこれまた古い。
日常的に使わない保管品と防災用品は必ず忘れられてしまう呆則だ。
以前はぬか漬けのお漬物は食卓に度々出ていましたが、21年産の米ぬかが冷蔵庫の上に放置されているのを見ると、それ以前からぬか漬けは全く作っていないようだ。
お漬物ブームとは時折やってくるマイブームでもあり、こんなにも米の値段がトチ狂いて上昇すれば、今更漬物なんて作る気にもならないものだ。
今や我々庶民の救世主はイタリアンパスタであり、来年から我らはイタリア人のように情熱的にアバウトになっていたら程よく中和される社会となるかもしれない。w
そして、わーは今、パスタを微塵切りにする、なんちゃってのリゾットを作ってみようと考案している。
イタリア麺はメーンメメンとカットしてご馳走様となるとの識者の意見だ。

賞味期限切れの米ぬかはそのまま捨てるのは勿体無いのでベランダの植物の肥料にしようと思う。
米ぬかにはミネラル、鉄分、栄養素などが豊富に含まれているようで、消費期限切れの米ぬかでもそれなりの効果があるのかもしれない。
畑に米ぬかを蒔くと保水、保肥性の土壌改善の効果があり、微生物も活性化させるようだ。
しかし、土に埋めると土壌が発酵して根っこを痛める可能性もあり、また、発酵には窒素が必要なようで土を耕してかき混ぜてカイロのような温かな土を作る必要があるようだ。
米ぬかは直接鉢に投入するよりも、別の場所で空気をこねこねと馴染ませてから鉢に入れることが吉かもしれない。
とりあえず、賞味期限切れの米ぬかは鉢の土に少し混ぜて土壌改善を促す。

ところで、

米価高騰、相互関税と日々様々な情報が飛び交い追いつけない変化の世の中だ。
そこで、過去の米国から見た関税の歴史を調べる。

1930年に米国ではスムート・ホーリー関税法という歴史上最強の関税法が可決される。
輸入関税がとても高くなり輸入財価格は70%ほど上昇する。
(そのような歴史を見て米国の物価が上昇すればFRB金利が下がるのは難しそう)
他国もそのような高関税に追随することで国際貿易のほとんどは停止してブロック経済が出来る。
その後、多くの国が高関税の弊害が大きいことに気づき、米国は1934年に互恵通商協定法を制定し貿易相手国との同意があれば最大50%削減できる改善策を作る。
第二次世界大戦後の1947年には主要23国と関税と貿易に関する一般協定(GATT)を調印。
1962年には通商拡大法により大統領の関税交渉の権限が強化される。
1967年頃からは米国の関税は大幅に引き下げられて国際的な平均水準となる。
その後、貿易交渉の窓口はGATTからウルグアイ・ラウンド交渉を経て世界貿易機関(WTO)に移り、国際貿易は元共産圏を含めた規模の広がり財の国境を越えた移動は活発となる。
1993年にはクリントン政権(ブッシュ政権からの提案)下で北米自由貿易協定(NAFTA)が締結する。
それまでメキシコやカナダからの輸入品には平均10%程の関税が課されていたが、条約締結後は4%程の関税となる。
一部には保護される産業もありますが交易は活発となり米国の貿易赤字も膨らむ。
そして、直近ではアメリカンファーストな不公正な貿易問題、ロシア・ウクライナ戦争などもありて自由貿易は大きく後退する。
ほとんどの国は自国ファーストな国策企業みたいな会社を作りて産業を保護していますが、そのような国策企業と民間企業が自由競争することは難しい。
国内でも不公正な貿易競争により壊滅的な国内産業もある一方で、独占と数百%の高関税で守られる農業というのもあり、消費者が高い値段でそれを購入するしか選択肢はない。
米の価格をみてもこのような感じでもあり、通過安で国内の輸出力を高めるのか?シンプルに関税?で財源を得て国内産業を守るのか、それとも第三の方法があるのでしょうか。
いずれにしても、自由貿易体勢が広く浸透しなくなると通貨安には意味は無さそう。
アベノミクスな弱い円は今の物価高を見れば見たままの感じであり、経済政策からを見ると農業を守る為にほとんど無税や低い関税、円高の国内製造業とは他国に技術移転させるしか生き残る道がなかったのかもしれない。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月14日(金)
■やかんーのリズム。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月15日(土)
■一日一文章トレーニング。

「毎日、寒い日は続きますが恐らく植物たちも寒い」

室内には3つの鉢が寒さを避ける為に室内に避難している。
一の鉢は寒さにもそれなりに強い元遊戯王なサボテンで、二の鉢はひと夏で1.5倍ほど大きく成長した観葉植物、三の鉢は食べた植物の種や拾った種を植えたならば芽が出たまだ子供の植物。

