■2023年5月1日(月)
■一日一文章トレーニング。

「パイナップルのクオーターは冷凍保存しました。私の思考クオーターとは何なのでしょうか?」

私の頭の中の「暑いと寒い」とは、ほぼ毎時間行き来きしております。
頭フィルターのほぼ50%は「暑いと寒い」ででていると言っても過言ではありません。
昨日も暑かったので半袖でいると急に寒くなり一枚羽織ると、再び徐々に暑くなります。
やっぱり暑いので脱いで、着たりとせわしなく過ごす毎日です。
ほんの少し前までは寒さに震えながら、つま先の冷え性と苦闘していた日々も懐かしい思い出です。
最近は布団から足も体もはみ出して、暑くて目覚める朝でもあります。
時の流れとはげに恐ろしいものであります。
この調子で行くと、本格的な夏がやって来たならば毎日暑い暑いと言っていることは間違いなく、クーラーの中では逆に寒い寒いと言っている未来も予言できます。
一日中、口から「暑い寒い」と言っているような感じではありますが、世間一般の会話もほぼ暑いか寒いで成り立っていることは間違いないことであります。
私には考えも及ばないような複雑思考を組み立てる人でも、頭の中の第一フィルターが「暑いか寒いか」の気候フィルターで形成されていることは大体間違いないような気もします。
その「暑い・寒い」の下にあるものが「好き・嫌い」フィルターです。
私の頭の中の25%ぐらいはこの感情により行動を決めています。
何たる単純思考かとも思われるのかもしれませんが、これこそが現実ではあります。
残りの25%は何でしょうか?
これらは雑誌巻末にある「YES or NO」選択から「あなたのタイプは〜型です」のような図式のようにも見えますが、私はこの1/4こそが現実的な事柄に対応している重要なゾーンであるとも考えます。
25%は英語的で考えると「quarter・1/4」です。
25%を会社に例えると「headquarters・本社」とも表現できます。
head(頭)・quarter(1/4)
恐らく、この残された1/4がとても重要なパーソナリティ(人格)・考え方を含む重要なゾーンであるとも思えます。
私の思考はとても単純なフィルターをすり抜けて行動しておりますが、英語圏の発想で考えるならばクオーター部分がとても人として大切部分なのかもしれなくて、それらを見つけ出して「My Quarter」をハッキリと書けるようになりたいものであります。

ということで。

昨日は大きなパイナップル1個をまるまるカットして食べました。
パイナップルを自らカットして食することは初めてのことかもしれません。
グーグル先生の教えを請いながらパイナップルの切り方を調べると案外簡単に切ることができました。

1)パイナップルの先端とヘタをカットする。
2)それを半分にカット、さらに1/4にカットし、1/8までカットする。
3)カットしたパイナップルの皮を削ぎ切る。
4)芯の部分を立ち落とします。

たくさん、切れたのでパイナップルの1/4(クオーター)は細かくカットして冷凍庫で凍らせます。
これで後々までパイナップルを楽しめます。
残りのパイナップルは毎日、少しづつ食べます。
味はメチャクチャ美味しくて、ジューシーで甘くてビタミン感が半端ないパイナップルです。
パイナップルと言えば缶詰なイメージではありますが、シロップ漬けのあんな味とは全然違います。
一種凶器でもあるようなトゲトゲの果物が木からぶら下がっていることはとても危険なフルーツでもあると思いネット検索すると、パイナップルはキャベツのように下からニョキっと生える植物でした。www
地面からあんなパイン顔が生える畑とは不気味で面白い光景です。
パイナップルは酢豚に入っている辛いのか甘いのかハッキリしないパイナップルが邪道すぎて好きではなかったのですが、正にパイン・アップル(Pine/松 Apple)みたいな甘くて美味しいフルーツでありやした。

 
■2023年5月1日(月)
■がんばれ猫さん。まだまだ描く!
■2023年5月2日(火)
■一日一文章トレーニング。

「すっきりな後味を好みます」

「夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは
茶摘じゃないか
あかねだすきに菅の笠」

暦上もう霜の降りる夜は来ません。
そして、今日から農作業の種蒔きや茶摘みの始める日となります。
立春から数えて88日目で88とめでたい感じもする八十八夜です。
今朝は真っ青な晴天でもあったので、今夜はどんな88な夜空を見せてくれるのでしょうか。

日本茶も西欧の紅茶も同じ種類のお茶の葉っぱからできております。
発酵度合の違いによって見た目も味も違った飲み物になることを知った時には驚いたものであります。
私にとってお茶とは徹頭徹尾水分補給な飲み物です。
寝る前に一杯、今朝も朝起きて一杯のお茶を飲んで活動を始めます。
人の体のほとんどが水分であることを考えれば、私の体のほとんどがお茶で出来ていると言っても間違いではありません。
その割には緑茶であれ、ほうじ茶や麦茶でもお茶のこだわりには希薄でもあるような感じもします。
されど、お茶パックはいろんな種類をブレンドして煮出すことが美味しくなるような感じもするので、気分でいろんな組み合わせでお茶を作ったりもします。
但し、味の違いはそんなにわかるものではなく、なかなかにお茶の味を理解できるものではありません。
たぶん、お茶を美味しく感じ仕組みは「後味」にあると思います。
最もプレーンであると思われる単なる水を飲んだ時にでさえ水の後味は残ります。
それは何かのトゲトゲしさであったり、後味に残る何かを感じる時に人はすっきりしないものを感じます。
水分はお茶で飲む方がすんなりとゴクゴクとたくさん飲める理由は、恐らく、飲んだ後の後味の良さであると思います。

先日、豆から挽いたオーストリア・ブレンドのコーヒーが日本で販売しているコーヒーよりも酸味もなく苦みもほどほどに、薄くても濃くしても日本茶に近いような後味すっきりと美味しく飲めるコーヒーであることに気付きます。
コーヒーがそんなに好きでもない私でも美味しく飲めてしまうコーヒーとは後味に残る酸味が少ないこと。
これは日本茶にも通じるコーヒー豆です。
日本で販売されているコーヒー豆は大抵、酸味が後味に残るものが多いような気もします。
オーストリアと言えば、ウィナーコーヒーで有名なようにコーヒーの伝統もあり、旧ハプスブルク家の首都でもあったことから日本には入らないような良質な豆を仕入れているのかもしれません。

ところで。

「Quarter・1/4」のつづきです。
「headquarters」とは本社のことであり、指揮官の住む場所、中央指揮権を持つ活動の中心という意味になります。
略字で「H.Q」と表記され「G.H.Q」は「General Headquarters」の略となります。
他にもアメリカンフットボールで「Quarterback(クォーターバック)」と聞いたことがありますが、その役割は前線の背中で指揮をするチームプレイヤーという役割を持つようであります。
「Quarter・1/4」に頭脳を持たせるという「headquarters」の概念は、全体の1/4にマンパワーを持たせて全体を統率する意味にも捉えることもできます。
これは英語圏の経験則を表す言葉なのかもしれません。
「headquarters」を私なりに図像化すると上記のようなカタチになります。
これはテトリスに例えると「Tミノ」なカタチでもあります。
アメフトの陣形に置き換えても違和感はありません。
「Quarter・1/4」と言えば、私たち日本人的な感覚でイメージすると平等に均等に分けられたパイナップルのカタチを抱くと思います。
それは正方形に分割された四角なカタチです。
国も違えば同じものを見ても異なるカタチとして解釈する人達がいることは興味深いことであります。
たかが1/4、されど見る人によっては深い1/4です。

 
■2023年5月2日(火)
■八十八夜は「米」の日であり、事初めにも吉日であるらしいので、何か新しいことをを始めよう・・・いただきます。

■2023年5月3日(水)
■一日一文章トレーニング。

「Quarterをカタチから考えてみた」

昨晩、夜空を見上げると八十八夜のお月様がキレイにまんまると浮かんでおりました。
5月6日土曜日は満月ですが、天気予報を見ると雨のようです。

よくよく考えると、4分割された「Quarter・1/4」のカタチは様々な形状で存在しています。
そのようなクオーターなカタチをテトリミノで検証します。
テトリミノとはテトリスのミノ(ブロック)のこと。
テトリスはテトリミノを回転させながらキレイに平坦に積んでブロックを潰すゲームです。
一気にブロックを崩す為には真っすぐな棒を落下させ、または、Tスピン(上級者が使用する技術)などを駆使して大量のブロックを崩します。
このゲームの最大の武器は棒状とT字の2種類のミノです。
これら二つの武器を活かす為には、それ以外のテトリミノを如何に上手に平たく組むのかがミソとなります。
テトリスは辞め時がわからなくなる程の中毒性があるゲームでもあり、特にNintendo DS版のテトリスは神ゲーと呼ばれるゲームでもありました。

ということで、

テトリス写真を撮る為にDSを探すと、我が家にはあるわ、あるわの、たくさんのNintendo DSです。
新旧、色違い、限定を含めてもいろいろ所有しております。
買いすぎではないかと思うのですが、この量も全てテトリスというゲームがあったからこその、これだけの数のDSが増えた理由にもなります。
同じテトリスのカートリッジでも4個ぐらいあるような気もします。
これは間違って買ったゲームではなく、遊ぶ為に購入されたゲームたちです。
そして、そんなゲーム機に電源を入れようと思ったら肝心の電源ケーブルが見つからなく、しばらくガサゴソと探します。
人生の中で探し物ほどムダなことはないとも言うのですが、古いゲーム機を動かすのに探し物することは必要不可欠な事でもあります。
古い物が迷わずホイホイと出て来るビックリ収納方法とはどんな方法なのか?気になりますが、ようやく電源ケーブルを探し出し、充電したならば、DSは問題なく動き出します。
超絶久しぶりの電源ONでも元気に動くNintendo DSとは本当によく出来た名機の予感です。
Switchもまー良いとは思うのだけれども、あの手に収まるパッケージされた筐体感のデザインは段違いの美しさがあります。

ところで。

昨日のつづきで「Quarter・1/4」にカタチがあると仮定した場合に、英語圏型だとT字形であることについて書きました。
「Headquarter」はT字の飛び出た1/4の一コマ部分でもあります。
日本の組織でも同じような形状ではあると思いますが、ヘッドクオーター部分は少数精鋭という便利な言葉によってマンパワーの極端に少ない形状や、そもそも中枢である境界線が曖昧な傾向も高いような気もします。
その意味に於いては日本型とは階級意識の希薄な四角型が好まれる傾向はあるのかもしれません。
T字のヘッドクオーター部分は中枢機能のハッキリとしたカタチを持ち意思疎通が明白で早いのが特徴ですが、それは弱点の裏返しでもあります。
カタチとして認識した場合に飛び出たブロックは物理的には弱い部分でもあります。
※あくまでも形状から見た意見。
一方、四角型は全方位から強度を持ち合わせている超安定型です。
中心がよくわからないのが特徴で分散しているカタチとも言えます。
どっちが良いという訳ではありませんが、一長一短なカタチでもあります。

これらカタチをネットワークとして考えた時にT字も四角も共に次数1で情報伝達できる意思疎通の早い形状です。
棒状であれば端から末端まで情報を届けるのに次数3必要で、L字やS字でも次数2〜3必要となります。
その意味ではT字・四角は情報特化したネットワークなカタチとも言えます。

ならば、その他のカタチはどうでしょうか。

棒状は上意下達(下意上達)で伝達すれども、なかなかに遠い権威的なカタチのようにも感じます。
ですが、横置きにするとその権威は一切なくなります。
ただ、横長の平坦な前線が伸びるだけとなります。

L字であればT字型のキレイなピラミッド型になるものの左右にズらすことによりバランスの崩れたカタチとなります。
これらは縦型に向きを変えるとより権威的でありながら、効率なネットワークなカタチのようにも感じます。
その場合には中間層に情報のノードは集中します。

同じく、S字形は四角を左右にズラしたバランス悪い不安定なカタチです。
アンバランスであり、わざとこのような形状にする意味のないカタチのようにも思えます。
これは人の美的感覚に全くマッチしないカタチではありますが、見方を変えると面白い図形を発見できます。
それは中間部分を中枢であると考えればノードの結びつきが3本に増える、T字・四角と同等のネットワークを形成できることであります。
※これはL字でも真中に中枢を置けば同じこととなります。
そして、ヘッド中枢部分が上下2層あるカタチのようにも見えて2双体制で全てのクオーターに次数1で連結できるのは面白いところです。
S字のカタチの不安定さがバックアップを持つカタチを作り出しております。
そもそも不安定に思うのは上から下へという重力に縛られている感覚かもしれません。
縦横と向きを変えることでネットワークの流通が変化することも不思議なことであります。
テトリスミノの単純なカタチからノープランで俯瞰してみましたが、意外と複雑で深いことなのかもしれません。
自分でもよくわからない話しではありますが、テトリスミノでクオーターのカタチを探していたら、クオーターの図形の沼にはまった感じです。

