■2021年10月1日(金)
■一日一文章トレーニング。

「包装紙」

コロナ禍で変えた習慣はたくさんあります。
その一つに小型の荷物を包装紙で包むように変えました。
包装紙に包まれた荷物は大きさやカタチにもよりますがお中元やお歳暮のようにも見える時もあります。
エモい柄やファンシーな柄、蛍光色といろんな模様で包みます。
最近スコスとは別受付の商品ですが1ヵ月ぐらい調査中で運送会社に保管状態であった荷物が戻ってきました。
驚いたことに戻って来た箱はキレイな状態のままでした。
段ボールのままの配送だと私たちの経験だと箱はボロボロになって戻ってきます。
中には包装紙が何かに引っかかり破れてしまった荷物もあるかもしれませんが、
包装紙に包まれていることで運送会社さんがキレイに扱っていただいたことが想像できます。
包装紙は開封する時に破られ捨てられる運命にあります。
でも薄紙1枚包まれるだけでかわいく華やかな見栄えになります。
また紙素材の触感があります。
「包む」という行為一つで紙の触感が手から手に伝播していくのかもしれません。
包装紙の包むという字が含まれる漢字を書き出してみる。
「包容・内包・包括・包含・抱擁・包帯・小包・梱包・包囲・包丁・・・」。
「包丁」!!唯一、包まない「包」を含む漢字。
「包丁」とにらめっこすると包まれたものを丁(偶数)に2分割するイメージが見えます。
「包」はやさしく又は強く包みこんだ後にその包みを破ります。

 
■2021年10月1日(金)
■・・・
■2021年10月2日(土)
■一日一文章トレーニング。

「スコスの夏休み」

もう秋ですが、「10月10日(日)〜10月17日(日)まで」夏休みに入ります。
上記期間中は出荷等遅れるかもしれませんので何卒よろしくお願いいたします。

 
■2021年10月2日(土)
■アルファベットの探究者のデザインを改良。
https://www.scos.gr.jp/Useing2021f.html#R030910MojiWalk
■2021年10月3日(日)
■一日一文章トレーニング。

「水」

冷たい水は美味しい。
キンキンに冷たければ冷たい程に水は美味しい。
冷たい山の湧き水も冷たいから美味しいのだろう。
雪解け水が岩に染み入り地層のフィルターを通ってろ過される。
そんな何層にもキレイに磨かれた水を想像すると水はもっと美味しくなる。
東京の水道水は意外と美味しい。
勿論、冷たく冷やさなければ美味しくない。
冷たくない常温の水道水はお薬を流し込む時の水である。
海外に行くと軟水硬水の違いでとんでもなく不味く感じる水もある。
そもそも水道水は飲めない国もある。
飲める水が蛇口をひねると出てくることは幸せなことです。
外国で飲むと美味しかった紅茶やコーヒーが日本の水で入れると異なる不味い味になることもある。
そんな時、シンプルに水の奥深さを感じる。
私にとって美味しい水は安心して飲めて冷たく冷やされた水である。
冷たい水の難点はコップに入れた時の温度差で多くの水滴を落とすこと。
冷たい水の置かれた机は通り雨の水溜まりである。
水溜まりが出来る前にさっさと飲むかコースターを置けば良い話でもある。

 
■2021年10月3日(日)
■観察中。
■2021年10月4日(月)
■一日一文章トレーニング。

「people シリーズ」

緊急事態宣言明けの週末はたくさんの人を見かけました。
メディアを通すと権力を持つ者、声の大きな人が世界を動かしているようにも見えます。
実際にそのような側面も大きいとは思います。
ですが世の中は誰かも知らない多くの人たちによって成り立ちます。
数が多い人々がおのおの自分が大切と思うことをすることは力であります。
道を歩く人、犬と散歩する人、インフラを動かす人、お店の人。
人にはそれぞれの世界があります。
毎日の生活ですれ違う印象に残る数人を記憶に残して絵に描く遊びを始めました。
数分以内で収まるラフな絵です。
まだ画風も定まらないので思案中となりますが、これは私が幼少から一人で行っていた「蚊撲滅運動」やその他の一人遊びと同じです。
勝手に世界を構築する人々をコレクションします。