【一の鉢】
元遊戯王の見た目は今やとてもカオスな生育姿だ。
もはや遊戯王な風格の片鱗もない。
その姿とは鉢の上にコテンと寝るサボテン状態で、6本のサボテンの茎なのか葉なのかが鉢を覆い、まるで鉢を覆う魔王のグリーンハンドのようだ。
そして、指の間から葱みたいなサボテンを生やし、土いじりしようにもピンセットを使わないと土まで辿り着くことのできない魔境。
鉢を動かそうとすると手にチクチクとトゲが当たり痛い。
園芸愛好家や生け花師範にも決して見せられない鉢ではあるけれども、このグリーンハンドは結構元気に育っている。
下に宝物を埋めれば、それなりのグリーンハンドな守り手となることも可能だ。

かつての遊戯王なサボテンは暑さ寒さにもめっぽう強いのですが、冬や春の雨や雪には弱い。
寒い時期や梅雨の水分を吸収してしまうと何故か根腐れを起こしてコテンと倒れてしまう植物でもある。
それでも、毎年、毎年、雨晒しにしてしまうもので何度弱らしたら学習するものかと思うのですが、暖かくもなり雨でも降れば植物とは喜ぶものではありますが、なかには梅雨が苦手な不思議な植物もいるものだ。
全て、私の管理不足でもあり、このような風貌になったものだ。
根腐れを起こしたサボテンとは下手に動かすと根っこが切れてしまいそうで、また、謎の根腐れ病を持っている可能性もあるので他の植物と隔離した殺風景な場所に放置する。
そして、次に気づいた時にはお前は生きとったのかと思うぐらいに根を張って元気になっているデジャブだ。
なので、我もそろそろ学習効果を発揮しないといけないもので、今年は早めに室内に避難させ水分管理を適切に行う。
暖かくなっても、完全に梅雨明け宣言が発令されるまで室内の友として部屋から出さない予定で、雑な育て方をして御免なさい。m(_ _)mT

【2の鉢】
もう一つの植物はひと夏で驚異的な成長を遂げた植物。
夏の直射日光とは植物たちにも過酷な環境でもあり、去年から小さな植物たちに木陰を作る低木を育てている。
久しぶりに窓の外の植物を見ると、この植物が葉をぐったりと垂れているので、早速、室内に避難させる。
長く植物を育てていると、植物が元気であるのか?ないのか?は見極めることは出来る。
それもこれも植物界の女王様のおかげではありますが、葉っぱのハリの状態を見れば植物のノリノリ具合は分かる。
植物にもワイルドに育つことのできる子と繊細な子がいるもので人間みたいなところはある。
この植物は今年もやって来るだろう猛暑の日差しに木陰を作る大切な役目があるので、多分、そのまま外に出していても大丈夫とは思うのですが念の為に室内で避難させる。
ただし、奴はバカデカっい。
購入した時よりも横にも縦にも大きく育ちて、室内に入れると置く場所がないくらいの大きさだ。
一応、日光のよく当たる場所に置きたいもので、そうなると80センチ幅のマイ書斎デスクの上に置くしかない。
テーブルに置くとこの植物で机は完全埋まってしまうもので、我の小さな書斎は完全に植物に占領されている。
よって、今、私には何かの作業する場所はない。
キッチンテーブルや床ぐらいがマイテリトリーである。
低木は室内に入れると葉をパシッと天に伸ばすもので、これで安心して夏を迎えることは出来る。

【3の鉢】
これは食べて美味しかったフルーツの種や道で拾った樹木系の植物の種を土に植えたならば2本の芽が出たものだ。
外見上は同じ植物の葉のようにも見えるのですが、適当に異なる植物の種を植えていたので異なる植物だと思う。
春になると大きく育つように鉢を別々に植え替える予定ですが、この冬の寒さで枯れてしまっては勿体ないので室内に入れている。
高さも17センチぐらいの大きさで、これぐらいであれば邪魔にはならない。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月15日(土)
■鉢キャップのリズム(自作の音楽付き

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月17日(月)
■一日一文章トレーニング。

「昨日はメモリーをメモリーする絵を上手に描けた」

情報とは夢であり、現実でもあり、幻である。(by 攻殻機動隊)
?&!
愛しきメモリーとはドライブを走り記憶を繋ぎ、情報は言葉や文字、絵にすることで初めてメモリーされ、そして、時折、私達はそれらを掘り出し、思い出しながら情報を繋ぎ直す。

昨日は新しく購入した記憶メディアのパッケージを描いた。
記憶メディアのデザインとは以前に比べたら格段にオシャレになっているもので、手の平サイズにステキな意匠が施されている。
そのようなパッケージとはパッケージマニアにとっては開封せずにそのまま保管して飾っておきたいものですが、飾って使用しないメモリーとは本末転倒でもある。
我がメモリーは只今、ガチガチのパンパンで容量が足りないもので、開封する前にこのパッケージをなんとか保存できないものかと考える。

1)写真に撮る?いやいや、味わいがない。
2)もう1個大人買いする?いやいや、お金がない。
3)我に出来るのは画にしてメモリーする?
絵に絵描けば、何故か不思議と印象に残るもので、印象に残したければ絵に描いて残すことは一考だ。

とりあえず、

動作確認の為にも開封する前にパッケージを描きデジタルデーターとして保存する。
これはなかなかの苦行なのですが、毎日描いていると以前の3倍ぐらいの高速で描けるようになる学習効果だ。