 
■2023年5月3日(水)
■パイン大明神。
■2023年5月4日(木)
■一日一文章トレーニング。

「4分割をカタチから視る意味」

 ゴールデンウィークで本物のカリカリベーコンを食べている方々も多いと思いますが、昨日の意味不明な事柄を整理します。先ずはベーコンを4分割する時にベーコンをカットする方法は一方向に4分割するか、縦横切りを組み合わせて4分割することになると思います。コンピューターであればカリカリベーコンをグリッドで分割し、又は、複雑線形を組み合わせ画像から最適な解を求めるのかもしれません。ですが、私にはそのような芸当を目視で行うことは当然できないので単純なカタチで分割します。均等に分割する方法はもののカタチに大きく依存することになります。その意味ではT字・L字・SやZ字のカタチとは自然界に存在しないカタチであります。これらカタチは人工的なものであるとも言えるので「人工的な概念なカタチ」であるとも表現できます。一方で私たちが自然と分割できる方法は棒状に切ったり、または、四角にカットするという4分割な断裁方法です。これは自然界でもともと獲得している技術であるとも考えられるので「自然界にもともとある概念なカタチ」でもあります。

 昨日面白いと思ったことはS字やZ字のミノの中枢位置を真ん中に移動させるだけで、ネットワークの数をT字や四角と同等の数に増やすことができたことです。一見、不安定で意味のないカタチに見えるものの視点を変えるだけで、持つ機能がハブになったり、そのような集中するネットワークが2つに増えたりと異なる概念を得られることは面白いことです。これは人工的に考えられて作られたものが、使っている内に想定されない使い方や広がり方で自然とネットワークが改良されていくような様子を見るような感じでもあります。図を参照すると(B)を中心として考えれば、B-A B-C B-Dと全てのネットワークに繋がっています。同時に配下にある(C)でもC-A C-B C-Dつながっているので(C)は(B)のミラリング機能を果たしています。これの意味するところは、仮に(C)はぽしゃって壊されたとしても(B)は生きているのでネットワークは遮断されずに稼働し続けることになります。

 テトリミノのカタチを参考にネットワークのリンクの数を数えると最大リンク数を持つものは四角で、四角はこの中で最強の6つのリンク数を持ちます。先ほどのS字やZ字のミラリング機能で表現すると(A)(B)(C)(D)全ての4つのミラリング機能を持っております。図形上AやBが災害や戦争で破壊されたとしても機能不全は起こさないカタチであるとも言えます。このカタチはリンク数を最大に持つことで指示系統が曖昧であるという欠点もあります。各カテゴリの意見がぶつかりあい、物事が決まらない可能性も高いカタチでもあります。先ほどのS字やZ字のBCが遮断された時にADは完全にリンクが切られてしまう状態よりも、より強固で安定的なカタチでもあります。ネットワーク数の数を書き出すと下記のようになります。

<自然界にもともとある概念>
棒状:リンク数3 (最小のリンク数)
四角:リンク数6 (最大のリンク数)

<人工的に作られた概念>
L字:リンク数4
T字:リンク数5
S字・Z字:リンク数5

 恐らく、T字のネットワークの機能は独裁制や選挙により権力を付与される民主主義のカタチでも同等の形です。S字やZ字のネットワークで中枢を2分する面白さとは権力の中心と、よくある別の委員会のような別組織を立てて存在することで権力を2分するカタチとなります。これはより公正性を担保されたカタチのようにも見えて、T字の改良系であるとも言えます。L字とは王政のようなカタチなのかもしれません。これらは人工的に作られた概念のカタチでもあります。自然発生的にクオータ1/4を作るネットワークのカタチは棒状や四角型のこの二つ。人工的なものが組織に由来するものだとすると、個人に属するものは、これら二つのカタチに集約しているとも言えます。棒状はネットワークがとても弱いカタチです。都市化も進み老若男女・全ての個人のネットワークは常にこのような縦型のネットワークに晒され続けています。棒状のネットワークはどこかで切断されれば、簡単に孤立状態となります。一度、孤立したならば、他人が気付くことも再生することも難しくなるものと思われます。ネットワークの強みとは全く関係ないような遠くの人と繋がることでリンクはより強く太くなります。もともと自然にあるカタチとは人間にとって身近で大切なものであると考えられるので、これら棒状のネットワークを棒状から太く太らせた四角型の安定的なカタチに変える仕組みは空気のように必要不可欠であります。あくまでもカタチに当てはめてた考えではありますが、棒状から→四角に変形する方法とはどのような方法があるのでしょうか?

 
■2023年5月4日(木)
■猫のほっぺは海老フライ(えびふゅら〜い)で描けば良いことがわかった。
■2023年5月5日(金)
■一日一文章トレーニング。

「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 布団ほすてふ 我の香具山」

私はカリカリのベーコン布団に巻かれ夢から覚める。

 昨日は冬用の布団を干す。流石に毎朝暑くもなり汗もかくので、そのような目覚めの悪い冬用布団とはおさらばである。冬の寒い時期にこのようなふかふかな布団に包まれる幸せとは一歩も布団から出られなくなる魔性のふかふか具合でもありますが、この天日干しとは布団を仕舞う儀式でもある。冬用布団が仕舞われると部屋は数センチ広くなる。幾分すっきりとした部屋は夏の部屋へと衣替えし、新しく押し入れから出された夏用布団も天日干しして、干して終っての忙しい布団替えの季節であります。流石の夏用布団は真っ白な布団でたっぷりの日光を当てても、ヒンヤリとした肌さわりではある。この薄っぺらい夏用布団で寝るのはまだまだ寒いような気もするので、冬用のふかふかした布団カバーの中に入れて肌さわりの温かさだけは保つようにする。毎年、こんな感じの夏と冬の間の布団事情。夏用の薄っぺらい布団に包まれて目覚める朝とは、やっぱり少し暑く感じる朝でもあります。明日は立夏でもあり、結局、もう服も半袖を着ていることでもあるので夏と言っても良いのかもしれません。

 それにしても、白妙の夏布団を我の物干し台に干しているとコンクリートに生息する5月の赤い小さな虫が気持ち悪い。干した布団を鬼眼で探すと5匹程の赤虫を発見する。春に出て来るこの赤いコンクリート虫は毎年恒例の虫です。人間には無害ではあるようなのですが何を食べたらあんな風な真赤な色になるのか気にもなりますが、さっそくテープを使いて捕獲します。潰すと白い布団に赤い潰し汁がつくのでテープ捕獲が正解です。名前はタカラダニ。毎年毎年あいつらはせっかく気持ち良く干した布団にダニみたいな名前で再び布団にくっついてくる不届き者でもあります。そう言えば、昔は布団を干す前にジョウロで水をかけて撃退していました。不思議と水をかけてから布団を干すと奴らが表に出てこなくなります。ですが、こういう事って干してから思い出すものであります。すっかり忘れてそのまま天日干し。干した冬用布団入れの中には防虫剤を入れて一網打尽です。

ところで。

 ベーコンと言えばフランシス・ベーコンである。英国の哲学者で経験論哲学の創始者であり「演繹法」を否定し「帰納法」を力説したとあります。

「演繹法」とは確立した一般原理から個々の事柄を認識し推論する方法。経験や事実にたよらずに論理的な命題から論理的な命題を推論する方法。欧州の大陸的な思考とも言えます。

「帰納法」とはいくつかの特殊な事情から一般原理を推論する方法。実験や経験則を重視する英国の島国的な考え方です。

 私も経験呆則フル活用して文章を書いているので英国型の思考メカニズムに近いとも言えます。その意味でも日本人と英国人は似ています。(たぶん)ネットでベーコンについて調べるとたくさんの名言が並んでいますが、ほぼ100%どの言葉も心に刺さります。例えば、「Reading maketh a full man, conference a ready man, and writing an exact man.」「読書は満たされた人を作り、議論する場は準備万端な人を作り、書くことは確かなる人物を作るとある」この言葉を借りればAIを使い、人が自ら何かを作り上げることを放棄するとなれば、人は人としてしての確固たるものを無くすとも読めます。

 また、「Silence is the virtue of fools.」「沈黙は愚者の美徳」ともある。

 これは日本風の古い言葉で言えば少し異なる考え方です。「人の短いをいうことなかれ。己の長を説くことなかれ。物をいえば唇寒し秋の風」(by松尾芭蕉)と、島国同士とは言え「沈黙」の捉え方には相違はあります。いやはや、どちらが正解なのでしょうか?確かに沈黙すれば意見がないことと同義ではあります。わざわざ言葉にしなくとも、気に入らないものは四角なクオーターで例えると「総論賛成・各論反対」で物事が進まないようにすることも日本的なことでもあります。芭蕉となるような文人であれば、四方八方敵にまわしてもどんなことを考えていたのか後世に遺して欲しいとは思うものではありますが、歴史的に見れば、徳川260年の長期政権はあまりにも長すぎたのかもしれません。

 
■2023年5月5日(金)
■猫とは土管型であることに気付いた。
そういえば、東京に来てから土管を見たことは一度もない。
■2023年5月6日(土)
■一日一文章トレーニング。

「空模様とは刻々と変わるものです」

 嵐の前の静けさでなければ良いのですが、最近、世界的に銀行破綻は続いております。結構、大きなニュースではあるとは思うのですが静かに淡々と進むニュースとは多少不気味でもあります。そんな直感的に気になる部分は自分で調べるに限ります。今朝は「UBS クレディスイスのスイス部門を売却へ・・・」とのニュースがありました。言葉遊びのようでもありますがクレディからスイスという単語がなくなるとスイスの信用・名声・評判(credit)がなくなった単なる「クレディー」となります。フレディーの悪夢のようなネーミングもなかなかに味わい深いものもありますが、そもそも、破綻してUBSに救済買収されたクレディスイスなのですが、破綻の原因も知りません。さっそく、過去ニュースから調べます。

 クレディスイス破綻の原因を調べると、真っ黒なニュースがたっぷり出てきます。これは破綻するべく破綻したと言っても過言ではないような気もします。それは中央ヨーロッパの闇を見ているようでもあり、クラリス・カリオストロ家(UBS)が光であれば、もう一つのカリオストロ家(クレディスイス)が闇であるような関係性にも見えます。もしかしたら光と闇の関係性は正反対なのかもしれませんが・・・正直よくわからないことでもあります。宮崎駿監督がそのような金融の闇を知り物語の舞台を描いているとすれば、ものすごい着眼力です。クレディスイスは鉄道のインフラ建設する為の資金を集める為に設立された銀行で、UBSは「Union Bank of Switzerland」の略で合併・吸収を繰り返して大きくなった150年以上の歴史を持つ銀行となります。

 ニュース記事によると数々の不正はあるのですが、先ずは2022年にブルガリア麻薬組織のマネーロンダリングを容認したとしてスイス司法から200万スイスフランの懲罰を受けております。大手銀行はこの手の資金洗浄が有罪となることは初めてのことでもあるようですが、スイスのプライベートバンクの立ち位置とは私たちの想像範囲内のイメージでもあります。厳格で演繹法の国の集合体でもあるEU概念に立てばスイスは高リスク資金浄化国に指摘するべきとの意見もあるようで、時代が変わってきたので変わらざる終えなかった現象の一つなのかもしれません。

 2021年にモザンビークのマグロ漁業権を巡るマグロ債発行による政府高官への収賄罪・詐欺罪で問われ有罪ともなっております。米国司法・米国証券取引所・英国金融行動監視・モザンビークの債権放棄を含めて4億7500万ドルの損失を計上しております。

 それ以外にも(英)グリーンシルと(米)アルケゴス・キャピタル・マネージメント破綻の巨額損失を計上して話題となっております。これらはドミノ現象の一端のようにも見えます。

 2019年にはクレディスイスが自社の富裕層部門のマネージャーに探偵をつけて尾行し監視するスパイ行為も発覚してニュースとなります。最高執行責任者(CEO)が引責辞任し内部分裂する内情が透けて見えます。

 2022年にはコロナ隔離違反で会長とUBS出身の取締役が引責辞任。ここで、気になるのが先ほど話題にしたクレディスイスに対するUBSの影響力を感じることができます。

 ニュースのネタとしてはクレディスイス破綻に関する兆候は100にも及ぶとの記事もあります。面白いところではUBSの政府・中銀保障はスイス下院では否決されているので例外的な政府保証となるようでもあります。ほとんどのクレディスイスの職員はほぼ全員解雇され、クレディスイスの預金も9兆2000億円流出し、これは銀行にとっては預金とは負債でもあるのかもしれないのでUBSにとっては想定内であるのかもしれなくて、このような視点で見ると物事はUBSにだけに上手く得するように動いているような気もします。前回はバーゼル3のAT1、Tier2と預金者保護な観点から見ましたが、何かよくわからない中央ヨーロッパ銀行の世界です。

 
■2023年5月6日(土)
■ネコDJ。
■2023年5月7日(日)
■一日一文章トレーニング。

「風を感じた」

昨日は暑かった。
風も強かった。
まさに、「立夏」という名前にふさわしいサマーです。
ビュービューという恐ろしい突風の音色は生暖かい風を運び、室温も私の体感温度もどんどんと上昇させます。
温度計をみると本当の夏の気温がこの室温よりもさらに10度ぐらい高いことを知ると「やれやれ」と思う。
風のビュービュー音がうるさいので窓を閉めると、部屋はとても暑くなります。
暑いから再び窓を開けるとカーテンは何処かのお化けのようにわさわさと動いて、ビュービューとうるさく生暖かい風を室内に取り込みます。
窓を開放している方が暑いような気もしてくるので、窓は数センチ開けで良しとする。
ビュービュー音は消せないのですが数センチの開放であればカーテンもほんの少しだけ動く程度です。
それでも、窓を閉め切ると暑いので夏のクーラー冷気を攪拌する為のサーキュレーターを出してきます。
5月からの扇風機とは少し早いような気もしますが風にあたると涼しいものであります。
昨日は一日中、髪の毛の奥の部分がオーバーヒート気味で何も手につかない状態でしたが、お風呂から出て布団の上でYouTube観ながら、うとうととしていたならば急に体が寒くなり目覚ます。
暑さで火照る体には、うとうと寝ることでクールダウンできるのは良い発見です。
横になるシエスタ制度にはクールダウンできる良い効果があるのかもしれません。

