*デスクトップ画面用の画像です。
■2025年11月4日(火)
■一日一文章トレーニング。

「読書の秋ですが、三連休とは読書もしない何もしない秋なのである」

昨日は木枯らし1号が吹いて、植物たちも大風に吹かれて1日中ゆらゆらと枝葉を揺らしていた。
私は何もなく何も起こらない一日を過ごすもので、週末に倉庫の箱でふっ飛ばして壊した電話の貯金箱を修復しようと考えていましたが一切触れることもなく一日も終わる。
何もなく何も成さないただ過ぎ去るだけの時を過ごすもので、明るかった外が急に暗くなっただけでも「あーあー」な気分となる。

こうして振り返ると、このような過ごし方は子供の頃からだ。
暇な夏休みは雨降って地面に水が溜まる様子をただ窓から眺めるもので、アリを見ているだけでも、石を拾っているだけでも楽しかった子供時代だ。
アリの行列を追跡するとその先にはセミやトカゲの干からびた死骸を発見する。
そのような食べ物を運ぶアリの行列に1本線を引けば、行列はたちまち規則性を失いわちゃわちゃと大混乱。
時にはバケツに浮かべた笹舟の遊覧船にアリたちを招待して地獄の観光船が出発する。
最終的にアリの巣穴に丁寧に水まで流し込む子供の凶暴さもあって、子供たちにとってアリや昆虫とは良き遊び友達である。
「アリか?ナシか?」と考えても「ナシ」の、アリの仕返しは真っ当に受けて立つ。

これらは日常の中のちょっとした変化が楽しいものかもしれないもので「三つ子の魂百まで」で何にもしないでも結構楽しい性格だ。
びっしりと小さな字で予定を書いた手帳を開き「その日はダメ」な充実タイプの人も多いと思うものですが、私の場合は手帳を使いはじめた数日間自慢げに手帳を持ち歩き、あまりにも予定が少なすぎて三日坊主で挫折するタイプでもある。
何ヶ月後に「手帳はどうしたの?」と聞かれればもう手帳は持っていないもので、予定はちぎったメモ帳に書いて持ち歩くズボラさだ¥ー¥。
その意味では時とは追いかけるのでは無く、時とは過ぎ去っていくものであって、井伏鱒二の「山椒魚」を地でいくような感じ。

そして、寒くもなればこの3連休に夏仕様のシーツから冬仕様のシーツに変える必要もあったもので「俺はやったーやったー」のである。
実際は植木鉢の配置替えも行い、なんもかんも結構やった。
ですが、身についたことと考えれば唯一の冬布団の衣替えだ。
上の布団は先取りした冬用の羽毛布団で暖かですが、下のシーツは夏用でいかんせヒンヤリと寒くボア布団にぐるぐると包まり”春巻き”状態で寝ていた。
「俺らと春巻き」とは夏休みの読書感想文の定番の「老人と海」みたいでもあり、流石に家族が「秋に春巻き」とは困ったものだ。

そう言えば、夏の読書感想文と言えば「老人と海」な気もするもので、私の場合はヘミングウェイの「武器よさらば」だったかな。
ドストエフスキーなども読んでみようかとも思ったのですが、塾の先生がドストエフスキー推しで要所要所で必ずドストエフスキーを推しをして、私の中では先生の髪型もドストエフスキーヘアーでもあったもので、私はドストエフスキーは読まなかった。
今、ドストエフスキーの画像を検索すると全く異なる髪型で先生の髪型はペタッとポマード風な七三分けでもあった。

私は「こりゃいかん!」と奮起して押入れから冬用寝具を掘り起こす一大作業を行う。
「よっこらよっこいしょ」と布団を担ぎ、まだ使用しない毛布類も取り出しあれやこれやとしていると、湯たんぽセットが出てきた。
湯たんぽセットはユニクロで売られている丈夫なプレゼント用の袋に入っていたもので、そこに入れたことも、押入れに入れていたことさえもすっかりとド忘れてしている。
探し物の湯たんぽの発見とは偶然の発見でもあった。
ユニクロのプレゼント袋とはこのようなモノを纏めて保管するのに良い感じで、出来ればマジックで「湯たんぽ」と書きたいのですが貧乏性なので布に直接書けない。

そして、

ついでに押入れから「リフトS」と書かれた謎の箱も発掘される。
さっそく、「何かなー」と箱で開けると「オキュラス・リフトS」のマスクとコントローラーや接続線など一式が入っていた。
追加のイラスト絵も描かれているものの、文字も絵も何を意味するのか認識出来なかった。
せめて「オキュラス」と書けばイメージ出来たものの、何故か「リフトS」と書いているボンクラさだ。
夏場は汗を掻くものでマスクを付けることは出来ませんが、寒くなると丁度良い季節でもあるので久しぶりに遊んでみたい。
押入れから出したり入れたりと大変ではありますが、押入れに入ると忘却してしまう確率は高い呆則で、悪い思い出や恥ずかしい事柄の全部は押入れに入れて仕舞うのが良いこと也。