ということで、

ここ最近、記憶媒体のメモリーがイッパイだ。
先ずは一眼レフカメラのメモリー128GBがイッパイになり、カメラで撮影をしていたら急にメモリーのエラーが表示されて一人ドギマギ。
カメラが逝ってしまった!
メモリーが壊れた!
メモリーリーダーが壊れた!
と思いつくことの全てを壊れたかもと仮定してしまう、一般人の日常的なITトラブルな大騒ぎの定番。
しかし、メモリーはパソコンで読めるようで単にメモリー残量がMAXに達していただけのことだった。
メモリーを全部消費することは、もうこれ以上シャッターを切れなかったことでもあり、私が撮影するつまらない写真の為に何ギガも無駄なメモリーを消費して御免なさい。
とても申し訳ない気分なのですが、写真とは1枚に精進し、入魂もしていないもので「いいね~いいね~」といろんな角度からパシャパシャと撮影してから一瞬のチャンスとピントが良いものを選んでいる。
フィルム写真だとは多分このような感覚にならないもので、一枚一枚丁寧に撮影すると思われますが、SD保存のデジタルだと雑になる。
そして、その中でお気に入りの一枚を選び「これは名写真だ」と、消費期限切れのぬかの”どアップ”をHPにアップしてしまう罪悪感。
1枚のつまらぬ写真が出来るのに、その屍の上に無数の無駄なメモリー消費の山が積み上がる罪だ。
修行僧には1枚しか撮れない消すこと不可なSDメモリーを渡し、メモリー残量の大切さを学ぶ必要性はあるのかもしれない。
(1枚しか撮れない不便で絶対に失敗の出来ないSD記憶メディア)

よって、メモリーの消費は激しい。
過去データなどを見直すことはありませんが、せっかく撮ったデータを上書きして使う勇気もない。
もう見ないメモリーとは箱の中にジャラジャラと仕舞われて再会の日も来ないもので、メモリーは毎日ゴミ屋敷のように溜まる。

そのような訳で、

我は白色ボディーに青いパッケージの爽やかなKIOXIAの128GBのSDカード(日本製)を購入した。
オレンジのパッケージは同じKIOXIAの128GBのUSBメモリ(台湾製)で、これはついでのおまけで購入したもので転送スピードが3.2あるので結構高速だと思われる。
サイズも4センチと思ったよりも小さくて満足。

そして、購入したのは3代目の4TBのトランセンドのハードディスク(台湾製)も購入する。
TBのハードディスクを消費する罪は、どれだけゴミデータを消費積み上げたかの話でもありますが日々物凄くデータは消費しているようだ。
以前は2TBで今回は4TBなので当分安泰。
このハードディスクは衝撃耐性のあるもので3個目の購入なのですが一度も壊れていない。
ハードディスクとは結構壊れるもので、USBを挿してハードディスクの中からカラカラと異音が聞こえたならば絶望的な気分になる。

このようにして、今日も無駄なファン画を模写して、無駄にエネルギーを消費して、無駄にメモリーも消費して情報の山を積み上げていくのである。
アーメン。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月17日(月)
■深海のメモリーを探索。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月18日(火)
■一日一文章トレーニング。

「文章は格闘技であると断言す」

いやいや、断言することはない。
文章的に面白くする為には「文章は格闘技である」と断言することは重要ですが、これは物事の誤りをたった一つのことに求める二元論的な愚行にも感じる。
なので、我は「文章は総合格闘技かな」みたいな江戸時代の俳人みたいに「かな」逃げをする。
本心から言うと文章と格闘技は全く関係ない。
ですが、毎日文章を書く為に文章、思考、構成、図画と間違いなく格闘している。
その格闘競技の技はキック、パンチ、寝技に相撲、逃げ技、反則技と何でもありの総合格闘技だ。
文章とはとても複雑なのだ。
一つの車輪が回りはじめると全部の機構がガチャガチャと噛み合わさり動き出すような不思議なこともあれば、毎日の駄文のように書けば書くほど下手になるノルマ達成の泥臭い戦いもある。
そうなのだ。
文章を書くとは戦いであり、文章を書く時に、人とは気合と根性が必要で格闘家かもしれない。

「あなたが文章を書き始める時、あなたは格闘家になっているだろう」

賢いAI先生もそうでないAIも正真正銘の格闘家で、よって、我ら日本人は全員格闘家なのだ。
かな?
格闘とは礼に始まり礼に終わるので武道家と対面する時には格闘技の流儀に則り敬い戦わなければならない。
「チョーリース」みたい軽量級のチャラ男も格闘家なので「オ~ッス」とちゃんと返す。