ところで。

最近、買った夏服を眺めていて気付いたことがあります。それは私が買うようなファーストファッションなブランドでは「綿100%」の服を見かけなくなったこと。ウクライナ戦争や円安、資源高などもあるとは思いますが、たぶんこれはウイグル強制労働の影響だと思われます。製造国でも欧米系のメーカーだとトルコ製やモロッコ製、国内ブランドだとバングラデシュ製と工場の組み換えがグローバルに行われているように思います。生地でも綿100%はほぼ見なくなりました。ポリエステル+綿、レーヨン+綿というような感じとなります。服の素材感が変わってくると街歩く人々の雰囲気も変わってくるような気もします。服装の変化によって少し時代が動いてきたような気がするのはファッションの力でもあります。ポリエステルやレーヨンなどの素材感は少し未来っぽい生地でもあります。その意味では着ている服を見れば、中国製か否かは簡単に判別できます。強制労働とは国内的にも国際的にも基本的な人権侵害であります。ウイグルという場所が住む人々や外国人にとっても自由に開かれた場所ではなくブラックボックス化された情報統制された場所である限り、ほぼ強制労働ではないという証明はできないこともあり、ウイグル綿を輸入して着るという行為は当然に難しくなるとは思われます。時が経てば、新しい綿産地が開拓されるとは思いますが、当分、ナチュラル感とはおさらばなのかもしれません。

 
■2023年5月7日(日)
■4) Bring it back sing it back
https://www.tumblr.com/enpitoroys/711656413656662016?source=share
■2023年5月8日(月)
■一日一文章トレーニング。

「私の人生の半分は”暑い寒い”で出来ており、1/4が”好き嫌い”であり、残りのクオーターと呼ばれる部分が人生を生きる為の一枚の絵なのかもしれない」

昨晩、寝る直前の布団に転がってネットサーフインしていた時のこと。
半袖で寝ていたのですが二の腕辺りがとても寒くなり、もぞもぞと布団から這い出して長袖を着る。
大抵、一度布団に入れば、よほどのことがない限り布団から出ないものである。
「ブブッ」とスマホのバッテリー切れ間近音が聞こえても起き上がらなかったことを比べても、「寒い」だけという理由は私を動かすのに十分な理由ともなります。
そして、今朝は逆に暑くて布団を剥いで寝ていると、急に寒くなって完全に目覚める、そのような朝でもある。
やはり、私の人生のほとんどは「暑い寒い」な感情で動いていると言っても過言でもない。

ということで。

心を揺さぶる絵や写真というものは存在しています。
私はそんな心揺さぶるものをTumblrにデジタル・スクラップしています。
昨日、Tumblrでいろんな画像を観ていたならば、外国の美術館で一枚の絵の前に子供たちが床に座り何かしらの解説を聞いている写真を見つける。
https://www.tumblr.com/enpitoroys/716611115601281024?source=share
このような風景は外国の美術館などに行くとたまに見かける光景でもある。
こういうのは正直羨ましくも思う。
1枚の絵からどのようなストーリーがあるのか?ととても気になるお話でもあります。
作者がこの絵を描いた経緯や、絵そのものを眺める方法についてのお話なのかもしれない。
一枚の絵を見る方法論とは私の中には全くない。
一枚の絵の背景にあるものはその画家の歴史や美術の系譜を学んだ者でなければ話せないことでもある。
私が美術館にいく時の見方とは隅から隅まで高速に絵を見る感じでもある。

「あっ!これは好き」
「あっ!これ見たことある」
「何や?この作品?」
途中でソファに座り足の疲れを癒しながらまったりとし、そして、「我が家になぜ?このような絵が一枚ぐらいないのだろうか?」とありきたりな庶民的な感想を漏らすそのような美術鑑賞である。

人だかりの絵は遠くからチラッと見て通り過ぎ、最終的に全部見たと豪語して退館する。
まるで、美術館で人間性を磨いているとは到底思えないロボット行進のような絵の見方でもある。
それに比べて、全部の絵を見ることはなくとも、一つの絵をしっかりと見て話を聞き、絵にある物語を知ることは100枚の絵を見るよりも価値はあるのかもしれない。
私の場合、一つの絵を見た時の知識とはほぼ何もない等しく、画家が白紙のキャンパスに向かう時と同じような気もする。
その意味では私は美術館で絵を眺めるが、それは連続する人生の日常の中の一瞬の風景でもあり、何か絵の具に塗り固められた白紙な絵を見ていることと同義でもある。
そこから、何かしらの意味や価値を見出すのは自分自身であるのかもしれなくて、その意味では絵を描くことも絵を見ることも対等な関係性であるような気もする。

一枚の絵画とは(たぶん)長い画家人生の一瞬を切り抜いたものである。
考古学的に絵画を捉えると絵は当時の世相を表す記録媒体の一つかもしれないし、何もない真っ白なキャンバスに何かしらの対象物を描くという行為はそれなりの動機が必要であるとも言える。
仮に直感的に描いたとしても、それらカタチや配置する構図とはその作者の持つプライベートな部分から生み出される生活の片鱗を見出すものでもある。

100枚の絵には100のお話があるはずで、そのような一枚の絵から何かしらの深いお話を聞けることは素晴らしいことでもあります。
子供たちに話しかける大人もアートの作品の一枚の作品のように足を崩してお話をしています。
子供とは絵本や紙芝居が好きなものである。
私が小さな頃に美術館でこのようなお話を聞く機会があれば、もう少し美術と密接な関係性を持てたのかもしれないと思う。
それにしても、写真の子供たちは静かに座って話しを聞いていて関心します。
私たちの時代であれば、美術館は子供たちの動物園のようにカオスになったのかもしれない。
そんな邪念が子供たちを静かな美術館から遠ざける要因なのかもしれない。

 
■2023年5月8日(月)
■第三種自立型ネコロボット。(取扱注意)
■2023年5月9日(火)
■一日一文章トレーニング。

「惑星の食卓マナーについてのお願い」

最近はパイナップルやスイカと大物の果物をよく食べております。
そして、大物の果物を食べているとお通じも幾分良いような気もします。
いやはや。
今朝も夏と冬の狭間の布団に包まりて寒さで起きてトイレに直行すると、なかなかの快腸でありました。
一昨日の晩からもすでに快腸生活であったかもしれないので、大物フルーツが腸を元気にさせていることは間違いないような気もします。
よくよくと考えると、「暑い寒い」に次いで「快Bであるか?否か?」ということは、汚い話しではありますが人類の普遍的な大問題でもあります。
大きなフルーツを食べることは自然とフルーツを食べる量も多くなるので、お腹に良い事なのかもしれません。

大きいフルーツたちの外観とはなかなかな特徴的な見た目をしています。
パイナップルはごつごつとした粗い表面で、スイカでは緑の惑星に亀裂が入ったようなキレイな紋様を見せてくれます。
大物フルーツはそのような外観に反してパカッと真っ二つに割ると黄色や赤色のジューシーな中身を見せてくれます。
あの割れた瞬間が大物フルーツの醍醐味でもあります。
写真のスイカは頂き物のスイカです。
最近の新しいスイカの品種は種の数も少なくなり、種もそのまま食べれるスイカのようでもあります。
私はスイカの種は見えるものは全部キレイに爪楊枝などで掘り起こし、取り除いてから食べたい方です。
すぐに食べたい気持ちを抑え、赤い実の奥に微かに透ける種の幻影を見逃さずにひたすら種をディグタグします。
それでも食べると新しい種が発見されるので、それらを見つけては掘り出し、ホリホリしながらお皿の端によけて食べます。
たまに、スイカを「バババッ」と食べて種だけを「ポポポっ」と出すスイカ達人みたいな人もいますが、正直口の中の構造がどのようになっているのかわからないものであります。
スイカが喉を通る前に種を取り分けて、口のどこかの安定した部分に種を保管してから出すのでしょうか?
そんな器用で面倒な事は絶対に出来ない事でもあるので、早速、グーグル先生でスイカの食べ方について調べます。
すると、スイカをナイフやフォーク、ナプキン等を使いてエレガントな食べ方について書かれている教養ページを発見します。www
確かに、考えたこともなかったけれどスイカの食べ方とはなかなかに野蛮であるのかもしれません。
スイカとは赤い部分にかぶりつき、スプーンで船型に掘じくりと、スイカのジューシーな液体が机に飛ばしなが無言でがっつくものであると思っていました。
エレガント塾によれば、スイカの種はナプキンなどを使い口を隠して上手に出すようでもあります。
口に入ってしまった種は吐き出すことが面倒なので、そのまま飲み込んでしまうタイプなのでこれは良かった。
日本の風物詩であるスイカに上品に食べる方法について考えている人がいたことは新しい発見であります。
お上品な装いの人がワイルドにスイカを食べていたらそれはそれで面白き事ではありますが、私以外の全員が上品にスイカを食べていたならば、それはそれでかなり動揺する事であると思われます。
ヘタの部分まで甘くて美味しいスイカでした!

 
■2023年5月9日(火)
■有料DJスピードレーサー卿。
■2023年5月10日(水)
■一日一文章トレーニング。

「人生パインは凍結に限ります」

 人生とは何か?それは大問題です。英国の天才詩人と言われるエドマンド・スペンサーは「人生とは石材であり、この石材に神の彫刻をするのか?悪魔の彫刻を掘るのか?は各人の自由である」と語りました。Wikiで調べるとスペンサーはアイルランド総督に仕え、アイルランドの現状に関する見解として次のようにも書いています。「固有の言語や習慣が暴力によって破壊されるまでアイルランドがイングランドに完全に制圧されることはない」。そして、1598年の9年戦争によりアイルランド反乱軍に家を追われ妻と子供を亡くしています。彼の人生観が人生のどの文脈の中で語られたのかわかりませんが、そんなスペンサーが人生を語るにあたり石材に何を彫ろうとも、その人の自由であると語ることは少し深いことのように思います。結局、スペンサーはどのような石造を彫ったのかと読み進めると、スペンサーは翌年訪れたロンドンで死亡しています。

 同じ、人生を石造に例えた作家と言えばアメリカの小説家のホーソンです。ホーソンは「人生は大理石と泥で作りあげられている」と語っています。石材はノミを使い技術次第でいか様にも自分の人生を彫りおこすことも可能なのですが、泥とは固さや形状が曖昧な材質でもあり、また、泥は立派に作り上げた石造を汚すだけの存在でもあります。泥を自分ではどうにすることができない記号であると解釈すると、人生には泥のようなものも確かに存在しているのかもしれないような気もします。スペンサーもホーソンも共通するのは人生を素材に例えていることでもあります。

 人生とは何か?な問いとは深く重いものです。ですが、本を読む前に作家の人生観を知ってから本を読み進めると、それは定規のような道標を作ってくれるのかもしれません。偉人による人生観でも日本人が語る人生観とは無常観、浮世、等、空しく流れすぎていく時間や人生観が多いような気もします。ですが、海外に於いても、よき良い人生としての人生観は多く語られるものはほとんどないように思えます。「人生とは完全なるもの也(byゲーテ)」のようなものはなかなかない。もしかしたら、文語体で人生論を語ると重くネガティブになり、口語体で人生を語ると薄っぺらく軽くなるのかもしれません。その意味では人生を何かのモノに投影させることは無難なことであるようにも思えます。「私の人生の半分は暑い寒い」でできていることは間違いないことでもあります。そして、それはたぶん口語体です。

ということで。

よくわからない人生論議は一時凍結し冷凍パイナップルのお話です。
今まで、ほとんど目にも入ってこなかったパイナップルではありますが、国際情勢な視点から眺めると台湾海峡が騒がしくなり中国が制裁によって台湾からパイナップルを輸入しなくなると日本やその他世界にパイナップルが流れてきて、私たちのような庶民にもパイナップルが普及するという流れなのかもしれません。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ように世界は循環します。
冷凍されたフルーツの中でも冷凍パイナップルはダントツに美味しい食べ物だと思われます。
大きなパイナップルのほとんどはすぐには食べきれないので冷凍保存することで美味しく保存して食べれることは至福の喜びでもあります。
切りたてのパイナップルも十分に美味しいのですが、パイナップルは冷凍する美味しそうな色はそのままに、さらに美味しくなります。
これはジャンキー好きな舌がそのように思わせるのかもしれませんが、酢豚にパイナップルやステーキーにベリージャムをつけて食べるよりも王道なジャンキーではあるとは思います。
冷凍パイナップルとは小腹空いた時にパクリと食べるのにも程よい大きさで、特に暑い日などにはシャリッとヒンヤリ触感で長期間パイナップル生活を楽しめれて良きこと也。
パイナップル2個目です!!

