■2023年2月1日(水)
■一日一文章トレーニング。

「イベントに向けて同人誌を作り始めた」

今日から寒さも一段落するようです。
昨日、久しぶりに「文房具と旅をしよう」を見ていたら北欧の寒さが蘇えります。
若い頃、外国の雪国の人がかぶっている耳付きの帽子に憧れがあり海外旅行の度に買っていました。
そのような帽子を久しぶりの家の中でかぶってファッションショーを開催したならば、笑ってしまうぐらいに似合わないショーでした。
これまた、毎年やっているようなデジャブ感のあるファッションショーです。
たぶん、日本人のほとんどが似合わないと思う耳付きの帽子。
何でこんなにも日本人に耳付き帽子が似合わないのでしょうか。
その理由はよくわかりません。
体形やスタイルの問題もあるのでしょうか。
外国の子供たちや大人が可愛らしくかぶることができるのは持ち合わせているセンスかもしれません。
NYで購入したオサレな耳付きの帽子はまだかぶれます。
ですが、キャプに耳が付くと「るーるーるー」な農協感な哀愁は漂います。
(北の国からは少ししか観たことがないのでイメージです)
北欧で買った映画Fagoやスヌピーに出て来るような?帽子をかぶると途端に狩猟民族感が溢れ出てきます。
「今からアザラシを一頭狩りに行ってくるべ!」と言っても納得できる感じ。
それらはどこからどう見ても可笑しくて、どんな角度でも似合わない。
だからといって絶対に捨てることのできない思い出の帽子でもあります。
寒空のもと街に飛び出して、いろんな人にそのような高度なオサレ帽をかぶってもらい誰が一番似合っているのか?の妄想すると面白いかも。(妄想企画)
気の早い話ではありますが来年の冬は耳を温めるふわふわの付いたヘッドホンみたいな奴が欲しくも思う。
名前は何と呼ぶのか?と思い「イヤー・ウォーマー」で調べたら、そのまんまの「耳当て」でありやんした。
たぶん、日本人にいい感じで似合うのはこの「耳当て」だと思う。

ということで。

2月25日の文具マーケット(第2回)に向けて同人誌を作ることにしました。
何の同人か?というと何ともよくわからない文房具に関する同人です。
もちろん、R-指定なき同人誌。
時間がないので突貫作業となりますが進捗状況をアップしていきたいと思います。

<作業履歴>

1月25日に同人誌を作るのか?作らないのか?の会議を開催する。
喧々諤々の末、アイデアを持ち寄って検討することとする。

1月26日にあらすじ(たたき台)を一気に作り上げる。
ワード5ページ分ぐらいを一気に書く。

1月27日に書いた内容を元に会議。
詳細を詰めて内容を脚色します。

1月31日にワード10ページ分ぐらいを書き上げて大筋のストーリーを完成させる。
脱字誤字、言い回し等を訂正する為の読み合わせを行う。
台割(仮)を作る。
紙面のフォーマットを決定。
(仮)題名も決める。

4日間作業だけでも何だか猛烈に進行しました。
イベントまでに何とか同人誌を仕上げるぞい!!

 
■2023年2月1日(水)
■モグラぐら。
■2023年2月2日(木)
■一日一文章トレーニング。

「フォントとは顔です」

<同人誌の作業履歴>

2月1日 同人誌にほぼ何も手をつけていません。
印刷日数を勘案すると大体、あと1週間ぐらいで完成して入稿しておきたいものだ。
このように余裕ぶっていると後半に痛い目にあうのが常であり、本日は粗削りでも台割り通りに一気に全紙面を最後まで構築したいと思います。
ページ数は40ページ以内に収まることを想定しています。
昨日はフォントや文字の大きさ行間、字間のスペースなどだけは決めました。

見出し:ゴシック10pt、行間18pt、字間75
本文:明朝10、5pt、行間18pt、字間75

とても、ド普通なフォントです。
書体とは本の顔のようなもので文字の雰囲気だけでも本全体のイメージは変わります。
明朝書体とは業務な人々からは嫌われる書体でもあります。
ですが、この同人誌の内容的にはピッタリなような気もします。
デザイン系な人であれば丸ゴシック。
文字をもっとデカく、もっと大きく見やすくして欲しいとお願いすると「チッ」わかっていないなと言うバチバチ感が漂います。
事務系ではメイリオ命みたいな感じもあり明朝体で事務文章を書いていたら丁寧にフォント変換されています。
何と言う名前の書体なのかわからないけれども、わいでも江戸文字?や落語・相撲文字?みたいなフォントの仕事文を見たならば、それはそれで度肝を抜かれます。
フォントとは顔です。
とりあえず今回は明朝。
最終的に変更するのかもしれませんが・・・。

ということで。

ここ最近、事務所から掘り出した30年前のオザケンCDをよく聞いています。
神様どうのこうのと多少宗教っぽいところはありますが「天気読み」と「天使たちのシーン」が好き。
心地よい音色だけあって、6分39秒と13分31秒ととても長いのですが、曲が終わらずにもっと長く聞いていたいと思わせる不思議な曲です。
おざけんもこの心地よいリズムを途切れさせるのが勿体ないと思ったから2倍の13分31秒に曲を伸ばしたのかもしれません。

ということで。

おざけんのTwitterの長文を読みました。
このような方法があったかとTwitter 上の写真長文とは斬新です。
いやはや興味深い。
2曲で3千万円(自腹) 業界のドンに負けたお話がとても好き。
便利さや新鮮味でに人々が常々新しいメディア惹かれていくことは当然ですが、既得権に固まり威張り倒した人間を垣間見た時にも人心とはどんどんと離れていくものです。
※メチャ切り取っているような気もしますが、文章の中には「作品は生活から出てくる 人との関わりからでてくる」とあります。
2曲、自腹3千万円の曲を再び聴きたくなり事務所のCD棚から掘り起こしたくも思う。
今度探そう。

以下、もう少し書いたのですがHPソフト上の規格外文字判定が出て、何が外字なのかわかないので削除しました。

 
■2023年2月2日(木)
■スペースもぐら。
■2023年2月3日(金)
■一日一文章トレーニング。

「散文ですが思うことを書く」

いやはやまだまだ寒い。
今朝"5時36分"に目覚める。
パチリと目を覚ますと首元にスースーと冷気が南下してきて寒かったので亀のように布団の中に首をすぼめる。
「起きるか・起きまいか?」と本日の文章構成を考えながら格闘していると2度寝の爆睡。
たぶん、これは人生そのもの、そして、毎度の人生の分岐点。
8時頃にのしのしと穴から這い出てくる私はモグラよりも幾分よくできた生物です。
最近は定番のミイラスタイルで寝ているので温かい布団から出ることはさらに困難。
それは布団の底を封筒型に折って寝袋のように寝ること。
冷え性の足の下にさらに羽毛布団があれば、布団がシュラフのような温かさで包まれて体全体がポカポカ、毎年のミイラ姿です。

ということで。

「おれはやってやりましたヨ」

昨日、同人誌の全40ページをレイアウトしました。
紙面都合上、一部は削除、多少ズレましたが台割通りには進んだと思います。
見開き全ページに写真やイラストは必ず入れたいので、あとは約20頁以上に載せるイラストや写真を撮ったり描いたりしてページに貼り付ける作業となります。

今朝考えて寝てしまった事柄は構想・製作に何年もの時間をかけた作品と1月25日から行動を始めて実質、まだ5日間ぐらいしか時間をかけていない作品の違いは何かと考えて二度寝しました。
それは眠気を誘う事柄です。
今作っているものは「勢い」です。
頭に浮かぶものをリアルなカタチに落とし込んでいく作業。

創作物とは製品とは異なり経費のかかわりが、よりあやふや。
今回はPDF保存しているので今時の人であればデジタル上で全て校正できるのかもしれませんが、私はアナログ人間なので紙にプリントアウトした上でチェックしないと何となく全体の雰囲気を掴むことはできません。
なので、自宅に約3万6千円(自腹www)の大容量インクのプリンターを購入しました。
それに印刷代や経費なんて考えだすと利益とは何だっけ?みたいなことになると思います。
それでも、何かを作るってことは、やっぱりお金ではなくて情熱なところも大きい。
短期間ではありますが自腹で何かを作るということはオザケンの言うところのインディーズ活動そのものです。
そのようなインディーズ体質が最近モグラに惹かれるところかもしれません。
そして、今、そのような同人誌を作る作業がとても楽しい。
何が楽しいかと説明することは難しいのですが、とてつもなく楽しい。
時間の歯車で考えると早くもないし、遅くもない。
1週間を3週間単位で考え始めてから時の流れは少し遅くなったような気もするので、楽しさのバロメーターが時間の伸び縮みに影響することはあまり関係しないような気もします。

私が何かの作品を見る時に、製作者の製作風景を推測できる能力はありません。
なので、キレイに飾られた作品をみても「色がキレイだ」「雰囲気が良い」などと感想を述べるだけで精一杯。
専門家の話を聞けば、この作者はこのような人物でこのような経験を経て、このような作品を作りました。
「ほほほう」
と頷くことになります。
私は作品を見る観ることも好きですが、そのようなウンチク話を聞くのも好きみたい。
たぶん、私は製作の裏側を知りたい方の人間であります。
だから、DVDで映画などを観ても他の人が全く見向きもしないであろう付属の製作映像を観ることも好き。
いろいろ考えたけれども、製作の裏側を見せるデメリットとは情報流出ぐらいで、むしろ、何を考えて、どのように作っているのかを公開していることは良いことかもしれないと思います。
どうでしょうか?

<同人誌の作業履歴>
2月2日 全ページのレイアウトを作る。プリンターを購入。

 
■2023年2月3日(金)
■荒ぶるモグラ。
■2023年2月4日(土)
■一日一文章トレーニング。

「いつか食卓にカリカリベーコンを」

カリカリベーコンというあんなにも適当さで溢れた見た目の食べ物はありません。
よれよれでカリカリで見た目も雑。
なのに、再現することができない高難易度。
たぶん、特別な調理法があるのだと思います。
ということで、最近、朝から猛獣肉食生活。
朝から少しのベーコンを食するともっと大量のベーコンを食べたくなります。

モア・ベーコン。
されで、ベーコン。
ちょっとエクスペンシブなカリカリ。
シルブブレ。

何であんなペラペラのお肉が高いのでしょうか。
山盛りベーコンとは人生100年の内の贅沢な一日の始まりに違いありません。
大量に食すると飽きっぽい私はすぐに飽きてしまうところがあります。
前例あり。
以前、仙台にいろんな店のいろんな牛たんだけを食べる旅行をしたことがありますが、一軒目の大盛牛タンで飽きてしまいました。
なので、2軒目の牛タン専門店を最後に仙台牛タンツアーは終了しました。
山盛り食べると「もういいや」と思う性格でもあるので、好物とは少ないぐらいで丁度良いのかもしれません。

ゆっくりと、じわじわと弱火で焼かれたベーコンはカリカリにはならないのですが、あの安っぽいカリカリ・ベーコンと比べても熟成されたハムのような奥深き味を醸し出します。
これはこれでとても美味。
そして、そのようなベーコンを焼いていると肉文字のようになりました。
ベーコン・フォントとはよく言ったものです。
「M」や「D」や「ス」や「二」にも見えなくもない。
肉好き野蛮人に捧げる「御肉文字」。
これは何かに利用しない手はありません。
同人誌に載せましょう。

いやはや、ベーコンを食べたくなってきた。
毎朝の朝食に飽きたならば、食卓に偽カリカリ・ベーコンが並ぶようになった素敵な朝。
ワンワン達なら目を剥いて噛まずに飲み込んでしまうベーコンではありますが、人間にとってもこんなに薄い肉は数回噛めば腹の中です。
ベーコンとは何回咀嚼で飲み込んでいるのでしょうか?(調べましょう)

ということで。

ベーコン熱はまだまだ冷めません。
昨日の同人誌作業はページレイアウトの文章を訂正・加筆します。
画像に手を付けるのはすこす腰が重すぎたので内容精査でお茶を濁します。
いつものノリで文章を書いていると、あるはあるはの脱字誤字のオンパレード。
私の中では頻発する脱字誤字は東北の仏像を彫るような気持ちで書いています。
たとえ脱字誤字が頻発しても全体のカタチを作り上げることの祈り。(ウソ)
言いたい内容や大枠を書き出すだけで精一杯な作業です。
東北旅行に行くと彫りの粗い仏像をよく見かけますが、あのような感じです。
西日本の仏像が繊細で間違いもなく完璧に作られているのに比べて、東北の仏像はどこの素人が作ったのか?というような彫りがテキトーな仏像で溢れています。
仏像らしい仏像も好きですが、何だか荒削りな仏像も今っぽいアート感もあって個人的には大好き。
ここの文章も良い解釈すると東北の仏像のような文章になれば良いなと思っています。