仮に文豪たちも格闘家であるするならば、奴らと一戦交える時はそのうちに来るかもしれない。
備えあれば憂いなしだ。
文豪とは本という紙の厚み持つなかなかの重量級で、書籍のカドッコを使った攻撃もするし、走ったり筋トレしたりと実際に筋肉マンも多いかもしれない。
奴らはなかなかに危険なファイターなのだ。
昔の文豪は言葉が難解で何を言っているのか?さっぱりとわからないことも多く、現代の文豪からバトルすることが肝要だ。
いきなり、芥川龍之介に太宰治とは頭が高すぎるので、先ずは、他人のふんどしを使いて様子見ということで、「村上春樹VS村上龍」の村上水軍の戦いを見て頭を高めたいと思う。
BARでオシャレにカレーを食べる村上先生のダンスダンスも絶賛発売中、ロッカーに危なさが漂う村上先生のコインロッカーも絶賛発売中だ。
プールの上のリングで戦ってもらう村上水軍の対決だと切符はたくさん売れそうな良い興行になる予感である。

そして、我らは何キューの格闘家かと言えば、大学の同好会レベルの軽量級である。
データ分析は完璧ですが、体に染み込んだ格闘スキルは軽量キューで逃げ出しや反則技の格闘界でいうところのヒール役でもある。
礼に始まり無制限、マイクにパイプ椅子のルール無しのファイトで礼に終わる。
始まりと終わりが礼によって良ければ全て良し。
英国人も「Rules make man(people・ぴおぷる)」と言っていましたが、これはルールに則ったルール上のヒールなので御免なし。
強い相手と戦う前には先ずはちゃんと挨拶をして、スポーツ新聞の記者をぞろぞろと引き連れて自腹の賄賂をチャリンと渡して、オレたちがスターダムに立つプランを説明し、仲良くなってから戦う必要があるものだ。
本当に痛い格闘技は嫌なのだ。
私はどちらかと言うと格闘技な番組は苦手で、ゴルフやマラソンぐらいに観たことはない。

いきなり、村上財閥では話にならないので、我らにも適当な対戦相手が必要だ。
我らの対戦相手とは誰かなーと考えると、あの人に、あの人と、今頃くしゃみしている御方たちが頭に浮かぶ。
先ずは道場破りの為に「果し状」が必要で、明日は果し状の書き方について学習しましょう。
世間は広いといえども、果し状を書いたことのある人は早々にいないと思う。
そして、果し状の文面とは全く想像もできない文章でもあって、とっても愉しみだ。
ワクワク。

このような「文章は格闘技である」話とは絶対に人前で話してはいけない秘密の話だ。
秘密とは決して絶対に他言してはダメで、誰にも話していけないものが秘密なのだ。(小泉構文)
勿論、面接官にも絶対に話してはいけない話しで、そのような話を面接官にすると「就職するよりも自分で会社作った方が良い」と真っ当な事を言われてしまう。
サンキュー

日々の文章で話の種を探すことはなかなかの苦行だ。
早起きした私は温かい巣穴の布団から這い出て、先ずはおトイレに行き自らを清め、顔を洗い目も開き、湯たんぽのぬるいお湯をジャジャーと流してキリっとし、室温を確認してからの思考停止で「チーン」とリングに降り立つ。
「お前はすでにリングに立っているのだ」
寝起きの戦士とは「ホラホラやるのか!」「かかって恋!」などと毎日の訳のわからない文章力という名の日記を書き始めてしまう。

そして、ワンパンチはとても重要さー。
ワンパンの一発により文章のテーマを成す幹が現れ、私は確実に一発目のパンチを繰り出したのさー。
果し状がやって来るのを、皆ビクビクしながら待つのさー。

 

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■2025年2月18日(火)
■【緊急速報】2ードロップとRaliアート!!

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月19日(水)
■一日一文章トレーニング。

「果し状が果実である意味について」

昨日は鉛色の空に冷たい風が吹く良い天気。
私は冬の曇った空が大好きだ。
そして、そのような寒い日には湯豆腐を食べたくなる。

鍋に昆布を入れて出汁をとり、木綿豆腐を入れて豆腐が浮いて来たら食べ時だ。
少しボリュームが欲しいと思えば豚肉を入れてポン酢で食す。
鍋料理はあちこちに食べ物や汁が飛びテーブルの上も汚くもなって洗い物も増える料理ではありますが、湯豆腐だと汚くもならないし洗い物も増えない。
冷蔵庫のポン酢は1センチぐらいしか入っていなかったので、さっそく、スーパーに行ってポン酢を購入する。
店頭にはたくさんの種類のポン酢が並んでいるもので、定番の味ポン、昆布ポン酢、味付けポン酢、生ポン酢、ゆず果実のポン酢にその他の柑橘系の果実、メーカーも多種多様でポン酢とは実に多くの種類が乱立する激戦区でもある。
あまりにもたくさんの種類のポン酢があるもので、どれを購入すれば良いものか悩むもので、結局、悩みに悩み搾りたての生ポン酢を選ぶ。
理由は勘でテキトう!
ポン酢とは柑橘系の果実と醤油を混ぜて作られる調味料で、それ以外にも様々な調味料を加えられて商品化されるようだ。
ネット情報によるとポン酢がない時にはお酢などでも代用出来るようだ。
湯豆腐にはポン酢は必須なのである。