 
■2023年5月10日(水)
■何とか更新できた。(((888)))
■2023年5月11日(木)
■一日一文章トレーニング。

「辛さのアピールタイムです」

昨晩、地震警報が鳴り響き部屋がグラグラと揺れました。
闇の中を切り裂くピーピー警報音に目覚めるものの、私の体は一切動けず。
揺れを感じたままの就寝姿勢で今、朝を迎える。
いやはや、結構揺れましたね。
やはり、地震とは怖いものです。
今回の地震で床に落ちたものはカニのフィギュア、自作したフィギュアの頭、パンパンに膨らんだ賞味期限切れの辛いラーメンの3点。
カニは二本足で自立して本棚の不安定で狭い場所に飾っていたので仕方なし。
自作したフィギュアの頭も同じく本棚に飾っていたのですが、頭部は首に比べて頭でっかちなサイズなのでこれまた仕方なし。
それにしても、自作したフィギュアの顔を飾っているところが自ウケする面白いところでもあります。
自作フィギュアは造形に全く彫りがなく、のっぺりした顔である。
人様に見せれるクオリティーではないので時が来たらネタ不足の解消にアップできればと思う。
もう一つは激辛ラーメン。
辛いラーメンは我が家の誰も食べなかったので賞味期限も切れのままガスが溜まったように膨らんでしまったラーメンでもあります。
パンパンに膨らんだラーメンは何かのネタになるかもしれないと考えて捨てずキッチンに飾っておりました。
正直仕舞い込んで、気付かぬ内に破裂していたら残念でもあるので常に見えところに飾っていましたが、ガスの膨らみ具合はあまり変化がないようにも思えます。
パンデミック期間中に苦楽を共に過ごした親近感も多少ある。
マスク生活も終わったこともあるし、安定した場所からの謎の落下アピールとはそろそろネタにしてくれという辛いラーメンの自己アピールタイムなのかもしれない。
辛いラーメンは宮崎辛麺・辛さレベル4・賞味期限は2021年8月23日で切れています。
現在の膨らみ具合は約6ミリ程度、封印したフタが膨らんでいるのですが、写真では膨らみ具合はちょっと伝わりにくい。
今後もどのようになるのか?気になるので追って観察していきたい。

ところで。

辛繋がりでタバスコの一振りである。
タバスコとは毎度力説することでありますが、ピザやパスタよりも関西風の薄味風のうどんに一番マッチする調味料でもあります。
うどん屋さんにはぜひともタバスコを常備してもらいたいと思うですが、タバスコは出具合が他の調味料と違い少しづつしか出ないように設計されています。
辛いものがドバっと出ないようにとのメーカーの心配りであると思います。
そんなタバスコを2〜3滴かけようとすると、とても高速なヘッド振りで振りかけていることに気づきます。
あの人、この人も、恐らく、皆、タバスコの高速なヘッド振りで振りかけています。
そこで、私はゆうゆうと堂々と振りかけることを心がけたならば、写真左のようにドバっと大き目な塊でタバスコは出て来ます。
左は1回だけのゆっくり振ったタバスコの軌跡である。
1つの大きなタバスコ溜まりと小さなひゅうたん型のタバスコの2ゾーンに分かれる。
右は3回小刻みに高速に振ったタバスコの軌跡である。
上下にやや大きめのタバスコ溜まりができて、その間に小さなタバスコ跡が7つできる、合計9ゾーンのタバスコの軌跡である。
満遍なく攪拌するという意味に於いては小刻み振って、辛さが幅広く広げる方が良いのかもしれない。
どうせ、かき混ぜることになるので同じと言えば同じことでもあります。
大した問題ではないと言えば超絶にどうでも良いことでもある。
ですが、タバスコのかけ方一つでタバスコの広がり方が異なることは面白いことでもあります。
満遍なくかけることを「解」とするならば小刻み回数を重ねる高速振りの方が正解なのかもしれませんが、優雅な大人の魅力をアピールしたければタバスコはドバっと1回でゆっくりと振りかけるのが小動物感を感じさせない堂々した大人のかけ方のようにも見えます。
世の中のこんなにもどうでも良いことを文章にすること自体驚きなことではありますが、因みに、私は辛いものがメチャ苦手でもあります。www

 
■2023年5月11日(木)
■本日久しぶりに墓場の野良猫を見かけた。一人で何かミャーミャー独り言を言っていた。
■2023年5月12日(金)
■一日一文章トレーニング。



ネコの似顔絵を描いたら(1)
から(2)へと進化した
ポケモンみたいな進化です
(1)はタイムボカーンシリーズに出てきそうな顔です
(2)はなかなかに正確に模写した猫です
しかし、猫の複雑な模様とは再現は難しい
猫を描いていると猫とはなかなかに目つきの悪い生き物のように思われます
皆からキャーかわいい〜と
ちやほやされる猫のかわいさとはあの目つきから想像するにげにやげに不思議なかわいさでもある
ドックにはうるうるしている目のかわいさがある
写真の猫はニャーニャーと独り言を言いながら全く逃げる気配なしの猫でもある
昨日のタバスコに例えると1回でゆっくりかけるタバスコな猫でもある
辛さはどっぷりと一箇所に沈殿しているのかもしれない
動く気配のしない猫とはもしやナデナデできる猫なのかもしれないが
離れたところからさり気なく写真を撮り我汝に全く興味なしな素振りで素通りする
わ〜猫ちゃん〜だ〜
シャー〜(ネコパンチ)
キャ〜ン
なイメージが頭をよぎる
人気のない墓場で猫に威嚇される人の哀れさとは小説の中の人物だけで十分である



ということで。

とても長〜く長めのタイトルを書きました。
本文はそれ以上あることの体となるので、数日間の「一日一文章トレーニング」のお休みは正当化されました。
ぞなもし。

 
■2023年5月16日(火)
■一日一文章トレーニング。

「180日間継続することは(たぶん)お守りのようなものであり防御壁を作ることなのかもしれない」

暫く、絵も文章も何も書かなくても生活に支障ありません。
寧ろ快適でもあり、逆に書いている方が生活に支障が出そうでもあります。
毎朝、続けることはなかなかに面倒くさく大変なことであります。
日課であれば勢いのままに書くこともできますが、筆を止めるとどうなることやらと思いましたが何の変化もない日常です。
経験上、1年以上書かないと流石に書くテンポや物を作るノウハウは失われてしまいますが数日間程度の停止では全く問題ありません。
野球選手で言うところのバットの素振りのようなものの必要性も感じない。
そもそも伝えたいと思うことは何かと考えたならば、それはガスで膨らんだ賞味期限切れのカップラーメンや猫の独り言などお話です。
それらはほとんどの人生に幾ミリ程の光明も与えない、どうでも良いお話でもあります。
ですが、賞味期限切れのカップ麺が最終的にどのように膨らみ破裂するのか?は私にとっては少し気になることでもあります。
密閉した密室空間で膨らむことはそれなりのガスな理由があるはずで、「ミャーミャー」と独り言を言っている猫にも何かしらの理由があるのかもしれません。
というわけで、ネットで「猫の独り言」を調べると猫は理由もなく喋らないそうでもあります。
これの意味するところは結構、不気味なことでもあります。
人気のない墓場で猫は誰とお会話していたの?と考えるとそれはなかなかのホラーな(ほら)話でもあります。
私の中では谷中霊園は墓場史上最も怖くない墓場です。
何が怖いかと言うと暗闇の墓場を徘徊する謎な人間には多少戦慄し・警戒・恐ろしくも思うこともありますが、お化け方面での恐怖は感じません。
これはたぶん、上野界隈が持つ怪し過ぎる人間模様が成せる技なのかもしれません。
本能的にできるだけ通りたくないと思わせる危険地帯は墓場ではなくカオスな上野の飲み屋街の方です。
キャッチが声をかけてくる通りの怖さとは段違いでもある。
そのような訳で、数日お休みした「一日一文章トレーニング」は「日記記録感想駄文」満載な感じで出発進行〜です。

そういえば、先日、電車でプカプカと雲が浮かぶ青い車窓の風景を眺めていたならば、雲の高さぐらいに棒状の黒いものが浮かんでいるのを見つけました。
「これは・・・もしや・・・?」と電車の移動スピードと角度に合わせその謎の物体を目で追います。
黒く横に伸びた均等に分かれた棒状のもの2本は、ビル上空の雲の高さぐらいで静止して浮かんでいます。
心の中で、「ご乗車中の皆さま、右手に見える棒状の黒いものがUFOですよ〜」とアナウンスしたい気持ちですが、ほぼ100%の人は(自分×スマホコミュニケーション)中で窓の外を見ていません。
アホっぽく空を眺めているのは私だけ。
写真を撮りたいと思うのですが、静かな電車内で携帯カメラをシャキーシャキーと作動させる勇気もない。
また、どうせ写真に撮ったとしても遠すぎて何だかよくわからない画質の写真になるだろうと思われます。
「確かにあれはUFOかもしれないなー」と思わせる十分に怪しい浮遊物であり、棒が見えなくなるまで目で追いながら脳みそにインプットします。

ということで。

180日間オカルト情報ばかりをアップしていたら確実に人間的な信用を失うことができます。
なので、オカルトなお話はほんの数%に押さえる必要があります。
仮に儲かりそうな金融情報を180日アップし続けても上野界隈の怪しさに負けないギトギト脂ぎった人間性をアピールできて人間的な信用を失うことができそうです。
人にとっては「信用」とはもっとも大切なものであるのかもしれないとのお話しもあるので、人によっては「信用・信頼」を失うこととは大きな損失でもあります。
どこから180日という数字が出てきたのかは謎ではありますが、燃えたぎる何かの意見があるならば別ですが、長期間何かを発信続けることとは少しばかり狂気的なことでもあります。
賞味期限切れのカップラーメンが膨らむことや、猫が墓場で誰かとお話ししていること、電車で一人でUFOのようなものを見てざわつく心の思い出を記載するとに何の意味があるかと考えると、それは最高なる自己満足であるように思えます。
全ては徹頭徹尾自分自身の為に。
自分自身の為の行動とはとてもわかりやすく、シンプルな行動でもあります。
前にも書きましたが人の為に何かをすることとは不純な動機でもあり、物事も上手く動かないことの鉄板であるような気もします。
仮に空にUFOが飛んでいたとしたとしても、UFOにさらわれない限り日常生活の中でそのような面白話は一瞬で忘れてしまうことでもあります。
かと言って、他人に電車の中でUFOを見た話しをすることもヤバイ感じもしますが(私は全然話すのですが・・・)、公衆面前の文章にUFOを見た話しを残すのと比較すると、どっちもどっちのような事柄でもあります。
180日間ぐらいの周知される継続事があれば、面倒くささも数倍に膨らむ〜癖ありです。
逆に180日間継続することの良さを考えると、面倒くささがあればこその面倒事に巻き込まれる確率も減少する逆説も立つかもしれません。
毎日、机の横で変な絵を描いている人や、1を聞いたら100のよくわからない返答が返ってくる人に頼み事をすることは少々ハードル高きことでもあります。
180日間継続することは(たぶん)お守りのようなものであり、何かしらの防御壁を作る面もあるのかもしれません。

 
■2023年5月16日(火)
■数日間の間に画風が変わったネコ。

■2023年5月17日(水)
■一日一文章トレーニング。

「姉さん事件です」

昨日、郵便局にまで荷物を運んだ後の帰り道、道路にたくさんの鳥の羽根が散らかっているのを見つけます。
さっそく、何があったのかとスマホで「パシャリ」と撮影すると、羽毛散らばるブロック塀の隅に猫ッが一匹座っています。
近づいても逃げない首輪をした家猫。
毛並みがキレイでお上品な猫ッではありますが、やや放心状態のように固まり座っています。
右目に羽毛、首元にはお洒落のように羽毛を2つ付けた猫ッ。
決して目を合わせない猫ッの表情からは何かすごくやらかした感じもある。
顔に羽毛を付けている時点で道路の羽毛散乱に関与していることは濃厚でもある。
落ちている羽毛とはふわふわとした後ろの羽毛ばかりで風切羽等は落ちていないので鳥は飛んでいった可能性も高い。
道路に鳥の羽根が大量に落ちているので猫ッが鳥を食べたのかと思ったのかもと思ったのだけれども、道路には鳥の血や肉片等も落ちていないので食べた形跡もないので食事後ではないようでもある。
猫は鳥を丸のみしたりするのかとも思ったが、動物とは小動物を捕獲すると玄関前に置いて自慢したりするものでもある。
なので、鳥と猫が単に格闘して羽根が散乱した状態のようにも見える。
郵便局で時間をつぶした時間は数分間の出来事でもある。
行き道は羽根の散乱しない道路を進み、帰り道に鳥の羽根が散乱した事件現場を見つける。
探偵の推理が正しければ、これはほんの数分前の出来事でもある。
現場に佇む容疑猫ッには、非常にわかりやすい具合に鳥の羽根が付いているので真っ黒で事件性の高すぎる真っ黒模様ではない猫でもある。
もう少し早ければ、鳥対猫のバトルを見ることができたのかもしれない。

