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■2025年2月1日(土) |
■一日一文章トレーニング。 「漢字の意味から解釈する幸福論」 幸か不幸なのか、幸の文字が「まわりあわせ、なりゆき、運、幸福」の意味を知る。 幸の文字に因果応報の重しがなければ、悪事を働いたとしても幸運の賽の目はやってくる。 例え、山を築く程の良い徳を積んだとしても不幸なサイコロの目を出す可能性も十分にある。 運とはそのようにコロコロと目を変えるもので、幸福な「幸せ」が賭博な意味を持つとすれば、誰も制御できない運命を感じるものだ。 「幸」を分解すると、幸は土と屰(げき・分解した漢字は上記参照)の会意(かいい)。 会意とは以前にも書きましたが、複数の意味のある文字を掛けあわせて別の意味を生成する言葉である。 そのような「幸」の意味は、「若死にせずに生きながらえて幸いとなる」との解釈のようだ。 上の字の土は文字どおりの「土」ではありますが、その語源は夭(よう)であり、夭は「幼」と「妖」の2通りの意味を持つ。 これは力が弱い幼子や妖艶で美しき者が死んで土に還ったことを示す。 そして、 下の字の「屰(げき)」とは逆転させることの「逆」の意味で、「そむく・逆らう・逆転させる」と上に盛られた土をひっくり返して生きる幸運の意味のようだ。 昔は子供の死亡率がとても高かったようでもあり、幼子や美しき事柄が大きく育つこととは、土盛られた墓標を反転させる死から生への変化の僥倖(ぎょうこう)のような幸せとして例えられたのかもしれない。 ところで、 このように「幸」の文字を上下で分解すると幸には不幸と幸福を分ける境界線が見える。 「幸」の上には死や不幸があり、「幸」の下には運や幸福、賭け事、生がある。 因みに、屰(げき)はよく見ると¥マークにも見えるもので、円の記号にはそのような逆境を反転させる呪文があるのかもしれない。 玉はどちらに転ぶのかわからないのが運命であり、それを賭け事とも言う。 毎年見る幸福度ランキングなどでは低い幸せ度は定番でもある。 自分に置き換えてもそのような評価かもしれなくて、電車などに乗っても陽気な人は誰一人いなく、携帯なモノリスと対話しながらの納得のランキングかもと思うのである。 「楽しい日本」の標語とは抽象的でもありますが、不幸な気持ちを反転できないのはガンジガラメな様々な規制が理由かもしれない。 アレはダメコレも駄目でアレそれも駄目で、これも人目があるので自主規制して規制や法規でガンジガラメとなれば、「出来る事柄は何なのか?」と幸福度も高まらないかもしれない。 もしかしたら、博打的なものが身近にある人とそうでない人では幸福度に変化はあるのでしょうか? 勿論、私は博打を推奨している訳ではありませんが、規制は極力の反対派でもあるので微妙な立場。 身近に博打狂がいれば全力で止めるし、賭博などの闇経済が出来るのは絶対に反対だ。 そして、規制は一般市民を守っているようで利権者を法律で守る側面もあるものだ。 文字の意味から「幸」を読み解くと賭け事を推奨しているというよりも幸・不幸を反転させる生きる力を表現しているのかもしれない。 不幸が起きて土に埋められてしまったような逆境な時に、その土をひっくり返す反発する力があれば不幸は幸福となるかもしれない。 経験則でも、会社を興したり、様々な博打的なリスクを抱えている人と、そうでない人では若干の生命力の違いは感じるものだ。 ですが、リスクな損害を抱えたままドボンと死滅も多々あることなので、どちらの人生が幸せであるかなんて私には計り知れない。 「幸」の文字は「屰の逆」の逆転の力で人生を反転させて、不幸を引っくり返して幸となる意味だと理解した。 |
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■2025年2月3日(月) |