そして、私はそのような果実のポン酢を見ながら「果し状」のことを思い出す。
決闘な戦いの書状に果実みたいな漢字を使うことはとても変なことである。
令和の現代に「果し状」を書く奴はいないだろうと思ったら、結構、皆元気に「果し状」を書いているもので、今日も街のどこかで「果た死合い」は行われているのかもしれない。w
恐らく、その多くは中高生な子供たちが量産する果し状だ。
私も中高生ならば果し状の手紙を書いて気になる子に渡しているかもしれない。
そして、今なら確実に果し状わSNSに晒されてナドレを晒してしまったと泣くのだ。

一般社会に果し状なんてないものかと思えば、いやいや、突然の飛び込み営業なども立派な「果し状」のような格闘感もある。
株式会社果し状のような名刺でもなくとも、ササッと名を刺す名刺交換でもすれば、もうすでに果たし合いの第一回戦でもある。
それにしても、道場破りにしても、果し状にしても、相手の都合に関係なく何月何日何時と突然やって来るのが面白い。
人生の大事とは突然やって来る呆則かな。

ところで、

果し状がなぜ果実の果であるのか調べた。
果とは下記のように実に様々な使い方がある言葉である。

1)果物の果のこと。
2)果し状(はたしじょう)の成し遂げることの果。
3)思い切ってやる果敢(かかん)の果。
4)はたして、思った通りの果然(かぜん)の果。
5)はてと出来上がった結果の果。
6)因果応報(いんが・おうほう)の報いの果。

果を「か・が・はて・はた」と無意識に使い分けて読める不思議ではありますが、果には多種多様な使い方がある。

果し状に果物の果を使う理由は、私の解釈だと果し状の戦いには木に果実として実が成り、熟したその時期がやって来たことを示しているようにも思うものだ。
なので、木に果物が成るということは人生の集大成の実が成り何かを成し遂げる「果し状」かもしれない。

それ以外にも果には面白いことを見つける。
勇猛果敢(ゆうもう・かかん)は決断力や物事を思い切ってすることであり、そして、「果敢ない(かかんない)」と否定系にすると全く意味が異なる。
読み方も「果敢ない」は(かかんない)と読まなくて(はかない)と読む。
意味は確かでない、頼りにならない、変わりやすい、脆い意で、はかない・儚い・果敢ないとは全て同じで意味の言葉のようだ。
私達は一般的に儚い夢のようにぼんやりとしたカタチもなく脆いものにはかなさを感じるものですが、伝統的な言葉の「果敢ない」は人たらしめる木に果実が成らないことのはかなさを言っているようだ。

果たして我の幹に果実がまるまると育っているのでしょうか。
言葉通りに「果し状」を読むと、果し状を書く前にちゃんと立派な実を付けて戦いに挑む必要があるようだ。
よって、「果し状」は立派な果実を付けてから挑むことにしましょう。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月19日(水)
■(果)

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月20日(木)
■一日一文章トレーニング。

「包丁1本~♪ホニャララ~♪ホニャララ~♪とモノを大切に使うことはとても尊いことだと学ぶ」

使用期限切れのベハンドラ(ニス・木製用トリートメントオイル)の廃液はどのように捨てれば良いのかわからない。
ネットで調べると紙に吸わせ捨てたりもするようだが、750mlに入ったニス全部を紙に吸わせるのは至難の業。
ちまちまと油を紙に吸わせながら捨てていたら来年になっているかもしれない程の気の遠くなる作業でもあり、大工さんのような缶々に入った塗料は一般家庭で消費出来る量ではない。
なので、ものを買う時は同時に、ものを捨てる時のことを考えながら購入することも大切だ。
そこで我は考えた。
全ての木製品にこのニスを塗ってやろうとの魂胆だ。
その為の補充オイルを購入する。
開封後のキリ油は6ヶ月しか持たない。
半月しか持たないということは、キリ油は酸化して固化したり、揮発したりしている可能性もある。
実際に缶の中の油を混ぜると固まった固形物は存在しており、ニス塗りのようにカピーンとすぐに油が固まらないことは乾性油が欠乏しているように思うものだ。
そこで、追加のキリ油を投入すれば再び木材をトリートメント出来ると思う。

ベハンドラ油の成分は前述したような下記の成分。

・キリ油=固まる乾性油でこの成分不足でニスの塗膜ができないとの仮説でもあるので、同じ固まる乾性油を追加投入すれば再利用できるのでわ・・・との考え。
・リンシードオイル=筆塗りに最適な油絵用のアマニ油、効果は顔料を分散し塗りやすく広げる酸化しやすい乾性油で、もし、筆塗り感が悪かければリンシードオイルを追加すれば改善すると思う。
・メチルセルロース=ゲル化して強い塗膜を作るもの。
・無鉛乾燥剤=油を乾燥させる成分。
・植物性乳化剤=水と油を結合させる成分。
・水=水が足りなさそうであれば水を追加すればOK。

そして、

キリ油は毒性があるようで食用油に適さないようだ。
大きな缶のニスを全部使い切ることはなかなかな苦行でもあり、毒性のキリ油を購入すると今度は消費出来ないキリ油を今度は残してしまうことにもなる。
そこで、一休さんは考えて食用として使える乾性油を探し、それを使用すればニス塗りに消費出来なかった分の油は食用として消費することが可能だ。
そこで、見つけたのが英国産のウォールナッツオイル。
ウォールナッツオイルはくるみから抽出された100%食用くるみの油で、そのまま食べても良しで、乾性油として使用しても良し。
木製食器などにも使っている人も多いようだ。