私たちは何かを作る時に、それらを判断する為の材料とする「たたき台」と呼ぶものを作ります。
粗削りな内容だけで固まった素材のこと。
出発の第一歩。
とりあえず、あれこれと皆で判断する為の判断材料。
それが「たたき台」であります。

昨日はそんな「たたき台」の上に厚切りベーコンをのっけて、さあ、NEWパソコンを使い文章を改変・修正していこうとやる気になっていた瞬間に「見えないのです!」。
何が見えないのか?と言うと。
修正箇所を選択して修正する文字を入力した瞬間にWindows11の日本語IMEの変換候補がズラッと這い出てきて修正したい下の文章が見えないのです。
当然、邪魔なので動かそうと思うとドントムーブだす。
超能力者でもないので「下の文章は見えてきた」という訳にはいきません。
ヤル気を初っ端なからくじかれて昨日は終わった。
マイクロソフトのIMEは「Google IME」に変換され、PDFを見る時にいちいち起動される「Edge」は何故か出力しようとするとプリントエラーになるので「Mozilla」でのViewに交換されて、どんどんとマイクロソフトのアプリが用無しとなっていきます。
Windows11とは何だかヤバイような気がしてきました。

<同人誌の作業履歴>
2月4日 文章の加筆・修正。脱マイクロソフトなパソコン環境になってきた。(汗・・・)

 
■2023年2月4日(土)
■ベーコン文字ハ長調2番ソナタ。
■2023年2月5日(日)
■一日一文章トレーニング。

「謂わば私は卑怯な人間でもある。」

大きなフライパンに長いベーコンを置いて弱火で炙る。
油はひかない。
炒め始めは火を弱火にするのを忘れて中火で一気に焼いてしまうが、パチパチという強く焼ける音で中火に気づく。
弱火にする。
それから暫く弱火でベーコンを焼き続けるが、何分経ったのであろうか?結構長く時間は経つがまだまだ焼けない。
ベーコンをひっくり返し焼き目を見るが焼き目はつかない。
焼き目がしっかりとつくまで我慢する。
ベーコンの香りをかぎながら本日のネットニュースをみる。
料理中にスマホなりタブレットを触りながらネットサーフィンするとお手手がばっちいような気もします。
「バイキンどもは弱火の跡で焼けるであろう」と
ベーコンを弱火で炒める間の手持ちぶさたを埋めるものはネットだけである。
まだかまだかと忍耐袋のひっくり返りそうになりながらも、待てばその内にベーコンにも美しい焼き目が付くものであります。
豚肉系の焼き目とは美味しい肉の証。
さっそくベーコンをひっくり返します。
最後に中火でベーコンを炒めると透明色の油にパチパチと白くはじける閃光が走って、ベーコンの焼ける姿に宇宙を垣間見ます。
世界広しと言えどもベーコンが焼ける様に宇宙の成り立ちを見出す馬鹿はいないであろう。
ベーコン完成。
次に目玉焼きを焼く。
目玉焼きは食べる時に黄身がとろとろすぎると食べにくいのでよく火が通るようにしっかりと焼く。
こちらもどれだけ手間のかかる料理だという位にしっかりと中火で良く焼く。
玉子料理とは簡単そうで、もっとも難しい料理の一つだと思う。
玉子が固まってきたらフライパン返しで卵のくっつきを取る。
フライパンの上で目玉焼きが右や左に自由運動するようになればシメシメと良い兆候。
黄身がある程度固まるまで、これまた我慢してしっかり焼く。
その間に冷凍庫から凍った食パンを取り出して、とろけるチーズを置きオリーブオイルをふりかけて280℃のオーブントースターで3分位焼く。
冷凍したパンでも3分も焼けば普通のパンのように焼けています。
「チーン」
トースターが鳴ってパンを取り出す。
もう少し焼き目をつけたい時には、そのままオーブントースターの中に入れておくと余熱でも十分焼けます。
大体、こういう調理機器の「完成しました〜」の合図の「チーン」は仏教的であります。
機械による仏壇的な「チーン」みたいな音色で生あるものたちを頂く準備はできました。
焼けた食パンを置き、焼けた目玉焼きをのせて、ベーコンをパンの上に載せてタマネギとケチャップ。
見た目だけでも十分に美味しいです。
ベーコンは写真用にパンの上に載せましたが、実際に食べる時にはパンから下ろして単独でムシャムシャと食します。
朝からの肉食はおよそ20噛みで砕き、約5〜6噛みの余韻噛みで胃の中に落とし込む。
その間に手間暇かけた肉の燻製感が鼻と味覚を通り抜けて「うめぇ〜」となる。
黄身はやっぱりとろとろと流れてくるので皿に落とさないようにサックサックと器用に急いで頬張ります。
「もっと味わって食べろよ」とは思うのですがムシャムシャと食べる時間とは一瞬の出来事であります。

ということで。

あるがままの、あるがままに見る風景を描くと、これは自然主義的な文章だと思われます。
日々の生活品価格高騰の社会問題についても抜け落ちて、当たり障りのないショールームを見せるだけの世界かもしれません。
「令和5年の日常を切り取った一枚の写真ではない」
それはついついトリミングされた美しい風景だけを切り取り現実を排除した夏目漱石が言うところの日本人特有の卑怯な文章なのかもしれません。
なぜ、円が弱くなったのか?なぜ、日本に世界を未来に牽引するような企業がないのか?本質的な問題解決を顧みることもなく「もの」の値段が上がったら「人件費」を上げたらいいんじゃない?という安直な空気感に対する違和感を直視せずに見たままの風景をそのまま切り取っていることは現実の世の中を直視していないような気もします。(反省)
自然主義的な文章とは生活と経済、政治とは別物のように描いてこそ読みやすく、繋がりを断ち切ってこその文章でもあります。
それらを自然にあるものとして触れないことは、後々に作られる未来に対して暗黙のお墨付きを与えることと同義であるような気もします。
歴史を振り返ると。
ロマン主義の個性や感情が夢やぶれた後に現実を理想化することない、ありのままの姿を描く自然主義が現れて、その次にやって来るものは美を至上のものとして美にふける耽美主義なのかもしれません。
耽美主義的なものと言えば、環境問題などでもすでに垣間見ることはできます。
果たして、歴史は繰り返すのでしょうか。

 
■2023年2月5日(日)
■朝の顔。
■2023年2月6日(月)
■一日一文章トレーニング。

「収益の柱は4輪走行であって欲しい」

植物界のお嬢の黄色の葉っぱは随分前に勝手に落下しました。
いつかネタにしようと捨てずに置いておいた落葉した葉っぱは今やミイラのようにカリカリに干からびています。
結論から言うと一度、黄色く変色した葉っぱにいくら太陽光に当てもクロロフィルが復活することはありません。
当たり前か。
心配していた黄色の葉っぱが植物全体に悪影響を及ぼすこともなく、黄色の葉っぱは落葉します。

残った3枚の葉っぱはすこぶる元気で寒い冬でも部屋の一番陽当たりの良い場所に陣取り黒々とした緑色の大葉を伸ばします。
面白いのは、大きな4枚の葉の内の一枚が落葉した途端に新しい新芽をニョキニョキと伸ばしてきたところ。
葉っぱに意思があるのか?わかりませんが、植物とはよく出来た生き物です。
新芽は落葉後に一気に芽を伸ばし始めたので、古い葉っぱを捨てて新規の葉を作り出す戦略的な行動のように思えます。
植物界のお嬢はいつも快適空間に避難しているとは言え幾度の冬を乗り超えたベテラン植物です。
この暑くて寒い東京環境では生存できないかもしれませんが、部屋の快適空間に避難しながらの環境変化には順応しています。

植物界のお嬢を見ていたならば、収益の柱は4枚ぐらい欲しいものです。
一枚、落としても3枚の葉はピンピンと元気で新しい芽を伸ばす期間も十分にある。
3本の柱、3本の矢、4本目が新陳代謝で新規事業、いいね。
わいよりも100倍有能なお嬢です。

自然主義からの脱却を鑑みて3本の矢から何を想像するのか。
経済上の3本柱と言えば、「経済成長」「物価安定」「完全雇用」が基本です。
新規の新しい政策があれば4輪目の安定走行となるのでしょうか。
こんな教科書的なものを眺めていると「あれっ?」と気付く。

経済成長→(×)随分前から放棄されている。
物価安定→(×)2%目標を超えてから放棄されている。
完全雇用→(〇)労働力としての雇用は守られている。
新規政策→(×)知らない。

なんかヤバイね。

いわば「完全雇用」の一輪車サーカス団みたい感じ。
不景気の中のインフレ+賃上げとは「賃金物価の悪循環」しか思いつかないので「完全雇用」も損傷しなければ良いのですが。
どこでコスト増分を確保するかと考えれば、自腹を切る、社内の非生産部門や不要人材を整理、国の補助金を頼りにする、商品サービスの値段を上げて確保する、強者であれば、商品価格を据え置いて下請け企業や流通を組み替えたりすることで財源確保となるのかもしれません。

何であれども、何かと不思議に経済や社会はそれなりに安定しているのも日本であります。
これは良い事なのか?悪いことなのか?私にはわかりませんが、医者の先生なら兆候が現れにくい状況を絶妙な言い回しで表現するのかもしれません。
それは単に沈みゆくタイタニック号の中でゆっくりと歩いて日常を過ごしている紳士淑女な乗客のようなものかもしれないし、それでも、一輪車の曲芸走行の変態スキルでも走り続けるというのも日本人の特性でもあります。

この数十年の間違いは何であるかと考えれば、ケインズ主義的なものであるような気がします。m(__)mtを支持する人たちもほとんどケインズな人たちだと思います。(たぶん)日本の場合を枠に当てはめると、総需要を刺激する(1)ケインズ的な政策に(2)マネーサプライが加わったのがこの十数年の仕組みです。国が不景気による民間投資減少を穴埋め相殺する政策で、これまた教科書通りに政府支出が雪だるま式に増えたことによって増税も必須となります。国の支出が増えた分だけ民間支出も減少して新規の新しい分野に投資されなくなったのが今のこの国の状況であると思われます。(3)もう一つの政策は小さな政府で規制緩和等で、民間のインセンティブに働きかけ投資と生産の増加によって総供給側を刺激する新自由主義な政策。国が行うことには百害あって一利なしと、市場に任せるように求めるのが新自由主義的であることと考えると「株」も「債権」も日銀・政府のコントロール下に置かれた状態のどこがどのように見れば日本が新自由主義なのか?と意味がわからないことでもあります。(新自由主義フィルターとは利益誘導する人物を見極められる素性がわかる)

ということで。

植物界のお嬢は一枚の葉っぱを落としても健全的で立派な鑑賞植物だと思いました。

 
■2023年2月6日(月)
■モグラの手の動きを改良したけれども、
モグラの動きはイマイチよくわからない。
■2023年2月7日(火)
■一日一文章トレーニング。

「まったり時間、時間が物事を解決します」

はたして、作りものは時間によって熟成されるのでしょうか。
時間的な余裕はなくて突貫作業で作られる同人誌。
土日の二日間にみっちりと缶詰作業で作り込む意気込みはありました。
ですが、結局一度も手をつけないのが土曜日・日曜日です。
これは放置状態で月曜日を迎えるダメ人間の習性ではありません。
全て週末であるが故の出来事です。
「この失われた二日間は熟成期間でありました。
物事がより良くなる為に必要な同人時間。」
私はそのようなことを思い、牙をむいて吠える。
そもそも、今製作している文章と絵と写真のジャンル不明の良くわからない読み物が同人誌と呼んで良いものなのかもわかりません。
そして、それを私は【小品】と呼んでいる。
商品と小品のヴィンテージな感じ。
昨日の月曜日、久しぶりに同人誌を読み直し、改行・句読点・フォント修正・加筆を行う。
三日前に大きく修正したのにも係わらず再読する度に出て来る、出て来るわ〜の修正箇所。
タテ・ヨコ・ナナメと何度も同じ文章を読み返していると、「一日一文章トレーニング」で毎日テキトウな文章を読み返さずに書き流していることをヤバくも思う。
そして、それらはヤッパリ粗削りな彫刻みたいなものだと再確認する。
何度も読み返し細かく修正する作業はヤスリがけのようなものである。
読み直せば、読み直す程に文章とはツルツルに美しくもなるものだが、それが良いものであるかはわからない。
ある程度の文章の荒粗さとは読み物の醍醐味でもあり、脱字誤字で人をイライラさせるにも十分有効だ。
正しい文法で脱字誤字間違いなく自然な文章を書くのであれば、AIが書けば良いことで、人が悪戦苦闘しながら書く意味とはそんな荒々しい手仕事にあるのかもしれない。
そして、それなりの二日間放置された文章はそれなりに熟成された文章になったような気もします。
確かに時間とは行き詰った箇所やいろんなものを解決してくれます。
時間が物事を解決することは確実にあります。
熟成とは発酵することや時期が熟すること。
発酵現象は酸素による酸化現象とは異なり、同じ時間の歯車を回しながらも無酸素状態に於ける微生物の生命活動でもある。
泡をふつふつと発酵させながら何かしらの新しいエネルギーを分解して作り出します。
妖精やコビトが触れた訳でもなく、部屋の隅に置かれた作りかけの製作物が時間と言う名の歯車が回転によって発酵して熟していくことは、私たちの頭の中で物事が発酵している状態なのかもしれません。