ということで、

押入れの中は結構な大きな魔境空間でもあり、私は熊の冬眠のようにふかふかでぬくぬくな布団でとても快適だー。

「では、早春の暖かくなった日にまた会いませう、おやすみなさい」。

 

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■2025年11月4日(火)
■VRの世界。

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■2025年11月5日(水)
■一日一文章トレーニング。

「漬物自慢はスカスカ自慢」

じゃがいも、さといも、大きな唐辛子に、大根、にんじん、どれも立派に育ったお野菜ばかり。
収穫の秋の店頭に並ぶお野菜はどれもゴロゴロと立派に育ったお野菜が多くて、そのような大きなお野菜を抱えてお家に帰る。
春はあけぼの、秋は夕暮れと、カラスが夕暮れ空を一つ二つ三つと上野のお山に帰るように、真っ黒な服装の私も立派な大根を抱えてお家に帰る。
これは勤勉の話である!

そして、お家に帰った後はそのような野菜たちを塩漬けする。
大根は皮が一番美味しいもので捨てずによく洗って漬ける。
大根の茎や付け根の部分も捨てずによく洗い土や汚れを落として一緒に漬ける。
ついでに、きゅうりや茄子、唐辛子なども入れて一晩常温に放置したのが写真の自家製お漬物。
秋の涼しさで発酵するのかもわかりませんが冷蔵庫に入れずに常温のまま放置した。
赤白緑の彩りがとてもキレイな色で「どうだー」とご自慢な一品だ。
ご飯も進みそうな色合いではありますが、何の情報を参考にせずに勝手に適当に塩漬けしただけの不味いかもしれない食べてからのホラー。
ほらほらほらと漬物はその時々の旬と気候や湿度を鑑みて漬けるお漬物で、お漬物だと京都の「古漬け」や「柴漬け」が好き。
京都の任天堂ミュージアムに行った時にカフェでピクルスかわりに柴漬けを使ったハンバーガーを食べましたが、これはとても美味しかった。
バーガーでも人生でも、やっぱりご飯の進む漬物のない人生とは面白みに欠けるかもしれないもので人生にも自家製の怪しい漬物は必需品である。

ということで、

このようにちょっといい感じに漬かった漬物を自慢するように若かりし私は“漬かった・・・”いやいや“使った”ばかりの手帳を自慢げに持ち歩いていた。
そのような手帳とは合成皮製の大きな手帳でたっぷり書ける手帳である。
セカンドバックや大根のように抱えて持ち歩き予定や気になったことなどをカキカキ~メモメモする。
そして一通り自慢げに持った後は、やっぱり重くて、書くような予定もなく毎度の三日坊主を発動させる。
日記は昔から適当に気合と根性の横暴によって書き殴ることも出来ますが、手帳やルーズリーフは必ず三日坊主を発症させる。
そもそも、手帳で管理するような予定が無いのが大問題で、気合と根性で予定は作れないようだ。
時間や分単位の予定なども当然無く、毎日同じようなサイクルで同じように動くようなのんびり人生でもあり、大抵の事柄とはメモ帳に書けば事済む。
パスワードのメモが誤字脱字で間違っている罪状も持っているもので、メモは後から読むと汚すぎて難解である。

予定がスカスカというのは何だか淋しい。
それは何だか時代から取り残されたような寂しさでもあり、隣の手帳がカラフルな極文字でぎっしりと書かれているならば、我も負けじと耳なし芳一の坊主みたくぎっしりと隙間なく手帳を埋めたい。
だがしかし、手帳は埋まらない。
予定とは自ら積極的に作り出して埋めていくのかなとも思うのですが、それは強迫観念のようだ。

時に「アートやデザインとは空白なのだー」との達人たちの話も聞く。
確かに空間があることは素敵なことだ。
ならば「手帳も空間なのだー」「あーあ~~」と私も声高く唱えた。
スカスカの手帳を開き空間談義とは「スカスカ手帳のSKA」のようで、「エイヤー♪スカ♪スカ♪」とSKAは良い音楽だ。