■一日一文章トレーニング。 昨晩は「鬼は外、福は内」と豆まきをする 1400万人の江戸の街で節分の豆まきをする家庭はどのくらいあるのでしょう。 近所迷惑でもあるので小さな声で「鬼は外」と外の壁に向かってバシッと投げて、福は内と福豆は中に投げると散らかるので玄関にキレイに並べて行事を終える。 一様、2度は外の鬼は滅した。 そして、玄関に並べた豆は結局食べるしかないもので、何か良い活用方法はないものかと考える。 真の鬼とは自分自身の中に潜む鬼かもしれないもので、福豆を食べれば、内なる邪気も外に流されるものかもしれない。 豆はアルカリ性食品と言われますが、そのまま植物の鉢の土に蒔けばアルカリ性土壌になるかもと思うものだ。 しかし、調べるとほとんどの食品とは酸性であるらしい。 調べると、アルカリ性食品とは食品を燃焼させて灰にしてから水溶液に溶かしたものを計測した時に、その値がアルカリ性を示すものであるらしい。 これは酸っぱい酸性の王様でもある梅干しがアルカリ性食品である謎に直結するものだ。 なので、コーヒーなども豆を炒り黒く焦がしてから飲むことで、アルカリ性なのかと思い調べると、コーヒーは弱酸性であり、弱アルカリ性でもあるようで、何のかことかさっぱりわからない。 もし、我が家にリトマス試験紙があれば、いますぐコーヒーを淹れてペーハーを計るであろう。 しかし、残念なことに一般家庭にリトマス試験紙は一枚もない。 この家には余計なものはたくさんあるものの、リトマス試験紙がないことは当然と言えば当然で、私が今まで住んだ家の中にリトマス試験紙が家の中に存在していたことは一度もない。 でも、何かコーヒーの色の変化は気になるもので、私のマニアックな思いつきを満たす為にリトマス試験紙を買うか買わないかと考えてしまうものだ。 変な思いつきとは銭失い道の入口かもしれない。 余計なものを買いそうで、あぶない、あぶない。 炒った植物を飲むドリンクであればごぼう茶なども何となく体内を中和させるドリンクもある。 あの香ばしくて独特の味わいはホッと一息つくのに良いドリンクだ。 理想を語れば、福豆を土に蒔いて雨と混じればアルカリ性で中和された良い土壌になる可能性もある。 もし豆を土に蒔くのであれば、鍋の上で豆をよく炒ってコゲコゲにしてから、砕いて蒔くか。 最初から福豆を砕いてから炒った方が早く全体を焦がすことが可能だ。 パンでも何でも焦がすのはプロフェッショナル級な得意技でもある。 または、そのような焦がした福豆を鉢に蒔けば、土壌の酸性が中和されてよく育つかもである。 日本の雨は酸性の雨であるらしい。 どのくらい酸性なのか?リトマス試験紙で調べていないので知らないのですが、土壌にアルカリ性食品を蒔くことは間違いなく良いことの予感。 生の食品だとそれらを分解するキモチワル虫が発生しそうなので、燃やした灰は住宅園芸にとっても良いかもしれない。 昔は実家でも庭の小さな焼却炉があったもので、落ち葉や木々など燃やしていたものですが、ダイオキシンが発生するとか、近所迷惑でもあるので失くなった。 調べたら野焼きする時期は2月の半ばぐらいが最適なようで、明日からの寒波が通りすぎた後に福豆は全部炒ってコゲコゲにしてから植物たちの土に撒いてどのような変化が起きるのか観察しましょう。 ワクワク♪ そして、皿に入った福豆は追い豆をして本日フライパンでよく炒ってから、大豆の福豆ブレンドの怪しいドリンクを作ってみませう。 多分、おいしい福豆茶の完成だ。 これはPHの紙が刺さった架空のオリジナルの福豆茶!!にもなる架空の新アイテムだ!! |
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■2025年2月3日(月) |
■ビックリサンダーゴロ鉄。 |
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■2025年2月4日(火) |