 
■2021年10月4日(月)
■まだまだ暑い秋の公園を探索する3人。
■2021年10月5日(火)
■一日一文章トレーニング。

「デジタル化」

10月からスコスの日常業務をペーパーレス化。
iPad とアップルペンシルを使い画面上で進行します。
紙とペンを使い行うことと特に変化はありません。
特にミス防止の蛍光ペンのマーキングチェックと進行状況の記録が残されれば問題ありません。
使用頻度が減るものはコピー用紙とペンとプリンターインクと出力された書類を収納するファイル。
紙の書類は集積すると重いし場所も陣取るので物理的に溜まらないことは良い事です。
ただ過去書類をペラペラと探すことはできないのは不便かもしれませんが過去書類を遡る状況はほぼないです。
とりあえず、やってみないと分かりません。
少しずつ用途にあわせて改良します。

 
■2021年10月5日(火)
■五感を感じる野生を感じている。
■2021年10月6日(水)
■一日一文章トレーニング。

「ピープル画を思案中」

画風とは大きな問題。
スタイルが定まらないと雰囲気も定まらない。
でも絵を何枚か描いている内に方向性は見えてきます。
これは真に見えざる手。
ピープル画にとっての問題は目。
目の描き方で印象は大きく変わります。
アートっぽい目にすると自分らしくないし絵となります。
目はしっかりと描かないと人々にも生命が宿りません。
流行のアニメのようなキラキラした目を描こうと思っても描けない。
結局、丸に目玉の見たままの目が描ける限界です。

街ですれ違う印象に残る人々を記憶しようと思っても描く頃には忘れます。
その場で人の顔を見ながらメモ描きすると怪しい奴です。
全身全霊を傾け感じたその人の印象を頭の中で描くと若干記憶に残ります。
今は大体マスクしているので口は想像。
ターゲットの顔は一度忘却され記憶の線を辿りながら再構築されます。
いつの日か一つの街のように、たくさんの人々が集まれば可笑しなる光景になるでしょう。

・緊急事態明け営業の電話をかける女の人。
・駐車場で電話をかける工事関係者。
・お店の前で何やら独り言を言っている人。
・IDカードをぶら下げた人。
・歩く東大生。
・モフ脳。
・惑星キク。
・公園を探索する女の子二人。

 
■2021年10月6日(水)
■すれ違うAi Car 。
■2021年10月7日(木)
■一日一文章トレーニング。

「過去」

話す言語が違うと考え方も見る世界も全く異なるのではないかと思います。
例えば日本人にとっての過去は時の流れと共に過ぎていく過去。
過去は過去という時間性以外に区別することはありません。
過去は年輪のように継続して長く経験や記録としてのボリュームを蓄積します。
英語を話す人だとそんな過去を「過去完了形」と「現在完了形」などの時系列で分けて考えたりもします。
「現在完了形」は過去から今この瞬間に通じる影響を及ぼす過去。
「過去完了形」は今に通じない一定期間の過去から過去。
私たちにとっては同質の過去であっても話す言葉によっては別の捉え方をします。
何だか不思議で複雑な考え方です。
英語は今へと継続する過去を特に重要と考えるのかもしれません。
そんな過去を無意識に使い分けて話すことができる人たちがいることを知ると物事の捉え方は一つだけが正解ではないと感じます。

 
■2021年10月7日(木)
■時の流れ。
■2021年10月8日(金)
■一日一文章トレーニング。

「昨晩の地震」

昨晩の地震でボードゲームの箱が落ちました。
ボドゲの箱は表面がツルツルとしており滑りやすい。
また、プラモデルの箱並みに大きいのでかさばります。
置き方を考えないといけません。
落ちたものとゲームは
・カルカソンヌ(面白い)
・PAC−MAN(遊んだことがない)
・カタン(面白い)
・パンデミック(面白い)
・ファクトリーマネージャー(遊び方がわからない)
・トランプのコレクションボックス(良いもの)
https://www.scos.gr.jp/Useing2021d.html#R030729Trump

 
■2021年10月8日(金)
■天才数学者ピエール・シモン・ラプラス。
■2021年10月9日(土)
■一日一文章トレーニング。

「道」

1(明るいグレーの道)

2(道は日本を成すもの)

3(道を言問う)

言問通りの道が舗装工事で明るいグレー色になりました。
子供の玩具や絵本でもカラフルな道は鉄板です。
道が明るくカラフルになることは良い事です。
最近はほとんどの道に左車線の自転車道ができています。
意識なく走る車はまだまだ多いですが、ほとんどの自転車はそのラインを走っているような気がします。
進行マークの記号力は社会を動かすスゴイパワーを持っています。