ということで。

アフタヌーンティーです。
たっぷりの甘いロイヤルミルクティーをカップに注ぎ、焼きたてのクッキーみたいなものを食べると脳みそにホッとする時間を与えてくれます。
いやはや、これは熟成時間です。
放置で熟する時間も必要ですが、発酵するお茶を飲み熟することも必要です。
ミルクは温めてから入れた方が良いのですが面倒なので冷たいミルクを投入すると少し残念なぬるいティーになります。
かと言って、ミルクを温めるとぶよぶよな膜が張ってしまい、そんなミルクの膜は好きではありません。
たぶん、上手な入れ方があるのでしょう。
多少、ぬるくとも甘いティーとは美味しいものです。
そして、お茶を飲む時間とはかけがえのない時間です。
イギリス人は不味いものを食べていると馬鹿にする人たちもいますが、ちゃんとお茶をすすれる時間をもうけることは大切な時間を持っていることを意味します。
なので、そのようなお茶の時間を持てることは味覚だけではない贅沢な時間を持っていることでもあります。
同じお茶の国で茶道の国でもありますが、お茶を飲む時間とは失われている文化のような気もします。
いつの頃からか、お茶をゆっくり飲む人間らしい時間もなくなり、労働力という名の数字で測れる仕事場に缶詰になった生活。
午後のお茶の時間をもうけましょう。
買ってきてもいいし、お茶を自ら入れるのはもっと良いことではありますが、温かいお茶を飲んでホッとすればこそ、何かしらの良いアイデアは生まれるのかもしれません。
確証は全くないのだけれども、まったりできる時間は良いものです。

 
■2023年2月7日(火)
■奴を怒らすな!パンチ猫「シャー」。
■2023年2月8日(水)
■一日一文章トレーニング。

「突貫・特攻・突撃」

あれよ、あれよという間に、同人誌入稿までの時間がなくなります。
今週中に完全原稿を入稿できるように突貫作業を進めますが、画像をCMYKに変更したり細々とした作業も面倒です。
あれだけ、腰重くて避けていた絵や写真をページに貼り付ける行程はやっぱりしんどい作業でありました。
昨日はProcreateに10枚の絵を描き、1枚ボツで9枚の挿絵や写真を加工した。
「おれはやった!」
と言いたいところだけれども全然、足りない。
描く必要のあるページに付箋を貼りつけると残りは5内容で10ページ。
どれも、内容的にイメージ必須でページ全面レイアウトの後回しにしたくなる大物たちばかりです。
そのような大きな壁を目の前にすると、なぜ?こんなにも面倒なことを始めてしまったのだろうという気持ちにもなる。
されど、やり遂げてこその同人誌。

同人誌に人気の猫ちゃんは必須ということで。
当然、版権自由のアイドル猫ちゃんも登場します。
猫は飼ったことも触ったこともないので、ほぼ、妄想の猫です。
昨日の朝、気合を入れて描いた猫は猫パンチ「シャー」みたいな恐ろしい猫。
「これはアイドル猫ちゃんじゃない」ということで昼過ぎには方向転換の別のゆる猫を描き直し。
どうやら、気合を入れて描くとなると良い結果は出ないみたい。

やはり、今回のテーマは「粗削り」。
大昔の東北仏師のように、ノープラン・思いつきで走り出し「勢い」と「粗削り」の御旗を掲げて地方豪族の城を攻め落とす。
今こそ、日々のトレーニングの深化が問われる時であります。
それは、毎日、「何かを続けることにどのような意味があるのか?」という「一日一文章トレーニング」の結果報告書みたいな感じ。
卒論や中間経過発表よりも課題提出みたいな感じかもしれません。
苦手な文章を書くことよりも得意ではあった絵を描くことの方がしんどいことは興味深い。
構成・構造を組み立てる脳はとても鍛えられたような気もします。
ディナーであれば最後に残り物の好物を味わって食べるところではありますが、必死の製作物の後半は反対に触れたくもない面倒なものたちだけが残ります。
これは最後の扉の前に暴走族がブンブンとバイクを吹かしてのさばっている感じです。
私、今週の風紀当番は恐怖おののきながら本日、鉄パイプ特攻服のリーゼント頭たちに「今夜はそろそろ解散して、集会は1週間後に変更しようよ」とお願いしにいきます。
「消費する」ことと「作る」ことは全く異なる仕組みです。
「突貫・特攻・突撃」当たって砕けてこその同人誌かもしれません。

 
■2023年2月8日(水)
■白熱授業。何とか更新できました。
■2023年2月9日(木)
■一日一文章トレーニング。

「適当に始めたことでもテキトーな終わりはやってくるの?」

ちまちまと紐の線をくり抜くことは永遠に感じる作業。
面白いことに、そのような終わりの見えない苦痛な作業にも必ず終わりはやってきます。
適当に始めたことでもテキトーな終わりはやってくる。
?

ということで。

「モグラのトンネル」を描きました。
商品アイテムの撮影も終わり大量の画像も切り抜いた。
「目玉加工」は終えてはいないが、恐らく、イラスト画像関連の全ての素材は揃ったと思う。
後は「トレーディングカード」の絵を描くだけ。
これだけ聞くと何の物語なのかと思いますが。
(たぶん)文房具愛がたくさん詰まった同人誌です。

【同人誌】とは同じ趣味や志を持つ仲間に向けて描かれ書かれた本のことのようです。
「目玉」や「モグラのトンネル」も「トレーディングカード」の必要性は同人には伝わると思います。
(たぶん)
同人以外には「キョトン」な話かもしれませんが、「???」の先に同人沼があるかもしれません。
(知らないけれども)
気に入らない画像や写真の描き直し、撮り直し時間はあるのでしょうか?
そして、本日の目標は全ての画像を貼り付けます。
完全原稿の完成です。

チクタク・チクタクと時間とは相も変わらずの高速回転で進行していますが、そのような黙々作業を進める手助けとなったものが音楽です。
作業中に良く聞いたCDはこの3枚。
1)「犬は吠えるがキャラバン隊は進む(小沢健二)」(1993)先日記事にした。
2)「puzzle (tahiti 80)」(1999)超懐かしくて、まったりと作業が進みます。
3)「テレビアニメーション“スペースダンディ”O.S.T.1ベストヒットBBP」(2014)これは作業用の専用音楽かと思う程に良い音がたくさん詰まっている神CDです。
「スペースダンディは宇宙のダンディ。
そして、彼は宇宙のハンターであります。」
スペースダンディ大好き。
これら音楽を聴きながら同人誌を作っていることは作品の血となり肉となっているのかもしれません。
(たぶん)
どれも、古いCDではありますが黙々作業に最高に良い音楽。
CD1曲聞き終わる度に完全なる無音の間がやって来ることも良いことです。
リピート再生をしないでワザと音楽を途切れさすことが「作業音楽のミソ」。
Youtube 動画の作業BGMでも良いのですが、音楽が途切れることに意味はある。
1枚のCD再生が終わった時に「どれだけ進行したのか?進まなかったのか?」と時間経過を知ることができます。
進まなければ、お茶とお菓子のお時間です。
甘いお菓子と超甘なロイヤルミルクティーを脳さんブレインにお届け。。。
今も驚異的な時の歯車は容赦なくゴロゴロと進行し、本当のところ、このような文章を書いている場合ではないのかもしれません。
(徹夜?再来!)
CD一枚とは曲の途切れで進捗状況とその経過時間を教えてくれるので時間を計るのに丁度良い”物差し”でした。

 
■2023年2月9日(木)
■(英)プレミアムリーグの選手の登場を歓迎する猫たち。
■2023年2月10日(金)
■一日一文章トレーニング。

「戻りものは我慢して仕込んでこその戻りものです」

雪がパラパラしているね。
久しぶりの湿り気なような気もします。
「雪やこんこん あられやこんこん」
あられって何やろうね。

ということで。

昨晩、私にとっての「あられ」がこんこんと降りそそぎました。
お供えものみたいな写真。
お正月のカリカリ、コリコリがたまらなく美味しい「数の子」を冷蔵庫の中で発見。
ラッキー・ハッピーな数の子発見で早速、塩抜き作業を行います。
水を張ったボールに塩を入れて数の子を放り込めば8時間後の朝には塩抜き完了です。
数の子は毎年お正月後の「もどり数の子」を楽しむ為に数本を冷蔵庫に残しています。
戻ってくるものと言えば、「もどりカツオ」に「もどり金」、「もどり雨」、「もどり高値」、「もどり基調」と予め仕込み予想しておけばこその「戻りもの」です。
よくよく考えると数の子を数本残すことは毎年恒例のイベントです。
戻りものを幸運にも掴む為には「戻ってくるもの」を仕込み、罠を張って待ち構えることが肝要です。
そして、年明け後41日目の本日にお披露目される数の子。
忘れていたものが、「ひょこり」と現れ出て来ることは小さな幸せであります。
そのような、お目出たい「もどり数の子」でさえも忘れているのが日常運転の忘れっぽい私でありますが、時の歯車と共に左から右へと物事を忘れ、時折、再発掘して自分のしたことで自分で驚く忘れ事です。
これは年齢が成し得る技かとも思いますが、昔から体操着を持たないで運動会に行ったり、遠足を忘れて普通に学校に行こうとしていたりと、どこか何か欠落しているところがあります。
机の上に「数の子」とメモ書きを置いておいたので塩抜き水を捨てることは忘れませんでした。
「よしっ」
メモ書きを置いていないと、そのようなことさえも忘れてしまうかもしれません。
10時間以上の塩を抜きすぎた数の子とは味がぬけぬけの美味しくない数の子となります。
ということで、無事に塩抜き完了。
今晩の晩飯が楽しみだ。
「ほほほっ」

同人誌の進捗状況。
とりあえず、昨日、頑張って右から左、上から下へと画像をドシドシと貼り付けました。
ひたすら、心を無にして画像を貼っていく作業。
たった40ページだけども、されど40数ページ。
当然、「あれっ」これは違うと思うところは出てきます。
それは「机上の空論」と「具体的なもの」を見た時の感じるものの違いです。
世の中とは具体的に可視化された時に「あーじゃない・こーじゃない」と意見が出てくるもので、厄介なコトでもあります。
なので、苦しんで作った後の再修正やボツは、手間や使った時間が無駄になるような気もしてちょっとしんどい。
カタチとして現れた時に始めて何となく全体の雰囲気が掴めてくるのが、やっぱり世の中。
その意味では今が本当の同人誌としての体を形づくる真の「たたき台」状態と言えるのかもしれません。
一昨日、死ぬ程に苦しんでくり抜いた線はボツとなり手描きで書くことになります。
単なる線であってもそれは一丁前の画像として処理しなければならなくて、そのような細かい作業が本日の作業。
「チャット画面」の顔アイコンも描かないといけません。
「トレーディングカード」のえも描かないと。
などと、細かい小物画像はまだまだ足りておりませんので、本日は細かい紙面の中の小物たちを作って紙面にペタペタと貼り週明けには入稿したいと思います。