■一日一文章トレーニング。 「国産大豆100%の福豆をフライパンで炒ってローストさせます」 弱火でカラカラ・カラカラと炒るもののなかなか色づかない豆。 「のんびりと行こうぜ」とは物語の始まりみたいではありますが、弱火で豆をカラカラ炒るものの、気がつけば夕方になってしまいそうな予感である。 これはいかんと、私は確信した。 豆は強火でローストしないと遅すぎるのである。 しかし、強火でフライパンを空焚きするとフライパンは壊れてしまう可能性もある。 フライパン購入時の説明書には「空焚き絶体にダメ!」な記載があるもので、我々焦がしの名人たちはそのような間違った使い方をして、いくつものフライパンを墓場に送ったものだ。 豆をカラカラと炒ることは、そのままフライパンの空焚き状態のような感じでもある。 そこで、我考えた。 豆は焦がす天才の原石(Byブルーロック)のトースターに任せれば良いのだと。 トースターの窓から大丈夫と焼目を確認しても、ほんの秒、目を離した瞬間でも焦がす火力を持ったマシーンだ。 奴ならきっと出来る。 先ずはアルミホイルを使い豆が転げ落ちない土手のある皿を作る。 そして、そこに福豆をキレイに並べてローストする。 流石に頻繁にパンを焦がすだけのトースターでもあり、豆をローストさせるのも一瞬だ。 コロコロと豆はよく転がして両面をしっかりと焼く。 急速な変色の焦げ具合は・・・いやいや、ロースト具合はフライパンでちまちまと炒るよりトースターの方が間違いない。 ブラウン豆に、ちょっと焦げ過ぎかものブラウン豆、炭化するのも御愛嬌だ。 焦がし目にムラは多いものの、豆の表面にはコーヒー豆のような脂ののった艶も出てきており多分成功。 福豆はついにフロー状態に入ったのである。 福豆をローストする前に、勿論、ネットのコーヒー豆のロースト方法も検索した。 コーヒー豆にこだわりのある人たちの記事に戦慄しながら、トースターで焼くのは福豆なのでお許し下さい。 m(_ _)mT 一般家庭にリトマス試験紙も無ければ、ローストマシーンも無い。 ということで、 福豆のローストが出来た。 豆は茶袋に入れて、ビーカーに熱湯を注ぐとムムムッと麦茶のようなブラウンな液体を煮出すもので、案外何でも作れるものだ。 この茶色液体は初体験の香りで、計量カップに皿を置いて蒸らせば完成だ。 暫く放置して喋ったりしていたので、すこすぬるくなった茶をまったりと飲む。 福豆は 投げて拾いて ローストす 焦げ汁すすり 酸を薄める (ペーハー高まりの和歌) 味は未体験なお茶の味でとても良いお手前でござんした。 福豆を炒る手味のこもったお茶でもあるので、忘れてなければ来年の節分でも福豆茶を作りたい決意でもある。 焦げた豆の表面から抽出される液体とは、恐らく、アルカリ性であり、アルカリ性食品の怪しいPHを飲むことで、我ら体内の胃袋の酸性度を若干薄めたような気もするものだ。 胃袋の酸性度が下がることは体に良いことなのでしょうか?? よくわかりませんが、週末に観たブルーロックの中で「オレのことを器用貧乏から器用大富豪と呼べ」との名言もありましたが、これは正に器用大富豪になる一歩手前の「幸」の反転かもしれない。 |
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■2025年2月4日(火) |
■鉄棒ぶ~らぶらホラ~。 |
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■2025年2月5日(水) |