ところで。

日本人にとって「道」は日本の精神を表す言葉の一つではないでしょうか。
「道」を辞書で調べる。
・人が行きかう道路。
・人としても道理。
・取るべき手段。
・専門分野。
・目的までの道理。
・教え。
など、様々な意味を持ちます。
剣道、弓道、茶道、書道に華道、伝統的ないろんな道があり「道」を究めることは美徳です。
私はそのような様式美の「道」に身を置いたことがないので何ともよくわかりませんが、
一つの場所や事柄が「道」としての様式美に昇華することはスゴイことだと思います。
いづれにしても日本人にとって「道」は大切なもので人を評価する基準の一つなのかもしれません。

毎日、みんな「道」を歩きます。
人の流れに逆らい歩くと煙たがられるので人の流れに沿って歩く。
人が行きかう東京駅のような大きな「道」は隕石を避けるゲームのように歩く。
それでも意外と秩序だった道の流れだったりもする。
前から歩いてくる人を避けるために右左と進路を変更する。
道なき道を開拓者する人も「道」を歩く。
道を急ぐ人も「道」を歩く。
ズレた道を歩む私も「道」を歩く。
子供なら近道する為に壁をよじ登るかもしれない。
大金持ちはヘリ通勤で道なき道を飛んでいるのかもしれない。
「道」を使わない漁師もいるかもしれない。

「道」を使うも使わないも「道」を究めることはスゴイことです。
そして一度出来た「道」を壊すことは大変です。
「道」を壊さないといけない状況はその人の「人生の道」を否定するようなことになるかもしれません。
「道」を究めることの美徳が社会状況の変化で変われない日本の閉そく性の一つの原因なのかもしれません。
言問通りで「道」について言問く。

 
■2021年10月9日(土)
■いろんな道。
■2021年10月10日(日)
■一日一文章トレーニング。

「お休み」

10月10日(日)〜17日(日)まで。
ホリデーで更新をお休みいたします。

 
■2021年10月18日(月)
■一日一文章トレーニング。

「おたけさん」

補修工事中の小竹橋(おたけばし)。
荒川区と足立区を結ぶ墨田川にかかる橋。
8ビットのブロックがカクカクと並びマインクラフトを彷彿させて面白い。
調べると橋の名前は江戸時代に足立区側にあった渡し船のお茶屋さんの看板娘「おたけさん」に由来。
どんな人だったのか知りませんが大きな橋の名前にもなってしまうスゴイ「おたけさん」。
たぶん美人だったのだと思う。
橋の名前になるぐらいだからとてつもなく愛されたお店の娘さん。
渡し船等のインフラ維持に多大な貢献をした人なのかもしれない。
お茶屋さんの隅っこに座った小さなおばあちゃんだったかもしれない。
令和の今日も明日もたくさんの人々を渡す「おたけさん」。
改修工事を終えるとまた美しい「小竹橋」となります。

 
■2021年10月18日(月)
■おたけばし。
■2021年10月19日(火)
■一日一文章トレーニング。

「お魚の気持ち」

This is the season for a change.
この季節は「Elliott Smith」や「Ronny Jordan」などの洋楽の紅葉する寂しげなサウンドが頭を走ります。
夏用の薄い布団だともう寒すぎたので昨晩冬用の布団を出しました。
冬用布団を出す作業は家庭内の一つの大きなイベント。
部屋中にホコリを舞いながら布団カバーを隅々に引っ張り紐で結んでセッティング。
いやはや面倒くさいですが暖かな重みのある羽毛布団に包まれると何か落ち着くものがあります。
もうすぐ冬です。

さて墨田川。

悠然と流れる墨田川にポチャンと響く水の音。
振り返ると水面にお魚が飛び跳ねた波紋が広がります。
再びお魚が飛び跳ねないかと川面を凝視していると「ポチャン」。
10p程の細長いお魚が飛び跳ねます。
魚がわざわざ生命を維持できない空気の世界に飛び出す理由は何なのか。
お魚の気持ちになって魚が水面をジャンプする理由を考えます。

目は魚眼レンズ。
各方面までよく見える。
でも水質は良くないので数メートル先を見通すことはできない。
ゴボゴボという水音と共に川の流れはゆっくり流れます。
目はギョロギョロとキラリと光る鱗を追いかける。
とびっきりの食事は突然やって来る。
または底の暗がりから大きな魚がひょっこり襲ってくるかもしれない。
上の水面は明るくて小さな小魚がたくさん泳いでいるが水面に近づくと小魚はとても素早いスピードで逃げてしまう。
また水面近くの水温はとても高く太陽の光が肌をヒリヒリと焼くように刺激する。
細長い魚は上空に見える青い空が何であるのかも気になる。
顔を出せども決して辿り着けない広い「無」。
細長い魚は淀んだ水底に勢いよく潜り真っすぐに小魚の群れに向かって飛び出した。
水しぶきが大きく立ち上がる。
空気の層を突っ切り、秋の強い日差しは肌を痛く刺激するがほんの一瞬の出来事である。
水面への着地は感じたことのない衝撃。
お口の中には数匹の小魚。
細長い魚は満足げに薄暗い水底へと帰って行きました。

何のことかな?なお話でした?