そのような猫対鳥の事件現場を見た夜に私はある夢を見た。
それは後ろ毛のぼっさぼっさになった野良のニワトリの横を横切る夢である。
尾っぽ毛のぼっさぼっさとは恐らく猫ッとの格闘の跡であろう。
私はそのようなニワトリの横をそろ〜りそろ〜りと自転車で横切りながら大きなクチバシで突っつかれやしないかと冷や冷やしながら横切ります。
ニワトリは私の動きをキョロキョロしながら目で追い、再びのっしのっしと道路を奥に向かって進んでいきます。
残念なことに猫ッはいないので、第二戦目もない。
決して、夢分析などして欲しくない夢でもありますが、探偵が自己分析すると猫ッが格闘した鳥の種類が気になったのかもしれません。
夢の中ではニワトリであることに疑念を持ちませんでしたが、流石に荒川に放し飼いの野良ニワトリなんて生息していないと思われるのでニワトリである可能性はとても低い。
行き道に鳩を見かけたような気もするので、探偵は鳩かもしれない推測します。
そもそも、猫ッが鳥の毛づくろいを手伝ってあげただけの可能性も考えられます。
昨日は「サマー」なとても暑い日でもありました。
鳥の気持ちになれば保温性の高い冬毛は猫の手を借りても取り除きたい羽毛であるかもしれません。
もしかしたら、あの猫ッのやらかしたような表情は、次の鳥の来店を待っている姿なのかもしれなくて、なかなかの鳥想いの猫なのかもしれません。
事件とはいつも現場で起こっているものであります。

 
■2023年5月17日(水)
■ねこつ。

■2023年5月18日(木)
■一日一文章トレーニング。

「仏法草とは朝の日課であり、世の中には名も知らぬ花も多すぎます」

朝起きて窓を開放すると冷たくて気持ち良い空気が流入します。
いやはや、昨日は夏のような暑さでもありましたが、たぶん、今日も暑そうな予感です。
暑さには滅法弱い私でもありますが、「サマー」と叫びたくもなるように夏の始まりは好きな季節でもあります。
外には「ポーポエポーウ ポーポエポーウ」とキジバトも鳴いています。
耳をすますと、ちょっとした朝の演奏会のようにも聞こえます。
結構な音量で、結構の重低音を効かした音ではあります。
聞き入ってしまうような、または、意識しないと全く耳に入ってこないような音でもあります。
キジバトの鳴き声は野鳥界では「デデーポーポー」と表現されるようであります。
「デデーポーポー」
残念ながら私にはそのような音には聞こえません。
どう転んでも「ポーポエポーウ ポーポエポーウエポ」な感じな音です。
ちょっと、言語変換しにくい音源でもあります。
子供の頃に聞いたキジバトの鳴き声は、確か「※仏法草(ぶっぽうそう)」な感じのお経を読んでいるような音であったような記憶もあります。
なので、東京のキジバトは「ぶっぽそう」な鳴き方ではなく「ポーポエポーウエイ」なちょっとチャラ男な感じでもあります。
まーしゃーないね。
なので、地域によりキジバトの鳴き方に違いがあるのかもしれませんし、若しくは、年も重ねて私の耳の聞こえ方も変わってしまうのかもしれません。
私たちが街でよく見かけるドバトが集団で群れを成して行動するのに比べて、キジバトは単体行動する鳩であるようでもあります。
孤独に単独行動をするとなれば、誰に向かって歌を奏でているのかは気になるところです。
自分自身の文章に置き換えてキジバトの歌を考えると、キジバトは誰がために歌を歌う訳ではなく、単に朝起きて歌っているだけのような気もします。
「ポーポエポーウエイ(×連歌)」自体に返歌を期待しているような鳴き方でもありません。
「おはよーさん グッモーニン そろそろ動くか よっしゃ さあやるぞ」等の自分への掛声なのかな?
世の中には常に何かしらの意味がると考えてしまうのは人の悪い癖でもあります。
しかし、
そのようなキジバトの「変な歌」は私を含めた、この周辺の住人数人は聞き耳を立てて聴いていているはずです。
(たぶん)

ということで。

ベランダの多肉植物から花が咲きました。
色がないとても地味な花。
三角のトゲトゲの蕾が割れて小さな花を咲かせます。
長年お供している多肉植物ですが2回目の開花です。
しかし、
近寄って観察すると白とピンクの模様がキレイな花でもあります。
朝の文章に何を書こうかと考える合間に、植物たちにたっぷりも水をあげました。
今日も暑くなるぞ!

 
■2023年5月18日(木)
■(改)ねこつ。
■2023年5月19日(金)
■一日一文章トレーニング。

「ブッポウソウ(仏法僧)な名前には昔の人たちの言葉選びのセンス・半端なさが詰まっています(たぶん)」

いやはや昨日は暑かった。
暑くて寝転がっていたならば、急に寒くもなり布団に包まれて寝てしまいます。
まさしく、「暑い寒い」の一日です。
そして、今朝は布団に包まり暑くなって布団から這い出て目覚める朝。
そのような「暑い寒い」を言葉にして書き記すと下記のようになります。

1)夜寝る前、暑い↑
2)お風呂後、スッキリと暑い↑
3)布団に転がり、クールダウン・涼しい↓
4)ネット見ながら、布団にくるまり肌寒くなる↓
5)就寝、涼快適↓
6)朝、布団の中が暑くなって目覚める・暑い↑
7)今・文章入力中、快適な涼しさ↓

「3暑3涼1寒」

「暑さ寒さ」とはシーソーのようにバタバタと移転していくことが面白きこと也。
本日は曇り空で涼しい一日の予感です。
家の中でもほとんどゴロゴロとしないタイプの生活ではありますが、暑い日のクールダウンにはゴロリと寝転がることは涼を求める秘訣なのかもしれません。
今年の夏はゴロゴロと過ごして試してみようかな。

ということで。

昨日のキジバトが「ぶっぽそう」と鳴くことについて書きました。
「ぶっぽそう」と検索すると「ブッポウソウ」と呼ばれる鳥が存在していることに気づきます。
もちろん、ブッポウソウはいまだかつて観察したことのない鳥でもあります
黒色の頭部に派手な赤いクチバシと赤い足、体は鮮やかなグリーン+ブルー系のとても美しい色をした鳥で、街中でこのようなキレイな鳥を見かけることがあるならば100%で興奮してしまう鳥でもある。
実際に私が小さい頃に聞いていた「ぶっぽうそう」の鳴き声はブッポウソウなのかと思い調べると、ブッポウソウは「ぶっぽうそう」とは鳴かなくて「ゲゲゲッ」と鳴く鳥でもある。
YouTubeにはブッポウソウの鳴き声をアップして下さる方がいて感謝です。
そして、肝心の「ぶっぽそう」と鳴く声の主はコノハズクであるようであります。
コノハズクは観察したことのない鳥ではありますが、声だけは聞いていたのかもしれません。

まとめると、

キジバトが「ぶっぽうそう」と鳴くのかと思ったら、「ぶっぽうそう」の鳴き声はコノハズクであるようで、ブッポウソウは地味に「ゲゲゲッ」と鳴いて、何ともややこしいことの千万な鳥の話であります。
因みに、ブッポウソウは仏法僧と書きます。
このような、「ややこしいお話には背後に何かしらの裏がある(呆則)」と考えるのが私たちでもあります。
キレイな羽根のブッポウソウの色と、仏法を説く僧侶の袈裟の鮮やかでキレイな着物色に例えたことは間違いないことのように思います。
そして、面白いと思うところは仏法僧と呼ばれる高貴な名前の鳥が「ゲゲゲッ」と下品にやらしく鳴いて仏法を説いているような姿でもあります。
皮肉なのか何なのか?
昔の人達の言葉選びのセンスには半端ないものがあるのかもしれなくて、そして、今朝はキジバトの歌を聴くことはできませんでした。(残念)

 
■2023年5月19日(金)
■(改)ねこつ2。
■2023年5月20日(土)
■一日一文章トレーニング。

「複利的な感じで2%の上昇について考えてみた」

ニュースで話題の日銀の消費者物価指数で年2%の物価安定目標とはよく聞くフレーズではありますが、2%とはどの位の数字であるかと想像するになかなかにピンと来ない数字でもあります。
100円玉の2%は2円。(安ッ)
年2%の物価上昇でもとても小さな数字ではありますが、3000万円の家で考えれば2%の上昇とは60万円となります。

ということで。

年2%の物価の上昇とはどういうことなのか?具体的な数字で探ってみます。
先ず、20万円の商品が年率2%で上昇すると仮定した場合に10年後は約24万円になります。
割合で考えると10年間で約20%(2割)価格が上昇することになります。
年2%の物価の上昇を継続性の中で捉えると価格が複利的に蓄積していくことを理解できます。
10年間とはなかなかの節目ではありますが、10年間継続する商品とはヒットして定番商品となった商品でもあります。
企業ではヒットや定番商品がなくなると途端に苦しくなるものであります。
特に所帯の多い大きな企業では基本的に常にヒット商品を生み出し続けなければ、企業を維持成長することは難しき宿命にもあります。
なので、単に2%という小さな数字でも商品が10年間に続き20%の付加価値を見出したということは物の価値の創生が行われたことを意味します。
因みに、年率2%の価格上昇で商品の価値が倍になる期間を計算すると約35〜36年ぐらいとなります。
これはお金の価値の減少とも捉えることはできますが36年後にはAという商品は2倍のお金を出さないと買えない商品であることになります。
前述の3000万円の家では35〜36年後には6000万円でしか買えない家ということになります。
但し、人々が高いと思い商品が買わなくなると価格は再び減価して自然と調整されて相場価格に収斂するのが資本主義経済という有難いシステムでもあります。
最近の物価上昇をスーパーで観察する限り、例えばCヌードルの価格が上昇していましたが近頃価格が少し安くなってきたようにも思います。
その意味では人件費の上昇と物価の上昇とはセットで必須なことでもあります。
価格とは売り手と買い手がいるものなので、継続的に年率2%の価格上昇で36年後に倍になる商材とは相当に付加価値が高いものであるとも言えます。
人の生活スタイルが日々変化していく中で、36年後を見通せるものとは原材料や資源しかないような気もします。

2%の価格上昇ということで基準を36年と仮に定め、36年前の1986年を1として物価の上昇率について調べてみます。
例えば、1986年田中貴金属の平均小売価格は1グラム2044円ですが、金価格は10年後の1996年には1グラム1405円に減価した後、2022年の平均価格は1グラム7649円となります。
この金額は1986年から比較すると約3.7倍。
昨日2023年5月19日(金)の金価格は1グラム9642円で約4.7倍!!
因みに、1986年から2022年の消費者物価指数を計算すると1.21倍となるので、36年間でも2倍に遠く及びません。
36年前から物に投資するよりもコツコツと金や資源に投資をしてきた人には先見の明があったと言っても間違いありません。(これがバークシャーが投資する商社の強い理由でもあります)
1986年の大学初任給は144500円で2022年の大学初任給は210854円の初任給の給料の上昇率は1.45倍。
物の価格を36年スパンで考えましたが、物とは技術や社会情勢によって劣化・陳腐化していくものであります。
ですが、36年間愛される商品とは相当なヒット商品・サービスであるとも言えます。
たかが2%の上昇ではありますが、時間軸で捉えると年率2%で成長するということはまた異なった目線を与えてくれます。
もし、今が失われた30年の時代の変わり目であると仮定するならば、2%時代の投資先とはより付加価値の高いものかもしれませんが、これは当然と言えば当然のことでもあり、失われた30年間のデフレで失われた価値観とはそこにあるのかもしれません。

「10年後に2割の付加価値の持つものに投資」

 
■2023年5月20日(土)
■屈伸。
■2023年5月21日(日)
■一日一文章トレーニング。

「湯豆腐の汁から黄金色の出汁を抽出しました」

昨晩は湯豆腐を食べました。
水を張った鍋に昆布を投入して、食べる時までしばらくそのまま放置します。
放置された昆布は鍋の中でどんどんと広がり海のエキスを放出しています。(たぶん)
一般論として昆布を齧るとぬるぬるな成分が口の中に広がります。
それが美味しい昆布だしの本性であると解釈しています。
出汁とは目には見えず、出汁単品では味覚を捉えることもできない微妙なものでもありますが、鍋に昆布を入れるのと、入れないとでは味に雲泥の差はあることは確かなことでもあります。
やっぱり出汁は取った方が取っていないよりも良い感じがして、言葉では表現できないのですが数段美味しくなっているような気もするところが昆布の不思議な魅力でもあります

ところで、昆布とは「植物なのか?」と考えるとよくわからないものです。
調べると褐藻植物コンブ科の海藻の総称とあります。
褐藻植物とは葉緑素の他に褐藻素を含んでおり、茶・緑褐色に見える海産の藻類で、岩などに根を張って固着して、寒い海に生息する海藻植物です。
大抵の植物とは寒さや冷たさを嫌うことを常とすることではありますが、昆布が冷たい海の中に生息していることは面白いことでもあります。
褐藻植物はマコンブ、ワカメ、ヒジキ、ホンダワラ、アラメなどとなります。