手帳をぎっしりと埋めるというのは才能なのかもしれないもので、そのような思い入れのある手帳は捨てるのも困難のはず。
そうなると、死後に神保町辺りで売られる運命かもしれなくて陰キャにニヤニヤと読まれる悲劇かもだ。
なので、空間があまりにも清々しくてポイポイと捨てられる軽い手帳もまた良い手帳である。
予定の類はデジタルでも全く管理しないメモ派であり、ポケットにぐちゃぐちゃと突っ込みポイッとゴミ箱へ。
時折、道にメモが落ちているのを見かけると仲間がいるなーと思う。

 

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■2025年11月5日(水)
■色とりどり。

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■2025年11月6日(木)
■一日一文章トレーニング。

「漬けるのか、漬けられるのか」

秋のお野菜でお漬物を漬けると、冷蔵庫の中に入れられたまま忘れているお漬物のことを思い出す。
冷蔵庫の守護神、忘れられたアーク、月日が経ちすぎた白菜とは「ツケツケツケツケー漬けスギー」とお前は十分に漬かっている。by ケンチロウ
で、ツケ払いは絶対にダメ!

おにぎりを作った時に1枚そえるだけでも美味しさが倍増するお漬物で、白菜のお漬物とはシャキシャキとした歯ごたえが美味しい。
白菜は安い時に一玉で購入したもので、人間の頭2個分ぐらいの大物で消費するにはあまりにも大きかったので一部をお漬物にした。
米価も高く、パン食も増えて米離れも進むもので漬けたお漬物のことを忘れている。
冷蔵庫をピーピーと鳴らしながら「漬物はどこか?」と発掘すると想像していた容器とは異なる容器に入った漬物を見つける。
そう言えば冷蔵庫の圧縮収納で小さな容器に移し替えたような記憶。
透明だった液体は混濁した乳白色となり怪しさ満天のオーラを発している。
さっそく、フタを開けるとお漬物とお酢の香りがぷんぷんと、これはよく漬かったお漬物である。
内容物は白菜と塩、とうがらしのお漬物で、そう言えば、筋肉マンたちの大好物の水切りヨーグルトのホエーも少し入れたかもしれない。
ホエーの消費はいまだに解決していない葛藤中で何でも適当に投入してしまう困ったホエー話だ。
私は爪楊枝を取り出して恐る恐る白菜の漬物を一枚取り出してパックと毒見。
私が倒れたならば長期間漬かった白菜が原因である。

ということで、

白菜のお漬物の味を書き記す。
お口に入れると先ずシュワシュワと広がるサワー感の刺激があり、「なんじゃこれ?」となる。
発酵することによって塩辛かったお漬物の辛味も抑えられて、新しいフェーズのお漬物となったようだ。
何かに例えるならばシュワシュワ感の強いザワークラウトみたいな感じかな。
あの塩辛かった白菜がお酢な発泡酒のピリピリと刺激のある食べ物に変化してとても不思議也。
何だか怖い食べ物ではありますが、腐った感じもなく味も普通に美味しい。
そして、食べると頬がポッと暖かくなるようで、これは朝からご機嫌なアルコール度数の投入した予感でもある。
これは新種の貴重な珍味な気もして魯山人さんや料理研究家にもお裾分けしたい☆

お漬物を食べるとお腹も空くもので、冷凍庫で凍結されている棒パンを取り出してトースターでカリカリと焼き空腹時の発酵酒なお漬物を緩和させる。
すでに棒パンと正式名称も忘れているもので料理本を開くと「グリッシーニ」であった。
写真を見る度に見本の写真と似て非なる朝から笑える美味しさだ。
シュワシュワな発酵食なお漬物と棒パンを食べてひとまず腹は収まる。

そう言えば、「龝(あき)」という「秋」の古字を調べていたらインターネット情報は少し間違っていたので修正する

修正点は呪術的な記号の「龜」の「彐✕2」や「凶」の文字はくっついていた。(図参照)
これは豊穣の秋の「凶」を封印するお供え物としてこの2つは絶対に繋がっていないといけないように思うものだ。
因みに、この難しい「龜・亀」の字は龜を横から見た図のようであり、彐(けいがしら)はお腹のお供え物の肉の部分の足を表し、封印する凶は背中の甲羅で占いの材料となる部分となるようだ。
安直に考えて、亀を絵にしようと思ったならば上から描いて甲羅の部分を描いた図を書くことが一般的であるとは思うのですが、人が言葉に意味を持たす時には長寿の印でもある亀を横から描写した異なる目線で描いているのが面白い。

やはり、

何でもかんでも熟成期間とは必要なものである。
お漬物の学びとしては漬けて寝かせることでまた新しい価値観も生まれる。
発酵最高~

 

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■2025年11月6日(木)
■わんわん!