 
■2021年10月19日(火)
■驚き踊り食す。
■2021年10月20日(水)
■一日一文章トレーニング。

「イチョウの気持ち」

さて、だんだんと寒くなる毎日。
昨日の朝も今日の朝も雨が降って空気もヒンヤリ。
雨上がりの空気は洗われてとても美味しい。
最近、時折徒歩で事務所まで歩きます。
ただ長距離を歩くだけ。
毎日ではなく気が向いた時だけ。
万歩計で測ると往復12000〜13000歩。
時間はかかるしそれなりにしんどくは感じるけれども「歩いた〜」という満足感と疲労は満たされます。
概念作文やヘンテコ絵を深めることも良いのですが、歩くことの運動はそれよりも大切な事柄のように感じられます。
シティーランナーのように走ることは大変ですが、歩くだけならそのうちに目的地に到着します。
必要なのは時間だけです。

ところで。

いつも寄り道参拝している根津神社のイチョウの大木もだんだん薄く黄色く色づくようになりました。
少し前までは青々としていたので変化は突然に始まります。
目を上の方に向けると幹に横に伸びる数本の傷跡を発見できます。
さて、この傷跡は何でしょうか?
どう見ても人為的に付けたとしか思えないその傷について考えます。
イチョウの生育スピードは分かりませんがお侍さんが真剣や木刀で傷を付けた後ではないかと推測することもできます。
私も幼少の頃、鬱憤たまると庭のモチノキを竹刀で叩いておりました。
もちろん、木に傷一つ付くことはありません。
木々にとっては意味もなく叩かれることは迷惑な話です。
お侍さんも剣術稽古の後錬でイチョウの木にビシバシ打ち込んでいたかもしれません。
若しくは、傷が真っすぐではっきりしているので根津神社に陣を張るお侍さんが刀で斬る練習した後なのかもしれません。
幕末上野戦争の時、根津神社にも陣を張る状況はあったのでしょうか。
調べてみると幕府軍の徳川慶喜を警護する彰義隊の一部が根津神社にも陣を張っていたようです。
本郷のお山の下の窪地のような地形にあるので守りには全く適していないように感じます。

イチョウとって一日はとてもゆっくり。
太陽が出て太陽をたくさん浴びて寝る。
そんな生活をとても長い間続けている。
雨が降ると体が洗われて気持ち良い。
枝々の葉っぱまでたくさんの水分を吸収すると日光浴もMAX最高な気分。
身動きできない分、風が吹くと余計な枝が飛ばされて気持ち良い。
樹皮を覆う感覚でまわりの環境も感じることができる。
そんなある時、害虫も寄せ付けない吾輩にとても強い激痛が走る。
一人の男が刀物を使い幹に印を掘っている。
一の字である。
そして、長い月日がたったある日、男は再び一の字を掘る。
そんな月日が何回か続き男はもう現れなくなりました。
イチョウにとっては甚だ迷惑な思い出である。

人の一生はあっと言う間の出来事ですが木々の生涯は人の何倍も生きます。
人の傷も深く残りますが植物の傷も深く残り成長と共にだんだん上の方に登ります。
そもそもキズは木の成長と共に上に登るのでしょうか?
よくわからないけど、イチョウの傷を見てそんなことを想像しました。

■2021年10月20日(水)
■閑寂(かんじゃく)。
■2021年10月21日(木)
■一日一文章トレーニング。

「さよならニャー先生」

ニャー先生。
本名は「チョビ」という名前で「ねんねこ家」さんの猫でした。
10月11日の朝に息を引き取ったようです。
年齢は19歳、大往生です。
一昨日、ニャー先生がいる道で永眠のお知らせを見つけました。
悲しいです。