そのような出汁の儀式を経て、お食事時間がやって来ると鍋を火にかけて沸騰させます。
お湯がぐつぐつ沸騰すると昆布を鍋の外に取り出して、豆腐、豚肉、白菜、水菜など入れます。
※ネット情報だと煮立つ前に取り出すそうですが・・・ノープロブレム (>_<)
今回は昆布だしを骨の髄までしゃぶりつくす予定です。
取り除いた昆布は自家製の塩漬け漬物に入れてねばねばな漬物を作る為に、捨てずにラップにくるんで冷蔵庫保管します。
お豆腐だけだと物足りない晩飯でもありますが、いろんな具材を入れるともはや厳密には湯豆腐ではないような気もしますが満足度の高い晩飯となります。
湯豆腐鍋の汁とは様々なエキスが煮出た美味しい出汁となっていると思われるので、その液体を取り出す為に菜箸を使いキレイに食します。
お食事後に、鍋に残った食材を取り出して再びお湯を沸騰させて、その沸騰させた液体をコーヒー豆をこすフィルターに通して不純物を取り出します。
ポタポタと落ちる黄金色のエキスは下の計量カップに溜まりて純粋な金色の液体を取り出します。
豚肉も入れていたので多少の油を浮いていましたが、そのような油分もキレイな取り除いた湯豆腐出汁を取り出すことに成功です。
本当にクリアで輝いている美しい黄金色。
ビンに湯豆腐鍋の出汁を詰めて眺めているだけでも、なんだかシメシメとうれしい気分になる瓶詰なのですが、他人から見れば決して口にしたくないような不気味な瓶詰に見えることでしょう。
今朝、冷蔵庫内に冷やした出汁をスプーンで一口分取り出して舐めてみたならば、案の定っていうか何というか?単独では全く美味しさを感じられない微妙な味(変な汁)であります。
本当にこの黄金色の出汁が何かと組み合わさることで美味しくなるのかと疑心暗鬼にもなるので検証は必要です。
出汁を人に例えると、他人の魅力を引き出すことのできる人間となります。
これはすこすばかり惹かれるものスゴイ能力でもあります。
出汁とはよくわからないものであり、この世の中に「出汁」程によくわからないものもないような気もします。
この出汁は何料理に使えば美味しく食べれるのでしょうか?

 
■2023年5月21日(日)
■ほれほれ。
■2023年5月22日(月)
■一日一文章トレーニング。

「黒魔術のアイドルって何のこと?」

 先日、実家に帰ったらタンスの奥に仕舞われていたレコードが移動されて聴けるようになっていました。レコードとはとても懐かしいものであります。レコードを聴けるチャンスはなかなかないもので、さっそく、数枚のレコードを発掘して音楽を聴きます。何十年ぶりに聴くレコードとは先ず操作方法を完全に忘れています。レコードをパッケージから出し、恐る恐る黒い円盤を触らないように端っこ部分で支えながら丁寧に持って盤の上に載せます。「あれっ」。レコード盤のセンター穴にレコード機械のピンに通せません。下から穴を覗きながらレコード盤を台に置くだけでも四苦八苦。針操作をする段階になると黒い円盤を触らない緊張感を超えるドキドキもMAXとなります。さっそく、レコードプレイヤー盤に針を落とすとスピーカーからゴトリと響く音にビックリしながらもスピーカーから音楽が流れ出します。レコードのアナログ音源とは普段、聴いている音がチープすぎるのか?意外にも良い音のようにも聴こえます。マイ・レコードは両手を開けるぐらいにはあります。東京の家に持って帰って欲しいようでもありますが、それはちょっとムリな話でもあります。レコードを飾れば素敵なインテリアとはなりますが狭い部屋にレコードが鎮座するスペースは全くありません。第一、音楽を聴く為のレコードプレイヤーも持っていなし、そのような機器を置けるだけのスペースもありません。故にレコード盤は実家に放置される運命でもあります。

 写真は「Chica Boom」のレコード。さっそく懐かしくて「チカブンチカブチーカブンブンブン」と音楽を聴きます。このLP盤には3曲入っていています。
1)Chica Boom
2)微睡まず
3)あいし TE Quiero

 軽快にリズムの「チカブンチカブン」から始まり、「微睡まず」に曲が進むと女の人の声であるはずの声が男の人の声となっていることに気づきます。「あれっ」と思うとジャケットに45RPM描かれているのでレコードの回転数を33から45に変換する必要があります。RPMとは「Revolutions Per Minute」の省略文字のことで「1分間あたりの回転数」のことらしい。なぜ、revolution(革命)にs付きの複数形で「回転」になるのかはわかりませんが、ある意味レコードの伝播する回転とは革命のようなものなのかもしれません。((>_<)???)このレコードを聴いていた時は毎回、2曲目の始まりで声のトーン違いに気付いて回転数を変更していたような記憶もあります。レコードの回転速度を変えて遊ぶことはレコード盤の鉄板の遊び方の一つでもあります。声が違うだけでも2度楽しめることはレコードの役得です。45回転に変更すると通常通りのチカブンになります。ご機嫌な音楽は部屋中に広がり、A面が終わりB面に円盤を裏返し「あいし て きえろー」を聴いていると「訳:見て見てあの人 ダンスがステキね あなたと楽しく踊りたいわ・・・」と部屋に音楽は流れます。そうすると母がやってきて、曲に合わせて「踊りたくなってきた〜」と言っています。以前、ラテン系の「バイラバイラ」という謎の音楽にあわせて、おばさん達が教室で踊る音楽や映像も見せられているので踊りかねない勢いです。私は「えーえっ〜踊らないで下さい」と思いながら懐かしいレコードの音を聴いていると、母が「あんたは黒魔術のアイドルも好きで〜何ちゃら何ちゃら」と話してきます。「黒魔術のアイドルって何のこと?」と聞くとお互いに何の話しなのかは噛み合わずにそのまま話は次の話題に移ります。ハードコアやデスメタルの汚いおっさんたちもアイドルと言えばマイ・アイドルなのかもしれません。前回に帰った時にはペンギンは空を飛べるみたいな訳のわからないことを話していたので、その手の類の話かと思っておりましたが、家に帰宅し、まったりと微睡ながらお茶を飲んでいると気づきました。それは、黒魔術のアイドルとは「ベビーメタル」のことではないか?と。「イジメ、ダメ、ゼッタイ(に)」は黒魔術のアイドルと言えばそうなのかもしれません。私の顔からは黄金仮面のような薄気味悪い笑みがこぼれ落ちます。

 
■2023年5月22日(月)
■アプリ風の猫画。
■2023年5月23日(火)
■一日一文章トレーニング。

「夏が来る前のカイダン話」

昨晩の室温27℃・湿度66%(暑い)。
今朝の室温24℃・湿度61%(涼しい)。
「暑い」「涼しい」の境界線はこの辺りにあるのかもしれません。
昨晩はマジ暑かった。
これから本格的な夏がやってくると思うと先が思いやられます。
この暑さは季節の変わり目のまだ体が暑さに慣れない為の暑さなのではないかとも思われます。
夏の終わりの27℃・室温66%であれば涼しく感じているのかもしれません。

そして、

ここのところ、気圧配置が低気圧に囲まれていることもあり頭も痛い。
暑くて、頭も痛くて、足も痛い。
ATSUKUTE ATAMAMOITAKUTE ASHIMOITAI
頭文字を省略することが好きな人達を真似るとこれは「3A」とも呼ばれる重大事象でもあります。
和風に「三あ」でもいいけれども。

足の痛みは先日、エレベーターに人待ちがあったので、ちょちょいと階段を上っていると、足を「ピキーン」と痛めてしまった足の痛みです。
膝の裏のケン?な筋肉部分が伸びてしまったような痛み。
階段を上る時に足を伸ばすと足が痛くなります。
ネットで調べると膝の裏を「ひかがみ」とも言うらしい。
始めて聞く部位な「ひかがみ」です。
でも、プロ野球選手に例えると故障者リスト入りな痛みであると思う。
足の痛みは伸ばさなければ痛くはないのですが、膝の裏を伸ばさずに階段を上ることは至難の業でもあります。
ただ、走ったり、階段さえ上らずに普通に暮らしている分には足を痛めていることを忘れてしまう程の痛みでもある。
そんな痛みであるが故に、足の痛みを忘れると再び階段を上ってしまい「ピキーン」と痛みを再発してしまい「やってしまった」となります。
なので、暫くは絶対に階段を上らないでいようにと心に誓うのですが、3秒後には忘れて階段を上っていることになる。
これを3回程繰り返しているので、ある種、人間の信用を失う「夏前のカイダン話し」でもある。

ということで、そろそろ足の痛みを完治を目指す為に昨晩は湿布を貼りました。
先日も湿布を貼ったのですが、痛んでいる箇所を特定できていなかった為にズレた部分に貼っていたので効果を発揮できませんでした。
今回は痛みの箇所を観察し特定したので、今朝はよく効いて足の痛みを全く感じません。
昨晩は湿布を貼る前にはアイス枕で患部を冷やしたりもしました。
アイス枕で足を冷やすことは冷たくて耐えられない激冷です。
なので、半分以上は頭の頭皮に当ててヒンヤリと気持ち良くクールダウンしていました。
大体、腕や足の裏とは冷たさを倍増して感じるものであります。
ここ最近の暑さとは頭皮に籠る熱の暑さでもあったので、アイス枕を頭に押し付けていると毛穴部分から冷たい冷気がチャージされるようで気持ち良きクールダウンであります。
本当であらば荒川の猫ツさんの元に通いて冬毛整理してもらう必要があったのかもしれませんが、人間界にはアイス枕という文明の利器があってすばらしいことであります。

「アイス枕>ねこつ」
※アイス枕はねこつに勝つ。

足の痛みは「冷やすのか」「温めるのか」とはとても重要な問題でもあります。
膝裏の痛みは熱いお風呂に入っても痛みが取れて快適ではあったのではありますが、アイス枕等で冷やしていても痛みを取ることができます。
体の痛みは「冷やすのか」「温めるのか」は凡人には全くわからない謎ではあります。
昨日はアイス枕をかかえてゴロゴロしていたら、そのまま就寝となりまして約10時間のたっぷり睡眠です。
たっぷり寝たので、足の痛みも頭痛もどこかに飛んでしまい完全復帰。
だがしかし、階段を上ることだけは絶対にダメ。

「カイダン ダメ 絶対」

 
■2023年5月23日(火)
■ネコ・タッチボタン「ON」。
■2023年5月24日(水)
■一日一文章トレーニング。

「桜のサクランボが真っ黒に衣替えしました」

いやはや寒い・暑いと寒暖差激しい毎日です。
本日は真っ青な晴天でもあるので温度は急上昇しそうな予感もしますが、どうなのでしょうか。
そのような気まぐれな天気のおかげで、毎日どのような服装を着れば良いかと悩みます。

忘却とは恐ろしいもので、春の一時期にあんなにも大勢の人に愛でられ注目を浴びていた桜の木々がすっかり街中のただの街路樹の一つとなります。
天気の良い日には木漏れ日の日差しは心地良い場所とはなりますが、もはや、私以外の誰一人として桜の木々を眺める者はおりません。
なんだか少し寂しい気分にもなる。
私が地味に桜のサクランボを観察しネットにアップすることは誰かの目に届き何かしらの相関性が発生するのか?しないのか?わかりませんが、桜のサクランボが突然黒く不気味に変色していました。
今まで緑色の実にキレイな赤ピンク色が徐々に実に全体に広がっていたので、そのうちに実全体がキレイなサクランボ色になるだろうと思っていたら、一昨日から突然の真っ黒な色へと変色。
「コワッ」
突然の変色にドン引き。
運良ければ一口食べてやろうと(シメシメ)していたのですが、もはや食べたくない色でもあります。
この現象は調べると桜のサクランボの実が完熟したことを示す色でもあるらしい。
このように真っ黒なブラックベリーに完熟するということはソメイヨシノとはアメリカンチェリー系に近いのかもしれません。
アメリカンチェリーに慣れている人にとっては黒いチェリーに抵抗がないのかもしれませんが、黒色が強いということは、タンニン色素が強いことの証明でもあるような気もします。
完熟とは実が熟して美味しくなることとは思われますが、黒い実を食べることはタンニン(シミの原因)を摂取するような気もするので食べるのはやめましょう。

ということで。

桜の木とは「樹皮」から「葉っぱの枯れ色」、「熟した実の色」までタンニン色素がたっぷりです。
遠くに見える桜の実も黒く色づいているので完熟のタイミングは同じ木で一斉に同時期にやってくるようであります。
どんな植物よりもキレイな花を咲かせる桜の木々は枝差しにより人為的に増えてきたと思っていたら、枝にかわいらしいサクランボの実を付けて、キレイな赤ピンクな実を付けるのかと思ったら、急に真っ黒色に変色して予想しないことがたくさん起きます。
それは、桜の美しさの裏には真っ黒なタンニン色素がある「美の裏面にある黒い呆則」のような気もします。
わいの桜観察はまだまだ続きます。

 
■2023年5月24日(水)
■ひねり。
■2023年5月25日(木)
■一日一文章トレーニング。

「小粒でピリリと辛い山椒に愛を見つける(たぶん)」

旬のものを食する為に実山椒を調理します。
昔、時期外れに実山椒をゲットしようとあちこち探したことはありますが、結局、実山椒とはこの季節にしか手に入れることができない珍味でもあります。
なので、お店で見かけると利用法に考えはなくともとりあえず買おうと思う山椒さんでもある。