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■2025年11月7日(金)
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「ごめんね、サボテン三兄弟」

まだ新しいお家の鉢を見つからない。
本当のところは全く三兄弟のお家は探してもいないものですが、三兄弟はいまだ大きくて重い鉢に挟まれてこけないように固定されている。
不安定な小さな鉢に植わったままの三兄弟はヘビの如くうねうねと地面を這い倒れないようにバランスを保つ。
これはおそらくセルフコントロールである。
こんなにも幅広く場所を占有する植物も珍しいように思うもので、サボテンの大きさに比べて本体を支える根っこが小さいことが全ての元凶である。
人間の背丈に迫るほどのサボテンを天高く伸ばそうと思うならば根っこもそれだけ下に深く伸ばさないと倒れてしまうもので、支える根っこの基礎がないならばサボテン三兄弟たちは倒れないように地面を這う。

「あー神様よズドーンと細長く地下にたっぷり根を下ろせるでっかい鉢を下さいな」www。
大きくて細長く安定した鉢なんて想像もつかない形状である。
これはもう運命的に出合うしかない鉢の予感だ。
そして、この夏地を這う3兄弟の曲がったボディーから4兄弟目のサボテンが生まれた。www

猛暑なお日様も燦々と降り注ぎ二酸化炭素も豊富でサボテンたちはますます元気に繁栄している。
そして、長―く育った長男たちが上に向かって育つことが出来ないと判断したならば蓄積したエネルギーを新しい四男に注いでいるようにも思う。
夏の終わりから生えてきて、今は15センチぐらいの大きさに成長している。
この過酷であった猛暑な環境は植物たちにとてもマッチしているようだ。

ということで、

サボテン三兄弟はサボテン4兄弟となり、これは植物たちがセルフコントロールを行った結果の解釈である。
セルフコントロールとは「自制」のことで自制とは自分自身で欲望や感情を抑えることで、3兄弟は蓄えたエネルギーを自身の繁栄よりも新しい命に振り分けて4兄弟目が誕生する。

よくよく考えると「自制」とはとても難しい言葉だ。
私の場合だと野生満々の文章に”ことわざ”や名言を文章を組み込むことで、自らの自制と人間性を学習し確認することが以前に書いた通りである。
前首相の酷い醜態であらば、選挙による民意を無視しても平然と政権に留まり続けるような独善的な自制の欠落である。
他には何かと考えても全ての事柄は「自制のあるなし」に繋がっているように思うもので、世の中には自制している人が多い中で、そうではない人が横暴に振る舞うことの不平等感な不満が世の中に蔓延しているように思う。
おそらく、物価の高騰も自制する国民に向けて撃たれた異次元なバズカーによってふっ飛ばされた人々と一般人では手の届かない不動産や金融資産を自慢するような特権風な人々との軋轢のことでもあり、外国人問題なども自制する日本人と勝手気ままに振る舞う外国人に帰依する。
全ては自制と自制の反対語がよりハッキリと可視化される世の中の変質のようにも思う。

私は宗教家でもないし、先生と崇め奉られる人物でもないもので、一般ピオプルがとやかくうるさくは言わないのですが「盗み」な言葉一つとってもそうである。
盗作、盗掘、盗賊、盗聴、盗難、盗品、盗癖、盗用、盗人とこれも自制の裏の反対にある言葉で「盗」とは間違いなくよくない言葉である。
ですが昨今、そのような言葉を肯定的に表現するものも増えるもので、いよいよ世の中の荒む具合のバロメータとして「盗」の文字は活用できそうな予感だ。
それは「盗(パクる等)」に付随するワードを使って良き解釈をする事柄で使う程に何かしらの世の中が崩れてきているかもしれない思うもので、ビックデータな分析の指標となるものだ。
勿論、盗塁や怪盗ルパンなど物語やスポーツなどの用語などは除く。
昔のことはよくわかりませんが「盗」的な事柄とは忍耐で制御されており、常に目に見えない影で行われてきた事柄のように思う。
それが最近徐々に表に出てきているようにも思う。
ちなみに、「盗」という漢字を調べると「次」に「皿」でこれは皿の上を次々によだれを流す意となる。
直視してよだれを次々に出し計画を立てる時点で「盗み」の発端としているところが面白い。www

自制の反対側の言葉とはとても難しい。
(1) インターネットによれば勝手気ままな「放縦(ほうじゅう)」のことのようであり、「Self-control」の反対と考えれば「Disinhition」な「脱抑制」でもピッタリだ。
(2)自制の反対の他制とも考えられますが他制という言葉は存在しないので、「委任」や「お任せ」のような他人に自分の決定権を委ねることも自制の反対語である。

 

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■2025年11月7日(金)
■豊穣のお祭り。