今まで尻尾フリフリの犬しか生活をしたことはなく猫に触れたことがありません。
なので、ニャー先生の猫模様も全然覚えられないというか認識できませんでした。
でも「こんにちは」と挨拶をするといつも「ニャー」とかわいい声で返答してくれますので「にゃーさん」だとすぐにわかります。
根津にいる他の猫に挨拶すると当然のガン無視なのでニャー先生は特別な存在でした。
最後に会ったのは2021年8月3日(火)で8月4日の記事にニャー先生の話題があります。

https://www.scos.gr.jp/Useing2021e.html#R030804NecoMichi

ニャー先生観察から気持ち良く生きる人生の生き方を学びました。

1)挨拶。
2)人なつっこさ。
3)フットワークが軽い。
4)小さなかわいい声。
5)その場所が特別な場所になる。

ニャー先生に出会ってからは2〜3年の挨拶を交わす新参者ではありましたが、いつも「ニャー」と会話できてうれしかったです。
出会えた時にはとても癒された楽しい気分になりました。
ありがとうございます。
ごゆっくりお休み下さい。

 
■2021年10月21日(木)
■にゃーさんの坂・魚。
■2021年10月22日(金)
■一日一文章トレーニング。

「イメージ」

雨で濡れたアスファルトが乾いていく過程でいろんな模様を見せます。
エイリアン。
クチバシのある顔。
跳ねる四足動物。
銀河。
自然の抽象画のようにも見えます。

辞書で「抽象」を調べると事物、地柄、具体的から共通の属性を抜き、これを一般的な概念としてとらえる心的作用。
また、事物に共通しない特殊要素を排除する働きを持つ。→捨象(しゃしょう)
ムズかゆく難しい?文面が続きます。
具体的でない心象風景ということで良いのでしょうか。
Wiki で抽象画の定義を調べると。
狭義では具体的なものを描かない絵画。
広義では具体的なものでもあってもそのものの形状から離れているものを描く絵画。
とあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BD%E8%B1%A1%E7%B5%B5%E7%94%BB

対比するものはイメージを際立てるので都合良く解釈できます。
この写真もドライかウェットで表現される抽象化されたものなのかもしれません。

 
■2021年10月22日(金)
■対比するものは根源的には同じもの。
具体的な写真から抽象的なイメージを抽出(デフォルメ化)して認識する。
(具体→抽象)抽象的な思考。
抽象化されたイメージを具体的に描きとる。
(抽象→具体)写実的な作業。
■2021年10月23日(土)
■一日一文章トレーニング。

「会社・組織 > 個人」

「新しい資本主義って何?」
ということで記事を読んでいたら「四半期開示見直しの公約」という記事を見つけました。
そのような「見えない化」な政策をアナウンスすれば外資も逃げ出します。
中国から外資が逃げ出して日本にもチャンスが到来と思っていたら株価も怪しい動き。
岸田総理は新自由主義を批判しておりましたが自民党の政策が新自由主義的であったことはほとんどありません。
自由主義・市場原理を大切にする国では会社や組織を守ることよりも個人、人を守ることを最終的に一番大切にします。
コロナ禍でも感じてきたように、この国では一個人を大切にしません。
集産主義か個人主義かとあるように最終的に救済されるのは企業や組織です。
雇用を守れば個人、一人一人を守る必要がないとの考え。
欧米では雇用がなくなっても安心の社会保障制度があるので日本とは比較できないかもしれません。
逆に言えば日本は個人を大切にしないから、そのような社会システムを考える必要がないとも考えられます。
個人を大切にしないことは産業構造を転換できない文脈で語られることも多いです。

新自由主義批判の記事を読むと大体ウソが多いです。
それら批判記事の便利なところは文脈からその人の主義主張や素性、情報源の信憑性がリトマス試験紙のようにわかります。

以前簡単に手描きで要約したネオリベのメモ(乱筆)を貼っておきます。
※新自由主義とはネオリベラリズムの略。

https://www.scos.gr.jp/MilltonFreedomanCapitarismAndFreedom

新自由主義は共産主義に対抗する為の理論。
また、同時に規制緩和と国の事業を民間に移し既得権を持つ利権者や組合と対峙する為に市場原理を用いて対抗する概念です。
共産主義者は勿論、反対します。
そして対極・対比にいる既得権を持つ人たちも同時に非難します。
理由は利益が損なわれるからです。
今回は選挙に行きたいと思います。

