■2022年6月1日(水)
■一日一文章トレーニング。

「フルーツ」

もう6月ですよ〜!
>>>チクタク>>>チクタク>>>デス。

野菜はもちろん食べるようになった。
最近はそれに加えてフルーツも食べるようになった。
それはまるでコウモリのような食生活。
フルーツはジューシーであり、あの噛むとジュワっと出てくる液体の中には何かしらのビタミンや栄養素が詰まっていることは確信できます。(成分は知らない)
但し、オレンジなどの酸っぱい系は舌が痛くなるのでブドウなどの甘いものを好みます。
主に食べるフルーツはここ数年で見かけるようになった皮ごと食べられるあのブドウ。
これは横着人にもってこいのフルーツ。
よく洗いそのままガブリと食す。
ブドウには2種類あって赤か緑かの選択に悩む。
私の好みだと赤のブドウ。
赤ワインを選択する気分でカリカリとかじる。
単純に赤のブドウの方が甘い気がして赤を購入するのですが、その内に緑のぶどうの良さを発見するかもしれません。
私の経験上、最初に良いと思ったものは、初見時に悪印象だったものに後々駆逐されます。
なので、半年後には「ブドウと言えばグリーンでしょう」と言っているかもしれません。
そのような感じで最近の食生活はとても清い。
そして、変化と言えば、何かお肌がつやつやとしてきたような気がします。

野菜+フルーツを食べるようになり健康オタクみたいなウンチクを語ること。
そのようなことは昔なら小バカにしていたようなことであります。
如何に不健康な生き方をしているのかをアピールすることは何か若者だけが持ち得る特権のような気もします。

そのような訳で、昨日は道を歩いていて右足が痛くなった。
何と言う名前の筋肉だろう?
ふくらはぎの反対側、前の右の部分。
調べると「前脛骨筋」という筋肉らしい。
読み方がわからないので追検索すると(ぜんけいこつきん)と読むらしい。
筋肉がそったように痛くなり「イタタ」と歩く。
その辺に座り込むのもたいそうなことなので「痛い〜」と思いながらそのまま歩き続ける。
しばらく歩くと右足の痛みが左足に移動した。
不思議なことは右から左に痛みが移った瞬間に右足の痛みは一切なくなったこと。
痛みが瞬間移動するってどういうこと?とは思いましたが、痛みが移動することも当然あることだろう思いやっぱり歩きつづける。
右足の痛みをかばう歩き方が次に左足を痛ためたのかもしれない。
これらは痛いけども歩けない程に痛いわけでもなく、毎日の文章の肥やしになる予感がしたので今日のネタとなる。
この症状はネット情報によるとアスリートに良くある現象のようです。
歩いているだけでアスリートみたいな症状を醸し出すことは体がなまっている証拠。
そして、赤信号で停止していると左足の痛みも消えてなくなりました。
変わった足の痛みではありますが体がなまっていることは理解できました。
という訳で、野菜+フルーツを食す生活はお肌には良さげであることは確かである。
しかし、健康を促進しているのか?未だ分からず。
多分、食うだけでは物足りなくて「体を動かせ」と言われているような気がします。
このような発言自体が昔の私からするとビックリな心境の変化、人の心とは年齢と共に変化していくものであります。
これはもしかしたら「変化する器」の一形態で空っぽだからこそ中身は入れ替わるのかもしれません。

 
■2022年6月1日(水)
■入れ替わる器の中身。
 
■2022年6月2日(木)
■一日一文章トレーニング。

「イカを食す」

生イカを解体する。
イカのはらわたを抜き、背骨みたいなのを剥がして皮をはぐ。
人間とは何とも残虐な動物であるのかと再確認。
旬なものを喰らうということは本当に面倒で大変なことであります。
このような汚れ仕事は実際に調理してみないとわからないもの。
もはやどれがイカ墨なのかもわからない。
先ず、はらわたが臭くて嫌なのでポイっとすぐに捨てる。
怖い目の部分を取り外そうと包丁を入れると墨が飛び出して顔にかかります。
あっ!これはホラー映画でよく見るワンシーンです。
イカは捕食者である私に対して最後の抵抗を示し、私はイカの墨が顔や服以外のどこかに飛んでいないのかとイカ墨の行方を捜しているとイカは一矢報いたのだと思う。
わい!その墨をしかと受け止めた。
ネットのイカの解体方法を見ながら解体しているのですが、そのタブレットもイカの汁がついております。
後でキレイに拭きましょう。
もはやキッチンの机の上はイカとの格闘で散々な様。
そして、そのイカを調理して食べるとなると一瞬のペロリでご馳走様。です。
本当に一瞬の出来事なので食べる為の準備と食べることの時間と労力が一致しません。
確かにイカは美味しい。
その美味しいことをプラスとして考えればイーブンと言えるかもしれません・・・。
ですが、やっぱり、食べることと食べる前の準備するエネルギーは一致しないような気がします。
そのようなことについて考えると全ての食べものについて同じことが言えます。
お米を食べることは一瞬の出来事ですが、お米が実り収穫して白米になって食卓に並ぶまでは膨大な手間と時間がかかります。
私たちが様々な栄養を摂取して活動するエネルギーと、それらが栄養源として食卓に並ぶまでのエネルギー量は常に一致しません。
鋼の錬金術師で言うところの「等価交換」ではなく明らかに常に大きなマイナスが生じています。
世の中に常に「A=A」は存在していないとも言えます。