山椒の実を小枝から一粒一粒切り離すことは至難の業でもある。
至難の業というか超絶に面倒臭い。
指でブチブチとちぎっていくとスピーディーに実山椒を切り外すことはできますが、少々雑でもあり、短い枝が残りて再び拾い直して余分な枝を切り取ったりとすると二度手間でもある。
そこで、ハサミを使い実と枝の境目を狙って切り込んでいくと案外キレイに切り取れる。
ハサミで切ってはザルにほり込み、また、ハサミで切ってはザルにほり込む。
何粒あるのだろうかという実山椒の山を前にして粒をプチプチと切り出しているとハサミにあたる手も段々と痛くなるが、それでも、時間を消費しながら山椒の山を次第に減少させる「無の時間」でもある。
全部切り取った山椒は水でよく洗う。
その後沸騰させたお湯で煮沸させるのだが、ネットを検索すると煮沸時間は30秒ぐらいから2〜3分ぐらいまでと多種多様な意見があるので、それらの中間をとって60秒ぐらい湯にくぐらせて再びザルにあげる。
以前、実山椒を茹でた時に長時間茹ですぎて緑色が悪くなったことがあるので1分間ぐらいが妥当な気もする。
茹で上がりの山椒を一口皮を「カチッ」とかじると強烈な柑橘系な香りと辛味のパンチがやってくる。
そして、もう一口食べると「ふぇー」と舌ピリピリと麻痺させます。
英語でジャパニーズペッパーと呼ばれる山椒の辛味はネット情報によるとサンショオール・サンショウアミドという成分で胃液の分泌を促進させる効果があるそうです。
確かに、胃がムカムカした時にはこの強烈な辛味は効果を発揮しそうな予感もします。
時折無性に食べたくなるちりめん山椒のことを考えると、山椒とは胃腸がたまに弱くなる自分向けの必須の実でもあるかもしれません。
今度、腹痛の時には山椒の実をかじりて効果があるのか試してみましょう。
水分をよく拭き取り、サランラップを広げてスプーン一杯分ぐらい小分けして包んで冷凍すると長期保存できます。
水分をよく飛ばした凍った山椒の実は凍結でくっつくこともないので全部まとめて冷凍して使う分だけ冷凍庫から取り出して使用する方法でも良いのかもしれません。

それにしても、このような強烈な辛味のあるものを最初に食べようと思った人はスゴイ人です。
遺跡の発掘から縄文時代から人は山椒の実を食べていたようではありますが、昨日の桜のブラックベリー然り、最初にこれは食べれる食物だぞと証明したイノベーターはスゴイ探究者であります。
それはたぶん他者に対する「愛」ではないのかと思ったりもします。
料理したことがある人であれば、皆、同じではあるとは思うのですが、他人に食事を作ったとすると、味は全て同じだとしても自分の料理は見栄えの悪い方を選び、他人には差し出す料理にはできるだけキレイな見栄えのものを選んで差し出したいと思うものであります。

「美味しく食べてくれるだろうか」
「そもそも、美味しいのだろうか」
「お口にあうだろうか」
「不味かったらどうしょう」
「まっ いいか」・・・???

他の人にできるだけ美味しいものを食べさせてあげたいという思う思いは、山椒のような危なそうな刺激なものを口に入れて誰かに食べたことのない味を届けたいと思う探究心な「愛」と同じであるようにも思います。
今、行われる戦争も、戦端が開かれる内情は知りませんが、戦争を始めた人たちは恐らく自分で料理を作り、人に振る舞ったことはない人ではなかろうかと思ったりもします。
料理を作り人に振る舞うことは人の感情を育む偉大な一つなのかもしれません。

 
■2023年5月25日(木)
■実山椒をつぶす。
■2023年5月26日(金)
■一日一文章トレーニング。

「植物界のお嬢、お部屋に戻る」

我が家のお嬢様である植物界のお嬢は直射日光が強すぎて部屋に戻りました。
ここ最近、曇ったり晴れたりの微妙な天気ではありますが気候的にはとても快適な気候ではあると思います。
晴れの後、曇りから雨と全部揃った気候の変化は植物たちにとってもバランスの良いリズムのようにも思えます。
快適な気温と燦々と降り注ぐ太陽は植物たちにとっては恐らく一番良い季節なはずです。

しかし、

植物界のお嬢にはそのような春・初夏の日差しは少し強いようであります。
どこから見ても南国風な植物のお嬢を外に放置して直射日光に当てていると葉っぱが黄色く変色します。
植物とは光合成してこその植物ではないものかと思うのですが、暑さにも弱く、寒さにも弱く、直射日光にも弱いとはどういうことなのでしょうか。
まるで自分みたい。
いっそうのこと「足」を生やして自由に快適な環境を選べるようになればと思うと楽ではあるのですが、何せ植物とは足がないので自らの意思で移動できません。
なので、私の直感で快適に過ごせそうな場所に移動させます。
所謂、いつもの定位置。
他の植物はワイルドに生きているというのに、植物界のお嬢だけが見た目でわかるわかりやすいい反応を示してくる変な植物でもあります。

というわけで。

毎年のことではありますが、植物界のお嬢は快適気候の中、直射日光が強すぎるという理由により仕方がなく部屋に取り込んだお部屋の住人となります。
雨水は大好きみたいなので梅雨の時期は再び外に出して雨ざらしとなりますが、梅雨明け後はクーラーの効いた快適な室内で夏が終わるまで過ごすことになります。
本当に微妙に手間がかかります。

そして、

マイ足の痛みも完全に取れました。
一軍復帰はもうすぐです。
ただ、再び階段を上ると足を痛める危険性があるので絶対に階段は上らないように注意しなければなりません。
ここ最近、温かいお風呂にたっぷり浸かり足をいたわりました。
温かいお風呂に入ると効果があるような気がするのですが、どうなのでしょうか。
湿布を貼る位置を若干、右にずらして貼ると効果が大きく効いているような感じもします。
絵で描くとひざ裏の「ハ」のなる部分の外側部分に湿布がかかるように貼ると痛みがみるみる取れてきたような感じもします。
結局、最後まで足のどの部分を痛めたのか特定できませんが、たぶん、足を曲げた時の少し飛びでた筋肉の部位なのかもしれません。
何だか痛みを感じる部分が移動しているような感じもするのですが、そのようなことはあるのでしょうか。
本当に体の痛みだけは本人しかわからないし、他人には伝わらに痛みでもあり、自分でも正確にどこを痛めているのかわからない、大体な部分で絶対的に痛い痛みでもあります。
最近は涼しく快適な気温が続いていたので、氷枕出動で冷やすには冷たすぎて寒すぎるので、アイス枕は不使用でもありました。

因みに、ここ最近の室温は下記のようになります。
2023年5月25日(木) 朝(起きた時) 21℃ 湿度49% 涼しい
2023年5月25日(木) 夜(寝る前) 24℃ 湿度55% 快適
2023年5月26日(金) 朝(起きた時) 22℃ 湿度59% 快適

上記のように温度・室温を書き出していると「My暑い〜快適〜涼しい」の境界線を知ることができるはずです。
何にを書こうかと考える中でのお嬢をネタに、よくぞ書けたぞの力業の「一日一文章トレーニング」でした。

 
■2023年5月26日(金)
■足の裏の「ハ」の部分。筋肉なのか?骨なのか?何という名称なのでしょうか?
■2023年5月27日(土)
■一日一文章トレーニング。


時の歩みは3重である。
未来はためらいつつ近づき、
現在は矢のようにはやく飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。
(シラー)


昨日は地震がありました。
少し長めの揺れで、地震の揺れとは何度経験しても嫌いです。
ぐらぐらと小さな揺れが次第に大きくなる地震とは東北の地震を思い出させる揺れでもあります。
映画でも巨大モンスターが近づいてくる様子はグラスの中の飲み物がはじめに小刻みに揺れ始めた後に、次第に大きな揺れへと変化して、目の前に今まで見えていなかった大怪獣がドカンと登場する恐怖を煽る瞬間でもあります。
全ての公道にオイルダンパーのようなものを埋め込んで全ての振動を吸収したいと思う地震ではありますが、動きを止めて「来るのか?」とかまえて通り過ぎるまで待った昨日の地震は震度3の数分後に忘れる地震でもあります。
今回の地震は携帯の緊急アラートは鳴りませんでしたが、「地震が来るよ〜」と直近の未来を教えてくれる地震とそうでない地震の差は何なのでしょうか。
緊急アラートな音でも間違いなくビックリする怖い音ではあります。
ですが、緊急の通知がやって来たとしても「来るのか?来るのか?」と身構える緊張感は変わらないものです。

ということで、未来予測です。

仮に大きな地震がやって来るとわかれば、非常食を用意して、倒れそうなものを仕舞い、安全そうな広場に避難することはできます。
結局、地震の揺れを減少することができなければ、地震による破壊から免れることはない訳でもあるので「来るのか?」な恐怖感は「大きいのがやって来るゾ」の恐怖感に切り替わるだけかもしれませんが、それでもやっぱり、未来を予測することは偉大です。

私の場合、
もし、未来を予測することができれば全財産を儲かり事にBETする変な自信で行動してしまうような予感です。
ある意味、それは地震同等の「こわっ」なホラ〜話でもあります。
未来予測云々と言っている輩は大体、あかん奴です。
当然、私も数か月に一度は未来予測について熱く語ります。www

よくよくと考えてみると、この世の中で唯一無二、市民生活に密着する予測とは天気予報だけなのかもしれません。
そんな未来の天気を予報する人たちとは、一般的な予測を立てる人よりも怪しく見えないところが面白いところです。

通常、天気は西から東へと崩れていきます。
私は窓から眺める西の約30度先前方の空には未来の景色があるのではないかと考えて、この数か月間、写真に空色を描いてきました
しかし、朝の天気色は必ずしも数時間後の未来の空色を表していないことにも気づきます。
当然と言えば、当然でもあり単純な間違いでもあります。
風が強ければ上空で南からのあたたかい風と北からの冷たい風がぶつかり、雲ができて天気が急変することもあります。
朝の地表面の温度と上空の温度差でも天気は急変します。
太陽の位置と雲の関係でも変わるだろうし時間経過によってもどんどん空の状況も変化します。
未来とは様々な力が働いた結果の未来である訳で、とても複雑な未来でもあります。
単純に西の空を眺め、その一瞬を切り抜いたと言っても未来を予測したとは言えない程度のお天気メモです。
ただ、写真に空色模様を描くと写真が合成写真っぽくなり、個人的には面白い表現にはなったような気はします。(自画自賛)
「未来はためらいながら近づいてくる」と詩人・歴史学者のシラー(独)は語っていますが、確かに未来とはものすごく曖昧でためらいながら語る感じです。

 
■2023年5月27日(土)
■足の痛みは完全完治。
■2023年5月28日(日)
■一日一文章トレーニング。

「サンスベリア(ケニア)は闇のゲームの番人にふさわしい不気味さを持った植物でした」

「恐怖!!」
昨日、遊戯王頭が突然異変して黒い液体を流しました。
変化はたった一晩の事である。
花を咲かした隣り合う葉肉の緑色に亀裂が走り緑色の色素が消え去り、まるで、漂白剤で染められたようにクロロフィル色素が完全に抜けてしまう状態とは謎な構造体でもあります。
白くなった表面からは黒い樹液が点々と吹き出して悪夢の植物のような様相でもある。
とりあえず、
昨日の朝起きて、そのような状態の遊戯王頭を発見し、トイレに座りながら「何だろう?」と思う。
やっぱり遊戯王が枯れてしまうことは悲しきことのようにも思われるので、トイレから出て、それらを人差し指でトントンと押しながら健康状態を確かめると、白い葉肉部分は若干ぶよぶよと柔らかくて修復されることは期待薄でもある。
黒い液体は石油のようなべとつきでもある。
流石に手に触ると得体の知れないベトベーターは非常に気持ち悪く「何これ?」と変異した遊戯王の発見状況でもある。
とんでもなく触ってはいけないようなものを触ったような感じもしてよく手を洗浄する。
このような感じからにしてサンスベリアは花が咲くと不気味であると言われる植物でもあるそうな。
一昨日の朝にほどほどの水を上げたぐらいで、特段の何かをした記憶もない。
他の葉肉に不気味液が広がってしまっては困るので根本から「サクッ」と切り落とす写真のような感じ。
切り落として写真を撮っているとアリが机の上をトコトコ歩き出したので無意識に人差し指で潰ぶす。
虫であれば潰す恐怖もあり紙ですくいて窓からポイっと捨てるはずなのに、アリには一切の恐怖や慈悲も感じることもなく無意識にペシャンコに潰してしまうことは狂気なこと也。
※アリも昆虫です。(>_<)
アリと言えば、人間のような社会性のある生き物でもある。
アリがたかるぐらいではあるので、甘い樹液かもしれなくて、生命にとって危険な成分を発している訳ではないのかもしれません。
絶対に舐めないけれども。
遊戯王は鋭いトゲで私の手を攻撃する状態で我が家にやって来て、何故か冬の間に大きく成長して、その後、何だかんだと和解したようでもあって、トゲも丸くなったと思ったら、鉢ごと落とす衝撃を与えてしまい、その衝撃のせいなのか、夜に謎の花を咲かせて、梅雨が来る前の今に気持ち悪い黒い液体を流し出したので、オレのターンでチョキンと断髪しました。
これが遊戯王とのやり取りの全てです。
今朝見たらかわいらしく平常通りに鎮座しておりましたが、長い2本の葉肉がカットされてしまったので、随分とこじんまりとした小ぶりなサイズ感に戻っております。
そして、横から新しい段々とした節を持つケニアの芽も出てきております。
これを成長させてれば、遊戯王ジュニアの誕生を期待できるのかもしれません。
何だかんだとはありますが、まずまずの成長であるような気もします。