 
■2021年10月23日(土)
■ポリゴン顔。
■2021年10月24日(日)
■一日一文章トレーニング。

「自慢の一品」

結構前に発売されたハロウィンのポテトヘッド。
購入してとても気に入ったので二つ目を購入。
いわいる「2個買い」です。
「2個買い」という言葉は最近あまり聞くことはありませんが、
昔は「保存用」と「使う用」に同じものを2つ買うという思考は一般的にありました。
写真のものはパッケージのまま保管しているものです。
ポテトヘッドは何世代かの数個を持っているのですがポテトや足の形状は微妙に変化します。
この時代のポテトのカタチはとても良いカタチをしています。
白い布を被せるとハロウィンな雰囲気もアップ。
「Trick or Tater」は「いたずらか?ジャガイモか?」の2択です。
当然ジャガイモということで、これが私の宝物のポテトヘッドです。
スコスのHPもすこすハロウィンな仕様に変化させました。

https://www.scos.gr.jp/open.htm


 
■2021年10月24日(日)
■scos ロゴ。
■2021年10月25日(月)
■一日一文章トレーニング。

「シークエンス」

「実はこれら文章はAiによって書かれます」

WWWであって欲しいなと思うぐらいにネタが思いつかない今朝この頃。
Ai 発動で文章を書けば、それはもう「一日一文章トレーニング」の苦行ではありません。
苦しみの上に何かを作る。
それはAi が決して辿り着けない境地なのかもしれません。
ならば、「オレがAi だ!!」ということでAi 気分で文章を書きます。
※「オレがガンダムだ!!」刹那・F・セイエイ。

書く対象がなければ、先ずは過去を探る。
過去の話を思い返せば、どこの過去と繋げれば良いのかと悩みます。
いづれにしても通常、文章を書くには「話の核となるもの」が必要です。
核となるテーマから話を広げて最後は落とし締めて、または纏まったか纏まらないかの微妙な細々とした終わりに繋げたい。
テーマがないということは話の核がないということと同義。

ということで近い過去の前回のお話からのつながりをバトンタッチします。
昨日は「2個買い」という一つ気になるキーワードがありますのでそれを深堀。
同じ商品を「保管用」と「使用する用」の2個買うことは所有権の2倍で「強欲」なのか?
または、二つ持つことでの「安心」なのか?と・・・。
お店側からすると2倍の経済でありがたい。
希少性の経済で考えれば2個持つことは満足させるかもしれないし、経済的には無駄な買い物となるかもしれません。
私の「2個買い」は気に入ったから単に2個買った。
単なる欲張りなのかもしれません。

文章をAi になった気分でシークエンス(連続写真)的な手法で書きました。
金太郎飴みたいな意味がわからない文章です。
テーマを持つことは偉大です。

 
■2021年10月25日(月)
■Ai ラグビー。
■2021年10月26日(火)
■一日一文章トレーニング。

「エレベーター」

エレベーターが改修工事で新しくなりました。
操作パネルは非接触ではありませんが今風のエレベーターの押しボタンになりました。
間違って異なる階を押した時にもう一度押すとキャンセルできるタイプです。
天気や時刻、ニュースなども液晶表示。
換気の風もパワフルに感じます。
もうすでに手垢が付いているステンレス部分は気にもなり拭きたくもなります。
工事中は自力で息を切らし階段を登ることになりましたがエレベーターは建物になくてはならない心臓のようなものだと思いました。
設備を更新してくことは建物にとっては大切なことです。

 
■2021年10月26日(火)
■自動階段。
■2021年10月27日(水)
■一日一文章トレーニング。

「ボードワン博士の像」

昨日、上野公園を通っていたらコロナ前のわいわいとした上野の日常に戻ります。
人が多いので裏道を進んでいたら「ボードワン博士の像」を発見。
「この人は誰?」ってことで写真を撮ります。
銅像の下には説明書きがあります。
1862年〜1871年に幕末の攘夷運動が激しい時から明治新政府へと移る時期に来日したオランダ人軍医。
博士は上野戦争で荒廃した寛永寺跡地に大学病院を建設する計画に自然が失われると反対して日本で初めての公園を作ったそうです。
それがこの上野公園です。
わずか10年ぐらいの滞在ですが攘夷で「夷狄を討つ」と叫んでいた人たちは、
数年後には外国人の意見を聞いて素直に公園を作る訳のわからない時代です。
偶像崇拝を禁止する国もあれば自国の歴史を塗り替える国など世界にはたくさんの国があります。
外国人でもその人の功績を称えることのできる、この国は開けた寛容度の高いすばらしい国だとも言えます。
また、本郷界隈でも外国人の銅像はあちこちで見るような気がします。
そして、上野のお山の頂上にはその後に西南戦争で政府軍と戦う西郷さんの銅像までが街を見下ろします。
上野のカオスさは銅像一つとっても体現できます。
上野戦争がなければ上野公園の存在はなく京都並みの寛永寺という素晴らしい立派な大きなお寺が残ったでしょう。
または、幕府軍が普通に守りの硬い江戸城に籠城を行ったり、異なる戦術をすれば新政府は別のカタチとなった可能性もあります。
上野でたくさん死んだ彰義隊とは見捨てられた存在だったようにも感じます。
ちなみに、ネットで「ボードワン博士の像」を調べたら一代目の像はボードワンさん弟の顔で製作されており、
現代の造形は作り直された2代目です。
上野公園はカオスすぎて好きです。