 
■2023年2月10日(金)
■英国プレミアムリーグの選手入場を歓迎する猫たち。

■2023年2月11日(土)
■一日一文章トレーニング。

「巻いて・巻いて・巻ければ良いな」

いやはや、寒い。
何が寒いかと言うと、足のつま先が寒〜い。
そして、最近は首元も寒〜い。
足元にはカイロを放り込み、羽毛布団は封筒型のシュラフのように体を包んで完全防寒。
首からスースーと侵入してくる冷気対策には後頭部で往年に踏みつぶされたぬいぐるみを配置してパテ代わりに阻止します。
この睡眠形態をサッカー戦術に例えると「2−4−5」の完全に芋る守備的陣形。
頭:ウサギとネコのぬいぐるみ×左右に2体
体:下毛布×2枚+羽毛布団上下W折りサンドイッチ包み
足:下毛布×2枚+羽毛布団上下W折りサンドイッチ包み+カイロ
このファラオ顔負けのシステムは全方位から迫りくる冷たい空気を完全にシャットアウトします。
それは恵方巻みたいなカタチの恵方巻戦術です。
むしろ、冬の布団とは恵方巻なカタチでいいのではないかと思います。
恵方巻のように布団を巻き込んで冬の間は冬眠した芋虫のように顔を出して寝ていたらとても可愛らしく温かい。
それなら、寝袋+布団が一番温かいのかもしれません。
家族みんなが家の中で寝袋で寝ていたら、そりゃ面白い光景です。

ということで。

「ついにおれはやった byダクソ」

昨日の同人誌製作は付箋の付いた未完のページを完全に埋めて完成の舞いを踊りましたが、一日の終わりに再読すると前日以上の「追加、修正、やり残し等」の付箋が付いて愕然とする。
まだまだ終わらない同人作業。
こだわれば、こだわる程にやることが増える同人作業。
どうせ作るのならば、やっぱりこだわって作りたいものも同人作業。
これは「アートブックレット」のような気もしますが、アートという言葉にはちょっと敷居が高いものを感じます。
かといい、同人誌かと言えば、萌え要素や漫画もありません。
なので、同人誌と言う言葉にも気が引けます。
文章と絵の入った「同人草紙」というような古典的な呼び方が良いのかもしれません。

本日やること。

1)表紙+背+裏表紙のデザイン。
2)タイトルロゴを作る(たぶん、この週末一番の最難関)。【ラスボス】
3)カバー4Pに画像を貼る。(午前中作業・できているので画像を貼るだけ)
4)奥付けを付ける。
5)地図を描く。(午前中作業)
6)40頁のイラストを追記して作り込む。【中ボス】
7)34頁のトレーディングカードをまだ描いていなかった。【中ボス】
8)11頁−12頁の見開きページに絵がないので描く。(全ての見開きページに挿絵があるように本を作っています)【中ボス】
9)15頁のイラストを描く。(午前中作業)
10)31頁挿絵。(午前中作業)
11)28頁草描き直し。(午前中作業)
12)19頁の文字追加。(午前中作業)

中ボス3匹にラスボス1匹。
がんばる。

 
■2023年2月11日(土)
■ネコの拍手は癒しです。
■2023年2月12日(日)
■一日一文章トレーニング。

「けっきょく ぼくたちは きみたちが すきなんだ」

昨日は朝から一日籠りて同人製作。午前中作業は予定通りに終えて事務所に出荷しに行く。事務所作業を終えてスーパーに寄り食材を購入。通りも店内も久しぶりの人人人で荒川の街の活気は良いものであります。以前はご年配の方々しか見かけることはありませんでしたが、この数年で荒川は若い人が増えました。良いところはスーパーなど物価が安いところで、デメリットは緑がないところではあります。ほとんどの人はまだまだマスクをしていますが、パンでミック?の終わった感は街全体に溢れます。帰り道、上野公園を通るとこれまた人人人で以前の上野の活気が戻ります。オブジェのように地面に座りて通りすがりの人をつまみにお酒を飲む爺を見ると「あーやっぱり上野はいつまでも上野なのだ」と思う。あの人達でもいなければ、皆の知っている上野ではありません。コロコロ自粛中は人っ子一人いなかったことを考えれば、少しずつ日常とは戻ってくるものであります。花粉症も発生していないこの時期の暖かさは私にとっての絶好の野外活動時期でもあります。程よくピリッと日焼けしそうな燦燦と降りそそぐ太陽に当たりフリスビー遊びや荒川土手を走りたい気分ですが先を急いで製作作業に没頭します。帰宅後の作業はラスボス認定のロゴフォントを作り。ラスボスの予定が意外に結構、簡単に書けました。本日はこのタイトル文字を使いブック表紙のデザインを構築します。題名が「けっきょく ぼくたちは きみたちが すきなんだ」というタイトルです。たぶん、紙面の中にたくさんの愛が詰まっていれば良いなと願うネーミング。結局とは私たちの心の声のような気もします。

何かを作り始めると机が汚くなり、このゴチャゴチャ感から何かの創作物が作られてくる感じは結構好き。だからと言って、キレイでサーと広がるでお洒落デザインオフィスみたいな机は理想の製作環境です。私の製作する机は事務所から拾ってきたフォールディング・テーブルを部屋の隅に作った小さな書斎。始めてのお家の書斎。小さいスペースに小さく丸くなりながら入力や絵を描いています。時折、ダイニングテーブルやその他の場所でも作業しますが、この狭くて小さな場所が落ち着きます。机の上に“もの”がのっているとマウスにガシガシ当たる程に小さく狭く、東京都心の家みたいな感じです。また、隅っこに“もの”を置いていると不安定で落ちてしまうので、”もの”は極力置かないようにしています。ならば、製作に必要な“もの”はどこに置くのかと言えば床にポイっです。ポイポイと”もの”は床に投げられて散らかります。「部屋の汚れは心の汚れ」とは言いますが、この部屋の汚れは心も荒んで部屋が汚くなる時の部屋の汚れと少し違うような気もします。見た目は同じようものかもしれませんが、この部屋に溜まった汚れは情熱でもあり、紙面に反映されて浄化される汚れでもあります。当然、毎晩の作業終わり部屋をキレイにお片付け。“もの”の直置きは汚部屋になる絶対条件なので、絶対に!!床の置かれている“もの”は最終的にキレイにお片付け!

残る付箋は4箇所。
・奥付けの修正。
・24頁の草画像。この草が真のラスボスな予感です。
・30頁のトレーディングカード。絵は描いたのですがカードデザインをまだ作っていない。
・36頁の絵は未完。
・表紙デザインの製作。突然「ふっ」と気になり恐る恐るフォーマットサイズが間違っていないかとチェックしましたが間違っていなくて良かった。
週明け入稿するゾ。

 
■2023年2月12日(日)
■正に猫の手を借りたいとはこのことだ。
昔の人は天才なのか?
全然、作業が進まなくて空回り。
猫を描いている場合ではないのですが、
今日も猫は手拍子をする。
猫の応援。
猫が応援。
猫も応援。
何のことかな?
 
■2023年2月13日(月)
■一日一文章トレーニング。

「高画質は良いことではありますが、私に限り情報量が増えると頭がパンクします」

「空回り」とはよく言ったもので、昨日はカラカラカラカラと時間の歯車と噛み合うこともなく、よく空回る一日でした。
そのような状態も夕飯を食べてからエンジンがかかり始めて、何とか全ページを作り上げることができました。
残された製作物は表裏表紙のみ。
表紙を作り、ファイル名の変更と文字をアウトライン化して入稿すれば完了です。

この同人誌のラスボスは順番通りの最終頁でした。
本を最後まで読んでくれたことに感謝を伝える何でもない頁なのですが、それに大きく躓きました。
上記画像はそこに貼り付けようとしたボツイラスト。
話しの内容と全く関係のない“家”と“モード服の人”の図。
今思うと、このような内容と全く関係ない絵でレイアウトしようと思ったならば混乱するのも至極当然です。
家は異なるテイストで3枚も描き、どうしても載せようと奮闘したのですが不採用。
モード服は面白くて結構好きな服なので以前描いたものを描き直し、これまた配置しようと思いましたがどこにも載せることができませんでした。
今度、未来や宇宙なお話があれば登場させたい服装です。

空回りの発端は最終頁の画像解像度を300dpiから600dpiにグレードを上げて画質をキレイにしようとした企みから始まります。
それまでは付箋の付いた箇所をテンポ良く修正追記していましたが、画質を上げてから製作のリズムが崩れ出します。
パソコン処理的には何の問題のない解像度ではありますが、画像解像度の上昇で何故か私の頭がフリーズしてしまうことは不思議なことです。
このポンコツ脳みそは、まるでコンピューターと直結しているみたいです。
解像度が上がることは物事がよりクリアに綺麗に見えることで何も悪いことはありません。
ですが、
作る方にとっては画像処理する時の細かい部分までよく見えて、いろいろな部分が気になります。
あれもこれも修正しないと気になる、気になる。
そんな感じの製作前処理段階で時間がかかりすぎて調子が崩れたのかもしれません。
私の場合、世界とはぼんやりとしている具合が丁度良いのかもしれません。
そのような状態を言葉にするならば、前頭葉辺り?に「うわ〜」と大きな文字が膨らんで頭イッパイな感じです。
それは超甘なロイヤル・ミルクティーの力でもそれを修正することはできませんでした。

通常のスコスHP画像は72dpiで製作しています。
dpiとはdot per inch の略で1インチ(米国単位)にドットが何個あるのかと言う単位です。
72dpiだと1インチ(2.54センチ)あたりに72個のドットを描くことが可能で、72dpiはMacintoshの規格です。
Windowsでは96dpi規格ですが、パソコンの入口がマックなので72dpiを採用しています。
印刷となると72dpiでは画質が汚すぎるので300dpiぐらいは必要です。
トレーディングカードや最終頁の画像はキレイにしたいと欲があり600dpiで作り始めまたのが運の尽き。
やっぱり、レイアウト等を考える時には粗画で考えることの方が私向きなのかもしれません。
ご飯も食べて最終的な解像度を300dpiに下げてスキャンをやり直し、先ずはトレーディングカードのデザイン製作から始めます。
なかなか良い感じのカードが出来てくると、それ以来、万時スムーズに進行し何とか完成させることができました。
少し、修正する部分はありますが・・・。

2月12日:本文完成。

 
■2023年2月13日(月)
■猫の描き方がわからなくなってきた。たぬき。
■2023年2月14日(火)
■一日一文章トレーニング。

「とりあえず、同人作業は終わった」

昨晩は同人誌データーを入稿して一旦終了。
諸々の作業で結局、夜遅い時間の入稿。
このような作業は大抵、深夜まで引っ張るものであります。
例え、夜も遅いからと言って作業を明日に回したところで書類を見直して修正と、結局、次の日の深夜に同じデジャヴな光景を見るような気もします。

ということで。

【総括】

表紙を含めると44ページの同人誌を作るのにかかった日数は15日間。
1月25日に「あんたらは同人誌を作るんかい?」の会議をしてから、本の内容を決めてストーリーを完成するのに4日間。
紙面の文字のフォントや雰囲気、大雑把な本全体のレイアウトを考えるのに2日間。
具体的なページのレイアウトを作り込む作業に9日間かかりました。
その内のヴィジュアル関連のページ作りは7日間要します。
勿論、これらは大枠な進行であり、物事が具体的になればなる程に方向転換は常に行われます。
なので、ページを作り込みながら文章内容の変更も行われてと作業は横断して行われることになります。
時間的な配分から検証すると、本の内容を考える時間よりも絵や写真を配置して実際の紙面を作る方が3倍程の手間と時間がかかっていることになります。
ということは。
内容ありきりの本ではありますが、挿絵や写真、遊びの部分が本の大きなウェイトを置いている同人誌とも言えます。

使用した紙の枚数は286枚。
1枚あたり5円ぐらいとしても出力代金は1430円で、それにコピー用の紙代金が加算されます。
そして、今回は大容量プリンターを購入したので、その料金に印刷代金が経費となります。
1ページ作り込むのに必要な出力枚数は6.5枚。
1日平均すると5ページぐらいのペースで紙面が完成する計算となりますが、これはあくまでも平均です。
ラスボス最終頁やトレーディングカードは何日もの悪戦苦闘の末に完成するのであくまでも濃度によります。
また、昨日書いたように画像解像度が上がると私の処理能力も落ちますので一概に進行スピードを計ることは難しいようにも感じます。
今回、役にたったモノは半透明の付箋。
修正箇所に貼り、作業が終わると剥がしてと何度も使い回しながら使用しました。
使用した付箋の枚数は13枚。
1日の終わりやチェックごとに発生する修正箇所は多くとも13頁ぐらいで、全ページの1/3は常に何かしらの修正が入っていることになります。

【記】

1月25日 概要を話す会議
1月26日 あらすじを作る(内容のたたき台)
1月27日 物語の考えをまとめて詳細を詰める
1月31日 文章(ストーリー)完成+仮台割を作る