先ずは100%ウォールナッツオイルだけで包丁の柄に塗ってみる。
塗り心地は普通のサラダ油を塗るような感じ。
塗って拭き取ればソフトな肌さわりな感じで、物足りないと言えば物足りない感じで、サラダ油を塗っているような自然な塗膜。

次にベハンドラオイル1に対しウォールナッツオイル1を混ぜて塗り込む。
(1:1)
すると、本格的なニスのようにキラリと表面が反射してニスっぽい艶が木に出る。
速乾性も非常に良いようで木の表面に塗ってから、結構すぐに乾燥する。
15分で拭き取らなくても一晩立てば乾くぐらいの塗膜だ。

【結論】ベハンドラ廃液の再活用はくるみ油と混合して使うことで使えた。

ということで、

復活した包丁の木目は美しく完全に復活。
ところどころ黒く黒ずんだ部分は我が先日油を乾燥させる為にライターで燃やしていた部分で、そのような若干炭化したような部分でさえ、いい味も出て手に馴染む。
一度、プロの包丁職人さんに研いでもらおうかな。

ものを捨てずに大切に使うことは愛着も倍増するものではありますが、なかなかに大変な道のりでもある。
今や使用期限切れのベハンドラの缶でさえ物凄く良い味わいを出しているもので、例え空き缶となったとしても捨てずに記念に置いておきそうな予感でもある。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年2月20日(木)
■ウォールナッツソング♪

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■2025年2月21日(金)
■一日一文章トレーニング。

「米 食いね~★」

まだ2月なのですが、今年の漢字として頭に浮かぶ文字は「米」である。
価格急騰の食べ物の「米」とトランプさんの「米」で、やっぱり「米」の文字はダントツに尖っているのだ。
年末坊主がデカデカと墨汁を垂らしながら「米」の文字を書く姿を私は頭に妄想している。
逆に言うと、「米」より刺激の強いパワーワードな出来事はもうお腹がイッパイなのでいらない。
このまま平穏に来年に向かって時は流れて欲しいと心から祈り、そして、私は関税率で言い換えるとほぼ100%の米価格に対抗するパスタで作るリゾットを研究するのだ。
そう言えば、去年は蒸しご飯を研究していた。

今、我が家で流行しているのはオーガニックな全粒粉のスパゲティで、業務スーパーでとても安く売っていて本当に助かる。
イタリア・サンキュー!
狂ったインフレ時代に安く美味しい食材を供給してくれる方々には感謝だ。
このオーガニックな茶色い麺を食すと何故か蕎麦を食べているような食感があるもので、米代替のパスタの素材にはこの麺しかメーンと思う和食なのだ。
さっそく、「パスタで作るリゾット」を調べるとS&B先生がレシピをアップしているので、これを作る。
https://www.sbfoods.co.jp/recipe/detail/01626.html

クッキングしようと全粒粉パスタを用意しようと茶色いものを掴んでいたら、それはなぜかカツオのパックであった。
カツオって美味しいよねー。
信じられないのですがお寿司があんまり好きではないもので、私はマグロよりもカツオのたたきの方が好き。
カツオの何が好きなのかと言うと、高級品でもないのに美味しいところ。
とりあえず安くて食感良くて美味しいものが好きなようで、安い時に買い、高い時に売る投資家の極意のようなものが体に染み付いているのかもしれない。
相場感覚とはとても難しいもので、公正に機能する市場でしか市場価格とは決めることが出来ないものだ。

早速、かつおと全粒粉パスタを高速で描き写す。
味も美味しいけれども、絵もめちゃうまで、パスタ・リゾットも美味しくしたい。

先ずはパスタをポキポキと折る。
ポキポキとパスタは数本だと折れるのですが、カタマリのパスタとなると麺はメーンとしなりて折れない。
折れる数本を掴んで地道にポキポキと追っていく方法しかないのかもしれない。
そして、パスタをパキポキと折っているとパスタの欠片がテーブルや床に飛び散って部屋中が惨事となる。
最初はお米サイズぐらいに小さくしようと思っていたのですがパスタをそのような細かく粉砕することは難しくて正解の方法もわからない。
進撃風に言うと現在公開可能な情報としては下記の通りだ。

先ずはパスタを数本持って半分に折り、再び半分に折ってとパスタ自体を小さなサイズにする。
ある程度小さくなったパスタはビニール袋に入れて、お皿の上に置き上から圧力を加えてバキバキと粉砕する。
あまりにも長い麺のままビニール入れてパスタを砕くと袋に穴を開き、細かく砕かれた小さなパスタが飛び出すので、麺は小さくしてから袋に入れて砕くのが良い。
リゾットを入れる皿と皿を重ね合わせて上から力を加えてもバキバキと結構楽に麺を砕ける。
もしくは、乾麺を水に漬け置きしてから包丁でパスタ千切りをするのも良いかもしれない。
とりあえず、パスタをお米みたいに細かく粉砕するのは面倒である。
朝起きてきても足の裏にパスタの欠片がひっつくぐらいに、パスタはあちこちに飛んで床に落ちているものでパスタの粉砕は大変な作業だ。

そして、

出来たパスタのお米風のリゾットがこれだ。

ヤバ!
写真がとても不味そうだ~~~!
クックパッドではこのような写真の料理は絶対に作らないのだ!!!
S&BのSにもカスリもしない不味そうな写真だ~~~!
デスクトップ画像もあるよ!