https://ueno.or.jp/rekishi3/

■2021年10月27日(水)
■ボードワン兄弟。(左が2代目の本人の像。右が初代・駐日領事だった弟の像、間違い)
■2021年10月28日(木)
■一日一文章トレーニング。

「データ保存」

古いデータ探しでITボックスを漁ります。
USBメモリやSDカード、メモリースティックPRO DUO等の古いメディアを発掘。
長い期間ほったらかしだったので接触部分の金属や銅が酸化します。
このままだと読み込みが不可能な感じです。
さっそく綿棒やティッシュで接続部分を「塩とお酢(1:1)を混ぜた液体」でキレイに洗浄。
それなりにピッカピッカとなりサビも落ちます。
さっそく、データを読み込んでみると一枚のSD以外はファイルを開くことができました。
読めないSDの容量を見ると容量が16MB。
16MB!!何も保存できない容量です。
読み込みできないので捨てます。
データの保存や管理はなかなか難しいことです。
ハードディスクに入れてもカラカラと物理的に壊れる可能性があります。
SDカードやUSB等で保管してもサビで読み取り不能になるかもしれません。
クラウドに保管すると言っても全部を保管することはできません。
※キャップ式のUSBメモリは酸化もせずにキレイなままだったので長期保存には向いているようです。

データはコピーしても移動しても経年劣化しませんが、メディアに保存するというカタチでは物理的に経年劣化します。
そのような意味に於いて。
ブロックチェーンは取引情報と共に情報空間を永遠に駆け巡るので経年劣化なく保存されるデータの最終形なのかもしれません。

 
■2021年10月28日(木)
■酸化 綿棒 塩 酢 BLOCK CHAIN (水は間違い) 。
■2021年10月29日(金)
■一日一文章トレーニング。

「シークエンス〜HP」

探していたデータはこれ。
昔のスコスHPのトップに使用していた画像。
机上のエンジンは電気を生み出し。
机には1杯のコーヒーとキンクロハジロ。
読書をする人の顔からポッポ時計のように鳥が飛び出します。
本を読む、とても手のとても長い猫。
帽子が跳ねるパンダ。
ハートの3を持つウサギの紳士。
スペードのAを持つ骸骨は手が3本あります。
不思議な5人5匹がその机を囲みます。

今の画像はフォーマットにあわせて再構築したので厳密に言うと当時と同じものではありません。
でも大体このような動きと感じです。
当時のネットは容量が重くなると画像を開くのにとても時間がかかりました。
サックと画像を開くには画像サイズは小さくする必要があります。
色は黒と緑の2色で8bitや16bit のGIF画像に圧縮するとメモリ容量も減少します。
また一枚の画像を大きいままで表示するとデータが重くなるので画像を複数枚に分割してメモリ容量を小さくしていました。
今は画像の大きさなんて気にせずに何でもアップできるから良いです。

 
■2021年10月29日(金)
■死と生と手長猫。
■2021年10月30日(土)
■一日一文章トレーニング。

「シークエンスの概念」

1(テーマをバトンタッチするシークエンス)

2(ものの見方をシークエンス)

3(シークエンスの意味)

4(逆説的なシークエンス)

シークエンス」の概念を説明します。
このやり方は私が毎日継続して何かを続ける為に考えた自分なりの「テーマ探しと視点」の書き方、描き方です。
※絶対的な法則ではなく、いくつかのやり方の一つの方法。
日々のアンテナで見つけたネタを連続撮影のように観察・記録。
そして、キーワードからキーワードへとイメージ膨らましながら次の日に繋げる手法です。

1)連続写真を撮影するようにイメージを起こす。(多角的な視点で記録する)
2)バトンを渡すように次の日の話に繋ぐ。(キーワードを渡してテーマを温存)
3)それぞれは別々の話ですが少しの関連性を持たせることでテーマを引き継ぎ、または新しくテーマを見つける。(テーマの引継ぎ)