2月1日 ほぼ何もしていないが本の顔であるフォントを決める
2月2日 台割通りに42ページの粗レイアウトを作る

2月4日 文章をページに貼り付けて加筆
2月6日 文章内容を変更して加筆

2月7日 絵を9枚描く
2月8日 その他、大量の画像素材作りに勤しむ

2月9日 ページに画像を貼っていく+挿絵描く修正
2月10日 全ページを一通りに構築する(紙面のたたき台)+挿絵描く修正
2月11日 本タイトルのロゴを作る+細かい部分を作り込んでいく+微調整+挿絵描く修正
2月12日 製作されていない残りぺージを作り上げて本文を完成する+微調整+挿絵描く修正
2月13日 表紙・裏表紙を製作+微調整+本の読み合わせ修正+完全データの製作入稿+挿絵描く修正

 
■2023年2月14日(火)
■ネコの不愛想な真顔って、
やはり80年代ニューウェーブ感が漂うので、
やっぱり肩パッドは尖らしたいね。
狸の翌日に猫のカタチの本質を掴みかけています。
■2023年2月15日(水)
■一日一文章トレーニング。

「美しい景色には音楽が流れる」

最近、日の差す場所はそれなりに春の気配を感じる日も多い。
朝の天気も良かったので暖かいだろうと勝手な思い込みで少し春っぽいアウターを着込み出かける。
そのような薄着はすぐに間違いであったことに気づくのですが、家に戻りてダウンジャケットに着替える寒さでもない。
横着はそのまま自転車に乗って事務所に向かう。

そのような平凡な日の帰り道。
夕方の空にドラマは待ち受けているものかもしれません。

帰宅時間にもなると外は激寒。
風も強く、空気もヒンヤリと冷たくてとても寒い。
普通に自転車走行をしましたが、寒くて寒くてフードをかぶりアウターのチャックもMAX上げて完全防寒体勢に変身します。
ブルブルと震えながら信号待ちしていると、道路を小さく黒い物体が転がってきます。
「何だろう?」
転がるものを凝視していると黒いものはマスクです。
誰かが落としたであろう黒いマスクが風に飛ばされて車道を転がります。
そんな転がり具合を楽しめる余裕とは、同人誌の製作作業を終えた観察眼でもあります。
黒いマスクは床運動の選手のように、車が走っていない場所をクルクル回り大ジャンプ+フィニッシュと小気味良いテンポで転がります。
そのようなマスク運動を眺めているとあっという間に信号は赤から青に変わります。

坂道を「エイヤ、エイヤ」と自転車で登り始めると、真っすぐな坂道の先に青と赤が混じり合ったキレイな夕焼け空が見えてきて、風が強い分空気も澄んでとってもクリア。
「ゼイゼイ」と息を切らしながら坂道の頂上まで上りきると、そのような夕焼け空は空一面のキャンバスに広がります。
「キレイな夕焼け」
空を眺めながら自転車をこいでいると突然、音楽が流れ始めます。
勿論、心の中音楽。

「タタ〜ン タタタタタ〜ン タラリラリン
タラリラリン タタタタタ〜ン タラリラリン」

急な坂道を登った私の頭上を先ほど黒いマスクが飛んでいます。
大空をヒラヒラと。
いや、ヒラヒラではないか。
帆を広げた小さな帆船のようにイッパイの風を受け止めて空を飛びます。
そして、さらに舞い上がり、目の前をどんどんと空高く上昇します。
夕焼け空を黒いマスクが飛んでいく姿に心を奪われながらペダルを「こぎこぎ」家路を急ぐ。
「あーなんとも美しい景色なのだ」
昨日は美しい夕焼け空を黒いマスクが飛びました。

 
■2023年2月15日(水)
■ネコネコネコネコヅクシ〜カモン〜
■2023年2月16日(木)
■一日一文章トレーニング。

「失敗や横道は母なる恵みであって欲しいもの」

食パンにトカゲ模様。
いやいや、トカゲでもないか。
右辺を下にするとトカゲやイモリの類に見えます。
何かしらの模様に見えてきますが、何ものでもない単なるシミ。
これはオリーブオイルをパンにふりかけた時の模様です。
毎日の朝食が飽きてくる大!問題。
毎朝、少しずつ何かに変化を加えているだけで、毎日は少しずつ変化するものです。
今まで、パンにバター等を塗って焼いておりましたが、オリーブオイルをふりかけても味に大差がないことに気づきました。
冷凍庫から取り出したパンにオリーブオイルをかけて焼くだけ。
植物性のエクストラ・バージンオイル油は幾分体にも優しそうでもある。
オリーブオイルはバターよりも値段も断然安い。
トースターに入れて焼くとサクッとした美味しそうな香ばしい焼き目も付いて美味しい。
良い事ばかり。
また、
固形のバターと異なり一か所で溶けることもなく、前もってスプーンなどで全面に伸ばすこともできる。
横着とは洗いものが増えるスプーンを使わない、オリーブを垂らし、そのまま重力のみでトカゲ模様を作ります。
これにベーコンや卵をのせれば朝から完璧、贅沢な朝食の完成です。

当たり前に使用しているものが、他のもので代用できるお話は「常識の変容」です。
思い込みやルーチン化の呪縛を解く方法は少しだけの実験で十分です。
バターを切らし「オリーブオイルの代用でも、まーいいか?」と思うことは失敗の成功の母なる恵みみたいなものかもしれません。
失敗や道をそれることが存在しない世界というものは変化が起きない世界であるような気もします。
パン食にバターでもオリーブ油でも誰も味の違いに気づかないのが現実です。
フランス料理ではたっぷりのバターは必要なのかもしれませんが、食卓のパン食にはオリーブオイルで十分です。

ということで。

なぜ?同人誌を作ろうと思ったのか?
イベントの概要に同人誌の販売という項目があったから。

以前から同人誌の製作には多少興味はありました。
それは最近、モグラに惹かれるインディーズ好きななこともあります。
東京に唯一荒川区にスタバがないことをカッコよく思うひねくれた根性もそうです。
※江戸川区にもスタバないみたい!!江戸川区・荒川区の二大巨頭、カッコよか。
いつでもどこでも何でも手に入る時代に、どこでも入手できない本の響きとは結構好き。
漫画ではない同人誌というか?同人草紙なるものを作り感じることは意外に面白くて自由で楽しい作業でもありました。
第二作もすでに作りたいと思い始めています。
本の完成は20日出荷の21日到着予定。
何とも現物を見るまではわからないのですが、収集物の趣味台帳、自分で作った絵や写真の作品集、マニアックな数学数式を書いたものでも(たぶん)何でも面白い。
世の中には(たぶん)何人か?は私の好きなものを好きな人たちがいるはずです。
それら想いをデジタル表現ではなくて本のカタチにすることは何かしらの可能性を感じます。
要はCMYK画像でPDFフォーマット原稿・文字のアウトライン化ができればスマホ一台でも製作することは可能です。(かなり肩が凝りそうですが)

「皆も作ってみよう同人誌(同人草紙)」

作ってみて今思う言葉はそんな言葉。
明日には心変わりしているかもしれないのですが。
同人誌作りは1月25日(土)の会議からスタートして2月21日(火)に到着予定。
ドキドキ。
製作に要する期間は28日の約1ヵ月ぐらいで、文具マーケットの開催日は2月25日(土)なので4日前のギリギリでセーフです。
ドキドキ。

 
■2023年2月16日(木)
■猫の拍手は一番最初に描いた猫の手の30度トライアングルみたいな角度が良かったので再現しましたが、
45度ぐらいになったので明日、30度を目指します。

■2023年2月17日(金)
■一日一文章トレーニング。

「すこすのうら・おもて」

1枚目の写真は道路看板の工事風景。
フタがパカッと開いて看板の裏と表が見えた写真。

工事の中身は裏側に回り込むと見えますが、同人誌製作で考えていたことも正にこのような感じ。
スコスのオープンマインドは「中身を見せる」こと。
「中見せ」によって、どのような影響があるのか?と検証したいという思いもあります。
同人誌製作に於いて秘密は何もありません。
だからと言って、
「〜月〜日・今日をこのページを作ったヨ。
明日はA→Bのクライマックスページを作るんよ。」
と公開していたならば、内容がバレバレの本となってしまいます。
そこで、私たちがオープンにしたものは製法に関する情報開示です。
製法行程オープンすることで「本当にこの短時間で同人誌を完成できるのか?」とハラハラとする感じが伝われば良いなと思いました。

(1) 情報開示することで同人誌の宣伝になる。

短期製造では常に「間に合わないのではないか?」という気持ちは頭の片隅にあります。
そのような不安をかき消す仕掛けは必要です。
公開情報である以上、「気合と根性」で仕上げないといけないという背水の陣を引くことは短期決戦の一つのメリットです。
黙って秘密裡に作っていたならば間に合わないので「もーいいか、撤退!」となってしまうのがうちらの性格です。

(2)必ず作り上げないといけない動機付けをする。

また、

記録を残すことにより感覚的な労働である製作行程が「見える化」されてデータとして蓄積されることのメリットもあります。
ここで公開される情報とは私たちの能力に関するデータです。
このような情報公開とは恥ずかしいものでプロもアマチュアも大抵の人は公開しません。
これはアホだからこそ公開できるオープンマインドではあります。
恥とは晒してこその恥ずかしさではありますが、公開されていればこその頑張らないと尻に火がつくのも恥というものであります。
あくまでもここでの製作工程はスコスなりのやり方であり、他の人にとっては比較するぐらいしか活用できないものかもしれませんが一つの目安にはなるはずです。
製法行程が情報化されれば1ページを作るのに必要な時間や資材等およそ掴むことができます。
そうすれば、第2作目以降の同人誌計画に有効的に活用できるはずです。

(3)製作工程を見える化(データ化)。

結局、

情報公開とは内容の公開ではなく製造方法的な作り方を公開することでHPにアップしてきました。
なので、本の内容はどんな内容なのかさっぱりわかりません。

2枚目の写真は同人誌の表紙画像です。
中身に関する情報は表紙デザインに全て込めました。

「けっきょく ぼくたちは きみたちが すきなんだ(略して:ぼくすき)」

(只今スコスは営業時間外)
よくいえば、私たちの宝物。
わるくいえば、倉庫の番人。
そんなちょっぴり愛おしくて憎めない、かわいいモノたちの線が結ぶ冒険のおはなし。

画像のようなイメージの内容です。
なので「皆、絶対に買ってな!!」
たぶん、溢れるスコス「愛」が詰まっております。
よろしゅうお願いいたします。

 
■2023年2月17日(金)
■30度の拍手にアクロバティックな動きを追加。
■2023年2月18日(土)
■一日一文章トレーニング。

「今日は家のお掃除」

今朝5時頃目が覚めておトイレに行った。
“土日の早起き”とは何かしらの法則あることに間違いないのですが、如何なる呆則を発動させているのか?は未だ分からず。
まだまだ寒くて暗い5時台であったので、再びお布団に包まると二度寝をして次に起きたならば11時半。
いやはや寝すぎ。(信じられない)
二度寝時間が6時間30分ってそれはちょっと少し長すぎではなかろうか。
全睡眠時間を計算すると12時間は寝ています。
流石にカーテンを開ける外の景色はすっかりお昼で「春眠暁を覚えず」な気分でもある。

一昨日から私の花粉センサーは花粉の存在を感知して移動時のアゴマは完全なるマスク姿に戻ります。
もちろん、花粉の症状はまだ出ておりません。
あー本当につらい時期の入り口は近い。
ネットの花粉飛散情報を見ていると「やや多い」で許容範囲でもあり、天気も良くてめーイッパイの太陽光を浴びたい気分ではありますが無暗に外出するよりもやることはあります。
それは花粉情報が真っ赤になる前に家の空気を総入れ替えすること。
花粉の飛散前に新鮮な空気に家の空気を入れ替えてハウスダストを完全に放出しておけば、花粉の症状も少しぐらいは改善するかもしれません。
ということで、本日は家のお掃除!!
窓全開放で大掃除。
寒い日の花粉がまだ飛ぶ前にやってやっておけば良かったことではありますがお家の大掃除。
布団も干したい気分なのですが、どうなのでしょうか。(花粉が不着しないか心配)
大掃除。