そして、

立ち落とした遊戯王の呪いなのか、いやいや、多分、昨日食べたラーメンの食あたりだと思います。(たぶん)
寝る前にお腹が痛くなり、トイレと布団を何度も往復して痛み耐えながら「U〜」と泣いていた。
コロナ禍で外食が減ったのでお腹を壊すことはほとんどなかったのですが、腸はとてもデリケート状態に戻っています。
外食の際はよく火の通ったものを食べないとすぐにお腹を壊します。
単に水を飲んだだけでもお腹を壊す胃腸の弱さであります。
そして、ビオフェルミン3錠を飲み何度も何度もトイレに行きますが、症状レベルは弱い腹痛です。
実山椒をかじりて腹痛が治るのか?の実験には気づいてはいたのだけれども、冷凍庫から実山椒を取り出して食べる余裕はありませんでした。
実山椒は朝、一口かじりて胃に流し込んでみたならば、なかなかの爽快感もありました。
マジで腹壊しの痛みとは老人になれば耐えがたき痛みだと思うので、今から強い胃腸の耐性強化したいと思うものですが、何をすれば良いのか?全くわからないところが面白いところであります。
実山椒を発酵させて胃腸に取り込めば、腹壊に強そうな菌を保持できそうな気もします。
どうなのでしょうか。

 
■2023年5月28日(日)
■ネコ・たけのこ。
■2023年5月29日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ガンダム・エアリアルを作る」

やっとのことでHGガンダム・エアリアルを作りました。
プラモデルを作ることは本当に面倒で大変なことではありますが、完成品を触ると「オレはやった」な愛着の湧く良いキットであります。
毎度問題になる作ったプラモデルをどこに置くのか問題は毎度作る度に問題になる難題でもあります。
ですが、今回のエアリアルは案外、どこに飾って置いてもお洒落に見える造形でもあります。
それは少し淡いパステル調な色合いにあるのかもしれません。
色とは重要な要素ではあります。
人はなぜ?このように面倒なものをわざわざ作るのでしょうか?
それは、恐らく水星の魔女を観て面白く思うからこそ組み立てたいと思うプラモ作りではあると思います。
骨格部分に黒のサーフェイサーを吹き、表面を手塗りしようかと思いましたが、そのような加工も不必要なぐらいにパッチンパッチンと組んでいくだけで完璧なプロモーションに仕上がります。

写真のエアリアルには二つの間違いがあります。
先ずは足。
写真のエアリアルは前後反対に足がついています。
ロボットの足とは前後反対でも案外気にならないものであります。
取り外して付け直します。
もう一つは胸部のパーメットスコアのパネルを紛失したので胸部の色が異なること。
完成したエアリアルの右腕をガシガシと動かしているとパーメットスコアのパネルが明後日方向に飛んでいき行方不明となってしまいました。
たぶん、こちら方向に飛んで行ったのだろうと思う場所にはなくて異次元世界に吸い込まれてしまったような神隠しです。
こういうものは、ある日思いがけない場所からひょっこりと出てくるものとは思いますが、キットには予備のクリアなパーメットスコアパーツが付いていたのでそれに付け替えました。
片方だけだとアンバランスなので、全部クリアパーツに取り換えます。
お金を出せば300円ぐらいでネット購入できるようなのですが、ログイン登録などが面倒でパーメットを発していないクリアパーツ十分です。

肝心の水星の魔女ですが、話の内容は結構難しい。(難しいよね?)
2期は毎度の怒涛展開で、話の半分位はわかっていない可能性もあります。
それでも、細かい部分はわからなくとも面白く観れるのが水星の魔女であります。
後からYouTubeの考察動画を観て「そういうことなのか」と納得するガンダムでありますが、結局、皆推測ではあるので本当のところはわからない部分はあります。
2度観などでしっかりと学習しながら観ないと置いてかれるアニメでありますが、まだ1回しか観てないので、随分とぼんやりとしたことしか書けません。
水星の魔女の難しい部分について考えると昔ながらの連邦・ジオンという対立軸ではなく、様々な企業体や組織の思惑があることも複雑なことの要因の一つだと思います。
登場人物もスレッタとミオリネ以外に学校の登場人物がたくさんいて記憶できません。
新学期にクラスの人たちの名前を覚えることが大変だったことを思い出します。
ラスボス機も想像できません。
ラスボス機に乗るであろうキャラクターも想像できません。(予想:AI?シャディク?)
そして、今回のガンダムは戦闘を通して成長するガンダムというよりも、ガンダム00の「ナドレを晒してしまった」ような通信兵器としてのガンダムな側面もあるのでIT企業のような難しさもあります。
学園がベースなので、今後はスレッタが友人と強力して問題解決していくのだと思われますがどうなのでしょうか。

乗って安心!
動いて安全!
飛べる踊れる!
エアリアルー!
これは購入して良かったプラモデルです。

 
■2023年5月29日(月)
■ねこ〜ねこ〜たけのこ
■2023年5月30日(火)
■一日一文章トレーニング。

「朝起きてエールフランス291便の飛行ルートを調べる」

いやはや、じめじめとした湿度70%超えの梅雨のような天気が続きます。
今朝、天気図を見たならば、しっかりとした前線が日本列島を西から東へ横断していています。
これはそのまんま梅雨前線のような天気図です。
カモ−ン太陽。
カモ−ン高気圧。
もう梅雨入りするのかな?

ということで。

先日、5月28日の午前中に関空からシャルルドゴール空港に飛び立ったエールフランス291便が飛行機の先端ノーズを潰した状態で関空に引き返す事故について調べました。
フライト状況を確認すると写真図のような飛行ルートとなります。
恐らく、Y地点で機器の故障に気づき折り返しの判断をしたのだと思われます。
因みに、エールフランス291便は次の日の29日は修理を終えて、同じようなルートで無事にシャルルドゴール空港まで帰宅しています。
ノーズ部分をペシャンコにする絵面にも驚きなのですが、次の日には「しれっ」とパリまで帰宅できる関空の整備・バックアップ体制もスゴイところだと思われます。
この事故の注目点は飛行機の先端のペシャンコよりも飛行機の整備力に注目するニュースなのかもしれません。
一般的にこのようなペシャンコに潰れる状況とは高度の高い低気圧から気圧の高い地域に急降下する時の気圧変化で起こるものと思われます。
なので、何だが不思議なペシャンコ具合でもあります。
飛行機のことは全く知りませんが、一般的に考えて上昇中は飛行機の先端パーツは膨張し外れることはあってもクチャリッと潰れることはないような気もします。
FlightAware」によるとエールフランス291便は関空を飛び立ってから一気に10000メートル上空まで上昇し、その後、異変に気付き、一気に6000メートルまで急下降、そして4000メートル3000メートルと小刻みに下降しながら関空に帰還します。
このペシャリ具合は車の衝突の跡のようにも見えます。
ただ、異なるのは塗装剥げ等の傷も何も見られないところです。
氷や鳥が突き刺さったとしても何らかの傷はあるような気もします。
飛行機は雨雲の中を飛行しているので、雲の中の雹のような氷の塊と衝突したような予測はできます。
10000メートル上空まで雲が発達していたのか?はよくわからないことではありますが、氷の塊が機体に突き刺さりレーダー等を破壊・障害を起こし、氷なので気圧の密閉性も高めて、6000メートルまで急降下した際に低気圧から高気圧の気圧変化でぺシャッと先端が潰れた?のかもと思ったりもします。
そのまま風圧の影響を受けて、さらにキレイなペシャンコとなった?
ニュース映像にインパクトがあり、何とも気になるニュースではありますが勝手に明智探偵まがいの推察を立てました。
m(__)mt
本当は映像に小さなUFOみたいなものが一つ二つぐらい刺さっていれば、テンション上がる夢のあるお話だと思われますが、マイ予測は雲の中の氷犯人説です。
このようなニュースはアフターフォローが一切ないので、原因を知る方法はありませんが、ジメジメとした朝起き後の暇つぶしにお得意な推察で「何をやっているのだろう」と思う日課です。
全てはネタ不足に起因します。

答え:バードストライク(鳥とぶつかる)らしいデス。
ハズレでした。

 
■2023年5月30日(火)
■ねこ〜ねこ〜(ねこ〜たけのこ)
■2023年5月31日(水)
■一日一文章トレーニング。

「成長には2段目があることを大根の葉っぱは語ります」

先日、スーパーで購入した大根についていた花を咲かそうと思った大根の葉は、結局、花を咲かせることは出来きませんでした。恐らく、大根の花は大根の白い部分の栄養素を摂取することで、咲かせる花なのかもしれません。かといい、大根の葉っぱが枯れてしまったかというと、そんなこともなく枯れもせずに案外、元気なのか?そうでもないのか?謎のキッチンテーブルの上の雑草のように佇んでいます。しかし、枯れそうになる局面は何度かありました。

一度目のピンチは葉水をあげようと水道水でじゃぶじゃぶと水をかけていたら多くの葉っぱを落としてしまったこと。今まで盆栽のような絶妙なカタチをキープしてバランスを保ってきたものが急に崩れて、もはや単体では立つことができない姿になります。水道水の直かけ!ダメ!絶対に。必ず霧吹きを使いて葉水です。すぐに「コテッ」と倒れてしまうカタチになったので、お酒用のショットグラスにさし替えて華道のダメ家元風にいけます。

二度目は単純に弱ってしまったこと。茎の部分が黒く黒ずんできたことが原因で解決策を調べていると、お花屋のプロは少量の漂白剤を投入して水を殺菌させて花を長持ちさせるという狂気的な情報が入ってきます。さっそく、同類の私はそれを実践します。植物に漂白剤とは死刑宣告のような気もしましたが成功して大根の葉っぱは元気になります。漂白剤を少量投入するという芸当は、どんくさい私には少々ハードルが高い作業でもあります。まだ数度しか着ていないお気に入りの黒い服を着て、漂白剤を使っていたら漂白剤が数滴飛んで白く色を抜かしてしまう私ではあります。当然、面倒なのでゴム手袋もせずに素手で漂白作業もします。手についてヒリヒリしたならば水道水で「ジャジャ〜」と流せばOKな感じです。漂白剤をボトルのままショットグラスに流しこむと「ドボッ」と「入れすぎてしまった〜(>_<)」な未来を予言できます、なので、ここは慎重に綿棒に漂白剤をたっぷりと浸して、それを大根の葉っぱをさしている水に投入する慎重さは必要です。漂白剤は水に触れると「ササッ」と透明の液体の広がりを見せます。透明と透明同士ではありますが拡散の様子が見える恐怖とは漂白剤の薬剤の強さを物語ます。茎の部分は未だ黒いままではありますが、茎の回りについていた黒ずみは漂白殺菌されて、水も不気味なぐらいの透明度となります。しばらく、放置すると葉っぱも元気になり不思議な漂白効果で再度復活します。

三度目は普通に大根の葉も寿命限界に来たのかと思っていたら、新芽を伸ばし急に成長し始めます。今、定規で計測すると8センチぐらい新芽の成長。よく見ると小さな花芽も付けています。元の大根についていたような大量の花芽ではないのですが、現在の体のサイズにあった蕾であると思えます。この位なら花を咲かせることは可能なのかもしれません。何で急に新芽を伸ばしたかと考えると、それは植物界のお嬢が紫外線から逃れて室内に避難させて、大根の葉の横に置いたことに要因がありそうです。一人ぼっちであった大根の葉っぱに植物界のお嬢がやってくると机も賑やか、植物もなぜか急に元気に成長をし始めました。それは何か不思議なことであります。成長の因果関係は回りの植物の存在の有無によっても関係するのでしょうか。植物界のお嬢が「ガンバレー」と大根の葉っぱを応援していることはないだろうとは思うのですが、そんな風にしか見えないところが大根の葉っぱの2段目の成長であります。人間もまわりに人が存在していることで、引っ張り、引っ張られるように成長できることはあります。そのような感じなのかもしれません。

というようなわけで。

もう枯れていくだけであろうと思われていた大根の葉っぱは予想外の新芽を伸ばして成長をはじめました。もしかしたら、成長には限界はないのかもしれないとも思わせてくれるぐらいの成長ぶりです。生命の成長とは単なる細胞分裂であるとは思えない植物の不思議な成長でありますが、これは「生きること(人生の目的)」にも関係します。賑やかであることは植物にとっても楽しいことなのかもしれなくて、どこまで成長するのか楽しみな大根の葉っぱであります。

 
■2023年5月31日(水)
■毒きのこ〜ねこ〜(ねこ〜ねこ〜たけのこ)