見た目がとても茶色かったので紫蘇の葉を入れて彩りを良くした。
不味そうな料理選手権があれば予選通過できそうな感じの見た目ですが、味は結構美味しい。
未体験の味とは生きているとあんまり経験しないものですが、これは未体験の味である。
お米の代替えのリゾットはS&B先生のタイトル通りのスプーンで食べるパスタが一番しっくりとくる料理である。
いんげん豆は無かったので大豆に置き換え、余っているトマトソースを投入し、一つまみの雑穀米も入れてお米料理に近づけた東南アジア料理のような料理である。
雑穀米を少し入れるとプチプチ食感もあって美味しい。
次はもっと美味しく出来る予感で、米食いてーとならないように美味しいパスタ・リゾットを研究するのだ。
前の米不足時にはソバ飯みたいな食材が生まれたのかもしれないので、今回はパスタ・リゾットだ。

 

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■2025年2月21日(金)
■リアルライフだワン!

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■2025年2月23日(日)
■社会派の犬と猫。(自作の音楽付き

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■2025年2月24日(月)
■一日一文章トレーニング。

「レッツらと楽しく美味しく節約料理を愉しむオレの勝ち!」

パスタ・リゾットは水に浸したスパゲティーを細かくカットすることで比較的簡単に仕込むことが可能だ。
麺をメーンと半分に折り、細長い容器に入れ水を入れて一晩ふやかす。
写真のパスタは24時間以上漬けたものですが、ちゃんとリゾット風な食べ物になった。
パスタはアルデンテな歯ごたえのウンチクも多い食べ物ですが、この水漬けパスタだとそのような芯次元な事柄も問題にならない。
パスタの水漬けとは麺を白くふやけせれば良いみたいで、美味しい銀座の名店・ジャポネのメーンもこのような感じの麺かもしれない。(勝手な妄想です!)
あ~久しぶりにジャポネのパスタを食べたい。

関係ないのですが、今朝も大豆を蒸し上げて一山作る。
大豆が冷蔵庫に入っていると小腹が空いた時や、ご飯に混ぜたり、炒め物に投入したりと何かと便利。
水に一晩漬けて蒸した大豆とはキラキラと美味しく輝くもので、水戻しのパスタも同じく白く膨らみ神々しく見える。
米もそうですが、水から戻す食べ物には死から生へと復活するような独特な美しさがあるようだ。

・ホットクックの大豆蒸しのレシピは下記の通り。

1) 大豆100gをボールに入れて洗浄し一晩漬ける。
※メインで食べる食材でないので100gごとの消費で十分。
2)ザルにあげる。
3)ホットクックで蒸す。
(手動で作る)→(蒸す)→(1時間)→(スタート)→完成

・水戻しのスパゲティーの作業。

1)乾麺を半分にポキっと折る。
2)タッパーに麺をキレイに並べ、水を入れ一応すすぎ洗いしてから水に浸す。
※塩は入れてなかったのですが、リゾットやパスタ食の場合には塩を入れても良いかも。
3)一晩漬けて、包丁で食べたいサイズに麺をカットする。

ところで、

ふやかしたパスタのメーンは包丁でザクザクと米粒サイズにカットする。
持った感触はネバり気の強いもちもち生麺のような感じで、乾いたパスタ麺の欠片が飛散する心配も無い。
前回は2~3センチ程の長さがあることを考えると、より代替の米の大きさに近づく。
2~3センチのパスタがスプーンで食すパスタであるとすると、米粒大になったパスタは正になんちゃっての米粒だ。
そして、この水戻しパスタの利点は水を吸い量も増えているので、とても経済的。
1人分で75gあれば十分でお腹もイッパイ。
腹ペコさんは100gぐらい必要かもしれませんが、水でカサを増やす製法はとてもお得なような気がする。
先ずはフライパンで肉をよく炒め、コンソメと水を投入し、ボンゴレソースと余っているレタス、パスタ米を入れてひと煮立ちすれば完成。
まだまだ、味や製法に改善点はありますが、有りか?無しなのか?で言うと間違いなくアリな美味しさだ。
味の新発見という面では前回の2~3センチ長さの麺の方が新しい食べ物のような気がするもので、新食感を追求するならば少し長くカットするのもありかもしれない。
そもそも、乾麺から煮込むのと水戻しの麺では食感も違うかもしれない。
味もパエリアのように魚介エキスなども加わればもっと美味しくなる料理かもしれないし、美味しさは味付け次第とも言える。
高い米消費の回数を減らすパスタ米料理を楽しめば懐にも味覚的にも美味しい料理となる予感で、最終目的は大豆のような味なしでもパクパクと摘んでしまうような、おかずもすすむパスタ(米)料理を作ってみたい。