 
■2023年2月18日(土)
■101匹猫ちゃんぐらいにネコ勢ぞろいさせたくもなります。
■2023年2月19日(日)
■一日一文章トレーニング。

「家出する時は何を持って家出する?」

一日一文章トレーニングの何割かは「オレはやった」話で構成されています。
自画自賛、オレがやり遂げた(byダクソ)な名言は私の血となり肉となって文章に紡がれます。
そして、昨日も「オレはやったぞ」と地面にメッセージを記す。
天気の良い暖かい2月の日差しの元で窓全開、埃をパンパンとはたき、キレイな空気に入れ替えて、掃除機ビュンビュンと走らせ、家をとてつもなく綺麗にする。
多少の花粉は入ってくるかもしれないが、まだまだ序の口で始まってもいない花粉症。
我が巣のハウスダストを完全に排除することで、これからやって来る花粉症イッパイの真っ赤かな恐怖マークにも対抗できます。

結局、布団も干すことにしました。
多少の花粉よりもこれからやってくる外界との遮断するコストを天秤にかけると「そりゃ、布団を干すならば今でしょう」となる。
早速、布団を干す準備をし始めると隣の家からタバコの煙が漂ってきて布団を干す作業は一時中断。
家の窓換気も大幅に縮小してタバコの煙が止むのを待つ。
暫くして、布団干しを再開。
これでもない位に気持ち良い天気の太陽光に布団を干す。
此れ、モグラ以外の生物の持つ習性です。
前回の布団干しではアフリカ勢の植物の鉢を割ってしまったので、奴らは安全圏に避難させる。
学習能力は猿の訓練生並みにはあるものだと何の問題もなく布団を並べると、布団を干して10分位たったころ、突然、空が曇り出す。
あれだけの晴天からの急な曇り空に戸惑う。
先ほどの燦燦と照らす太陽は薄雲の中のぶ厚い雲に隠れて太陽光を遮断します。
雲は西の先の方まで広がっているので、もう天気は回復しないと予想してパンパンと花粉をはたき布団を取り込むことにする。
30分位は干したいと思ってはいましたが仕方なし。
それでも、布団をベランダに出す時よりもふかふかと膨らんだ布団というのは快適の証。
これ以上干すと花粉が不着して大変なことになってしまうかもしれないので「これで良し」と布団を取り込む。
大きな布団を抱えて部屋に取り入れると布団の端が机や棚に置いているものをドシドシと倒しながらシン・ゴジラが部屋を歩いた跡のように悲惨な状況になる。
アフリカ植物は避難できても部屋のモノが落ちることまで考えが及びませんでした。
「まーまー」仕方なし。
それら落ちたモノを片付けていたら、また再び太陽が燦燦と外を照らし出しました。(予測は完全に裏切られた)

ついでにお風呂も掃除もやります。
お風呂場のぬめぬめ等の汚れがなくなって、キレイになったお風呂の気持ち良さは「ふ〜う」と声が出てしまう程の快適さです。
これも暖かい春のような気温だからこそできるお掃除作業です。
天然オレンジオイル配合のリンナイ・ウルトラオレンジクリーナでゴシゴシと磨くのですが、オレンジ成分がどんどんと汚れが落ちていって気持ち良い。(100%メーカーの回し者ではない・完全なる部外者)

小学校の頃、リュックに洗剤を詰めて半日ぐらい家出して家の屋根の上に登ってお星さまを見ていたことがあるぐらいの洗剤好きでもある。(草)
あのどの角度から見ても体にも環境にも悪そうな化学薬品感たっぷりのビビットのカラーや泡立ちに惹かれるのかもしれない。
洗剤の好き具合によってお掃除のモチベーションも変わります。
磨く行為とは毎度の事ながら心を落ち着かせる何かがあります。
ピカピカと磨かれた時の満足感には心の磨きも幾分か含まれていると思います。
人生とは汚しては磨き、また再び汚して磨き、時には、ポイっと捨てて、捨てられての、とっかえひっかえの人生でもあります。
永遠にピカピカなものとは何であろうか。
金や宝石みたいなものか?
永遠の輝き、そりゃ皆大好きなはずだ。
大抵のものはある程度、拭いて、磨いて、お手入れしないと劣化して朽ちてくるものです。
このような流れになると自分磨き云々な流れで、このお話もまとめたくもなります。
だが、しかし。
私の場合の自分磨きとは世間という粗い鉄ヤスリで磨かれ削り落ちているので、今さら自分磨きとは笑止千万(by世紀末の覇者ラオウ)みたいな感じです。

ということで。
アウターを引っかけるドアハンガーの宝石が落ちました。www
突然の落下。
宝石といってもどぎついピンク色のダイヤモンド風なカタチのプラスチック製。
再び復活した太陽光に当てると、とてつもなくキレイな光のイリュージョンを見せてくれます。
「あ〜キレイだ 手の平にある小さな銀河(宇宙)が広がっている」
たぶん、このようなギラついた色が昔から好きなんだと思う。
家出して屋根にいるのが見つかった時に、当然「何を持ち出して家出したのか」ということになりリュックを開けたならば中から洗剤が1本出てきたことで、家の中がほんの少し和んだのは事実である。
なので、やっぱり、家出の必需品は洗剤一択だと思う。

 
■2023年2月19日(日)
■日曜日もネコの拍手。
■2023年2月20日(月)
■一日一文章トレーニング。

「何かしらの行動にはテーマソングが必要です」

いやはや、
2月25日の文具マーケット開催まであと5日。
スコスにとってはリハビリ活動開始の一発目。
久しぶりのイベントで大勢の人と会うことも久しぶりなこと。
まるで、特産品を背負いて山を下り、街に行商に出るような気分です。
同人誌の到着は明日到着予定。
23日(木)には商品出荷をしなければならないことを考えると準備できる日数は実質あと3日。

やばしギリギリ(ドキドキ)。

イベントのテーマは「デッドストック・アイテム」。
商品の核は「同人誌」なのですが、まだ持っていくモノは決めていないので本日揃えます。
「今からか!」と思われるかもしれませんが今からなのです。
机幅90センチの中にコンパクトで面白くスコスの世界観をまとめて表現したいと思います。
写真は当初からイメージしていたイベントのイメージ。
カニにシャーペンにPRISです。
pris とはどういう意味なのか?と調べたらフランス語で「(時間や場所)塞がっている、忙しい、とらえた、襲われた」という意味らしい。
意味を調べるということは何かしらの意味を発生させることでもあります。
そうすると、パンデミック期間中の囚われた時間からのカニ歩き脱出のようにも感じられるのですが、単にスコスが大好きな音楽なだけでもあります。
怖い東京の街に飲まれないようにカニ歩きスコスが山から下るとなれば、多少のおらおらな音楽はアミノ酸必須です。
私たちが何かしらの活動や行動する時に脳内テーマ音楽は必要不可欠で、ここ最近何かとても音に飢えているような気もします。
雪山を板で下る時にはイケイケなハードコアな音楽を聴くように、または、恋のテーマソングがあるように、イベントゾーンをこしらえるのにもミュージックは必要で、そのようなテーマ音楽が「PRIS」です。
歌詞は知らないけれども、とてもガラが悪そうな感じだけは伝わります。
ノイズ音も多すぎぐらいにカッコ良く、そんな音楽のリズムにあわせながら出荷準備を進めていきたいと思います。

棚割りのカテゴリーは3つ。
1「同人誌・ぼくすき(略)」
2「紙袋」
3「メモる・ノートる」

同人誌に記載されているアイテムのいくつかは販売します。
カニを机に並べてアイキャッチに販売します。
とりあえず、カニ・カニ・カニ・カニ〜です。
カニフィギュアは頑張ればペン置きにもなります。
黄色いScriptシャープペンシルは珍しくてオススメ。
そのようなオススメな机を表現できるように今日、明日、明後日はたんまりと準備したいと思います。
スコスの席番は44番で、ご来店お待ちしております。

 
■2023年2月20日(月)
■いろんなネコがいるものだ。
■2023年2月21日(火)
■一日一文章トレーニング。

「90センチの攻防」

90センチ幅の机に何を並べるのか?
それは難問である。
あれも持っていきたい。
これも持っていきたい。
これらは必需品で、あれらは一押の品だ。
なので、あれもこれも持っていくと棚はギッチリと溢れ出す。
事務所の台に商品を仮置きしてみると、あれよあれよという間に空間は埋まる。
今必要なのは「間引き」なのかもしれない。
とりあえず、1/4ぐらいはカットしよう。
世の中は物・もの・モノで溢れています。
あれもいらない。
これもいらない。
いや、これを持っていきたいけど、やっぱりやめておこう。
何か重要なことを忘れている気がする。
同人誌を際立てるには物語の世界観もすこす再現したくも思う。
展示品とは非売品でもある。
「同人誌:ぼくすき(略)」ゾーンをこしらえて、売り物ではない展示品のコーナーを作れば何かしらのメッセージを作ることはできます。
まだ、
誰も内容を読んだことのない世界観が仮にテーブルに広がっているとして、そのような展示品の意味は伝わるのだろうか?
物販と展示品の共存とは難しい問題でもある。
できれば、展示品だけを飾る。
できれば、物販だけを販売する。
のシンプルさとは王道でもある。
世の中、常に求められているのは分かりやすさである。
複雑な世界の単調なリズム、そんなスモールワールドな世界を体現できれば理想でもある。
お店をやっていると完売した商品は好きなアイテムであり、逆に嫌いな不良在庫にもそれぞれ思い出がある。
未開封のままに取り置きされたり、一部はガラスケースに殿堂品としての自慢の一品として飾ったりもする。
よく売れた商品は最後の最後までなくなってしまうことも多々あるが。
お店の中に非売品を展示していならば「あれをくれ、これをくれ」とお客様が欲しいものは非売品だけでのショック・・・みたいなことはお店あるあるである。
毎度毎度に「これは売り物ではないのか?」と聞かれると、その内に販売していないモノはだんだんお店に置かなくなり、決して誰の目にも触れることのない永遠の開かずの箱に封印されることになる。
一度封印されれば、もう何十年と箱は開かれることはないのかもしれない。
デッドストックな箱とはそのような時間が封印された箱でもある。
よくわからないモノたちが仕入れられて店頭に並ぶこともなくそのまま永遠の塩漬けとなるモノのパターンもある。
今回の「ぼくすき(略)」のお話はそんなデッドストック・ストーリーでもある。

世の中100%カーボンコピー化は日々進行しているように思う。
どこでも、いつでも、同じようなものが何でも買えるような状態。
これは私たちが夢みた理想の便利な世界の実現でもあります。
この便利さは、もう、絶対に手放すこともありません。

シンプルさ、わかりやすさを追求した先には空虚しか残らないかもしれなくて。
これはお店で例えると「消費」の最終形態とも言えるのかもしれない。
これは私自身の反省でもあり、まだ答えの出ていない問題でもある。
そのような世の中で、逆に新しいモノと言えば古きモノたちである。
新しきモノにもはや感動も新しさもなくなって、反対に古きものに何かしらの輝きや感動があることは面白きこと也。
まさに「温故知新」。
幅90センチの世界にそんなスモールワールドを表現したいと考えています。
心意気と考えだけはいつも立派なのですが、カタチにする力量がすこす足りない。
あと、数日頑張ってそんな世界観を作れるように思案しよう。

 
■2023年2月21日(火)
■デジタルネコ。
■2023年2月22日(水)
■一日一文章トレーニング。

「ぶわーさーやね」

最近の天気は寒暖差を繰り返す忙しい天気。
季節の変わり目といえばその通りなのかもしれない。
日差しだけは一丁前の春な日差しではありますが寒くて風の強い一日でした。

そして、

昨日、自転車カゴに置いた結構の重量感のある未使用の段ボール箱(数枚)が強風で5〜10メートル程吹き飛ばされました。
実際に何メートル飛んだかというとメジャーで測らないとよくわからない距離でもあります。
こういう時の為にも建築家のように目視で距離を測れる体内メジャーのようなものを作っておけば便利でもある。
ネタ不足の世の中に「体内メジャーの作り方」とは良き題材。
建築家はどのようにして体内メジャーを構築するのか?は気になることであります。(メモメモ)
世の中にあるものは全部、寸法を計られて作られたものであり、人間のサイズに基づいて作られたモノであります。
そうなれば、何かしらのそのモノが持つサイズ感というものは必ずあるはずです。
とりあえず、5〜10メートルとは2倍にアバウトな距離でもあり、一般人の距離感とは如何に適当なものであるのかがよく分かります。
どこでもよく見かけるモノの寸法を記憶していれば距離は案外簡単に測れるものなのかもしれません。(仮説)