■一日一文章トレーニング。 「クリップなどが入ったケースは捨てることなく、USBなどのIT小物を収納する箱として再利用するのがオススメ」 内か外かに分けるならば小さなものたちは小さなケースの内に収納した方が断然良い。 我が家のUSB小物は以前、時計置き場やペントレーにバラバラと無造作に置かれていましたが、今や立派な箱入りの娘となったものだ。 写真のケースはクリップなどが入ったケースを再利用したもの。 以前はポイポイとゴミ箱に捨てていましたが、IT小物収納ケースとして再利用すれば便利なことに気づく。 これらITグッズは頻繁、時々、稀に使用するもので、吊るせて、中身も見えて大変便利。 このケースの大きさは5.5×7.5×2.8センチの少し厚みのあるタイプ。 この小さなケースの中には使用中のUSBメモリーが3個、プレステのヘッドホン用の受信機1個、スティックタイプのSDカード読み込みリーダーが1個入っている。 小さなケースの中に美しく収まると気分はとても幸せでもあり、福が内とは正にこのような箱の中に形成されたユニバースでなかろうかと思う。 配送の箱でもピッタリとキレイに収まることはうれしいことで、不思議とケースに美しく収納出来ることは稀有なことでもある。 あともう1センチ小さければ箱の中にぴったりと入るのに・・・という悩みは尽きないもので、箱を入れ直すのか、2つに分けて送るべきかと悩むところで、何だか微妙にものが入らないのが箱なのである。 大きい箱で送ればそれは事済むことではありますが、箱が大きくなると配送料も高くなる。 これは配送業者と梱包名人との戦いだ。 小さくキレイにコンパクトに収納できれば、その戦に勝った気分でもある。 これは、全て私の勘と妄想であり根拠は薄ではありますが、あともう少しで足りない箱の原因はセンチ規格によるものではと思うのである。 キリの良いセンチの単位で作られた製品はキリの良いセンチで作られた箱に入れようと思うと、微妙に小さくなってしまう自然呆則。 例えば長さ30センチの箱に入れようと思うと、30センチの商品はパッケージなども含めると30センチを越えて入れるのでサイズオーバーとなってしまう。 そこで、知恵を持つ私は少し斜めにしたり、向きを変えたりとテトリスのように箱に収まる置き方を猿の実験室のように考えるのである。 考える人の新作は「箱に詰める人」で決まりだ!! 仮にキリの悪い数字の24.3センチな商品があるとすれば、恐らくピッタリと箱の中に美しく収まる。 このようにセンチ規格に洗脳された私達はピッタリとキリの良い数字で商品を作ってしまうもので、箱も商品も微妙に入らない時が多いのではと思う。 関係ないけれども、センチの支配者は誰かと言うとヨーロッパの人たちだ。 あの人達は人を支配する知恵に優れているものでシステムによって支配しようとの考えだと思う。 アメリカ人はインチを捨てないし、イギリス人やヤード・ポンド法も捨てないが、日本人は尺をポイっと捨てるのでお手軽だ。 そして、何かを叩いて潰して頭をすり替えても結局何も変わらないことを学習しているので、ルールやシステム、考え方等で統治しようというのがヨーロッパ的な考え方である。 それが世界に現れる反発する世界の縮図の一端かもしれない。 よって、何かを潰せば何かが変わるような考え方はヨーロッパ的には浅はかで、一度失われた寸尺規格なども一度捨てしまえばもう二度と戻らないのである。 このように小さな箱にピッタリとIT小物がキレイに収納されて満足だ。 これはパソコンなどを日々使い戦っているIT戦士たちにもシェアしたいお話でもある。 クリップなどの入ったケースはUSBメモリーなどが入ることの出来る便利なケースにもなるので絶対に捨てるのはダメ!勿体ない。 で、使用済みのケースはそのままではパッケージのシールや中が汚れていることもあるのでよく洗浄してから使用します。 紙のシールの場合はお湯などに長時間浸けると剥がしやすくなる。 シールを剥がした後はアルコールなどを使いプラスチック表面をキレイ拭き取ってあげれば透明なプラススチックのケースの完成だ。 コンパウンドなどを使って磨くこともありますが、クリップなどの金属類がケースの中で動いて凸凹と傷ついているので、磨くのは結構大変。 でも、根気のある人は磨くのも良く、私もどちらかと言うと研磨したいタイプでもある。 写真のケースは磨いていない素のままのケースを使用しています。 |