毎日更新の難しさはネタ切れすること。
話の種を次の日への持ち越すことができたならば日々続けることはとても楽になります。
※時事ネタをテーマとして扱えばそんなに大変ではないと思います。
私の能力では朝の短時間で毎日の「一日一文章トレーニング」を丁寧に書き起こすことは不可能です。
でもテーマがあれば、ゆるく雑でも何とか文章や絵を構築することは可能となります。
質より量」。

とは言え、テーマ不在のネタ切れとなる日は必ずやってきます。
書きたいと思っても思慮不足、熟成期間や整理が必要なものもあります。
その時にはそれでも柔道のように柔らに力ずくで何かわからないなり書き・描きます。
書きながら・描きながら・考える。
すると不思議なことに、ものの考え方も一歩膨らみ前進することがあります。
※意味不明で終わることもあります。
そのようなことが「見えざる手」が存在するのではと感じられる瞬間です。
このようにシークエンスの概念を利用することで1本の道筋をつけることは可能となります。

A橋→B魚→Cお魚くわえた猫

シークエンスの概念にはもう一つの手法があります。
ものの見方を多角的に見る手法。
例えば前方から走ってくるトラックが気になり関心のアンテナを張ってマーキングしたとします。
その時にシークエンス的な見方をすると連続した写真のように観察できます。
1)前方から見た真正面のトラック。
2)横を通り過ぎていく真横で見るトラック。
3)後ろに通り過ぎていく真後ろから見るトラック。
視点を移動させながら時系列で捉えると異なる形状を認識できます。
時間経過と共に刻々と変化するトラックの情報を連続性の中で見た視点は多角的な見方だと思います。

この「sequenceシークエンス」と言う言葉は業界用語としてもいろんな意味の使われ方があります。
「英英辞典」で調べると下記のようになります。
・次から次へとやって来る。
・一連の流れを追う。又は従う。
・物事が発生したり配置されたりする順序。
・アルファベット順に並べること。
・接続すること。
・連続性。
・一場面のこと。

私のシークエンスは連続的にものごとを繋げて広げていく感じです。

しかし、一つの波紋はそう長くは続かないもの。
連続性を見つけて話の種が途切れない楽々な日々は突然終わり、再びアンテナを張ってネタ探しをしなければなりません。
でも、そのことはそんなに悪いことではありません。
逆説的に考えると、連続的に自動的に創作することができたならば実験的な遊びをする必要はありません。
そして、自らも予想しない新しい発見も見つかることもないように思います。
新しい切り口を探し試行錯誤する為にはシークエンスの連続性を断ち切る必要もあります。
「考え・焦る・もがく」生みの苦しみは何事にも変えられない経験だと思います。

 
■2021年10月30日(土)
■シークエンスの効果は関連性を繋げて広げる+視点を移動させて多角的に視る。
■2021年10月31日(日)
■一日一文章トレーニング。

「車のシートにTシャツ」

昨日、キューベルワーゲン(第二次世界大戦の軍用車)のようなカーキー色の変わった車が走っていました。
都内では変わった外車やこだわりの車をよく見かけます。
アメリカの人ならサムズアップの嵐で「どこで買ったの?」と質問攻めになりそうです。

ところで。

気づいたことがあります。
東京に来てからは車のシートにTシャツを装着した車をほとんど見かけることはありません。
もしかしたら全国的にもシートにTシャツは減少しているのでしょうか。
昔はよく見かけて一般的だったような感じもします。
なぜ、シートにTシャツを着せるのか?
シートの頭の支え部分がTシャツの首から程よく出る。
助手席に設置すると常に誰かと一緒に運転しているような気分になる。
汚れの防止。
白いTシャツが多かったような気がする。
外車のシートにTシャツは世界広しと言えども流石に走っていないと思う。
若さがあり青春感がある。
数多く持つであろうTシャツの中から選ばれるTシャツとはどんなTシャツなのだろう。
好きなバンドTで空間を演出してその音楽を聴きながら運転する。
わかる。
私なら何のTシャツにする?
W。
We Are Weezer。

https://www.youtube.com/watch?v=jwv-iRvyDZg&list=RDEMNkZ99HIWQpfIEt8UMua4Mg&index=9

車のシートにTシャツを都内であまり見かけないのは家賃の高い都会の事情なのかもしれません。

 
■2021年10月31日(日)
■音楽の空間。