目の前のカーテンの長さは何メートルぐらいあるのでしょうか。
長いメジャーがないので計れません。
ネットで検索すると長い巻き尺のことを「コンベックス」と呼ぶらしい。
今までの無駄に長い人生の中で「コンベックス」という言葉は一度も聞いたことはありません。(たぶん?)
「そこのコンベックスをとって〜」と言われても「???何の日本語アルカ?」みたいになることは間違いない。
マイ書斎デスクは80センチ幅。
イベントデスクは90センチのワールド。
身の回りのものの寸法を測ることから始めてみると良いのかもしれません。

とりあえず、本題に戻りて。

目の前にある組み立て前の新品の段ボール箱が「ぶわ〜」という風音と共に、視界から「サー」消え去ってビックリした。
擬音だらけの「ブワサー」で体が一歩も動かず飛んで転がる段ボール箱を視界で追う。
駿さんの世界であれば、ネコバスが走り去っていた瞬間です。
風に吹かれて何かしらの飛ぶことは新しい物語の1ページでもある。
そんな考えに立脚できればこそのポジティブ・シンキングな一族になれるものの。
角っ子の潰れた新品な段ボール箱に「あーあー」な気分になりながら段ボール箱を拾い。
これはもしや「しめしめ」と力ずくの何かしらの一文章を作り上げる。
その名を別名、ケンチク家とも言う。
いやはや、風の力、恐るべし。
いやはや、ウンチク家とは、めんどくさい。
毎日、本当にノープランで意味のわからんことをよく書くわ。

 
■2023年2月22日(水)
■猫の拍手はどんな時も止まらない。
■2023年2月23日(木)
■一日一文章トレーニング。

「吹かせよ、おちつけ、オレらの風」

昨日の午前中まではほぼ無風。
無風といっても「余裕風」的な風を吹かしてはいるので完全なる無風ではありません。
むしろ、自分自身が風の発生源。
この姿を漫画に例えるならば体から「余裕」な文字のオーラを漂わせて午後ティー飲みながらイベントの準備をする感じです。

と そこで、とある現実に気づきます。
それは2月23日(本日)が祝日であること。
頭のてっぺんに真っ黒な暗雲が立ち込めます。

25日のイベントに必要な荷物は24日までに届ける必要があります。
あと二日間もあるので23日までにゆったりと荷物を詰めていこうと考えていたならば、23日は祝日のお休みであったことに気づきます。
勿論、祝日は知っていましたが荷物を送ることの弊害は頭の中に全くありませんでした。
「うっかりタン」
大昔、不夜城のように働いていた時には土日祝日も関係なく配送したりもしていましたが、今でも祝日集荷受付しているのでしょうか?不安になります。
「ヤバし」
ということで、謎に吹かしていた「余裕風」は完全に封印して、大慌てのどんちゃん騒ぎでイベント荷物を昨日まとめて郵送しました。

時間に追われての配送業務は大嫌いです。
集荷の人がきっと来る〜きっとそこまで来ている〜と焦って梱包していると何かしらの間違いを起こす原因となります。
なので、配送業務に時間的余裕は必須です。
単に荷物を詰めるだけではありますが、箱の中にあと一つ入らなかったり、あと1センチ箱サイズが小さかったりするおかげで「オーマイ※=&%」となることも度々。
余裕みてゆったりと大きな箱に詰めたとしても大抵、怖いぐらいに最終的にギリギリなるのが梱包作業です。
最近はパソコンやタブレット入力ではありますが、手書きで書く住所や名前の文字がやたら長くて枠に入り切らなくなると最後の方がコビト文字のように小さくなって「オーマイ※=&%」。
逆に完璧にキレイに枠の中に荷物や文字が収まった時には荷物との勝負に完全に勝利したような気にもなります。
梱包作業とは私の中ではボクシング・ファイトと同じ勝ち負けのある格闘です。
毎度毎度のことではありますが、時間に追われながら一人で“わたわた”と大騒ぎしている姿とはよく見る光景。
こういう事は、やり始めてからやるべき事が次々に見えてくるので「余裕風」を吹かしている奴の顔とは、本当にどんな顔をしているのか?と思います。(自分の顔です)
時に象のようにゆったり物事を進めたいと思うのですが、小型犬やハツカネズミのように「ちゅーちゅー」とせわしなく動く姿は何時ものデジャブ。
永遠に変わることのない不変性。
そのような性格は間違いなく心臓ドキドキ消費しての早死にタイプであるように思われます。

とりあえず。

今朝は遅寝坊のギリギリのセーフで、再び「おれはやった」風を吹かす「余裕風」とは面白い表現です。
風は強弱な風ではなくとも感情や出来事まで、何でも風に乗せて吹かすことができるようで、「春風」に「不安風」「秋風」?も送れます。
秋風な「秋波(しゅうは)を送る」とは秋の波のようでもありますが、ほぼ何でも風にのせたいものは載せることができることは間違いない。
吹かしていこう〜風や波。

「余裕風」程の微風は日常茶飯事で吹かしておりますが、「宣伝風」の吹かす方法は知りません。
風を作るには高気圧や低気圧のようなものが必要です。(たぶん)
高気圧とは化け物程の面積があるものです。
珍獣スコスの80センチの書斎から起こす風とはとは微風ではありますが、異端児こそに温度差からの風が吹かせる呆則もあります。
場違いな風を起こしていたらm(__)mT
(ふ〜ふ〜)と生臭い息での直前の「宣伝風」を起こすわてらの背中には大いなる軽蔑な眼差しを感じます。
ですが、大いに宣伝しようイベントデス!

全部、税込み価格だよ。
安ッス!!

「けっきょく ぼくたちは きみたちが すきなんだ(略して、ぼくすき)」書下ろしの同人誌を販売します。(500円)
線が結ぶ、文房具愛の詰まった本です。
その他、「安ッス」な珍しいデッドストック類も販売します。
超レアペンも販売します。(200〜1500円)
スコスの大好きなカニフィギュアも販売します。(2000円)
スコスのテーマカラーの水玉も販売します。(800円)
同人誌作りに役立った付箋も販売します。(150〜250円)
劇レア・トレカみたいなのものも販売します。(600円)
スコスの大好きな紙袋も販売します。(250〜300円)
お父さんの家飲み必需品のビアタグも販売します。(1000円)
スコスグッズ・Tシャツも販売します。(250〜4000円)
ハセベさんノートも販売します。(200円)
ロンドンのブルネル大学のエコバックも販売します。(800円)
商品は配送済みなので文字情報だけで想像して下さい。
2月25日(土)ご来店をお持ちしております。
詳細はコチラ

 
■2023年2月23日(木)
■ライブ会場の猫。
■2023年2月24日(金)
■一日一文章トレーニング。

「ハセベノート?なんじゃ?そりゃ?」

今朝のニュースで宇宙空間を漂うリュウグウの隕石から5種類のアミノ酸が発見されて生命の起源は小惑星の中にあるかもというお話がありました。
私たちが隕石から生まれたなんて話は孫悟空の誕生話のようでとても好き。
確か、孫悟空は岩?から生まれたよね?
幼き頃から柔らかい肌を持つ人間が岩から生まれるなんて荒唐無稽だとは思っていました。
ですが、生命の起源は岩石の中にあるかもしれないなんていうのは何とも神秘的。
隕石が資源を内包しながら宇宙空間を漂っている感じも好き。
宇宙空間にどれだけの数の隕石が漂っているのかは知りませんが、宇宙とは完全なる真空の虚無ではなくて実はたくさんの資源で満たされている空間なのかもしれません。
もし人類が宇宙空間に生活圏を広げたならば、放射線等から体を守る為にも住処や資源を取得するのも隕石の中をモグラのように穴を掘り漂いながら生活することになるでしょう。
隕石の中のアミノ酸から化学反応を繰り返して生命ができると考えても、天文学的な時間が必要なことを考えれば人の一生とは本当に“一瞬の瞬き”です。
悠久の地球活動の中の人の活動とは皮膚からこぼれ落ちる程の垢みたいなものであります。
そんなことをメモメモしながら、やっぱりノートは必需品です。
思いついたことや考えたことは何でもメモしないと、後から「あれは何だっけ?」と一瞬で忘れるのがオチです。

昨日、持っていく商品に「ハセベさんノート」を記載しました。
多分、何のノートかわからいと思います。
実はこれはサッカーの長谷部選手が使っているHIG社(ドイツ)のノートです。
メーカーはなくなってしまったので、正にデッドストック。

ネーミングの由来は、ある時、お店に「ハセベノートある?」と電話がかかってきたことから始まります。
当然、「ハセベノート?何のこと?」なので「すぐにありません」と返答することもできます。
ですが、人を怒らすことが得意な私は、人を怒らせない極意も習得しています。
すぐに返答せずに時間をかけて「ハセベノート」について調べているような雰囲気と時間を醸造して商品はないことを伝えます。
本当に日本人とは面倒くさいところがあります。
ど・ストレートに「NO」と打ち返すことは気軽で簡単ではありますが、そんなドライな対応するとかなりの高確率で相手を怒らせてしまいます。
なので、「ハセベノート何それ?」と存在しないとわかっていても、調べ探す・フ・リ・は重要です。
「申し訳ございません。当店にはハセベノートの取扱いはございません」と答えると。
「それはおかしい。そこにあると人に聞いたので今度お店に行くわ」と言うことで電話は終わります。
「ヤバイ、どうしよう〜」
絶対に存在していない「ハセベノート」を買いに、お客様がやってくる。

ということで。

「ハセベノート」のこともすっかり忘れた頃にお客様はご来店します。
※今は実店舗はないからね!
「ハセベノートあるか?」
「キター、どうしよう〜いやいや、ハセベノートはないんですよ〜」ということで。
「あはは、ハセベノートはないんです」とまんべんの100%笑顔で返答します。
そう言えと、お客様はYoutube 動画をプリントした画像を見せてきて、その画像の中にはHIGノートという私たちが取り扱っている商品が写っておりました。
「あ〜この商品か」ということで納得。
話によるとサッカーの知将・長谷部選手がドイツで使っているノートらしく、子供たちがそのノートをどうしても欲しがっているので買いに来たそうだ。
後ほど、そのYoutubeを観たら長谷部選手が色分けでノート管理している話がTV番組で放映されたようで“一瞬の瞬き”のようにHIGノートが写り込んでいます。
「ハセベノート・マジ・知らないお話です」
ということで、人の動体視力とは気になる部分の一瞬も見逃さないもので、お客様は「ハセベノート」を購入することができ、私たちも「ハセベノート」という謎も解明することができました。
それ以来、私たちの中でHIGノートの別名は「ハセベさんノート」です。(さん)が付き!!

長谷部選手のノートの使い方はノートの色分けで使い分けているようです。
1)トレーニング用
2)監督の言葉をメモる用
3)読書して気に入った部分をメモする用
の色分け3冊でノートにメモして情報管理しているようです。

ちなみに、長谷部選手の好きな人は本田宗一郎と太宰治らしい。
本当に好きな人の名前に偉大な偉人たちの名前を出せる人とは大人で立派な人間だと思います。
尊敬する人に経済人と文化人な偉人の名前を抑えていたならば間違いありません。
私も今さらですが経済人と文化人で真っ当そうな偉人を抑えておく必要があります。
多くの偉人たちは私にとっては好きでも嫌いでもなく、そこに物質とそこに存在しているアミノ酸の塊や記号のような存在でもあり尊敬している人はいませんと答えたならば、(面倒くさそうなので)絶対に!!面接は落ちます。
HIGノートとは毎年のようにドイツに行っていた私たちでもお店で売っているのを1回しか見たことがないような商品で、長谷部選手のマニアックぶりが伝わります。