 

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■2025年2月24日(月)
■顔リズム。(自作の音楽付き

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■2025年2月25日(火)
■一日一文章トレーニング。

「相場感覚とは非常に難しい」

相場とは一般的に商品取引される時の値段で、変動相場の投機的な取引に応じて売買される(妥当・合意点)。
相場とは人が価格を決めることではありますが、買ってくれる人がいて初めて取引が成立するので一人で相場は成り立たない。
独占状態では相場はいい値ということもある。
価格が流動的な関西と固定表示の関東と言うように、商品をまけて販売する商風習のある・なしもある。
相場の字を読み解くと「相」は「相互に、あいたがい、助ける」との意のようだ。
モノを売りたい売り手とモノを買いたい買い手の取引の場であると同時に、相場によって助け合いの意味も発見する。
相場とは市場が決めるものでありますが、上げ下げ損得と投機的な相場だと助け合いの意味は存在しない。
なので、そのような変動だけを見ているとバブリーな過大評価、過小評価と実際の相場感覚から離れるのかもしれない。
相場とは一人目線では成り立たない複数人の目線で成り立つ場でもあり、この相場感覚とは売買を繰り返し、場数を踏む人しか持てないような感覚もあり、また、変動だけを見て助け合い精神もなければ相場感覚から大きくズレるような予感。

お店とは面白いもので例えば1日に売れるペンの数とは大体同じような本数に収斂する。
これは見えざる手みたいなもので、何故かそのような数に決まる。
例えば300円のペンが毎日10本売れるお店があるとして、ペンの売上は3000円になる。
毎日10本売れるペン需要とは毎日その周辺地域で生まれているペンの需要だ。
そこで、店主は売上がもっと欲しいと考えて300円のペン販売をやめて、装飾の格好良い1000円のペンだけを売り出す。
需要通りであれば1日10本のペン需要があるとすると、ペン総売上は10000円となるはずですが、実際は3本のペンしか売れなくて3000円のペン売上となる。
ここではプラマイゼロの総売上3000円にしましたが、おそらく、7本分のペン需要の消失は相場感のふるいにかけられたように思う。
ちょっと使いだけのペンにデザインや高機能はいらないと、価格と需要の天秤が摩訶不思議に発動した結果の相場感かもしれない。

我が家には当然拾った木の実がある。
変わったところだと最近フィギュアケースに謎の黒い石を発見する。
河原で投げればピョンピョンと元気にバウンドしそうな石で、なぜ、この石がコレクションケースに飾っているのか?全く記憶にない。
他には令和2年3年に食べたブドウの房などの真のゴミもパントリーに保管している。
このメモ書きによると数十年後に食べたブドウの房をもう一度見てみたいとの私の強い願いだ。
確かに数十年後のブドウの食べカスがどのようになっているのか想像も出来ない。
今でも5年ぐらいは経過しているので、なかなかに希少性があるように思うゴミで赤茶の錆びたいい色をしている。
しかし、完全な本物のゴミ。
そして、もし、この5年もののブドウの食べカスがヤバオクデビューですれば、どの位の価値のあるものか?と考えると、売れるだけでもビックリなのですが相場価格とは全くわからない。
モノの価値とは実際に販売してみて、売れないとわからない。

そう言えば、

数年前に大阪の米市場が閉鎖されたというニュースを見た。
先物取引とは天候不順や価格変動などの変動リスクに対してヘッジするもので、もし、今、米市場があれば米取引はどのような結果になったのか?と思う。
さっそく、ニュースを調べると大阪堂島の米市場は2024年に復活したようですが、不認可理由は1)十分な取引量がないこと、2)田植え前から米価格が分かってしまうことを嫌がったようである。
日本の米市場とは1730年に幕府の認可を得て世界で初めて出来た米市場で、戦時中の1939年に廃止され、2011年の民主党政権化で進められ試験上場したが市場は閉鎖した。
因みに、昔は京都三条・七条に米場と呼ばれる公家や神社に保護された座の独占があったようで、蚊帳の外の織田信長が楽市楽座を作り保護されていた米の自由化を行ったようだ。
豊臣秀吉もそれにならい庶民が台頭する安土桃山文化が花開き、1730年に大阪堂島に米市場が出来たのは淀屋辰五郎という大名にも金貸しをする国家予算な富を持つ豪商が徳川家康により倹約令違反として全財産を没収され市場が作られたようだ。
その後、淀屋辰五郎は家康に呼ばれて江戸に住み300万石を返還してもらう。www
前述のようにモノを高く売りたいのは当然ですが、今起こる現象の伏線かもしれません。
なので、どのような小さなニュースでも出来事でも、しっかり拾いましょう。

2024年8月には米市場は復活しているみたい、、、で、、、米急騰と同じ時期に、、、どういうこと?

 

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■2025年2月25日(火)
■顔認証及び変装プランの構築。