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■2025年2月5日(水) |
■scos オリジナル缶バッジ/缶バッヂ - Le cafe, Made in Japan/日本製 https://www.scos.gr.jp/ScosShop/html/products/detail/702 |
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■2025年2月5日(水) |
■販促活動。 |
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■2025年2月6日(木) |
■一日一文章トレーニング。 「大豆の福豆茶を作る為の御作法」 2月3日(火) 思い立った時が吉日、カリカリの大豆を購入する。 大豆は250gの小さな袋に入っており、豆の大きさは8~9ミリの豆。 その豆をつまんで噛み砕くとネチョネチョとした若干硬めのキャメルみたいな感触。 味はこのままでも美味しいのですが少し重い大豆感を感じる。 大豆は未加熱で食べると消化不良を起こすトリプシンインヒビターと呼ばれる成分が含まれているようで、加熱調理が必要なようだ。 食べてからヒビタンの消化酵素阻害物質が炎症を起こすと言われても困るのだ。 トリプシンインヒビターの件は知らぬが仏と思いながら、2粒ほど生で食べているので念の為に冷たいお茶を胃に流し込み薄めておいた。 ヨシッ万事OK!! 後ろの説明書を読むと大豆の煮方が書いていあるので、その通りにボウルに100gの大豆を入れて水で浸し寝る。 2月4日(水) 朝起きて約12時間水に浸した豆を引き上げ、ホットクックで蒸す。 豆のサイズは計測していなかったのですが大きな粒で立派な大豆に育った。 完璧!! 茹で上がった大豆は宝石みたいにツヤツヤでとても美しい。 どれどれと一つつまみ食いをすると、やめられない止まらない美味しいさで、たくさん出来た豆はご飯に入れ、その他料理にも使ってあっという間に消費される豆である。 炊けたご飯に豆を入れると幾分ご飯のかさも増えたような気もして、とっても美味しいご飯となる。 最初に福豆茶用にザルに豆をよけておいて正解で、本題の福豆茶用の豆も当然つまみ食いの餌食となる。 2月5日(水) そのような豆も料理に入れられたり、つまみ食いされたりしてどんどんと数を減らすもので残るは少しばかり。 つやつやで美味しい大豆が出来た時には100gでこんなにたくさんの大豆が出来たと喜んでいたのに、あっという間にペロリとなくなる大豆である。 2月6日(木)今朝 ザルに盛られた大豆は寂しい数となりましたが、冷蔵庫の中で乾燥して表面も福豆のような外観にシワシワと育つ。 少しの赤みは酸化しているのかもしれない。 食べると固めの食べ応えのある大豆で、味はやっぱり大豆で乾燥させているだけの濃厚さはある。 「待て!!」と言われても、小腹が空き、のども渇き、反射的に冷蔵庫を開けて何かめぼしい食べ物がないかと探す我らに、ザルの上の大豆とは食べて下さいといわんばかりのおやつでもある。 大豆がおやつとは何か平安時代に生きているようでもありますが、手味な食べ物はとても美味しい。 これ以上長く冷蔵庫の中で乾燥させていると、豆が乾燥するよりも先に豆自体がなくなりそうな予感なので、本日、豆をローストしてまったりとしたティータイムを愉しむ温かい福豆茶を作ろうと思う。 |
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■2025年2月6日(木) |
■模範ドライバー。 |
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■2025年2月7日(金) |