 
■2023年2月24日(金)
■明日は文具マーケットですよ。
■2023年2月25日(土)
■一日一文章トレーニング。

「奴らを落さずに食べることは無理だろうbyニュートロン」

「あなたがベビースターを食べる時にベビースターは必ず落ちるだろう」

べビースターを一本も落とさずに食べることは至難の業である。
何度もべビースターを落とさぬようにトライするが必ず数本、数欠片は口の外に落ちる呆則を発見する。
以来、何度も落とさずに食することに挑戦するが1本も落とさずに食べきることができたことは一度もない。
奴らを一つも落とさずに食べることは現実不可能なミッションである。
冷静に考えたならば、ベビースターは人差し指、親指で掴んだカタチで食べないとうまく食べることができない。
お家以外でベビースターを食べることは衛生的にとても良くないことでもある。
手を菓子袋に入れて、人差し指と親指でひとつまみ。
奴らを掴んだ指はもう離せない。
少しでも力を緩めればポロリと落ちる。(移動中の落下)
口の開きが悪ければ数本は唇に当たってポロリと弾かれる。
指を離す瞬間が早すぎても落下する。(食べる直前の落下)
f(x)=ベービースター落下の方程式とは勘弁してくれ。
今、ベビースターを食べているイメージで文章を書いていている。
全ては過去のべビースター体験を思い出しながら書いている。
所謂、妄想であり、実際の実況文とは乖離があるのかもしれない。
さらにアクティブな欠片は膝の上に落ち、さらにトントンと床にまでに転がり落下範囲を広げる。
床まで落ちた奴らを見つけることは大変だ。
茶色いカリカリ麺は茶色い床に上手く擬態化しているので、床にまで視線を落とさないとベビースターを発見することはもはやできない。
ベビースターを食べた後には奴らはいろんな場所に落ちている可能性がある。
我々が気づかないような場所に生息域を広げているのかもしれない。
室内を歩いていたら「あれっと」何かを踏む。
踏んだものを確認するとそれはベビースターであったということは多々あることで「何で?こんなところにベビースター」な気分である。
踏まれたべビースターはさらに微細に割れてお掃除の手間を増やす。
奴らを一つも落とさずに食べきることは無理なのだ。
どんなセレブだろうと、マナーに厳しい専門家であろうとも皆、ベビースターを食べる時にはボロボロとカリカリな麺クズを落として食べるはずである。
そして、落ちたべビースターを拾って再び口の中に再突入させるであろう。
それがマナーであり人間の習性だ。
友人が我が家に遊びに来てベビースターをポリポリ食べ始めたら「ちょっと、ちょっと」な気分でもある。
落ちるベビースターばかりが気になるのかもしれない。
ベビースターはお家の机に向かって食べましょう。
それでも奴らはいろんなところにポロポロと落ちていく。
そもそもだけれども、正式名称が「ベビースター」ではなくて「ベービースター」かもしれないという疑惑が湧く。
家のお菓子袋から掘り出したならば「べビースター」で間違いなかった。
パッケージにはホシオくんという「誰なん?」なキャラもいます。
日本人の誰もが似合わないと言われる耳付き帽子を上手に着こなしています。
何か髪の毛も緑色だしぶっ飛んだホシオくんだ。
ベビースターを食べ始めるとポリポリと食べるスピードは止まらない。
やっぱり、ベビースターって美味しいね。

ということで、今日はイベントです。
いやはや、久しぶりの早起きで寝坊しなくて良かった。
販売も久しぶりで緊張する。

 
■2023年2月25日(土)
■応援。
■2023年2月26日(日)
■一日一文章トレーニング。

「夢の中で投げた掃除機の槍が現実の空気入れにビンゴ???」

昨晩、夢の中で掃除機の先端を投げた。
「ざざっ」と静寂なる漆黒の大地を踏みしめて、長い掃除機の棒を槍投げ選手のように投げる。
1回だけの投擲(とうてき)。
これは単に掃除機のヘッド付き先端を槍投げのように投げた一瞬の出来事について書いたものであります。
もちろん、夢の中のお話。

「投擲」という難しい漢字を久しぶりに見た。
「擲」な漢字とはテキトーに見ていては絶対に覚えることのできない漢字でもある。
ここは絶対的な大きな目を開けて漢字の詳細を眺める。
左手は“手へん”で、真中に“大”の足の付いた“酋長”みたいな人が立っており、右側に“槍”のようなモノを持って投げている図でもある。
「投擲」とは絵を組み合わせたような面白構造。
右の槍部分は掃除機の先端部分にもよく似ている。
もしかしたら、昔の人は掃除機の先端のようなものが付いた槍を投げていたのかもしれない。
槍投げをしたことがないので何とも確証はないが、物理的に考えれば槍を遠くまで飛ばす為には先端は大きく重くする必要がある。
掃除機の棒付きヘッドを遠くに飛ばすことは、もしかしたら理にかなったことであるのかもしれない。
そして、当然、槍を投げたこともないように掃除機の棒も投げたことはない。

そのような訳で、夢の中で掃除機の棒を槍投げ選手のように投げた。

掃除機の先端はソファの山の上を「ふわっ」と真っすぐ飛び越えていき「あっ」と思った瞬間に正座して座るおばあちゃんの横に落下した。
「怒られる」と思った瞬間に「ガチャ・ガチャン」と大きな物音で夢から目が覚める。
外はまだ真っ暗な闇。
時計は見ていないのですが、たぶん5時頃だと思う。
現実の何かしらのモノが落下する物音でやり投げの夢からも目が覚める。
布団の中で目をパチパチと開けて「何が落ちたのだろうか」と気になると、なかなか寝付けない。
暫く、全く眠くならないので一旦お茶とおトイレタイムに起きる。
ついでに、落ちたものがないかと軽く確認するがキッチンやトイレに異常なし。
そして、
のども潤いおトイレですっきり再びの寝落ちとなる。

ということで。

朝、二度寝からの起床して何が落下したのか?と調べると何も落ちていません。
もしかして「ラップ現象?夢の中の物音?」と不思議ふしぎと思っていたならば玄関の自転車の空気入れが地面に落下していました。
「ガチャン」という物音は夢の中の音ではなくて現実の物音で良かった。

ここまでの経緯を整理すると。

(夢の中で)掃除機の先端を槍投げのように投げる

(夢の中で)掃除機の先端がソファを飛び越えてフワッと飛び

(夢の中で)なぜか和室に座るおばあちゃんの横に落下
何かのおばあちゃんの日かな???

(夢の中で)「ヤバイ」と思った瞬間に

(現実世界で)自転車の空気入れが落下する大きな物音で目覚める

夢の中で投擲した掃除機の棒が現実世界の自転車の空気入れにビンゴしたかもしれないというお話で、私の夢の中が現実世界に何かしらの影響を与えたのかもしれないと考えると面白く思う。

 
■2023年2月26日(日)
■猫曜日。

■2023年2月27日(月)
■一日一文章トレーニング。

「何もない日曜日をネタに何かを書くのだろう」

昨日は何もしていない。
今思い返しても、当然息はしていた。
冬なので部屋でゴロゴロとはしないので、うろうろと部屋をうろつく天気の良い日曜日。
陽当たりの良い窓際でワールドベースボールクラシック(野球日本代表)の練習試合の選手情報をググり、球場に響き渡るラッパの音にエモさを感じる。
お菓子をポリポリと食べながら、宮崎牛の広告や、ピッチャーが投球ごとにグラブにユニフォームの帽子を被せてあげる行為はとても気になる。
ボールの上の日陰。
何かのジンクスなのか、バッターも気になるのか。
気になる気になる日曜日。

そのような時が止まったような日曜日の午後を思い返すと、暖かく窓越しに降り注ぐ午後の太陽光を浴びた記憶しかない。
そういえば、窓辺の一番陽当たりの良い場所に陣取る植物界のお嬢の根本に広がるコケがキレイだったので撮影した。
虫眼鏡で覗くとニョキニョキと生える小さな棒状のコケは多少拡大されるけれども、それほど大きく見える訳でもない。
それでも、小さな緑のコケが無数に生えている様子をガラス越しに見ると美しいものでもある。
虫眼鏡のレンズに写る世界とは原始地球の姿であるようにも思える。
キレイな緑色とは光合成するクロロフィルな活動色でもある。
鉄の惑星であった地球に始めてコケ類が根付き光合成を行い、酸素を作り出す。
その生み出された反応性の高い酸素は鉄の惑星をどんどんと酸化させてボロボロと錆びて分解していく。
日曜日の午後のガラス越しにそんな原始地球の活動を見る。

野球にも飽き、苔の観察にも飽きると、窓辺にガラス瓶を置き太陽光がガラス瓶を透過するキレイな光のイリュージョンを撮影する。
毎度毎度の光のイリュージョン。
どんだけ、光の乱反射が好きなのか?という話しではありますが、
太陽光が照らす後ろには常に影を作り出します。
ガラス瓶の後ろにもそのような暗きカゲを作り出しはしますが、そのようなカゲの中にもガラスを透過させた光の乱反射模様を作り出すことが美しい。(影on乱反射)
そのようなガラス模様を撮影する。

午後の暖かな窓越しの日向ぼっこ。
何にもない日曜日の午後。
窓ガラスを透過する暖かな光を撮影しました。

 
■2023年2月27日(月)
■猫の腕の位置を上げた。
■2023年2月28日(火)
■一日一文章トレーニング。

「人生には時折戻りて回収するものがある」

朝“意気揚々”にお出かけして“息やうやう”にお家に戻る。
これは人生の中に於ける鉄壁な呆則。

昨日、家を出て暫く進んだ先の道でお財布を忘れたことに気づく。
このような気づきは信号2本渡った先の長い道の途中で気づくもの。
取りに戻るのも面倒なので今日は一文無しでも良いかとも思うのだが、お金を使う予定があるので一旦家に戻る。
朝夕の数分間とはまったりとした昼や夜の数分間と時間の流れ方が異なる時間でもある。
そのような貴重な朝の時間を行ったり来たりで、忘れ物を取ることは年に数回起こすあんぽんたんな出来事でもある。
人の流れに逆らいて余計な時間浪費しながら忘れ物を回収する。
時間の無駄とはまさにこのこと以外には考えられない。
サイフならまだ良いのですが、鍵を忘れると長距離バックトゥザフューチャーな感じで家と事務所を2往復することもある。
流石に往路・帰路と2往復とは何とも恐ろしい無駄な時間の浪費である。
雨の中の2往復となると本日の終わったな感が漂いて、お家のお人形さんコレクションを並べ替える日にしようとかと思うのかもしれない。
大体、忘れ物に気づく場所とは長く真っすぐな直線道路であることが多いような気もします。
真っすぐな道とは効率的に信号を渡ることを考えないので「ふっ」としたことで忘れ物に気づくポイントなのかもしれません。
ここら辺で忘れ物に気づかなければ最終目的地まで気づかない場合が多い。
携帯電話だとどこか途中に落としていないかと不安になったりもして、一日モヤモヤとすっきりしない気分の一日を過ごすことになる。
携帯を忘れても家に戻る必要は全くないが、その分、紛失してしまった場合を考え始めると心臓がムギュっと心痛むような思いをするので携帯忘れは一番嫌かもしれない。
携帯は「ノーロック(カッコ良か)」なので、拾った人は中身を見放題でもある。(\(^草^)/)
いつも思っていることではありますが、玄関ドアの内側に持ち物チェックリストを貼っておけば事済むような気もします。
おサイフ良し。
携帯も良し。
カギは持った。
時計もしている。
タオルは持った。
ペラペラなカバンも持ったということで、忘れ物がないことを確認すれば忘れ物を根絶できるのかもしれません。
だがしかし、実行の試しなし。
「一日一文章トレーニング」のネタとしても、いつかチェックリストを作ってみようかと思う。(何かのる気にならないが・・・)
先日もスーパーの自動レジのお釣りのお札を忘れて帰宅してしまった。
イベント用の両替のお金もちゃんと回収したのかと不安になった。
何かがポッカリと欠落しています!

ということで。

昨日、イベントの回収率を計算しました。
回収率とは商品10個投入して5個売れたならば回収率は0.5となるような(売れ残った数÷投入した数)の計算式である。
10個投入して全部売れたならば0。
10個投入して一つも売れなければ1となる。
要は回収率的には0に近づけば近づく程に売り上げ予測に近づいた未来を予測できたことになる。
逆に1に近づく程に商品のミスマッチが起こり正反対の未来になったことを表している。
しかし、物販にとって一番恐れないといけないことは一般的に売れている商品が欠品することでもある。
10個投入した商品が10個売れて完売(回収率0)するよりも、50個投入した商品の内の25個売れた方(回収率0.5)が、売上げ金額的には2.5倍になるので回収率とは撤収を楽にしようと考える横着人間が考えることでもある。
その意味では回収率は0にならない0.1〜0.2のギリギリの線を狙っていくのが正解かもしれないと思うかもしれませんが、答えはそうじゃない。(ないしょ)
こういうのは商いの面白さの一つでもあり、場数を増やす程にその感覚は研ぎ澄まされてくるものでもあります。
運命か?必然か?はたまた明確な意思なのか?忘れ物を回収するように、何かしらのデータを回収する回り道も必要なことであります。

写真は集合体写真のようで気持ち悪くてm(__)mT。
手書きの値札は斬新でカッコ良くて気に入っています。
今後はスコスは値札は手書きでいくと思います。

 
■2023年2月28日(火)
■これはありがたい猫だ。