■一日一文章トレーニング。 「猿の映画と私の因縁深い話し」 福豆を探して三千里。 ドタバタと缶を引っくり返して探したものの、昨日置いたであろうと思われる場所に福豆はない。 あと、数十個残っていた豆は誰が食べたかと思うのですが自分しか食べない豆でもある。 昨日置いたであろう場所の後ろを探し、調味料の裏に落ちていないかとも探すのですが見つからない豆である。 最近、無意識にモノをどこかに置き忘れることがある。 いやいや、これは幼少の頃からのクセでもあり、いつもどこかにモノを置き忘れて一人でドタバタと探す探し物。 探し物とはなかなか見つからないものであり、人生の1/3は睡眠で、残り2/3の活動時間中でもホニャララと何かのモノを探すのだ。 そして、無意識とは怖いもので、福豆はお菓子入れの中に入っていた。 私にとって福豆とはお菓子でもある。 幼き頃から辛味も甘みもないこの福豆をボリボリと美味しく食べる不思議で、福豆の美味しさとは大豆の風味と歯ごたえで、海苔のついた味付きの豆もあるのですが味なしの豆でも十分に美味しい。 外国の人たちでもこの味なしの大豆を美味しく食べることは出来るのでしょうか。 因みに、福豆の作り方を調べると、水で浸した豆をオーブンの予熱でカリカリに焼くと自宅でも簡単に福豆を作れるそうだ。 そう言えば、 水戻しの大豆に塩をまぶすと枝豆風にもなる。 冬でも美味しいビールを飲みたい時には、前日から大豆を仕込み、水戻しをして、豆を煮込めば美味しい枝豆風のおつまみの完成だ。 ただ、後味はやっぱり大豆の味でもあるので、枝豆みたいにプリプリと出てくる容器に入れれて食べればもっと美味しく食べれる豆かもしれない。 ところで、 このように大人になっても豆がどうのこうのと訳のわからない話を書く私ではありますが、本当に書くことが何もない。 外国で二人の人間のことを「ツーメン(複数形)」と話していたならば「ツーパーソン」だったか「ツーピープル」と言い間違いを修正されるような私でもあるので、猿学的にも猿の映画を観て学習する必要はあるものだ。 要はサブスクなので、映画は観れる時にたくさん観るのである。 そして、そのような猿映画を観ていると、猿の惑星が私の誕生ストーリーとも深く関わることを思い出す。 TV風のMy歴史誕生ストーリーを作るとなれば、最初の画は間違いなく猿の惑星の猿と人間との対話のシーンかもしれない。 猿の惑星にはたくさんストーリーがあるようで、人気の程を伺い知れる。 どの話から観れば良いかわからないので、早速、賢いAI先生に相談すると、先生は放映順に観る方法と、時系列順に観ることで話の全貌を把握する観方を提案する。 私は猿が地球を支配する時系列順に映画を観る。 このような猿人たちが大暴れしているのを観ていると、母が父との初デートで猿の惑星の映画を観てドン引きしたという話しを思い出す。 なぜ?初デートに猿なのか?それは大いなる謎でもありますが、母曰く、昔は若くて素直でもあったので猿にも耐えたようだ。 もし、母の我慢が耐えることができなければ、私を含めた生命はともかくこの世に生まれていなかった可能性もある。 そのような意味に於いて、猿の映画は私の命を封印し消し去りかけた因縁ある映画でもあるのだ。 ザ・メニューな映画でもなぜお前なのかと映画俳優がメンバーに選ばれていましたが、初デートの猿とはそれに匹敵する出来事かもしれない。 そして、何かの「幸」なのか墓場の土はひっくり返されて、私は土から這い出る幸運を得た。 1の頭)で猿の映画の内容を追い。 2の頭)で親の初デートが猿の映画で私が生まれなかった可能性が頭をよぎり。 3の頭)で、ならば、初デートのオススメの映画はなんぞや? と考えると頭の中は猿どころではないのである。 勿論、私は常にサルの味方でもありサルの応援団でもある。 よって、この3つの頭とはバック・トゥ・ザ・フューチャーの三角形の動力源にも重なるタイムワープする3なのである。たぶん 猿の映画はそのような生命上の危機がかつてあったことを私に教えてくれています。 |
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